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■リッキー・ホラー・ショウ 〜Tokyo Nightmare〜■

リッキー2号
【2585】【城田・京一】【医師】
おや、こんな時分にお客様とは珍しい。
……最近は商売もあがったりでね。みな、命の惜しい連中は東京を逃げ出しちまった。……そうとも。あのリッキー2世が来てからこのかた、大東京は魔物の都になっちまったのさ、知ってるだろう。

ああ、やつなら、あの城にいるよ。東京のど真ん中にあんなもんおったてやがって。東京中、どこからでも見えるのさ。……なんだって? とんでもない。あんた、いくら昼間でも、あの城に近付くなんざ命を捨てにいくようなもんさ。

……おい、その武器は何だ。あんた……もしかして…………。

そうか……。行くというなら止めはしないさ。けど、よぅく覚悟しておくんだよ。あの城の中は人間の世界じゃない。悪夢――、そうさ、現実になった悪夢そのものなんだから。

リッキー・ホラー・ショウ 〜Tokyo Nightmare〜



 かつて東京二十三区の境界であったラインが、今では《悪夢の領域》と外界を隔てる国境となっている。《東京》の空はいつでも暗く、あえて、この境界を踏み越えようとするものはいなかった。
 その、闇の版図を監視するように見下ろす小高い丘に、その教会はあった。
 ひとりの壮年の男が、ぎしぎしと軋む音を立てて開く扉を抜け、礼拝堂へと足を踏み入れる。日灼けしたがっしりした体躯にカウボーイハット、そしてウェスタンブーツ。男は大股に、懺悔室のほうへと歩みよると、滑り込むようにその中へと消えた。
 教会内に人の姿はなかったが、もし始終を見ていたものがいれば――静かな唸りとともに、懺悔室の、その内側だけが床の下へと沈んでいくのに驚いただろう。それが秘密のエレベーターとして機能していたのである。
 教会の地下には、予想外に広い空間が広がり、人いきれに充ちていた。
 僧服の上に白衣をまとった男たちが、見なれない機械や実験設備のようなものの間を忙しそうに行き交っている。
 男は迷わず、地下空間の雑踏を抜けて、その人物のもとへと歩みよってゆく。
「よくおいでくださいました、教授」
 彼を迎えたのは、車椅子の人物だった。
 一目で、位階の高い聖職と知れる装いに、彫刻のように端整な顔立ちの――若いようだが、奇妙な落ち着きゆえ、今ひとつ年齢をはかりかねる男性である。静かな湖水の色を思わせる髪と瞳が、聖母像と見まがう美貌を引き立てていた。
「猊下――セレスティ卿」
 教授と呼ばれた壮年の男が頭を下げるのに、かるく応え、車椅子の人物――セレスティは彼を部屋の最奥へと誘った。
「東京が悪夢の勢力の手に落ちて以来、わたしたちは何度となく、聖騎士たちをかの地へ送り込み、あの街を闇から奪還しようと務めてきました」
「猊下、私のお送りした設計図は」
「拝見しました。だからこそ、お呼びしたのです、教授」
 僧服の男たちが、次々と、見なれぬ機械――あるいは武器のように見えるものを運び込んでくる。
「教授の設計をもとにつくらせました。……あるいは今度こそ。そんな期待を、わたしたちは持っています。教授、正式に、ヴァチカン聖騎士団は、このわたし……東方師団長・セレスティ・カーニンガムの名において、あなたにリッキー2世の討伐を依頼したいと思います。そして、聖騎士団が、あなたに最大限の援助を行うでしょう」
 コツ、と、足音を響かせてひとりの男が近付いてくる。
 黒いスーツの、精悍な顔つきの男だった。射抜くような視線が、暗い炎を宿して輝く。
「和馬。……こちらが桐生アンリ教授です。文化人類学の権威にして、魔物研究においては世界有数の――」
「アンリ」
 セレスティの言葉を最後まで聞こうともせず、和馬と紹介された男は、口元にうすら笑いを浮かべて言った。
「女みてェな名前」
 ぴくり、と、カウボーイハットの下のこめかみが動いた。
「……ヘンリーと呼んでくれ。よろしく」
 大きな掌を差し出す。が、相手が握手に応じる様子はなかった。

