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■気がつけば、異世界■

穂積杜
【2181】【鹿沼・デルフェス】【アンティークショップ・レンの店員】
 気づくと、そこは異世界だった。
 なんで?!
 どうして?!
 責任者、出てこい!
 と、訴えようとしたところで、一方的に、それこそいきなり告げられた。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救って下さいませ」
 しかし、まずは自分を救いたい勇者さまだった……。

 気がつけば、異世界
 
 <1>
 商談を終え、アンティークショップへと戻るいつもの帰り道。
 車が行き交うコンクリートで舗装された道路、機能を重視しているため飾り気もなく積み上げられたブロック塀、遥か遠くには空を隠すように立ち並ぶビル群。すでに見なれたともいえる光景だから、特に意識をすることもない。
 ところが。
「……光?」
 蛍のようなたくさんの淡い小さな光がデルフェスを囲むように舞う。
 そして、ふと気がつけば、行き交う車は馬車に、コンクリートで舗装されているはずの道路は石畳に、飾り気のないブロック塀は赤土色のレンガに、立ち並ぶビル群は青空に映える白亜の城に変わっていた。
「え?」
 異変に気づき、足を止める。周囲を改めて見まわしてみると、変わっているのは道路や塀だけではないことがわかった。町並みも都会のそれではなく、欧州にその姿を留める中世のそれで、行き交う人々の姿も都会のそれではなく、その光景に違和感を感じさせないそれだった。
「まあ……」
 デルフェスは口許に手を添え、感嘆の吐息をついた。遥か昔の懐かしい光景、それが目の前にある。その光景に見入っていると、背後に気配を感じた。思うままに振り向くと、そこには堂々たる風格の馬、いや、その額に螺旋状の立派な角を戴いているから、一角獣、ユニコーンと呼ばれるそれになるのだろうか、気高さを感じさせる獣がいる。
「ユニコーン……?」
 そっと手を伸ばし、その首筋に触れる。ユニコーンは嫌がるわけでもなく、むしろそれ
を望むようにデルフェスの手にその身を預けようとする。
 中世の町並みにユニコーン。これはいったいどういうことなのかとデルフェスがいよいよ本気で考えはじめようとしたところで、声が響いた。
「勝手に走り出してどうしたというのですか……。あ、あなたは……!」
「?」
 ここまで走って来たのか、息を整えているのは見知らぬ男だった。どこか清廉な印象を与える礼服を身に着けているから、神聖な職についているものなのかもしれない。その男はデルフェスの視線を受けとめ、コホンと咳払いをする真似をする。
 そして。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救ってくださいませ」
 恭しく、しかし、はっきりとした口調でそう言った。
  ◇  ◇  ◇
「伝説の……勇者……?」
 デルフェスは男が口にしたなかで、最も気になる言葉を繰り返す。
「はい。我々はこの世界を救うことができる勇者を異世界より召喚する儀式を行いました。本来ならば、神殿に召喚されるはずだったのですが……邪魔が入ったのか、このようなところに」
「まあ、そうでしたの……」
 東京にはこのような中世的な町並みは見られない。デルフェスはすんなりあっさりと異世界に召喚されたという事実を受け入れた。
「そして、あなたがその勇者さまというわけなのです」
「わたくしが?」
「はい。勇者に付き従いし、聖獣がその証。……そのユニコーンは勇者にしか心を許さないのです」
 詳しい事情を説明するからと男に促されるままに、通りを歩き、町の中心部にある神殿のような建物へと足を踏み入れる。デルフェスの服装は中世的な光景にあって、浮いてしまうようなものではなく、むしろ無難に溶け込むことができるものではあったものの、隣にそっと付き従うユニコーンのせいで勇者だとわかってしまうのか、人々の視線は集中した。それは神殿内部に入ってからも同じことで、人々は遠巻きにデルフェスを見つめ、驚愕とも羨望とも期待ともいえない視線を送ってくる。
