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■時の牢獄■

沓澤佳純
【2283】【巳杜・靜】【現実:中学2年生/幻影学園:2年B組】
 少年が独り、薄く開いた障子戸の向こうをぼんやりと眺めている。射し込む淡い月光が密やかに彼の横顔を照らし、そこに宿る憂いを浮き彫りにする。白い肌。その上には法的罪を犯してしまったという後悔のような色が滲んでいる。
 彼は人を殺した。
 総ての過程が脳裏に明瞭な映像として刻み込まれている。水っぽいものが詰まった頭に叩きつけた花瓶の割れる音に被さる鈍い音。飛び散る白い破片を染めた赤。床に転がる肉塊。確かに一つの生命が失われてしまった刹那を体感した。
 記憶は明瞭だ。
 何を発端にそのようなことに至ったのかは定かではない。しかし相手が少年に云った一言だけははっきりと覚えている。
 ―――殺して。
 たった一言が引き金だったのだろうか。その一言に少年は精一杯の愛を込めて殺してやろうと思ったのだ。何がそうさせたのかはわからない。それほどまでに相手を愛していたのかと問われたら、はっきりと答えることはできないだろう。しかしその一言の響き、そこにこめられた何かが確かに少年を殺人という行為に導いたことだけは確かだ。
 しかし少年が殺した相手は毎夜、彼のもとを訪れては他愛も無い話をして去って行く。それまでと変わらない。姿は生前と同じ。崩れたところなど見当たらない柔らかなフォルムを形成した人間という生き物だった。
 訪問が回数を重ねるにつれて現実というものが緩やかに崩れていく気配がする。
 世界はもう疾うに終わってしまっているのではないかという予感。
 過去に停滞したまま自分は動けないのではないかという恐怖。
 少年は思う。生きている人間に会いたいと。進む時間、現実を確かめたいと強く思う。
 しかしそうするにはまだ肝心な何かが足りなかった。それ故に少年は障子戸と襖に隔てられた一室を出ることができずにいた。

