■つめたい雨、やさしい雨【S-side】■
瀬戸太一 |
【4379】【彼瀬・えるも】【飼い双尾の子弧】 |
――がりがりがり。
私の上の土が削られる。
――がりがりがり。
私と私が削られる。
…消えるのは、いやだ。
…消えるのは、いやよ。
力が欲しい。力があれば、私は消えない。私も消えない。
―――…チカラが―…。
★
「…あら、雨」
窓のガラスを叩くような音が響き、ルーリィは顔をあげて表の方をみた。
「やっぱり降ってきちゃったわね。ごめんね、散歩に行けなくって」
「いいえ、仕方のないことです。自然現象には誰も逆らえませんから」
私を気遣うように微笑んでくれるルーリィに、私も笑みを浮かべて返した。
「あーあ、雨うっとーしぃなあオイ。羽が重くなるしよー」
褐色の肌の野蛮なガキー…リックは、頭の上で手を組みながら、ぶーたれていた。
私がそれを嗜めようと口を開いたときー…
バタンッ!
「うわあ、いきなり降ってくるなんて反則だって」
「だから天気予報は聞いておきなさいと言ったでしょう!」
「こういう日に限って、折りたたみ傘忘れるんだもんなあ…奈々子さんは」
突然のドアが開く音と共に、三者三様の大きな声が飛び込んできた。
やられたなあ、と笑っているのはボブカットの少女。
その少女に向かって何故かぷりぷりと怒っているのはストレートの黒髪を持つ美少女だ。
そしてそんな二人を見て、がっくりと肩を落としているのは、外国人のような顔をした金髪の少年。
てんでばらばらに喋りだした三人を見て、私たちは一瞬呆気に取られた。
三人とも同じようで違う制服を着ている。どこかの中学ー…いや、高校生といったところか。
まじまじと彼らを見ていると、やがてその中の一人がこちらの視線に気づいたようだ。
「すみません。少し雨宿りさせて頂いても、宜しいでしょうか?」
そう言ったのは黒髪の美少女。ルーリィはふいに声をかけられ一瞬目を開いたが、すぐに微笑んで言った。
「ええ、どうぞ。突然の雨ですしね。タオルでも持ってきましょうか?」
ルーリィの目配せを受けて、私は奥に下がろうとした。
無論、彼らに柔らかいタオルでも渡すためだ。人間の身体は脆い、すぐに風邪など引いてしまうだろう。
「少々お待ち下さい」
私がそう言い、身を翻すと、背後で扉の開く音がした。
驚いて振り返ってみると、玄関先には新たな来訪者が二人立っていた。
私は目を細めて、突然の来訪者を見つめた。もしも害のある者ならば排除しなければ。
彼らはお互いに同じような、地までつくかと思われるほどの長いマントを着込み、遠目から見る顔色は病的なほどに青白かった。
漆黒の髪は、切りそろえたように肩の上でまっすぐな線を描いている。
性別の区別は難しく、お互いに中性的な顔立ちだったがー…どうやら男と女の二人組のようだった。
だが双子なのだろうか、その顔立ち、背格好、全て同じで区別をつけるのは難しそうだ。
土地柄、そしてこんな店をやっているので、『此処』はいらないモノを呼び易い。
この者たちもまた、そのようなモノなのだろうか?
私はピリピリと緊張した空気を感じながら、思わず鼻を動かして匂いを嗅いでいた。
普段感じている、この店独特の『気』の匂い。雨、見知らぬ来訪者たち。
以前どこかで嗅いだことのあるような、覚えのある匂いを感じた。
雨の匂いに紛れているがどこか泥臭い。
そして、これはー……悪意。
非常に微かな、他のもので掻き消されそうなほどのものだが、これは確かにー…。
「ルーリィ…!」
私がルーリィのほうをバッと振り向くと、いつの間にか二人組の来訪者が彼女のすぐ傍に居た。
そしてルーリィに何か木箱のようなものを手渡し、彼女はそれに魅入っていた。
二人組は近くでよく見ると、黒い髪の中に色の違う一房が混ざっていた。男のほうは赤、女は青。
お互い片方の耳にピアスをつけているようで、顔を振ると微かに光が反射され煌いた。
それは細かな細工が施された三連の輪で、彼らの顔の動きにあわせて、しゃらん、と鳴った。
「きれい…」
ルーリィは感嘆のため息を漏らし、木箱の中をもっとよく見ようと、覗き込もうとした。
だがその前に、男のほうが木箱に手を入れ、中の物をとった。
そして男の傍らにいる女に、『それ』を片方手渡す。
「どうです、珍しいものでしょう。我が家に古くから伝わるものでね、万華鏡なんですよー…」
男は口元に僅かな微笑を湛え、手の中の赤い筒のようなものを弄びながら言った。
私はその様子をただじっと見つめていた。だが、心の中では警鐘が鳴り響いていた。
この二人組を見たときからずっと。―…これは良くない『モノ』だと、私の本能が告げていた。
だがー…動けなかった。何故か、見えない壁に狭まれているかのように、一歩も。
「…全く丁度良い。天の采配とはこのことを言う。そう思いませんかー…」
男はクスっ、と笑ったと思うと、ふいに顔を動かし、ルーリィの耳元で囁いた。
私のいる距離からは聞こえないはずなのに、何故か私にはその声が届いた。
「…きみはとても、美味しそうだね」
その言葉を最後にー…ルーリィは消えた。
私の意識と共に。
■□■
「…銀、おい銀っ!!」
絶え間なく続く小さな痛みに、私はハッと我に返った。
私のすぐ目の前で、リックが珍しく必死な形相で、私の頬をぺちぺちと叩いていた。
「―……!やめろ」
私は反射的に、リックの手をぱしっと掴んだ。
リックはその手を見て一瞬目を丸くした。だがすぐに眉間に皺を寄せて思いっきり怒鳴る。
「このっ…!肝心カナメなとこで…!何やってんだよ、お前はッ!!!」
私はそこで、再度我に返った。いやー…正気に返ったと言うべきか。
私は壁に背を持たれかけながら、意識が飛んでいたようだった。
もう周囲にはあの二人組の姿はなく、目の前のリックと、
私たちを遠巻きに見つめている三人組の高校生とー…。
「…ルーリィ…」
…そうだ…ルーリィは…!
「黒チビ!ルーリィはどうした!?彼女は…!」
「消えちまったよ、この呆けッ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るリックを見て、私は愕然とした。
私は―…私がいながら―…!
