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■Strangers in New York -Autumn Session-■

雨宮玲
【3404】【祇堂・朔耶】【グランパティシエ兼坊守】
 幼い頃、飽きもせずに眺めていた地球儀はとうに古ぼけてしまい、いつの間にかパスポートと航空券とちょっとばかりの経済力さえあれば誰でも海を渡れる時代になっていた。
 未知なる世界への憧れはシビアな現実に打ち砕かれて、
 世渡りの方法を覚えた代わりに、無邪気な夢はあまり見なくなってしまった。
 別にそれを悔やんだりはしない。
 ――しない、が。

 時々、無性に旅へ出たくなることってない?

 そんな貴方に朗報。
 ええっと、ニューヨークに住む友人が二週間帰国するってんでアパートの部屋が空いてるんですが。猫の面倒を見る代わりに宿代をタダにしてくれるって話で――
 英語が喋れない? 不安なら喋れる奴を一人付き添わせるよ。
 航空券の手配はこっちでやるから、パスポートは自分で取ってきてね。あ、不測の事態に巻き込まれたときの責任は取らないのでよろしく。
 ま、たかだか二週間だし、羽根を伸ばすと思ってさ。どう?
Strangers in New York -A Lost Child in Zero-


    01 prologue

 雲海の底に沈むと、林立するビル群でそれと知れるマンハッタン島が姿を現した。
 旅客機が高度を下げていくにつれ、ぼんやりと霞がかっていた街並みがはっきりとした輪郭を持っていき、やがて一所に密集したビルの合間を行き交う車の動きが視認できるようになる。
 人種、思想、文化、あらゆるものが渾然一体となった街を小さな窓の外に見下ろし、祇堂朔耶は感嘆の溜息を漏らした。ヨーロッパの空港へ降り立つのとは違った種類の感動がある。
 攻撃的、という単語が頭を過ぎった。極めてアグレッシブで、エネルギーに溢れた街だ。それでいてどこか洗練されている。
 成田を飛び立って約十三時間。
 朔耶を乗せたボーイング777は、ジョン・F・ケネディ国際空港へ向けて降下していく。


