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■ファイル-2 神隠し。■

朱園ハルヒ
【2529】【新久・孝博】【富豪の有閑大学生(法学部)】
 電話が鳴り止まない、という光景自体、この司令室では珍しい事であった。受話器を置いた瞬間に再び鳴る、電子音。
「…………」
 呼び出されたはいいものの、司令塔である槻哉がこの状態では、話の進めようが無い。
 斎月も早畝もナガレも、槻哉が電話対応に追われているのを、黙って見守るしか出来ずにいた。
「…商売繁盛?」
「そーゆう問題じゃないだろ…。こりゃ、電話機増やさないとダメかもな」
 へろり、と槻哉に力の無い人差し指を指しながら、早畝が言葉を漏らすと、ナガレがそれに突っ込みをいれる。
 斎月は黙ったままで、咥えた煙草に火をつけて、テーブルの上に置かれていた資料に目を落としていた。
「……はい、これから調査いたしますので、そのままお待ちください」
 その言葉を最後に、電話の呼び出し音は一応の落ち着きを取り戻す。見かねていた彼の秘書が、内線を切り替えたらしい。
「ふぅ…。三人とも、待たせてすまなかったね」
「…事件はこれだな?」
 槻哉の表情は半ば疲れているようであったが、彼は三人に微笑みながら、言葉を投げかけてきた。すると斎月がいち早く反応を返す。
「…そう、今回はこの事件を担当してもらう。さっきからの電話は被害者のご家族からなんだよ。警察の怠慢さも、程々にしてもらいたいね…」
 槻哉の言葉は、何処と無く冷たいものであった。その言葉尻からも読み取れるように、『今回も』警察尻拭い的な、事件であるらしい。
「カミカクシ?」
 早畝は斎月が持ったままの資料を覗き込みながら、首をかしげる。昔はよく起こっていた事件らしいのだが、近年では稀なほうであり、早畝はそれを知らないようであった。
「前触れも無く突然、行方不明になってしまう事を言うんだよ。その後、その人たちが発見されない事が多いから『神隠し』と言われているんだ。昔話なんかにも、出てくるんだよ」
「犯人は天狗、とか言う奴だろ」
 ナガレはいつものように早畝の肩口から資料を覗き込んでいた。この中で一番永く生きている彼にとっては、気になる事件の一つのようだ。
「まさか今時、その『天狗』なわけじゃねぇだろ? 場所が場所だしよ」
「そうだね、この都会の真ん中では、それは有り得ない存在だろうね。…どうやら誰かが故意的に、次元の歪みを作り出しているようなんだ」
 槻哉がそう言うと、まわりの空気がピン、と張り詰めたように思えた。
「…また厄介な事件だな…」
「それを解決していくのが、僕らの仕事だろう?」
 斎月が独り言のような言葉を漏らすと、それに反応したのは槻哉だった。そして皆が視線を合わせて、こくりと頷く。
「今回も、よろしく頼むよ」
「了解」
 三人は資料を手に、調査に出向くための準備を始めた。
ファイル-2 神隠し。


