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■THE BLUE■

【1252】【海原・みなも】【女学生】
 東京のある一部の地域にその張り紙は隠れるようにして貼られている。

 例えばそれは、地下鉄掲示板。アイドルの大きく載った金融会社の広告に隠れるように。
 そしてまた、何処かのしがない探偵の事務所がある建物の錆びて、くたびれた外装で殆どそれらが見えなくなってしまっているように。
 いやいや、もしかしたら夕刊の中に入っている、数ある目立たないビラの一枚だったかもしれない。

 何処にでもあって、全く見えないような宣伝広告がもしかしたら日常、ふとした時に目にとまることがある。

 カクテルバー・『BLUE』

 その紙には地図とその文字だけが印刷されており、紙自体もそれ程高級感が無く、丈夫な厚紙を『それらしく』印刷してあるだけで学校の白いプリント用紙とさして変わらない。

 さて、どうしたものだろう。どんな方法でも構わない。そんな広告を目にした貴方、蜘蛛の巣のように張り巡らされた路地を進み、果たしてこのようなバーに行こうと思うのだろうか―――?
THE BLUE

■ お父さんからの手紙(オープニング)

 今日のみなもはご機嫌だった。
 どれくらいご機嫌かと言えば、学校で居眠りをしてしまう程であったし、家に帰っても落ち着かず、檻の中のライオン―――いや、人魚のようにぐるぐると部屋の中を歩き回っている程だ。
 いつもならば、真面目なみなもの事、家に帰り食事当番ならばそれをこなしていたし、宿題もしている。ましてや今日のように学校で居眠りなどする筈がない。
(お父さんとお出かけかぁ…)
 ぐるぐると回りながら小さくほくそ笑む。
 そうなのだ。いつもは滅多に家に居ない父とある店で待ち合わせ、そして久しぶりに一緒に出かけようというのだからみなもも落ち着いてはいられない。
 父の手紙を受けとった昨日、みなもはその封筒を眺めつつ胸を躍らせ、ついには睡眠不足がたたっての居眠り、帰ってきてからは待ち合わせに相応しい服を選びながら部屋中を駆け回っている。
 特別な日の身支度を、淡い水色のワンピースと白いショルダーバックで落ち着かせ、鏡を見れば、細身の愛らしい少女がそこにいた。

■ 待ち合わせは?(エピソード)

 楽しみに家を出たまでは良かった。待ち合わせの時間まで店で楽しめるようにと早く外出したみなもは、父の手紙に同封されたチラシのような物に書いてある地図の通りに歩いた。―――が、
「えっ!? こ、こんな所を通るの?」
 立ち止まった場所は暗い路地の手前で、コンクリートの壁にはいかがわしいらくがきや、銃の弾痕なのか、それとも誰かが喧嘩をしてつけた傷なのか、無数のへこみまでがありありと見えていて、そこに道があるというのに大きな壁に突き当たったような気がしてしまう。
 コンクリートの壁同士の隙間から夕刻の空がみなもの青い髪を照らし、風が彼女の髪を撫で夕暮れの海のように波立だたせては此方へおいでと誘っている。
「うっ…でも地図通りに歩いたもんね…」
 ありったけの勇気を振り絞り、中学生というまだ未発展な精神を奮い起こすと、みなもはまた地図を頼りに裏路地の奥へ、奥へと進み始めた。

