■■パラノイア・シグナル■■
東圭真喜愛 |
【3604】【諏訪・海月】【万屋と陰陽術士】 |
■パラノイア・シグナル■
草間武彦は、湯上りに零の淹れたホットミルクを飲みながら、新聞を読んでいた。今日は特に忙しく、ゆっくり新聞を読む暇もなかったのだ。
「───また船上パーティーで船が爆破か……最近自棄に多いな」
テレビでも、丁度同じニュースをやっている。
「ドイツから来たシュルディッヒ閣下が来てから、物騒ですよね。日本の警察もシュルディッヒ閣下の護衛に必死だし……」
零が言う。
シュルディッヒ閣下というのは、先日年の離れた父親を病気で亡くし、まだ36歳にしてその座についた美青年で、品もよい上に性格も気さくということで日本の女性からもかなりの人気があった。右手が義手というのも「ハク」がついて格好良く見えるのだろう。実際は幼い頃に事故でやむなく、ということらしいが───。今回来日したのは、思い切ったとある映画監督の誘いで、「個人的に映画にゲスト出演する」という理由からだったのだが───今回このような事件ばかりで、すっかり怯えて最近あまりテレビにも出てこなくなった。
「ま、温室育ちのお坊ちゃんにはコワいことなんだろうさ。自分の船も爆破されたらたまらないしな。しかし、どれも犯人がなんで『アラブ系のテロリスト』という声明になってるんだか。俺がもし警察のその管轄だったら、今頃頭抱えてるな」
所詮、しがない興信所の主である自分には無関係のことである。
武彦はそう思い、新聞を置いた───ところへ、電話が鳴ってため息をつきつつ受話器を取る。
こんな夜中に、誰だ。
「はい、草間───」
興信所、と続けようとして、「助けてくれ!」という「なまり」のある日本語に言葉を奪われた。
『タケヒコ、助けてくれ! 俺も標的にされてる!』
「───? 誰だ」
『クロフォード・凪(なぎ)だ、覚えてないか!?』
あ、と思い当たった。中学生の時、国際交流だかで外国から来て一緒に学生生活を過ごした事のある、フランスの伯爵だ。同い年にして伯爵、と敬遠されていた彼を隔てなく友人として扱ったのは、武彦を入れて数名くらいなものだった。毎年のようにクリスマスカードが送られてきたり、時々電子メールのやり取りも未だにしていたが、声を聞いたのは実に久し振りだった。
「クロフォードか。何をそんなに慌てている?」
『命を狙われてる、とにかく今からそっちに向かう。事情はそっちで話す』
懐かしがっている間ではないようだった。武彦は了承し、パジャマからまた普段着に着替えて彼を待った。交流を続けていて良かった、と興信所に黒塗りの車で乗りつけた彼は、汗だくのまま言った。
「でなければ、タケヒコ、お前の職業もここ住所もわからなかった」
「ああ。それで? 一刻を争うんだろう」
零の淹れたミルクティーも飲まず、クロフォードはこくりと頷き、事情を話した。
「今、話題になっている船上パーティーでの連続爆破事件は知っているだろう?」
「ああ」
「あれは、無差別じゃない。アラブ系のテロリストというのも偽の情報だ。『奴』は標的にしても『思い通りにならなかった』人物だけを殺して、丁度目障りなアラブの情報屋を犯人に仕立て上げてる」
ピンと来た。
武彦はゆっくりと、新聞に載っているシュルディッヒを指差す。
「───こいつか?」
クロフォードは黙って頷いた。
「相変わらず察しがいいな、タケヒコ」
「いや、ただな。こいつが来てから事件が起き始め、こいつはうまい具合にさっさと『怯えて』引っ込んで、そしてお前が『名前を言わない』。辻褄が合いすぎるし、お前が『奴』と言って『名前』を言わないのは───理由があるんだろう?」
「ああ。言った途端、俺は『死んでしまう』」
だから、キーワードだけしか言えない。
「───迷惑をかけてすまない」
「なに、どうせいつも何かしら巻き込まれてんだ。で───」
キーワードってのは、と聞こうとして、ガシャンと窓が割れた。咄嗟に伏せたところへ、壁に銃弾が突っ込んでいった。
「つけられていたのか」
同じく伏せていたクロフォードは悔しげに、持っていた書類を武彦に渡す。
「いいか、もし俺が死んでも。このキーワードを伝手に、『奴』をどうにかしてくれ。でないと、悲劇は続く」
『奴』は、向精神薬を抜粋した人材に投与して洗脳を───と、そこまで言って彼は、血を吐いた。
「喋るな」
「し、しかし」
