■気がつけば、異世界■
穂積杜 |
【2839】【城ヶ崎・由代】【魔術師】 |
気づくと、そこは異世界だった。
なんで?!
どうして?!
責任者、出てこい!
と、訴えようとしたところで、一方的に、それこそいきなり告げられた。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救って下さいませ」
しかし、まずは自分を救いたい勇者さまだった……。
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気がつけば、異世界
<1>
陽は傾き、空は茜色。
いつのまにか昼と夜とが束の間の逢瀬を楽しむ時間となっていた。黄昏時とも逢魔が時とも呼ばれるこの時間帯は、微妙に違う世界にまぎれこんだり、人ではないものに出会ったりと不思議なことが起こるといわれている。が、実際のところそういった現象は時と場合を選んではくれず、こちらの都合など見事に無視してくれる。
まあ、想定外のことがいきなり起こったりするから世の中は面白いのだろうけど……城ヶ崎は茜色の空を見あげ、小さく息をついた。
朝からのんびりと古書店めぐりをした結果、気がつけば夕方になっている。それ自体はよくあること。本というものは知識を与えてくれるかわりに時間を奪っていくものだから。自宅でもよくあることだ、魔道書と向かい合い、気がつけば夕方になっているということは。
城ヶ崎は空から自らが手にしている一冊の古書に視線を落とした。
本日の成果(?)だ。
不意に出かけようという衝動にかられ、街へと赴き、古書店をめぐる。もはや馴染みである何軒かを訪れるうちに、不意にはっとするような本に出会う。そして、思う。自分はこの本に呼ばれたのではないか、と。
時折、そんな『偶然』が起こる。
「ん……?」
何かが目の端で揺れた。
「蛍……ではないようだが……」
蛍のような小さな淡い光。最初はひとつだったそれは次第に数を増して行く。ぽわりと浮かぶそれは綺麗ではあるものの、やはり得体は知れない。足を止め、見つめていると淡い光は強い光へと変わり、その眩しさに一瞬、瞼を閉じる。
「……」
光が消えたあと、ゆっくりと瞼を開く。夕刻の空はどこへやら、そこは見知らぬ建物のなか。冷厳な空気が漂うそこには、自分を取り囲むように十数人の人間がいる。その顔はどこか知っているような、知らないような……。
それは、いいとして。
自分は外にいて、帰宅を急いで……は、いなかったものの、それでも家に戻ろうとはしていた。それなのに、一瞬にして見知らぬ建物のなかにいる。
「……」
沈黙している城ヶ崎の前へ、集団のなかからひとりの男が進み出た。どこか清廉な印象を与える礼服を身に着けているから、神聖な職についているものなのかもしれない。その男は怪訝そうな城ヶ崎の視線を受けとめ、小さく息をついた。
そして。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救ってくださいませ」
恭しく、しかし、はっきりとした口調でそう言った。
◇ ◇ ◇
「伝説の……勇者……?」
城ヶ崎は僅かに目を細める。そして、男が口にしたなかで、最も気になる言葉を繰り返した。
「はい。我々はこの世界を救うことができる勇者を異世界より召喚する儀式を行いました。大成功です」
いや、よかった、本当に……と男はにこやかに答え、続けた。
「そして、あなたがその勇者さまというわけなのです」
「……僕が?」
細めた目がますます細くなっていく。城ヶ崎は胡散臭いものを見るような眼差しで男を見つめてみるが、男に動じた様子は見られない。それどころか。
「はい!」