 路地の壁、そして借り店舗の殆どは閉まっていて、続くのは殆どコンクリート壁のみ。道自体もかなり狭いもので、時々ある分かれ道では少し開けた場所になったものの、このまま歩いていて本当に父と約束した店に辿り着けるかと細い身体が少しだけ震える。
「あ、あの…この辺に何かご用事ですか?」
「きゃあっ!!」
 後ろから急に細く高い声がかかり、みなもは驚愕し振り返る。髪と同じ青い瞳が潤み、これでもかとばかりに見開かれた。
「あっ、ごめんなさい。 ここって結構危ないので…、一人で歩かれると危ないなって思ったんです」
 見れば神聖都学園の白いブレザーに身を包み、大きな鞄とスーパーの袋を片手にした、亜麻色の髪の少女がみなもを見上げている。
「ううん、声をかけてくれてありがとう。 ここって結構暗いし…怖くて…」
 小柄な少女の姿にほっとしたみなもは、胸を撫で下ろし、
「あのね、この辺りにお店ないかな? あたしそこでお父さんと待ち合わせなんだけれど」
 プリント用紙のようなチラシを見せれば、茶色い瞳が覗いてくる。
「ああ、ここ! すぐそこにありますよ。 私そこの店員なんです」
 にこにこと微笑む少女の顔は少年のようにも見えて、みなもはとにかくこの暗い路地から抜け出す道しるべを見つけたような気持ちで心が躍った。
「案内しますね」
「うん。 ありがとう」
 父が指定した店とはどんなものだろうと、先頭を行く少女の背中を眺めながら次第に近づいてくる小さな明りの灯った壁を見る。
「ば…バーなの!?」
「はい、バーです。 『BLUE』って言うんですよ」
 中学生。まさかこの歳で大人の通うようなバーに入るなんて思ってもいなかったみなもは、至極当然という顔をしている少女に信じられないという気持ちでいた。
(あたしより年下…だよね? こんな所に…)
 頭が一瞬パニックに陥り、白く細い指でおでこを押さえる。
「あ、あの…私はバイトで…この制服でわかっちゃうと思うんですが、神聖都学園高等部の朱居優菜って言います」
 「学校にはナイショですからね?」と、悪戯っぽくその小さな口に人差し指を当てて見せた。
「あ、あたしより年上…だったんですか!? ごめんなさい…」
「ううん、私なんて小さいですし、貴女みたいに大きくなれたらなって思うの。 それに、こっちだって今まで年上だとばかり思っていましたから」
 女の子同士、お互いの自己紹介をして笑いあうと今までこのお化け屋敷のような怖さや緊張から全て解き放たれた気持ちで、みなもはそういう意味でも小さく笑う。
「でも朱居さん、未成年が入って良いの?」
 木製のアンティーク飾りが施された扉。嫌いな雰囲気ではなかったし、寧ろ中がどんな風になっているのかも興味があったが如何せん、父に未成年の禁酒を言いつけられているのだ、はいそうですか、などと入れるわけがない。
「うーん…萩月さんはちょっと難しいけれど、紅茶を頼んでいれば平気だと思いますよ」
 少しだけ考え込んだ朱居はなんでもないとでも言うように、そのまま扉を開けた。
 ガラン…という銅の鈴の音と共にオレンジ色の淡いライトがみなもと朱居を包み込む。
「朱居入ります」
「優菜さん、また店長が居なくなって……これは……」
 バイトの慣れた口調で入っていった朱居についていくと、カウンターからバーテンの格好をした、黒髪長髪の男性が現れた。
「お邪魔します」
 どこかで見たことがある顔だと、縮こまりながらみなもはとにかく挨拶と礼をする。
「海原…みなもさん、でしたよね? この間はどうも」
「副店長、お知り合いだったのですか?」
 みなもを青く切れ長の瞳で確認した男性はあさっての方向を見ながらも考え込んでいたようだったが、
「ええ、以前とある場所で依頼をした折に」
 と、苦笑しつつ丁寧に挨拶をし、席に案内させた。
「あの、以前依頼でお会いした萩月さんですか? あの時の雰囲気と違ったので…あたし」
「別人だと思いましたか?」
 カウンター真ん中の席に座ったみなもは、目の前に広がるグラスが星のように光る様に瞳を奪われつつ、萩月の言葉にぶんぶんと首を振りながらうなずく。
「あの時はあんなに異臭のする物を持っていましたからね。 私自身は考えてもいませんでしたが、お客様が酷いお顔をされるので慌てて店を出たものですから」
 きつい表情が少しだけ緩み、彼から女性のような雰囲気を漂わせる。
「今はお客様の来る時間じゃないから副店長も少しは笑ってくれるんですよ、いつもなら絶対笑ってくれませんから」
 奥の部屋で同じくバーテンの服に着替えた朱居が、みなもの隣で耳打ちをしてきて、
「えっ、じゃああたし早く来すぎてしまったんですか?」
 父と会えるという事で夜の店としては早い、自分の来店に戸惑うと今更出来はしないが、家でもう少し時間を置いてから…などと考えてしまう。
「ううん、いいんですよ。 海原さんは何かオーダーしますか?」
 ショートカットの髪の毛が揺れ、否定するように首を振った朱居はみなもの肩を小さく叩くとウィンクしてみせた。
「えっと、じゃあ紅茶をいただけますか?」
「かしこまりました! えっと、私のお勧めでいいでしょうか?」
 何を考えたのか、萩月のほっとした表情をよそに、朱居はカウンター端の小さな棚から銀色に輝く箱を取り出す。
「アップルティーなんですけど、よく紅茶を頼むお客さんが美味しいって。 ダージリンもいいけれど、海原さんはどっちがいいですか?」
 「アールグレイもありますよ」と、色々な茶葉を箱から取り出し、一つ一つの封を開けるとみなもにその香りを試させてみる。
「アップルティー。 甘くてすっぱくて良い香り…これにしようかな」
 最初はどれも同じような香りがすると思っていたみなもであったが、同じ色でも朱居の出すアップルティーからはまるで本物の林檎のような香りが漂い、鼻をくすぐったので沢山つまれた紅茶の袋からアップルティーを抜き取ると、カウンターに置いた。
「かしこまりました。 淹れてきますね」
 他の袋を箱にしまい、みなもの前に置いてあるアップルティーの葉を持った朱居は、
「副店長、お店の方宜しくお願いします」
 と、コンロがあるのだろう。カウンターからは見えない奥の方へと行ってしまう。