 電話が鳴り止まない、という光景自体、この司令室では珍しい事であった。受話器を置いた瞬間に再び鳴る、電子音。
「…………」
 呼び出されたはいいものの、司令塔である槻哉がこの状態では、話の進めようが無い。
 斎月も早畝もナガレも、槻哉が電話対応に追われているのを、黙って見守るしか出来ずにいた。
「…商売繁盛?」
「そーゆう問題じゃないだろ…。こりゃ、電話機増やさないとダメかもな」
 へろり、と槻哉に力の無い人差し指を指しながら、早畝が言葉を漏らすと、ナガレがそれに突っ込みをいれる。
 斎月は黙ったままで、咥えた煙草に火をつけて、テーブルの上に置かれていた資料に目を落としていた。
「……はい、これから調査いたしますので、そのままお待ちください」
 その言葉を最後に、電話の呼び出し音は一応の落ち着きを取り戻す。見かねていた彼の秘書が、内線を切り替えたらしい。
「ふぅ…。三人とも、待たせてすまなかったね」
「…事件はこれだな?」
 槻哉の表情は半ば疲れているようであったが、彼は三人に微笑みながら、言葉を投げかけてきた。すると斎月がいち早く反応を返す。
「…そう、今回はこの事件を担当してもらう。さっきからの電話は被害者のご家族からなんだよ。警察の怠慢さも、程々にしてもらいたいね…」
 槻哉の言葉は、何処と無く冷たいものであった。その言葉尻からも読み取れるように、『今回も』警察尻拭い的な、事件であるらしい。
「カミカクシ?」
 早畝は斎月が持ったままの資料を覗き込みながら、首をかしげる。昔はよく起こっていた事件らしいのだが、近年では稀なほうであり、早畝はそれを知らないようであった。
「前触れも無く突然、行方不明になってしまう事を言うんだよ。その後、その人たちが発見されない事が多いから『神隠し』と言われているんだ。昔話なんかにも、出てくるんだよ」
「犯人は天狗、とか言う奴だろ」
 ナガレはいつものように早畝の肩口から資料を覗き込んでいた。この中で一番永く生きている彼にとっては、気になる事件の一つのようだ。
「まさか今時、その『天狗』なわけじゃねぇだろ? 場所が場所だしよ」
「そうだね、この都会の真ん中では、それは有り得ない存在だろうね。…どうやら誰かが故意的に、次元の歪みを作り出しているようなんだ」
 槻哉がそう言うと、まわりの空気がピン、と張り詰めたように思えた。
「…また厄介な事件だな…」
「それを解決していくのが、僕らの仕事だろう?」
 斎月が独り言のような言葉を漏らすと、それに反応したのは槻哉だった。そして皆が視線を合わせて、こくりと頷く。
「今回も、よろしく頼むよ」
「了解」
 三人は資料を手に、調査に出向くための準備を始めた。