「…仕方ありません、突然のことでしたから」
ふいにかけられた言葉に、私はびくっと震えた。
声をかけたのは、先ほどの三人組の中の一人、黒髪の少女だった。
私を慰めるような、哀れむような、複雑な色を瞳に湛えている。
…私は動けなかった。自ら護衛をかってこの地に来たというのに。
誰よりもー…他の何を置いても守らなければならなかった人を、みすみす逃した。
まるで指の隙間から砂が落ちるように―…。
ルーリィはいない。そしてー…元は三人組だった高校生が、二人になっていた。
私はそのことに愕然とした。まさかー…彼らの中の一人も、いなくなったというのか?
何故今まで気がつかなかったのだろう。ルーリィのことしか頭になかった…。
店に入ってきたときは笑顔を浮かべていたボブカットの少女は、何故かびしょ濡れになっていた。
しっとりと濡れた服が肌に張り付き、その髪の毛からは、水滴が今も木の床にしみを作っている。
これも理由が良く分からないがー…冷ややかな目でこちらを見ていた。
もしや、不甲斐ない私を責めているのだろうか。
それとも目の前で友人がいなくなったことに、彼女も怒りを覚えているのだろうか。
私には察することが出来なかった。
ただ私がわかることは、あの万華鏡とやらを店に持ってきた者たちが、
ルーリィと高校生のうちの一人ー…あの金髪の少年を攫ったのだろうということだけだった。
黒髪の少女は、何かを考え込むようにぽつりと言った。
「良くない感じはしました…あの万華鏡に、ですけど」
「…美味しそう…」
私は、あの男の最後の言葉を思い出した。
「…そう、言っていた…私には聞こえたんだ、確かに」
「はあ?あのじゃじゃ馬は食いモンになるよーなタマじゃねーぞ」
「…きっとそういう意味じゃないよ、黒チビ。まだ分からないが―…」
私は額に指をあてて思った。
…こんなときこそ、冷静になるべきだ。
起こってしまったことは仕方がない。あとでルーリィ自身に詫びるだけだ。…あの金髪の少年にも。
ただー…彼ら自身に詫びるために、全力を尽くさねばならない。
空虚な抜け殻に頭を下げ涙を流すことだけは、私は二度としたくない。
「…遊園地ー…」
私はぽつりと口に出した。
ー…そうだ。散歩の途中で通りかかった、あの廃墟のような無人のテーマパーク。
確か開発途中で資金が尽き、そのまま放置されたと聞いた。あそこの土の匂いー…!
「場所、分かりますか!」
私の言葉を察してくれたらしい、黒髪の少女が、キッと鋭い視線を私に向けた。
「…ああ。ここからそう遠くはない。多分あそこにー…」
「…分かりました。ここから近いのであれば、高い確率でたどり着けるでしょう」
少女の一見意味の分からない言葉は、ボブカットの少女を愕然とさせたようだ。
「奈々子、まさかアレやるつもり?やめてよ、どこに出るかわからないのに」
「事は一刻を争うのですよ!?朱理のような暢気なことを言ってる場合じゃありません」
奈々子と呼ばれた黒髪の少女は、自分が朱理と呼んだボブカットの少女に向かって、怒鳴るように言った。
「えー、もうまいったなあ…」
朱理は仕方なさそうにぽりぽりと頭を掻く。
無論、私とリックには訳が分からない。
「おい、おまえらー…」
リックが口を開いたのをさえぎるように、奈々子が怒鳴った。
「いいから、行きますよ!!!」
その次の瞬間、私は地面の感覚を失った。
――――ドサッ!
「った…」
急に空中から地面に投げ出され、私は腰に鈍い痛みを感じた。
片手で地を撫でてみると、雨に濡れた土の感触。
驚いて辺りを見回してみると、そこは廃墟だった。
朽ち捨てられた鉄材、木材、部品、いつから人の出入りがないのだろう、灰色の建物の群。
ところどころに放置してあるブルドーザーやクレーン車が、まるで無機質なオブジェのように見えた。
「…成功、ですね…」
私はふいに横から聞こえた声に驚いて振り向くと、黒髪の少女ー…奈々子が立っていた。
私と同じように腰を打ったのか、いたた、と腰骨の辺りをさすっている。
「―きみはー…?」
私は目を丸くして思わず口に出した。
少女は緊張して強張った表情のまま言った。
「一ノ瀬奈々子といいます。…えっと…」
「…銀埜でいい。何故私たちはここにいる?…きみたちは何者なんだ」
「それは―…」
奈々子は、開きかけた口を閉じてかぶりを振った。
「…いいじゃないですか、今はそんなこと。
ただ、私にはとある能力があってー…それによって、ここに皆さんを運べたんです。
朱理とあの褐色の肌の子も一緒に運んだはずなんですが、別れてしまったようですね」
そう言って奈々子は周囲を見渡した。
確かに、あのボブカットの元気そうな少女も、喧しいリックも辺りにはいない。
「でも、この場所にいることは確かなんです。あと、あの万華鏡も。
ならば薬師寺さんとあの女の子もここにいる可能性が高い―…探しましょう」
「ああ…」
私はそう言いながら、内心少し不安を感じていた。
私が犬の姿に戻れば嗅覚も今の数倍にはなる。
人間の姿であっても、普通の人間よりはその力は上だけども、やはり犬の姿のほうが能力はあがる。
だが、この少女がいてはー…。如何に今が緊急事態だとは言っても、不思議がられることは確かだ。
それにひょっとすると怯えられるかもしれない。
だが、少々運動能力が高いだけの私と、この華奢な少女だけで、ルーリィを助け出せるだろうか?
(…やるだけやってみるしかないか…)
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つめたい雨、やさしい雨。
「廃墟、か…」
私はがらくただらけの其処をぐるりと眺め回した。
あちらこちらに置き捨てられている夢の残骸たち。
本来ならば、人々の笑いざわめく声と共にあったはずのそれら。
…必要でなくなれば、こうなるのか。
「人間の愚かさの結晶、だな」
「何のことです?」
私の前にいた黒髪の少女…奈々子が、怪訝な顔で振り返った。
私は苦笑して首を振る。
「いや、何でもありません。ただの独り言です」
「…独り言を言っている場合ですか?貴方は事の重大さをよくご存知だと思いましたけどね」
「……それもそうですが」
私は、ふぅ、とため息をついた。
何故…何故この少女なのだろう?店にいたときは、黒チビことリックと、もう一人の少女も一緒だったはずなのに。
せめて黒チビとなら―……いや、この奈々子という少女のおかげで、一瞬で此処まで来ることができたのだ。
感謝こそすれ…。
「…おにいさんたち、ゆうれいですか?おばけですか?」
「ッ!?」
私と奈々子は、背後から突然かかった言葉に飛び上がった。
慌てて振り向くと、そこには何もいない。
…嫌な予感はしていたが。まさかいきなり―…?