 大人の店であるカクテルバー。まさかこんな裏路地にあるとみなもは思わなかったが、もっと驚いたのは外の荒れようと相反して、店はほぼ新品であり汚れ一つ見つからないテーブルや椅子、そしてずっと彼女を照らしている淡いランプの全てにアンティークの美しい装飾が施されている事であった。
「綺麗なお店ですね…」
「有難う御座います」
 思わずついて出た言葉に萩月が返し、いつかこんな店にカクテルを飲む目的で父と来店してみたいものだと、まだまだ先のことであったがみなもは思う。
「あの、萩月さん」
 思ってから、あることを思いついたみなもは白いショルダーバックからイルカのマークのついた手帳とシャープペンを取り出すと、
「お酒の混ぜ方とか教えてもらえませんか?」
 どうやらそこにメモして覚えたいらしく、カウンターから身を乗り出した。
「海原君…そうですね……大人の方につくって差し上げる。 のですよね?」
「はい! お父さんに作ってあげたら喜んでくれるかな、って思ったんです」
 萩月は念を押しているつもりだが、みなもは既に父に作ってあげる事だけしか考えていない。
 青く丸い瞳がキラキラと照明の光でグラスに輝く星のように光った。
「了解しました。 シェイカーは一般家庭であまり使わないと思うので、バー・スプーンでの方法と材料の事をお教えいたしますね」
 観念したと、萩月はみなもをカウンターに連れてくる。棚からグラスとスプーン、そして数本の酒瓶を取り出して。
「こんなにいっぱい使うんですか?」
「一応こういうものにはいちいちご大層な名前がつくので…道具も沢山あったりするのですよ」
 「使うのはご家庭でしょうからこの半分だとは思いますけれど」と、萩月は炭酸飲料と色のついた酒瓶らしきもの、そしてグラスとスプーンを取り分ける。
「そもそもカクテルは飲料グラスに材料を注ぐたけで基本技法としてビルドとついておりますからね、混ぜ方というよりただ入れるだけに近いですが、一応覚えて置いてください」
 メモをとるみなもを尻目に、萩月の注いだグラスにはソーダと茶色いお酒がそれに薄まり、赤くなった物が出来てきた。
「でもそれだけじゃないんですよね?」
「ええまあ、でもこれも簡単なもので、スプーンを入れて混ぜるだけですよ。 これも基本ですけれど」
 赤く透明なグラスの中に鉄で出来たスプーンが踊るのを、みなもは目をくるくるさせながら眺めている。
「これは炭酸飲料も入っていますから、炭酸ガスが抜けない様に2・3回程でやめた方がいいですね…。 やってみますか?」
 意外と簡単に出来てしまうカクテルに驚きながら、みなもは萩月の作った順番やスプーンの持ち方を真似て飲料を混ぜ合わせていく。
「でも、こうしていると本当にジュースみたいですね」
「ジュースではありませんから。 絶対にお父様につくって差し上げる時以外はやめてくださいよ」
 「はぁい」という浮かれ気味な返事に一抹の不安を抱きながら萩月はみなもの手つきを良く観察しては間違った所を指摘した。

