■Battle It Out!■
雨宮玲 |
【1252】【海原・みなも】【女学生】 |
どうしようもなく暇を持て余してるっていうなら、とりあえず東京某所の某ジャズバーへ行くと良い。
バーと銘打っておきながらアルコールの需要はぱっとせず、紅茶と甘味の売れ行きだけが妙に良い。もちろん味は保証つきだ。
ジャズをお望みなら、気持ち程度の小銭と音楽への愛があればオーケー。月に2,3のアマチュアミニライヴが開かれている。
それから――これを忘れずに言っておかないとな。
望むと望まざるとに関わらず、「あそこ」では様々なハプニングが目白押しだ。飽きはしないだろうが、落ち着いて酒と音楽を楽しませてもらえるかというと、ちょっと微妙かもしれんな。とにかく退屈を吹っ飛ばしてくれるのは請け合いってこと。
なんせあそこにたむろしている連中ときたら――
え、バーがどこにあるかって?
道なりに真っ直ぐだ、『村井ビル』っていう冴えない建物の二階にある。予備校の看板を目印にして歩けばすぐ見つかるだろ。
一応忠告しておくが、あー、あんまり大事なものは持っていかないほうがいいと思うぞ。失くしたら困るだろ。例えば命とか身体とか。……置いていけないもんばっかりだな。
ま、健闘を祈る。
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Battle It Out! -The Girl from South Seas-
01 prologue
南洋から来た青い髪の娘を知ってる?
背の高い、白い肌をした中学生の女の子。ちょっと大人っぽいけど、笑うと凄く可愛いんだ。
楽しそうにステップを踏んで歩くその姿が魅力的で、まるで南洋の明るい太陽の光を振り撒いているみたい。
この間ついに彼女の名前を知ったんだけど――どうやって知ったかって? それは内緒、勿体無いから教えない。とにかくあんまりぴったりな名前だったもんで、一発で覚えちゃったよ。
海原みなもちゃんっていうんだって。『みなも』って響きが可愛いよね。
彼女のイメージカラーは透明な青。空を映し込んだようなスカイ・ブルー。
ああ、南の海に行ってみたいな。きっと彼女の髪みたいな色をしてるんだろうな。
でも、ま、しばらくは彼女が運んでくる海の香りを楽しむってのも、悪くないかな?
*
街路樹脇の歩道を歩いていたら、綺麗な形の落ち葉を見つけた。完璧なシンメトリーで、絵の具をたっぷり染み込ませたような赤色をしている。楓の葉だ。
海原みなもは屈んで葉っぱを拾い上げると、陽の光に透かしてみた。雲一つない青い空に落ち葉の赤が映える。
――秋は終わりへ向かう季節。厳しい冬を迎えるための、短くて儚い数ヶ月だ。
落葉樹は葉を落とし、動物達は冬支度を始める。けれどそれを悲しいとは感じない。ほんのちょっぴり寂しい気持ちはあっても、赤や黄に染まった木々はあんなに綺麗だし、空気がぴりっと冷たくて、いつもより美味しく感じられる。
冬になったら服が色々選べるし。ウィンドウショッピングをして、冬物をあれこれ物色するのも楽しい。素敵な季節だ、とみなもは思う。
ここ最近、彼女は通学に表通りを利用している。毎年この時期になると、歩道に落ち葉の絨毯が敷かれるのだ。灰色の街並みに樹木達が束の間彩りを添えてくれる。
赤と黄のグラデーションを楽しみながら、みなもは軽い足取りで東京の街を歩いていく。
目的地は家でも学校でもない。短期アルバイトで世話になっていたジャズバーに、今日は客として遊びにいくつもりでいた。学園祭や体育祭で何かと忙しい中、ようやく取れた休日だった。
目的地への道程で、みなもは安くて美味しいと評判のケーキ屋に寄った。
ガラスケースにディスプレイされたケーキはどれも美味しそうで目移りしてしまう。
自分で食べるんじゃないけれど。――夏樹さん達はどんなのが好きかなぁ?