「こちらです、どうぞ」
 通された部屋には円卓があり、そこには見覚えのある顔ぶれも着席していた。デルフェスにとってはマスターともいえる蓮をはじめとして、草間興信所の草間、そして、零、アトラスの碇や三下、雫の姿もある。ただ、その服装はデルフェスが知っている彼らのものではなく、中世的な光景に馴染んだものだった。とはいえ、蓮に限って言えば、普段と大した差はなく、いつもの服装にローブを羽織っているだけではあったが。
「おや、まあ、本当に……なるほど、儀式は成功したようだ。とりあえず、自己紹介はしておくとしようかね。あたしらはあんたを知っていても、あんたはあたしらを知らないだろうから。占い師のレンだよ」
 というレンの挨拶をかわきりに次々と挨拶をされてわかったことは、どうやら服装や職業は違うものの、雰囲気的には自分がもとにいた世界の彼らと同じであるということだった。
「さて、それじゃあ、あたしから説明させてもらおうかね。この神殿の奥には強大な力を秘めた水晶が安置されていてね、その強大な魔力と聖なる輝きで魔物の活動を抑制していたのさ。ところが、それをある魔道士に奪われちまってね……」
 そう言ってレンはちらりとサンシタに視線をやる。白銀の胸鎧を装備したサンシタは見習い騎士であり、自己紹介によるとミノシタであるらしいが、この世界でもやはりサンシタと呼ばれ、それが定着してしまっているらしい。レンの口ぶり、態度からすると奪われた原因はサンシタにあるようだが……妙に納得できてしまうのは何故なのか。
「ぼ、僕だって、その……」
 頑張りました……という言葉はもごもごと小さくなっていき、最後には消えた。
「襲撃にあったとき、さっさと気絶したのはどこの誰だったかしら。まったく、不甲斐ないわ……」
 そう言ったのはレイカだった。この世界での碇は、やはり三下の上司であるらしい。自己紹介によれば、女性ながらアトラス聖騎士団の団長を務めているということだ。
「ここにいる僕です……」
 しゅん。サンシタは俯き、それ以上の反論はしなかった。なんだか可哀相になり、デルフェスは話題を転換することにした。
「それで、わたくしはどうすれば……」
「魔道士に奪われました水晶を取り戻し、神殿の台座に戻していただきたいのです。そうすることで、魔物の力は弱められ、勇者さまをもとにいた世界に戻すことも……ああ、大切なことを伝え忘れていましたね。実は、勇者さまをお呼びするために力を使い果たしてしまいまして……再び、異世界と異世界を繋ぐ扉を開くには、水晶の力が必要不可欠であり、平たく申し上げますと、水晶なくして勇者さまをもとの世界に送り返すことはできないというわけでして……」
「わたくしを呼び寄せるために最後の力を……わかりましたわ。皆様の期待に応えますためにも奪われた水晶を必ずや取り返してみせますわ」
 デルフェスは静かに頷き、強い意志をもってそう答えた。すると、その場にいた面々は感嘆にも似た吐息をついた。
「奪われた水晶がどこにあるのかはわかっているのでしょうか?」
 それを問うと、タケヒコが軽く手をあげた。この世界での草間はクサマ戦士団と名乗る冒険者一行のリーダーであるということだ。
「それは俺から言おうか。魔道士はとある場所に水晶を隠し、配下の魔物に守らせているという情報を手に入れた。石像がやたらと多い滅ぼされた学院都市、もしくは迷宮のように入りくんだもののけが住まう城、さもなくば眠りを妨げられた死者がさまよう王家墳墓……すまないな、どうにか三つまでは絞り込んだが、それ以上は無理だった」
 その言葉どおり、すまなそうな顔でタケヒコは言った。
「では、わたくしはその三つのいずれかの場所へと赴き、水晶を取り返してくればよいわけですわね」
「そうなります。勇者さま、その姿ではなんですから……こちらに武器と防具をご用意させていただきました。どれでもお好きなものをお持ちください」