「旧友が死んだら俺の名も心も廃る。俺を頼って来たお前を護れなかったら、俺はこの先興信所なんか掲げていけねーよ」
学生時代の口調に少しだけ戻り、クロフォードの身体を支えて武彦はニヤッと笑った。
「零、すぐに人材を集めてくれ。それとクロフォードを匿う場所の手配を頼む。ここは危険だ、『ここから西へ3キロ、南へ5キロの2番目』、そこに電話をかけてくれ。場所の名前は言うな。来てくれる人間にも俺が今言った通りに場所を伝えてくれ」
色々な依頼をやってきていたおかげで、武彦はあちこちに顔が利く。闇ではあるが藪医者ではない、とりあえずではあるがクロフォードを匿える場所が、そこだった。
零も無論、連れて行く。
やがて数分も経たずに大型トラックが興信所にぶつかり、事故だと騒ぐ野次馬が来たが、そこはもう蛻の殻だった。
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■パラノイア・シグナル■
草間武彦は、湯上りに零の淹れたホットミルクを飲みながら、新聞を読んでいた。今日は特に忙しく、ゆっくり新聞を読む暇もなかったのだ。
「───また船上パーティーで船が爆破か……最近自棄に多いな」
テレビでも、丁度同じニュースをやっている。
「ドイツから来たシュルディッヒ閣下が来てから、物騒ですよね。日本の警察もシュルディッヒ閣下の護衛に必死だし……」
零が言う。
シュルディッヒ閣下というのは、先日年の離れた父親を病気で亡くし、まだ36歳にしてその座についた美青年で、品もよい上に性格も気さくということで日本の女性からもかなりの人気があった。右手が義手というのも「ハク」がついて格好良く見えるのだろう。実際は幼い頃に事故でやむなく、ということらしいが───。今回来日したのは、思い切ったとある映画監督の誘いで、「個人的に映画にゲスト出演する」という理由からだったのだが───今回このような事件ばかりで、すっかり怯えて最近あまりテレビにも出てこなくなった。
「ま、温室育ちのお坊ちゃんにはコワいことなんだろうさ。自分の船も爆破されたらたまらないしな。しかし、どれも犯人がなんで『アラブ系のテロリスト』という声明になってるんだか。俺がもし警察のその管轄だったら、今頃頭抱えてるな」
所詮、しがない興信所の主である自分には無関係のことである。
武彦はそう思い、新聞を置いた───ところへ、電話が鳴ってため息をつきつつ受話器を取る。
こんな夜中に、誰だ。
「はい、草間───」
興信所、と続けようとして、「助けてくれ!」という「なまり」のある日本語に言葉を奪われた。
『タケヒコ、助けてくれ! 俺も標的にされてる!』
「───? 誰だ」
『クロフォード・凪(なぎ)だ、覚えてないか!?』
あ、と思い当たった。中学生の時、国際交流だかで外国から来て一緒に学生生活を過ごした事のある、フランスの伯爵だ。同い年にして伯爵、と敬遠されていた彼を隔てなく友人として扱ったのは、武彦を入れて数名くらいなものだった。毎年のようにクリスマスカードが送られてきたり、時々電子メールのやり取りも未だにしていたが、声を聞いたのは実に久し振りだった。
「クロフォードか。何をそんなに慌てている?」
『命を狙われてる、とにかく今からそっちに向かう。事情はそっちで話す』
懐かしがっている間ではないようだった。武彦は了承し、パジャマからまた普段着に着替えて彼を待った。交流を続けていて良かった、と興信所に黒塗りの車で乗りつけた彼は、汗だくのまま言った。
「でなければ、タケヒコ、お前の職業もここ住所もわからなかった」
「ああ。それで? 一刻を争うんだろう」
零の淹れたミルクティーも飲まず、クロフォードはこくりと頷き、事情を話した。
「今、話題になっている船上パーティーでの連続爆破事件は知っているだろう?」
「ああ」
「あれは、無差別じゃない。アラブ系のテロリストというのも偽の情報だ。『奴』は標的にしても『思い通りにならなかった』人物だけを殺して、丁度目障りなアラブの情報屋を犯人に仕立て上げてる」
ピンと来た。
武彦はゆっくりと、新聞に載っているシュルディッヒを指差す。
「───こいつか?」
クロフォードは黙って頷いた。
「相変わらず察しがいいな、タケヒコ」
「いや、ただな。こいつが来てから事件が起き始め、こいつはうまい具合にさっさと『怯えて』引っ込んで、そしてお前が『名前を言わない』。辻褄が合いすぎるし、お前が『奴』と言って『名前』を言わないのは───理由があるんだろう?」