 悪夢の勢力に支配された《東京》にも、いまだに人の暮らしは営まれている。
 以前の平穏さなど望むべくもないが、それでも、人間はどこででも生きてゆけるものである。そこには人々の日常があり、生活があった。
 その街は、かつては渋谷と呼ばれたのではなかったか。
 往時のおもかげはない、朽ちかけた建物が暗い空を背景に建ち並ぶ。それでも、店の軒には灯がともり、食べ物の匂いと音楽が流れ出してきていた。
 今、久良木アゲハが足を踏み入れた店は、裏通りの、居酒屋とクラブの中間のような場所だったが、店内には演歌が流れているのがちぐはぐな空気を生み出している。アゲハは、まだ十代とおぼしきあどけない顔立ちに、しかし、せいいっぱいの強気に唇を引き結んだ少女だった。店のドアを押すと、相当なあらくれ者と見える男たちばかりがたむろしている店内が目に入った。かれらの視線がじろり、とアゲハに突き刺さる。一瞬、彼女はひるんだが……それでも、気丈に歩を進める。
 店の奥にはステージがあって、歌手らしき女が歌を披露していたが、誰も聴いている様子はない。形ばかりの横断幕――歓迎、通天閣虹子様(新曲『くれなゐ散華』発売中)――が虚しい。
 アゲハはカウンターの席についた。小柄な娘だったが、銀の髪に、抜けるような白い肌、そして赤い瞳が人の目を引く。そして腰には、大振りなダガーを提げているのが時節柄といったところか。丸太のような太い腕をしたこわもての店主が声を掛けた。
「何にするね。お嬢ちゃん」
「オ、オレンジジュースありますか」
 どっ、と客の男たちのあいだに爆笑が巻き起こる。少女はきっ、と、にらみをきかせたが、店主は下卑たにやにや笑いをするばかりだ。
「あいにくだが――」
 そのときだ。再びドアが開いたのは。びゅう、と、異様に冷たい風が吹き込んで、男たちの声高な喋りがいっぺんに静まりかえる。つんと鼻をつく異臭。店に入ってきたのは人のようで人ではない――吹き出物だらけの醜い顔つきの生物の一団だった。
「ゴブリン兵……」
 誰かの囁く声に、アゲハははっと目を見開いた。
「それじゃ、あれがリッキー城の」
 その言葉に、男たちが物凄い目で彼女をにらみつける。余計な事を口に出すな、とその目が物語っていた。だがその声は、すでに異形のものたちの耳に届いていたようだった。
「小娘。オマエか、今、許可もなく城主様のお名前を口に出したのは」
「な、なによ。それがどうかし――」
「す、すみません、旦那方。どうもこのお嬢ちゃんは土地のもんじゃなくて――」
 勢いこんだアゲハの前に店主があいだに入り……しかし、時すでに遅く、異形の一団は残忍な眼光の輝きを見せて叫んでいた。
「不敬な連中は処罰するッ」
 わぁっ、と、店中に爆発的な恐怖と恐慌が充ちた。ゴブリン兵たちが、武器を振り上げて一歩を踏み出した、だが、次の瞬間!
「…………っ」
 振り上げられた棍棒に、思わず目を閉じた店主の耳、飛び込んでくるものは、悲鳴と怒号、そして銃声と――なにかがズバリと斬り落されるような――、(なんだって?)。再び目を開けたとき。ゴブリン兵のひとりは床で伸び、ひとりは眉間を打ち抜かれ、ひとりは喉がぱっくり裂けておびただしい血を噴いていた。
「あ、あんたら――」
 男たちはその三人を見回した。すなわち少女と、どこかの席で寡黙に飲んでいた壮年の男と、そしてステージにいたはずの女歌手である。



「誰かしら。あなたを雇ったのは」
 和服の女は言った。
「黒い迷彩に二丁拳銃。目標のみならず、その周囲1キロを焼け野原に変えるというハンター……《ラボ・コート》さん」
「おやおや、いつのまにか、わたしも有名になってしまったらしい。そういえば、どこかの酒場で、日本刀を振り回すクレイジーなゲイシャガールの噂を聞いたけれど。それがきみか、ええと……通天閣虹子さん?」
 黒い迷彩服の男が聞き返した。
「それは芸名。……黒澤早百合よ、ハンターとしての名前は。それに芸者ではなく演歌歌手。売れてないけどそっちが本業」
「芸名が悪い」
「悪かったわね。それより、この街へ来た以上は、リッキー2世の首が目的なんでしょうけれど、あれは私の獲物なの。誰に依頼されたか知らないけれど横取りはしないで頂戴」
「さて。女性と争う趣味はないが、こっちも仕事なのでね。それに……案外、お互い雇われたのは同じ――」
 ラボ・コートの言葉を遮って、少女の声が追い掛けてきた。
「待って! 待ってよ、ふたりとも!」
 アゲハである。
 酒場からふたりを追ってきたのだ。すでに、先程の店の半分はずたずたに切り裂かれたゴブリン兵たちの血まみれの死体がごろごろし、あとの半分は爆破され吹き飛んでいた。
「ふたりとも、モンスター・ハンターなんでしょ。リッキー城へ行くんでしょ? 私も連れて行ってよ!」
「お嬢ちゃん」
 早百合が言った。
「多少、武術の心得はあるようだったけれど。今、東京を支配している連中のことを、あなた知ってるの? あの城には、さっきのゴブリン兵なんか足元には及ばないモンスターたちがうようよいるのよ」
「平気よ! ね、いいでしょう、ラボ・コートのおじさんも!」
「おじ……」
 迷彩服のハンターは、青い瞳をぱしぱしとしばたいた。
「そうだ。なら、私、ふたりを雇うわ。それならいいでしょう」
「3万円だけど」
「500万よ」
 言ってから、顔を見合わせる早百合と、ラボ・コート。
「なんだい、その法外な値段」
「なんなのよ、その冗談みたいな安売りは」
「……早百合さんはちょっと無理みたいだけど、ラボ・コートのおじさんなら雇えるわ」
「まいったな。仕方ない。きみがボスだ」
「二重契約じゃないの」
「どうせ行き先も目的も一緒だからいいの。さあ、行きましょう……」
 アゲハは前方を示した。三人の行手に――それがそびえ建っている。
 闇そのものを固めてつくったかのように黒い材質でつくられた、異形の城である。かつての大都会の名残りをとどめる摩天楼群よりも高く、それはあやしい大樹のように、暗い空へと尖塔を突き刺しているのだった。
「……あのリッキー城へ」

