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■hunting dogs ―スタンド・バイ・ミー■

文ふやか
【2209】【冠城・琉人】【神父(悪魔狩り)】
 ――プロローグ

 如月・麗子がストーカーの被害にあっているらしいから助けてやってくれと、深町・加門はセブンに頼まれていた。
 あの麗子の、である。加門にしてみれば、ストーカーの方が気の毒に思えるぐらいだ。断るもセブンのラッキーに阻まれ、加門は結局麗子の家にきていた。
「あんたも物好きね」
 他人事のように麗子は言って、部屋へ加門をあげる。
 掃除好きの麗子の部屋があちこち散らかっていたので、加門はきょとんと辺りを見回した。
「どうしたんだ」
「知らないわよ、家捜しされる覚えはたくさんあるわ」
 彼女はそう言ってテレビの前に積まれている本の山に片手をつき、ぺたんと座り込んだ。
「ストーカーか?」
「ああ、そっちは別件だと思うわ。昔のファンってやつね」
 麗子はソファーの前のガラステーブルを指した。加門はテーブルへ歩いて行って立ったまま手紙の束を見る。
 麗子は昔俳優だった。彼女が俳優を辞めるときの、ちょっとした事件に加門も関わっている。テーブルにフォトスタンドが置いてあったので、加門はそれを手に取った。
 そこには細面の男と麗子が写っている。
 手紙と一緒に置いてあったので、関連があるのかと思い加門は麗子に訊いた。
「この男は?」
「え? やだ、それは関係なしよ。整理しててそこに置いちゃっただけ」
 麗子が眉をひそめて片手を差し出す。加門も黙ってフォトスタンドを渡した。
「その人ハッカーでね、私の先生みたいなものよ」
 珍しく苦笑をして麗子は付け足した。フォトスタンドを棚に伏せ、また本の整理をはじめる。
 先生ね……。加門は胸のうちでつぶやいて、昔はマッチョ好きではなかったらしいと眉をあげた。
 手紙の内容は「死ね」等悪意のある罵詈雑言に満ちている。どうやら好きが高じてというよりは、麗子を極度に嫌いなようだ。つきあってきた男の恋人からか……いや、やはり昔彼女が男だった頃の熱狂的な女性ファンが、麗子の性転換を受け入れられずに行っているのかもしれない。そんな手紙の内容だった。
「そういえば聞いた? なんでも解凍できる噂のプログラムがまた噂になってるのよ」
「解凍? レンジか」
 加門が答えると麗子はお話にならないと片手を振った。
「お前、茶ぐらいだせねえのか」
 ソファーに座りながら加門が言う。麗子は振り返りもせずに答えた。
「自分でいれたら」
 こうやって麗子は、加門に飯を作らせたり茶をいれさせたりする。
 ストーカーに家捜し……、物騒なことだ。

 ――next
スタンド・バイ・ミー


 ――プロローグ

 如月・麗子がストーカーの被害にあっているらしいから助けてやってくれと、深町・加門はセブンに頼まれていた。
 あの麗子の、である。加門にしてみれば、ストーカーの方が気の毒に思えるぐらいだ。断るもセブンのラッキーに阻まれ、加門は結局麗子の家にきていた。
「あんたも物好きね」
 他人事のように麗子は言って、部屋へ加門をあげる。
 掃除好きの麗子の部屋があちこち散らかっていたので、加門はきょとんと辺りを見回した。
「どうしたんだ」
「知らないわよ、家捜しされる覚えはたくさんあるわ」
 彼女はそう言ってテレビの前に積まれている本の山に片手をつき、ぺたんと座り込んだ。
「ストーカーか?」
「ああ、そっちは別件だと思うわ。昔のファンってやつね」
 麗子はソファーの前のガラステーブルを指した。加門はテーブルへ歩いて行って立ったまま手紙の束を見る。
 麗子は昔俳優だった。彼女が俳優を辞めるときの、ちょっとした事件に加門も関わっている。テーブルにフォトスタンドが置いてあったので、加門はそれを手に取った。
 そこには細面の男と麗子が写っている。
 手紙と一緒に置いてあったので、関連があるのかと思い加門は麗子に訊いた。
「この男は?」
「え? やだ、それは関係なしよ。整理しててそこに置いちゃっただけ」
 麗子が眉をひそめて片手を差し出す。加門も黙ってフォトスタンドを渡した。
「その人ハッカーでね、私の先生みたいなものよ」
 珍しく苦笑をして麗子は付け足した。フォトスタンドを棚に伏せ、また本の整理をはじめる。
 先生ね……。加門は胸のうちでつぶやいて、昔はマッチョ好きではなかったらしいと眉をあげた。
 手紙の内容は「死ね」等悪意のある罵詈雑言に満ちている。どうやら好きが高じてというよりは、麗子を極度に嫌いなようだ。つきあってきた男の恋人からか……いや、やはり昔彼女が男だった頃の熱狂的な女性ファンが、麗子の性転換を受け入れられずに行っているのかもしれない。そんな手紙の内容だった。
「そういえば聞いた? なんでも解凍できる噂のプログラムがまた噂になってるのよ」
「解凍? レンジか」
 加門が答えると麗子はお話にならないと片手を振った。
「お前、茶ぐらいだせねえのか」
 ソファーに座りながら加門が言う。麗子は振り返りもせずに答えた。
「自分でいれたら」
 こうやって麗子は、加門に飯を作らせたり茶をいれさせたりする。
 ストーカーに家捜し……、物騒なことだ。