「…ここ、ここなの。たかいおにいさんとおねえさん」
舌たらずな幼い声が変わらずかかる。
眉を潜めながら視線を下に落とすと、1メートルにも満たない子供がきょとんとした顔をして立っていた。
「…子供…?いつの間に?」
奈々子は呆気に取られたように、ぽかんとした顔つきで足元の子供を見つめていた。
いきなり二つの視線を浴びせられ、急に怖くなったのか、目線が定まらぬ様子で慌て始める子供。
私はその様子を見て、何故か急に噴出しそうになった。
何処となく、幼少の頃の主を思い出したから。
「…悪かったね、見下ろしたりして。これなら怖くないだろう?」
私はくすっと笑い、よっこいしょ、と足をまげてしゃがんだ。
同じぐらいの目線で、その子供の顔をじっと見つめてみる。
子供は、まだ性別のはっきりしない、あどけない色の残る可愛らしい顔立ちをしていた。
やはり男の子なのだろうか、年齢はまだ4,5歳程度だろう。
透けるような茶色の髪に、空に浮かぶ月のような綺麗な金色の目をもち、日本の子供とは思えない、何とも不思議な雰囲気があった。
狐色のトレーナーに、ポケットのついた青い吊りズボン。
先程降っていた雨の名残だろう、水滴がついたレインコートを羽織っている。
そして一番目を引くのがー…頭に載せた、厚ぼったい緑色の葉。
「…ボク、何かついてますよ」
同じく不思議に思ったのか、奈々子が取ってやろうというように、そっと葉に手を伸ばす。
だが子供は、目を見開いて身をそらした。そしてぶんぶんと首を振る。
「だめ、だめなのっ。これはえるもの、たいせつなのっ」
「あ、そうでしたか…御免なさいね」
舌たらずな言葉で拒絶され、苦笑する奈々子。
私はその様子を同情たっぷりに見つめて、心の中で安堵した。
…取ってやらなくてよかった。
もう少しで私も、奈々子と同じ事をするところだった。
「…えるも君ていうのかい?私たちは幽霊でもお化けでもないよ」
私は気を取り直して、笑顔を浮かべながら子供に話しかけた。
「…で、でも、いきなりでてきたですよ?えるも、びっくりしちゃったから」
「………ああ」
子供―…えるもというらしい…の、本当に驚いたんだという風に話す言葉を聞いて、私たちは苦笑した。
どうやら先程、店から此処へ一瞬で移動したのを見られていたらしい。
「…そうだな、でもそういうモノじゃあないんだ。れっきとした人間…」
といいかけて、私はふと考える。
奈々子は見た感じ普通の人間だが、私はどうだろう。
今でこそ人間の姿をしているが、本来は―…。
「ええと…」
無難に嘘をつくべきか、それとも本当のことを言うべきか。
私が固い頭をフル回転させて悩んでいたそのとき―…。
「銀ちゃんっ!?何でここにいるの?あ、さてはさっきの音、銀ちゃんの仕業?
どうせルーリィがまた変なことしでかしたんでしょ。駄目じゃない、ちゃんと見張っておかないと―…」
私は背中をドーンっ、と押されるように勢いをつけて繰り出される言葉に、多少よろめきつつも、立ち上がって振り返った。
…振り返らずとも、声の主は分かっていたが。
此処東京の地で、私を銀ちゃんと呼ぶものは、数少ない。
「………やはりきみか」
私は、後方から大またでやってくる人影を見て、思わず苦笑した。数メートルは距離があるというのに、この大声。
何故此処に彼女がいるのかという疑問よりも先に、言いようのない脱力感と安堵が私を包んだ。
…最もそれは、彼女と顔をあわせるといつも感じるものだが。
主に言わせると、彼女のパワーが私の固い頭を中和してくれているそうだが、私自身には良くわからない。
「はぁい、銀ちゃん。こんなとこで会うなんて吃驚だわ。ルーリィは?どうせあの子の変な道具のせいなんでしょ?
隠れてないで出てきなさい、って言ってよ」
私の目の前に立ち、仁王立ちで手を腰に当てた彼女が、きょろきょろと辺りを見渡す。
その度に艶やかな金髪が風に舞った。
この間店で会ったときから全く変わっていない、青い瞳に篭っている強い意志の力。
細く華奢な身体も、整った顔立ちも、全てが懐かしい。
…以前会ったとき、隣にいたはずのルーリィがいないせいもあるのだろうか。
「…綾、それはきみの勘違いだ。此処にはルーリィはいない。正確に言うと、今この場所には、な」
「どういうことよ?あんたたち、いつもワンセットじゃないの?」
「いやそれが―…話すと長くなるのだが」
私が苦笑して説明を始めようと口を開いたとき、くいくいと服のすそを引っ張る感覚がした。
私を挟んで綾を見つめている奈々子だ。
「銀埜さん、お知り合いの方ですか?良かったら紹介して下さいな」
「ああ…それもそうですね」
私は急に人口が増えた廃墟の地に、思わず苦笑を浮かべた。
先程までは、人間が作った愚かさの墓場だと感じていた廃墟が、今は一転騒がしいサロンのようだ。
「ええと。こちらが私とルーリィの共通の友人である、皆瀬綾(みなせ・あや)さんです。
見てのとおり―…活発で生命力溢れる女性ですよ」
「何よそれ、褒め言葉?」
「一応褒めてるよ」
私の言葉にぴくっと一瞬眉を潜める綾に、私は短く返した。
内心クスクス笑いを浮かべている私だが、綾には勿論そんな素振りも見せない。
私は憮然とした顔をしている綾に向かって、今度は奈々子を手で示す。
「こちらは一ノ瀬奈々子(いちのせ・ななこ)さん。つい先程知り合ったんだ」
「…どうぞ宜しく、綾さん」
奈々子は口元に笑みを浮かべて、微かに頭を下げた。
綾はこくこくと頷き、
「うん、よろしく。奈々子って呼んで良い?」
「ええ、構いませんよ」
私は己を挟んで交わされる挨拶の言葉に、多少居心地の悪いものを感じながら、ふと足元に目をやった。
そこには訳が分からないという風にきょとんとしているえるもの姿。
私は内心冷や汗を流しながら、もう一度しゃがむ。