「ああ。言った途端、俺は『死んでしまう』」
だから、キーワードだけしか言えない。
「───迷惑をかけてすまない」
「なに、どうせいつも何かしら巻き込まれてんだ。で───」
キーワードってのは、と聞こうとして、ガシャンと窓が割れた。咄嗟に伏せたところへ、壁に銃弾が突っ込んでいった。
「つけられていたのか」
同じく伏せていたクロフォードは悔しげに、持っていた書類を武彦に渡す。
「いいか、もし俺が死んでも。このキーワードを伝手に、『奴』をどうにかしてくれ。でないと、悲劇は続く」
『奴』は、向精神薬を抜粋した人材に投与して洗脳を───と、そこまで言って彼は、血を吐いた。
「喋るな」
「し、しかし」
「旧友が死んだら俺の名も心も廃る。俺を頼って来たお前を護れなかったら、俺はこの先興信所なんか掲げていけねーよ」
学生時代の口調に少しだけ戻り、クロフォードの身体を支えて武彦はニヤッと笑った。
「零、すぐに人材を集めてくれ。それとクロフォードを匿う場所の手配を頼む。ここは危険だ、『ここから西へ3キロ、南へ5キロの2番目』、そこに電話をかけてくれ。場所の名前は言うな。来てくれる人間にも俺が今言った通りに場所を伝えてくれ」
色々な依頼をやってきていたおかげで、武彦はあちこちに顔が利く。闇ではあるが藪医者ではない、とりあえずではあるがクロフォードを匿える場所が、そこだった。
零も無論、連れて行く。
やがて数分も経たずに大型トラックが興信所にぶつかり、事故だと騒ぐ野次馬が来たが、そこはもう蛻の殻だった。
■西へ3キロ南へ5キロの2番目■
「これは考えましたね。ここなら安全そうです」
一番に「ここ」に到着したセレスティ・カーニンガムは、この「家」の主に地下へと案内されながら、迎えに出た武彦に言った。
「つか、いつの間に……草間さん、こんな場所確保してたんだ……?」
セレスティの後ろから、主の奥さんに扉を開けてもらいながら、二番目の到着者、諏訪・海月(すわ・かげつ)。
「二人とも『アシ』は使ってないだろうな」
身体があまり強くないセレスティは気付かれないと判断したところまでは車、そこからは徒歩で。海月も途中まではバイクで、そこからは徒歩だと言った。
「歯医者とはな……普通の医者なら捜索の目も行くだろうが、歯医者は中々ない……」
海月の言う通り、武彦がクロフォードを匿い、零にセレスティと海月に伝言した場所は、歯医者だったのだ───勿論、表向きではあるのだが。
蓮井歯科、という看板の電気が落とされてから、もう大分経つ。歯科でなく、無免ではあるが医術一般に通じているというこの40台の蓮井・光典(はすい・みつのり)は、皆を地下に案内した。
「完全な安心は出来ませんけれどね。もしクロフォードさんの身体のどこかにでも盗聴器などが仕掛けられていたら、この場所は簡単に割り出せますから」
地下を降りていきながら、セレスティ。
「その時はその時です。草間さんの興信所にトラックを突っ込ませた以上、それなりには向こうも怪しんでいるでしょうし」
蓮井は言う。
「あれ、あのトラックって……」
てっきり相手がやったのかと思っていた海月だが、蓮井は微笑んだ。
「あれはなー、蓮井さんに俺がすぐ連絡してわざとやってもらったんだ。あの騒ぎの隙に俺とクロフォードは逃げられたんだから」
とん、と階段の最後を降りて、武彦。
食料庫にキッチンやバストイレつき、といった感じのその部屋にはベッドも幾つか置いてあり、その一つにクロフォードが苦しそうに横たわっていた。
「鎮痛薬しか効き目がないんですよ、今のところ。一体どんな向精神薬を使われていたのか───今は眠ってはいますが、随分苦しそうですね」
蓮井が言うと、セレスティは椅子を見つけ、腰を下ろしてから「草間さん」と声をかけた。
「その凪氏の書類、見せては頂けませんか?」
「ああ、そうだったな」
武彦はキーワードが書いてある書類を取り出し、セレスティに渡す。海月はラップトップ式パソコンを持ち込んでいたので、それを起動しながら隣に座り、脇から覗き込んだ。
キーワードが羅列している書類を見て暫く考えていたセレスティだったが、やがて自分の考えを言った。
「このキーワードだけで推理するのなら、私でしたら、こうですね。