■再び。

 コンコン、と控えめなノックの後に、扉から顔を覗かせたのは、新久孝博だった。
「あ、新久サンだ」
「…お取り込み中、でしたか?」
 孝博は司令室内の空気を読み取ったのか、顔を覗かせたままで、中には入ってこようとしないでいる。それを早畝が誰より早く彼に駆け寄り、腕を引いた。
「遊びに来てくれたんだろ? 新久サンなら大歓迎だよ」
 そう言う早畝に、孝博はそれでも申し訳なさそうな表情をしながら、ゆっくりと中に入ってくる。その手には、風呂敷に包まれた何かが、納まっていた。
「あの、美味しいお菓子を頂いたものですから…皆さんで食べていただければと思い、伺ったんです」
「そうですか、いつも有難うございます、新久さん。どうぞ、お掛けになってください」
 優雅に微笑む孝博に対し、槻哉もいつもの笑顔で、彼を招いた。
 斎月は変わらずに、資料に目を通したままでいる。
 応接間のテーブルの上に、そっと置かれた化粧箱。
 孝博が持ってきたその中身は、早畝好みの菓子がビッシリと詰められたものであった。
「うわー、美味そう」
「こら早畝。慎みなさい」
 化粧箱の中身に身を乗り出して目をキラキラさせていると、その傍らで槻哉が咳払いをしながら、彼を嗜める。
 すると早畝は頬を膨らませるのだが、孝博はそんな二人のやり取りに、微笑んでいた。
「どうぞ、召し上がって下さい。沢山頂いたものですから…美味しいですよ、早畝さん」
「マジ? じゃあ頂きま〜すっ」
 槻哉が再び、止めに入る前に。
 早畝は孝博の言葉の後に、不作法にも菓子を一つつまみ上げ、口の中に放り込んだ。
 それを見て、槻哉とナガレは、深い溜息を吐く。
「ガキじゃないんだからよ…」
 そう、漏らしたのはナガレだ。
「いいんですよ。ナガレさんも如何ですか?」
 かっくりと頭を落としているナガレにも、孝博はにっこりと微笑みながら、小さな菓子をその手のひらに置き、促してくる。
「甘い〜。でも美味いよコレ」
「……じゃあ、好意に応えて、頂きます」
 ナガレは差し出されたものを無視するわけにもいかずに、一度ペコリと頭を孝博に下げながら、そろりと彼の手の中の菓子を、口の中に含んで見せた。
「…………」
「美味いだろ?」
「…ああ、美味い」
 ナガレは早畝の言葉に、素直に返した。口に含んだ菓子は、本当に美味だったらしい。思わず顔が、綻んでしまうほど。
「高価なものを、ありがとうございます。…すみません、毎度お見苦しい場面を…」
 槻哉は半分疲れた表情で、孝博に頭を下げていた。
「いえいえ、いいんですよ。正直な早畝さんやナガレさんを見ていると、私まで幸せな気分になれますし」
 槻哉に頭を上げさせながら、孝博は秘書に出されたお茶を手にして、微笑み返していた。
(………寛大だよなぁ、アイツ…)
 そんなことを思ったのは、資料に目を通しながら遠巻きに彼らを見ていた、斎月だ。そして自分も菓子の味見をしてみたくなったのか、その身を彼らに向け
「毎度どーも、ゆっくりしてけよ。
 …槻哉、俺は先に出る」
「…ああ、気をつけて」
 通りすがりに、菓子をひょいとつまみあげて、口にしながらそう言うと、槻哉が振り向いて言葉を投げる。それにひらひらと手を振りながら、斎月は司令室を後にしていった。
「………また、事件なのですね?」
「ああ、そうなんです」
 孝博は斎月に頭を下げつつ、表情を少しだけ硬くし、槻哉に向き直りながらそう言った。
「あ、新久サン、俺らと一緒に行かない?」
「早畝…っ」
 早畝の軽い言葉に、さすがの槻哉もその眉間に皺を寄せて、止めに入る。
 だが。
「いえ…ご一緒させていただきたいと思っていたのです。…よろしいですか?」
 孝博は槻哉にそう、問いかけるように言葉を返した。
 槻哉は一瞬だけ困ったような表情をしたが、すぐにその表情を柔らかいものに変えていく。
 人手が足りないのは、いつものこと。
 そして協力者が必要なのも、確かな現実。
「…では、お言葉に甘えさせていただいて…早畝たちにご同行願えますか?」
「はい」
 槻哉のそんな言葉に、孝博は再びにっこりと笑って応えた。
 早畝とナガレは顔を見合わせながら、お互いに頷いてみせる。
 そして皆がそれぞれお茶を喉に通した後、行動開始となった。

■調査。

 犯行現場と言うのは、事件の内容が異なっていても、毎回共通点が多いもので。
 今回、足を向けた場所は、小さな神社だった。境内の前には公園も広がっているようで、昼間はそれなりに人が集まる場所なのだろうが、夜になればその人口も減るので、犯人にとっても好都合、と言ったところなのだろうか?
「…どうにも…空気悪いな…」
 そう呟いたのは、ナガレである。人より鼻が利くのだろう、異質な空気には、誰よりも敏感だ。
「ここ…ですよね。沢山の方が消えたという場所は…」
「……うん、そうみたい。…ここで…えーっと…10人前後の人が、一瞬にしていなくなったって」
 孝博の言葉に、早畝が資料に目を通しながらそう応える。
 いつ、どんな形で槻哉の言っていた『次元の歪み』と言うものが起こるかわからない。それなりの覚悟と、緊張感が無くてはならないのだが、早畝本人にはそれがイマイチ見当たらない。どうやら、『神隠し』と言うものを、完全に理解しきれていないようだ。
「どうしよう? 手分けして公園内と、神社を見て回ろうか?」
「…、早畝っ離れるな!」
「え?」
 ふらり、と早畝が二人より先に、公園内へと足を踏み入れたときに。
 ナガレが、声を荒げて、彼を止める。
「早畝さん、気をつけてください。この辺り一帯、何か異質に感じがします」
「…う、うん…わかった」
 孝博がそう言った途端、周りの空気が濁っていくように思えた。重苦しい雲が空一面に広がったような、そんな感じである。
「……………」
 ナガレが眉根を寄せながら、周りの空気の匂いを辿っている。
「……なんか解る?ナガレ」
「…ああ、嫌な空気が、ビシビシこっちに向かってくる。そろそろお前にもわかるだろ」
 視線の先は、何も無い。
 それでもナガレは何かが見えているかのようにしながら、早畝に言葉を返した。
 迫り来る、もの。それが目に見えない分だけ、恐ろしいものがある。三人は其の場で下手に動く事も出来ずに、ただ公園内を、見つめていた。
「………マズイ」
 そう漏らしたのは、ナガレ。
 見れば、彼はかくりと頭を垂れて、具合悪そうにしている。
「…ナガレ、大丈夫…?」
「お前らこそ、酷い顔してるぞ…」
 孝博も早畝も、ナガレに向かい膝を折って彼を気遣うようにしていたが、その二人の顔も、見れば辛そうになっていた。
「なんだろ、コレ…頭の中に、響いてくるみたいな…」
「……思念、だと思います…ですけど、これは……」
 早畝の言葉に、孝博が答える。
 その言葉の途中で、彼はそのまま倒れこんでしまった。
「…新久、さん…」
「は、やせ…っ」
 孝博を追うかのように、その直後に、早畝もナガレも、意識を手放してしまうのだった。