自信たっぷりに頷いてくれた。周囲の光景は、確かに一瞬にして変わったし、その瞬間に何か異質な力が働いたような気がする。それは、普段、自分が召喚を行う際に感じるそれに似ていた。それに、ここは見知らぬ場所。伝説の勇者うんぬんはともかくとして、召喚されたことは事実なのだろう。召喚を行える自分だからこそ、この状況を素直にも受け止められるというものだが、しかし。
「まさか自分が召喚される立場になろうとは、思ってもみなかったねえ」
しみじみとそう呟いてもしまうというものだ。城ヶ崎は軽く腕をくみ、うんうんと頷く。
「納得いただけたようですね。では、詳しいおはなしは召喚の間ではなく、円卓の間でさせていただきますので」
ついて来てくださいと男は部屋をあとにする。こうなってはなるようにしかならないし、状況把握のためにも素直に話を聞いておいた方がいいだろう。城ヶ崎は素直に男のあとに続いた。荘厳な印象を与える回廊を歩き、やがてある扉の前までやってきた。
「こちらです、どうぞ」
通された部屋には円卓があり、そこには見覚えのある顔ぶれも着席していた。アンティークショップの女主人である蓮をはじめとして、草間興信所の草間、そして、零、アトラスの碇や三下、雫の姿もある。ただ、その服装は城ヶ崎が知っている彼らのものではなく、現代でならば演劇か仮装を名目にしていなければ身に着けないような中世時代を思わせるものだった。草間や三下、碇は鎧を身に着けているし、雫や蓮は魔法使いを思わせるようなローブを羽織っている。総じて洋風であり、和風ではない。
「おや、まあ、本当に……なるほど、儀式は成功したようだ。とりあえず、自己紹介はしておくとしようかね。あたしらはあんたを知っていても、あんたはあたしらを知らないだろうから。占い師のレンだよ」
というレンの挨拶をかわきりに次々と挨拶をされてわかったことは、どうやら服装や職業は違うものの、雰囲気的には自分がもとにいた世界の彼らと同じであるということだった。召喚された世界に自分の知っている顔があるというのは、なんとも奇妙な感覚を受ける。城ヶ崎は複雑な表情でレンをはじめとする知っている、しかし、知らない面々を見やった。
「さて、それじゃあ、あたしから説明させてもらおうかね。この神殿の奥には強大な力を秘めた水晶が安置されていてね、その強大な魔力と聖なる輝きで魔物の活動を抑制していたのさ。ところが、それをある魔道士に奪われちまってね……」
そう言ってレンはちらりとサンシタに視線をやる。白銀の胸鎧を装備したサンシタは見習い騎士であり、自己紹介によるとミノシタであるらしいが、この世界でもやはりサンシタと呼ばれ、それが定着してしまっているらしい。レンの口ぶり、態度からすると奪われた原因はサンシタにあるようだ。
「ぼ、僕だって、その……」
頑張りました……という言葉はもごもごと小さくなっていき、最後には消えた。
「襲撃にあったとき、さっさと気絶したのはどこの誰だったかしら。まったく、不甲斐ないわ……」
そう言ったのはレイカだった。この世界での碇は、やはり三下の上司であるらしい。自己紹介によれば、女性ながらアトラス聖騎士団の団長を務めているということだ。
「ここにいる僕です……」
しゅん。サンシタは俯き、それ以上の反論はしなかった。ある意味見なれた光景のなか、城ヶ崎は自分の役割について訊ねてみる。
「で、率直に言って、僕は何を望まれているのかな」
話の流れによると魔道士に水晶を奪われて困っているということだから、魔道士を倒し、水晶を取り戻してくれというところだろうか。しかし、水晶を奪ったというのが自分とはまた違うのだろうが、それでも系統として似たような職である魔道士というところが気にかかる。
