■この世でいちばん甘いキス■
鳴神 |
【1252】【海原・みなも】【女学生】 |
シナリオ原案:草村悠太 作画:鳴神
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「この世でいちばん甘いキス」
<原文:草村悠太>
サキュバス、という存在がある。
夢魔として、人の心に取り入り、淫猥な情感を引き出してそれを喰らう。
どこまでもどこまでも純真可憐なサキュバス、クリュプステラ。
問答無用で異性を惹きつける容姿と雰囲気を持ちながらも、彼女はあまりにも色事に対して純すぎた。
サキュバスになったのも、「友だちが、きっと私ならいい線行くからって…」と願書(学校があるのだそうだ)を出してしまったという、「お前それ、ミスコンじゃないんだからよ」という理由から。
しかし彼女は、彼女自身の性格とは裏腹に、精霊として持って生まれた途方もないほどのピュアなオーラから、「1億年に一人の傑材(サキュバスの)」との名声をほしいままにしていた。
そんな彼女も、夢魔学校の1年目を終える時が近づいてきた(3年で卒業)。
彼女たち1年生サキュバスに与えられた進級試験は、「人間界で男性と親しくなり、親愛の証しを唇に承けること」。
ぶっちゃけて言えば、「男をたらし込んでチューしてもらってこい」というもの。
与えられた期限はそれほど厳しいものではなかったが、とにかくウブで奥手なクリュプステラのこと、何もできないままにいたずらに日数だけが過ぎていき、とうとうあと数日で試験の期日というところまで来てしまった。
途方に暮れ、人波から逃れるようにして路地へと足を踏み入れたとき、彼女の目に「草間興信所」の看板が飛び込んできたのだという。
可憐なサキュバスは、細い手の平を胸の前で結び、水晶のベルが鳴るような声で口を開いた。
「興信所って、人を探してくれたりするところですよね…
私、私に口づけをしてくれる方を、探しているんです」
草間は眉根を揉みながら、向かいに腰を下ろした依頼人を見やった。
安っぽい合皮張りのソファの上へ咲いた、一輪の撫子のような。
あらゆる意味でこのうらぶれた興信所には似つかわしくない、可憐な少女が、不安に潤む瞳でこちらを見つめていた。
「…クリュプステラさん、だったか?」
あまりその瞳を直視しないようにして、口を開く。
「すまないが、話をまとめていいか」
胸の前で細い指を重ねて手のひらを組み、触れれば折れてしまいそうな淡い輪郭の頤をうなずきの形に動かす、少女――クリュプステラ。
その佇まいを、とりわけその瞳を真正面から見つめてしまうと、草間の中でよろしくない感情がむらむらとわき上がりそうだった。
しかしそれは、草間の品性が下劣なのでも、彼がアニマルだというのでもない。
目の前の、この美しい少女が、
「つまるところ、君は淫魔――サキュバスで、その、サキュバスの学校とかいうものの試験のために、人間界にやってきた、と?」
「…はい…」
「で、その試験の期日がもう数日後に迫っているのに、未だに完遂の目処が立っていない。
ついては、その試験を手伝ってくれる――というか、終わらせてくれる人を探している、と」
「………はい…」
「…そしてその、肝心の試験の内容は、『人間界で男性と親しくなり、親愛の証しを唇に承ける』こと。
つまり、あー……
…有り体に言って、異性に口づけしてもらうことだ、と」
「……………はい…」
すでにクリュプステラは、耳まで真っ赤になってうつむいている。
なんだか自分が加虐趣味者になったような気分にさいなまれながら、それでも草間は職務として、最後の一言を付け加えた。
「…心からの愛情を込めて」
「…………………」
もはや言葉を返す余裕さえなく、ただ下を向いた顔を小さく動かして、肯定の意志を伝えてきた。
シルクのカーテンのように顔をおおう少女の長い黒髪を眺めやって、ため息をつきながら、
「こんなことを、俺が言うのも変な話だがな」
言葉を向ける草間。
「君には、もうちょっと他の生き方の方が、あってるんじゃないのか?」
クリュプステラが顔を上げた。
「…他の、ですか…?」
なんと表現すべきなのだろう。
世界最高の職人が削り出した水晶の鈴でも、これほど透き通る音は生み出し得ないだろうと思うほどの、やわらかくて透明な声。
草間は先を続ける前に、なぜとはなく咳払いをした。
「サキュバスとして生きるだけが全てじゃないだろう?
君の世界がどうなっているのか知らないが、他にも選択肢があるんなら、君は別の道を選んだ方がいいんじゃないのか」
ゆっくりと、諭すように。
少女はまたうつむいた。
「…でも、期待してくれる友達に悪いですし…」
ためらいがちな言葉。
「…入学したのが、そもそも『きっと君ならいい線行くから』とかで、その友達が願書を出したのがきっかけだったな」
頭痛を感じるのは、まだしもまともな感覚が残っている証拠だろうと思いつつ、草間。
「…先生も、目をかけて下さってますから…」
そもそも「サキュバスの学校」とやらの先生が、いったい何を教える存在なのかが大いに疑問だ。
が、なんだかそれは聞いてはいけないことのような気がして、黙っている。
その沈黙に、わずかでも勇気づけられたのだろうか。
クリュプステラはほんの少しだけ顔を明るくして、
「それに、やりがいのあるお仕事なんです…」
そう、続けた。
春の残雪から顔を出した、雪割草のように。
恥じらいののぞく晴れやかさを秘めたその表情は、草間にそれ以上の説得を諦めさせるに充分だった。
「…念のために聞いておきたいんだが…」
口を開きつつ、今まで遠慮していた――というか、存在を忘れていた――マルボロへ手を伸ばす。
「相手の好みとかは、あるのか?」
「え?」と、その唇が小さく問いかけの形を作ってから、
「ああ…」
クリュプステラは、にっこりと微笑んだ。
「私たちの想いは、どんな方へでも平等で無償ですから…」
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