 男が示す場所にはとにかくいろいろ集めるだけ集めてみましたという具合に武器や防具が山積みになっていた。
「たくさんありますのね。それでは、そうですわね……これと、これをお借りいたしますわ」
 デルフェスはたくさんの武器と防具のなかからそれぞれ一点ずつ選び出した。武器は刀身が鋭い幾重もの短い刃で構成され、しなやかな鞭を思わせるようにわかれるガリアンソード。そして、防具は所謂ところの、女王様風ボンテージ。露出は高いが、それだけに他者を圧倒する何か(?)がある。
「それから、こちらから一名ほどお選びください。勇者さまの旅に同行し、補佐をさせていただきますので」
 本当ならば、一名などとケチなことは言わずに全員どうぞと言いたいのですが、町を魔物から守らなければならないので……と心苦しそうな顔で男は付け足した。
「勇者さまにはいろいろと苦労をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
 
 <2>
 神殿のある町から北へ進んだ場所にあるという、やたら石像が多いという滅ぼされた学院都市へと向かう。どこまでも続く草原のなかに通ったレンガの街道は、普段はそれなりに行き交う人も多いのだろう。敷き詰められたレンガは擦り減っている。だが、今はすれ違う者もいない。
「あたしを選んでくれてありがとう」
 町を離れ、しばらく歩いたところでシズクは不意にそう切り出した。
「でも、どうしてあたしを選んでくれたの?」
 デルフェスが旅の同行者に選んだのはシズクだった。この世界での雫も、やはり学生であるらしく、デルフェスが知っている神聖都学園の制服とは少しばかり違うデザインの制服を身につけ、丈が短めのマントを羽織っている。
「それは……」
 言いかけ、デルフェスは胸に手を添えると小さく息をついた。デルフェスがシズクを選んだ理由。それは、シズクが連れて行ってくれというオーラ(?)を人一倍強く放っていたからだ。タケヒコが教えてくれた三つの場所のうち、とりあえず学院都市へ行ってみることを告げた途端、シズクは顔色を変えた。が、シズクは意志を口に出すことも手をあげることもせず、ただ黙ってデルフェスを見つめているだけだった。しかし、その眼差しは口以上にものを言っていた。お願い、あたしを連れて行って、と。
「シズク様なら安心して背中をお任せできると思ったからですわ」
「! あたし、がんばるよ! 今度こそ……今度こそ、守ってみせるんだから……」
 デルフェスの言葉にシズクは拳を胸の前でぐっと握り締め、呟く。そして、視線を伏せながらも、深く、強く頷いた。
「……」
 今度こそ。
 その言葉はデルフェスの心に重く響いた。滅ぼされた学院都市、シズクの服装、そして、思いつめた表情とその言葉。
 シズクには守りたくて守れなかったものがある。それは、おそらくこれから向かおうとしている場所。
「わたくしたちで奪われたものを取り返しましょうね」
 デルフェスが優しく声をかけると、シズクはにこりと笑顔で頷いた。いつもの笑顔。だが、何か言いたげにその唇が小さく動く。
「シズク様?」
「……ううん、なんでもないよ」
 シズクはふるふると首を横に振る。明らかになんでもないということはなく、何か言いたいことがあるはずなのだが、それ以上は何も言おうとしない。デルフェスも深く追求しようとはしなかった。ただ、思うところだけは告げておく。
「シズク様、世の中にはうちに抱えるよりも人に話してしまった方が楽になることもございますわ」
「……。あ……の、……ううん」
 言いかけ、シズクは口を噤む。
「でも、どうか無理はなさらないで」
 話したくなったときに話せばよいのですとデルフェスはやんわりと微笑む。シズクは苦笑いのような、どこか複雑な笑みを浮かべる。しかし、確かに頷いた。
  ◇  ◇  ◇
 ひたすら北へと歩き、やがて見えてきたものは双子の塔を両側に従えた城のような館とそれを中心にして広がる町並みだった。
「あれが学院都市……神聖都魔法学院。あたしの……」
