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■水底の夢■

織人文
【2036】【御崎・神楽】【小学生】
 草間武彦は、夢を見ていた。
 あたりは、日の光も届かないほど深い深い水の底だった。その水底に、誰かが捕らわれている。
 捕らわれているのは、女だった。
 長い髪は水の動きにつれてゆらめき、まるで海草のようだ。暗いせいで、顔ははっきり見えないが、目鼻立ちや輪郭から、若く美しい娘だろうと想像できる。
 音立てて、女の口から泡が吐き出された。
 それと共に言葉が届く。
「助けて……。私を、ここから出して……」
 か細い声が、女の口から漏れた。見れば、女の腰から下は、太い頑丈そうな鎖によって縛められ、身動きすらできなくされている。
「その剣で、この鎖を切って……。私を、助けて……」
 女はなおもか細い声で哀願する。だが、草間はただなすすべもなく、女を見詰めたままそこに立ち尽くしていた。

 翌朝。草間はひどい頭痛と共に目覚めた。脳裏には、夢の内容が鮮明にこびりついており、それが彼の気分をよけいに沈ませた。
(くそ! あんな小説なんぞ、読むんじゃなかった)
 思わず内心に悪態をつく。
 彼は昨夜、遅くまでオンライン小説を読みふけっていたのだ。その小説を薦めたのは碇麗香で、なんでも作者は彼女の友人だという。ネット上で口コミでファンが広がっているファンタジー作品で、近く出版が決まっているらしい。出版されれば、その作品はネット上からは下ろされる。「タダで読むなら今のうちよ」などと言う麗香の言葉に背中を押され、昨夜読みに行った草間は、すっかりはまってしまい、かなりの長さのそれを一気に読みきってしまったのだ。
 作品は、童話の『人魚姫』をモチーフにしたもので、人間に恋をした罰で深海に捕らわれの身となった人魚の娘を、一人の男が救い出し、そのために掛けられた呪いを二人で解くために旅をするという物語だった。
 草間の夢に現れたのは、その物語の冒頭のシーンだ。
 深い吐息をついて、草間はベッドを出た。だが、その日一日頭痛は去らず……そして彼は、その夜も、その翌日の夜もそのまた次の夜も、連日その夢を見て頭痛と共に目覚めることになった。
「いったい、何が言いたいんだ? 俺に、何をしてほしいんだ?」
 とうとう草間は、それがただの夢ではないと感じて、その意味をさぐることを決意した。
水底の夢

 御崎神楽は、八月のある暑い日、草間興信所を訪れた。何かバイトになりそうな依頼がないか、尋ねるためであるが、もしもなければしばらく遊んで行こうと考えたりしていた。
 小柄な彼は、十二歳。黒髪は、後ろに長く伸ばした部分だけが白い。大きな目は黒で、どことなくおっとりした雰囲気がある。本来は、小学校六年生なのだが、事情があって一年に在籍していた。今はむろん、夏休み中だった。
 興信所のドアの前で小さく吐息をつくと、彼は額の汗を拭い、ドアを開けた。中から、エアコンの冷たい空気が漂って来る。そのことに、小さく目をしばたたかせてから、彼は中へと足を踏み入れた。
「やっほー武クン、何かお仕事……あれ?」
 言いかけた言葉を半ばで途切れさせ、彼は首をかしげる。
 事務所の中にいたのは、草間と事務のバイトのシュライン・エマ、そして彼の知らない青い髪の少女の三人だった。シュラインは、自分のデスクで仕事に没頭しており、神楽の知らない少女は椅子に座して、何かを読みふけっている。シュラインは、神楽が来たことに気づいている様子だが、少女は気づいていないのか、ふり返ろうともしない。
 そして草間は。ソファの背もたれに身を預け、うたた寝していたのだ。
「武クン、お昼寝?」
 首をかしげて神楽が声をかけると、草間は目を覚ました。体を起こした瞬間、まるで痛みをこらえるかのように、軽く眉をしかめる。
