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■お留守番なぼくら 【ノベル編】■

高槻ひかる
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 それは、ちょっとした偶然が重なり合うことで起きてしまった悲劇、あるいは喜劇だった。


 草間興信所は相も変わらずのんびりと自堕落な空気に満ちている。
 ここの主である草間武彦にいたっては、しばらく続いた平穏な日々にかなり身体が馴染んでしまっていた。
「あ〜……平和だな……」
 机に上半身をだらりと投げ出して、ぐてぐてと過ごす。
 ふと、視界の端をオレンジ色の小さなものが横切ったかと思ったら、突然冷蔵庫からとんでもない物音が鳴り響いた。
「なっ、なんだ!?何が起きた!?」
 飛び起きる草間。
 慌てて給湯室へ駆け込めば、白くて四角い冷蔵庫の扉が勝手に開き、無残にも床に中身がいくつか散乱してしまっていた。
 そして。
「これは……」
 冷蔵庫の2段目、ちょうど屈みこんだ草間の目線に合わせられた場所に、白い封筒がぎゅむりっと押し込まれていた。
 この光景には見覚えがある。
 そして、このパターンにも充分に覚えがある。
 既視感にくらりとしつつも、草間はこぼれたソースや缶詰のシロップを避けながら、何とか冷蔵庫から封筒を引っ張り出した。
『草間興信所所長 草間武彦 様』
「やっぱりロドルフか」
 何故かここの冷蔵庫から時々繋がってしまう不思議の世界。茶色い熊のぬいぐるみの姿を思い浮かべながら封を切れば、三つ折の厚い手紙がみしっと収まっていた。
「なんだ?たんなる近況報告、じゃないな……」
 ただならぬ雰囲気を感じつつも丁寧に綴られた文字を目で追い始めた草間の表情は、次第に沈痛な面持ちへと変化していった。
 時候の挨拶から始まった手紙には、くまの森で起きている事件の経過が事細かに記されていた。
 要約するならば。
 カメラを構えたひとりの青年と、被写体に選ばれたらしい一匹のわんこが、くまの森で壮絶な追いかけっこを展開しているらしい。
 花が降り、小鳥が川を泳ぎ、魚が空を飛ぶその場所で、彼らのドタバタはひとつの驚異となり果てた。
 もしも、彼らがうっかり鎮守の塚を壊してしまったら、もしも彼らがうっかり巨大魚に呑まれてしまったら、もしも彼らがうっかり禁忌を犯してしまったら……
「つまりどんな手を使ってでも、こいつらを止めて欲しいってこったな……まあ、くま達にも協力を仰げば出来ないことはないか……ん?」
 はらりと、何かが封筒から滑り落ちた。
 拾い上げたものが名刺だと気付いた瞬間、草間の『沈痛な面持ち』は、眉間に深いしわを刻んだ険しいものとなった。
「…アイツか……アイツが、今度はここでやらかしているのか……」
 渋谷和樹――映画制作会社に勤務するハイテンションなトラブルメーカー。あの男が関わるとロクなことにならない。
 だが、どうにかしなくてはならないのだ。
 草間は深い深い溜息とともに、手紙を握り締めて黒電話へ向かった。
お留守番なぼくら


 この世界には、偶然と必然が溢れている。
 そして、クマの森には不思議がたくさん詰まっている。
 そこへと続く扉は、至る所に開いている。
 小春日和の心地よい昼下がり、不思議の国はあらゆる物理法則を無視して、青年とわんこと少年と少女と淑女2人をいともあっさりと受け入れた。