 やや緊張した面持ちでシズクは呟くように言った。その言葉は最後まで口にされることはなく途切れてしまったが、デルフェスにはわかっている。そこがかつてシズクが学んでいた学院であると。
 学院都市に近づくと、ちらほらと石像が見られるようになった。それはシズクと同じ服装をした学院の生徒と思われるものから、とても人間だとは思えない、所謂、魔物と呼ばれるものまで実に様々だった。共通していることは、どの石像も驚愕や恐怖の表情を浮かべ、都市から逃げようというのか、背を向けていることだろうか。
「本当に……石像ばかりですわね」
 まさかわざわざ精巧な石像を、しかも驚愕と恐怖の表情という悪趣味なものを造って飾っておくとは思えないから、これが魔道士の魔法、もしくは配下たる魔物の仕業であることは考えるまでもない。
「話には聞いていたけど……本当にみんな石になっちゃったんだ……」
 都市に足を踏み入れ、呆然とした表情でシズクは呟いた。都市の大通りには逃げ惑う人々の石像があふれ、悪夢の瞬間を見るものに訴えかけてくる。
「シズク様……。あ」
 不意に今までデルフェスの隣にそっと付き従っていたユニコーンが通りを歩き出した。振り返り、一度、足を止める。そして、またゆっくりと歩き出した。ついて来いというような仕草にデルフェスとシズクは顔を見合わせ、頷く。
 ユニコーンは大通りから細い路地裏へと移動し、学院都市の中心である双子の塔を従えた館へと向かう。そして、裏門の前で立ち止まり、鼻先を鍵穴へと近づける。
「鍵がかかっているんだ? そーゆーときは! 鍵開けの魔法……えーと」
 シズクは両腕を複雑に動かしながら不可思議な言葉の羅列を口にする。やがて、かちりという音がして鍵が外れた。
「これで大丈夫だね。学院の構造なら頭のなかにばっちり入っているからね、なんでも聞いてよ!」
 シズクはそう言いながら扉を開く。
「頼もしいですわ。……シズク様!」
 にこやかに答えようとしたデルフェスは扉の向こう、裏庭に飾られている悪魔を模った二体の石像の瞳が赤い光を宿したことに気がつき、声をあげる。それに呼応するように石像はその質感を石から黒光るものへと変えた。
「え? あ!」
 驚き、動きを止めるシズクを庇いに入ったことは、もはや反射以外のなにものでもない。疑問を憶えることなく、身体は動いている。デルフェスはシズクの前へと踊り出ると腰のガリアンソードへと手を伸ばし、それを振るう。しなやかな鞭の動きにも似た鋭く、勢いのある一撃は襲いかかってきた悪魔に炸裂し、その身体を地面へと叩き落とす。
「もう一匹……!」
 しかし、さすがに二体を同時に相手にすることはできず、一体は叩き落したものの、もう一体の鋭い爪の一撃を受けることになった。避けることはできたかもしれないが、それをすることはシズクを無防備にすることでもある。デルフェスは敢えてその一撃を受けた……とはいえ、真銀であるデルフェスの身体は傷ひとつつくことはなかったが。
「王女さま! ……あたしの最大魔法お見舞いしちゃうんだからぁ!」
 シズクはデルフェスを見やったあと、即座に鍵を開けたときのような言葉を宣言しながら腕を複雑に動かす。周囲の力が集約していき、シズクの指先には小さな燃え盛る炎の球が生成された。
「いっけぇー!」
 その指先を悪魔へと振るう。炎の球は悪魔に向かって宙を走り、その身体に触れた途端に悪魔の身体を呑みこむほどの炎の球へと変わり、爆発する。しかし、爆発が炎の球の内部だけであって、その力は外へ飛び散ることなく、やがて霧散した。
「まあ……シズク様、すごいですわ……」
「そんなことより、平気? 平気? 怪我してない?」
 シズクはデルフェスが一撃を受けたあたりをしきりに気にする。怪我をしていないことを確認すると、ほっと胸を撫でおろした。
「あの鋭い爪の一撃を受けちゃったのかなって思ったけど、ぎりぎりで避けたんだね」
「ええ」