ナチス残党勢力がブラジルにあり、向精神薬を使い抜粋した人物を洗脳し、人物リストにある人物をターゲットとして覚えさせ、政権を簒奪すべく犯人を肩代わりさせてポロニウムで爆弾を作り、暗殺をしているのでは───と」
「逆もあり得るんじゃないか?」
カタカタとキーボードを打ちながら、海月。
「人物リストは、『これから洗脳する人間のリスト』だとしたら?」
それも興味深いですね、とセレスティ。
「もしそうだとしたら、その人物リストは手に入れたほうがいいかもな」
こちらも椅子に座りながら、武彦。
「証拠にもなるかもしれんし、どういう基準で人物を選んでいるかが分かる」
「それなら、それはセレスティさんは身体があんまり強くないなら……俺がやる」
海月が言う。
お願いします、と僅かに微笑んでおいて、セレスティは、まだ気にかかることがある、と口を開く。
「日本で騒ぎを起こしているのは、恐らくドイツでの活動が制限された為でしょう。先日亡くしたという父親の死亡原因も気にかかります。幼い頃の事故、というのも気になりますので、当時の事故の詳細も調べてみたいのですが───過去に凪氏が関係する出来事も出てくるかもしれませんね、フランスの伯爵ですし。ターゲットにされた人物の関係を洗い出せばどの様な関連から爆破に至ったのかも分かると思いますから」
洗脳解除も試みてみたいとのことだった。
その間、海月はセレスティの言葉を聴きながら、何か計算して、キーボードを打ち、暫く何かを検索していたが、
「あった。これじゃないか?」
と、画面を武彦とセレスティに見せた。
そこには、今セレスティが「気にかかる」と言った、父親の死亡原因に関する記事が載っていた。
「こんなもの、どうやって出した?」
明らかに、「裏情報」だと分かるサイトだ。
「ハッカーくらいならお手のものだからな。……ま、あんまりやると、『向こう』に探知されるけど……」
セレスティは、じっと画面を見て、「これプリントアウトできますか」と蓮井に尋ねる。蓮井は隅のほうからプリンターを出してきて、海月が自分のパソコンとそれとを繋げた。
プリントアウトされた記事を、改めて皆で読む。
「別荘で焼死、とは『普通のサイト』で検索すれば出てくるけど……」
海月は、ちらりとプリントアウトした記事と、今また検索して出した画面とを見比べながら、言う。
「シュルディッヒも同行していた、とまでは書いてないな」
「においますね」
セレスティは考え、海月に、
「シュルディッヒ閣下の詳細についても調べられますか? 探知されない範囲で」
と、頼んだ。海月は短く「了解」と言い、カタカタと実に滑らかに早くキーボードを打っていく。
手早くプリントアウトしていくと、武彦とセレスティは覗き込んだ。
「これは───」
セレスティは、考え込む。武彦は腕組みをした。
「俺はてっきり、ヒットラーの再来を夢見てとかいうものだと思っていたんだがな。シュルディッヒの父親ってのは元ナチスの軍人だったというし、年の離れたその息子にその影響が行っていないとは思えない。でも───」
「ユダヤの血が、その息子に4分の1入っていたとしたら、家庭環境も変わってきますね」
武彦の言いたかったことを、セレスティが代弁した。
「知らないうちにハーフの女性と結婚してたってわけか、シュルディッヒ閣下の父上は」
武彦は、煙草に火を点ける。
そこで、あれっと辺りを見渡す。
「諏訪は?」
「ついさっき、蓮井さんに呼ばれて一階(うえ)に行きましたよ」
セレスティは、蓮井の考えていることに大体見当をつけていたので言わなかったが、武彦はそこまで気が回らなかったらしい。
「万が一、ということも充分あり得ますからね」
セレスティは言い、やがて頬を押さえて戻ってきた海月に「お帰りなさい」と言う。
「ああ。……他に気にかかることはあるか?」
「いざとなったら囮になるつもりとは、随分自分の腕に自信があるんですね」
微笑むセレスティに、海月もにやっと笑ってみせる。
どういうことだ、と武彦が尋ねる前に、セレスティは海月に、「シュルディッヒ閣下の昔の事故についての調査」を頼んだ。
「ちょっと『引っかかる』かもしれないけど……覚悟しといてくれ」
相手の操作網に、引っかかるかもしれないというのだ。武彦とセレスティは一度、クロフォードを見やってから頷いた。
義手のことやらなにやら、「昔の事故」に関連することが次々とプリントアウトされていく。
階段の上から、蓮井が声をかけてきた。