「すまないな、放ったらかしにしていて。きみの名は、えるも君だっけ?どうしたんだ、こんなところで。お母さんとはぐれたのか?」
「こんなところに、こんなちっさい子?迷子じゃないの」
迷子はきみだろう、と言ってやりたくなる気持ちを抑えつつ、私はえるもを覗き込んでいる綾に顔を向ける。
「それを聞いているところじゃないか。全くきみはせっかちだな」
「頭の回転が速いって言ってよ、銀ちゃん。それできみ―…」
そうえるもに話しかけた綾の口が止まった。見ると、体が硬直している。
「どうした?一体…」
私がそう口を開きかけたとき、えるもの胸の中からふいに聞こえる小さな声。
ミャオ〜ン…。
「あら、猫」
奈々子が目ざとくそれを見つけ、首を傾げてえるもの胸のあたりを覗き込んでいる。
私も同じように見つめていると、えるもの組んだ腕の中から、小さな子猫が顔を出した。
「あ、あの。えるもは、かのせえるもです。このこは、さっきそこでひろったの。
びくびくってしてて、こわそうだったのです…」
「ふぅん、野良猫かな。それとも捨てられていたのかな?人間は全く酷いことをするものだ―…って綾、どうした?」
私は先程から気配を感じていない隣に向けて声をかけた。そして横を向いてみると、そこに綾の姿はない。
「…綾さん?もしかして猫…」
「ああああああっ!!あたし、ネの字がつくものだけは駄目なのよっ!お願い、それどこかに置いてきてっ!早く!今すぐっ!」
気がつけば遥か後方から強張った声で怒鳴っている綾。
…成る程。これは思わぬ弱点が発見できた。
私はくすくすと笑い、えるもに顔を向けた。
「すまないが、あの小さなおねえさんが、猫が苦手なんだそうだ。
放してもらっていいかな?それなら一緒にお母さんを探してあげられるが」
「…おかあさんは、いないのです。えるも、それに、まいごじゃないのです。
さんぽしてたら、このこがおびえてたから…」
「…そうか、優しい子だね。でもこの子は、もしかするとお母さんがどこかにいて、探しているかもしれないだろう?」
私はそう言って、えるもの頭に手を置いた。…無論、頭の葉には触らずに。
えるもは暫し私の顔をじっと見つめていたが、やがてこくん、と小さく頷き、抱いていた子猫を放した。
放たれた途端にぴゅっと飛ぶように駆けていく子猫をじっと見送り、ぽつりと呟く。
「…おかあさん、みつかるといいの」
「…そうだね。放してくれてありがとう。…綾!猫は逃げていったぞ。そろそろこっちに戻ってきたらどうだ?」
私はえるもの頭を軽く撫でたあと、未だに遠くのほうで強張っている綾に向かって声をかける。
「…本当?!嘘ついたら承知しないわよ!」
「本当だ。私がさらりと嘘をつけるような性分に見えるか?」
「……それもそうね」
私自身としては少々内心複雑な理由で綾は納得し、後頭部をぽりぽりと掻きながら近寄ってきた。
「いやあ、参ったわ。まさかこっちに来てたとはね」
「…あの子猫、知ってたのか?」
私は不思議そうな顔で尋ねた。綾は、あははっと苦笑して、
「それが、ここからちょっと離れた路地で、あの野良子猫に見つかったのよね。
それで追いかけられちゃって、気がついたらこんな廃墟にいるじゃない?
ついでに今度は威勢の良い落下音じゃない、また変なことに巻き込まれちゃったなあって思ってたら銀ちゃんがいるもんだから。
これが渡りに船ってもんよね!」
「…それは少し違うような気もするが。逃げるのも良いが、行き先はきちんと確認しなければ―…と、これはきみに言うことでもないか」
「ふぅん、それどういう意味?どうせあたしは迷子になるからって聞こえたんだけど?」
「いやそんなことはない…多分。ただ心配なだけだ」
「そう?なら良いけど」
「あの、そこのお二人さん」
口を開きかけた私を遮るように、私の後ろから声がかかった。
きょとんとした顔で私を見上げているえるもの肩に手を置き、何故かじろりとこちらを睨んでいる奈々子だ。
「仲が宜しいのも結構ですが、今はそんな呑気な状態でもないでしょう?
銀埜さん、早く思い出してください。あなたの大事な方と私の友人が今どうなっているか」
「………!」
私は奈々子の言葉に、息を呑んだ。
全く…己の愚かさ加減には涙が出るほど呆れる。
「…そ、その通りですね。綾、それにえるも君。悪いが私たちは今急いで―…」
「何よ、ルーリィがどうかしたの?」
私の表情の変化を見て取ったのか、綾が珍しく真面目な顔をした。
「それが―…」
私が何て説明しようか戸惑っているうちに、奈々子が冷静な表情で口を挟んだ。
「つい先程のことですが、私の友人と銀埜さんのご主人の少女が、何者かに浚われたのです。
尋常ではない手段によって。犯人はきっと、何らかの方法で彼女らの『力』を吸い取るつもりなんです。だからこうしている場合じゃ―…」
「なっ…!」
奈々子の言葉を聞いて、綾とえるもは顔色を変えた。最も、各々の性格によって違う変わり方だったが。
「なんですってぇ!!?」
綾は、どっかん、と何処かが噴火するような叫び声で怒鳴った。
「銀ちゃん、何でそれをもっと早く言わないのよ!?
こんなのんびり話してる暇ないじゃない、そいつら何処よ!?さっさと言って、さっさと取り返さなきゃ!」
「そ、そうなのです。だいじなひとは、すぐいなくなっちゃうです」
綾は顔を真っ赤にして眉を吊り上げ、えるもは血の気が引いた顔でたどたどしく言った。
私はその様子に一瞬呆気に取られていたが、ふっと我に返って首を振った。
「そりゃあ、もちろん…すぐに助けたいが。だが―…」
「ごちゃごちゃ言うのはあとよ、銀ちゃん。後悔したくないでしょう?ならさっさと行かなきゃ。
友達のためだもん、あたしだって一肌脱ぐわよ。
えるもって言ったっけ、そこのボクはどう?見たところ、普通の子供でもなさそうだし」
私は綾の言葉を聞いて愕然とした。綾の場合は―…ある程度予測できたが。えるもまでが?