「臭ェ」
 和馬は、五分置きくらいになんらかの不平を漏らしていた。もっとも――空気が堪え難い腐臭に淀んでいるのも事実ではあったが。
「我慢したまえ」
「鼠じゃあるまいし、下水道からコソコソと……。堂々と乗り込んでやっても、あんな奴に負けやしねぇよ」
「きみは奴の恐ろしさを理解していないようだな」
 ヘンリーこと桐生アンリと藍原和馬を先頭に、地下水道の中を進む一団は、ヴァチカンの紋章も輝かしい聖騎士団であった。
「ただでさえヴァンパイアたちは厄介な相手だ。人類の天敵と言ってもいいかもしれない」
「知ってるョ」
 ぼそり、と和馬が漏らした一言を、ヘンリーは聞き落としたようだ。彼は続ける。
「ヴァンパイアは吸血によって数を増やしていくが、その『親子関係』を遡ってゆくとたどりつく、『祖』にあたるのが、特に古く、強い力を持つヴァンパイア・ロードたちだ。リッキー2世はその中でも、特に狡猾で、老獪なひとり。まさに、生命なきものたちの王《ノーライフキング》として闇に君臨する――」
「学者先生よ」
 和馬が、けわしい表情で口を挟んだ。
「講釈もいいが……囲まれちまったみたいだぜ」
「な……」
 言いも果てず――
 黒々と、かれらの足元のよこたわっていた水路から、汚水を跳ね散らかして、それらが次々に躍り出てくる。かッと開いた口には細かい牙がならび、水かきのある手には鋭い爪――まばたきせぬ不気味な丸い眼で騎士たちをとらえるや、前身を鱗におおわれた生物たちは襲いかかってくるのだった。
「魚人どもか!」
 びゅん、と、ヘンリーの鞭が唸った。それは半人半魚の怪物の一匹を打ちのめし、水路へ叩き落したが、いかんせん、敵の数は多かった。
「ひゃっほゥ!!」
 嬌声をあげて、和馬が跳躍した。軽業師のように舞い、魚人たちを翻弄しながら拳の一撃、脚の一蹴で敵を確実に沈めてゆく。
「そうこなくっちゃなァ!」
「く……まだ城の内部にもたどりついておらんというのに。こんなところで時間を食うわけにはいかん、急ぎ、突破するぞ!」
 ヘンリーが檄を飛ばした。
「水中では闘うな! そしてやつらの弱味は強い光だ」
 叫びながら、腰に提げていたボトルのようなものを取ると、思い切り放り投げ、地下水道の壁で叩き割る。――と、そこから烈しい閃光が迸った。
 口々に異様な叫び声をあげて怯む魚人たち。そこへ、聖騎士団の精鋭たちが突進していった。

「……」
「どうかなさいましたか」
 ふいに、振り返ったセレスティに、車椅子を押していた従者が怪訝な顔を向ける。
「いえ。気のせいかもしれません」
「……神経がお疲れなのでしょう」
 美貌の聖職者を乗せた車椅子が、教会の回廊を往く。
「かれらはうまくやってくれているでしょうか」
「桐生教授はご立派で豪胆な方です。和馬もあれで一本気な男」
「私が言っているのは、もう一方のチームのことですよ」
「…………」
 セレスティは、従者の手首をがっ、掴んだ。すばやく、その唇が祈りをささやく。
「父と子と聖霊の御名によりて、アーメン。主の十字架を見よ、敵どもの群れは敗走せよ」
 じゅっ、となにかが焼ける音とともに、悲鳴があがった。
「よく気づいたなセレスティ」
 従者の声が、不快にざらつくものを経て、妙齢の女の声に変わってゆく。それにつれて、見る見るうちにその姿もまた、肌もあらわなうすものをまとった、肉感的な女へと変化していくのだった。
「《不死者の花嫁》のひとりですね。不浄の身でこのようなところへ」
「うふふふ、聖騎士団が出撃したならば、ここが手薄になるは必定」
 めき、と、奇怪な音を立てて、女の背から巨大な蝙蝠の翼が生えた。その眼はらんらんと紅く輝き、なまめかしい唇からは鋭い牙がのぞいていた。
「セレスティ猊下……わが君、リッキー伯爵が、貴方を夜会にご招待差し上げたい、と」
 ぞっとするような声で、女は笑った。



 天井の高い、石造りの回廊には、黴臭く湿った空気が充満していた。灯りは壁のところどころに暗く燃える灯火だけ。
「変だわ。見張りもいないし。まったく生き物の気配がない」
 押し殺した声で、囁くように早百合が言った。
「私たちが来ることを知って逃げ出したのかも」
「まさか」
 ラボ・コートを先頭に、早百合、アゲハと続く。三人の影が、灯火に照らされて、石の壁にゆらゆらと落ちる。それは巨大にひきのばされ、どこか化け物じみていた。
「だって、こっちは凄腕のモンスター・ハンターが三人も揃ってるのよ。モンスターでも何でも出てきなさいって――」
 言いながら、壁際に並ぶ怪物の彫像の頭をごつん、と殴った。
「――!」
 刹那、ただ寡黙に歩みを進めていたラボ・コートが、はじかれたように振り向く。鬼気迫る表情だった。
「な、なに――」
「そこをどけ!」
 アゲハが触れたガーゴイルの眼があやしく輝くのと、ラボ・コートが彼女に飛びかかったのはほぼ同時だった。だがそのときすでに、石の床はぱっくりと奈落への口を開け、ふたりを飲み込んでいる。
「ちょ、ちょっと……!」
 悲鳴が、長く尾を引いて、闇の中へと消えてゆく。
 ただひとり残された早百合が、呆然と、真っ暗な陥穽の淵に立ち尽くしていた。
「!」
 だが、その早百合も、新たな不穏な気配に振り向き、すらり、と、刀を抜いた。ひたひたと、何者かの足音が近付いてきているのである。

「……っつ」
 身を起こそうとすると、前身が軋むように痛んで、アゲハは呻きをあげた。だが、深刻な負傷には至っていないようだった。とっさに自らを庇えたせいか、幸運か、それとも…………。
「お、おじさん」
 冷たい水の流れる地下水路に、かれらはいるようだった。ダストシュートのような穴を滑落してきたことは覚えている。傍に、意識のないラボ・コートの姿があった。とりあえず水から引き上げなければ、水の冷たさで体力が失われてしまう。
 黒い迷彩服を抱え上げたとき、彼の首からロケットがぶらさがっているのにアゲハは気づいた。
「…………」
 なにげなく手が伸びる。あ、と、小さくアゲハの唇から声が漏れたとき――、はしっ、と、ラボ・コートの手がアゲハの手首を掴んだ。
「あっ、ご、ごめんなさい」
「見たのか」
「そ、そんなつもりじゃなくて、つい……」
 起き上がると、装備を点検する。不足がないとわかれば、軽く頷き、
「行こう」
 とだけ言った。
「三時の方向で戦闘が行われている」
「えっ。私、なにも聞こえな――」
 返事を待たず、ラボ・コートは動き出していた。
「ま、待って。もしかして怒ったの? ごめんなさい、見るつもりじゃなかったの、その写真――」
「もう死んだ人間だ」
「…………。その人のために、ここへ来たの」
「まさか。雇われたからさ」
 地下水路の中を、ふたりぶんの足音が反響する。
「……おじさん、かわりに私の秘密も話すよ」
「聞いても仕方がない」
「でも聞いて。……私――いいえ、私の一族はね、ずっと昔に、ヴァンパイア・ロードの牙にかかったの」
「…………きみも吸血鬼、ということか?」
「ううん。そうじゃない。でも、その血はひいてる。半端な――、でも夜に生きなければいけない一族」
「その『祖』がリッキー2世だと?」
「わからない。でもそれを確かめにここへ来たの」
 アゲハは自分のダガーを握りしめて言った。
「夜の名前は――もう捨てたかったから」