 ――エピソード

 麗子は他人事のように溜め息をついた。
「呆れたわ、こんなに集まってくることないじゃない」
 加門も困ったように頭をかいている。
 手紙の消印から犯人を割り出す能力が加門にはなかったので、彼はその手の能力を持っているであろう探偵にまず連絡した。探偵助手を勤めるシュライン・エマは「まあ、それは大変ね」と言ってから、麗子の家を訪れることを約束してくれた。彼女が有能なのは短い付き合いの加門にもわかっていたので、事件は収束に向かうと思われた。
 しかしまずやってきたのは、CASLL・TOだった。
「麗子さんは無事ですか」
 そう第一声を発し、加門は苦笑をした。麗子が両手を組んでくねっと腰を曲げる。
「CASLLさぁん」
「……この際このやり取りはどうでもいいとしてよ、どこから情報が洩れたんだ?」
 加門を無視して麗子はテキパキと動きはじめた。
「コーヒーにします? 紅茶、ハーブティなんかありますのよ」
「いえ、お構いなく」
「……ハーブティなんかあったのかこの家」
 麗子は料理全般が不得意なので、塩が切れていても気付かない女である。
 そして次には雪森・雛太を足に使ってシュライン・エマが到着した。
 雛太はシュラインよりも鼻息荒く現れた。
「麗子さんにストーカーだってえ? ありえねぇ、返り討ちにしてやりましょうよ」
 やってきた二人に麗子が鷹揚に挨拶をする。
「こんにちは、シュラインちゃん、雛ちゃん」
 キッチンでお茶っ葉を相手に格闘している麗子を見かねて、加門がキッチンへ入った。しっしっと麗子を追い払って、コーヒーメーカーをセットする。
「それで? これって私の騒ぎなわけ」
 頓狂なことを言う麗子の後ろで、またインターフォンが鳴った。
 今度は神宮寺・夕日と冠城・琉人の登場である。
「シュラインから電話があったから、心配で寄ったのよ」
 夕日は難しい顔で麗子へ言った。麗子は不思議そうに琉人を見た。
「彼はちょうど賞金換金に来てたところで、一緒になったから話したら協力してくれるって」
「……嬉しいんだけど。どうなのかしらねえ、この人数」
 加門も入れると総勢六人である。
「一応、お茶でも飲んで話し合いましょうか、加門ちゃんコーヒーまだー?」
「今やってるよ」
 コーヒーメーカーが大きな音を立てると、すかさず雛太が立って行って加門が適当に注いだコーヒーをテーブルまで運んだ。グラスに立てられたスティックシュガーと冷蔵庫の中のポーションミルクを出しておく。
 シュラインは辺りを見回してから麗子に訊いた。
「大事な物、壊されなかった?」
「ええ、たぶん。コンピューター機器類はほとんど無事だったわ」
「災難ねえ……」
 まだ少しちらかっている部屋を見回して、シュラインは頬に片手を当てた。麗子はテーブルの上の手紙を片付けて、加門に渡した。加門は受け取ってから困った顔をする。
「それ、ストーカーからの手紙?」
 夕日が言った。加門は曖昧にうなずいた。
「みせてよ」
「ダメだ、内容が内容なもんでな。プライバシー保護だ」
「なによそれ」
 加門は雛太やCASLLからの視線を避けつつ、シュラインだけ手招きして部屋の隅へ呼んだ。
 手元には大隈・延雄宛ての手紙がいくつもあった。内容も内容だ。あまり人の目にさらしたくはないのだろう。
「ともかく、麗子さんがご無事でなによりでしたねえ」
 冠城・琉人がのほほんと言った。彼は加門のいれたコーヒーではなく、持参したお茶を飲んでいる。
「私は平気よ、大したことじゃないわ」
「んなこと言ったってよ、危険だよ、ストーカーだぜ」
 雛太が口を尖らせる。
「ストーカーの一人や二人や三人や四人この麗子さんですもの」
「そ、そんなに?」
「……いないけどね」
 シュラインが窓際で手紙を読んでいる。
「彼女はよくて私はダメなわけ?」
「ああ」
 加門に噛みついた夕日を、加門はにべもなく切り捨てた。
「麗子さん最近何か変わったこととかないですか」
 CASLLが真面目な顔で訊いた。麗子は指を唇に当てて考える。
「私、やっぱり男らしい人に守ってもらわなくちゃだと思う」
「んなこと誰も聞いてねえよ」
「うるさいわよ、天パ」
 ちゃちゃを入れた加門に麗子がびしっと突っ込む。加門は両手をあげて、すぽんっとソファーに納まった。
「麗子さん、心当たりとかねえの」
 雛太も心配そうに言う。麗子は眉間にシワをつくって、細い指で顎を撫でて、一つウィンクをした。
「尾行されてるのは、ここ二週間ね。手紙は三ヶ月間日曜休んで毎日届くわ。覗きの線はないと思うけど……あとね、変なチンピラに絡まれたことが何回かあるわね。もちろん返り討ちにあって帰っていったけど」
「それは心強いことですねえ」
 琉人が笑顔でうなずく。
 加門は隣に座っている琉人を窺い見た。
「お前、今回は金にならねえぞ」
「何を仰るんですか、困っている人は助けるのが神父の役目です」
「……こいつ警察に突き出したほうがいいぞ」
 麗子は琉人を一瞥して加門の頭をぱんっと一つ引っぱたいた。
「よっぽどあんたの方が刑務所が似合うわよ」
「んなこと聞いてんじゃねえよ」
 はっはっはっと琉人が愉快そうに笑う。加門は口を尖らせて彼の横顔を睨んだ。
 CASLLがコーヒーを飲み終わって立ち上がった。
「では私は玄関に張り込みをさせてもらいます。ストーカーなどという卑劣な犯罪を犯している連中には、正座で小一時間ほどの説教が必要です」
 彼は鼻息荒く外へ出て行った。
 雛太が訊く。
「家捜しはいつ入ったんだ? どこから」
「昨日の夜でしょうねえ、私仕事で出てたから。朝帰ったらベランダの窓がきれいに三角に割られてたわ。そこから侵入、その後家捜しね」
「警察には届けたの?」
 夕日が訝しげな表情で言った。麗子は加門をちらりと見てから、少しだけ口許を笑わせた。
「届けようと思ったんだけど、加門ちゃんがきたし。賞金稼ぎが警察の厄介になるなんて、ナンセンスすぎるわ」
 なんにしろ届ける気はないということだろう。
「届ければ正式に動けるから……」
 言い募る夕日に加門が釘を刺す。
「……仲間から総スカンだぜ」
 麗子も同意するように首をかしげた。
「麗子さん、ちょっといいかしら」
 シュラインが寝室の方を指差して麗子を呼んだ。麗子は膝丈のスエードのスカートの位置を直しながら立ち上がる。
「はいはい、今行きます」
 麗子が寝室へ入るとドアは閉められた。夕日が耳をそばだてていたので、加門は苦笑をして椅子を立った。カラーボックスの上に置かれたフォトスタンドを手に取ってみる。そこには目の細いもやしみたいな男と、相変わらず年齢のわからない顔をした麗子が幸せそうに写っていた。
 こういう想い出が誰にもあるものだ。加門はぼんやりとそんなことを考えた。
「それ、誰だ」
 後ろから加門の手元を覗き込んだ雛太が言う。
 加門は雛太にフォトスタンドを渡しながら、かすかに笑った。
「先生だそうだ、麗子の」
「なんの」
「パソコン」
「へえ……ただの先生?」
 そういう写真ではない。二人はたしかに恋人同士のように見える。
「あんまり突っ込んで聞いてやるなよ、あいつにもあいつの事情がある」
 雛太が不思議そうに加門を見上げると、彼は雛太から顔を逸らして窓から外を見た。外はもう暗くなっていた。
 横目に雛太の持つ写真を覗き込む夕日が見える。
 麗子と加門はお互いの事情には足を突っ込まない関係である。どんなことがあっても、触られたくなければ触らない。そういう距離感の元、二人は仕事をする。
「事情ですか」
 加門がポケットから煙草をくわえたところへ、テーブルの上に置いてあったライターを持った琉人が並んだ。琉人が火をつける。加門がすうと息を吸い込んで、白い煙がつうと立ち昇った。
「そういうことだ」
「誰にでもありますよ」
 琉人は微笑んで、フォトスタンドを睨んでいる二人に声をかけた。
「お茶をいれますね、さっきの泥水と違っておいしいですよ」
 奥から麗子達が出てくる気配がしたので、加門は二人の手元からフォトスタンドを回収してさっきの通り置いておいた。