ただの迷子の子供じゃなかったのか?
だがえるも本人は、私の内心の葛藤に気づきもせずに、こっくりと頷いていた。
「えるも、だいじょうぶなのです。えるもも、おにいさんたちのだいじなひと、たすけるのです!」
「よく言ったわ!そうよ、こういうことに人手は多いほうが良いしね。
さあ、そうと決まれば行きましょ!こっちかな?」
綾は満足そうにえるもの頭をぽん、と叩き、意気込んで足を一歩踏み出した。
だが私は慌てて、その彼女の細い腕を掴んで引き寄せた。
そして眉を潜めている彼女の耳元で、微かに囁く。
「…行くのは良いが、そっちじゃない。そっちは廃墟の出口だぞ」
「……………え?」
一瞬あとに、綾の頬がかぁっと朱に染まったのは、きっと私の見間違いではなかっただろう。
★
「じゃあまずどうしよう?二人浚われたのよね」
「そうですね、ルーリィさんと薬師寺さんです」
私たちはとりあえず、この廃墟と化した遊園地の中央に向かって歩いていた。
先頭には私、そしてえるもを挟んで綾と奈々子、といった順番だ。
私は奈々子の言葉を聞いて、ぽつりと呟いた。
「ルーリィは…距離が近くなれば、近くにいることがわかるかもしれません。
彼女とは契約を結んでいるから、彼女の気配には敏感なので」
「そうよね、それに銀ちゃんは鼻も利くでしょ?なんたってイ…」
「こちらはそれでもいいのだが!…薬師寺さんのほうはどうしましょうか?」
私は綾の言葉を遮るように声を張り上げた。そして彼女のほうに、ちらりと目線を送る。
私の意を察してくれたようで、綾は片手を顔の前に出し、目配せをした。謝ってくれているつもりなのだろう。
私の原型を知っているのは綾のみだが、今は彼女以外には教えるつもりはない。
説明している手間が惜しいし、今私が原型を見せたところで、メリットはないからだ。
「薬師寺さん、ですか」
奈々子は私の言葉に、暫し考えるように目を伏せた。
そして微かだが口元を上げて言う。
「あちらは大丈夫でしょう」
その言葉を聞いて、えるもが目を見開いた。
「ななこちゃん、むり、しないでいいの。しんぱいでしょう?」
「いいえ。私は無理してませんよ」
そういって、奈々子はえるもに優しい視線を向けた。
「今ははぐれてしまっていますが…私の友人と、銀埜さんの友人も此処にいます。彼女たちに任せておけば大丈夫です」
ですから、こちらはルーリィさんを、と奈々子は私に目線を向けた。私はその強い言葉に、思わず頷く。
「へぇ、随分信頼してるのね」
「ええ。友達ですから」
奈々子は、綾の感心したような言葉に軽く頷いた。
どことなく、「友達」という部分に力が篭っていたのは、私の気のせいなのだろうか。
「それならだいじょうぶなのです。ともだち、いいひとですね」
「…ええ」
そう言って笑みを向けるえるもに、奈々子は微かに笑って返した。
「ま、それならいいんだけど。銀ちゃん、まだルーリィの気配はなし?」
えるもと奈々子の様子を見ていた綾が、ふと立ち止まって思い出したように私に言った。
「うん?ああ…そうだな」
私は和んだ気持ちを引き締めるように眉を寄せ、鼻に意識を込めた。
そしてあたりの空気を深く吸い込む。その中に含まれている様々な『匂い』を、味わうように脳で確かめていく。
明らかな敵意、憎しみ、そういった負の感情がほとんど。
あの来訪者たちがいるとなればそれも当然のことだが、この地に寄るものも大きいだろう。
何せ人間に捨てられたモノたちの墓場だ。そういった負の感情には事欠かない。
そして少量だが、戸惑い、不安、そういった悲しみがブレンドされて、なんとも気分の悪くなる匂いだ。
「…ここは最悪だな。吐き気がする」
私がぽつりとそう漏らした言葉を聞きつけ、綾が眉を寄せた。
「銀ちゃん、大丈夫?きついなら無理しないでいいのよ。銀ちゃんまでどうにかなっちゃったら、あたし…」
「大丈夫だ。気にしなくていい」
私は眉を曇らせている綾の頭に、ぽんと手を置いて微笑んだ。
いつも元気なこの少女の曇った顔を見ているほうが、私にとっては辛い。
「負の匂いが強くてわかりにくいが…これは」
私はどこかで嗅いだことのある匂いを見つけ、思わず鼻を動かした。
ルーリィ…ではない。彼女のものなら、もっと強く私の脳に訴えるはずだ。
「この近く…極々近くだ。土の匂いにまぎれているが…」
「土?ということは…地面でしょうか」
奈々子は私の言葉に、ぴくりと耳を動かし、己の足元を見る。
「何か埋まってるってこと?でも雨でぐちょぐちょよ、埋まってるとしても濡れちゃってるんじゃない?」
「いや…濡れてはいないはずだ。そんな気配はしない。どこか濡れていない場所があるはずー…」
「濡れてない場所、ねえ。建物の影とかかしら。ねええるも、あんたどう思うー…ってどこよ?」
先程までは奈々子の隣にいたえるもが、いつの間にか姿を消していた。
まずい、やはりあんな子供を連れてくるべきでは…。
私がそう思ったとき、少し離れたところから子供特有の高い声がした。
思わず振り向くと、大きな大木の下で、当のえるもがしゃがんでいた。
「ななこちゃんたち、ここぬれてないの!ここならだいじょうぶかもなの」
あわてて駆け寄ってみると、確かにその大木のすぐ下は、葉に覆われて雨露が届いていなかった。
ほんの少し湿ってはいるものの、これだと土中にはそれほど雨は届いていないだろう。
「ということはここらへんよね。ためしにあたしがー…」
綾が意気込んで服の袖をまくるのを見て、私は腕を伸ばしてそれを止めた。
「私がやるよ。まさか女性や子供に土堀りなんかさせるわけにはいかないだろう?」
「え、気にしないでいいのにぃ。でも銀ちゃん、どうせ掘るんなら、犬のほうが良くない?ほら、鼻も利くでしょ」
あっけらかんと言う綾の言葉に、私は暫し口をつぐんだ。
原型になる必要はないと思っていたのだが…こんなところで必要に迫られるとは。
「銀埜さん?何を固まっているのです。やらないのなら私が…」
「いやいい、ちょっと待ってくれ」
私ははぁ、とため息をつき、それにあわせて体の力を抜いた。
それと同時に、ひゅるんと耳のそばで風がなり、一瞬で地面が近くなる。
「やれやれ、やはりこうなるのか」
私は地面に重なって落ちている、私が先程まで着ていたシャツやらズボンやらを口で咥えて、綾の前に差し出す。
「悪いが持っていてくれないか。濡れるとあとでクリーニングが…」