予算と相談しつつケースの中を覗き込んでいると、紅茶ケーキというのが目についた。
うん、これにしよう。三人とも紅茶好きだったみたいだし。
みなもはケーキをワンホール買って店を出た。
服装は秋らしく、渋めの暖色。片手にお土産の紅茶ケーキ。
小さく秋の歌を口ずさみながら、みなもはジャズバーへ向かう。
02 card game panic
駅から歩いて二、三分ほど。
便利なロケーションではあるが、いまいち外観の冴えない村井ビル。
三階と四階は大手予備校に占有されており、その一つ下のフロアに、みなもの目的地であるジャズバーが入っている。予備校に注目していると見落としかねない小さな看板には、『Escher』という文字が刻まれている。
バーを開拓するのが趣味でもない限り見つけられない、というか、少し立ち寄ってみようかという気を起こさせるにはいささかさり気なさすぎる店だ。そもそも商売っ気がない。半分は経営者の道楽と思われる。アルバイトをしていたみなもさえも、我ながら良く見つけられたなぁと思っている。
ジャズというと一見とっつきにくいジャンルに思われがちが、客層は十代から定年間際までと幅広い。店員の橘夏樹が音大生であることも大きいのだろうが、一時期みなもが働いていたおかげで、彼女目当ての客が増えてしまったとかなんとか。
「可愛い娘がいるらしいよ」という口コミで訪れた人間が、店の空気にあてられていつの間にかジャズファンになっていたりと、どうしてなかなか潰れない店だ。
開店までまだ少し時間がある。開店準備の途中だったら手伝わせてもらおうと思いつつ、みなもは非常階段で二階へ上がった。――と、何やら騒々しい雰囲気。
「こんにちは――」
Escherの扉を開けると、喧騒がぐわぁっと飛び出してきた。みなもはびっくりしてのけぞった。
BGMは辛うじてジャズ。フュージョンだろうか。エレクトリカルな音楽が大音量でかかっているため、なんというか、非常にやかましい。その上空気も悪い。
確か夏樹さんは煙草嫌いだったと思うんだけれど……とみなもは首を捻る。
「あ、みなもちゃん!」
いち早く気づいた橘夏樹が、満面の笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、夏樹さん。遊びにきちゃいました」
ぺこんと頭を下げると、夏樹が駆け寄ってきた。
「会いたかったー久しぶりー!」
ぎゅうと抱き締められてしまう。
「苦しいですよ、夏樹さん」
ケーキが潰れちゃいます、とみなもは笑う。
「ごめんね、なんか感激して思わず!」
「みなもちゃんが辞めてから、夏樹さんしばらく退屈そうだったからねー」と寺沢辰彦。
彼はEscher常連の高校生だ。ちなみに店の扉に『予備校生お断り』なんてビラが貼られていたりするのだが、あまり功を奏していないらしいことは啓名予備校の生徒である辰彦を見れば一目瞭然である。
「そういう辰彦君も、夏樹君じゃ物足りないとかしばらく言ってたよね」
水上彰人が横から淡々とした口調で突っ込む。彼は啓名予備校の講師だ。週末は暇を持て余しているとかいう話だった。
「もうちょっと早く遊びにこれたら良かったんですけど、学校の行事が忙しくて」
これお土産です、とみなもは夏樹にケーキの箱を差し出した。
「わざわざありがとね。後で皆で食べましょ。とりあえず、えーと、そこら辺に座って? 今お茶淹れたげるから」
夏樹はフロアのほうを指し示すと、紅茶を淹れに一旦奥へ引っ込んだ。
そこら辺。
言われた通り空いている席に座ろうとして――、みなもは所在無さげにその場に立ち尽くした。
テーブルが二つくっつけて並べられており、その中央にウノのカードが積み重なっている。空気汚染の原因と思しき煙草の吸殻は、灰皿から溢れ出さんばかりだった。音大で声楽を専攻している夏樹はもちろん、未成年の辰彦も喫煙はしない。つまり水上彰人だけが煙草を吹かしていることになるが……これだけの煙草が消費されるのに一体何時間かかったのだろう……?