「悪いな、今は手伝ってもらうような仕事、何もないんだ」
 彼がバイトを探しに来たと察してか、草間は言った。
「そっかー、つまんないの」
 無邪気に思ったままを口にした神楽は、テーブルの上に空の器と湯呑みを見つけ、思わず目を輝かせる。
「武クン、おやつ?」
 問うと草間は苦笑して、シュラインに水まんじゅうが残っていたら、出してやってくれと声をかける。彼女も苦笑して立ち上がった。
 ほどなくシュラインが、台所からガラスの器に入った水まんじゅうとお茶を載せた盆を手に、戻って来た。それを目にして神楽は無邪気な歓声を上げる。
 シュラインがそれらをテーブルに置いたので、彼は少女の隣に腰を降ろした。それで初めて彼に気づいたのか、少女が顔を上げる。
「あ……。こんにちわ」
 軽く目をしばたたいて神楽を見やり、声をかけて来た。髪だけでなく、目も青い少女は、中学生ぐらいだろうか。すらりとした体に、青い水玉模様のワンピースを着て、サンダルを履いていた。長くした髪は、そのまま後ろに流している。
「こんにちわー。ええっと……はじめまして、だよね? かークン、御崎神楽」
 神楽は、いつもどおりののんびりした口調で挨拶を返し、名乗った。
「あ……。海原みなもです」
 少女も、幾分面食らったような顔で名乗る。
(ふ〜ん。可愛い名前だなー)
 などと考えながら、相手の素性よりもその手元にある紙束の方が気になって、神楽は無遠慮にそちらを覗き込んだ。
「何読んでるのー?」
「『人魚は海の底で眠る』ってタイトルのオンライン小説です」
 問われて少女――みなもが答えた。と、神楽はしばし考え込む。タイトルに、聞き覚えがあったのだ。そして、それが以前読んだことのあるものだということを思い出す。
「かークンも、そのお話読んだよー。なんだかちょっと、悲しくなっちゃうよね」
 その作品は、『人魚姫』をモチーフにしたもので、人間に恋をした人魚の娘リリシアが、その罰で捕らわれの身となり、そこを人間の戦士ウロボロスに助けてもらうのだが、そのために二人は共に呪いをかけられ、それを解くために旅をする、というファンタジーだった。
 神楽が、それを読んで悲しくなったのは、彼自身もかつてこのリリシアと似た境遇にあったためだ。彼の家は、平安時代から続く陰陽師の家系なのだが、彼は七歳まで《忌み子》と呼ばれ、封印の中で眠り続けていたのである。とはいえ、当人は眠っていたのだから、その時のことをはっきりと覚えているわけではない。ただ漠然と思い出して、なんとなく悲しくなっただけなのだが。
 しかし、彼がそう言った途端に、草間、シュライン、みなもの三人は色めき立った。
「これを読んだって、本当か?」
「それで? あんたは夢を見なかった?」
「もし見たのなら、内容を詳しく聞かせていただけませんか?」
 三人にそれぞれ詰め寄られ、神楽は目をパチクリさせる。
「んーとね、見なかったよー。かークン、夢も見ないでぐっすり眠るいい子だからー」
 のんびりほえほえ答えると、今度は三人が三様に落胆した。神楽は、また目をパチクリする。
「どうしたのー?」
 尋ねられて、草間が落胆しつつも事情を話した。
 それによれば、草間はここ数日、奇妙な夢を見続けているのだという。その夢とは、水の底に鎖で縛められた女性の前に、草間が剣を手にして立っているというもので、碇麗香に薦められて件のオンライン小説を読んだ日の夜から始まっている。ちなみに、麗香はその作品の作者と友人らしい。作品は口コミで人気となり、近く出版が決まっているのだという。麗香にタダで読めるのは今のうちだと言われて、読み始めたら面白くて夢中で読んでしまったのだ。そして、以来夢を見、目覚めた後はひどい頭痛に襲われるはめになったというわけだった。