「カズマはどこだ!」
「見当たりませんッ!」
「勝手なことを」
 ヘンリーは舌打ちする。水路を抜け、城の下層へと続く場所に、ヘンリーたち聖騎士団はいた。水路での闘いを経て、予想を越えて傷付き、倒れた者が多いことに、ヘンリーは眉をひそめた。
「ともかく、今さら後には引けん。上を目指そう。思いのほか手間取ってしまった」
 愛用の鞭を確かめつつ、石造りの階段を駆け上がる。天井の高い、広間のような場所へとかれらが差し掛かったとき――
「教授ッ!」
 武装したゴブリン兵の一団が、そこかしこから沸いて出るようにあらわれ、かれらを取り囲む。
「雑兵だ。一気に行くぞ」
 号令一下、騎士団の弓兵たちがボウガンを射った。風を切って唸った矢は次々と、ゴブリン兵たちの防具をも突き通し、彼らを打ち倒してゆく。
「矢尻はミスリル製、魔物どもには効果てきめんだ、撃ちまくれ!」
 鞭を振るいながら、ヘンリーが叫んだ。――そのときだ。
 まったく予期せぬ方向から銃声とともに、ゴブリン兵たちの悲鳴と怒号が伝わってきた。
「お、おい、あいつは!」
「あ、あの黒い迷彩……」
「《ラボ・コート》だ!」
「東京にいたのか!!」
 百戦錬磨の聖騎士団のあいだに狼狽が走った。かれらが示す方向には、2丁拳銃の男が、寡黙に、リズミカルに、両の手それぞれに持った銃を撃つ姿が見てとれた。それは面白いように敵の急所を射抜いてゆくのだ。
「教授、引きましょう。《ラボ・コート》があらわれた以上、ここは焦土と化します」
 聖騎士団のひとりが進言するのへ――
「いや。もうスイッチは押されてしまったのだ。この闘いはやめられない。前へ進もう。彼もハンターなら、その後に続けばいい」
「ハンターですが、《ラボ・コート》は血も涙もない傭兵です。聖騎士団がかような兵士と轡を並べて闘うなどと……」
「そんなことを言っている場合ではないんだ。時間がない!」
 ヘンリーは叫んだ。
(時間が――)
 いつになく、その精悍な横顔に焦りの色があるのを、騎士たちは気がついたかどうか。
 ともあれ、そんなヘンリーと騎士団のやりとりをよそに、ラボ・コートは着実に敵を仕留めつつ、前へと進んでいた。
 だが、敵は多勢。まして姑息な闘いをなにより得意とするゴブリンたちが相手であった。今まさに、ひとりのゴブリンが隙をつき、ラボ・コートの背後へと回り込む――
「ぐぎゃっ」
 悲鳴。ラボ・コートが一瞥をくれると、脳天をダガーにえぐられたゴブリンが倒れるところだった。
「後ろはまかせて」
「ありがたいね、ボス」
「冗談で言ってるんじゃないわ!」
 アゲハは、身軽に跳躍すると、つむじ風のように脚を旋回させて、襲い掛かってくるゴブリン兵をふたり同時に蹴り倒した。
「私だって、モンスター・ハンター……久良木アゲハよ!」
 威勢のいい名乗り。唇に微笑を浮かべながら、ラボ・コートは手榴弾のピンを抜いた。



 藍原和馬は捨て子だった。
 この時勢、それ自体はさほど珍しいことではない。ただ――、路地裏で泣いていた赤ん坊を拾ったのが、モンスター・ハンターの男だったということ以外は。
 どういう気まぐれを起こしたか、ハンターの男はその子どもを育てることにした。不器用な、闘うことしか知らぬような男だったから、子育ても荒っぽい。和馬が物心つくやいなや、それは育児というよりは、いつのまにか訓練になっていた。モンスターたちと闘うための、武術から魔道にいたるまでのあらゆる技と知識を、彼は子どもに伝えた。あるいは最初から、自分の後継者にするつもりだったのかもしれない。あるいは、子どもが青年になる頃、自分が敵の手にかかって無残な死を遂げることさえ予見していたのだろうか。
 ともかく、それ以来、和馬はたったひとりで、ヴァンパイアたちを狩り出す狩人になったのだ。
 流れゆく先に、《東京》を支配する吸血鬼の王の存在を耳にした。
 同時に、接触してきたヴァチカン聖騎士団から持ちかけられた作戦は渡りに舟であった。しかし、ただそれだけのことで、和馬は、聖騎士団の戦士たちとも、旧世紀の映画に出てきそうな熱血教授とも、とくに協力するつもりはなかった。
 だから、魚人ごときに手間取っている連中は後に捨て置いて、さっさと先へと急いでいるのだ。
 そして今。その和馬の鼻先には――ぎらりと輝く白刃が突き付けられている。
 日本刀を持った和服の女……黒澤早百合と、対峙しているのだ。
「物騒だなァ、姐さんよ」
「この城の住人?」
「さァ、どうだかね」
「……あなた……獣の匂いがするわ」
「…………」
 二対の黒い瞳が火花を散らした。一瞬の間の後、早百合の刀が和馬を袈裟がけに斬った――かのように見えたが、和馬はまるでサーカスのように宙を舞い、一回転して早百合の背後に着地する。と、同時に、和馬の脚は早百合の真後ろで斧を振り上げていたゴブリン兵を床に沈め、狙いを外したかに見えていた早百合の刀は和馬の背後に忍び寄ってきていたミイラ男の首を刎ねていたのだった。
 ひゅう、と、口笛。
「歌以外のものを褒められるのは複雑だわ」
「姐さん歌い手かい」
「本業はね。……本業に専念するためにも、包丁、振り回さないといけないのよ」
 早百合は歩き出した。和馬がその後をついてゆく。それはまるで飼ってくれる人間を見つけた犬のようでもあったし、獲物が隙を見せるのを待つ狼のようでもあった。