「もちろんよ!いやね、もうクリーニングなんか気にしちゃって!そういう庶民的なとこもかわいいっ」
「褒めてくれるのはいいが、抱きつくなよ。今はそんな場合じゃないんだ」
私の姿を見て、案の定目の色を変えた綾に苦笑し、私は濡れている地面を気にしながら大木のすぐ下にいく。
私は濡れていない地面をくんくんと匂いをかぎながら、それらしいところにあたりをつけ、前足で土を掘り始めた。
…やはりこういったことには、犬の姿が一番適している。
「え、え?今銀埜さんが…?あの犬は?」
私がせっせと土堀りをしているその背後で、奈々子が呆気に取られている声を出した。
「うん、銀ちゃんは犬なんだって。かわいいでしょ?あの毛並み!」
「そういうことじゃなくって!犬…って、まさかそんな…」
「うわあ、ぎんやちゃんはわんこさんだったですね!ころみたいなのです」
「コロ?えるも、犬飼ってるんだ?」
「ころはえるものおにいちゃんなの。ぎんやちゃん、おおきくてきれいでかっこいいのです〜」
「そうよねっ。あたしも一目見たときから、もうめろめろだったの!」
「あなたたち、何でそう普通でいられるんですか…!犬ですよ!?人間が犬にっ!」
私は、黙々と土を前足で掻き出しながら、背後で繰り広げられている一種間抜けな会話を聞いていた。
もちろん、内心呆れながら。
こういう展開になることは、半ば予想していたのだが。
私の原型である犬の姿―…毛並みは銀色、尻尾はふさふさ。
すっとした体躯のシェパード犬を見ての奈々子の反応に、至極同情する。今この場での一番の常識人はきみだ、奈々子。
「……!」
そんなことを思いながら、私の前足が半分ほど埋まったところで、私は土とは違う感触を見つけ動きを止めた。
前足を穴から抜き取り、鼻先を突っ込んで、ふんふんと匂いをかいでみる。…間違いない、これだ。
「きみたち、騒ぐのはそれぐらいにして、こっちにきてくれ。変なものを見つけた」
私の言葉で騒々しい会話がぴたりと止まり、三人の顔が私の掘った穴をのぞきこんだ。
「…箱、でしょうか?」
「結構小さいわね。取り出してみるわ」
綾がそういって、腕を穴に突っ込んで中から埋まっていたソレを取り出す。
取り出したものは、一言でいうと、箱だった。複雑な装飾が施されていて、どことなく大陸の空気を感じさせる。
綾は箱にかかった土や泥をさっさと払い、蓋のあたりを覗き込んだ。
「…鍵、かかってるわね」
仕方ないなあ、と呟き、綾は蓋についている小さな南京錠を握った。
私が首をかしげていると、綾の手の中から、ぽんという音と黒い煙が漂ってきた。
「…………え?」
「うん、ばっちり。開いたわよ」
ちょろいもんよね、明るく言う綾。…もしかして、もしかしなくても…今、軽い爆発がしなかったか?
「あはは、何よ銀ちゃん、呆然としちゃって。まあ気にしないで、あとで説明するからー…っと」
綾はけらけらと笑って手を振った。その手のひらには、先程の爆発の衝撃は残っていない。
何者なんだ、きみはー…。…まあ初めて会ったときから、只者ではないと思ってはいたが。
「ちょっとみんな、これ見て」
綾は開いた箱の中身を、私にも見えるような低い位置で開いた。
その中には、真っ白の布で包まれている台のようなものに、はめ込むようにして入れられている一本の筒。
見間違えようもない、あの時店で見た、あの青い筒。箱と同じような大陸風の装飾。
だがその装飾もところどころ剥げ落ち、古ぼけている。
その青い筒の隣には、同じような筒が入れられていたのだろう、くぼみが残っている。
「銀埜さん、これ―…」
奈々子が真剣な目をこちらに向け、彼女がその筒をとろうとしたそのとき―…。
『消えるのは―---―嫌』
突然私の頭の中に声が響いた。
驚いて私はあたりを見渡す。どこにも声を発するようなものはない。
見ると、他の三人も同じようにきょろきょろと見渡していた。
『――――助けて』
「ルーリィ!?」
私は思わず叫んだ。
「違うわ、これルーリィの声じゃない。全然似てない!」
綾が耳を押さえながら叫んだ。…彼女にも聞こえているのか。
「もしや、あの―…女性でしょうか」
「あたま、いたいの…」
奈々子とえるもも、同じように耳を押さえている。
私は割れそうな頭を堪えながら、えるもに寄り添って少年の頬をなめた。
この、耳ではなく直接脳に届くような声は―…この脆弱な少年にとっては、かなり辛いだろう。
『嫌。やめて。消えたクナイ。タスケ――――…』
ぶつん。
★
「ちゃんと離れててね。モロに浴びても責任とらないわよ―…っと」
綾がそう叫ぶように言う声が、爆風にかき消された。綾の細い体も、一瞬で煙に隠される。
「大丈夫か―…!」
私はたまらず叫んだ。いくら自分の爆発にはダメージを負わないと知っていても、優著に眺めていられる光景でもない。
そして数秒後、いくばくか薄まった煙の中から、笑顔の綾が姿を現した。
「大丈夫よ、もう心配性なんだから!それより穴開いたわよ、入れるわ」
けらけらと笑いながら、つい先程自分が爆発を起こした壁を指差す。
「あやちゃん、すごいの!えるもはじめてみたの」
「あはは、だから言ったでしょ、『デトネイター』だって。爆発はできるけど、その爆風でダメージ受けちゃあ、洒落にならないもんね」
つい先程知ったことだが、綾は自分をデトネイターだという。日本語でいうと、物質破壊能力者。
私もそんなことはまったく知らなかったが―…彼女自身が言わなかったのだから仕方がない。
つまり、彼女のその能力によって、あの筒が入っていた箱の鍵も壊せたということだ。
…だが。
「せめて、もう少し離れてやってくれよ。私の寿命を縮める気か?」
「だって、近くでやらないと制御出来ないんだもん。それに自分の爆発なら大丈夫だってば」
「でもな…」
私は言いかけて、はぁとため息をついた。
いくら遠距離制御は出来ないといっても、爆風をまともに浴びる姿を見て平常心でいられるはずがない。
「さすがですね。もう入れるかしら…」
そういって奈々子は、壁にあいた穴を覗き込んだ。
「まだ危ないんじゃない?もう少し冷えてからにしないと」
「そうですか…」
奈々子は苛立つ気持ちを抑えるように、唇をかんだ。
…その気持ちは痛いほどわかる。私自身…この高熱の穴を乗り越えて、今すぐ突っ込んでいきたい気持ちだ。
数十分前、例の筒を発見したあと突如頭に流れてきた声。