「諏訪さん、『逃げてください』。来ますよ」
「ん」
やっぱり引っかかったか、と海月は階段を二段飛びで駆け上がっていく。
セレスティは念の為、急いでベッドの一つに横になり、武彦もそれに倣った。
「もし、これらの情報で私の推理が当たったら───」
セレスティの呟きが、武彦の耳に入った。武彦もまた、彼と同じ推測を立てていた。
「───当たってるなら、奴は───パラノイア(妄想狂)だ」
続きを、武彦が言う。
虫歯が酷くなってやってきた急患ですよ、と蓮井が言ったが、黒服の男達にそれが通用するはずもなく、海月は手を後ろに縛られ、連れられて行った。
■パラノイア■
一応抵抗する「演技」もしたが、海月は彼にしては割とおとなしく、連行された。
目隠しをされ、車に乗ってどれくらい経っただろう。
目隠しが急に外され、眩しい電気の光が目を刺して、思わず海月は目を瞬いた。
どこかの、豪華客船の一室のようだ。真ん前の豪華なソファにゆったりと座っている美貌の男を発見し、海月は無言で睨みつけた。
「ここまで大っぴらにハックしてくる人間も、珍しいですよ。諏訪海月───貴方のことを少し調べさせて頂きました。多少はクロフォードの旧友の草間武彦と交流があるようですね。今回のことも草間氏に依頼されてのことですか?」
流暢な日本語を使って、シュルディッヒは微笑を浮かべて尋ねてきた。恐ろしいほどに冷酷な、微笑。
「俺の職業は基本は万屋だ。草間とは関係ない。大体あれだけ爆破事件が起きてて、誰も何も依頼してこない筈がないだろう」
わざと、武彦を呼び捨てにして、海月。
「───それもそうですね」
シュルディッヒは、立ち上がる。
「それで───『誰か』に頼まれて、こうして今貴方は私に捕まってしまったわけですが───」
「俺のことも洗脳でもするか?」
海月が言うと、シュルディッヒは一瞬きょとんとし、声を上げて笑い出した。
「これは勇ましい。残念ながら、貴方は私の洗脳を受けるべき対象にはなり得ない。貴方には、餌になって頂きます。貴方のバックの人間に制裁をしたいのでね───明朝まで、おとなしくしていてください」
黒服の男のひとりが、海月の鳩尾に拳を入れる。
(何がおとなしくしてろ、だ……強制じゃねえか……)
思いつつ、海月は意識を失った。
「なかなか洗脳がとけませんね───」
「やっぱ、すぐには駄目か」
「本格的な精神治療でも、少しずつ受けないと───」
未だ目覚めぬクロフォードを見ながら、セレスティと武彦は話し合っている。
その時、階上から蓮井の声がした。
「草間さん、セレスティさん、テレビを!」
二人は顔を見合わせ、備え付けてあったテレビの電源を入れた。途端、ニュースが飛び込んでくる。
『先ほどからお伝えしております通り、爆破事件の問題となっていたアラブ系テロリストの一員と思われる男が、シュルディッヒ・セッツァー閣下を拘束し、本日午後3時に命を奪うと声明を出してきました。こちらが、犯人がマスコミ各社に送ってきた画像です』
パッと画面が変わり、ビデオ画像のようになった。そこには、縛られて弱々しく倒れているシュルディッヒに銃をつきつけた、頭にタオルを巻いた銀髪の男が顔を仮面で隠して立っている。
「───来たな、偽諏訪海月」
「わりと安易なやり方で我々をつってきましたね」
可笑しそうに武彦とセレスティは言う。
「どうせ昨夜でこの場所は割れてんだ、行くか」
「そうですね」
武彦とセレスティは、立ち上がり、階段を上がっていった。
「気をつけてください」
蓮井の言葉に、「クロフォードさんを宜しくお願いします」とセレスティ。
やがて、蓮井の用意した赤い車が、武彦の運転によりセレスティを乗せて蓮井歯科の裏側から出て行った。
「これじゃ、蓮井さんに施して頂いた、海月さんの偽の親知らずの虫歯に仕込んだ発信機と盗聴器も、あまり意味があるとは言えませんね」
セレスティが、手元の小さなプレートを見下ろす。黄色く点滅しているのが、「本物の」海月が現在いる場所である。
「いや、そうでもない」
武彦はハンドルを切りながら、言う。
「盗聴したものは、全部こっちで録音されるようになってるからな」
前を見ながら武彦が取り出した、小さな四角い機器を見て、セレスティは苦笑した。
「あとは窮鼠猫を噛む、ということにならなければいいのですが」
「まったくだ」