 骸骨のピアニストが、骨で出来た鍵盤を弾く。その傍では同じく死人の楽団が、骨からつくった楽器を奏でているのだった。死者のオーケストラが、大広間を冒涜的な音楽で充たすとき、死人の舞踏会が始まるのである。
 豪奢なシャンデリアにはちろちろと鬼火が灯り、屍体の給仕たちが腐汁のしたたる料理を配膳してゆく。そしてフロアに踊るのは、一様に青白い肌をし、とがった犬歯を持つ男女たち。
 今まさに吸血鬼たちの饗宴が幕を開けようとしているのだ。
 この場で、生きているものはたった一人。上座の壇上にある、豪華に椅子に坐らされているセレスティだけだった。その身体を、戒めるようにとりまいているのはイバラの蔓である。そしてその傍には、例の、教会にあらわれた女吸血鬼が、夜会服をまとって控えているのだった。
「ごらんなさい」
 その囁きはどこまでも甘い。
「もうすぐ、これが日常になる。地上はすべて死者たちのものになるのよ。城主様の、闇の帝国が完成すればね。……セレスティ卿。あなたもこちらへいらっしゃいな。あなたは美しく、頭もいい。あなたのような人間こそ、わたしたちの王国にはふさわしいわ。わたしたち、きっといいお友達になれてよ」
「願い下げですね。……死者の舞踏会とは、茶番にも程があります」
「……まだ自分の立場が分かっていないようね」
 女のなまめかしい紅い唇から、鋭い牙がのぞいた。
「いいこと。あなたの作戦は失敗したのよ、ヴァチカンの聖騎士さま。聖騎士団をけしかける一方で、さらに複数のハンターを別々に雇う。陽動のつもりだったのかもしれないけれど、そんなこと、伯爵様は皆お見通し。ハンターどもも今頃この城のどこかで屍をさらしているでしょうよ」
「さて、どうでしょうか」
「…………随分、余裕があるな」
 その声に、セレスティのみならず、女吸血鬼も顔をこわばらせた。
「伯爵様」
 セレスティは周囲の温度が急激に下がったような感覚にとらわれる。黒い礼服の、やせた背の高い男が、悠然とそこに立っていた。
「リッキー2世」
「ようこそ。わが城へ。……今宵は、わが闇の王国の栄光を祝してご覧の通りの夜会が開かれている。聖騎士団長どのをお迎えできてわたしも嬉しい」
「……」
 セレスティの静謐な湖水を思わせる瞳が、氷の厳しさで吸血鬼の王を見据えた。
「……貴公、まだ、わたしをたばかった気でいるようだな。――これを見たまえ」
 伯爵の合図とともに、広間の壁の一画が地鳴りとともに開きはじめた。
「あ、あれは……!」
 そこに据え付けられている、巨大で、得体の知れない機械を見て、セレスティが息を呑んだ。
「左様。この城は単なる居城ではない。……あれを作動させることができれば、悪夢の次元の扉が開く。文字通り、この世と魔界が地続きになるのだ。……わかるね。一気に闇の軍勢がこの世界になだれこみ……世界のすべてを制圧するのに七日と要しないだろう」
「そんな罪深いことを目論んでいたのですね」
「それは褒め言葉と受取ろう、セレスティ卿。わたしこそは罪の中の罪を負うもの。真なる闇の寵児であるがゆえ」
「……ですがいかなあなたでも、あの装置を動かすだけの魔力をそう簡単に得られるはずがない」
「どこまでも察しのよい。まったく勿体ない人物だな、卿よ」
「そうでしょう? ね、伯爵様。このひと、わたくしに下さいな。構わないでしょう? ねえ――」
 口を挟んだ女吸血鬼を、しかし、伯爵は無言で殴った。いや……、かるくその手が触れたとしか見えなかったのに、女は血を噴いて数メートルも吹き飛んだのだ。
「こらえしょうのない女は好かない。……どこまで話したかな、卿。おおそうだ。あの装置を動かす算段ならすっかり出来ているのだ。あとは、最後の部品が届くのを待つだけ」
 セレスティの目が、はっと見開かれる。
「まさか――」
「……そう、あるいはもう到着しているというべきか」
 まるでその言葉がなにかの合図ででもあったというように――
 ざっ、と、一糸乱れぬ動きで、ワルツを踊っていた吸血鬼たちが、さぁ……っと、広間の中を開ける。セレスティと伯爵のいる壇上からまっすぐに、広間の入口を見据えたところに、一組の男女だけが立ち尽くしていた。
「あらあら、見つかってしまったわ」
「そもそもどう考え立って和服は浮いてるだろうが」
「そうねぇ。どうしましょ」
「せっかくのご招待だぜ。せいぜい踊ってやろうじゃない」
 優に百人は越そうかという吸血鬼たちが、目を紅く輝かせて、ふたりを見つめている。にもかかわらず、不敵に微笑む、和馬と早百合であった。