 頭痛には市販の鎮痛剤も効かず、ここしばらくは、夢を見ないために眠らない日が続いているため、不眠も重なってひどい状態なのだと草間は付け加える。たしかに、彼の顔はげっそりとやつれ、目の下にはくっきりと隈が浮かんでいた。
 そんな草間の話を聞きながら神楽が考えていたのは、彼の夢の内容が、作品の冒頭と似通っているということだった。
(んー、その女の人も助けてほしいのかなー)
 胸の中で呟き、神楽は草間が話し終わると、正直にその考えを口にする。
「あのねーその女の人、やっぱり武クンに助けてほしいんじゃないかなー。かークンも助けに行く! あ、でも、どこに行けばいいんだろ?」
 半分は自問自答しつつ、じっと草間を首をかしげて見やっていた彼は、すぐにその回答にたどり着いた。
「武クンの中に入ればいいのかなー」
 のんびりと歌うように言いながら立ち上がり、草間の傍に歩み寄った。そして、とまどう草間の額をわしづかみにして、目を閉じる。
「おい、やめろ! 神楽!」
 草間は、その手から逃れようと思わずもがく。
 神楽はこう見えても、強大な超能力の持ち主なのだ。一般的に超能力として知られる力のほとんどを使うことができる。その彼が今しようとしているのは、精神感応力を応用して草間の精神世界へ潜る方法だった。
 彼の意識は、草間の額に触れた手からその心へと潜り込み、草間の脳裏にある夢の記憶を覗き見る。
 それは、なんとも不可思議なものだった。
 日の光も射さないほど深い水の底に、一人の女が捕らわれている。女の顔は長い髪に隠されて見ることができず、その下半身も闇の中に消えていた。ただはっきりわかるのは、女の腰から下が太い鎖によって縛められていることだけだ。
 女の前には、草間自身が剣を手にして立っており、女はそれへ細い声で助けを求めている。
 女の前に立つ草間は、普段とはまったく違うかっこうをしていた。蛇の鱗を思わせるような銀色の鎖帷子を身にまとい、額には銀細工のサークレットをはめているのだ。
 女は助けを求めているが、草間は立ち尽くしたまま、まったく動こうともしない。
 神楽は、その後夢に変化がないことを確認し、ゆるやかに意識を自分自身の体へと引き戻した。そして、目を開ける。少しだけ呆けた顔をしている草間を見やって、彼は言った。
「あのね、ひょっとして女の人を助けたのって、武クンじゃないの? だって、なんだかおんなじかっこうしてるよ」
 彼の言葉に、そのやりとりを見守っていたみなもとシュラインが、思わずというように顔を見合わせた。
「それは、どういうことですか? 神楽さんは、草間さんと作中の戦士ウロボロスが同一人物だと言われるんですか?」
「うん、そう!」
 みなもに問われて、神楽は大きくうなずく。
「これ書いた人に会いに行こうよー。そうして、女の人を助けるんだ!」
 おっとりした口調で、それでも真剣に彼は提案した。行くべき場所はむろん、『人魚は海の底に眠る』という物語の中だ。
 しかしながら、草間たち三人は誰も彼の言葉に賛同しようとしない。シュラインは、頭痛をこらえているような顔で他の二人を見やり、草間とみなもは大きな溜息をつく。
 神楽は、そんな三人の反応が不思議で、思わず声を上げた。
「あれ? どうしたの?」
 それへ草間が小さく咳払いして、作者とも麗香とも連絡がつかないのだと言った。作者は急病で入院中で、麗香は携帯電話どころか固定電話もない不便な所へ出張中で、いつ帰って来るかもわからないのだと。
 だが、神楽にはそれがどうして、彼らが自分の提案に賛同しない理由になるのかがよくわからない。へこたれもせず、言った。
「でもー、この女の人のとこになら、かークン、きっと行けるよー」