実は追い詰められているのは既に自分だと気付いたとき、鼠であるシュルディッヒがどんな行動に出るか分からない。
パラノイアが敵(あいて)というのは実に厄介だ、とセレスティは思っていた。
■夢の終わり■
海月は目覚めると、すぐに自分が寝かされている場所を見渡した。ふと、目の前の───恐らくは自分が写されているのであろうビデオカメラが回っているのに気付く。そのすぐ脇には、テレビがこれ見よがしに置いてあった。暫くそのニュースを見ていた海月は、「この野郎」と、自分に銃を突きつけている、自分と似せた格好をした仮面の男を睨め上げた。
「俺をあのパラノイアに見せかけるとは……いい度胸だな」
すると、仮面の下からクックッと笑い声がした。どうやら、ビデオカメラに音声までは入れていないらしい。
「そんなに私の格好をさせられているのが嫌ですか? 私は悪い気はしませんけれど、貴方の格好をしていても」
「午後3時───それまでに、俺の『バック』が出てこなかったらどうするんだ?」
「貴方───つまり、『私』を殺すまでのこと」
思わず、ゾクッと海月の背筋がざわめいた。
「貴方、つまり偽の『私』が死んでも、私は生き延びる。計画の実行が出来る。ナチス政権の復興などよりももっと嗜好の高い、私による私だけの政権が出来上がるのですよ───ああ、感謝します父上!」
「お前……狂ってる」
海月のその言葉にも、仮面の男───海月に扮したシュルディッヒは喉の奥で笑うだけだ。
その時だった。
「笑っていられるのも今のうち、ですけどね」
「もう終わりじゃねえか?」
聞き覚えのある声がどこからかして、ドカンと派手な音と共に扉が割られた。武彦が、途中「のして」きた黒服の男から奪った銃で、回っているビデオカメラを撃つ。
「セレスティさん、草間さん」
草間さんて、実はそんなに強かったのかという言葉を、海月は危ういところで呑み込んだ。
続けざまに撃たれて銃を跳ね飛ばされたシュルディッヒは、だがまだ余裕を見せていた。
「やはり貴方でしたか───クロフォードの最後の頼みの綱、草間武彦。護衛をつけているにしては、随分と軟弱そうですが」
自分のことだと分かり、セレスティは、こちらも冷たい微笑を浮かべる。
「保護者と言って下さいませんか? それに、私はどこかのパラノイアと違ってまともにブレーンとして働いておりますので」
内心、セレスティもコワいなと思いながら、武彦は海月の縄を解く。
途端、シュルディッヒは右手の義手を左手で取り、中に仕込んでいた銃口を向けてきた。思わず手を挙げる海月と、諦めたのかそうでないのか、あっさりと銃を捨てる武彦。ぽとりと、海月の足元に落ちる。
「やっぱり義手はそういうオチですか。銃口ではないほうに、人物リストが入っているのですか?」
こちらは楽しむかのように、手を挙げつつ、セレスティ。
「成る程、随分と頭のいい鼠だ」
シュルディッヒは仮面を取り、美貌の上にある氷のような微笑を露にする。
「冥土に送って頂く前に、私達の推測を聞いて頂けませんか?」
セレスティは、こちらも微笑をそのままに、尋ねる。聞こう、と余裕たっぷりにシュルディッヒは頷いた。騒ぎを聞きつけた黒服の男達がやってきたが、シュルディッヒ自身がとめた。
「あなたのお父上は、ナチス崩壊の後、ブラジルに逃れ───そこで、共に逃れてきたナチスの残党から同士を募った。向精神薬はナチスのお手のものですから、ポロニウムで核爆弾を作る手筈までは整った───ですが、肝心の『政権を握って自分が操れる人物』がこれといって見当たらない。向精神薬を使って洗脳はしても、完全には信用できない。そこでお父上は、息子のあなたを使ってクローンを生み出し、そのクローン達を洗脳することで『完全』としようとした───人物リストにある人間や、これまで洗脳してきた人物は皆、あなたのクローンではないですか?」
セレスティは、プリントアウトしたものを読み推測してきたのだが、全部当たっていたようだ。
「ついでに、ユダヤを嫌っていたから都合よく、自分達を疎ましく思って真実を掴もうとしているウザいイスラエル、つまりアラブ系の情報屋達をテロリストと称して爆破事件も彼らのせいにした」
武彦が言うと、シュルディッヒは笑った。
「確かに、全部当たっている。天才ハッカーと天才的ブレーンが集まれば、私の過去も計画もこうして簡単に暴かれてしまうわけか。これは───摘み取らないといけませんね」
「摘み取る前に、俺がまだ喋ってないんだけど」