 低い地鳴りが轟く。
「いかん。まさかもう……始まってしまったの、か?」
 ヘンリーたちが駆け登っているのは、階段上の回廊である。回廊はゆっくりと螺旋を描きながら、上へと登っている。城の上層へと続いているのだ。
「なんだろう。なにかとても悪い予感がする」
 アゲハが言った。
「急ごう、おじさんたち」
「おじさんたち、か」
 苦笑しながら彼女に続くヘンリーと、ラボ・コート。聖騎士団――だいぶ脱落者が出て数が減っている――は、重装備のため、さらに遅れている。
「《ラボ・コート》くん」
 走りながら、ヘンリーが、傭兵に話しかけた。
「わたしもきみと同じくセレスティ卿の作戦によってここへ来た」
「……他にもハンターがいるらしいのはわかっていた。ま、関係ないがね。わたしはいつだって、目の前の敵を殺すだけだ」
「……そうだ、それでいい。でも、わたしにもしものことがあったときのために聞いておいてくれ。わたしだけが、作戦の全貌を聞いている」
「敵を倒す以上になにか?」
「今夜は満月だ。そして伯爵は、そのおそろしい計画を、今夜決行するつもりなんだ。セレスティ卿は、それを阻止するために、今頃わざと――」
 熱風!
「……何!?」
「嘘でしょ」
 螺旋の回廊の一方は、吹き抜けである。今、そこから鼻づらをのぞかせ、燃える吐息を吐かんとしているのは、象ほどもあるトカゲ……いや、はっきりとこう呼んだほうがいいだろう――ドラゴン、と。
「伯爵め、こんなものまで飼っているのか」
「来るぞ」
 ごう、と、業火が、城内の空気を焦がした。
 その鈎爪が、吹き抜けから階段の上に巨体を這い登らせるにあたって、石の階段をがらがらと崩していく。
「どうする。まともに闘える相手じゃない」
「戦車でもあれば別だったがね。せめてロケットランチャーでもあれば」
「ロケット……そうか。アゲハくん、戻れ!」
 言われるまでもなく、アゲハがこちらに駆けてくるのが見えた。しかし先へ進むにはこの怪獣を越えていかねばならない。
 ヘンリーは背負い袋から、一見、銃のように見えるものを取り出す。
「三人、持ちこたえられるかどうかは、神に祈るしかない!」
 吹き抜けの上部へ向けて射出。銃器からはワイヤーが飛び出した。反対側の壁にその先端が突き刺さるのを確認すると、ヘンリーは――
「アゲハくん、ラボ・コート、掴まれッ!」
「えっ、まさか」
「無茶をする」
 間一髪、ドラゴンの爪がかれらのいた場所に振り降ろされる。
 だが、そのとき、空中ブランコのように、ヘンリーと、彼につかまったふたりの身体は宙を舞っていた。
「ちょっと待ってよ、ドラゴンって翼がある――」
「ここから先はわたしの分野じゃないな。ラボ・コートくんに言いたまえ」
「勝手なことを!」
 アゲハの懸念通り、逃げた獲物を追って飛び立つ巨大な爬虫類。かれらはドラゴンの真っ赤な口の中に、二十三重の牙の列があるのを見た。そして、その中へ、ラボ・コートが手榴弾を放りこむのも。



 貴族めいた華美な衣服に身を包み、紳士淑女然としていたにせよ。敵――いや、その時点ではかれらの認識としては獲物――を前にすると、どの吸血鬼も、本能を剥き出しにして、かッと牙のはえた口を開き、掴み掛かってくる。そのさまはおよそ貴族などとは呼べぬ、獣のふるまいに他ならなかった。
 むんず、と、双方向から襲い掛かってきた男と女の吸血鬼の顔面を、和馬は両の手でそれぞれ掴むと、一気に引き寄せ、ふたりの頭を同士討ちさせる。ぐしゃり、と音を立ててすでに死している脳漿が飛び散った。
「三十二、三十三!」
 喜々として、数え上げるのは――
 和服の裾を片手でからげながら、とても着物を着ているとは思えぬ速度で吸血鬼の群れのあいだを駆け抜けてゆく早百合。それだけではない。まるで風にゆれてしなだれかかってる柳の枝を払い除けるように、やんわりとして見える所作で、しかし、ふるうのは一振りの日本刀。その刃は吸血鬼の不浄な血で汚れている。
「二十四、二十五、二十六、二十七……!」
 四体の吸血鬼の躯が、彼女の駆け抜けた後に残った。
「お退きなさいな。二度目の死を迎えたくなければ。この黒澤早百合の“百人斬り”。止められたものは今まで誰もいないのよ」
 それは鬼神と羅刹の競演だった。
 和馬はそのあいだも、次々と、吸血鬼に組み付き、時には噛み付かれさえしながら、しかし、肉を切らせて骨を断つとばかりに、自身の腕に噛み付いたままの吸血鬼の身体を振り回し、床に叩き付けてその首の骨を折るなどという荒技をやってのけていた。
 その眼光が、遠く壇上に立つ黒衣の伯爵をねめつけた。
「待ってろよ」
 瞬間、脳裏を横切る遠い記憶――
(逃げろ、和馬…………おまえでは、ヴァンパイアの力には――)
 あとは言葉にならず、かわりに口からは血の泡があふれた。
「あのときはそうだったかもしれねェ。だが今はどうかな」
 にっ、と和馬が不敵な笑みを見せた。だがそれに応えるように、吸血鬼の王もまた笑ったのである。
「飛んで火に入る、か」
 ゴゴゴ……と、また低いとどろきとともに、広間の天井がゆっくりと開いてゆく。星ほひとつない漆黒の夜空がそこに広がった。
「闇の帳よ、しばし退け。今宵は美しい満月であるゆえに」
 呪文めいた囁きとともに、夜空はまたたく間に晴れていった。ちょうど、城の真上――中天に、不吉なほど巨大な満月が顔を見せる。
「なんだか知らんが、これは大失敗だぜ、伯爵さんよ!」
 和馬が――吠えた。
「いけない、和馬、その力を今使っては!」
 セレスティの叫びが彼に届いたかどうか。
「!?」
 早百合は――さしもの豪胆な女戦士もわが目を疑った。和馬の身体が、着衣をはじきとばして膨れ上がり、一瞬にしてその肌は黒い剛毛に覆われ……そこに立っていたのはヒトではない、獣人だったからだ。
 人狼は、咆哮とともに、駆けた。黒い疾風のように、怨敵を真直ぐに目指した。行手を阻んだ吸血鬼は、ほんの一瞬、その黒い風に触れただけで全身をずたずたにひきさかれた。
「バカめ。愚かなケダモノが」
 だが。そんな和馬を迎えたのは、伯爵の冷ややかな嘲笑だった。
「……ッ!」
 ばさり――、と、伯爵の外套が翻ったかに見えた次の瞬間、かれもまた巨大な蝙蝠と人の中間の姿に変わっていたのだ。ごう、と、風を切って滑空する。凄まじい勢いで正面衝突した二体の獣人は、もつれあいながら、空へと舞い上がる。――しかし、ということはすなわち、翼を持つ蝙蝠人間のほうが有利であるということだ。うまく身動きのとれない和馬の身体を、伯爵は高笑いとともに、例の、得体の知れない機械の頂きへと運び去る。そこには、あつらえたように和馬の身体を拘束する椅子があった。それは処刑台の電気椅子にも似ていた。
「おまえが来るのを待っていたのだよ!」
 悪魔的な翼が、マントに戻った。
「獣と人の血を引くおまえがいれば、人界と魔界の境界をゆるがす力を得られるのだ!」