 たしかに、超能力で電子機器の内部やネット空間に入り込むこと自体は可能だった。だが、「オンライン小説の中」に入り込むことは誰にもできない。ネット上にある「オンライン小説のデータ」をいじることは可能だが、たとえ超能力でではあっても、それは違法行為だった。それに、物語上では捕らわれの人魚リリシアは、戦士ウロボロスに救い出されているのだ。助けに行くも何もない。
 草間にそれらのことを言及され、神楽は軽く天井をふり仰ぎながら、うーんと唸る。実年齢は十二歳でも精神年齢は五歳の彼には、草間の言うことは今一つ理解できないことだった。そもそも、五歳の子供にとっては現実の出来事と物語上の出来事の間に、差はないに等しい。
 そんな二人のやりとりを、半ばあきれたように見やっていたシュラインが、何か閃くものがあったのか、言った。
「ねぇ、神楽くんはさっき、武彦さんの精神世界へ潜って夢を見て来たのよね? だったら、私やみなもちゃんを一緒に連れて行くことはできないかしら」
「どういうことですか?」
 みなもが、小さく目をしばたたかせて尋ねた。
「今のままじゃ、手詰まりだわ。麗香さんとも作者とも、いつ連絡が取れるかわからない。それなら、私たちが武彦さんの夢の中へ行って、何か行動を起こしてみる方がいいんじゃないかしら」
 シュラインが答える。
「おい、シュライン!」
 途端、草間が声を上げた。
「武彦さんだって、いつまでもこれじゃ、体が持たないでしょ」
 シュラインはぴしりと言ってから、改めて神楽と向き合った。
「それで、どうなの?」
「うーん。やったことないけどー、できるかもしれないから、やってみるー」
 神楽は考えながら、正直に答える。シュラインとみなも、それに草間の三人にとっては、それはずいぶんと頼りない答えと聞こえたようだ。
「なら、お願い」
 シュラインが不安を押し殺したような声で答えれば、みなもも
「……試してみる以外に、ありませんよね」
 と諦めたようにうなずく。
 それからみなもは、件のオンライン小説をいっそ最後まで読んでからでもいいかと尋ねた。ほとんど読み終わるところらしい。
 シュラインがそれを了承し、他の者たちも無言でそれに従ったので、みなもは再び読書に没頭し始めた。
 その間に神楽は、すっかりおあずけ状態だった水まんじゅうを食べることに専念する。
「おいしー」
 一口食べて、思わず声に出した彼に、シュラインが笑って教えてくれた。
「それ、みなもちゃんの手作りよ。今日は、差し入れに来てくれたの」
「へー。こんなの作れるって、すごいんだー」
 神楽は、素直に感心して目を丸くする。そして、残りを口にしながら読書に集中しているみなもを、改めて尊敬のまなざしで見やるのだった。

 そして。
 神楽、シュライン、みなもの三人は今、草間の夢の中にいた。といってもむろん、精神だけの話だ。
 彼らの肉体は、草間の事務所のソファの傍に手をつないで倒れている。そして、ソファの上には横になって眠っている草間がいた。
 それは、知らない者が見れば、ずいぶんと驚くだろう図だったので、ドアには鍵をかけ、電話も留守電に切り替えてから決行した。
 ともあれ。
 周囲は、神楽が一人で草間の精神世界へ潜った時と同じく、深い水の底だった。その中に、腰から下を鎖で縛められた女がいた。草間はその正面に、やはり先程神楽が見たのと同じ、鎖帷子をまとい剣を握って立っている。
 神楽たち三人は、その二人を囲むようにして水の中に立っている。神楽がふと見ると、みなもはいつの間にか下半身が魚の、人魚の姿になっていた。
(あー、この人、人魚だったんだー。んー、それとも、人魚の血を引いてるだけなのかなー)
 彼は、軽く目を見張って胸の中で呟く。
 一方、草間にも彼らの姿が見えているのか、一瞬驚いた顔をして、三人にそれぞれ視線を走らせた。
 それに気づいてか、シュラインが神楽に問うて来た。
「武彦さんに、声をかけても大丈夫かしら」