 本当はばっちりその身で受けましたけれど……デルフェスは心のなかで呟きつつ、にこやかに頷く。少しばかり気になることは、刹那の瞬間、シズクが『勇者さま』ではなく、『王女さま』と呼びかけたことだ。普段の自分の服装は王女らしいそれかもしれないが、今日の自分は肌も露な凛々しき女剣士。まだ『女王さま』の方が納得できるような気がした。
「不法侵入すると門番が動き出すの忘れてた」
 てへとシズクは照れを隠すような笑みを浮かべる。
「では、今の石像は学院の警備であって水晶を奪った魔道士の手下ということではありませんのね」
「うん。あ、ユニコーンが」
 ユニコーンは軽やかに裏庭を駆け、ある場所で止まった。そこには女性の石像が三体、二体は近くに、もう一体はやや離れた場所にあった。三体とも向いている方向は同じで、驚愕の表情であることは都市にあった他の石像と変わらない。
 だが。
「こちらの方を守っているようですわね……あ」
 二体の石像のうち、一体はもう一体の石像を守るかのようにその場に佇んでいる。デルフェスは守られているように立つ石像の顔を見て驚いた。ある事件で知り合った夏目弥生、その女性の顔にそっくりだったからだ。
「院長先生……! それに……」
 シズクはニ体の石像の顔を見て、愕然とする。
「この世界での弥生様は学院長ですのね」
 シズクやレンがいるわけだから、弥生もいるかもしれない。それほど驚くことでもないかともう一体の石像の顔を見やり、デルフェスは口許に手を添えた。
「これは……わたくし?」
 ……その石像は自分と同じ顔をしていた。
 
 <3>
 もう一度、よく確認する。
 今の自分と同じような女剣士に扮したその姿は、やはり間違いなく自分と同じ顔立ちをしていた。
「……」
 デルフェスは石像を見つめ、その身体に触れた。自分にそっくりな石像は弥生を守るようにそこに立ち、もう一体の石像と対峙している。だが、危機にでも遭遇したようなやや厳しい表情でそこで動きを止めている。
「わたくしが……そうですわね、皆様がおそろいなのですから、わたくしがいてもなんら不思議はないのかもしれませんわね……」
 とは口にしつつも僅かながら動揺している自分がいる。ユニコーンは石像と化している自分の傍らでその身を寄せている。
「みんなは……みんなは黙っていろって言ったけど、でも、あたし……」
 不意にシズクは押し殺した声でそう切り出した。
「伝説の勇者さまはね、世界を救うために旅に出たの。魔道士を倒し、水晶を奪い返すための旅。だけど……戻って来なかった……。魔道士は現れなくなったけど、勇者さまも戻っては来なかった。戻って来たのは、勇者さまに付き従っていた守護聖獣……そのユニコーンだけ」
 シズクは石像に寄り添うユニコーンを見つめる。デルフェスも同じようにユニコーンを見つめた。
「だから、違う世界の勇者さまをこの世界に呼び寄せることにしたの……」
 そう言ってシズクはデルフェスを見つめた。
「それが、わたくし……」
 こくりとシズクは頷く。
「勇者さまを違う世界から呼び出したことを知っているのは、一部の人達だけ。町の人達は知らないの。勇者さまが戻って来なかったなんて知ったら大変なことになるからって。それに、勇者さまだって不安になるだろうからって……。だから……ごめんなさい!」
 シズクは俯き、デルフェスに頭を下げる。そのまま顔をあげようとはしない。
「どうしてシズク様が謝るのですか? シズク様は何も悪いことをしていないですわ」
「だけど……だけど……!」
「顔をおあげになって、シズク様」
 デルフェスはシズクの頬にそっと手を添え、下げたままの顔をもとに戻す。
「わたくしは、やはり呼ばれるべくして呼ばれたのかもしれませんわ」
 デルフェスは石像と化している自分を見つめる。この世界での自分は今の自分とは少し違うらしい。真銀のゴーレムというわけではなく、『生身』なのかもしれない。
「え?」
「わたくしがかつて住んでいた場所と、ここはとてもよく似ているのです。息づくものが同じとでも言えばよいのでしょうか……。わたくしの気持ちは旅立つ前のそれと微塵にも変わりませんわ。むしろ……」