 如月・麗子及び大隈・延雄についたストーカーは、彼女及び彼が春日部・隼人として男優活動を行ってきた際にできた熱狂的ファンであり、女になった如月・麗子を毛嫌いしている女性が犯人と思われる。
 シュラインはそうとしか読めない手紙から、本当にそうとしか読み取れなかった。そうであるならば、事実と仮定してみた方が解決が早いかもしれない。
 さして手間のかかる作業ではないとみなし、麗子の性別の件も関わっていることから、シュラインは単独で捜査をすることにした。
「どうするの? 私でも見つからなかったのよ」
 麗子はまずそう言った。
 シュラインは人差し指を立てた。
「どうやって探した?」
「事務所のコンピューターに入って、ファンクラブ会員だった子のデータを取ったり」
「それじゃわからないわよ。異常者はデータじゃなくて記憶に残るものだわ」
 彼女はそう言って、薄い桃色のマニキュアの塗られた人差し指の先で唇の淵に触れた。
「記憶……」
「まず事務所に行って、聞いてみるわ。とりあえずね」
「異常者って言うけど、相手は相当玄人よ」
「どうして?」
 ベットに座った麗子は答える。
「一度も尾行をまけたことがないし、一度も見つけたことがないわ」
「優秀ねえ」
 ともかく現場調査しかないだろう。手紙は同じポストへ投函されているようだし、時間をかければストーカーに辿り着くことは安易だ。
「もしかすると……ストーカーと家捜しと尾行犯は全員別人かもしれない」
 麗子は両手をあげてお手上げのポーズを取った。
 シュラインが手帳をしまい、手紙をハンドバックの中へ押し込んだ。
「ストーカーのことは任せておいて」
「よろしくね」
 麗子は立ち上がってドアを開けた。キッチンで琉人がお湯を沸かしている。
 シュラインが全員に別れを告げて外へ出たので、麗子も途中までついて行った。CASLLが玄関の脇に座っている。
「CASLLさん! 中で待てばいいんじゃないかしら。寒いでしょう? ああ、カイロとか湯たんぽとか温かいミルクとか用意しますわね。こんな寒い中私の為に……うう」
「いいえ、私は平気です。麗子さんの怖い思いを想像したら、こんなの苦難にも入りません」
「え? 怖い思い……そ、そうなのよ、怖かったわ、本当に」
 二人の噛み合っていないやりとりを尻目に、シュラインは麗子が所属していた芸能事務所へ向かった。


 ウェバー・ゲイルは如月・麗子の身辺調査を依頼されていた。
 ウェバーはロス市警刑事でありながら、探偵を副業でやっている。現在は日本滞在中なので、もっぱら探偵稼業の方が忙しい。
 如月・麗子は日本美人とは違う類の美人だった。白人系の美人に体型が似ている。好みではないと言ったら嘘になるが、好みだというのも嘘だ。日本に滞在中のウェバーが夢中なのは、主にゲイシャやマイコである。この間の休みに京都へ行った際は、天国へ行ってきた気分だった。大和なでしこはこうでなくてはならない。
 そういうわけなので、麗子の身辺調査などまったく好みとは言えなかったが、仕事なので仕方がない。
 麗子という女は、今週中二度関東ヤクザを牛耳っている椿会の若頭と会食をしている。その間にイスラム系過激派のテロリストを相棒の深町・加門と共に五人ほど捕獲していた。腕は二人ともたしかなようで、ウェバーが見ているのに気が付かなかったことを抜かせば百点満天といったところだった。
 出身がアメリカであるウェバーは、彼女や彼のような賞金稼ぎは嫌というほど見てきていた。 好きな人種ではないが、嫌いな人種でもない。ただやはり、賞金に群がるハイエナという印象は拭い去れない。どんなに腕がよくてもそう見られてしまうのだから、賞金稼ぎとは因果な商売だ。
 本日如月・麗子宅を訪れたのは、相棒の深町・加門を筆頭にひどく顔が恐ろしい男が一人と、小さな子供が一人オリエンタルな美女が一人、大和なでしこが一人神父が一人と、総勢六人だった。そんなに集まって何をしているのだろう。双眼鏡で覗いてみるも、談笑をしているだけのようだ。
 まさか次の賞金首捕獲作戦のメンバーが彼彼女達な筈はないだろう。
 子供や神父までが賞金稼ぎなわけがない。
「……出てきたな」
 知的なオリエンタル美女といった風貌の女性が一人外へ出てきた。
 後を追いたいような気はしつつも、仕事を続行する。
 こういった地味な仕事は自分には向いていない。そんなことを考えていた。
 