「大丈夫だよー。かークン、こうやって誰かの中に入った時ねー、そこにいる人とよく話すよー」
 神楽は、相変わらずのんびりした声音で請合う。
「そう、なら……」
「どうするんですか?」
 うなずくシュラインに、みなもが訊いた。
「あの鎖を切るように言ってみようと思って。案外、あの人の願いってそういう簡単なことかもしれないじゃない?」
「そうですね。私も、それは試してみても悪くないんじゃないかと思っていました」
 シュラインの言葉に、みなももうなずく。
 それへうなずき返して、シュラインが草間に声をかける。
「武彦さん、その鎖を切ってみて。もしそれがその人の望みなら、それで夢は終わるかもしれないわ」
「わかった、やってみる」
 どうやら、彼女の言葉はちゃんと草間に伝わったようで、彼はうなずくと手にしていた剣を握り直した。そうして、気合と共に女を縛めている鎖の一番手前にあるものを断ち切った。
 その途端、水の中だというのに軽い音が響いて、鎖は驚くほどあっけなく断ち切れた。一ヶ所が切れると、鎖は女の体からはずれ、粉々に砕けて水の底に落ちて消えて行った。
「ありがとう……」
 女の口から、囁くように感謝の言葉が泡と共に吐き出され、その全身がやわらかな光に包まれる。
 それを見やって神楽は、これで女は解放され、草間の夢も終わるのだと感じて安堵した。シュラインやみなもも、そして草間自身もそう思ったのだろう。彼らの顔にも安堵の笑みが浮かぶ。
 だが。
 光の中で初めて明らかになった女の全容に、彼らは驚愕の目を見張った。
 闇に沈んでいた女の下半身は、魚ではなかった。同じように鱗に包まれてはいるものの、水中に長々と尾を引く蛇身である。そして、長い髪の陰になってはっきり見えなかった顔は――これまた、人間のものではなかった。眦はきつく切れて吊りあがり、唇もまた、頬まで切れてそこから鋭い牙が覗いている。
 女は、本物の蛇そのままに口を開いて素早い動きで、草間に襲いかかった。
「武彦さん!」
 一瞬息を飲んだシュラインが、鋭い叫びを上げる。それとほぼ同時に、みなもも動いていた。周囲の水を操って、草間と女との間に、水の壁を作り上げる。女の体はそれに弾かれ、わずかに後方へ跳ね飛ばされた。女はまさか、自分の攻撃が阻まれるとは思わなかったのだろう。獣のような怒りの声を上げる。それは、周囲に満ちた水をびりびりと震わせた。
 女はそのまま再度草間に襲いかかろうとするが、変わらずみなもの作った水の壁が、二人の間を阻んでいる。
 これらの戦いはしかし、神楽にとっては、それこそアニメか特撮番組のヒーロー対怪人の対決の図と映っていた。だもので、先程から「すごーい」「かっこいー」などと、今の状況からすると、どうもピントのはずれた歓声を上げながら、静観を決め込んでいる。
 そうしながらふと彼は、草間の手から最初持っていた剣が消えてしまっているのに気づいた。思わず胸に呟く。
(あれー? あの剣、消えちゃったんだー。女の人を助けた人は、ずっと剣を持ってたのにー。武クンも、かっこいい剣を持ってないとだめだよねー)
 たしかに、オンライン小説の中の戦士ウロボロスは、魔力を秘めた剣を持っており、それで人魚リリシアを助けることになっていた。
(んー。誰か武クンに、剣をくれるといいのにー)
 彼は更にそんなことを考える。アニメや特撮番組では、ヒーローがピンチになると、新しい武器がもらえたりすることがよくある。彼は、そういうものを思い浮べていた。
(たとえばー、水の中だから、水の神様とか海の神様とかー)
 そんな彼に、シュラインが訊いた。
「神楽くん、あんたの力で、切った鎖を元に戻せない?」
 ふいのことで、一瞬キョトンとなるが、真剣な彼女の顔を見て、少し考え、答える。
「んー。わかんないけどー、やってみるー」