その声が、始まったときと同様唐突に途切れ、私たちは顔を見合わせた。
そして誰ともなく口を開きかけたとき、突然筒が光りだした。…まるで最後の力を振り絞るように。
「でも…一応ここに着いちゃったけどさ。本当にここでいいのかな?」
綾はすっかり冷えた穴の端をぱんぱんと叩き、訝しげに言った。
「しかし、これ以外に手がかりがないのだから仕方がないだろう」
私は眉をひそめて、手の中の筒を見る。それは光りだしたときよりも強く光を放っていた。
私にはそれが、場所が近くなったという合図のように見えた。場所とはもちろん、…ルーリィの。
「まあいいか、とりあえず行ってみよう。でもそれにしても…」
「うん?」
「わざわざ人の姿に戻らなくても良かったのに、銀ちゃん」
「…もう用は済んだからな、何だその残念そうな顔は」
「ううん、別に?ただ、ちゃんと撫ででおけばよかったなって思っただけ」
「全くきみは…」
私はそう言って、はぁとため息をついた。
「くらいの…なんかじめじめするのぉ」
私の横にいたえるもが、か細い声を出した。私は苦笑してえるもの肩に手を置く。
「…確かに暗いね。倉庫か…?」
私はそう言って、目を凝らしてあたりを見渡す。やはり人間の姿になっていて良かった。
犬ならば、暗闇で全く目が見えなかっただろう。
穴からの光を頼りに眺めてみると、そこは倉庫のようなところだった。
ただっ広い面積に、無造作にダンボール類が置かれている。
使われてからどれだけの日数がたったのか、篭った空気とカビでとてもいやな匂いがする。
「みたいですね。それにしては広いけども」
そう言って奈々子は、すいすいと足を進めた。
「…大丈夫か?あかりがないと…」
「大丈夫です。壁にあいた穴からの光がありますし、それにほら」
そう言って奈々子は、奥のほうを指差した。
「奥のほうも明るいですよ」
「…………ちょっとまって、何で明るいのよ?ここ、誰もいないはずでしょ。ドアは壁の隣だし」
「…窓か何かでしょうか」
「窓ぉ?ならなんであんな青白い光なのよっ」
「……青白い?」
綾の言葉に、奥のほうから漏れてくる光を凝視する。…確かに、普通の灯りの色じゃない。
私たちは、お互いに顔を見合わせて、誰ともなく言った。
「……もしかして、ビンゴ?」
前方へ進むにつれて、その光はだんだんと強く、大きくなっていた。もう隣にいるお互いの顔もはっきり見えるほどだ。
そして、それに呼応するように、私の手の中の筒の光も、大きく。
「…何だろう…人影が見えるわ」
そう言って、綾が前のほうを指差した。彼女の指し占めすほうに目を向けると、確かに人影があった。
青い光の中心、ぼんやりと立っているような影。広がっているスカートのような影ということは、女性だろうか。
……まさか。
「…ルーリィ!」
私は思わず叫んで、飛び出していた。間違えるはずがない、二度と零すかと思っていた大切な人。
ルーリィは壁の前に立ちながらも背をもたれさせることはなく、そこに立っていた。
いつも心が温かくなる笑顔を浮かべている顔は、今は生気を失っているように青白い。
そしてわずかに開いている瞳には意識の光はなかった。
「ルー…!」
もう少し手を伸ばせば、捕まえられるところだったのに。
私の指先は、何かによって阻まれた。
「銀ちゃん、大丈夫!?」
思わず足を止めた私を、綾が支えた。
『………駄目』
私とルーリィの間に、新たな人影がふんわりと落ちてきた。…現れるだろうと思っていたその顔。
あのとき店に来た、来訪者の片割れ。肩のあたりで切りそろえた黒い髪、その中に混じっている青の一房。
――女だ。
「…何故。何故邪魔をする?彼女を返してくれ―…私の大切な人なんだ」
私は哀願するように女に言った。だが女は首を振り、その場を動こうとしない。
―――――何故。
その言葉だけが私の頭を回る。
「あんたねえ…いい加減にしなさいよ!」
私の背に手を置いていた綾が怒鳴った。普段の彼女とは想像もつかない、真剣な怒りで。
「その子はねえ、あたしの大事な友達なの!そんでもって、あたしの大事な人の、大切な人なの!
だからあたしは、その子がいないと―…ってもう、なんて言ったらいいか分かんないわ」
そう叫んで、綾が片手で頭を掻き毟った。
「とりあえず、さっさと返しなさい!何が目的かはしんないけど、今なら勘弁してあげるわ」
私は綾を、少し横目で見つめた。綾の真剣な瞳はキッと前方にいる女に注がれている。
その彼女を見て、私は思った。
ああ、綾の怒りは炎のようだと。彼女のその能力と同じく、激しく、熱く燃えている。
綾の視線を真っ向から受けた女は、まるでその怒りを受け止めるように、正面を向いていた。
だがその瞳は、悲しそうに歪んでいて---―まるで、今にも泣きそうに見えた。
―何故、泣く。
「おねえさん、なんだかかなしそうなのです」
そういって、目の前の女にゆっくりと近づく少年。
慌ててえるもを止めるように、前に出る奈々子。
「駄目です、えるも君。あなたは下がって―…」
「でも、ななこちゃん。あのおねえさん、とてもかなしそうなの。きっと、なにかりゆうがあるの」
「理由ですって?あの人は卑怯な方法であの少女を捕らえたんです。そんな人に―…!」
「奈々子」
私は憤慨している奈々子を口で制した。
「…もしえるもが言うように理由があるのなら―…私も聞いてみたい」
「銀埜さん――…!」
奈々子は呆気に取られたように私を見た。
「ったく…銀ちゃんもお人好しなんだから」
綾が、やれやれといったように肩をすくめた。そして今度はほんの少し柔らかくなった瞳で、女を見つめる。
「でも実を言うと、あたしもなのよね。…あんたのその表情が気になって。
なんでそんなに悲しそうなのよ?ルーリィを浚っといて。うん、まずはその理由からよね」
『―――消えるのが嫌』
女の口が開き、また頭に直接響いてきた。…精神に直接語りかけてくるのか、彼女は。
『私はそれ。私の光は消えかかっている。力が―――必要』
私は己の手が握っている筒を見た。その光は確かに弱々しく、かすれたようになっている。
「きみはこの万華鏡なのか…力だって?そんなもの」
『あの人』
『あの人は私に言った。力が無ければ、ある者から吸い取れば良いと』
…あの男のことか。この女と対になっている、あの男。
自分たちの命が途切れそうだから、ルーリィを吸い取るだって?
