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■漆黒の翼で 3■

山崎あすな
【1431】【如月・縁樹】【旅人】
【 協奏曲 -コンチェルト- 】or【 鎮魂歌 -レクイエム- 】


 協力してくれることを了承してくれた人物を待って、紅茶館「浅葱」の一角に腰をおろすファー。

 もしも、自分が悪い。

 そんな結果をあの人が出したとしたら――


「俺を狩りにくるのだろうか……」


 けれど、なぜか嫌な気持ちは沸き起こってこなかった。
 自分へと「優しい」気持ちを運んでくれた人の判断だ。
 黙って従おう。


 もしも――自分が悪くない。


 そんな結果をあの人が出したとしたら――


「一緒に戦うと言い出すのか……」


 けれどこれ以上危険な目にあわせるわけには行かない。
 決着は、自分独りでつけることにしよう。
 そうだ。
 それがいい。
 だから、あの人が帰ってきたらすぐに礼を言って、話を聞いて、それから……。


「決着を、つける」


 なぜ追われるのか。
 なぜ、狩られなければいけないのか。

 その答えの全てを握り、紅茶館「浅葱」のドアが開かれる。

 ファーはそっと、カウベルの音を聞いて、そちらを振り返った。
【 漆黒の翼で3 - 協奏曲 - 】


 静かに、どこか遠慮がちに開かれた扉を、じっと瞳で追った。
 もう、朝陽が昇り始めている時刻。
 彼女が帰ってきたら、きっと疲れているだろうから、ほっと息をつけるようにと用意した紅茶が、ずいぶん冷たくなってしまっている。
 どうしても落ち着かなくて、そんな自分を落ち着かせる術は、「普段の自分」でいることしか見つからなくて。
「……ただいま……」
 つぶやかれた一言の声音が沈んでいることに、全てを悟ったようにファーは
「お帰り」
 と、言葉を返した。

 ◇  ◇  ◇

 店の中に足を進め、自然とファーの前のカウンター席に腰をおろした縁樹だったが、なんと切り出したらいいかわからずに、沈黙が訪れる。
 重苦しい沈黙だ。ファーは何か聞くわけでもなく、ただじっと、縁樹からの言葉を待っているといった雰囲気だった。
 ファーから何か質問してくれれば。言葉を切り出すきっかけにもなるというのに。
 そんな様子はまるで見せない。
「甘いもの、好きだと言っていたよな」
 突然、ファーが低い声を紡いで、思わずはっと顔を上げる縁樹。
「は、はい」
「よかったら、食べていかないか? まだ、試作品なんだが……」
 出されたのは、チョコレートをふんだんに使用した、かわいらしいパフェだった。大きすぎず、だからといって、小さいわけでもない。
 これで手ごろな値段だったら、学校帰りの女子高生に大変反響を浴びそうだ。
「はじめは、甘いものの香りが好きじゃなくてな……こうして、いろいろ試してみるのも、進んでなんてやらなかったが……」
 縁樹はスプーンを手にして、パフェを上から一口。
「甘いものを食べて、幸せそうにしている人の顔は、嫌いじゃなかったんだ……」
 つぶやくように、そんな、幸せそうな顔をした人たちのことを思い出すように、ファーは縁樹に穏やかな表情を見せる。
「甘すぎないか?」
 そんなことなかった。
 むしろ、甘さを控えてあるチョコレートと、アイスクリームのほどよい甘さがうまいぐらいにバランスを保っている。
「下の方に入っているのは、紅茶とよくあうクッキーを粉々にして、スポンジに混ぜ込んだんだ」
「うん、これがおいしいです」
「そうか」
 自信があった場所を素直に「おいしい」と言われて、喜ばない人はいないだろう。
 ファーだって例外じゃない。
 ファーはそんな、人間らしい一面を見せるのだ。
 他人が甘いものを食べて、幸せそうにしている姿が嫌いじゃないと言っているのだ。