 そして彼は、ふっと黒い瞳を女の方へ向けた。と、暗い水の底に粉々になって沈んで行ったはずの鎖のかけらたちが、ゆっくりと浮上し、そして、まるでビデオの巻き戻しを見るかのように、静かに元の形を取り戻し始めた。
 やがて、それらの鎖は元どおりに、女の体に巻きつき、その下半身を縛め、動けなくする。女は、必死にそれから逃れようともがき、暴れたが無駄だった。
「凄いですね」
 みなもが、水で作った壁を解除して、感嘆の声を漏らす。
「ええ」
 シュラインもうなずいた。
 二人から称賛を浴びせられて、神楽は照れて笑う。
 その時だ。ふいに彼らの頭上に、何か細長い光輝くものが降って来た。よく見れば、それは水晶細工のようにも見える細身の美しい長剣だった。
 神楽は、その剣が降って来るのと同時に、あたりをとんでもなく大きな気配が包むのを感じて、目を見張った。降って来た剣には、その気配が濃厚にまといついている。
(ええっと……これって、神様?)
 目を見張りつつも、首をかしげる神楽の上に、ふいに声が降って来た。
『勇気ある者たちよ。その剣を使え。それはただ一つ、その水妖を滅することのできる剣なれば』
 声は、どこか厳かな響きのある男のものだった。
 その声の中には、やはりたしかに神の気配がある。だが、神楽を驚かせたのは、それよりも本当にアニメや特撮番組のヒーローよろしく、ピンチに陥った草間が、新しい武器をもらえたということの方だった。
(すごーい、すごーい。武クン、やっぱり正義の味方だったんだー!)
 目を見張り、胸の中で喝采を叫ぶ。それから、シュラインとみなもに目をやると、二人も同じように目を見張っていた。神楽は、きっと彼女たちも草間が正義の味方だったと知って、驚いているんだろうと思い、顔を見合わせる二人に視線を合わせて笑いかける。
 一方、女は吊り上がった目を恐怖に見張り、体を強張らせていた。おそらく、彼女にも声の中の神の気配が感じられたのだろう。
「武彦さん!」
 シュラインが、草間を促すように叫ぶ。
「ああ」
 草間はうなずいて、ゆるやかに落ちて来る剣を受け止め、構えた。いつもはハードボイルドを気取っている彼だが、今はファンタジー系アニメの主人公とも見えなくもない。
 草間のその姿に、女は更に大きく目を見張る。と、彼らの目の前で、女の顔は悪鬼のごときそれから、美しく清らかな乙女のものへと変貌した。青く澄んだ瞳に、真珠の涙を浮べて、命乞いする。
「やめて……。助けて……」
 か細く弱々しげな声に、そちらへ切りつけようとしていた草間の動きが止まった。
(あー、ヒーローは女の涙に弱いんだー。でも、そんなの嘘泣きだよー)
 神楽は、胸に呟き、のんびりとしかし的確に草間に声をかける。
「武クン、だまされちゃだめだよー。そいつのホントの姿は、さっきのだからねー」
「わ、わかってる」
 草間は、一瞬の動揺を押し殺すようにうなずき、剣を握り直すと、女に向かって行った。半ば体当たりするように、剣の切っ先を女の胸元へと突き刺す。
 途端、あたりを震わせて女の絶叫が響き、同時にあたりは女の体から炸裂した光に包まれ、何も見えなくなった。

 気づいた時には、神楽たちは、草間の事務所のソファに寄りかかるようにして倒れていた。神楽、シュライン、みなもの三人が互いに顔を見合わせ、無事を確認し合う中、草間もソファから起き上がった。
 目覚めた彼は、ここ数日来という晴れ晴れとした顔つきで、まるで憑きものが落ちたかのようだった。いや、本当にそうだったのかもしれない。その彼に、神楽は女は消えたから大丈夫だと請合った。
 その数日後。
 神楽たち三人と草間は、出張から帰って事の顛末を知った碇麗香の仲介で、例のオンライン小説の作者イクトに会うことになった。
 白王社近くの喫茶店で会ったイクトは、ごく普通の大学生だった。こちらも、数日前に病状が良くなり退院したのだという。