「魔道士に奪われました水晶を取り戻し、神殿の台座に戻していただきたいのです。そうすることで、魔物の力は弱められ、勇者さまをもとにいた世界に戻すことも……ああ、大切なことを伝え忘れていましたね。実は、勇者さまをお呼びするために力を使い果たしてしまいまして……再び、異世界と異世界を繋ぐ扉を開くには、水晶の力が必要不可欠であり、平たく申し上げますと、水晶なくして勇者さまをもとの世界に送り返すことはできないというわけでして……」
「役目を終えるまでは帰れない、と」
まあ、そういうものだろうと城ヶ崎は頷いた。面白半分で召喚の儀式などを行うとは思えないから……いや、思いたくないから、彼らとしてはかなり困っているのだろう。最後の手段にも等しいのかもしれない。
「それで、奪われた水晶がどこにあるのかはわかっているのかな?」
それを問うと、タケヒコが軽く手をあげた。この世界での草間はクサマ戦士団と名乗る冒険者一行のリーダーであるということだ。
「それは俺から言おうか。魔道士はとある場所に水晶を隠し、配下の魔物に守らせているという情報を手に入れた。石像がやたらと多い滅ぼされた学院都市、もしくは迷宮のように入りくんだもののけが住まう城、さもなくば眠りを妨げられた死者がさまよう王家墳墓……すまないな、どうにか三つまでは絞り込んだが、それ以上は無理だった」
その言葉どおり、すまなそうな顔でタケヒコは言った。
「現時点での情報では三つ、さらに情報を集めれば正しい場所がわかるかもしれないね」
そして、それは自分の仕事なのだろう。城ヶ崎は顎に手を添え、少し考えたあとに軽く頷いた。
「勇者さま、その姿ではなんですから……こちらに武器と防具をご用意させていただきました。どれでもお好きなものをお持ちください」
男が示す場所にはとにかくいろいろ集めるだけ集めてみましたという具合に武器や防具が山積みになっている。そのとなりには薬瓶や古びた本といった道具がある。
「ほう、これは。骨董品の山だね」
現代においては骨董品であり、飾られることが主な目的となっている剣や楯、甲冑といった防具を一通り眺めたあと、城ヶ崎は外套を手に取った。それはこの世界に馴染むことが目的であって、防御力等に期待してのことではない。
「勇者さま、そのようなもので良いのですか?」
「いや、これらはどうもねぇ……」
城ヶ崎は館で飾られていそうな甲冑を見やる。防御力は高まりそうだが、動きは鈍りそうだし、重そうだ。扱い方を熟知しているとは言いがたいからその性能を上手く引き出せるとは思えない。
それよりも。
城ヶ崎の視線の先には古びた本。それが気になって仕方がない。外套を羽織ると甲冑の横を通りすぎ、本を手に取った。それは見知らぬ言語ではあったが、何故か何が書かれているのかということを理解できる。
「知らない言葉なのに、すらすらと頭のなかに入ってくるな……」
「勇者さまを召喚する際に、言語魔法も使用しましたので。本来、私たちと勇者さまの世界の言葉は違うのかもしれませんが、こうして問題なく会話が交わせるのはそのせいです」
「では、その魔法が解けたら……」
「私たちは勇者さまが何を仰っているのかわからないでしょうし、勇者さまは私たちが何を口にしているのかさっぱりわからないでしょうね」
苦笑いに近い笑みを浮かべながら男は言った。
「その魔法の効果は如何ほどなのかな?」
「勇者さまがこの世界にいる間は永続しますのでご安心を。それから、こちらから一名ほどお選びください。勇者さまの旅に同行し、補佐をさせていただきますので」
本当ならば、一名などとケチなことは言わずに全員どうぞと言いたいのですが、町を魔物から守らなければならないので……と心苦しそうな顔で男は付け足した。
「勇者さまにはいろいろと苦労をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
<2>
「ひとりでいいのかい?」