と、海月。聞きましょう、と顎をしゃくるシュルディッヒ。
「あんたとクロフォードは腹違いの兄弟、そこまではハックしたことで分かったけど───父親を別荘で焼死させたのは、やっぱりウザかったから?」
ぴく、とシュルディッヒの腕が揺れる。顔が微笑から憎悪のものに変わっていく。それでも口の端を上げていたので、鬼のように歪んで見えた。
「ええ───実に目障りな父親でしたよ。ユダヤの血が半分入っているからと母を事故に見せかけて殺し、ユダヤの血が入っていないクロフォードばかりを可愛がり───クロフォードをかばって父は焼死したようなものです。その後、クロフォードを私から遠ざけるための手筈までして───探し出すのに随分と苦労しました。向精神薬の応用で、ご丁寧にクロフォードの記憶まで消して……」
こんな「世界」ではいけないんですよ、とシュルディッヒは言葉を紡ぐ。
「こんな『私を認めない』世の中は一掃して新しく創り直さなければいけないんですよ。私を認めてくれる、しっかりとした世直しをしないと」
そこで、銃弾が海月に飛んでくる。来るだろうと陰陽の血で読んでいた海月は、その素晴らしい跳躍力でもって弾を避け、武彦が先ほど捨てた銃を拾って窓に向けて撃つのと、海月が念じて銀細工をモチーフにした剣を「出して」床に向けて突きたてたのは、ほぼ同時だった。
随分と深く、剣は突き立っていったらしい。クジラが潮を吹くように、水が噴き出してきた。
「残念ですが」
セレスティが、挙げたままにしてあった自分の手を、緩やかに動かす。ハッとして彼に向けて二発目を撃とうとしていたシュルディッヒを、海水が包み込んだ。
「あなたの野望(ゆめ)は叶えられないようですよ」
窓からも海水が入り込んでくる。次々と、その海水でシュルディッヒを包んでいくセレスティを見ながら、海月は床に降り立ち、武彦はシュルディッヒの落とした義手を確保した。
「馬鹿なことが───こんな馬鹿なことが───……」
シュルディッヒは、自分をしめつける海水に負け、ついに意識を失った。
■夢の果てにあるもの■
海月の歯に仕込んであった盗聴器からの録音が明るみに出て、世間がまだ騒いでいる頃。
精神治療等を受けて、だいぶよくなったクロフォードが、草間興信所にやってきた。
セレスティの「バック」によって大分修繕してきている興信所を見ながら、彼は零が淹れてくれたお茶を飲んだ。
海月は地道に、窓枠を釘と金槌で修繕している。セレスティも釘を手渡したりと、手伝っていた。
「どうだ、具合は」
武彦が尋ねると、クロフォードは曖昧な笑みを見せた。まだ、真実を知ったショックが抜けていないようだった。
「腹違いとはいえ、あんな奴と兄弟なのは、生き難いか?」
クロフォードの性格を知っている武彦がカマをかけると、彼は顔をうつむかせた。
思ったとおりシュルディッヒの義手に仕込んであった、「これから洗脳する人物のリスト」を見て、その人物達にそれぞれに連絡を取り、暫くは仕事も休んで休暇を取るようにと言ったのは、リンスター財閥総帥の地位にあるセレスティと、実際に被害に遭ったクロフォードである。武彦が言ったところで、あまり信用はされないだろう。海月は海月で、セレスティの筋のある関係を通して一連の事件をまとめた記事をサイトに載せた。
「俺は───生きる。昔、約束したんだ、タケヒコ、俺は」
「約束?」
クロフォードの言葉に、武彦は聞き返す。
「ああ。あれから、治療を受けている間に記憶が戻ったんだ。シュルディッヒと昔、約束したことを思い出した」
それは、地平線が見えるほどの草原で、夕陽を見ながらの約束だったという。
まだ幼いシュルディッヒと、クロフォード。
6歳違いの彼らは、それでも、双子のように気が合い、仲が良かった。シュルディッヒもまだ、狂ってはいなかった。
二人でいつものように遊んでいて、あるとき銃を珍しがって見ていた。クロフォードが誤って引いてしまった引き金から放たれた弾は、彼をかばったシュルディッヒの右手に埋まった。処置が遅かったし至近距離だったから、右手を切断せざるを得なかった。
泣いている6歳のクロフォードに、12歳のシュルディッヒは無邪気に笑って、優しく言ったのだという。
『いつか、ふたりで、ちからをあわせて、戦争のないよのなかにしよう』
と。
『そしたら、いつでもこんなにきれいな夕陽がみられるから』
ね、幸せだろう?