 彼は、四人を前にすると、開口一番詫びた。やはり麗香が草間に、彼の小説を勧めたのには訳があったのだ。
 彼は現在大学の三年だが、一年の時、大学の図書館で見つけた本に載っていた水妖に取り憑かれていたのだという。もっとも、彼自身は「取り憑かれている」とは思わなかったらしい。水妖は彼の夢に現れては、予言めいたことを告げるのを常としていた。が、その夢には実際に助けられたこともあるし、彼にしてみれば「ラッキー」ぐらいの気持ちでしかなかったのだ。件のオンライン小説を書き始めたのは二年の時だが、それもヒントを与えてくれたのは、水妖だった。
 ところが、今年に入って彼は急に体調を崩し、床に就くことが多くなった。それでも、どうにか学校にも通い、オンライン小説の方も完成させたのだという。
 完成した直後から、作品の人気は上昇し始め、やがて出版の話がやって来た。これもあの夢の女のおかげかと喜んでいた矢先、彼は大学で倒れて救急車で運ばれ、そのまま入院ということになってしまった。サイトのトップへの告知は、その時付き添ってくれた友人に頼んだものだったが、そのおり、その友人は気になることを言ったのだ。
「おまえ、何かに取り憑かれているんじゃないか」
 と。
 それで初めて水妖のことを怪しみ始めた彼は、見舞いに来てくれた碇麗香に、一年の時からの経緯を話した。
 話を聞いた麗香は、何か心当たりがあるようで「自分に任せておけ」と胸を叩いたのだったが……それがどうやら、草間のことだったというわけだ。
「……退院してから、麗香さんに連絡を取って、初めて草間さんたちのことを知って……本当に、驚きました。ご迷惑をかけてすみませんでした。そして、ありがとうございました。たぶん、ぼくが退院できたのも、草間さんたちのおかげです」
 再度頭を下げるイクトに、草間が小さく溜息をついて言った。
「まあ、いいさ。……とりあえず、俺もこうして元気でここにいられるんだしな。しかし、おまえが退院できたのが、俺たちのおかげってのは、どういうことだ?」
「……ぼくの病気も、彼女のせいだったんじゃないかと思うんです。入院している間、ずっと高熱が続いていたんですけれど、医者は原因がわからないって言うんです。そして、その間ぼくは、ずっと夢を見ていました。鎖に縛められながらも、ぼくにしがみついて、ぼくの血を啜り続ける彼女の夢を……」
 イクトは、幾分青ざめた顔で、そう言った。更に彼が言うには、友人たちの中には、彼の首に女がしがみついているのを見た者がおり、例の取り憑かれているのではないかと告げた友人も、そんな中の一人だったという。また、オンライン小説の読者からのメールにも、時おり、主人公の夢を見てうなされたという主旨のものがあったという。
 結局のところ、水妖はイクトが見つけた本の中に誰かによって封印されていたのだろう。それが、封印が弱まったのをいいことに、彼に取り憑き力を蓄え、更にオンライン小説という形で自分の元に彼以外の人間を引き寄せる道を作り……そして、その中で自分の封印を完全に解くことができる人間を探していたということなのではないか。神楽は、彼の話を聞きながら、ぼんやりとそんなふうに思った。
 やがてイクトが再度彼らに謝罪して立ち去ると、草間たち四人はなんとなく顔を見合わせた。
「武彦さんも、災難だったわね」
 シュラインが、溜息と共に言う。
「ああ。麗香には、いずれこの貸しは返してもらわないとな」
 電話の向こうで、出張の期日が迫っていてつい……などと言い訳していた麗香の声を思い出したのか、草間はむっつりとうなずいた。
 それへうなずき、シュラインはふと思い出したように言った。
「そういえば、あの時、剣をくれたのは誰だったのかしら。私は作者の彼だったのかもって思ってたんだけど」