「煙草嫌いかな、海原君。今日は無礼講だっていうから吸わせてもらってたんだけど」
視線に気づいたのか、水上彰人がまだ長い煙草を灰皿の上で潰した。
「あ、すみません」
「彰人さん、寿命縮まりますよー?」
「縮まるほど吸ってないと思うけどな」
その吸殻の山じゃ説得力がありません。とみなもは思ったが、言わないでおくことにした。
辰彦が席を譲ってくれたので、礼を言って腰を降ろす。別の椅子を持ってきて、辰彦はみなもと水上の間に割り込んだ。
「それで……何をしてらっしゃるんですか?」
みなもは改めて訊いた。
「ウノだよ」
水上は簡潔に答える。
確かにウノだ。ウノの他に、トランプ、花札、ジェンガ、麻雀に人生ゲーム、オセロ、将棋などなど……。古今東西あらゆるゲームが揃っており、さながら誰かのお誕生日パーティー会場である。
これは単なる暇潰しのゲームというよりは……
「これ、僕らの定期イベントなの」
「定期イベント……ですか?」
「華屋の新作和菓子が出る度にやるんだよね」と水上。
「はなや? 華屋カフェのことですか?」
みなもは首を傾げる。
「そうそう、本家のほう。老舗の和菓子屋なんだけどね、これがまたたっかいんだよ。というわけで、ゲームで勝敗を競って、敗者が上位二名に奢るわけ」
「なんか凄いですね」和菓子のためにカードゲームからボードゲームまで持ち出してくる なんて。というかこれはむしろ。「……手段が目的になってませんか?」
「気にしちゃいけない! 楽しければいいの、ね! オマケに華屋がついてくると思えば!」
やっぱり遊ぶのが目的なんですね。
「海原君が来て偶数になったから、ペア対戦にしない?」
水上彰人が提案する。なぜか彼は大量にウノのカードを持っている。
「あたしも混ぜてもらえるんですか?」
「うん。というか」水上は、手持ちのカードを指先で弾いた。「ペアにでもしないと、ウノは問答無用で最下位決定だから、僕」
「そのほうが賢明ですねぇ、彰人さん」
辰彦はくっくと笑い声を漏らした。
「彰人さん、ウノ苦手なんですか?」
「手持ちのカードが最後の一枚になったとき、ウノって言うの忘れるんだよね」
みなもは噴き出しそうになるのをすんでのところで堪えた。ぼんやり考え事をしていて壁にぶつかる、階段から滑り落ちる、というのが日常茶飯事の彼のことだ。負けつづきなのも頷ける。
「ジェンガとか器用さを要求されるゲームは夏樹君がトップだし、博打っぽいのは辰彦君が圧倒的に強いし、僕が張り合えるのって神経衰弱くらいなんだ」
水上は不本意そうだ。
「彰人さんなら、頭を使うゲームは強そうな感じがしますけど?」
「昔は僕のほうが強かったんだけど、最近、辰彦君が学習してきちゃってさ。手の内読まれてるんだ」
「そのお話を聞いてると、あたし、どなたにも勝てない気がするんですけど……」
「だからペアでいこう。そうすれば敗者の負担も減るし」
「ペア戦にするならあみだくじやりましょ」
みなもの分も含めて四人分の紅茶を淹れてきた夏樹が、各々にカップを配りつつ言った。
「ほいほい、それじゃあみだ作るね」辰彦はどこかから紙とスクラップを探し出してくると、さらさらとあみだくじを書く。「今までのスコアはリセット扱いで良いですよね?」
「勿体無くないですか? せっかく点数つけたのに」
「どうせ遊び半分だしなぁ」辰彦は点数表を眺めて唸った。と、何か名案でも閃いたのか――、「ふはは。良いこと思いついちゃった」
「良いこと、ですか?」
「とりあえず次のゲームはみなもちゃん外して、僕ら三人でワンゲームだけやりません? トランプで」
「良いけど、それでどうするのよ」
「今のとこ、逆転できないほどの点差はありませんし。――ラストゲームの点数を計上してトップだった人が」辰彦はにやりと笑って、みなもを指差した。「みなもちゃんとのデート権を獲得するってのどうですか?」
「え?」
と、三人分の間の抜けた声が重なった。もちろんそのうちの一つはみなものものだ。
「あ、あたしとデート?」とみなもは自分の顔を指差す。
「そ。賭けるものがみなもちゃんだったら真剣勝負でいけるでしょ?」
「え、あの」
あたしの選択権は?