■欲したもの。――早畝。

「――ナガレ? 新久サン?」
 早畝が気が付くと、その場には二人とも存在せずに、そして早畝を取り囲む全てのものが、異空間のようなもので包まれていた。
 辺りを見回し、数歩歩いてみても、何も変化が訪れない。
 そこで、自分達もその『次元の歪み』に飲み込まれてしまったんだと、本能から気が付いてしまう。
「………なんか、拍子抜け…もっと、凄いバトルとかあるのかと思ってたけど…」
 そんな独り言を漏らしながら、早畝は自分の手のひらの内が暖かいのに気が付き、視線を落とす。
「……………」
 手のひらの中心が、淡く光ったように、思えた。
 そこから湧き上がってくる、早畝の中で眠っていた、想い。
 今でこそ、お調子者になっている早畝も、数年前までは、荒れた生活をしていた。其の頃には常に、その胸の内に刻み付けていたもの。

 ――力が、欲しい。

 それが、どんなものであっても。…非道な、ものであっても。
「…忘れてたなぁ…そんなこと」
 そう言いながら、早畝を後ろを振り返った。
 すると視線の先に見えるのは、過去の自分。
 酷い、目をしている。誰も何も、信じられない。そして自分さえも信じる事が出来ない、そんな瞳の色をしている。あの頃は軽犯罪なども、幾度も繰り返していた。
「どうでもいいと、思ってたしな」
 力を欲した。誰にも負けない力。例え自分を傷つける事になろうとも、巨大な力が欲しかった。
「……馬鹿だよなぁ…」
 槻哉に引き取ってもらった今でも、早畝には特別な力などは、存在しない。それに、今まで不満を抱いた事すら、無かった。
「………素質があれば、俺も、自分の力で、どうにかできるって…そういうこと、なんだろうな…」
 早畝は独り言を繰り返していた。
 すると、ずっとその姿を見つめていた過去の『早畝』が、音も無く消えていく。
 前に向き直れば。
 その先には、何らかの力を手に入れ、満足そうにしている、近い未来の可能性の一つと思われる、『早畝』がいた。
 望んでいたのかも、しれないと。
 そんな姿の自分を。
「そっか…『これ』が、犯人の…力なんだな…」
 開いたままの、手のひらを、力強く握り締めて。
 早畝はまた、言葉を漏らす。
 すると目の前の風景は一掃され、曇りが晴れたかのように、前方に道筋が出来た。
 早畝はそれに、少しだけの笑みを作り。
 迷うことなく、一歩一歩、歩みを進めた。