呼び出された神殿をあとにする。その見送りはレンひとりだった。盛大に見送られるのはどうも性にあわない……とまではいわないが、それでも気恥ずかしいものがある。ただでさえ戸惑いを覚え、困惑せずにはいられないというのに。
「魔物が街を襲うと聞いては。僕を守るよりも街を守るべきだと思うのでね」
同行は願い出ず、かわりに地図を受け取り、この世界の気候や風土を知るために話を聞いた。見知った顔ぶれが住む街ではあったが、東京のそれとは大きく違う。科学のかわりに魔法が発達しているらしく、機械や電気といったものは存在しないらしい。いや、あるのかもしれないが、街では見かけることがない。魔物という存在が人々を恐れさせているということも本来、城ヶ崎が在るべき世界とは違うのかもしれない。魔物がいないわけではないが、この世界ほどにその存在を肯定されてはいない。
「それで、あんたはどこに行ってみようと考えているんだい?」
「とりあえずは学院都市に行ってみようかと」
それを口にするとレンの表情に僅かな変化が見られた。少しばかり驚いたあと、笑みを浮かべるように目を細める。
「そうかい。なるほどね……」
何か……あるだろう、その眼差しは。城ヶ崎はそれを口に出すかどうか考えたが、やめておくことにした。おそらく、訊ねたところで教えてはくれないだろう。はぐらかされるような気がする。
「学院都市にはやたらと石像が多いとか」
そこで答えてくれそうなことを訊ねてみる。
「もうどれくらい昔になるかねぇ……忘れちまったが、昔は普通の都市だったよ。名前のとおり魔法学院を中心に広がった都市だった。ところが、あるとき不意に都市の住民も学院の生徒も石になっちまってねぇ……原因は不明、罰当たりな研究をして天罰が下ったとも魔女に呪いをかけられたとも言われているが、どんなもんだか」
「なるほど……」
「そんなわけだから、誰も近づくものはいない。まさに、廃墟さ。そんな場所には自然と魔物が住みつくからね」
用心してお行きよとレンは言う。城ヶ崎はこくりと頷いた。
「では、失礼して……おや?」
城ヶ崎は少し離れた場所に子牛ほどの大きさもある黒い犬がいることに気がついた。青い瞳のその犬の態度はただそこにいるというよりは、控えているといった表現が似合う。
「ああ……そうかい、やはりあんたなんだろうね」
その言葉に城ヶ崎は黒犬からレンへと視線を移す。
「あの犬はあんたを待っていたんだよ。勇者に付き従う守護聖獣だからね……」
「聖獣ねぇ……」
どちらかといえば地獄の番犬。まあ、でも。人は見た目によらないように、犬も見た目によらないだろう。とりあえず、賢いことだけは確かのようだが……。
「……」
黒犬は城ヶ崎が見つめてもぴくりとも動かない。やあと挨拶とばかりに片手をあげてみたが、反応は見事なくらい、ない。本当に自分に付き従う聖獣なのかと疑いたくなる。もう少し、愛想のかけらがあってもいいような気がするが、聖獣とはこういうものなのだろうか。
まあ、なるようにしかならないか。
城ヶ崎は剣のかわりの魔道書を手にし、神殿の前をあとにする。何故、剣ではなく魔道書を選んだのかは……防具と同じ理由だ。剣よりも異世界の魔道書の方が上手く扱えそうだし、興味の方向性もこちらにある。
城ヶ崎が歩き出したことを受けて、黒犬はすくっと立ちあがった。犬にはありがちな尻尾を振るという行為はまったくなく、その後ろを一定の間隔を置いてついてくる。
「……」
試しに足を止めてみる。黒犬も足を止める。また歩き出してみる。黒犬も歩き出す。
なるほど、どうしても一定の間隔を置きたいらしい。まあ、それならそれで構わないけれど……城ヶ崎は黒犬を気にすることなく歩くことにした。
◇ ◇ ◇
呼びだされた神殿のある町から北へ進んだ場所にあるという、やたら石像が多いという滅ぼされた学院都市へと向かう。城ヶ崎の膝のあたりまであろうかという草が多い繁る草原のなかに通ったレンガの街道は、普段はそれなりに行き交う人も多いのだろう。敷き詰められたレンガは擦り減っている。だが、今はすれ違う者もいない。