「辰彦……みなもちゃんを賭けの道具にするなんて良い度胸してんじゃない」
そうですよ、夏樹さん。言ってやって下さい!
「あんた、正々堂々と勝負して勝てないからってカードゲームなんて姑息な手段でみなもちゃんを奪おうって魂胆ね!? 受けて立ってやろーじゃないの!」
正々堂々っていうのはどんな勝負なんですか、夏樹さん! ていうかやる気なんですか!?
「ま、華屋の羊羹よりやる気が出るのは確かだよね」
彰人さんまで……!
「ってわけで、三対一で決定ね」
三対一って……あたし、意見を仰がれてすらいないんですけど……。
「で、勝負方法はどうするの?」
夏樹はすっかりやる気だ。どうも大人しく「賭けられる」他ないらしい。
みなもはすごすごと引き下がる。
「露骨に優劣をつけるカードゲームっていったら、アレに決まってるじゃないですか」辰彦は手品師のようにトランプのカードを捌いた。「大貧民」
なるほど……露骨に優劣をつけるゲーム、ですね。
――というわけで、海原みなもを賭けたワンゲーム限りの大貧民大会が執り行われることになったのであった。
*
「なんかこの結果……リアルワールドの経済的地位を暗に仄めかしてるようで妙にムカツくんですけど……?」
夏樹は点数表に書き込まれた『大富豪』『平民』『大貧民』の単語を見て、低い声でつぶやいた。
「辰彦さん……、最初から勝つ気でいました? もしかして」
みなもが問うと、辰彦は当然、と言わんばかりに胸を張った。
「僕を誰だと思ってんの?」
――結果は推して知るべし。
大富豪・辰彦、平民・夏樹、大貧民・水上である。
「僕って夏樹君より経済力ないんだ……」
高校生と大学生に負けている底辺社会人・水上はいじける。まあまあと、みなもは水上を宥めた。中学生の自分が宥めては逆効果な気がしないでもなかった。
「そもそも勝てるかどうかわからない勝負は持ちかけませんからね。というわけで、みなもちゃん。デートの相手よろしくね」
ね、と語尾にハートマークがつきそうな調子で微笑みかけられ、みなもは、はぁ、良いですけど……、と煮え切らない返事をした。
辰彦とデートをするのが嫌なのではなく、結局押し切られて大貧民大会のトッププライズにされてしまったというのが……あたしって皆から遊ばれる運命なのかしら? などと真剣に考えてしまうみなもであった。
03 Hanaya and Autumn days
ぱんっと両手を顔の前に合わせると、みなもはご馳走様でした! と向かい側に座る敗北ペアに礼を言った。
東京、六本木。
中学生のみなもにとっては長らく高嶺の花であった、高級和風喫茶店のボックス席。
立地条件からして明らかに高所得者を客層に設定している華屋カフェの、秋の新メニューを堪能できて、みなもはすっかり上機嫌だった。
「前から入ってみたかったんです。まさか奢っていただけるなんて」
何しろ中高生のお小遣い程度では、財政難覚悟必至の高級羊羹である。舌触り滑らかで上品な味わい、食器にすら何か職人のこだわりを感じる、ある種の芸術作品だ。
その芸術作品を惜しげもなくぺろっと平らげてしまった辰彦は、
「すいませーん、ほうじ茶追加ー」
などとウェイトレスのお姉さんに向かって手を振る。
「みなもちゃんに奢るのは良いけど……」
「辰彦君に奢るのは物凄く納得いかないよね……」
負けペア――夏樹と水上は、お冷を前に、仏頂面で頬杖をついていた。
「結局、辰彦ばっかり良い思いしてんじゃないのよ」
「ま、今回は運がなかったと思って下さい」辰彦は涼しい顔で夏樹をあしらった。「Escherに帰ればみなもちゃんが持ってきてくれたケーキがあるし。あ、僕達これから出かけますけど、いない間に全部食べたりしたら怒りますからね?」
「食べてやりたいところだけど、二人でワンホールはさすがに無理よ」
夏樹はふうっと溜息をつく。みなもは上目遣いで夏樹の顔を伺った。