「遅かったか!?」
 大広間になだれこんできた三人は、むろん、ヘンリー、アゲハ、ラボ・コートである。
「あれがそうか」
「破壊しないと!」
「よし。……ボス、一緒に来い」
「ボスなのに命令されてるー!?」
 ラボ・コートとアゲハが、和馬の囚われた装置の方へと走る。行手を邪魔立てするものはラボ・コートのH&K USPに打ち抜かれ、ひきとめようと追いすがるものはアゲハのダガーの錆と消えた。
 ヘンリーはといえば、壇上のセレスティを目指す。
 その前に、伯爵の側近の女吸血鬼が立つ。狂ったように笑いながら、女が飛びかかってくる。だが、哄笑はそのまま悲鳴に変わった。女の夜会服の胸を貫いて、刀の切っ先が生えている。
「さ、おいきなさい」
 早百合だった。
「あなた、ちょっと素敵だから助けてあげる」
 ある意味、吸血鬼以上に凄絶な笑みを見せた早百合を残して、ヘンリーは駆けた。
「セレスティ卿! すみません、和馬を制御できなかったわたしの責任です」
「そんなことを言っているときではないのです」
 ヘンリーがナイフで、セレスティを自由にする。
「さいわい……天はわれらとともにあるのですから」
 美貌の聖職者は、月の輝く天空を仰ぎ見、なにかを乞うように両腕を広げた。
「我等の祈りをいと高き御者へと運び給え。そは、天主の御慈悲が我等の上に直ちに下らんが為なり」
 その祈りに応えるように――
 雲が去ったはずの空から、さああぁ……っ、と、雨が、大広間へと降り注いだ。
 瞬間、凄まじい悲鳴の嵐が、吸血鬼たちから上がる。雨に打たれた死者たちが、白い煙を上げながらのたうちまわって苦しんでいるのである。広間は阿鼻叫喚の様となった。
「これは……聖水――?」
 ヘンリーの上にもその雨は降ってくるが、吸血鬼たちにとってのような害があらわれる様子はない。
「伯爵があの装置を作動させるために自ら城の結界を解いて雲を晴らしたので、雨を呼ぶことができたのです」
「あとはあれを……破壊できれば」

「セレスティめ。小癪な……。だがもう襲い」
 聖水の雨も、黒衣の伯爵の上には、不可視の力に阻まれてとどかない。悠然と、彼は装置の作動スイッチを操作した。鉄骨を無造作に組み上げただけのようなあやしい機械が、ばちばちと放電をはじめる。頂点の椅子に拘束された和馬が吠え声をあげた。
「見よ。闇への扉が開く。悪夢の世界が現実となり、今この世界は滅びるのだ」
 嵐のような強い風が、夜空に唸りはじめる。そこにも、あやしい稲妻がなにかの先触れのように走りはじめる。
「いけない、始まった!」
 装置の足元に、アゲハとラボ・コートが辿りつく。
「10秒だ」
 傭兵は言った。
「合図をしたら10秒後。これを破壊する」
「え。いいけど、どうやって――」
「早く行くんだ、ボス!」
 かれらは、すでに囲まれていた。聖水の雨に耐えたタフな吸血鬼たちは、しかし、身体のあちこちが溶け出して二目と見られぬ恐ろしい姿と化している。それでも、ゆっくりと、二人ごと装置を包囲して、その輪を縮めつつあるのだ。
「なんかわかんないけど、任せたわ」
 言いおいて、アゲハは身軽に、鉄骨をするすると登ってゆく。
「リッキー2世! 覚悟!」
 ダガーを抜き放ち、アゲハは飛びかかった。
「小娘が」
 吸血鬼の目がかッと、紅く輝く――。だが。
「貴様……?」
「私に、ヴァンパイアの魅了は効かないわ。――同じ種族だから」
「ちィッ」
 切り付けられて、飛び退く。その一瞬の隙に、アゲハのダガーは和馬の拘束具を切り裂いていた。
「いくぞ!」
 ラボ・コートの怒声。
「ねえ、跳べる?」
 アゲハが、和馬に肩を貸しながら聞いた。
「あ、ああ。……しかし、あのおっさんは――」
 和馬は、しかし、アゲハの横顔を見て黙り込む。彼女の目は、その解答に行き当たっていることを物語っていた。他に方法がなかったのだ。
 和馬が、人間離れした獣人の跳躍力で、アゲハを小脇に抱え、そこを脱する。
 同じ頃、吸血鬼たちはおしよせる津波のようにラボ・コートに大挙して襲い掛かっていた。だが――
「…………ミッション完了」
 ばッ、と、黒い迷彩服の前を広げた。服の内側と、彼の胴回りには……大量のダイナマイトがあった。