■遠い過去に触れた、存在。――ナガレ。

 混沌とした、空気の中で。
 目に映るのは、あの頃の記憶。
「………お前…」
 そう、口を開いたナガレの目の前には、一人の少女が微笑んでいた。
『……………』
 いつか見た、懐かしい存在。現実の世界では、彼女の微笑を、明るい場所で見ることすら出来なかった。
 その彼女が、今ナガレへと手を差し伸べ、微笑んでいる。
「…なん、で…?」
 ナガレはその彼女に、戸惑いしか見せることが出来なかった。
 現在では、『彼女』存在するわけも無いからだ。
 惑わされている。
 それは、ナガレ自身にもよく解っていた。それなのに、目の前の彼女に、心を許しそうになってしまう、自分がいる。
『……………』
 少女は微笑みながら、ナガレに何かを呟いていた。
 言葉に音が無いので、耳に届ける事すら、出来ない。
「……違う、だろ?」
 ナガレは少女に向かい、ゆっくりと、口を開いた。
「お前は、此処にはいない。…いちゃいけない。そうだろ?」
『……………』
 そんな言葉に、少女は輝きを失った。
 瞳が揺れ、何かをナガレに訴えかけるように、見える。
「お前と一緒に、もっと過ごしたかったよ。明るい光の下で、お前を見ていたかったよ。…出来るなら、ずっと傍に、いてやりたかったよ…。
 …でも…、『違う』だろ?」
 ゆっくりと。
 言葉を並べていくナガレに、少女は何も返せずに。ただその瞳に涙を浮かべて、彼を見つめていた。
「…忘れたわけじゃないさ。諦めたわけでもない。…お前はもう、ちゃんと『居る』だろ?」
 その言葉は、自分にも言い聞かせるかのように。
 ナガレは時間をかけて、続ける。
「此処は、俺の望んでいる空間じゃない。そしてお前は、『お前』じゃない。…そうだろ? 『早畝』」
 少女に向かって、最後に繋げた名は。
 この空間の何処かに居るはずの、彼の相棒。
 そこで初めて、ナガレの目の前が、形を崩し始めた。
「……それは、お前が望んだ結果じゃないか。だから俺は『今』、お前の傍に居るんだぜ?」
『………………』
 少女は涙を頬に落とした。
 そして顔を覆いながら、さらさらと音を立てて、消えていく。
「…でも、会えてよかったよ。これが、犯人の力であったとしても、な」
 崩れていくものを見つめながら、ナガレはその先にある道へと、足を進めた。
 きっと道の先には、早畝たちがいるはずだ、と確信しながら。