「あの……、すみません。遊びにきたはずが奢っていただいたりしちゃって」
「いいのいいの、みなもちゃんに会いたかったもの。食欲の秋だし、美味しいもの食べなくっちゃね」
「あ、そうですか? じゃあもう一個――」
「あんたは駄目よ……!」
夏樹は、辰彦の台詞を間髪入れずに遮った。そんな二人を見て、みなもはくすっと笑みを漏らす。
「皆さんお変わりないですね。と言っても、まだ一ヶ月くらいしか経ってませんけど」
「そうだな……色々と慌しかったせいか、随分会ってない感じがするよね」と水上。「海原君は、学校のほうはどう? 文化祭とか忙しい時期だろう」
「行事は一通り終わって、やっと暇になりました」
ここ一ヶ月くらい本当に忙しかった。大規模な行事は大抵秋口に集中するものだ。
「みなもちゃんって、部活かなんかやってんの?」
「はい、一応。水泳部と演劇部です。演劇部のほうは幽霊部員状態ですけど」
言って、みなもは照れくさそうに微笑んだ。
「へぇ、水泳に演劇! みなもちゃん、泳ぐの得意なんだ?」
「得意……ええ、まあ」
みなもは曖昧に答えた。得意でないわけがない。もちろんなぜ、かは口にしない。
「食欲に芸術にスポーツの秋ね。秋ってすごしやすいからついつい色々やりたくなっちゃうのよねー」
「お天気も良いですし」
みなもは窓の外の秋空を見上げた。こんな都会の真ん中でも、秋は空が澄んで見えるから不思議だ。
「ねね、折角良い天気だからさ、慎ましやかに公園散歩デートにしない?」
「素敵ですね」みなもは明るい笑顔を浮かべる。「ボートに乗ってみたいです、あたし」
「Escher近くの公園のことを言ってるんなら」と夏樹。「ボートに乗ったカップルは別れるってジンクスがあるわよ。知ってた?」
「もともと付き合ってないから大丈夫です」辰彦はへへん、と意地の悪い表情を作った。「確率から言ったら、あそこでボートに乗ったカップルすべてがつづく可能性のほうが低いですしね?」
憎たらしい奴、と夏樹は吐き捨てるように言う。もちろんそんな台詞にはお構いなしの辰彦だ。
「さて、華屋の羊羹も食べたことだし!」と辰彦は椅子を鳴らして立ち上がった。「行こっか、みなもちゃん」
「はい」
みなもは頷いて、辰彦の後につづく。
「いってらっしゃい」
と、負け組二人は覇気のない声で二人を送り出した。
04 the girl from South Seas
東京という都会において、そこだけが別世界であるように、公園には多くの自然が残っていた。人の手が入っている時点で自然とは言えないかもしれないが、ある程度人工的に整形し直されているからこその美しさである。公園設計者は四季折々の風景をも考慮した上で、この人工の園を作り上げているのだろう。計算し尽された美と自然の美が見事に融合している。
「わぁ、綺麗ですねぇ……」
橙色の葉が浮かぶ池を眺めて、みなもはほうと溜息を漏らした。
「春はピンク色になるんだよね、この池」
「あ、あの奥のほうに生えているの、桜ですか?」
「そうそう。日本らしい風景だよね」
「ほんと。気持ち良いですね!」みなもは両腕をいっぱい広げて、深呼吸をした。「やっぱり秋って好きです」
「みなもちゃんは夏が似合うイメージなんだけどな」
「そうですか?」
「髪の色のせいかもね。南国から来た少女って感じ――あ、いや、南国だったら褐色の肌をした美女って感じなのかな? 北国から来ましたって言われたら、それはそれで納得できそうな容姿してるよね、みなもちゃんって」
「北国ですか?」
「肌が白いからさ。うーん、でもやっぱり南国とか南洋って感じ」
間違ってないですよ、辰彦さん。とみなもは心の中で言った。
「夏も好きですよ。でも今年は本当に暑かったですね……。あたし、ちょっと夏バテしちゃいました」
「ねぇ? ほとんど雨降んなかったし。代わりに台風直撃しまくり。寒暖差激しいしさー」
「油断したら風邪引いちゃいそうです」