「つまり、その暴走くんを止めるためなら手段は選ばなくていいってことよね?」
 うふふ、とやけに嬉しそうに大和鮎はきょろんと大きな瞳を回して草間を見る。その手には興信所秘蔵のダスキンモップが握られていた。
「まあ、なんだ……そういうことでよろしく頼む」
 草間の手には、手縫いの雑巾だ。
 たまたま興信所まで届け物にやってきた『自称・普通のOL』こと鮎は、激しく脱力しつつ黒電話に手を掛けていた草間を目撃。そのまま事の次第を説明され、『救世主様』に名乗りを上げると共に、掃除の手伝いまで申し出てくれたというわけだ。
 2人の足元では、この興信所の仲間になりつつある夕日色の小さなクマのぬいぐるみが、ぴちゃぴちゃと水溜り状態のシロップに触って遊んでいる。
 冷蔵庫と向こうの世界を繋げた張本人は、実にのんきだった。
「こら、汚いでしょ」
 そのクマを、ひょいっと摘み上げたのは―――
「あ、シュラインさん。こんにちは」
「おかえり、シュライン……」
「鮎ちゃん、いらっしゃい。武彦さん、ただいま……ところで、何かあったのかしら?」
 右手に買い物袋、左手に夕日クマを抱いて、シュライン・エマは小さく首を傾げた。何となく、この光景に既視感を覚えてならない。
「ああと、な……じつは、帰ってきて早々残念なお知らせがあるんだ」
「え?」
「ロドルフからの手紙だ」
 沈痛な面持ちで腰を上げた草間は、ポケットに突っ込んだままの手紙をシュラインへ差し出した。
「お前にも頼みたいんだが……」
「なにかしら?」
 荷物を流し台へ置き、夕日クマを肩へ登らせて、シュラインはどうにも脱力気味の所長からソレを受け取る。
 そして、
「そう……渋谷くん、なのね」
 かつて訪れたあの絵本のようなクマの森からきたSOSを前にして、深い深い溜息とともにどこまでも遠い目をする。
 彼との付き合いもこれで4回目。
 どこか微妙に自業自得的な面倒事を持ち込む映画スタッフ氏は、今度は次元まで飛び越えて迷惑を掛けてしまっているらしい。
 しかも現在の被害地は、自分の可愛い夕日クマの故郷でもある、あのもふもふでふかふかな世界だ。
 なんとしても止めなくてはならない。
「もう他の人に連絡は取ったの、武彦さん?」
「ん?ああ、とりあえず2ヶ所は掛けたんだが」
「私も引き受けることにしたから、上手く行けば4人。いい感じじゃない?」
 鮎が草間の肩ごしにひょいっと顔を覗かせて、ウィンクしてみせる。
「そうね、確かに4人ならいけるかも。鮎ちゃんも協力してくれるならすごく助かるわ」
 そういってシュラインも鮎と同じようにウィンクで返し、
「じゃあ、その前に下準備もしておかないと」
 携帯電話を取り出すと、2人から少し離れて登録アドレスを引き出す。既に頭の中では具体的な対応策が展開されていた。
 数回の呼び出し音の後に出た相手は、
「あ、お久しぶりです、監督さん。エマです……ええ、実は渋谷くんのことで……ええ、そうです……それでお聞きしたいことが………はい」
 諸悪の根源が勤務する映画会社の、顔馴染みとなってしまった監督である。
 シュラインが電話している間にすっかり掃除を終えた鮎は、そのまま夕日クマを彼女の肩から引き取って、応接セットへ向かった。
「悪気がないといっても問題よね」
 ソファに身体を沈めて、ちょこまか動く夕日クマと戯れながら電話が終わるのを待つ。
 出発まで後どれくらいだろう。それまでに自分も何か用意しておくべきかしらとちょっとだけ悩む。
「ぬいぐるみ……可愛らしい、です……」
「ホント可愛いわよねぇ?シュラインさんのだって聞いたんだけど、ちょっと羨ましいわ」
「……あの方の部屋にも、たくさん、おりました……」
「へえ、ぬいぐるみ好きの子だったんだ?いいわよねぇ、ぬいぐるみ…わんこに会えるのも楽しみだしねぇ……って、ん?」
 ナチュラルに会話してから、ようやくその不自然さに気付く。
 不審そうに顔を上げれば、いつのまにかソファの端に牡丹柄の着物を纏った小さな少女が佇んでいた。
「あなた、誰?」
「申し遅れました……わたくしは…四宮灯火と、申します……」
 さらりと漆黒の髪を揺らして、少女人形は深々と頭を下げた。
「骨董品店より、店主代理で…参上いたしました……よろしく、お願い、いたし…ます……」
「あ、うんうん。こちらこそよろしく!一緒にかわいいクマ達を助けてあげましょ」
 慌てて身体をしっかり起こし、鮎も彼女に合わせて深々と頭を下げる。夕日色のクマも一緒になってお辞儀した。
 ほのぼのとした2人の横では、シュラインがまた別の所に電話を掛けていた。



 馴染みの草間興信所からの電話。それを受けたのはリンスター財閥の芸術品を全面管理する、少年の姿をした元キュレーターだった。
「クマさんかぁ……」
 喋って動くクマのぬいぐるみたちの住む森。ふかふかでもふもふだという彼らとぜひともお近づきになってみたい。
「触ってみたいな」
 ほわほわとクマの森のことを考えながら書斎に続くはずの扉に手を掛ける。
 だが、開いたその向こうに広がるのは、緑と青と色とりどりの花が降る美しい絵本ような光景。ふと影が差したかと思うと、半透明な小魚の群れが、まるで海遊館のように頭上をゆったりと通過していく。
 凛とした音で遠くから流れてくる旋律は何が奏でているものなのだろうか。
 緑の向こうに見える丘の上に組まれているのは櫓だ。そこによじ登っているのは、草間の言うクマたちだ。
「うん、いいかも」
 何もかもを理解して、扉を閉めたマリオン・バーガンディは、嬉しそうに笑みを浮かべながらいそいそと写真を用意する。
 車、自転車、虫網に犬用ビスケット。お近づきの印に渡せるようなお菓子の数々とアフタヌーンティのセットがそれぞれ写り込んだ写真たち。それらを上等のスーツにきゅっとしまって、
「お邪魔します」
 自慢の手製お茶菓子を手土産に、彼は別の扉を開いた。
 自分の部屋から屋敷の廊下に通じているはずの扉を。
 しかし、今度繋がったのは廊下でも書斎でもクマの森でもなく、
「あら?」
 ビルの一室に構えられた草間興信所である。女性陣3人と所長の視線を受けながら、彼は満面の笑みを浮かべて優雅に一礼した。
「ご無沙汰しております。総帥に変わり、私が参上いたしました。マリオン・バーガンディです」
「ということは、武彦さんが依頼した最後の調査員、ね?」
 シュラインの問いに笑顔で頷く。
「はい、よろしくお願いします。ぜひともクマの森環境保護とわんこ救出のお力になりたいと思います」
「じゃあ、これで全員かしら?ね?うふふ、いよいよなのね。ワクワクするわ」
「鮎さま……楽しそう、ですわ……」
「楽しみに決まってるじゃない。灯火だって楽しみでしょ?夕日クマみたいな可愛い子がたくさん住んでいるのよ?」
「……それは……この気持ちは……楽しみ、というものなのかも、知れません………」
「なんとしてもあの可愛くてもふもふでふかふかの世界を守りましょ?」
 シュラインが、クマの森の救世主候補をぐるりと見回す。
「では、僕が道案内を」
 バーガンディが手を伸ばしたのは、たった今彼が入ってきた興信所の入り口だ。
 冷蔵庫の代わりに正当な玄関から、彼の手で外界への扉が開かれる。