と、シュルディッヒは言ったのだと。
「俺は───『兄さん』と血が繋がっていることが苦しいんじゃない。『兄さん』が罪を犯して、この世からいなくなってしまうことが哀しいんだ」
シュルディッヒ・セッツァーは、裁判にかけられてはいるが、死刑は免れないだろうということだった。
それを、セレスティも海月も、無論武彦も知っている。
「兄さんは───狂ってしまったけれど、でも」
クロフォードは、顔を覆った。
「でも兄さんは───それからずっと、独りで……たった独りで、戦ってきたんだ……」
自分と。過去と。優しい思い出と。
「大丈夫だ」
手を休めず、海月がぽつりと声をかける。
「お前の中に、確かにシュルディッヒは存在しているんだから」
隣で、また釘を手渡しながら、セレスティも微笑む。
「あなたが狂ってしまわない限り───あなたが望む限り。あなたは、いつまでもあの人と共に生きられるんですよ」
クロフォードの嗚咽が、興信所に響く。武彦は、その背をずっと撫でてやっていた。
誰しも、狂気と戦う時が一度はあるのかもしれない。そうでなくとも、間違いなんて人間なのだから腐るほどあるのだろう。それが大きなものであれ、小さなものであれ。
それでも、それを乗り越えた者には、果てしのない、それこそ夢見た幸せが待っているのだと、武彦は思うのだ。
「兄さん、おでんできました」
零が台所から、大きな鍋を持ってくる。武彦は、ぽんとクロフォードの背を叩き、言った。
「さ、お前が好きだった日本の食べ物だ。おでんの餅入り巾着、好きだったろ? セレスティも海月も来いよ」
「では、お言葉に甘えます」
「じゃ、休憩にするか」
窓枠から離れて、おでんを取り囲むセレスティと海月。クロフォードは僅かに微笑んだ。
「……そうだな。───美味そうだ」
そして、小さく、「ありがとう」と、万感の思いをこめて、皆に言ったのだった。
───あんな銃みたいのがあるから、戦争もやまないんだ。なあクロフォード、約束しよう。
───やくそく?
───ふたりの力なら、戦争だってなくせる。このよのなかぜんぶ、平和色でそめちゃうんだ。
───うん! でも、平和色って、どんな色?
───ほら、あのずーっとはてにみえる、夕陽みたいな、きれいな色。
───わかった、へいわ色は、夕陽色のことなんだね。
───約束だぞ、クロフォード!
───うん、約束するよ、お兄ちゃん……!
《完》
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1883/セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
3604/諏訪・海月 (すわ・かげつ)/男性/20歳/ハッカー&万屋、トランスのメンバー
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、東瑠真黒逢(とうりゅう まくあ)改め東圭真喜愛(とうこ まきと)です。
今回、ライターとしてこの物語を書かせていただきました。今まで約一年ほど、身体の不調や父の死去等で仕事を休ませて頂いていたのですが、これからは、身体と相談しながら、確実に、そしていいものを作っていくよう心がけていこうと思っています。覚えていて下さった方々からは、暖かいお迎えのお言葉、本当に嬉しく思いますv
さて今回ですが、ちょっと毛色の違った「サスペンス風味の切ない系ノベル」にしてみました。完全サスペンス・推理ものと思われていた方が多いと思いますが、期待を悪い意味で裏切ってしまっていたらすみません; なんとなく、人が「間違ってしまう」のには、それなりの「心の穴」があると思って書いたものです。クロフォードは途中「あ、死んじゃうかな」と思ったのですが、彼は恐らくシュルディッヒの分まで強く優しく生きていくでしょう。
また、今回はお二方とも文章を統一させて頂きました。
■セレスティ・カーニンガム様:いつもご参加、有り難うございますv あれだけヒントを出してはいましたが、見事な推理ぶりで、正直舌を巻いていました。過去の事故のことなどや、父親の死のことにも触れられておいででしたので、随分とスムーズに筆が進みまして、大変感謝しております。相手が「パラノイア」でもセレスティさんなら充分口だけで太刀打ちできるな、と今回思ったのはわたしだけでしょうか(笑)。
■諏訪・海月様:いつもご参加、有難うございますv ラップトップ式のPCを持ち込む、ということでしたので、それを使わせて頂きました。今回、クロフォードの護衛に徹するのは、体力的にも海月さんかなと思っていたのですが、おとりとなって頂きまして、書いていて自分でもビックリです(爆)。最後は、以前から気になっていた「剣」を使わせて頂きましたが、如何でしたでしょうか?
「夢」と「命」、そして「愛情」はわたしの全ての作品のテーマと言っても過言ではありません。今回はその全てを入れ込むことが出来て、とても感謝しております。有り難うございます。今回のノベルを読んで、皆さんどんな感想をもたれるか、非常に楽しみでもあります。
なにはともあれ、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからも魂を込めて頑張って書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
2004/12/21 Makito Touko
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