「気ィつけてね、今流行ってるみたいだよ」
辰彦は屈み込むと、小石を一つ取り上げた。奥義三段投げっ! と手首のスナップを利かせて投げる。小石は、三段どころか四段も水面で跳ねた。
「器用ですねぇ、辰彦さん」
「小学生のとき修行したの。学校サボって」辰彦は拾い上げた小石を指で弾き、空中でキャッチした。「流行っててさ。クラスの枠を超えて競ってたもんだよー」
「男の子って、変なところで頑張りますよね」
「石が何段跳ねたとか、紙飛行機がどこまで飛んだとか、そんなことにアイデンティティを託すんだよね。やることは単純だけど、そこにかける努力は本物なんだよ。学校サボろうが何だろうがね」
「テストの点数で競うより、なんか、かっこいいですね」
「でしょ?」
辰彦は悪戯っぽく微笑んだ。
「――辰彦さんは、昔から東京に住んでるんですか?」
「生まれも育ちも、学校もずっと東京だよ」
「東京の小学校なんて、遊ぶところがないような気がしますけど……」
「そうでもないよ。女の子はどうかわかんないけど、僕らは自転車があれば平気で遠くまで遊びにいっちゃうからねー」
「良いなぁ、男の子って」
みなもは自分の幼い頃を思い返してみる。
同性の友達と、女の子らしい遊びをするのも好きだった。けれどたまには、服を泥だらけにして、傷をたくさんこさえて、男の子みたいにはしゃぎ回ってみたいと思ったものだ。高い木に登る術を知っている彼らの目には、何か違うものが映っているのではないかと。
例えば、財宝が隠された魔境とか。
海賊が待ち構えている七つの海とか。
海は、みなもにとって身近な場所だった。けれども海底深くに潜るとき、みなもは孤独だ。地上で呼吸をしている人間達は、酸素のない水中の奥深くまでは潜ってこれない。彼女だからこそ――南洋の人魚の末裔であるからこそ知ることのできる世界が、海の深い場所には広がっている。
一度、クラスの男の子に引っ張り上げてもらって、東京の街が一望できるという小高い丘の木に登ったことがあった――ふと、そんな他愛のない記憶が蘇ってくる。
あのときも秋だった。灰色のビルの谷間谷間が淡い暖色で彩られているのを、夕日が街を赤く染めるのを見て、なんて素敵なんだろうと感動した覚えがある。
お礼に海の底へ連れていってあげることができたとしたら――それはさぞかし素晴らしいことだったろう。
あの男の子は今どうしているだろう、と思う。どこか遠くに引っ越してしまったのだっけ。
「みなもちゃん」
回想に沈んでいたみなもは、辰彦の声ではっと我に返った。
「はい?」
「最近さ、学校へ行くのにEscherがある表通りを通ってるでしょ?」
「え、なんで知ってるんですか?」
みなもはきょとんとする。
「それで、ミサワコーポっていうボロっちいアパートの前を通らない?」
「ミサワコーポ……」
みなもは記憶を手繰る。
アパートの名前は思い出せなかったが、確かにそれらしき建物の前を通った記憶がある。そうだ、たまにあそこで、辰彦さんと同じ制服を着た男の子に会うんだったっけ。
「そうですね、通ってる気がします」
「やっぱりね!」辰彦はぱちんと指を鳴らした。「ぜーったいみなもちゃんのことだと思ってたんだ! みなもちゃんの中学から近いし」
「なんのことですか?」
「実はね」辰彦はにっと笑う。「僕の高校の友達が、あのミサワコーポに住んでてさ。朝と夕方の決まった時間に必ず通る女の子がいるって言うんだよね。セーラー服を着て、ちょっと変わった青い色の髪に白い肌をしてて、すらっと背が高くて。噂では南洋のほうから来た女の子って話なんだけど、どうしても名前がわからないから寺沢ちょっと調べてくんね? とか頼まれてたわけよ」
「え……それ、あたしですか?」
「青い髪に白い肌って時点で検討ついてたんだけどさ、勿体無いからしばらく内緒にしてたのさ。ついこの間、その子だったら僕の行きつけのバーで働いてたよって言ったら、そりゃもー絞め殺されそうになったね」