<ライターより>
心理描写中心の内容で書かせて頂きたいと思っているので、個別受注でお願いします。

『時の牢獄』

【壱】

 巳杜靜が長い髪を揺らしながら颯爽と道を行く。時折同い年くらいの男の子の視線を感じたが、内心靜も男だもんねと笑う。足取りは軽い。別段楽しいことがあったわけではないけれど、楽しいと思うことで楽しくなれることを静は知っていた。だから毎日楽しいと思って過ごしている。厭なことを引きずる性分ではないのだ。
 それに春だし、と靜は思う。たった今も桜並木のなかを通り抜けてきたところだ。淡紅色の桜は満開で、はらはらと花弁を散らす姿は寒さに総てが眠っていた冬が終わり、これから楽しいことがたくさん起こる春や夏が訪れることを教えてくれる。ありとあらゆる学校行事に思いを馳せ、そこで起こるであろう楽しいことの想像でいっぱいになった靜が軽やかに道を進んで行くと擦れ違い様に不意に小さな老女の肩にぶつかった。
「ごめんなさいっ!」
 反射的に振り返ると春色の巾着を手にした老女が、大丈夫よ、と微笑む。そして不意に懐かしむように目を細めて、中学生?と訊ねた。
 静かは大きく頷く。
 満面の笑みだ。
 それが老女の何に触れたのかはわからなかったが、孫と同じね、と笑って唐突にお茶に誘われた。特別予定もない靜に断る理由はなかった。知らない人について行ってはいけませんという教えがふと頭をよぎったが、四百年も生きていれば一目でその人が悪意を持っているかどうかはすぐに判断できた。老女には悪意の欠片どころか、善意でいっぱいといった雰囲気しか感じられない。だから断ればきっと哀しませることになるだろうと思うと、靜は自然と頷いていた。
「巳杜靜です」
と元気いっぱいに名乗ると老女は女の子?と微笑むので、完全完璧男の子ですと胸を張る。老女は小さく笑って、かわいらしいわ、と云った。
 二人で肩を並べて老女の家に向かう道すがら、靜は一方的に話し続けていた。ふと黙ると老女の横顔に僅かに淋しさが漂うのがわかったからだ。靜が話している間中、老女はずっと微笑みを湛えていた。しかしそれは靜を見ているわけではない。誰か別の人を重ねて見ている、そんな目だった。その目に淋しい人なんだと思う。何がそんなに淋しいのかはわからなかったが、ただ漠然と淋しい人なのだと思うと楽しいことを教えてあげたくなってしまう。哀しいことや淋しいこと、辛いことは楽しいことで全部帳消しにしてしまいたくなるのだ。
 時々自分でも楽観的すぎると思う。けれど悲観的すぎるよりは断然いいというのが靜の持論だ。閉じこもる暇があるなら大手を振って前進。そうすれば自ずと悲観的に考えていたことが、そうではなくなってしまうことを靜は自分の経験から知っていた。
「ここよ」
 そう云って老女が立ち止まった家は立派な日本家屋だった。歴史の重みを感じるというのはきっとこういうことをいうのだろうと、呆然と老女の家を見上げて靜は思う。口が半開きで間抜けな顔になっていたことに気付く間もないくらい、本当に立派な建物だった。
「こんな莫迦でかい家に一体何人住んでんの?」
 先を行く老女の小さな背中に問う。
「孫と私の二人だけ。主人は既に他界しましたし、孫の両親も早くに亡くなりましたから」
 玄関の引き戸を開けると嵌めこまれた擦り硝子が涼やかな音をたてる。
「だから気兼ねなどなさらないでね。どうぞ」
 云われてきょろきょろ辺りを見回しながら靜は老女の後に続く。信じられないくらい広い玄関だった。その玄関にたどり着くまでも長かった。しかし三和土に並んでいるのはたった今老女が脱いだ草履とあまり履かれた気配の感じられない真新しいスニーカーだけだ。なんだかますます淋しいじゃん。思いながらそれらの隣にきちんと揃えて靴を脱いで、老女が並べてくれたスリッパに爪先を差し込む。冷たいと思った。足に馴染まないそれを爪先に力をこめることで脱げてしまわないように注意しながら、やけに長い廊下を行くと客間とおぼしき和室で待つように云われた。
 これもまた広い部屋だった。
 つい畳の枚数を数えたくなるくらいに広い。きっとこの広さがこの家では普通の広さなのだと思うと、ますます淋しいと思う。淋しさいっぱいの家は躰によろしくないぞ、と思いながら部屋を見回す。失礼かと思いながらも、庭に面しているであろう障子戸を開けてみたりもした。開け放たれた雨戸。硝子戸にきらきらと陽光が反射して奇麗だった。そしてその向こうにある手入れの行き届いた庭も、やっぱり奇麗でその奇麗さがかえって淋しくさせているような気がする。
 本当にここに人が住んでんの?
 靜は四つん這いという行儀の悪い格好のまま庭を眺めて小頸を傾げる。
「お茶が入りましたよ。お菓子は和菓子しかなくて、若いあなたのお口にあうかどうかわからないけど……」
 靜の格好など気にならないといったような体で老女が部屋に入ってくる。靜は慌てて姿勢を正して、座卓に向かった。目の前に並べられる湯呑み茶碗は明らかに高価なものだった。添えられた和菓子は春らしい桜餅。
「あっ、茶柱」
 靜は目の前の湯呑みの中心にぷかりぷかりと浮かぶそれを見とめて、さっと老女のそれと取り替える。
「靜は楽しいこといっぱいだから、おばーちゃんにあげるねっ☆」
 笑って云うと老女は微笑みと共に、ありがとうと云って大切なものを扱うように両手でやさしく湯呑み茶碗を包み込んだ。
「ねぇ、おばーちゃん、なんか淋しいことあったりする?」
 いただきますと両手を合わせてお茶を一口啜り、桜餅を口一杯に頬張って靜が云う。
「どうして?」
「だってさぁ、さっきから全然楽しそうじゃないんだよね。笑ってるけどさ、心から笑ってなくない?」
 もごもごと喋る靜の言葉は不明瞭だったが、老女はしっかりとそれを聞きとめたようだった。
「孫がね。なんて云ったかしら……、今仕切りにテレビで騒がれているの」
「えっと……虐待、なわけないから、イジメ?それとも引き篭もり?」
 思いつくままに靜が云う。
「そう、引き篭もりよ。―――部屋に閉じこもったまま出てこないの。食事も碌に取らないで、ずっと部屋で一人で本を読んでいるのよ。理由があるとしたら両親の死が原因なのかもしれないけれど、それさえも定かじゃないわ」
「えぇー!それってどーゆう不健康!?ヤバいよ。靜と同い年くらいなんでしょ」
「中学二年よ」
「それじゃあ、靜とおんなじだよ!」
「あら、そうなの?両親が亡くなってから妙に大人びてしまって、あなたと同い年だなんて信じられないわ」
 老女の言葉に靜はぷくーっと頬を膨らませて、靜、そんなに子供に見える?と不満げに云う。
「そういう意味じゃないの。孫もあなたみたいに楽しそうに笑って、話してくれたらいいなと思っただけよ」
「んじゃさ、靜が引きずり出したげるよ。美味しい桜餅もご馳走になっちゃったしさ。安心して、おばーちゃん!」
 老女は微笑むだけだった。期待されていないかもしれないと思ったけれど、そんな小さなことにはかまっていられない。美味しい桜餅も美味しいお茶のお礼も兼ねて、出来る限りの力技で引きずりだしてやろうと思って靜は孫の部屋を聞き出した。