■幸せな夢。そして、解放。――孝博。

 孝博は、その場に暫く横たわったままで居た。
「…………ん…」
 うっすらと瞳を開けると、柔らかな笑顔が、こちらを見ていた。
「……、なぜ…?」
 ゆっくり身を起こしながら周りを確認すれば、その場は彼の家の庭だった。
 そこで、白いテーブルを広げ、それを囲んでいる人物がいる。
 幸せそうに微笑む両親と、そして…兄の姿。
 三人とも優しい笑顔で、孝博を呼んでいる。
 …それは、孝博の理想そのもの。
 そして、遠い過去に見てきた風景であった。今現在では、それはどう願っていても叶う事の無い、思い。
 暖かい日差しの元、テーブルには母の手作りのケーキと、紅茶が並べられ…それを家族皆で始終笑顔が絶えることの無いまま口にしていた、そんな日々が確かにあった。
 ずっと続けばいいと思っていた。否、続くものだと思っていた。不変のものだと、信じて疑わずにいた。
「孝博、いらっしゃい」
 未だに腰を上げる事が出来ずにいた孝博に向かい、兄が手を差し伸べてくる。大好きな笑顔で。
「……兄さん…」
 孝博は、そのまま兄の手を、取ってしまいそうになった。こんな幸せがあるのなら、今までの事を全て忘れてしまおうとさえ、思えてしまう。
「……………」
 それでも、頭の奥からの危険信号は、鳴り止まない。
 その手を取ってしまえば、どんなに楽だろう。しかし、それでは自分は救われない。そして…おそらく、兄も。
 そうしていると、兄の姿が歪み始めた。
 大好きだった笑顔が、翳る。
 幼いままの兄。そしてその兄の眼には、孝博も小さいままで映っているのだろう。
「……違う…此処は、私の望んでいる場所ではない…」
 望むだけでは、手に入れられないことくらい、孝博には解っている。
 そして失ったものは…この手には戻っては来ない。
「違います…私には、もっとするべきことがあって…今も、こんな所で囚われているわけには、いかないんです。…だから、解放して下さいませんか?」
 孝博がそう呟くと、まるで砂が崩れるかのように、その場が一変する。
「……………」
 幻…孝博が本心から望んでいたかもしれない、『夢』はそこで消えた。
 ゆっくりと立ち上がり、前方を見据えると、その場には一人の男の姿があった。
「…お前は何故…飲み込まれない? 他のヤツは皆…自分の欲しがった夢に飲み込まれて…そのままなのに」
「それは、私が自身を信じる事を止めないから、です。例え現実が辛くても、全てを諦めずに、いるからです」
 男はフラリと、孝博に歩み寄りながら、そう言った。頬はこけ、目の下には隈を作り、疲れ果てたその男の顔。
「……貴方は…何をそんなに、哀れんでいるのですか?」
 孝博は男に手を差し伸べながら、静かに言葉を投げかける。
 すると男の瞳が、一瞬だけ火がついたように赤いものになった。
「哀れんでいるだと…? 誰が、誰に…!? 俺にはそんな余裕など、何処にも無い!!」
 『赤』は、人を憎むときに生じる色。それを孝博は解っているのか、男の言葉を受け止め、穏やかな瞳で彼を見つめた。
「貴方も、今がお辛いのでしょう。…でも、それを『可哀想』、『仕方ない』と諦めてしまってはいませんか?」
「――どうしようもない現実なんて、何処にも無いぜ。お前は自分の不幸に、酔っていることになる。…諦めるって事は、そう言うことだ」
 孝博の言葉に続くかのように、彼の背後から聞こえた声は、ナガレのもの。振り返れば、そこには早畝の姿もあった。
「ご無事だったんですね」
「新久サンもね」
 孝博が笑うと、早畝も笑い返してくる。それで、心が少しだけ安堵したように、思えた。落ち着きを見せていたものの、孝博は二人の姿が見えないことに、不安を覚えていたのだ。
「…お前たちまで…? 何故だ!!」
 男は二人の姿を見たとたんに、焦りの言葉を吐く。
 するとナガレが深い溜息を吐き、早畝の肩の上に飛び乗った。
「お前さん、甘えた事言ってんなよ。俺からしたら、まだまだガキなクセに、何『自分だけが不幸だ』と思ってんだ。死と隣り合わせな仕事に足突っ込む前に、どうにだって出来ただろ?」
 ナガレはこの男の素性を、何処かで見てきたかのような口調でそう言った。それは外れではないようで、男は勢いを失っていく。
「…あんた、足洗いなよ。槻哉に相談したら、なんとかなるから。こんな所でずっと篭ってたら、これからの自分が、もっと不幸になっちゃうよ」
 早畝が静かに、そう言った。その姿は、少しだけ大人びているようにも、見える。
 孝博はそんな早畝を見ながら、うっすらと笑っていた。
「信じる事が、辛いときもあります。まして、会ったばかりの人間に説得されても、納得いかないと思います。ですが…どうか私たちを、『見て』いただけませんか? 私たちはそれぞれに立場が違い、環境も違いますが、それでも共通するものを持っています。…そして、自身を貫く力を持っています。貴方を救いたいと思う気持ちも…決して嘘ではありません」
「全部を諦めるには、まだ早い。道は、いくらでもあるんだからな」
 男は黙ったままでいた。そして孝博やナガレの言葉を、身体に沁み込ませているかのように、瞳を閉じる。
「頼っても良いよ。自分を許せないのかもしれないけど、俺達はあんた救う方法を、いくらでも出してあげられるから」
 早畝が続けると、男はそこで、力を解放する。
 パァンと、音を立てて見上げれば、割れた空間から、本来の空が姿を現せた。
「……………」
 早畝が背後に気配を感じて、振り返ると、その場には行方不明者たちと思わしき人物が、集められて眠らされていた。
「人数の確認する」
 ナガレを肩から下ろして、早畝はその者達へと足を運ぶ。そしてポケットに仕舞いこんでいた被害者の資料を取り出して、人数の確認を始める。
「貴方はこれだけでも、随分と前に進めたはずです。…その勇気があれば、この先もきっと、明るいものになると思いますよ」
 孝博は笑顔でその男に言葉をかける。
 すると男はかくりと頭を垂れて、『すいませんでした…』と繰り返し、その場で涙を見せるのだった。