ひたすら北へと歩き、やがて見えてきたものは双子の塔を両側に従えた城のような館とそれを中心にして広がる町並みだった。
「あれが学院都市か……」
レンの話では、学院都市はその名のとおり、巨大な魔法研究施設である学院を中心に広がった都市ということだった。あるときを境に住民や生徒が石化し、滅びたとか。その原因については様々な噂がありそうだが、どれも憶測に過ぎないらしい。
運がいいのか魔物に出会うことなく、都市へと辿り着く。都市は話に聞いているとおりの廃墟で、静寂に包まれていた。通りのあちこちに妙に精巧に造られた石像が転がっている。石化は一瞬にして、恐怖も苦痛も味わうことなく行われたのかもしれない。石像は生活の雰囲気を残し、ある者は歩いた状態で、またある者は数人で立ち話をしている状態で、それぞれ荒廃した町を彩るオブジェと化している。
ちらりと背後を振り返ると黒犬はやはり一定の距離を保ってついて来ていた。
城ヶ崎は一通り都市を見渡したあと、慎重に大通りを歩き出した。
言われるがままに水晶を取り戻すべく町をあとにしたが、少し、いやかなり気になっていることがある。
魔道士は何故水晶を奪い、隠したのかということ。
話に聞くところによると、水晶はかなりの魔力を秘めたもののようだ。それにより魔物を抑制していたということだが、水晶そのものが魔物を抑制していたわけではなさそうだ。何故なら、水晶そのものが抑制しているというのであれば、水晶が奪われたところで魔物は抑制されたままであるはずだからだ。
しかし、神殿が水晶を失って以来、魔物は各地で暴れているという。つまり、水晶は純粋な力そのものであって、使い方次第でどうにでも変わるものなのではないだろうか。神殿の台座にあることで魔物が抑制されているということは……他者の力を増幅させる力があるのかもしれない。
そして、何故、隠したか。
この世界の草間が集めた情報では、三つの場所が候補にあがっていた。そのどこかに隠し、配下の魔物に守らせている。候補は三つ、いや、あの口ぶりではもっとあったらしいが、それはべつに不思議なことではない。情報のかく乱くらいはある程度の思考能力があれば、誰であれ行うことだろう。どれだけ大切で価値があるものなのかは、奪う本人にもわかっているだろうし、それを奪えばどうなるか……誰かがそれを取り戻しに来ることくらいは予想にたやすいだろうから。
それと、気になることはもうひとつ。
魔道士は水晶を奪い、それから何をしたのかという話を聞かない。魔物の被害を口にはしているが、それは魔道士が差し向けたというよりは、もともといるものが暴れて困っているというように聞こえた。原因は神殿から水晶が奪われたこと。だからこそ、水晶を取り戻し、台座に戻してくれと頼まれてもいる。だが、魔道士自身がどのような悪事を行ったという話はまったく耳にしなかった。それどころか、『水晶を奪った』というくだりでしか会話に登場しないのだ。
すべてを一般論で片付けるつもりはないが、こういった場合、水晶を奪った魔道士を倒して取り戻してくれ……という展開が『普通』のように思える。強奪したことは『悪いこと』であるはずなのだから。なのに、誰も魔道士を処罰しろとは口にしなかった。
それらを踏まえて考えてみると。
水晶は魔道士が手にしているのではないだろうか。そう、何かの研究の最終段階か詰めの場面でそれが必要であるとか……例えば、この都市に魔道士がいて研究をしているとしたら、この石化により時を止めている静寂の都市の時間を再び動かそうとしているとか。死者がさまよい歩く王家墳墓であれば、蘇生の秘術とか。もののけが住まう城であれば……なんだろう、ちょっと思いつかないが。