 二週間分の生活用品を詰めた小さなトランクをピックアップすると、朔耶はタクシーを捕まえに乗り場へ向かった。
 ヨーロッパへの留学経験のおかげで英語にはまったく支障のない彼女だが、慣れない土地を歩くには幾許かの緊張感が必要だ。時差ボケによる頭痛を抱えつつも、背筋はしゃきっと伸ばして歩く。
 日本人の中でもごく平均的な身長の持ち主である彼女は、欧米人の中に半ば埋もれてしまっている感があった。今時珍しいストレートの長い黒髪に赤い瞳という容姿が、辛うじてその存在を周囲から浮き立たせている。
 姿勢の良い立ち姿には迷いがなく、それ故に異邦人に特有の雰囲気も感じられない。が、母国語も髪の色も、背負う文化も違う以上、彼女はこの土地において異邦人だ。
「六年前を思い出すな……」
 つぶやいた言葉は耳に心地良いアルト。しかし彼女のつぶやきを聴く者はいない。おそらく理解できる者も、多くはないだろう。
 タクシー待ちの列がはけた。黄色い車体のキャブの後部座席に乗り込み、朔耶は運転手に英語で行き先を告げた。十三時間ぶっ通しで飛行機に揺られた後には少々こたえる乱暴な運転で、キャブは発進した。
 横目にニューヨークの街並みを見、朔耶はポケットから小さな紙片を取り出す。
 彼女の字で、Brian McRoyと殴り書きされている。その下に依頼人の住所と連絡先。レキシントン・アヴェニュー、110ストリート、とある。
 依頼というのは、端的に言ってしまえば『猫の世話』、である。彼女がパティシエを勤めているホテル伝いに入ってきた仕事だった。知り合いが短期日本へ帰国するのだが、その間アパートが空いてしまうので、宿代を無料にする代わりに猫の世話をしてほしい、と。たまたま休暇が取れたので、朔耶はこの機会を利用することにした。
 依頼人である日本人女性は朔耶と入れ違いに帰国してしまうため、代わりに彼女の同居人にコンタクトを取ることになっている。それがブライアン・マクロイ、マンハッタン内の大学に通う学生だ。もちろん彼とは初対面だ。
 ――猫の世話、か。それほど手のかかる動物でもないし、二週間もあれば観光旅行は十分楽しめそうだ。
 美術館巡りだとかブロードウェイで観劇だとか、一般的な観光客だったらそのあたりが妥当な線だろうが、と朔耶は考える、チープに済ませようと思うとそうもいかない。音楽や美術などといった芸術分野は、本場のヨーロッパで一通り楽しんでしまったことだし。
 ふと、グラウンド・ゼロへ行ってみようか、という気になった。ニュースの報道だけでしか知らない、9・11テロの現場である。
「観光かい、お譲さん」
 運転手に話しかけれて、朔耶は窓の外から車内へ視線を戻した。日本語で思考していたため、咄嗟に切り替えられなかった。
「観光?」と再び運転手が訊く。訛りのある英語だった。
「まあ、そんなものだ」
「ニューヨークははじめてかい?」
「ああ。――ヨーロッパに数年いたが、アメリカははじめてだ」
「道理で流暢な英語を喋ると思った。チャイニーズ?」
「日本人だ」
 それを聞くと、運転手は嬉しそうにコンニチハ、と片言の日本語を口にした。朔耶は笑いながらこんにちは、と返す。
 ――トーキョーへ行ったことがあるよ。忙しい街だねえ、あそこは。
 ――ニューヨークも似たようなものでは?
 ――いやいや、人口を考えてみなよ。あの狭い島国の中に一億以上の人間が住んでるんだろ? 忙しい街だ、本当に。
 俺はトーキョーじゃ暮らせないなぁ、と言って運転手は笑った。気さくな人物だ。
 タクシーはハイウェイを降り、街中へ入っていく。車も人波も絶えないあたりは東京と同じだ。
 目的地へ辿り着き、代金とチップを運転手に渡した。
 良い一日を、貴方もね、という挨拶。
 朔耶を降ろしたタクシーは、新たな客を拾いに通りの奥へ消えていく。
「――ニューヨーク、か」
 実際にビルとビルの谷間に降り立ってみてはじめて、異邦の地を踏んでいるという実感が沸いてきた。
 十八歳で、単身イギリスへ飛び立ったときのことを思い出す。
 感動と不安が半々。ついにやって来たという感慨深さと、故郷から遠く離れてしまったという寂寞感。それと、ほんの少しの疎外感。
 あれから六年も経ったのか――。時の流れは速い。
「……っと、思い出に耽っている場合じゃなかったな」
 つぶやき、朔耶は依頼人のアパートへ足を向けた。