 
 五人はそれぞれリビングの床に座っていた。
「家捜しの方は見当はついてんの、か」
 まず加門がカードを引く。それからペアのカードを捨てる。
「ついてたら今頃ぶちのめしてるわ、よ」
 麗子が加門からカードを引く。それから、ペアのカードを捨てる。
「ストーカーが犯人ってことはねえの」
 雛太が麗子からカードを引いた。カードは捨てない。
「ストーカーねえ。なんか暇潰しみたいなもんだと思うんだけどねえ」
 麗子が間延びした調子で言った。
 今度は夕日が雛太からカードを引いた。彼女はペアのカードを捨てた。
「そういえば麗子さん、全てのセキュリティーを突破するプログラムの噂知ってます?」
 夕日は琉人にカードを引くように差し出した。琉人が一枚カードを引く。
 彼女はがっくりと肩をうなだれている。
「……お前なあ、ババ抜きやってて持ってる奴がわかっちまったら面白くねえだろう」
「は、はあ? だ、誰が持ってるって言うのよ」
 夕日が引きつった笑みを浮かべる。加門は面白くなさそうにカードをその場に捨てた。
「やめやめ、面白くもねえ」
「勝手にやめんなよ」
 雛太が加門を咎める。
「そんな便利なプログラムがあるんですか」
 琉人がのんびりと言うと、麗子がカードを加門と同じように捨てながら答えた。
「あるって噂よ、五年ぐらい前からかしら、その噂流れてるの。私もこの稼業そんなに長くないから、それ以上前のことは知らないわ」
「加門さんは?」
 琉人が振る。
「こいつは機械全般に弱いから、そういうこと聞いてもダメよ」
「……たしかに、五年前ぐらいだと思うけどな、その噂は」
 全員床に腰を下ろしていたので、加門は空いているソファーの上に横になった。
「五年前国からそのプログラムを作るように依頼された天才ハッカーが殺された。その現場からは、プログラムが消えていた。それが噂の原型だろう、俺の記憶がたしかならな」
「へぇ、国がハッカーに依頼なんかするんでしょうか」
「今じゃ犯罪検挙に協力しているハッカーは山ほどいるさ、まだあの頃はそんなに多くなかっただろうが」
 麗子がフォトスタンドへ手を伸ばす。彼女は裏地と表地を貼り付けてあるところを剥がした。その場所はすぐに開いた。
「……ない」
 加門以外の全員が麗子を見ていた。
「五年前殺されたハッカーはたしかにいたけど、その人の作ったプログラムは小さな仕事だったわ。今の私だって、もっとマシなプログラムを組むわよ」
「もういい、麗子」
 加門が麗子の台詞を遮る。麗子が我に返った。
「ああ、間が悪いのですが、そろそろストーカーさんを助けてあげないと発狂しちゃいます」
「なんだあ?」
 雛太が頓狂な声をあげた。
「いえね、この家の近くをうろついているストーカーさんに、浮遊霊でストーキングしかけてるんですけど、あんまりやりすぎると精神病院へ救急車搬送になってしまいますので、そろそろお出迎えに行きましょう」
 加門はパスと片手で示して顔をクッションに埋めた。夕日が琉人について行く。麗子はフォトスタンドを片手に持ったまま動かなかった。雛太も麗子を静かに窺っている。


 ウェバーは、現在ピンチだった。
 まず悪寒がしていた。その次に誰かに見られているような気がした。その上、誰かの何かを囁く声まで聞こえていた。見えない筈のものが見えていて、これでは素行調査どころではない。頭を触ってみるも、熱がある様子はない。
 東京の片隅で死んでいくのかと思うと、ロサンゼルスの青空が恋しかった。日本の夜空はウェバーに冷たい。電柱に片手をついて、はあはあと息を荒くするのが精一杯だった。
 まったく東京の街ってやつは……。
 つぶやいてみたところで、人通りはない。いつもの状況ならば、人に見られない方がいいわけだが、こうなってくると話は別だ。きっと何かの悪い病気に違いない。