 その爆発は、東京の真っ暗な夜に久方ぶりにあがった花火のように、輝かしく闇夜に散華して見えた。
「そんな――」
「ラボ・コートくん」
 早百合とヘンリーが息を呑む中、もうもうたる爆煙の中から、呪わしい声が響いてくる。
「おのれ…………定命の身のぶんざいで…………わたしの、何百年もかけて練り上げた計画を……」
「馬鹿野郎」
 和馬という名の人狼が、爆風のあおりをくって地上に墜落した伯爵の頭を、鋭い爪のある手でがっしりと掴んだ。
「おまえはもう終わりだ。今、ここでな」
 獣人が渾身の力をこめれば、無残な音を立ててながらその首をねじ切ることもたやすい。恐ろしい悲鳴が、不死の貴族の口から迸る。首を失った胴体は、まだ生きているように動いている。だが、それへは、アゲハのダガーがとどめを刺した。まっすぐに心臓に刃が突き立てられると、血が噴水のように噴き出す。
 まだ繋がってでもいたように、頭が悲鳴を上げたが、和馬の怪力が、その頭を掴み潰していた。
「晴れていくわ、空が」
 早百合が指し示したように、月だけでなく、星の光も、東京の空に戻ってきたようだった。
 それは、悪夢の城の支配者の最期を意味していた。

エピローグ

「……で、結局、リッキー2世はあなたの一族を咬んだ『祖』ではなかったわけね」
 早百合の問いに、アゲハは頷く。
「また旅は振り出し。でもいいんです。ヴァンパイア・ロードのひとりがいなくなっただけで、世界のバランスはかなり変わったはずですから」
「たしかに。東京もこれですっかり平和になっちゃって。……私も商売上がったりだわ」
「早百合さん……本業は歌手なんじゃ……」
「それで食っていけたら苦労しないわよ。……そうだ、アゲハ、あんたまた旅に出るんでしょ。今度こそ私を雇いなさいよ」
「いやですよ、めちゃくちゃ高いじゃないですか」
「安くしとくわよ、ローンでもいいし。ね?ね?」
「えーっ。どうしようかなァ」
 そう言って笑うアゲハの胸には、銀のロケットが光っている。

「長い闘いでした……」
 セレスティは、そっと目を伏せた。犠牲者に黙祷をささげるように。
「まだ復興には時間がかかるでしょうが」
「大丈夫ですよ」
 ヘンリーが、セレスティの車椅子を押しながら笑った。
「教授のおかげです」
「さて、どうだか。もう私のような年寄りの出る幕ではなくなったような気がしますよ。ともあれ、これで亡き妻への約束は果たせましたからね」
「この後、教授は――?」
「まだ決めていませんが。……マヤにアステカ、エジプトに、イースター島。行ってみたいところ、行かなくてはならないところはたくさんあります」
「夢がありますね」
「ええ。夢を見るために、人は生きているんです。悪夢なんて、いつまでも続かない」

 ヘンリーとセレスティが散歩する教会から、すこし離れた、丘の木陰では、和馬が草の上に寝転がっていびきをかいていた。
 空は晴天。
 やさしい風が、悪夢の時代の終わりを告げている。

(完)

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■   C A S T               ■
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文化人類学者、ヘンリー教授
……【1439/桐生・アンリ/男/42歳/大学教授】

獣人のハンター、和馬
……【1533/藍原・和馬/男/920歳/フリーター(何でも屋)】

聖騎士団長セレスティ卿
……【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】

演歌歌手兼ハンター、早百合(通天閣・虹子)
……【2098/黒澤・早百合/女/29歳/暗殺組織の首領】

黒い迷彩服の傭兵、ラボ・コート
……【2585/城田・京一/男/44歳/医師】

闇の血を引く少女ハンター、アゲハ
……【3806/久良木・アゲハ/女/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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大変、お待たせいたしました。
『リッキー・ホラー・ショウ 〜Tokyo Nightmare〜』をお届けします。
まあ、なんといいましょうか、とにかく、あんまり頭は使わず(笑)
ノリと勢いだけでつっぱしってみました。
今回、二組に分けてのお届けになっていますが、こちらはわりと『表』というか、
正統派な感じの組み立てになったかなと思っております。

>桐生・アンリさま
またのご参加、ありがとうございます。頭脳派、でもアクティブなヘンリー教授は前線指揮官という形で動いていただきました。

>藍原・和馬さま
まさしくウルフマン(!)の和馬さんはこのお話にピッタリ? 以外と機会がなかった変身してのアクションに力を入れさせていただきました。

>セレスティ・カーニンガムさま
車椅子の、美貌の枢機卿って、ちょっと萌えじゃないですか(何言ってるんだか・笑)? 聖水の雨のシーンはなかなかお気に入りです。

>黒澤・早百合さま
珍妙な芸名と曲名をお許しください(笑)。日本刀を振り回す演歌歌手ハンターという設定はもはやWRの想像を絶するイマジネーションです。感服!

>城田・京一さま
自爆キターーー!!←プレイング読後の第一声。ダイナマイトは、たぶんさらしで巻いてます。これ、つっこむところです。たぶん。

>久良木・アゲハさま
はじめまして! いただいた設定がとても面白く、がっちりと組み込まさせていただきました。キャラ的にも楽しく書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか?

それではまた、機会があればお会いできればさいわいです。
ご参加どうもありがとうございました。