 空を仰ぎ、デルフェスは目を細める。それから、シズクを見つめた。
「だから、シズク様が気になさることは何もありませんわ」
 そして、そう告げて優しく微笑む。シズクは戸惑い、躊躇いつつも、デルフェスの笑みを受け入れ、最後には同じような笑みを浮かべた。
「本来の勇者さまが戻って来なかった理由は、石に変えられてしまったから……この構図ですと、あそこに立っている方が噂の水晶を奪った魔道士……なのでしょうか?」
「うん。そうだよ。あたし、憶えてる」
 少し離れたところにある石造を見つめ、シズクは呟く。シズクの話では、水晶を奪った魔道士はかつて学院で学んでいたものの、心ではなく力だけを重視するその思想から優秀でありながらも認められることがなく、最終的には破門に至ったのだという。そして、魔物を従え、水晶を奪い、学院を襲うという今回の事件が起きたということだった。
「でも、どうして勇者さまだけじゃなくて水晶を奪った魔道士まで石になっているんだろう? 変だよね?」
「そういえば、都市へ入る前の草原にも魔物の石像がありましたわね……」
 魔道士が自分に石化の魔法をかけるとは思えないから、この石化の原因は魔法ではなく、配下の魔物の仕業と考えるべきだろう。だが、主ともいえる相手を石化させてしまうとは……見境がなくなっている? そんなことを考えていると、ユニコーンが落ちつかぬ表情で周囲を見まわし始めた。
「な、なんだろう? 角の向こうの方から……何か、引きずるみたいな音がするよ……?」
 草の上を何か重量感のあるものが移動しているような音が聞こえてくる。それは少しずつこちらへ近づいてきている。
「魔物ですわ、きっと。シズク様、危険ですから……」
「あたしも戦うよ! 一度は逃げたけど、でも……でも……。……」
 言いながらシズクは俯く。拳をぎゅっと握り締めたあと、ふいっと顔をあげた。
「あたしがいたら足手まといになっちゃうかもしれないもんね。あたしは魔法使いだから攻撃とかされたら避けられる自信もないし。でも、そう、あたしは魔法使い。あたしにできることで……勇者さま、剣を構え」
 シズクは剣に対し、言葉を投げかける。複雑な手の動きと呟きが止まったとき、剣の刃は青白い光を宿していた。
「魔力を付与したよ。勇者さま……」
「ありがとうございます。シズク様の思い、確かに受け取りましたわ。……さあ、向こうに」
 デルフェスはシズクとユニコーンを安全な場所へ行くように促した。シズクとユニコーンが姿を消したあと、それを待っていたかのように上半身は女性の姿でありながら、下半身は巨大な蛇のそれ、そして、髪のかわりに無数の蛇が乱れた頭部を持つ魔物が現れる。その額には不似合いにして異質な水晶があった。
「現れましたわね……」
 髪が蛇であり、石化能力を持つといえば、メデューサという魔物だが目の前のそれは少しばかり思ったものと違う姿をしている。下半身が蛇であるという話は聞いたことがない。それは違う魔物であったような気がする。だが、そんなことをゆっくりと考えている時間など与えてはくれなかった。蛇女はデルフェスを見つけた途端、奇怪な雄たけびをあげ、その双眸から光線を発する。
 デルフェスはその光線を避けなかった。
 その顔がこちらに向いた途端に柄を握り締める手に力を込める。
 蛇女の顔に勝利を確信する歪んだ笑みが浮かびかける……が、すぐに消えた。光線をものともせずにデルフェスが振るった閃光のようなしなやかな一撃がその顔面、額の水晶に炸裂したからだ。
 石像と化することを信じて疑わない蛇女は、ある意味、無防備だった。その攻撃がそれだけに強力だったのかもしれない。
「残念でしたわね。わたくしに石化光線は効きませんわ」
 断末魔の叫びが響き、巨体が地面へと崩れ落ちていく。その額に戴かれていた不自然な水晶は砕け、破片は光を受けてきらきらと輝いた。
「綺麗ですわ……。……。……!」
 きらきらと輝いて綺麗なのは、砕けた破片が光を受けているから。
 砕けた破片。
 水晶は見事なくらい大小様々なかたちに砕け散っている。