 だからきっと――

 きっと。

「ファーさん」
「ん?」
「――自分の本名を、思い出せますか……?」

 どんな事実にだって耐えられる。だから縁樹は話を切り出した。

 ◇  ◇  ◇

「俺の……本名?」
「はい。そうです」
 てっきり首をかしげるのかとばかり思っていたが、ファーはそのまままっすぐに縁樹を見つめて、
「……ルシフェル……だったか……」
 そう、一言。
「知っていたんですかっ!」
 驚かされたのは縁樹のほうだった。
「まさか知っていて、それでいて、自分のことを全てわかっているんですかっ?」
「いや……名前ぐらいだ。この片翼にも何か関係しているのだと思うし、俺が持っているこの異端の力にも、過去が関係しているのだとはわかっているが……」
『知っちゃいないんだな?』
 口を挟んだ小さな存在。
「ああ。まったくわからない……というか、覚えていない」
 スノーの言っていることは正しい。
 スノーが持っていた、ファーの羽根に込められた過去の記憶。彼はそれを失っているから、今、こうして人として生きている。
『お前は、堕天使ルシフェルという名で、人を殺すことに快楽を求め、殺戮者となったらしい』
「どうして堕ちてしまったのかわからないけれど、堕ちてからの行動は、ただ人を殺して楽しんでいるだけだったそうです」
 目を丸くして、ファーは絶句した。
『それを見かねた神の手によって……かどうかは知らないけれど、とにかく完全に天使として追放されて、翼を失ったお前が、再び翼を手に入れて、こうしてこの世界にきた』
「……片翼は、この世界にくる前にいた世界で、拾ったんだ……」
『――もう片方は?』
 ノイの鋭い目線と、真剣な声音。
「……消滅させた……」
「それが、ファーさんと一緒に、この世界へと再び現れてしまったんです」
 縁樹の丁寧な言葉と、迷っている眼差し。
「その羽根は、消滅させてもまた、新たに現れて、ファーさんのところに戻ってこようとします」
『手にしたら、お前は殺戮者に逆戻りだ』
 ファーはそこまで言われて大きく首をうなずかせた。
「なるほどな……」
 消滅させても、消滅させても現れる羽根。
 それは自分を求めて必ずここに来る。その羽根を消滅させて歩くよりも、自分を殺してしまったほうが早いし、未来が安全だ。
 もしここで、その羽根を手にしてしまったら、殺戮の限りを繰り返すのだろう。
「……人の害となる存在……だな、確かに」
 自嘲じみた一言を自身に送ると、そっと目を伏せた。

「――縁樹は、俺を消したほうがいいと、思うか?」

 ◇  ◇  ◇

 これから先、生きていても、この世界の人に迷惑をかけてしまうだけだったら、自分は死んだほうがいいんじゃないだろうか。
 そして、羽根は、自分以外の「弱いもの」が触れると、取り込まれてしまうと、ノイが付け加えるように教えてくれた。
 全てを感じ取り、自分で排除できれば――ここで生きていく権利を握れるのだろうが。
 迷惑をかけるだけでは――この世界に行くていく権利もなにも、あったものじゃない。
 だったらこんな人間――いや、人間ではない、だが天使とも言えない――いないほうがいい。
「この世界に生きるものとして、お前の意見を聞かせてくれ」
「……僕は……」
 縁樹は難しい顔をした。
 それはそうだ。意見を聞きたいと言ったが、ここで縁樹が言うことはかなりファーの中で大きく左右されるに決まっている。
「ファーさん自身の気持ちが、一番大切だと思います」
「……俺、自身の?」
「はい。だって、もうファーさんはここに生きているんです。だから、ファーさんが生きたいか、生きたくないか。その気持ちが、一番大切なんだと思います」
 ノイがファーを見上げながら、大きくうなずいて
『決めるのは、お前だろう?』
 ぶっきらぼうに言葉をくれる。
 二人は……自分がもし生きたいと言ったら、また、力を貸してくれるというのだろうか。
 なんて、暖かいものを持っている人たちなのだろうか。
 どうしてここまで――他人へと優しさを向けられるのだろうか。
「……おせっかいかもしれません。でも、僕は、ファーさんは人間でいて、いいと思うんです。確かに翼が生えてますし、ちょっと変な力も使えますけど、そこもファーさんのよさの一つとして、きっとわかってくれる人がいます。そう言う人が、きっとファーさんの前にいつか現れます」
「……お前たちの……ように……?」
「え?」
 小さくつぶやいた一言は、縁樹の耳には届かなかったが、しっかりとノイの耳には届いたようで。
 ノイはファーの手に乗り、肩へと移動して。
『――変な気起こしたら、お前はダチ失格だからな』
 と耳元でつぶやいた。
「……了解」
 そんなノイの言葉に見せた微笑みは――ファーが初めて見せた、笑顔、だったのかもしれない。