【弐】

 孫の部屋というのは莫迦でかい家の一番奥、南側の日当たりのいい場所にあった。爪先に力をこめるのが面倒になって、スリッパはもう履いていない。長い廊下ではなく、長い縁側伝いに部屋に向かったから履く暇もなかったというのが本当だけれど、靜にとってスリッパなんてどうでも良かった。
 ただひたすら不健康な同い年の男の子が莫迦だと思っていただけだ。大莫迦だ。あんないいおばーちゃんに淋しい思いをさせるなんて、莫迦以外のなんだって云うんだと腹を立てながらずかずかと縁側を歩いた。あまりに大きなストライドで歩くものだから、その度に時代を重ねた床板が鳴る。
 勢いあまって危うく通り過ぎかけた部屋の前で立ち止まり、鮮やかなまでに颯爽と障子戸を開け放つ。
「よっしゃ。たのもーっ!」
 威勢良く云ったものの、障子戸の向こうにいた孫とおぼしき少年は、そんな靜になんの反応も見せず、視線を落としていた本からゆったりと視線を上げただけだった。負けた……と思ったらお終いだと思い直して部屋に踏み込み、少年が向かう座卓を挟んで正面にどかっと腰を下ろす。
「不健康だと思わないの?」
「何をですか?」
 少年の声は静かに響く。
 なんだこいつ。
 ヤバいだろう、この落ち着き方は。
 静かは思う。
 そして座卓の上に乗り出すようにして少年が読んでいた本のタイトルを確かめる。
 太宰治著。
『人間失格』
 ますますヤバいと思う。
「こういう生活だよ!」
 少年が広げる本の上に両手を叩きつけて云う。随分大声を出したつもりだったが、少年は動じない。それどころかそんなに大声を張り上げ、大袈裟な仕草をする靜がわからないといったように小頸を傾げている。それはこっちがしたい仕草だと思いながら、畳み掛けるように云う。
「あんなにいいおばーちゃんと一緒に住んででこの部屋から出ないってどういうことなわけ?何が不満なの?っつうか不満なんてあるほうがおかしいし、不満があるなんて云ったら多分、じゃなくて絶対、靜、躊躇わずぶん殴ると思うよ」
「少し落ち着いて話しませんか?」
「これが靜はふつーなの!」
「そうですか。―――僕は、人殺しなんですよ。だからこの部屋を出るわけには行かないんです。祖母には悪いことをしていると思っています。それは十分承知しています。でも孫が人殺しであることが公になるより、引き篭もっていたほうが祖母のためだと思いませんか?」
「はぁ!?頭大丈夫?」
「えぇ。全部覚えていますから。どうやって殺したのか、どんな感触だったか全部覚えているんですよ。ただ……」
「ただ?」
「殺した相手が毎晩この部屋を訪れるんです。確かに殺したのに、生前と同じようにこの部屋を訪れて他愛も無い話をして帰って行きます」
「それって幽霊じゃないの?」
「違いますよ。触れることもできるし、足だってある。生きていた頃となんら変わりないんです」
「だったら引き篭もってなくたっていいじゃんか。会いに来るなら殺したことなんてただの思い込みなんじゃないわけ?」
 少年は細く溜息をつく。靜はその仕草に溜息をつきたいのはこっちだと云ってやりたかった。
「自分の手に人の頭を花瓶で叩き割った感触が残っているのに、それが嘘だと思えると思いますか?」
 靜は頭を抱えたくなった。
 ますますおばーちゃん、可哀想すぎる。
 人の云うことなんてさっぱり理解しようとしていない。完全無欠の自己完結型人間だ。何より同じ中学2年生だというのに落ち着きすぎた態度が靜の神経を逆撫でる。
 そしてこの部屋を満たす閉塞感が靜にはたまらなかった。死臭さえ漂ってきそうなジメジメしたこの空気が不快感を誘う。外はあんなに春めいて気持ちが良かったのに、おばーちゃんが出してくれたお茶も桜餅もあんなに美味しかったのに、総てがジメジメした空気に押し潰されて台無しにされてしまうようだと靜は思う。こんなところにいたら不健康極まりないのは明らかだ。
 靜の苛立ちは頂点に達した。外見は中学二年でも、だてに四百年も生きてるわけじゃない。厭なこともたくさんあった。ずっとただただ死にたかったことだってある。でも結局生きている。辛いことや哀しいこと以上に楽しいことがたくさんあったから生きてこられた。
 思って、靜は座卓に両手を叩きつけて立ち上がった。