 幸いにも、CASLLの前を横切って行ったのはカップルが一つだけだった。
 傍らには麗子が用意してくれた毛布とココアの入っていたコーヒーカップがある。おいしくいただいた後だった。部屋の中ではなにやら楽しそうな声がしたが、まさか今更引き返すわけにもいかず、ストーカーを放っておく気はさらさらなかったので、寒い空気の中縮んでしまった筋肉を伸ばそうとひとしきりストレッチ運動をマンションの廊下で繰り広げたあと、ドアの横に正座をして膝の上に毛布をかけた。
 数分後、警官が二人やってきた。
 やはり、通報されたらしい。
「きみきみ、こんなところでなにをやっているのかね」
「私は、見張りをしているだけです」
「何の見張りだね、ここの家の人の了承を得ているのかな」
 CASLLは立ち上がった。すると背の小さな警官を威嚇することになってしまった。
「ほ、本官は警官だぞ」
「はあ、わかってます。あの、私はここの如月さんの知人のCASLLと言います。ストーカー被害に遭われているとのことで、私はその見張りにここにいます」
 二人の警官はCASLLに腰を引けながら、なんとかインターフォンへ手を伸ばした。ブザーが鳴って、麗子がすぐに出る。
「この……恐ろしい顔の男がドアの前に座っていると隣の家の方から通報がありましたが」
 言うとすぐに麗子が出てきた。後ろには琉人と夕日がいる。
「ああ、本当に知人ですから。警察の方に迷惑をかけるようなことはしてません」
「ストーカーとのことで?」
「ええ、まあ。ちょっとしたイヤガラセで。またあらためて届け出ますわ」
 CASLLは実際なにもしていなかったので、特に拘束される謂れもなく警官達は帰って行った。
「CASLLさん、ストーカーの犯人が外にいるので、ちょっとお説教たれにいきましょう」
 琉人が庇を傾けながら言った。
「ええっ、見つかったんですか」
「ええ、まあ」
「それは早くしましょう!」
 三人は揃ってマンションを出た。
 マンションを出て十メートルも行ったところの電柱に、黄色いジャケットを着た派手な影が見えた。
「えーと、彼が一応そうです」
 琉人が言う。当人はゲーゲー言っているだけだ。
「あなたずっと位置を変えては麗子さんの家を窺っていましたね」
「……なんだ、お前ら」
 外人の男は顔をあげて眉根を寄せた。
「麗子さんの知人です。ストーカーされる気分はわかりましたね、ストーカーさん」
 琉人が言った瞬間、男は憑かれていたものが取れたような顔になった。
「俺がストーカーだってえ?」
「ええ、そうです。乙女をストーカーするだなんて許せません。そこに座りなさい」
 CASLLが怖い顔を突き出して言った。後ろで夕日もうなずいている。
「まったくよ。しかもこんなおっさんがストーカーの犯人なわけ」
「いいですか、ストーキングは卑劣な行為です。いくら歳を重ねていたって、もしくは若くたって許される行為ではありません。あなたは外国人のようだけれど、日本だって他の国だって一緒です。ですから……」
 CASLLの説教は小一時間に及ぶ勢いで十五分続いた。
 アスファルトの上の正座に音をあげた男が、前に倒れこみながら言った。
「俺はウェバー・ゲイル、俺はストーカーじゃねえ、探偵だ」
「探偵ですって?」
 腕を組んでいた夕日が繰り返す。
「そうだ、如月・麗子の素行調査を請け負ってる」
「……おや、それじゃあ黒幕がまだいますね」
「ええ、この人がストーカーじゃないんですか」
 ウェバーは言った。
「俺は説教とワサビは苦手なんだ、どうにかしてくれ」
 夕日と琉人は目を合わせ、困った顔をした。CASLLはまだ説教をし足りない顔である。
 
 
 シュラインは芸能プロダクションにきていた。マネージャーがうろうろしている。春日部・隼人のマネージャーをしていたという男が出てくるまで、十分ほど待たされた。彼は口ひげをはやしていた。気弱そうな目をしている。
「探偵事務所の方で……」
「お忙しい中すいません」
 シュラインが立ち上がって名刺を差し出す。すると彼も慌てて名刺を取り出した。
「どういったご用件でしょう」
「昔この事務所に所属していた、春日部・隼人さんのことについて聞きたいのですが」
「はあ、はい。隼人のことですか、なんでしょう。もう彼と事務所は関係ないですよ」
 シュラインの前におかれたお茶はもう冷めている。
「それは重々承知の上です。彼が最近、頻繁にストーキングされていまして。正体を掴むように依頼されました。ファンクラブ会員の方だと思うのですが……その筋のブラックリストなんかありますよね?」
 芸能事務所にブラックリストはつき物である。
 ファンには大抵厚顔無恥かつ大胆な人間がいて、事務所側を困らせる。そういった人間はブラックリストに名前が載り、ファンクラブイベントなどの参加を制限されたりするのだ。
「あー……ありますけど、あったかな。なんていっても五年も前のことですからねえ」
 マネージャーは困ったように頭をかいて、首をすくめて考え込んだ。
「春日部さんに関して何かご連絡がきたことなどありませんか」
 シュラインの問いに、マネージャーの男は躊躇した。少し考えてから、コソコソ声で話しだす。
「女装しているとか女のフリをしているとか、変な電話は最近たしかにありました。隼人は人気絶頂で突然引退してしまった俳優ですから、そういうよからぬ噂をするのが好きな連中にはたまらないんだと思ってました。たしかにその電話の子は、会員ナンバーを名乗ってたみたいですね。ファンクラブ会員だった人間の話なら、聞いてもらえると思ってたみたいで」
 彼は腰をあげた。
「少し調べてきます。お時間よろしいですか」
「ええ、ありがとうございます」
 マネージャーは扉の奥へ消えた。シュラインはほっと一息溜め息をついた。
 どうやら、郵便局への聞き込みはしないですみそうだ。十中八九その人物とストーカーは同一犯だろう。ファンクラブのメンバーだということは、住所等も登録済みということだ。
 しばらくしてマネージャーは戻ってきた。
「高橋・江里子、住所等はこれです。情報の漏洩をしたことになりますから、何分ご内密に」
「もちろんです」
 高橋・江里子の住所と電話番号の控えをとって、シュラインはお茶に口をつけずに立ち上がった。
「ありがとうございました」
「隼人は元気ですか、たまには顔をみせに来いって伝えてください」
「ええ、お伝えしておきます」
 ニコリとシュラインは微笑んで芸能プロダクションを後にした。
 その足でインターネットカフェに入り、住所で検索をかけて最寄り駅を割り出す。
 ただ手紙以外の証拠は一つもない。まさかここまでわかっていて、証拠集めに奔走するのも二の足を踏んでいるようだ。
 それじゃあ一つ、カマをかけてみようか。
 シュラインはそう決めた。
 