    02 American cat

 そのアパートは、とんでもないというかなんというか、な代物だった。
 とにかく外観が凄まじい。
 軽食などを売っているデリの横に無愛想な戸口があり、蝶番が軋む音に顔をしかめつつ中へ入ると、薄汚い廊下が奥までつづいている。照明は暗く、まだ午前中だというのに夕方のように暗い。天井の隅には蜘蛛の巣が張っている。
 生活感がないわけではない。生活感と、低所得感がたっぷりだ。
「こんなところに住んでいるのか……」
 一抹の不安を抱きながら、朔耶は階段を上った。
 アメリカでは表札を出す習慣がないため、頼りになるのは『201』という部屋番号だけだ。紙切れを何度か確認してから、意を決して朔耶は玄関チャイムを押した。間の抜けたぴんぽんという音が部屋の中から漏れ聞こえてきた。
「…………」
 しばし待つ。応答なし。
 もう一度押す。
 今度は、直後に勢い良くドアが開いた。朔耶は仰け反った。
「イエス?」
 紅毛碧眼の大柄なアメリカンだった。六フィートはあろうかという長身で、ガタイも良い。率直な印象は、「壁だな」、だった。朔耶を見下ろして青い目をきょとんと丸くする様子だけが、妙にあどけない。朔耶より年下かもしれなかった。
「――あー、貴方のルームメイトの依頼で来た者なんだが……」
「ああ、ユキナの友達?」アメリカンの男は、手を差し出してきた。「ブライアンです。よろしく」
 差し出された手を握り返して朔耶は微笑む。
「サクヤ・シドウだ」
「サクヤ? 可愛い名前だね」
 愛嬌のある笑顔を浮かべ、ブライアンと名乗った青年は朔耶を中へ通した。
 朔耶は安堵の溜息をついた。部屋の中はそれはりにまともだったので。さすが街中だけあって部屋はさほど広くなかったが、二人でシェアするならこの程度で十分だろう。
「ユキナは昨日のフライトで日本に帰っちゃったんだ。俺も何日か家空けるから、猫頼むね」
「そのために来たからね。――猫は?」
「あーっと、あいつ照れ屋だからどっか潜り込んじまったみたい。ベッドの下かな。――あ、適当に座って。何か飲む?」
「何か冷たいものを」
「何でもいいの?」
「何がある?」
「コーラとスプライト」
「…………」
 甘い炭酸飲料しかないのか。
 仕方なく、パティシエにとっては破壊的な甘さのコーラをグラスに注いだ。
「幸菜さんと二人でシェアしているのか?」
「そう、学校が一緒でね。ユキナは金持ってるんだけど、俺は貧乏でさー。彼女も逞しいっつーか、若いうちから贅沢な暮らしはしたくないとかいって、こんなボロアパートに住んでるってわけ」
「ああ、確かに外観は結構なものだが……」
 朔耶は苦笑する。
「いや、これが中も酷いんだな。シャワーはすぐ水になるし、建てつけは悪いし、冬場は暖房効かなくて極寒だし。真下がデリでさ、うるさいんだよね」
「……そうなのか……」
「あ、ユキナの部屋はそんなやかましくないから。彼女の部屋と、キッチン、バスは好きに使ってくれていいよ。冷蔵庫の中身も適当に処分しちゃって」
「わかった」
 朔耶は頷く。ろくなものがなさそうな気がしないでもなかった。
「キャットフードは上の戸棚ね。――ヘーイ、ベス、怖がってないで出てこいよ!」
 ブライアンは、猫のものと思しき名前を叫びながら、部屋へ引っ込んだ。すぐに白い猫を抱きかかえて戻ってくる。
「悪いね、シャイなんだこいつ。本名エリザベス、愛称ベス」
 ブライアンの腕の中から、白い猫が臆病な目つきでこちらを伺ってきた。朔耶と目が合うと、ふいとあさっての方向を向いてしまう。
 毛艶の良い、綺麗な猫だった。メスだろう。つんとそっぽを向くその澄まし顔が可愛らしい。
「ハロー、ベス。二週間よろしく」
 朔耶の呼びかけに、ベスはちらりと素っ気無い一瞥をくれる。
「慣れるまで少し時間かかるかもなー。抱いてみる?」
「いや。怯えさせたら可哀想だし、しばらく様子を見るよ」
「そう? ベスのお気に入りの場所は、ユキナのベッド、俺の部屋のクローゼットの上、あとTVの上ね。たまにダイニングの戸棚の中に挟まってることもあるけど。いないときは探してみて」
「オーケー。これでも動物の相手は慣れてる」
 ブライアンの腕から飛び降りたベスは、逃げはしないものの警戒心を解く様子もなく、少し離れた場所から朔耶の動向を伺っていた。ぱたり、と尻尾を動かす。
「時差ボケで疲れてるんじゃない?」とブライアン。
「そうだな……日本は夜だ」朔耶はふわぁぁ、と欠伸を一つした。「少し休ませてもらおうか……」
「それがいいよ。二週間もあればシティの大抵の場所は回れるしね。どこか遊びに行く予定は?」
「そうだね、グラウンド・ゼロへ行ってみたいと思ってるんだが」
「メトロの6番に乗ってダウンタウン方面に行けばいいと思うよ。ニューヨークははじめて?」
「アメリカ自体はじめてだ」
「へぇ、英語上手いね!?」ブライアンは素直に感心した。いちいち感情表現が大袈裟なのは、デフォルトだろう。「ああ、でも……、サクヤの喋ってるの、イギリス英語だよな?」
「ヨーロッパに留学していたんだ」
「へぇ、そりゃクールだ」
 クールだ、と言って青年は朗らかな笑顔を浮かべた。
 ちょっと出てくるから、何かあったらここに電話して、と、ブライアンは携帯電話の番号を置いて出ていった。
 家主がいなくなったので、朔耶は大あくびを一つして、ソファに横になった。
 白猫は、相変わらず微妙な距離を取って朔耶を観察している。
「ハイ、ベス。ご機嫌いかが?」
 ベスは、ぱたり、と尻尾を振った。アイムファイン、の意味だろうか。