「んー、違うよー。あれねー、神様」
 神楽は、クリームソーダを飲むことに集中していたが、ふいに屈託なく言った。
「へ?」
「神楽くん、冗談は……」
 草間が思わず目を点にして頓狂な声を上げ、シュラインも引きつった笑顔で何か言いかける。二人とも、彼の言葉を冗談だと思っているようだ。それを真剣な目をして遮ったのは、みなもだった。
「いえ、冗談じゃないと思います。あたしもあの時、神の気配を感じました。あれはたぶん、海の神様です」
 それを聞いて、シュラインと草間が顔を見合わせる。
「……俺、本物の勇者になった気分だな……」
 ややあって、引きつった笑顔を見せて草間が呟いた。
「武クン、勇者ー。すごーい」
 クリームソーダのグラスを空にした神楽は一人、はしゃいだ声を上げて小さく拍手する。
 彼には、自分がその「海の神様」を呼び寄せ、草間と自分たち自身をも助けたのだという自覚はない。それこそ、目の前でヒーローの活躍を見た、程度だ。
 神楽が視線を感じてふと顔を上げると、真剣な目をしてこちらを見やっているみなもがいた。どうしてそんな目をしてこちらを見ているのか、彼にはよくわからなかった。が、誰にでも愛想のいい彼は、のんびりとしたお日様のような笑顔を、そちらへ向ける。と、みなももつられたように笑った。
 笑顔を返してくれたことがうれしくて、満面をほころばせながら、神楽は草間とシュラインの方へも目を向ける。草間の顔色はすっかり良くなり、あれ以来、夢は見ていないという。むろん、頭痛もないようだ。目の下の隈も消えている。
 それを見やって、なんとなく幸せな気分になりながら、神楽は、空のグラスにふと視線を落とした。
(クリームソーダをもっと飲めたら、かークン、もっと幸せー。おかわりたのもー)
 脳天気に、そんなことを胸に呟き、さっそくそれを実行に移すため、ウエイトレスを大声で呼ぶ彼の姿が、そこにはあった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/ シュライン・エマ/ 女性/ 26歳/ 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/ 海原みなも(うなばら・みなも)/ 女性/ 13歳/ 中学生】
【2036/ 御崎神楽(みさき・かぐら)/ 男性/ 12歳/ 小学生】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
私のシナリオに参加いただき、ありがとうございます。

●シュライン・エマさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
毎回、いくつもの可能性を秘めたプレイングをいただいて、
私自身も楽しませていただいています。
今回は、草間の夢に入っていただきましたが、いかがだったでしょうか。
またの参加をお待ちしています。

●海原みなもさま
いつもご参加いただき、ありがとうございます。
今回は、草間の夢の中へ行っていただきましたが、いかがだったでしょうか。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。

●御崎神楽さま
はじめまして。ご参加ありがとうございます。
神楽さまのようなキャラクターは、自分では書くことがありませんので、
難しいながらも楽しく書かせていただきました。
今回は、いかがだったでしょうか。
少しでも、楽しんでいただけていればいいのですが。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。

以上、私も楽しく書かせていただきました。
参加いただいたみなさんが、少しでもこの作品で楽しんでいただけますように。