「縁樹、ノイ……俺はこの世界で、この店の店員として……生きていきたい」

 ファーの決意の言葉に、ノイも縁樹も大きく笑顔でうなずいたのだった。
 その刹那。
 あたり一帯に信じられないほど冷たい殺気が立ち込め、緊張が走る。
「……では、貴方はこの力という誘惑に、勝てるの?」
 温度をまったく感じさせない、冷徹な声。
 いつの間に中に入ったのか。
 カウベルの音は響かなかったし、どこか壁が破壊されていると言うわけでもない。いつから、そこにいたのかさえも、判断できない。
 ノイはすかさずナイフを構え、縁樹は愛銃コルトをしっかりと握った。
「これはこんなにも、貴方を求めていると言うのに」
 ダークハンター、スノーは手の平に乗せた漆黒の羽根を空中へ舞わせる。黒く輝きを放っているその翼は、ゆっくりとファーに近づいてくる。
 ノイは構えたナイフでその羽根を叩き落とそうとしたが、ファーは首を横に振った。
「……大丈夫だ。俺は、過去には負けない……」
 決意した。
 今、この世界で、この店の店員として、生きていくと。
「――お前たちの親友と呼んでもらえるような、存在になるんだ」
 自ら手を伸ばし、ファーは近づく黒い羽根をその手にしようとする。
 スノーは鎌を握りなおし、いつでもファーを殺せる体制をとる。
「縁樹、ノイ」
「……なんですか?」
『なんだよ』
「――もしも、俺が過去に捕らわれたら、容赦なく……討ってくれ」

 しっかりと握られた一枚の漆黒の羽根。
 指の合間から漏れる、禍々しい輝き。
 そこに清浄なものなどまったく感じない。
 このまま取り込まれてしまえば――強大な力に任せ、快楽に生きていくことができる。
 甘美な声が、ファーを誘おうとする。
 でもファーは、大きく首を振った。
 そして。
 縁樹とノイの耳に聞こえたのは、破壊音。
 ガラスを壊したような、どこかで大爆発が起きたような、でも――嫌な雰囲気を決して感じさせない。

「……誘いを、断ったんですか……」
 スノーのどこか驚いたような声。
「力も快楽も、ほしくないのですか?」
「……他人を傷つけて得る快楽なんて、いらない。俺がほしいのは……」

 ほんの一握りでもいい。
 自分が作った甘いものでも食べて、幸せそうな人々の笑顔。
 自分の紅茶でも飲んで、ほっとしてくれている人々の幸せ。

「人は、暖かいもの、なんだ」
 縁樹とノイが教えてくれた。
 まったくの他人だと言うのに、暖かいものを与えてくれる人々がいる。
 与えてくれる暖かいものに答えられるほど、自分は立派な人間ではないけれど。
 これから少しずつ……
「……俺も、そういう人になりたい」

 変わっていければ、成長していけば、それでいいじゃないか。

「次に羽根が生まれ、貴方を求めたら?」
「また、俺が責任持って壊す。管理しきれてなかったら、教えてくれ。お前は、わかるんだろう?」
「……それが面倒で、貴方を殺そうと思ったのですが」
「お前が始末しなくていい。俺がやるから……もう少し、生きさせてくれ」
 スノーは無表情を貼り付けたまま、ファーはじっと見つめる。
「僕からもお願いしますっ!」
『同じく』
 縁樹とノイも、首をうなずかせようとしないスノーを説得しようと、声を上げた。
「全てを理解し、償いきれない過去を背負いながら、それでも生きることを願う……堕天使」
「……ああ。もがき足掻いて、償えるだけは償っていく。他の人の幸せを望むことが、償いになるのなら」
 他の人に幸せを与えることが、少しでも償いになるのなら。