    03 Ground Zero

 警戒心の強いベス、こと白猫のエリザベスは、それでも三日目には朔耶に興味を示すようになった。
 朔耶は大抵の動物に好かれる体質の持ち主である。彼女の中の何かがそうさせるのか。ベスも例外ではなかった。
 相変わらずおそるおそると伺うような仕種をしているものの、朔耶がダイニングテーブルでベーグルなどを食べていると、とことことやって来て、無言で自分の朝ご飯を催促したりする。
「ベスは食費がかからないな」
 食器にキャットフードを盛ってやると、ベスは朔耶の足下で朝食を食べ始める。その様子を微笑ましい気持ちで眺めている朔耶。
「ご主人様が留守で寂しくないか?」
 応じるように、ベスは顔を上げた。にゃあ、と一声鳴く。肯定だろうか、否定だろうか。
 ベス相手に英語で話しかけている自分に気づいて、朔耶は苦笑を零した。彼女が人間の言葉を理解しているのだとしたら、それは日本語ではなく英語だろう。それとも、依頼人の日本人女性が日本語でベスに話しかけているだろうか。
「バイリンガルだな」
 日本語で言うと、ベスは、にゃあ、と尻尾を振った。やはり肯定かもしれない。
 ベスの頭を軽く撫でてから、
「さて。ちょっと出かけてくるよ」
 朔耶は席を立った。
 地下鉄のマップとドル紙幣を持ち、アパートを出る。最寄り駅までは数ブロックの距離だった。ニューヨークの地下鉄は北上がアップタウン、南下がダウンタウンとなっており、朔耶はダウンタウンに乗る。様々な人種で賑わう車両の中では、東洋人の朔耶が取り立てて目立つということもなかった。
 人種の坩堝、か。彼らの目には、自分もニューヨーカーの一人として映っているのだろうか、などと思う。
 途中で二回ほど乗り換え、目的の旧ワールドトレードセンター前で降りた。
 一時間後に、ブライアン・マクロイと落ち合うことになっている。美味しいレストランを案内してくれる約束だった。
 階段を上って地上へ出ると、突如がらんと目の前が開けた。
「…………」
 朔耶は無言で、グラウンド・ゼロに立ち尽くす。
 グラウンド・ゼロの意味するところは、「爆心地」である。広島や長崎などをグラウンド・ゼロと指すこともある。皮肉だな、と思った。自分達が原爆を落として破壊した街と、同じ呼び名だなんて。
「ゼロの地、ね……」
 問題の貿易センター跡地は鉄柵で囲まれ、内部に、十字に組まれた鉄骨が象徴的に立っていた。ツインタワーに関する展示がある。
 思ったよりも悲愴感はない、というのが正直な印象だった。観光としてやって来ているアメリカ人も多いように思う。各々カメラを構え、現場をフィルムに収めたりしている。爪痕らしき爪痕は残っていない代わりに、青い空にはためく星条旗が目に焼きついた。
 朔耶はぐるりと鉄柵の周りを歩いてみる。改修作業のようなものが行われているようだが、遠目には判然としない。
 歩いて見て回る分には、なんということはない風景だった。貿易センタービルが健在だった頃を知っていたら、また何か違った感情も沸いてきたのかもしれないが。
「ヘイ、サクヤ」
 不意に横で声がし、朔耶はそちらへ目を向けた。首を変な角度に曲げなければ顔をまともに見れない、長身のブライアンがそこにいた。