【参】

「おへびさま、巨大化してごーっ☆」
 声高に靜が云うと体調25m、胴の直径は1mはあろうかという大蛇が室内に現れた。
 少年はそれでも落ち着き払った様を崩さない。滑らかに大蛇の巨体がうねる度に轟音と共に襖や障子戸が壊れていく。靜はその光景を眺めながら、おばーちゃんごめんね、と心の中で呟く。仕方ないんだよぅ、と云い訳しながら大蛇の突撃が静まるのを待って、普段の50cmくらいの大きさに戻ったのを確かめると少年の腕を引っ掴んで立ち上がらせた。
「自分がどれだけ不健康な生活してたかわかった?」
 少年の視線は開かれた外の世界へと向けられている。
 澄みきった青空。
 室内に滑り込んでくる春の風。
 微かな花の香り。
「靜だってさぁ、死にたくなるくらいすっごい厭なこともあったし、両親だってもう死んじゃったけどなんとかやってこれたんだよ。あんなに心配してくれるいいおばーちゃんがいるんだから靜よりずっとマシだと思わない?」
 靜の声も届いていないような呆然とした表情で少年は目の前に広がる鮮やかな春の世界を見つめている。
「人殺しが何だって云うの?そりゃあ悪いことかもしれないけどさ、それがただの自己完結の思い込みだったりしたら、それってすごーくすごーくおばーちゃん、可哀想だと思うよ。一人が厭なら靜が友達になったげるから、とりあえず外に出よっ☆」
 云って靜は少年を引きずるように縁側を早足で颯爽と行き、つい先程老女と向き合って美味しいお茶と桜餅をご馳走になった部屋に戻った。そしてそこでぽつんと座っていた老女の腕も引っ掴んで、満面の笑みで云う。
「お散歩行こっ!」
 そして二人を引きずるようにして玄関を抜け、門に続く長い小道を抜けるとようやく二人の腕を掴んでいた手をはなした。
「ほんっと、すっごい青空!花見日和ってきっとこういう日のことだよねっ?」
 弾む口調で云う靜に老女は今にも泣き出しそうな微笑みで頷く。
「んじゃ、お花見兼ねてお散歩へごーっ☆」
 前方を力強く指差し颯爽と行く靜の後ろを二人は静かについてくる。
 天気は快晴。
 空は雲一つない青空。
 風も暖かい。
 心地良い限りだ。
 二人は言葉少なに何かを話していたようだったが、靜の耳に届いた言葉はたった一言。
「ごめんなさい」
 少年の声だった。
 振り返ると老女は今にも泣き出しそうで、ジメジメしんみりは嫌いだよっ☆と靜は二人に向かって満面の笑みで云った。
「しんみりするのは二人きりになってからにしてねっ!靜はジメジメしんみり嫌いなんだっ☆楽しくがモットー!笑顔が一番っ!」
 二人はそんな靜の笑顔につられるように、不器用に笑った。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2283/巳杜靜/男性/458/中学2年生・便利屋さんのお手伝いを兼業?】

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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
この度はご参加頂きありがとうございます。
巳杜靜様のかわいらしさには参りました。
書いていて新鮮でとても楽しかったですし、文中に「☆」マークを用いることなど決してなかった私なのについ用いてしまいました。個人的には「もう本当ただただかわいらしかった」というそれだけに尽きます。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。