 
 麗子はとぼとぼ玄関から引き返してきて、加門の寝ている向かいのソファーに腰を下ろした。片手にはまだフォトスタンドを持っている。彼女はテーブルの上を見て言った。
「やだ、ちらかってる、コップ片付けて」
「うっす」
 雛太は立ち上がってコップ類をシンクへ運んだ。じゃぁっと水を勢いよく出し、洗剤をたっぷりスポンジにつけてコップを磨く。
 加門の寝息さえ聞こえてこない部屋は、しばらくは洗い物をする音に間を埋めてもらえた。しかしすぐにコップは尽きてしまう。雛太はぎこちない動きになりながら元いた位置へ戻り、散らかしたままのトランプをかき集めた。
「麗子さんにとってその人、なんだったんっすか」
 トントンとトランプを揃えながら訊くと、麗子はどこか遠くを見ていた目線を雛太へ下ろし、苦い笑いを浮かべた。
「大事な人だったわよ、未練タラタラ」
「そんなに……」
「いて欲しいときにいてくれたわ、一緒に住んでたっていうのに手しか握らなかったけど」
 麗子はかすかに微笑んだ。
「俺わかんないんだけどさ、そういうの。全然わかんねえの」
「ん? なにが」
「幸せってなんなんだろうなって考えるんだ。自分勝手なのは相手の幸せ祈ってるわけじゃねえだろ。だけど、一緒にいたいのは自分のエゴもあるわけだしよ。たとえば……たとえは悪いかもしんねえけど、途中で死んじまったらさ、相手はどうにもならなくなるわけじゃん。お互いが支えあってればそんだけ、そういうショックは大きいだろ」
 麗子はマスカラのぬったマツゲを片手で押し上げながら、俯いたまま笑った。
「バカね、雛ちゃんは」
「俺も大概そう思う」
「幸せは測れないわよ、だから精一杯自分が幸せでいなさい」
 麗子はそう言ってテーブルの下においてあるティッシュを一枚引き抜いた。
「もしも死んでしまうときの為に、精一杯幸せでいてね」
 彼女は俯いたまま目にティッシュを当てている。雛太はどうすることもできず、ぼんやり麗子の細い肩を眺めていた。
「それが、きっと相手も幸せになることだって信じたいわ」
 肩を震わせて彼女はそう言った。小さな声が繰り返す。
「信じたい」
 雛太は痛感する。やはり、先生は死んだのだ。加門が言った通り、殺されたのかもしれない。彼女は多くの幸せと不幸をくれた先生に、成す術もなかった。だから信じられないけれど信じたいのだし、強がっても精一杯幸せであろうとするのだ。
 ガタン、と音がしたような気がして雛太は立ち上がった。
「帰ってきたのかな、見てくらぁ」
 雛太は玄関へ逃げ出した。自分には無縁だと思いたかった。


 玄関のドアを開けるのにかかった時間は数秒だった。外から中を覗いた際見えたのは、男一人と子供が一人そして如月・麗子だった。男の一人は寝入っているようだ。玄関を静かに開けてしばらく息を潜める。スリッパの音が鳴り、子供がこちらへやってくる。男はクロロフォルムを染み込ませたタオルを構えていた。そして、子供が顔を出した瞬間に口許へ当てた。子供はすぐに力を抜いてその場に倒れこんだ。抱きとめて、その場に寝転んでもらう。その際少し音が立ったからか、麗子が声をあげた。
「雛ちゃん、どうかした」
 廊下へ土足であがり、玄関の廊下への扉を開けようとする麗子を待ち伏せする。麗子はなんの警戒もせずにドアを開け、さっきの子供と同じようにクロロフォルムを口許へ当てられて、昏倒した。
「女を運んでおけ」
 他の男達に言う。
 それから玄関脇にある大きな花瓶を手に持って、男は寝ている加門の元へ向かった。
「ゆっくり眠れ」
 小声でささやいて、思い切り花瓶を投げつける。ガシャン! と大きな音がして加門の頭に花瓶が炸裂した。加門は寝たまま動かない。このまま永眠してしまったのだろう、と男は思い、少し笑ってから玄関からまた外へ出た。


 CASLLは腰をヘコヘコ屈ませてウェバーに謝っていた。
「誤解とはいえお説教をしたりしてすいませんでした」
「まぁ、流石の俺も若干堪えたがな、気にすんなよ俺も悪かったんだ」
 車が一台猛スピードで走り去っていく。
「危ないわね、こんな住宅街で出すスピードじゃないわ」
 夕日が咎めたが、車はすでに跡形もなかった。
「でもウェバーさんのおかげで、シュラインさんの手間もあまりかからなくなりましたね。その高橋・江里子さんがストーカーだということは、ウェバーさんが公式的に発表できますからね」
 四人はマンションへ入った。
「寒いですから、帰ったらお茶をおいれしましょう」
 琉人が微笑む。それからインターフォンを押した。反応はない。ウェバーが怪訝そうに鍵穴を見つめていた。
「……おい、開けられてんじゃねえか」
 言われて琉人がドアノブを握る。ドアノブは下に回り、ドアは開いた。
「おや」
 そしてドアを開けたその先には、雛太が横になっていた。
 CASLLが琉人を押し退けて雛太を抱き起こす。
「雛太さん、大丈夫ですか、大丈夫ですか!」
「いやー、CASLLさんよぉ、お前の顔じゃあ大丈夫なもんも大丈夫じゃなくなるぜ」
 ウェバーがやれやれと両手を開いた。
 夕日がCASLLから役割を代わる。
「雛太くん、大丈夫。この匂い、クロロフォルムだわ……中に加門もいたんじゃないの?」
 琉人とCASLLとウェバーが靴を脱いで部屋の中へ入る。すると、ソファーの上に頭から血を流して眠っている加門がいた。
「こっちは花瓶だぜ」
 ウェバーは飛び散った花を一本拾い上げて、おかしそうに笑った。
「い、生きてますか、加門さん!」
 CASLLがまたも加門の身体を揺さぶっている。
「死んではいないようですねえ」
 琉人は呑気な口調で言った。
「よく死ななかったな、案外でかい上厚いぜ、この花瓶」
 ウェバーは辺りに散らかった破片を手に取ってしげしげと眺めている。
「……いてててて、なんだなんでこんなに痛っ、うわっ」
 加門が目を覚ましてCASLLの顔に思いっきり驚いた。
「びびった、逝くかと思った。頭いてぇ、くそ濡れてるしなんだってんだあ?」
 CASLLの怖い顔を押し戻しながら、加門は自分の頭を片手で拭った。大量の血が流れているようだ。
「なんじゃこりゃ」
「麗子さんは、麗子さんは!」
 CASLLが気が付いて寝室や物置代わりの部屋などを見て回る。しかしどこにも麗子の姿はなかった。
「さらわれた、か。ストーカーに?」
 ウェバーが不審そうに口を開く。
 夕日と雛太が現れた。
「右手の親指の付け根に、犬みたいな刺青が」
 雛太が言う。加門は血を流したまま顎に手を当てる。
「しらねえなあ、知ってるか?」
 加門が夕日に訊くと、夕日もふるふると頭を横に振った。
「ウルフズ・ツリー、小さな組織だ。景気の悪さのあおりをくって、目下立て直し作業中」
 ウェバーが腕組をしながら言った。
「知ってるんですか」
 CASLLが驚いて訊く。
「俺は刑事なんでな、裏には鼻が利くようになってんのさ。本拠地は斜めになっちまってる雑居ビルだぜ」
「刑事なの、この人」
 夕日が目を丸くすると、ウェバーは手帳を取り出して見せた。
「LSPD、ロサンゼルス市警察だ」
 琉人が残念そうに言う。
「お茶どころではないようですね、まずシュラインさんにご連絡をしてから、麗子さんの救出とまいりましょう。夕日さん電話をお願いします」
 雛太が口惜しそうに言った。
「ちくしょう、男二人ついてながらまさか、さらわれるなんて」
「しょうがないですよ、雛太さん。あそこで無駄に爆睡して花瓶で頭叩き割られた人もいることですし」
 琉人が朗らかに雛太のフォローをする。
「許さねえ、花瓶で人の頭殴った奴、ぜってぇぶっ潰す」
「あ、熱くなってるわねぇ」
 ピッピッと携帯を操作しながら夕日が嘆息する。
「早く、麗子さんを助け出さなければ」
 CASLLは大きな身体をせかせかとあちらこちらへ動かして、動揺していた。
 