――――――冗談じゃない。
「…おねえさん、でもかなしそうなの」
私が叫ぶ前に、えるもが言った。そのか細く、だが強い声で。
「おねえさん、きっと、そんなことしたくないの。だってかなしそうなんだもの」
えるもの語りかける声に、女は頭を振る。
『違う。私は消えたくない。消えるのは嫌―…!』
「きえたりしないの。…えるものおかあさんも、どこかにいっちゃったの。でも、きえたりなんかしてない」
そう言ってえるもは一歩ずつ女に近づく。
「だって、えるもがおぼえてるから」
えるもは女に向かって、両手を差し出した。
えるもの言葉に明らかな動揺を感じている女が、うろたえたようにその小さな手を見つめている。
「おねえさんも、えるもがおぼえてるよ。だから…こわくないよ」
えるもはそう言って、差し出した両手を精一杯伸ばした。
女は恐る恐る、その手に白い指を重ねる。
次の瞬間、えるもと重ねた手から蒼白い炎が立ち上った。
「…………!!ちょっと銀ちゃん、燃えてるわよっ!」
「あ…え?いや、でも…熱くないぞ」
綾の言葉に自分の手を見ると、握っていた筒も蒼白い炎に包まれていた。
だがその炎は私の腕を焼くことはなく、それどころか全く熱さも感じさせなかった。
ただ、遠い昔誰かに抱きしめられたときのような、温かさが伝わってくる。
「ね?こわくないよ。だから、おそらにかえろ?」
『――――あたたかい―…』
えるもの手から伝わった炎は、いまや女の全身を包み込んでいた。だが女はどこか安堵の表情を浮かべている。
蒼い炎から垣間見えた女の頬に、一筋の涙が伝っているのが見えた。
『覚えておいて。私がこの世界にいたことを』
「忘れやしないわよ、こんな手間かけさせたんだものっ!」
綾が女に向かって、にっと笑った。
その笑みに答えるように、女が微かに微笑んで、炎に揺らめくようにして、消えた。
最後に私達の頭の中に、ひとつの言葉を残して。
――――――覚えておいて。私の名は、翠。
「…あの人、結局成仏したかったのかしら」
「さあ、それはどうだろうな」
私は綾の呟きに返して、腕の中で穏やかな寝息をたてているルーリィを見つめた。
女が消えると同時に、ルーリィを包んでいた青い光も消えた。
支えをなくして倒れこんできたルーリィを抱きとめ、今は私の腕の中にいる。
生気を無くしていた肌もすっかり赤味を取り戻し、脈にも異常は無い。
「まあ、ルーリィも無事で良かったわね」
「ああ、おかげさまで」
私は安堵の笑みを浮かべて、綾に返した。…本当に、無事で、良かった。
「…えるも君。あなたは、一体何を?あの炎は…」
「あ、あたしもそれ聞きたかったのね。えるもって一体何者?」
女性二人から同時に好奇の視線を向けられ、思わず照れたように顔を伏せるえるも。
「えっと、えるものおとうさんは、えらい『天狐』だったです」
「…てんこ?」
「天狐、だろう。天の狐と書く。そうか…きみは狐だったか」
私は半ば納得したように、えるもを見た。
「そうなの。おとうさんがつかってた『天火』っていうの、つかってみたです。
ひとのかなしいきもちを、じょうか…とかしてくれるみたいなのです」
「へぇ、すごい技もってんのね。さすがお狐さまっ」
「そんな、ぜんぜんすごくないのです。おとうさんたちのほうがすごいのですっ」
「まあまあ、そんな遠慮しないで!えるものおかげで成仏したんだからね〜」
「えへへ…でもおねえさん、おそらにかえってくれてうれしいの」
えるもはそう言って、ふにゃ、と笑った。
その笑みを見て自然に頬が緩むのを感じていると、私の腕の中からかすかな声がした。
「………う〜ん…」
目をこしこしとこすって、ふわあと大きな欠伸をする。
私は思わず破顔して、もう何年も見てなかったような懐かしい主の青い瞳が開かれるのを見つめていた。
そして、懐かしい声で主が零す。
「…あ〜…よく寝た。…ここ、何処かしら?」
その数秒後に、綾のツッコミの猛襲を受ける主を見て、私は。
心の中で、何度も何度も繰り返した。
…お帰りなさい、と。
完。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3660 / 皆瀬・綾 / 女性 / 20歳 / 神聖都学園大学部・幽霊学生】
【4379 / 彼瀬・えるも / 男性 / 1歳 / 飼い双尾の子弧】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、または初めまして。瀬戸太一です。
今回はシナリオに参加して頂いてありがとうございました。
少しばかり長めになってしまいましたが、気に入って頂けると幸いです。
綾さん>
いつも大変お世話になっております。
またの出会いをありがとうございました^^
綾さんの明るさに、銀埜もとても助けて頂きました。
そして今回も大変楽しく書かせて頂きました。
綾さんのようなパワフルな女の子はとても好きなのです^^
これからも仲良くして頂けるととても嬉しいです。
えるもさん>
初めまして、初の参加ありがとうございます。
えるもくんのかわいらしい口調をちゃんと出せたのか、
気がかりでなりません;
お気に召して頂けると光栄です。
えるもくんの純真さと清らかさで、彼女もきっと安らかに眠れたことでしょう。
それでは、ご意見ご感想等御座いましたら、お気軽にお手紙の方どうぞ^^
またどこかでお会い出来る事を祈って。
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