■解決。

 男はとある事で普通の生活から道を外れ、嫌々であるが麻薬売買に携わる立場に置かれていたらしい。気が付いたときには時既に遅しで、逃れたくとも逃れられない日々。それまで自分が抱いていた夢や希望を、全て忘れて生きていかなくてはならない中で、無意識ながらも焦がれていた夢への思いからか、『自分の夢が叶う場所』として、次元の歪みを生み出していたようだ。
「それで…彼のこれからは…?」
「ああ、大丈夫ですよ。我々で引き取り、組織には見つからないように職を斡旋するつもりです」
 ティーカップを手にしながら、会話をしているのは槻哉と孝博だ。
 槻哉の言葉に真底安堵したのか、孝博は深い息を吐いた後に、ゆっくりと紅茶を喉に流し込んでいく。
「今回もご協力有難うございました。新久さんのお陰で、随分と穏便に解決を出来た事、感謝します」
「…いえ…どうしても、躓いている人を見かけてしまうと、放っておけないものですから…。でも、お役に立てて、嬉しいです」
 その、傍らで。
 孝博が持ってきた化粧箱を抱え、口をもぐもぐと動かしているのは、早畝であった。
「…早畝、お前いい加減にしとけよ…」
「だってコレ、美味いんだもん」
 ナガレの言葉にも視線を動かす事の無いまま、テーブルの上に置かれた事件の後始末が書かれた資料に目を通している。
「しっかし、不思議体験しちゃったなぁ…なぁ、ナガレや新久サンは、あの空間の中で、何を見た?」
 早畝は二人に向かい、そう言うと。
「秘密です」
「内緒だ」
 と声をそろえて、言葉を返す、孝博とナガレ。
 そんな二人の返答に、早畝はつまらなそうに、頬を膨らませている。
 孝博は早畝の顔を見ながら、微笑み、
「…また今度、美味しいものを差し入れに来ますね、早畝さん」
 追加の言葉を繋げると、早畝の機嫌も、ぱっと変わった。
「やったぁ! いつでも待ってるから!!」
 元気に返事を返すと、皆から笑いが漏れ、暫く暖かな空気の中で、談笑が続くのであった。


【報告書。
 10月05日 ファイル名『神隠し』

 時限の歪みを作りだし、その奥へと人々を押し込めていた犯人は、協力者、新久孝博氏とともに、早畝、ナガレとが説得に当たり、無事に事なきを得る。
 取り込まれていた被害者たちと犯人の接点は何処にも無く、無意識的な犯行と判断。救い出した被害者達は皆、事件に遭った頃の記憶が無く、無理にその旨を伝える事はしていない。
 犯人はその後、組織から逃れ、名を変えて表社会へ復帰できるようにこちらから手配済み。二度と道を踏み外す事の無いように、願う。
 
 以上。

 
 ―――槻哉・ラルフォード】



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             登場人物 
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【整理番号 : PC名 : 性別 : 年齢 : 職業】

【2529 : 新久・孝博 : 男性 : 20歳 : 大学生】

【NPC : 早畝】
【NPC : ナガレ】

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            ライター通信           
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 ライターの桐岬です。今回は『ファイル-2』へのご参加、ありがとうございました。
 個別と言う事で、PCさんのプレイング次第で犯人像を少しずつ変更しています。

 新久・孝博さま
 再びのご参加有難うございました。今回もとても楽しく書かせていただきました。
 うちのNPC達に興味を持っていただけているようで、嬉しいです。
 プレイング通りに早畝たちの過去やらをちょこっと覗かせてみたのですが…如何でしたでしょうか?
 少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

 ご感想など、お聞かせくださると嬉しいです。今後の参考にさせていただきます。
 今回は本当に有難うございました。

 誤字脱字が有りました場合、申し訳有りません。

 桐岬 美沖。