 
 神宮寺・夕日から連絡がきたとき、シュライン・エマは高橋・江里子のアパートの前まで来ていた。ウェバー・ゲイルという男の存在が明らかになり、ウェバー側からの証言も得られた為、江里子にストーカーをやめさせる決定打になるだろう。
 もう夜九時を回りそうだったが、麗子誘拐の一件もある。江里子がウルフズ・ツリーと関係があるかどうかたしかめなくてはならない。
 シュラインは一階奥の角部屋の江里子の部屋のインターフォンを押した。
 少したって甲高い声が返ってくる。
「新聞なら間に合ってるわよ」
「ウェバー・ゲイル探偵の代入りで参りました」
 シュラインがそつなく言うと、やがてドアは開いた。前髪と後ろ髪、どちらも同じ長さはあろう髪を、横分けにしている。縁の青い眼鏡をかけた女性だった。年齢はシュラインと同い年ぐらいだろうか。
「探偵さんの代入り? なにかあったの」
「その前にこちらから伺いたいことが、麗子さんに固執するのはなぜですか」
「……っ、そんなこと探偵には関係ないでしょう」
 シュラインは扉が閉められてもいいように、玄関の中へ押し入った。
「我々もストーカー一味と勘違いされるわけにはいかないのです」
「だ、誰がストーカーよ。あんなオカマストーキングしてなにが楽しいわけ?」
 江里子が後退りながら言った。シュラインはニコリと笑って返す。
「オカマなんてよく言えたわね、ストーカーに成り下がってよくもまあ言えたもんだわ」
 シュラインの言葉に江里子はワタワタとまた後退した。シュラインはパンプスを脱いで上がりこんだ。
「性同一障害にご理解がないだけかと思ってました。ですが、そういった暴言は控えた方がいいでしょう。もしご理解にご助力いただけるようでしたら、当方でそういったご本を用意してもいいですわ。そうでないのならば、ファンクラブへの名乗っておかけになった電話や麗子さんサイドの手紙、ウェバー探偵の証言など諸々一括して警察へ届けることにさせていただきます」
 リビングへ続く廊下で追い詰められながら、江里子は小さな声でつぶやいた。
「私は、私はただ……」
 シュラインが止まる。素に返った江里子が震えた声で言う。
「私はただ、隼人くんに戻ってきてほしかった」
「春日部・隼人は引退しました」
 悲鳴のような泣き声が、江里子から静かに洩れはじめた。
 