「……」
 倒れた蛇女の巨体と砕けた水晶の破片を前にして呆然とするデルフェスの背後では、やったね、勇者さまというシズクの喜びの声が響いていた。
  ◇  ◇  ◇
「ありがとうございます、勇者さま。皆を代表して厚く御礼を申し上げますわ」
 蛇女を倒したことで石化は解け、石像は生身の身体を取り戻した。聞けば、蛇女は水晶の力に取りこまれ、暴走したのだという。それを間近で目撃し、また自らの身をもって体験した魔道士も力というものの在り方について深く考えさせられたらしく、自らの行いを反省し、破門を解かれ、また一から学びなおすこととなった。
 すべては順調、大団円と思われたが、デルフェスにはひとつだけ引っかかっていることがあった。
 水晶のことだ。
 自らの一撃で蛇女を倒し、水晶まで見事に砕いてしまったわけだが、それについては誰も触れず、それがかえって大変なことをしてしまったのではないかと思わせる。この世界の勇者にして、普段は王女であるというこの世界の自分に感謝の気持ちを述べられても、素直に笑みを浮かべることができない。
「いいえ、あの……水晶は砕けてしまいましたけど……」
「砕けたことで力が失われるということはありませんから、どうか心配なさらないで」
 あの力は強大過ぎたのです、むしろ砕けたことで力が分散されて良かったのかもしれません……と、たおやかな笑みを浮かべながら王女は言う。
「……わたくしが不甲斐ないばかりに……」
 笑みを苦笑いへと変えながら王女は続ける。デルフェスはゆっくりと横に首を振った。
「困ったときはお互い様ですわ」
「……そうですわね」
 そして、お互いに顔を見合わせてくすりと笑う。
「とても不思議な気分ですわ。……名残は尽きませんが、そろそろ勇者さまをもとの世界へ送り返して差し上げなければなりませんわね」
 王女の言葉に反応し、背後に控えいた者たちが頷き、小さく言葉を呟きはじめる。それはシズクが口にしていた言葉とよく似ていた。その言葉が進むに連れ、デルフェスの周囲に淡く小さな光がぽわりぽわりと浮かびだす。
「もうひとりのわたくし……真の勇者さま……どうか、お元気で……」
 王女はデルフェスの右手を両手で掴み、そう言ったあとにすぐに離れる。
「ありがとう、勇者さま……あたし、勇者さまのこと忘れないよ……!」
 泣きそうな笑顔でそう口にしたシズクにデルフェスは精一杯の笑みを送る。
「シズク様……ええ、わたくしも……」
 デルフェスの言葉が終わる前に、周囲の光景が一転し、懐かしき中世の面影は消え、東京の町並みが戻ってきた。……いや、戻って来たのは町並みではなく、自分になるのか……デルフェスは空を見あげる。
「……」
 落ちついて周囲を見まわしてみると、自分はまったく同じ場所、同じ時間に戻ったらしく、何事もなかったかのように人々は自分を避けて通りすぎて行く。
 今のは、夢……?
 ふとそんな思いも過りかけるなか、デルフェスは握った右手に違和感を覚え、その手を開く。そして、目を細め、小さな吐息をつく。
 忘れませんわ、きっと……。
 デルフェスはちいさな水晶のかけらを握りしめた右手を胸に添え、左手をそっと重ねた。
 
 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女/463歳/アンティークショップ・レンの店員】


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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます。

相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、鹿沼さま。
楚々とした鹿沼さまとユニコーンいう構図はまさに王道というか、私的に非常に好みでありました。装備は少し意外に思えましたが、納品欄にあるピンナップをイメージさせていただきました^^

願わくば、この旅が思い出の1ページとなりますように。