 スノーは鎌を握る手を緩め、肩の力を抜いた。
「情報は常に新しいものをいれてください。ヘゲルからの声が聞こえたら、すぐに店を放ってでも、羽根を消滅させに行く。約束できますか?」
「ああ」
 揺るがない決意が胸にある。ファーの眼差しから、迷いを一切感じない。
「僕も、もし手伝えることがあったら、手伝うよ」
「縁樹……?」
「ね。ノイ」
『……タイミングがあったらな……』
 めんどくさそうに、嫌がったような声上げたノイだが、縁樹の視線から逃れようと、そっぽを向いたところを見ると照れているのだろうか。
 耳元でそんなノイの声を聞いて、思わず失笑したファーを、ノイは勢いよくにらみつけた。
『縁樹の頼みだから手伝ってやるんだぞっ! お前なんて、どうでもいいんだからなっ!』
「わかってる。変な気とやらは起こさない約束だな。ノイ」
『ふんっ』
 そんなやり取りをしていると、いつの間にか、スノーの姿が見えなくなっていたことに気がつく。
「……あ……」
 声を上げて辺りを見渡すが、もうどこにも見つけることはできなかった。
 その代わり。
『こき使うから、覚悟しとけよ』
 えらく親父臭い関西なまりの声が響いて、一同は思わず噴出したのだった。

 ◇  ◇  ◇

『うらやましいん、ちゃうか?』
「そんなことはありません」
『でも、あいつの言うとおり、暖かい人って、いるもんやな』
「そう……」
『お前も暖かい人に、あえたらええな』
「……そう……」
 心ここにあらず。
 胸にはたしかに――あの三人のやり取りを羨ましいなんて思う気持ちが。
 生まれていることは、確かだった。

 ◇  ◇  ◇

「本当にいろいろ、迷惑かけたな」
「いいんです。勝手に関わらせてもらっちゃって、途中で投げ捨てるのも好きじゃないですし」
 スノーがいなくなってからしばらくして。
 もうそろそろ帰ると言い出したノイが、ファーの肩から縁樹の肩に移って、二人はそんな言葉を交わしていた。
「ファーさんのパフェも紅茶も、すごくおいしかったです」
「そうか……よかったらまた、顔を出してくれ」
「はい」
「ノイも、一緒にな」
『――気が向いたらな』
 相変わらずの、ぶっきらぼうな態度は変わらない。
「それじゃ、また遊びにきます」
「ああ……本当に、すまなかった」
 ファーが再三頭を下げる。
 そんな彼に罵声が飛んだのは、そんなときだった。
『こーいうときは謝るんじゃねぇーよ。他に言葉があるだろう』
「は……?」
『謝るだけじゃなくて、他の気持ちがねぇのか? お前には』
 怒っているようだ。
 こういう場合に謝る以外の……自分の中に沸き起こる気持ち――?
「の、ノイ。何言ってるの」
『だって、そんなに謝られたって、嬉しくない』
「だからって、そんなこと言わなくても……」
 そこでやっと、ファーは一つの気持ちに行き着いた。
 それはとても当たり前すぎて、でも、あまり口にするにはどこかくすぐったくて。
 でも、今は口にして、表わさなければいけない。

 この胸のなかにあふれる、謝罪じゃなくて――たくさんの感謝を。

「……ありがとう、二人とも」


 縁樹も、ノイも、どこか照れくさそうにそう口にしたファーを見て、満面の笑みを見せたのだった。




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■       ○ 登場人物一覧 ○       ■
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 ‖如月・縁樹‖整理番号:1431 │ 性別:女性 │ 年齢:19歳 │ 職業:旅人
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■       ○ ライター通信 ○       ■
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如月縁樹さん、そしてノイさん、こんにちは。ライターのあすなです。
「漆黒の翼で」シリーズの第三話目の発注も、ありがとうございました!
とっても楽しませていただきながら、執筆させていただきました!

協奏曲を選んでくださったというわけで、大団円な完結にさせていただきました。
スノーもどこか丸くなったようで…(笑)最後まで結局素直にならないノイさんと、
優しさいっぱいでファーを支えてくださった縁樹さんのコンビ。本当に執筆してい
て楽しかったです。シリーズを最後まで描かせていただき、本当にありがとうござ
いました。

それでは失礼いたします。
また、機会がありましたら、紅茶館「浅葱」へとお越しくださいv
大歓迎で、お待ちしております。

                           あすな 拝