「海原さん、紅茶冷めちゃいますよー」
「あっ、有難う御座います!」
 何時の間にだろう、カウンターの席には朱居が座っており、柔らかな林檎の香りの漂う紅茶が目の前に置かれている。
「カクテルを作っているのでしたら、おつまみ程度の品物も作れるようになりませんか?」
 賢明にカクテルの混ぜ合わせに励むみなもに、朱居は白いバー用のメモ用紙に書かれたレシピを差し出す。
 ただ、混ぜ合わせるというのも意外と難しく、萩月は分量や混ぜた回数もそれなりに指摘しているのでなかなかどうして、一回で終わりました。とはいかないものだ。
「いいんですか!?」
「ええ、ここはバーだから調理場は無いけれどちょっとレシピのメモをしておいたので今日お父さんに作って差し上げてください。 …あ。 材料はここに来る前のスーパーで私が買ったものなんですが、良ければおすそ分けしますね」
 用意が良いのか、朱居は年頃の女の子が気にするスーパーのビニール袋ではなく、少しだけお洒落なこげ茶色にシマの模様が入った紙袋に材料を入れていた。
「ありがとうございます。 こんなに頂いて…」
「ううん、でも中身はイカも入ってるから、お父さんと出かけ帰りにまた取りに来たほうがいいかもしれないですね。 手間になっちゃうけれど」
 みなもが中身を覗き、この材料で何が出来るのだろうとレシピを見れば、走り書きで『ロールイカ』と書かれていて、
「お父さんなら少ししょっぱいものの方がおつまみになるでしょう?」
 そういえば、この間父と飲んだ時は自分に遠慮をして甘い物を出したのだろうと、みなもは今度は自分が父を喜ばせようと、心の中で小さなポーズをとってみる。

 そうして、ひとしきりアップルティーを飲みながらレシピを読み、確認し終えた頃、
「海原君、お父様ではないですか?」
 萩月の声にカウンターから振り向けば、扉の向こうの小さな星空の下、待ちに待った父がいてみなもは飛び出さんがばかりにその元へ駆け寄った。
「お父さん! あのね、あたしお父さんの為に色々覚えてきたよ!」
 まだ幼い少女のように父の大きな腕に絡み付けば、同じく彼女の全てを包み込んでしまうような大きな手のひらで頭を撫でられる。
「有難う御座いました! あたし、お父さんに喜んでもらえるようなお酒、作ってみますね」
 父と共にみなもは手を振る朱居や、礼をする萩月に向かい微笑んだ。
 これから出かける父との場所。そこで彼女は何を学び、身につけていくのだろうか。細い足にひらひらと纏わりつくスカートがみなもの心のように舞っていた。

 ―――が、とりあえずの所、今心配すべきなのはみなも自身の料理の腕なのではないか、と、味音痴な副店長。萩月妃はここで教えられなかったつまみの実践的な料理方法について思うのであった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13 / 中学生】

【NPC / 萩月・妃 / 男性 / 27 / カクテルバー『Blue』副店長】
【NPC / 朱居・優菜 / 女性 / 17 / 私立神聖都学園高等部】
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■         ライター通信          ■
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海原・みなも様

こんにちは。三回目までお会いできて光栄です!
カクテル辞書の手放せないライター・唄で御座います。
今回、お父様と待ち合わせとあったのでオープニングはそれを中心に、お店ではあまり専門道具を使わず、分量や混ぜる回数を気にする事を書いてみましたが如何だったでしょうか?
また、『BLUE』の設備に調理施設はないのでラストはあのような形になってしまいました。
因みに、文中で作っていたのはカシス・ソーダで御座います。私の調べではあんな感じで作成されておりましたので、別の技法がある場合申し訳御座いません。
かなり悩みながら、頑張って書かせていただきましたので少しでもみなも様の思い出になれば幸いでございます。
誤字・脱字等御座いましたら申し訳御座いません。
いつもの事ですが、こうした方が・ここが間違っている等御座いましたら真剣に受け止めますので、何かありましたらレターにてお願いいたします。

では、また次にお会いできる事を切に願って。

唄 拝