 ただいまの『追いかけっこ』状況。
 わんこ、決死の形相でクマの森を爆走中。途中でちょっとだけ道草を文字通り食べて腹ごしらえ。
 渋谷、カメラを構えているためやや視界不良にて、クッション状態の岩に顔面から突っ込んで上半身が埋まるも、辛うじて自力で脱出。再びわんこを追いかける。
 現在の『クマの森』被害状況。
 南側のハチミツ畑5割壊滅。混乱した花達が暴走し絡まりまくった結果、植物のネットがむやみに張り巡らされ、東の滝に向かう小道が通行不能。
 猛スピードで駆け回るわんこと渋谷を避けたせいで、ピンク水玉クマが刈り入れ前の田んぼに落ちて盛大なシミを作った。



 興信所の扉を抜けて、ふわり、と一瞬の浮遊感を味わった後に降り立ったのは、水面のような空が広がる『クマの森』のクマ村だ。
 辺り一帯からはなんとも言いようのない柑橘系の甘い香りが漂っていた。
「やっぱりここって好きだわ」
 シュラインが目を細めて微笑む。
 自分の腰までしかないカマクラ風の建物がいくつもぽこぽこ並んでいる光景は何度見ても可愛らしい。
 そこでは、ぬいぐるみのクマたちが慌しげに動き回っていた。
「ああ、お待ちしておりました、救世主様!おお、シュライン様も!有難うございます!あ、申し遅れました。私はクマの森のロドルフと申します」
 ぽてぽてと4人を出迎えてくれた茶色クマのぬいぐるみが、深々と頭を下げる。
「こんにちは。久しぶりね、ロドルフ」
「先日は丁寧なお手紙を有難うございました。またよろしくお願いいたします」
 ぽふんっと握手。
 改めて自己紹介をかわし、それぞれの挨拶が済んだところで、
「う〜やっぱり可愛いわ」
 鮎がたまらず、きゅっとロドルフを抱きしめる。
 もふもふとした肌触りがなんとも言えず気持ちいい。
「私も失礼させていただいて……」
 続いてバーガンディもきゅっと抱きついた。仄かに甘い香りが鼻をくすぐるこのクマの可愛らしさに、思わず頬を摺り寄せる。
 もふっとしていながら滑らかで、しっとりしているかと思えば、さらりとする。この肌触りの絶妙さといったら、どんな言葉でも言い表せない。
 今まで出会ったことのない存在が心をぐっと掴んで離さなかった。
「すばらしい……」
 思わず溜息のようにこぼれる呟き。
「いやぁ、ここまで歓迎していただくと、なんだかとても照れますねぇ」
 親愛の情に溢れた反応の2人に照れまくるロドルフを、灯火がじっと見つめる。
「………本当に、お可愛らしい……です……」
 同時に、何故かひどく懐かしい思いに包まれる。とても落ち着くような、まるで故郷に戻ってきたかのような安心感がここには満ちている。
「おうおう?なんだなんだ、救世主様が来てくれたのかい」
「ほうほう、この方達が」
「シュライン様…またしてもお世話になります」
 わらわらと他のクマたちも彼女たちを取り囲み始め、辺りは一気に華やかなもふもふワールドと化した。
 メロメロになりそうだ。
「さ、わんこの保護と諸悪の根源捕獲、頑張りましょ?」
「私も色々と用意をしてまいりましたし、一刻も早くこの方達から不安材料を取り除きたいです」
 にっこり笑う鮎は実に生き生きしていたし、バーガンディのやる気も充分だった。
 大小さまざまなクマたちに取り囲まれて半ば埋もれながら、灯火も無言のままコクリと頷き、意思表示する。
「作戦会議が終わったらそれぞれの持ち場へ、って感じかしらね」
 シュラインがロドルフを振り返る。
「では私たちの集会所へどうぞ。ご案内いたします」
「そういえば被害状況はどうなの?随時分かるようにはなっているのかしら?あの子達の場所とかも正確に把握できた方が助かるんだけど」
「あ、森には連絡網が張り巡らされていますから、各所から情報だけは伝達されるんですよ」
 止めることは出来ないけれど、と、クマはトホホな顔で付け足した。
「じゃあ、行きましょうか」
 ロドルフと共に、シュラインたち救世主一行はついついクマたちに気を取られながら集会所へ向かった。
 作戦は綿密に、かつ、臨機応変に。
 草間興信所が誇る司令塔・シュラインと、リンスター財閥の管理者・バーガンディの2人が中心となって互いの案を煮詰めていく。
「あ、これ、粗茶ですが」
「あ、どうも」
「……粗茶?」
 渡された器は手の平サイズの透明な壷だった。
 中からはシナモンとハチミツと梅のようなものと見知らぬスパイスを煮込んで濾したような、なんとも形容し難い香りが湯気と共に漂ってくる。
 だが、
「きゃぁ、おいしい!」
「ん、いいわね雫ちゃんと武彦さんにも飲ませてあげたいかも」
「……美味しい、ですわ……」
 女性陣の支持は高い。
 そして、バーガンディは一口、二口とじっくり味わい、
「レシピ、聞きたいかも」
 まるで料理人のようにひとつひとつの構成成分を自分の舌で確認し、分析していた。