辰彦はからからと笑った。
「そ、そうだったんですか……」
アパートの前で時々すれ違う高校生がそうだろうか。
「デートしちゃったよんなんて言ったら、撲殺されるよ。絶対」
「それは、その……あたしに好意を抱いてくれてるってことなんでしょうか?」
「食欲、芸術、スポーツに、恋の秋だねぇ」
「な、なんか恥ずかしいなぁ」
みなもは赤面してうつむく。
見ず知らずの人から好意を抱かれているというのは、なんとなくくすぐったいような、恥ずかしいような気持ちだった。あの高校生の顔を思い出そうと思ったけれど、上手くいかなかった。
「ま、悪い奴じゃないからさ、今度挨拶でもしてやってよ。飛んで喜ぶと思うから。その気がないなら、期待させるような態度は取らないほうがいいかもしんないけどね」
「その気、ですか……。れ、恋愛なんてまだ良くわからないなぁ、あたし。憧れることはありますけど……」
「みなもちゃん可愛いから、その気になればすぐ恋人なんてできるって」
「もう、上手いんだから、辰彦さん」
みなもは頬を赤く染めたまま、はにかむような笑顔を浮かべた。
――不意にざっと風が吹き上げ、無数の落ち葉が天に舞った。
みなもと辰彦は、揃って空を見上げた。
落ち葉がくるくると旋回しながら、空へ吸い込まれていく。
「――みなもちゃん、ボート乗る?」
辰彦は親指で池のほうを指差した。
「はい!」
元気良く答えて、みなもは辰彦に肩を並べる。
葉擦れの音が、二人を優しく送り出していた。
05 epilogue
後日。
いつものようにEscherを訪れた辰彦は、
「こうしてびみょーに物足りない日常に、辰彦少年は回帰するのでありました」
自分の気持ちを端的に表したナレーションを入れてみた。
「何よ。悪かったわね、私しかいなくて」
夏樹はむっと睨み返してくる。
「みなもちゃんカムバーック、ですよ」
「私だって寂しいわよ、あんたにデートの権限取られちゃったし?」夏樹は恋に恋する乙女のように溜息をついた。「みなもちゃんがいると、店の雰囲気が明るくなって良いんだけどねぇ」
「南洋の太陽ですからね」
「何?」
「こっちの話です」
辰彦は窓の外を見下ろす。人知れず口元に笑みを浮かべた。
*
南洋から来た青い髪の娘を知ってる?
名前は海原みなも。不思議な魅力を持った女の子。
君が通りすぎていくのを、実は僕もこの窓から毎日眺めてたってことは、永遠に内緒です。
fin.
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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■海原 みなも
整理番号:1252 性別:女 年齢:13歳 職業:中学生
【NPC】
■橘 夏樹
性別:女 年齢:21歳 職業:音大生
■寺沢 辰彦
性別:男 年齢:18歳 職業:高校生
■水上 彰人
性別:男 年齢:28歳 職業:予備校講師
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
前回に引き続いてのゲームノベルご発注、ありがとうございました! アルバイトの後日談という感じで、楽しく執筆させていただきました。相変わらず皆に猫可愛がりされているみなもさんであります(笑)。
サブタイトルは有名なボサノヴァの曲を文字ってみました。みなもさんが長い髪を揺らして、楽しそうに歩くイメージです。
地の文章はみなもさんの思考に近づけるように頑張ってみたのですが、いかがでしたでしょうか? みなもさんの一面を描けていれば幸いです。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ。
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