「用事が早く済んだから、久しぶりに俺も寄ってみようと思って」とブライアン。「――それほど悲愴な感じでもないだろ?」
「そうだな……」朔耶は鉄柵に目を戻す。無言で天を刺し貫く鉄骨の十字架。「花でも手向けられているのかと思った」
「テロ直後は酷いもんだったよ」ブライアンは朔耶の横で、天を見上げた。かつてタワーが聳えていたであろう空間を。「驚いたよ。それからショックを受けた。現場にいたわけじゃないけど、あのニュースを見てショックを受けない奴はいないよな」
「ああ……」朔耶は頷く。「アメリカンに限らず、俺達日本人も」
「…………」
 ブライアンは無言で宙を見つめている。
 陽気で、終始朗らかな笑顔を浮かべている青年だとばかり思っていた。何か隠された一面を見ているようだった。その青年の、あるいはアメリカ人という人々の。
「――ブライアンはニューヨーカーか?」
「俺? そうだよ」ブライアンはにこりと微笑んだ。「ハーレムの生まれなんだ」
「ハーレムか」
 少し驚いた。ハーレムと聞くと、物騒な地域、というイメージが拭い去れない。
「ニューヨークは俺の街だ。そりゃ、ショックだったさ」
 鉄柵に捕まり、額をくっつけ、ブライアンは中を覗き込む。しばらくそうして黙っていたと思ったら、くるりと朔耶のほうを振り返った。
「サクヤみたいに関心を持ってくれる人がいて嬉しいよ。ニューヨークって良い街だろ?」
「まだ三日だから何とも言えないが……」
 そうだな、と同意する。少なくともこのテロの現場から知れるニューヨーカー達の一面は嫌いではない。すなわち、
「強い国民だな」
 ――あくまで戦う姿勢を崩さない彼らによって支えられた街、だ。
 ブライアンは力強くYes, we areと言った。

    *

 二人は連れ立って近くの教会へ赴いた。
 公開ミサが開かれており、観光客ともネイティヴとも知れない人々が入れ替わり立ち変わり訪れている。
 二人は信徒席の後ろに滑り込んだ。
 朔耶は、テロで亡くなった人々についてぼんやり考え、ブライアンや彼の友人について考え、それから、彼女が死なせてしまった肉親達のことを考えた。
 祈りを捧げる対象はあまりにも多すぎる。彼らに安息を、と言う他ない。
 何を言っても嘘になる気がして、朔耶はただ頭を垂れ、両手の指を組み、静かに鎮魂の祈りを捧げた。
 亡くなった人達へ。心に傷を負った人達へ。
 死者の顔が脳裏を過ぎる。彼女の親友と、従姉妹と、母親と。
 奥底に封印してしまった記憶。
 真っ向から向き合うのは、まだ辛い。
 けれどもう俺は新たな生活を歩いている、と朔耶は思う。ニューヨーカー達がそうしているように。
「何を祈ったの?」
 ブライアンの問いに、朔耶は、色々だ、と答えた。
 教会を出、アパートへ戻る前に、再びグラウンド・ゼロへ出向いた。
 朔耶は小さな声で鎮魂歌を口ずさむ。
 その様子を、ブライアンは黙って見守っている。
 ――主よ、彼らの上に永久の安息があらんことを。
「綺麗な声だね、サクヤ」
「……祈りが、届くと良いのだが」
「届くよ」
 ブライアンのはっきりとした口調は、朔耶を安心させた。
 ――そして、この懺悔をも終わりまで聞き届けて下さいますように。
 爆心地に立つ十字架は、太陽の光を背負って鈍く輝いている。