 
 加門の怪我よりは雛太の状態の方がよかったので、雛太が運転するシトロエンには夕日とCASLL、琉人が乗り込んだ。加門はなぜか一人ウェバーの隣に座らされていた。
「まあ無事でなによりだったぜ、賞金稼ぎの旦那」
「……どこが無事なんだよ」
 加門が煙草に火をつけようとする。しかし、この寒いのにオープンカーなどに乗っているせいで火はなかなかつかなかった。
「なんでオープンカーなんだよ」
 諦めにも近い声で加門が言う。
「お前クーダ走らせるのにホロ被せるバカがどこにいるんだよ」
 車を運転しているウェバーはサングラスをかけていた。
「おいおい、夜サングラスかけて車乗んなよ」
「はっはっは、細かいことは気にすんな、ハンティングボーイ」
 そういったアホなやり取りをしている間に本拠地の雑居ビルは見えてきた。近くに車を停めて、全員徒歩でビルの前に立つ。
「神宮寺、雛太、お前等はここら辺で待ってろよ」
「了解」
 加門に言われて夕日は大人しくうなずいた。雛太も不服そうながらも一つうなずく。
「全員のどたまかち割ってやるぜ」
 加門の掛け声と共にビルの扉が開く。突然の来訪者に、一瞬間が走った後強面の男達が四人に向かって怒鳴った。
「なんじゃ、ボケ! ここがどこか知ってて入ったんだろうな」
 CASLLがまず前に出た。顔の恐ろしさに、強面六人が及び腰になる。
「麗子さんをどこへやりました」
 言いながらCASLLは一人の男の頭を片手に持った。そのまま上へ持ち上げる。自分の顔の高さまで男の顔を持ち上げて、CASLLは訊いた。
「麗子さんをどこへやりました」
 それを合図に琉人が中へ駆け込んだ。扉の前に立ち塞がった若い男を相手に、右手を振り上げる。
「たまには、身体を動かすのはいいことです」
 同じように手近にいた連中に加門も手を伸ばした。
「花瓶ぶつけた奴ぁどこだ」
 頭を引っ掴んで倒し、倒れたその男の頭を足で蹴り上げる。そのまま男は後ろへ吹っ飛び、ソファーへかぶさってぐったりと伸びた。
 ウェバーは鷹揚にゆっくりと歩いていって、かかってきた相手の腹に蹴りを入れる。もう一人やってくれば、顔に軽く拳を入れた。力まかせの攻撃は、こうして回避するのが一番楽と言えるだろう。
 そうこうしている間に、ウルフズ・ツリーのビル内のメンバーは誰もいなくなっていた。
「しょうがねえなあ」
 ウェバーが胸元から銃を引き抜いて、意識のある男の元へ行って肩膝をついた。額に当てて、にやりと笑う。
「いいかボクちゃん、麗子はどこへやった、言わねえと頭吹っ飛ぶぜ覚悟しとけ」
 彼は拳銃を上に向けて一発発射した。ドウンという銃声がする。
「俺は本気だぜ」
「……ハッカーの……南大泉のハッカーの元へ連れて行きました」
「オッケイいい子だ、案内できるな」
 CASLLが男の身体を持ち上げる。
「ひぃいっ」
 外で待っていた夕日と雛太が中を覗きこんでゲンナリしている。
「警察沙汰になんねえのか、これ」
 雛太が言うと、夕日は困った顔で答えた。
「なんかの抗争で片付くんじゃないかしら」
「警察も適当だな」
 加門が煙草をくわえてさっきよりかは幾分か上機嫌の様子で現れた。
「麗子は次の場所だ、花瓶もな」
 相当頭にきているらしい。
 
 
 途中の場所でシュラインと合流できたので、ウルフズ・ツリーから連れ出した男はオープンカーの荷台部分になんとか納まらせて、その場所へ来ていた。
「どうして麗子さんがさらわれたんだ?」
「先生の作ったプログラムが超高性能プログラムと誤解されてたんだ。麗子を探し出して盗んだものの、実際は麗子が言った通りなんでもないプログラムだった。それはダミーだと踏んだわけだ。そうしたら、麗子が操作の仕方を知っていると思っただろうな」
 加門は言った。
 
 南大泉のマンションの前でシュラインと雛太と夕日は三階を見上げていた。そろそろ突入する時間である。
「ストーカーは止みそうですか」
「ええ、大丈夫だと思うわ。証拠もたくさんあるし」
「麗子さん可哀想だな、先生が死んでからあのプログラム形見みたいに持ってたんだろうな」
 雛太が少し下を向いて言った。
 そのプログラムが原因で自分がさらわれるなんて、踏んだり蹴ったりじゃないか。
  
 ウェバーがドアノブを銃で壊した。銃声が鳴り響く。四人はすぐに中へ押し入り、廊下とリビングを抜けてやってきた男二人を簡単に蹴り倒した。コンピュータールームには、麗子と若い男が一人いた。麗子は座ってこちらを見ている。
「麗子」
 加門が呼んだ。
 若い男が麗子の肩を掴む。麗子がすっと身体を男の懐へ入れ、背負うようにして投げ飛ばした。そして彼女は、一直線CASLLの胸の中へ飛び込んだ。
「怖かったわ、CASLLさん!」
 琉人が若い男と取り押さえている。
 コンピューターは一人で画面にプログラムを打ち出していた。
「なんだ? それどうなってんだ」
「……自滅プログラムを読み込んでるのよ。悪用されないように、彼がセキュリティをかけたのね」
 コンピュータールームはピーピーという音でいっぱいになっている。何台もあるパソコンを見て、加門は麗子を見やった。
「お前のディスクは? もういらないのか」
「パソコンごとぶっ壊しちゃったから、もういらないわ」
 琉人がいぶかしげに麗子を見た。
「どんなセキュリティでも突破できる、プログラムだったんですか?」
 麗子はCASLLから身体を離しながら言った。
「私が作ってももっといい出来になるわ。それだけのプログラムよ」
 さっさとこの場から逃げないと警察沙汰になる騒ぎだったので、五人は三人の待つ駐車場へ走った。
「……また派手にやったわね」
 夕日が額に手を当てながら言う。
「まあまあ、いいじゃねえか。そうだ、こんなジョークがある」
 ウェバーは笑いながら言った。
「なんで精子バンクに寄付すると血液バンクに寄付するより金がもらえるか知ってるか?」
 加門はウェバーのクーダに寄りかかりながら煙草を吸っている。
「……なんでだ?」
「手作りだからさ」
 深い深い沈黙が降りてきて、雛太と夕日シュラインと琉人と麗子はシトロエンへ乗り込んだ。
 加門はさっき乗せていた男を下ろして荷台に乗った。CASLLがウェバーの助手席に乗っている。
「はっはっは、傑作だろっ」
 ウェバーは上機嫌で車を出した。
 
 
 ――エピローグ
 
 麗子の家の灰皿に紙の燃えカスが見えたので、加門は置いてあった筈のフォトスタンドを探した。目に付くところには見当たらなかった。
 先生がどんな奴だったのか、詳しく聞いてやっていたら何か変わっただろうか。
 それでも何も聞かない方が正解の筈だと、加門は信じている。
 それは、自分も同じだから。


 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
【4320/ウェバー・ゲイル/男性/46/ロサンゼルス市警察刑事】

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■         ライター通信          ■
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 hunting dogs13弾 スタンド・バイ・ミーにご参加ありがとうございました。
 今回は色々な制約がある中、暴れてみたり、追ってみたりしました。
 ラストのエピローグは意味深長で終わっております。
 偏りのあるお話でしたが、楽しんでいただけていれば幸いです。
 
 ご意見ご感想お気軽にお寄せ下さい。
 
 文ふやか