 ただいまの追いかけっこ状況。
 わんこ、綿毛の花畑でしばし休憩。運動不足のせいか、やや息が切れているけれど、お布団のような心地よいふかふか感にしばし心奪われる。
 渋谷、わんこを見失い、困りつつも花畑を掻き分け、探索。途中、おいしそうな実を発見してつまみ食い。
 キュムキュムと不思議な食感が新しい。
 だが、ごくりと飲み込んで十数秒後。突如湧き上がる『カケッコ』への衝動に突き動かされ、暴走再開。どうやら『ビュンビュンの実』を食してしまった模様。
 綿毛を蹴散らしてやって来る渋谷の足音にわんこが跳ね起き、休戦はあっけなく終わる。



 渋谷とわんこの探索を鮎とバーガンディに任せ、シュラインと灯火はクマたちの案内で森の奥にある鎮守の塚の前に来ていた。
 そして―――
「う〜ん、これが……」
「不思議な香りが、します……これは……」
 それはどこからどう見ても、赤土で作り上げたまるい壷だ。仄かに漂う香りも間違いなくハチミツ。
 ただ、その表面に大きく『鎮守の塚』と筆で書かれた紙が貼付されているところを見ると、これで間違いないらしい。
 なんともここらしいと言えばここらしいのだが、想像を見事に裏切られてしまった。
「こちらは……本当に、面白い、ですわ……」
 灯火はじっと壷…もとい鎮守の塚を見あげた。
 これに似た形のものを、かつて主の土蔵で見たような気がする。ただの物言わぬ人形だった自分には、アレの中に何が入っていたのかは分からなかったが、いまならば分かるような気がした。
 この世界は何故かとても懐かしい。
 そして、とても好奇心を刺激する。
 やわらかな色彩と仄かな香り、そして何よりこの世界を構成する全てのものが、灯火の作り物の肌によく馴染んだ。
 シュラインが鎮守の塚を点検しながらアレコレとロドルフへ指示を出している間、灯火は他のクマたちと一緒に辺りを眺めたり、歌う花に手を伸ばしてみたりして過ごす。
 どこかほのぼのとした空気が漂い始めた頃、
「大変です!大変なんです!」
 息せき切って、黄色のストライプなクマが森の奥から輪の中へ駆け込んできた。
「彼らが南の虹色池に!」
「なんと!あそこには巨大魚の住処があるというのに」
「ヤバイ、ヤバイぞ、皆!」
「ああ、どうしようどうしよう〜」
 ザワザワといろめきだち、大変だ大変だと騒ぐ彼らの報告を聞きながら、シュラインの頭には、とある不穏な考えが過ぎる。
「シュライン、様……?……いかが、なさいました、か……?」
「はっ……な、なんでもないわ。ソレより急いで作戦決行といきましょう?」
 じっと自分を見上げ、首を傾げる灯火の声で我に返るシュライン。
「いけないいけない、ダメよ、ダメ」
 頭を左右に振って、うっかり思いついてしまった物騒な方法を打ち消した。
「さて、これからが大仕事よ」
「はい!シュラインさん!」
 ビシィッと精鋭部隊が隊列を組んで、一斉に右手を上げる。
 クマたちは本当に気合が入っていた。
 いずこからともなく運び込まれた角材で瞬く間に鎮守の塚に足場が組まれていくのを監督しながら、再びシュラインは思いをめぐらす。
 いっそ、渋谷もわんこもそれぞれ魚に飲み込まれてしまった方が対処もしやすく、被害も最小限に食い止められるのではないだろうか、と。
 いざとなったら生姜ハチミツで誘き出して捕獲網で捕えてしまえば、それほど大事にならないと思われる。
 破壊魔たちの暴走を止める、最も手っ取り早い手段ではないだろうか。
「シュラインさーん!俺らは何するんですかぁ?」
「え?あ、ごめんなさい。ええと、あなたたちは」
 別働隊のクマの声に呼び戻され、今度こそ意識を現場だけに集中させた。
「では……わたくしは渋谷様達を……」
 司令官兼現場監督と化したシュラインにすっと頭を下げて、灯火は空間に消えた。



 ただいまの追いかけっこ状況。
 わんこ、かなり必死。変な植物に切り付けられたり、オバケみたいな変なものに話しかけられて怯えつつ、とにかく怖い人間からひたすら逃げ惑う。
 渋谷、別の木の実を食してさらに暴れたい衝動に突き動かされ中。とりあえず走り続けて解消を試みる。



 きらりと光を反射する緑の中を、軽快に疾走する自転車が一台。某有名ブランドの開発したソレは、ペダルの踏み心地まで違うらしい。
「う〜ん、ホント素敵に可愛いわねぇ」
 清々しく笑みをこぼしながら、鮎は風に舞い上がる髪をそのままに、空をぐっと仰いだ。
 ハンドル前に取り付けられたカゴには案内役の花柄クマ。後ろの荷台にはこれを写真から引きずり出したバーガンディが乗っている。
「本当に、素敵です」
 あまり体力はないが、その分道具の多彩さで勝負を掛けた彼も、興味深そうにあたりを見回して頷いた。
「この世界を気に入って頂けて光栄です」
 クマがカゴから鮎たちを見上げる。
「案内役のあなたもすっごく可愛くて大満足よ」
 愛を込めてにっこりと笑いかければ、いやぁ、っと照れて頭を掻く。その仕草もたまらなく心をくすぐった。
「そろそろ始めようかな」
 荷台でバーガンディがおもむろにポケットから写真を一枚取り出す。
「スピード落とす?」
「いえ、大丈夫です。どうぞ鮎さんは鮎さんのペースでお願いします」
「了解」
「では私も自分のペースで……」
 指先の触れた場所が水面のように揺らぎ、バーガンディの手が紙面に波紋を起こしながらアチラ側へと突き抜けていく。
「よいしょっと」
 するりと引っ張り出されたのは、わんこが好きだという犬用のビスケットだ。
 撒き餌のごとく転々と地面にそれらを落としていくことで、わんこの嗅覚と本能を刺激し、暴走を止めつつ安全な場所へと誘導するのだ。
 妙案だと言ってくれたのはシュラインだ。
 ただし問題がひとつ。この落ちたビスケットを他の動物たちも食べてしまうのではないかということなのだが、それはそれでよしとするべきだろう。
「おいしそうですね」
 鮎越しにこちらを覗きこんでくる花柄クマに気づき、バーガンディが小さく首を傾げた。
「わんこ用だから、もしかすると口に合わないかも知れないけど……食べます?」
 そうしてちょっとだけ箱を持ち上げてみせる。
「ぜひ、ご相伴に預かりたいです!」
 力強く頷く小さなクマ。
「危なくないなら私を使っていいわよ?」
「は!有難うございます!では失礼いたしまして……」
 彼はカゴから這い出て、ハンドルから鮎の腕を伝い、彼女の肩に腰掛けてビスケットを1枚ゲットする。
 そして、むきゅうっと頬張ってムギュムギュ咀嚼。
 ほわんとした気持ちになってしばしクマを眺めてから、バーガンディは本来の作戦を決行した。
 バラバラと緑と土の間にこぼれていくビスケットたち。無くなれば、すぐに写真から引っ張り出して、自転車の通った場所にお菓子の道が細く長く続いていく。
「こういうの、やっぱりいいわねぇ……あ、ほら、向こう見て!風船が飛んでる!」
 鮎が嬉しそうに指差した西の空に、まるいものがふわふわ漂っていた。
「あれは他の森に手紙を届ける郵便屋さんですよ」
「郵便?風船じゃないの?」
「郵便屋さんなんですか?」
 鮎とバーガンディが同時に質問してしまう。
「たまぁに森を泳いでる魚達に食べられちゃったりしますけどねぇ。ちゃんと手紙を届けてくれる郵便屋さんですよ〜」
 間にむぎゅむぎゅと咀嚼音を挟みながら、クマはこの世界で目に付くいろんなモノの説明をしてくれた。
 ついつい、鮎もバーガンディもあれやこれやを質問しては、自分たちの世界と照らし合わせて、歓声を上げたり、首を傾げたりして楽しんだ。
 もはや単なるサイクリング状態である。
 渋谷とわんこ捕獲の目的が忘れ去られるのも時間の問題かもしれなかった。



「まぁてぇええ!!」
「きゃんきゃんきゃん!」
 湖の畔まで爆走するひとりと一匹。移動が早すぎて、位置の軸を確定するまでに少々時間を有したが、それでも何とか掴まえることに成功。
「お2人とも……そこから先は、いけません、わ……」
 声は届かない。
「あ!灯火さん!」
「うわぁ!?」
「皆さま!」
「うきゃぁあああぁあ!」
 いち早く防波堤になろうと駆けつけていたクマたちが、木の葉のように蹴散らされていく。
「危ない、ですわ」
 渋谷たちの捕獲よりも、クマたちの救助を優先させる灯火。
 声を上げて手を伸ばせば、解放されたチカラが周囲の緑を集めてクマ達をやわらかく受け止める。
「お怪我は…ございません、でしたか?」
 ぽふんふわりと無事着地するクマたちを覗き込めば、緑まみれの彼らが辛うじて片手を挙げて礼を示してくれた。
 彼らの尊い犠牲によって、わんこと渋谷の進路が虹の湖から変更された。ただし、それはあまりいい知らせではない。
 渋谷たちが向かったのは、つい先程まで自分が居た場所――鎮守の塚なのだ。
 連絡する手段はないものかと巡らせたその目に、ふと止まったもの。
「あら……?」
 緑の合間を縫って、道路交通標識や電話ボックスのようなものがいくつも無造作に乱立していた。これがロドルフたちの言う連絡網、だろうか。
 とりあえず近くにあった電話ボックスを開けて受話器を取ってみる。
 だが、押し当てた耳に届くのは、聞きなれた通信音ではない。
 四方八方から一斉におかしな言葉が飛び込んでくる。
『ピンポンパンポーン!午前37時のお天気は花。ときどき羽毛。ところにより靴が降るでしょう』
『それでは一曲歌います。くま村くま中央南小学校校歌斉唱』
『☆pё:%#“*‘‘@$$☆%&!!』
「……電話、ではない…のでしょうか?」
 むやみに立ち並ぶ電話ボックスの隣には、ディスクトップ型のパソコンだって転がっている。どこに繋がっているのか試しにスイッチを入れてみたが、ずぽっと指がめり込んで終わりだった。
「おう、お嬢ちゃん、そんなもんで遊んでどうしたんでい?」
 ようやく立ち直ったクマのひとりがぽてぽてと近付いて来る。
「はい……あの……シュライン様へ、ご連絡を、と……ところでこちらは、パソコン、というものではございません、の?」
 同じ目線の高さにいる顔をまじまじと見つめ、灯火は答えて問いかける。
「ああ、連絡すんなら電話つかわねえと。パソコンじゃどこにも繋がらんよ。たま〜に変なヤツラと交信できるけどな」
 彼の言う『変なヤツラ』とは一体どういうものなのか聞こうと思ったが、ソレより先に地面から生えている百合のような植物を引っ張って手渡されてしまった。
「これが電話だ」
「有難う、ございます」
 この世界のあらゆる所に張り巡らされているというネットワークを通じて、使い方の説明を受けながら灯火は仲間へと言葉を送る。


 見晴らしの良い野原のどこからかリリンと涼やかな音がしている。ガラスのような、青銅の風鈴のような、耳に心地よい音が自転車を追いかけて鳴り続ける。
「鮎様鮎様、電話ですよ〜」
 カゴの中から、花柄クマが鮎の袖を引っ張って脇道を示す。
「電話?え?どこに?」
「どこにもそれらしいものは見えないんですが」
 荷台からバーファンディもキョロキョロと辺りを見回すが、あれほど乱立していた電話BOXすら姿が見えない。
 あるのはポツポツと適当に並ぶ低木と、風にそよぐ花ばかりだ。
「電話はコレですよ〜」
 疾走する自転車からきゅっと手を伸ばしてクマが掴んだのは、低木に咲いていたふたつの小さな花だった。
「え?え?」
「千切れてしまうんじゃないんですか?」
「大丈夫ですよ〜電話は切れません」
 言葉どおり、ぎゅいーんとコード代わりと思しき蔦は延々どこまでもどこまでも伸びて付いてくる。
「ああ、ほら、灯火様からのようですよ」
 そうして鮎とバーガンディに手渡された花の中からは、確かに彼女の声が聞こえてきた。
「……作戦もいよいよ大詰め、みたいね」
 うっかりサイクリングに熱中していた2人も、ようやく本来の目的を思い出す。
「いいですね。ではこのまま向かいましょうか。鮎さん、大丈夫ですか?」
「任せて。まだまだこげるわよ」
 ぎゅんっとペダルを踏む足に気合を入れて、3人を乗せた自転車を最終目的地へ。


「き〜た〜ぞぉ!!」
 鎮守の塚に組まれた看守台の頂上から、青い網目模様クマが向こうから走ってくるわんこと渋谷を視認。メガホンで持って思い切り叫ぶ。
「ガラス部隊、前へ!」
 シャキンと、ぬいぐるみのやわらかな丸い手から鋭い爪が猫のように弾き出される。
「ようい!」
 そして、ガラスや黒板にソレがあてがわれ、
 ぎぃぎぎぎゅぅうぅ………
 聴覚に確実にダメージを負わせる、鳥肌どころではない奇音が空気を振るわせた。
 悶え苦しむ危険因子こと渋谷とわんこ。
 早々に進路を変更し、鎮守の塚は無事守られた。
「きゅ?」
 必死に逃げ回るわんこの鼻が、ふとおいしそうな匂いを嗅ぎつける。
 激しく食欲という名の本能を揺さぶる、極上の香り。
 行かなくちゃ。だってわんこは、おいしいものが大好きなんだもん。
「シュラインさまぁ!灯火さま〜!成功ですよ〜」
 感動を伝えるべく、クマたちはこの森の反対側で待機するシュラインと灯火に向けて声を張り上げた。
 百合の拡声器を通じて、森全域にソレは響き渡る。


「よし、これで鎮守の塚はOKね」
 クマたちの報告をしっかり聞き届けて、シュラインはにっと笑う。
「さ、私も行くわよ」
 岩のひとつをむしりとって、粘土のように捏ねまわせば、見事なメガホンの出来上がりである。
 そして、彼らが組んでくれた特製ステージにびしっと立つと、すぅっと大きく息を吸い込んで思い切り声を張り上げた。
 空気を振るわす大音量。
 石のメガホンを抜けた声がふわふわの綿のようなものに実体化して、水面のような空に次々と文字を描いていく。
 まるでジェット機を使った航空ショーのごとき光景が一面に展開される。
 監督から仕入れた映画青年の好みは、まさにこれらのフレーズに表れていた。
 特撮技術を駆使した世界観。派手な演出とぐっと掴んで離さないアクション。怒涛の展開。不朽のタイトルが次々飛び出す。
 だが、何より彼が愛し、この世界に入るきっかけとなったものはこれら名作の数々ではない。
「『手を伸ばせ!そして、掴め!望むものはここにある!!』」
 彼が現在ついている監督のデビュー作でもある『GO TO HEVEN―駆け抜ける空の果て―』だ。
「『空へ!空へ!空へ!』」
 じゃんっと、声にあわせて奏でられるクマたちのオーケストラ。
 それらが森全体に生中継。
 渋谷の耳に張り込み、ぐっと心を掴む。
「か〜ん〜と〜く〜〜!!L・O・V・E!激ラブ!ひゃっほう!」
 思わず叫んだ渋谷の心からの歓声を頼りに、灯火が空間を跳ぶ。
 ひとつふたつと移動を繰り返し、
「おりました」
 肉まんのような岩の上にふわりと降り立てば、拳を振り上げつつ、まだ渋谷はカメラを構えてわんこを追ってひたすら走っている。
 周りはやはり視界に入っていないようだ。
「お2人とも、止まることが出来ない、のでしょう、か……?」
 彼ら、特に渋谷の方はほとんど自分の意思ではないようにも見受けられる。
 それでも疲労の色が窺えて、体力の限りを尽くした追いかけっこもいよいよ佳境というのは分かった。
 そろそろ本当に彼らを止めねば、2人の身体にも支障が出てきそうだ。
「道を……」
 すぅっと額にチカラを溜めて、指先へと集中する。
「……違えて、あちらへ……」
 不可視の流れが地面に埋まった道路標識や転がるパソコンを引き抜いて、トントントンッと進路妨害用の障害物となる。
 どこに誘導されているとも分からず、わんこはそれを避け、避けたわんこを追って渋谷も方向を変え、ひとりと一匹は自分の意思とは関係なしに捕獲部隊の待つ西の丘へと突き進んでいった。
「鮎様、バーガンディ様……間もなく、ですわ……」
 森の至る所に張り巡らされた連絡網の端末を手に取って、今度はいずこかに繋がる捕獲部隊に言葉を送った。


 誘導に乗った暴走青年が向かう先に待ち構える2人。サイクリングの終着点は、見晴らしの利く西の丘。
「OK〜任せてちょうだい」
 にっこりと素晴らしい営業スマイルを浮かべると、助手席の窓から身を乗り出して、銃を構えた鮎は走り続ける獲物に狙いを定めた。
「うおうわぁ!?」
 いきなり目の前に吹き矢が突き刺さり、思わず渋谷は急ブレーキ。
「そうれっと!」
「ぬぉあ!?」
 続いて背後に迫ったバーガンディが、勢いよく虫網で渋谷の頭を捕え、容赦なく後ろへ引き倒した。
 初めて組んだとは思えない見事な連係プレイにて捕獲成功。
 だが、それでも見境のなくなった猪突猛進青年はジタバタと暴れてもがき続ける。
「は〜な〜せ〜〜〜」
「う、わっ……渋谷さん!」
「……渋谷さまは…何か……また、おかしなものを、食べたので、しょう、か?」
 いつのまにか少し離れた場所で傍観していた灯火が、首を傾げて隣のロドルフに問い掛ける。
「ガウガウの実を食した可能性は否定できません」
「ガウガウの実、でございます、か……?」
「ええ、ガウガウの実です。食べると野性味溢れた気持ちになれます。狩りに出かける時に食べたりするんですが……」
 痛ましげに眺めるロドルフの視線。
「渋谷さ〜ん!いい加減目を覚ましてください!」
「いっそ殴ったら大人しくなるかしら」
 暴れる渋谷に引き摺られそうになりながら、声をかけるバーガンディ。彼を支える鮎の目には物騒な光が過ぎる。
 シュラインは今日何度目かの深い溜息をつくと、メガホンを握りなおし、大きく息を吸い込んだ。
 そして、
「渋谷ぁ!!なぁにをやってんだぁ!」
 監督を模写した怒声がびりびりと空気を震わせて森に響き渡る。
「ふひ!?監督?」
 思わずカキンと身体を硬直させて気をつけの姿勢になる渋谷。
「監督?監督??」
 それからあわあわとカメラを持ったまま周囲を見回す。
 素晴らしい条件反射である。
「監督はいないけど……まあ、よかったわ。ようやく止まったわね、渋谷くん?」
「あ、シュラインの姐さん」
 虫網ごしに、渋谷はきょとんとした顔で、腰に手を当てた呆れ顔の彼女を見上げる。
「まったく、どうしてこう暴走しちゃうのかしら?」
「わんこ、怖かった?もう大丈夫よ」
 にっこり笑いながらわんこの黒い目を覗き込む鮎。しっとり柔らかな手触りに心がときめいて仕方ない。
「さあ、これをどうぞ。お疲れでしょう?」
 バーガンディがビスケットにチーズ、骨付き肉とご馳走をてんこ盛りで差し出した。
 キラキラとわんこの瞳が食欲に輝く。
 その横では、シュラインと灯火による『お説教』がまだ続いていた。
「仕事熱心だと言ってくださいよぅ、姐さ〜ん。心温まる良い絵を撮りたかっただけなんよぅ……なのに犬は逃げるし、つまみ食いしたら止まらなくなるし、走りすぎたんだよぅ」
 しくしくと泣き出した渋谷に、仕方がないなぁという空気が漂い始める。
「とにかく、ほどほどにしなくちゃダメでしょ?次は大怪我するかもしれないわよ?」
「渋谷さま……いけません、わ……わたくし達と、戻りましょう?撮影所まで、お送り、いたします…わ……ですから、ね?」
「夢中になってしまうお気持ちは分かります」
 シュライン、灯火、バーガンディと、妙に諭すような、かつ甘やかすようなコメントが続く。
「謝って済むなら警察はいらないのよぉ?」
 だが、鮎だけは鬼のような笑顔で渋谷の頬をキュムッと引っ張る。
「ちゃんとお詫びしないとダメ。いいわね?誠意は形にしなくちゃ伝わらないの」
「はい」
 地面に平伏して、映画青年は力の限り陳謝。
「悪気はないにしても、わんこもちゃんと謝っておいた方がいいかもね」
 きゅぅとうなだれつつ、わんこも伏せ。
「まあ、これで」
 何とか事態は丸く収まった。
 ただし、クマの森の被害状況は少々深刻でもある。
「では復興作業と行きましょうか」
「そうね。最後の一仕事、しましょ?」
 元キュレーターと有能なる草間興信所の事務員を指揮に置いた『クマの森・復興事業』が開始した。
 灯火の能力を使って倒れた樹や転がる岩を退かしたり、シュラインがクマたちと一緒に草のネットを作ってあちこち崩れた地面などを補強して回ったり。とりあえず邪魔をしそうになる渋谷を、鮎が花のダーツで地面に縫い付けて行動を抑止したり。
 わんこは穴を掘って色々とお手伝いに勤しむ。
 休憩時間には、バーガンディの出してくれたアフタヌーンティの豪華なセットでくつろいだ。
 甘くてやわらかくて可愛らしい時間。ほんの少し大変ではあったけれど、それでもどこか学校祭準備のような楽しさに満ちていた。
 そうして復興作業は長い長い黄昏の時間をへて、翌朝まで続いた。
 といっても、この世界の『夜』はスイッチで切り替わるがごとく、瞬きの間に朝になる。
「え?すごい」
「これが、夜……」
 何が起こったのか上手く飲み込めないまま、ぱちくりと目をしばたく鮎とバーガンディ。
「………シュライン、様……」
「ん〜一回体験してても、やっぱりすごく不思議なのよね。面白いでしょ、灯火ちゃん?」
「はい」
「うおう!すごい!カッコイイ!うわぁうわぁ、たまらない」
「し、渋谷、様……?」
 灯火の手を取って、渋谷は嬉しそうにくるくるまわる。
「よく見りゃアンタもすごいキュートだ!心温まる絵にバッチリ合うじゃん!ひゃっほう」
「お?お?なんでぃ、兄ちゃん!?」
 いきなり手を掴まれて引っ張り込まれるクマ。ぎゅむっと灯火に押し付けられる。
「等身大のクマを抱く少女〜ひゃっほう!わんこと戯れるクマとお嬢さんたち、ひゃっほう!ああ、もう、これで思い残すことないかもしんない〜!」
「はいはい、大人しくしてましょうねぇ?」
「ぎゃう〜」
 にこにこにっこり笑って、鮎が渋谷の耳を摘んで、ぎゅっと引っ張る。
 はしゃぐ渋谷の躾係となった鮎に、灯火とクマがそれぞれぺこりと礼の代わりにお辞儀をする。
 わいわいと互いの働きをねぎらいながら、今度は復興作業の代わりに朝食の支度について語り始めた彼らの前に、ロドルフがやってきた。
「有難うございました、救世主様。宜しければこちらをお持ち帰りくださいませ」
 彼から手渡されたのは、両の掌にすっぽりと収まる真珠色のタマゴだった。
「あら?これはもしかしてクマが生まれたタマゴかしら?」
「何が生まれてくるのか、それはまだ分かりません。ですが、きっと面白いものですよ」
 にっこりと彼が笑う。
 つられて皆もにっこり笑う。
「会いたくなったらまた来るから。ぎゅっとしに。その時はよろしくお願いします」
 バーガンディがロドルフ達を抱きしめる。
「おうおう、俺たちとも挨拶しようぜ」
「ぜひぜひ我々とも感謝と親愛の抱擁を〜」
「ぼくもぼくも〜」
 どこからともなくクマたちが集まって来て、結局バーガンディは全員と埋もれるようにして抱きしめあった。

 不思議の国は向こう側。再び扉は閉ざされる。
 けれど、いつでも彼らの世界はこちら側と繋がって、素敵な時間と冒険を約束してくれる。



 一週間後。
「今度は何が生まれるのかしらね?」
 仕事前に訪れたカフェの一角で、シュラインは、興信所と自宅の往復の間もこっそり持ち歩いているタマゴの入ったバッグを覗き込む。
「あら?」
 知らぬ間にもぐりこんでいた夕日クマが、タマゴの隣でもそりと動いて自分を見上げていた。
 この子がこんなふうに自分から移動するなんて珍しい。
「気になる?」
 コクリと素直に頷くコクマの頭を指先で撫でて、にっこり笑った。
「じゃあ、一緒に待ちましょっか?」
 優しい朝の光が差し込み紅茶のよい香りが漂うカフェで、穏やかな時間をゆったり過ごす。
 そんな2人の目の前で、真珠色に淡く光るタマゴがぴしりとひび割れた。
 そして、
「あら?」
「きゅう?」
 ふわりと舞い上がったのは、朝陽を反射してきらめく雫を振りまいて飛ぶ透明がかった紅葉色の小鳥だった。
「仲間が増えたわね」
 くすりと笑うシュラインの横で、夕日クマが嬉しそうに小鳥に手を振った。



END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3041/四宮・灯火(しのみや・とうか)/女/1/人形】
【3580/大和・鮎(やまと・あゆ)/女/21/OL】
【4164/マリオン・バーガンディ/男/275/元キュレーター・研究者・研究所所長】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。街がクリスマス一色に染まる今日この頃、そろそろ本格的にプレゼントを探しに行かなくては……と焦るサンタ役のライター高槻ひかるです。
 やっぱり25日の朝に枕元にプレゼントがあるのって浪漫だと思うのですよ。いくつになっても。
 さて、この度は矢高あとり絵師とのコラボ企画第3弾にして、ぷちクマ祭りにご参加くださり、誠に有難うございます!
 納品日を合わせる為、普段の依頼以上にお待たせしてしまったのですが、不思議な世界での不思議な1日、楽しんで頂ければ幸いです。

 なお、このノベルはパラレル設定でもう一組別のお話が展開しており、ラストは個別となっております。
 そして、こちらのチームのコンセプトは『楽しく軽快に罠張っていこう』でございます☆
 作戦重視、連係プレイを取りつつもほのぼの楽しく遊んでいただく展開となりました。


<シュライン・エマPL様
 コラボ企画3回め、そしてコミック編との同時ご参加、有難うございます!お世話になっております〜
 そして、毎度渋谷がご迷惑をおかけしております(平伏)
 プレイングでは夕日クマへのコメントまで頂き嬉しかったですv
 個人的には巨大魚で思いついてしまった解決策(ちょっとした不穏な考え)がツボでしたvv

 それではまた、東京怪談のどこかでお会い出来ますように。