    04 epilogue

 十四日間の休暇は終わりを告げようとしていた。
 ようやくエリザベスと仲良くなって、彼女の言葉(?)も九割方理解できるようになってきたところだったのだが。
「二週間なんて本当にあっという間だな」
「ベスが寂しがるなぁ」空港まで送りにきたブライアン・マクロイが、残念そうな口調で言った。「ベスもサクヤのこと気に入ってたみたいだよ。あいつ、滅多に人に慣れないんだ」
 俺にもしばらく慣れてくれなかったんだぜ、一月くらい、とブライアン。
「入れ違いで幸菜さんが帰ってくるし、寂しい思いをすることもないんじゃないか?」
「まあね」ブライアンは頷く。「ユキナに拾われたからなぁ。可愛くない性格してるけど、ユキナだけには体当たりで甘えるんだよ」
「捨て猫だったのか?」
「そうだよ。グラウンド・ゼロの近くに捨てられてたって。時期的にもちょうど……、テロの頃だったんじゃないかな。拾われてきてからもずっとびくびく怯えててさ。――あのテロで傷ついたのは、何も俺達人間だけじゃなかったのかもな」
「グラウンド・ゼロの捨て猫か……」
 朔耶は複雑な面持ちでつぶやいた。
「何か、ベスを安心させるようなものがサクヤにはあったのかな」
「どうかな」
 朔耶は肩を竦めた。
 そうして他愛ない話をしているうちに、搭乗時刻が迫ってくる。
「――それじゃ、そろそろ行くよ」
「気をつけて。また暇なときベスに会いにきてよ」
 俺にも、と言って、ブライアンは出会ったときと同じように手を差し出す。朔耶も同じように握り返した。
「いつでも歓迎するよ。良い旅を」
 ブライアンに手を振り返し、朔耶はゲートを潜った。


 視界の下にあっという間に小さくなっていく街を、朔耶は飛行機の小さな窓から見下ろしている。
 空港は遥か後方に飛び去り、人類の叡智を集結させた街は、あっという間に小さな模型になってしまった。
 あのどこかにブライアンがいて、ベスがいて、ベスと同じようなたくさんの迷い子がいる。
 異邦人たる朔耶は、今は空の上だ。
 やがて雲海の下にその全景が没するまで、朔耶はニューヨークの街並みを見つめていた。



fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■祇堂・朔耶
 整理番号:3404 性別:女 年齢:24歳 職業:グランパティシエ兼坊守


【NPC】

■ブライアン・マクロイ
 性別:男 年齢:20歳 職業:大学生

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターの雨宮祐貴です。
 ニューヨーク遠征シナリオへのご発注、ありがとうございました!
 幸い貿易センタービル跡は行ったことがありましたので、描写に力を入れさせていただきました。アメリカに来てまだ二年にも満たない私が書くのも何ですが、ニューヨークという街の、ほんの少しでもお伝えできていれば幸いです。
 朔耶さんの口調は過去の納品作を参考にさせていただきましたが、よろしかったでしょうか? 何かありましたらお気軽にテラコンなどでお申しつけ下さいませ。朔耶さんのキャラクタもあって淡々とした雰囲気になってしまいましたが、お楽しみいただければ幸いです。
 そろそろ厳しい冬を迎えるニューヨーク(州の片田舎)からお届けしました。
 それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ。