■秋ぞかはる月と空とはむかしにて■
エム・リー |
【3249】【レイディ・ロワール】【船に宿る精霊】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
橋の前まで足を進めれば、その傍に、一人の少年が姿を見せます。
少しばかり時代を流れを思わせる詰め襟の学生服に、目深に被った学生帽。僅か陰鬱な印象を与えるこの少年は、名を訊ねると、萩戸・則之と返すでしょう。
少年の勤めは橋の守り。四つ辻に迷いこんだ貴方のような客人が、誤って橋を渡って往かぬようにと守っているのだと応えます。
橋の向こうに在るのは、現世と異なる彼岸の世界。死者が住まう場所なのです。
少年が何故橋を守っているのか。
少年が抱え持つ百合の花とは何を意味するものか。
少年が抱え持つその謎は、貴方が望めば、何れは明かされていくかもしれません。
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過去を見る花
■ 花 ■
「それが例の花?」
通された部屋にあった椅子に腰をおろすなり、ロワールは緩やかに伸びる赤い髪をふわりとなびかせ、テーブルの向こうにいる少女に話しかけた。
丸テーブルを挟んだ向こうに座る少女はロワールの言葉に小さく頷き、手にしていた花をくるくると回してみせる。
「面白いものが出来たから、あなたにも試してもらおうかと思って」
そう言ってにこりと微笑む少女に、ロワールは大きな瞳に朗らかな笑みを浮かべて小首を傾げた。
「怖い思いをするのはイヤよ?」
「わかってるって。変なモノは出てこないはずだから安心して」
ロワールの不安を笑顔で一蹴すると、少女は花をテーブルの一輪挿しにさしこんで頬づえをつく。
「これはあなたが歩んできた過去を映像化して見せてくれるの。あなたが望む記憶を、例えるなら映画のようにね」
少女が小さく笑いながらそう言うので、ロワールは安堵の色を満面に浮かべ、改めて花に目を向けた。
椿に似た形の花で、色は雪のように白い。
顔を近づけてみれば、ふわりとかすかに漂う芳香が鼻をつく。
「私が望む過去の記憶? それはどんな過去でも見せてくれるの?」
ロワールの言葉に、少女は首を縦に振った。
「そうよ、ロワール。例えばあなたと私が出会ったあの日の事とかでもね」
「すごいわ、エカテリーナ! それなら私はあの船での事を望むわ」
ロワールは言葉を弾ませて小首を傾げる。
エカテリーナは無垢とも言えるその微笑みを眩しそうに眺め、言葉を返すことなく頷いた。
■ 100年前 ■
第一次大戦の混乱もどうにか落ち着いた頃、ロワールは一隻の客船の精霊として乗船していた。
有名な豪華客船からさらに進化を遂げた船は、8万総トンという重量もさることながら、スピードも20ノット後半から30ノットを超えるまでを記録し、大西洋を4日で横断できるようになっていた。
ロワールは時鐘に宿る精霊で、ヨット、貨物船、豪華客船と様々な場所を転々と移り渡ってきたが、その時宿っていた客船の事をとても気に入っていた。
ロッジに立って海風を感じる事はもちろん、船の先端で波しぶきを眺めたり、忙しく働く船員達を見たりするのも好きだった。
精霊という立場である以上ロワールの姿は一般の目には触れることがないのだが、それでもまれに目にしてしまう者もいる。
俗にいう異能を持つ者、あるいは精霊の存在を心から信じている者。
あるいはロワールと同じく人ではない者。
そういった者に触れる機会も少なくはない。
元来の性格ゆえか、一般人の目に見えないという事を活かした悪戯なども大好きだった。
――――しかしロワールがその船を気に入っていたのには、他にも理由があった。
(あれ、副船長、もう昼食終わったんですか?)
船員の声に、波を眺めていたロワールの体が小さく震える。
ゆっくりと振り向くと、そこには二人の英国人が立っていた。
一人は茶色の髪をすっきりと切り揃えた年若い青年。
そして一人は、黄金色の髪を緩やかに伸ばした青年。
(ああ、今日はいつもより少しばかり時間に余裕が出来たんだよ。たまにはゆっくり海でも眺めようかと思ってね)
金髪の青年が穏やかに微笑みを浮かべる。
二人は短い会話の後に軽く挨拶をして別れ、一人になった金髪の青年は、ちょうどロワールが立っていた位置のすぐ隣でくつろぎ始めた。
当然、ロワールの姿は彼の目には見えていない。
それを良いことに、ロワールは青年の顔をそろそろと覗きこんでみることにした。
海の色をそのまま映したような深い青。
眼差しは優しく穏やか。その上どこか気品さえ感じられる。
青年は小さな微笑みを浮かべて海を眺めていた。
ロワールはその青年の微笑みを見つめながら、ぼんやりと頬を赤く染める。
そう、ロワールは青年の事を前から知っていた。
青年は年若いながらも客船の副船長という位置付けにあり、仕事に真面目で、乗客には人当たりの良い応対をみせていた。
根っからの好青年といった風の彼を、ロワールは快く思っていたのだ。
それがほのかな好意へと変化したのは、青年の優しさが人に対してだけではなく、船へも向けられていることに気付いてから。
青年は何よりも船を愛してくれていた。
それゆえか、姿を見るまで届かなくても、ロワールの気配を感じることはあるようだった。
波を眺めている青年の横顔に見入っていると、不意に青年がロワールの方に顔を向けた。
ロワールの気配を感じたのだろうか。
しかし彼は特に臆する様子もなく、首を傾げて軽く笑い、船の中へと戻っていった。
「あーあ。私が誰の目にも触れられる人間の姿になれたらなあ」
残されたロワールは大きく背伸びをしつつ、一人そうごちる。
頬づえをついて大袈裟なため息を洩らすロワールに、近寄ってきた一人の少女が声をかけた。
「人間の姿になればいいじゃないの」
何の前触れもなく話しかけられたのに驚き、ロワールは小さな悲鳴をあげる。
驚きながらも相手を確かめると、そこにいたのは一人の少女。
ロワールと同じ赤い髪。小柄な体に、上質な生地で出来たドレスをまとっている。
年もロワールの外見とさほど変わらないだろうか。
勝気そうな表情で笑みを浮かべ、真っ直ぐにロワールを捉えている。
「――――私が見えてるの?」
こわごわと訊ねると、少女は肩をすくませて頷いた。
「見えているから話しかけているんでしょ」
答え、少女はゆっくりとロワールに近付き、隣に立ってふわりと笑んだ。
「ところでさっきの話だけれど、人間の姿になりたいのなら、そうなればいいのだわ」
事もなげにそう告げると、少女はニヤリと口の端を歪め上げる。
「それが出来ないから望んでいるんじゃないの」
ロワールは少女の言葉にムっとして頬を膨らませた。
それから少女の顔を見つめなおして海の色をした瞳を細ませ、改めて問いかける。
「あなたは誰? 私の姿が見えてるっていうことは、よっぽど異能に恵まれているってことかしら」
問うと、少女はくすりと笑ってロワールの顔に片手で触れた。
「私は魔女と呼ばれているわ。あなたの願いを叶えに来たのよ、レイディ」
魔女と名乗った少女が真っ直ぐに見つめてくるので、ロワールは小さな嘆息を一つついた後に頭を振った。
ロワールの瞳を覗きこんでくる少女の視線に自分のそれを重ね、ゆるぎない意思を浮かべてみせる。
「私は船に宿る精霊だから、普段は人の目に触れなくていいの。それでも私を見つけてくれる人は稀にいるから。……だけどもし出来るなら、」
「あの男と言葉を交わしてみたい」
ロワールの言葉の続きを、見透かしたかのように少女が告げた。
ロワールが頷くと、少女は可憐な微笑みを浮かべて頷いた。
「それじゃあこのハーブをお茶にして飲むといいわ。それだけで、あなたが望むようになれるから」
見ると少女の手には籐で編まれた小さなカゴがある。
その中には数種類のハーブが入れてある。
ロワールは少しの躊躇の後、意を決してカゴを受け取った。
副船長を任されている青年は、用意されてある自室に戻って一息つくと、椅子に座って一日の事を思い出していた。
その日の任は全てこなし終え、夕食もとり、あとは休むばかりとなっていた。
陽光のような柔らかな髪を片手でかきあげて紅茶を一口飲み込む。
夜のしじまの中、波の音が近く遠く響いている。
窓に目を向けると月光が彼の顔を明るく照らしていた。
――――眠りの神はまだ訪れてはいないようだ。
青年はいつものように、夜の散歩に出ることにした。
安定した速度で走る船。流れていく波の音。
夜ともなれば肌にあたる風も一層冷たいものになるのだが、青年はその夜風に身を任せているのも好きだった。
人気もなくなり、あるのは優しい夜の闇ばかり。
しかしその夜はいつもと少し違っているようだった。
デッキに一人の少女が立っている。
燃えるような赤い髪に、整った顔立ち。
乗客にしては見たことのないその少女に、青年は迷うことなく近付いていった。
そして少女の目の前に立つと軽く片手をあげて握手を求め、陽射しのようにやわらかな微笑みを浮かべ、口を開けた。
「その、もし違ってたら恥ずかしいんだけれど……君は船の精霊かな?」
穏やかな物腰でそう言うと、青年はロワールの瞳を見つめてかすかに頬を赤く染める。
ロワールは嬉しそうに頷いて握手を返し、うきうきと瞳を輝かせた。
「気付いてくれていたのね!」
青年が頷くのを待たず、ロワールは青年に飛びついていた。
青年は驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間には頬を染めてロワールを受け止めた。
■ 色あせぬ微笑み ■
漂っていた潮の香りが、控え目な花の香りへと変わっていた。
ロワールはふと目を開けて周りを確かめ、ふうと小さなため息を一つ。
「戻ってきたのね」
告げると、テーブルの向こうのエカテリーナが小首を傾げて微笑んだ。
「どうだった? 楽しんでもらえたかしら」
エカテリーナの言葉に、ロワールは小さな笑みをもって返す。
あれから100年の月日が過ぎた。
ロワールは相変わらず気ままに船を渡り歩いている。
時には人の姿をとって人前に出ることもあるが、そんなロワールを船の精霊だと見抜いた人間は、数えるほどにしかいない。
精霊である以上、通常の人間よりは長い時を生きていられる。
もちろんそれは約束された永遠ではない。宿っている鐘が壊れれば、ロワールの時も終わりを告げる。
「あの男と、もっと長く一緒にいたかった?」
そっと訊ねるエカテリーナの言葉に、ロワールは肩をすくめて笑った。
それは願ってもない事だった。
長く共に居続けることが出来るなら、それはロワールにとって何にも代え難い幸福であっただろう。
ロワールはそっと目を閉じて、100年前に起きた出会いに思いを巡らせた。
こうして目を閉じれば、鮮やかに思い出すことが出来る。
潮の香り、波の音、風の声。
船旅を謳歌する乗客達と、忙しく走りまわる船員達。
眩しい太陽の光と、優しい月の光。
そのどれもが、あの青年の事を思い出させる。
今も変わらず胸に残る記憶。
「私ね、エカテリーナ。彼とはいつかきっとまた出会えると思うのよ」
閉じていた瞼をそっと開けて、魔女の笑顔を見据える。
だからそれまで、これからもずっと忘れない。
どんな光よりもやわらかかった、あの微笑みを。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3249/レイディ・ロワール/女性/17/船に宿る精霊】
NPC/エカテリーナ
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■ ライター通信 ■
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はじめまして。この度はゲームノベルに発注くださいまして、まことにありがとうございました。
お手元にお届けするのが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
本当はもっと速めにお届けしたかったのですが……遅筆に関しては今後精進あるのみです。
プレイング中では特に指定がありませんでしたが、こちらで勝手に妄想させていただきまして、
ロワール様とエカテリーナを友達設定にさせていただきました。
ノベル中の問題点等ございましたら、遠慮なくお申しつけくださいませ。
このノベルが少しでもお気に召していただければ幸いです。
機会がありましたら、またお声かけなどいただければと思います。
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