もし、自分が考えたとおりであり、その研究が真っ当なものであるのなら……城ヶ崎が考えているその目の前へ、背後から黒犬が駆け込んできた。態勢を低くし、唸る。
そうか、唸ることもできたのか……と必要以上に寡黙だから、あまりに当たり前のことを考えそうになるが、そうもしてはいられない。唸るということは、何かがいるということだ。城ヶ崎は気持ちを思考から現実へきりかえる。
一瞬、視界が暗くなる。何かが頭上を横切った影のせいだ。反射的に顔をあげるとそこには翼を持ったトカゲ……いや、ドラゴンのようなものがいた。建物の縁をがっしりと足で掴み、長い首を動かしながら城ヶ崎の様子をうかがっている。
ばさりと翼を広げ、翼竜は飛び立つ。長い尻尾の先は妙に鋭く、サソリの尻尾を思い出させる。
「二本足にして翼を持つドラゴンのような生き物……」
城ヶ崎が呟く間にも翼竜は羽ばたき、急降下してこようとする。隙をうかがっているということは、見ていてよくわかる。すぐに攻撃を仕掛けてこないのは、黒犬が威嚇しているせいもあるかもしれない。
城ヶ崎は魔道書を開き、左手で持ちながら、右手を伸ばし、言葉を呟く。その言葉は魔道書に書かれているものだ。わからない、しかし、わかる言葉。淀みなく読みあげていくと右手に力が集約しはじめた。集約した力は光となり、それは輝く槍を作り出す。
翼竜はそれを好機とみたのかもしれない。
城ヶ崎に狙いを定め、急降下してきた。避けるか、避けないか……城ヶ崎は選択を迫られる。避ければ、一撃はなんとか避けられそうだが、もう少しで完成しそうな力は統率を失い、霧散してしまうだろう。
黒犬が動いた。
城ヶ崎はそれを目の端で確認し、避けることはせずに言葉を続けた。
「行け、《光の槍》!」
黒犬が飛びかかり、翼竜は城ヶ崎まであとすこしというところで身を翻す。その背に追い討ちをかけるようにそう宣言し、右手を振り下ろす。その宣言に呼応するように光輝く槍は翼竜めがけて宙をはしる。
見事に命中、翼竜はそれで倒れることはなく、なんとか態勢を立て直す。再び、襲いかかってくるかと思ったが、そのまま建物の向こうへと飛び去った。
「この世界でも生きていけるかもしれないねぇ……」
魔道書を読み上げ、魔法を発動させることができた。この世界でも魔術師を名乗っても問題はなさそうだ。
「助かったよ、ありがとう」
黒犬へ礼の言葉を述べる。愛想のない黒犬は城ヶ崎の方へ顔を向けることはなく、ふいっと離れてしまう。
「ははは……」
本当に愛想がないねぇと思いつつも、気を取り直し、大通りを歩く。やがて双子の塔を従えた城のような建物の門の前に辿り着いた。都市の中心部ともいえる学院だ。
何かあるとすればここだろう。
城ヶ崎は門を押し開け、足を踏み入れる。黒犬は黙ってついてくる。前庭を抜け、建物の扉に手をかける。その扉は朽ちているということはなく、だからといって鍵がかかっていることもなく、少しばかり軋んだ音をたてながら開いた。
「……」
そこは広いホールになっていた。正面にはステンドグラス。光を受けたステンドグラスは床にその模様を描き出す。内部は不思議と荒廃してはいなかった。周囲を見まわしていると、不意に黒犬が背後から城ヶ崎の前へと回りこむ。その動作はゆっくりとしていて、緊張感はないから、先ほどのように何かが現れたということではないのだろう。
黒犬は首を軽く動かしたあと、自分の意思で歩き出した。
「ついてこい……ということかい?」
その背に呟き、やれやれと軽く横に首を振る。それでも黒犬のあとを追った。ホールの左側にある回廊を通りぬけ、その先にある階段をかろやかに駆けあがる。城ヶ崎がついてきていることをさり気なく確認し、見失うほどに差が開けばその場に留まり、差が縮まればまた先を急ぐ。そうやって辿り着いた先は木製の重厚な扉の前。賢そうではあるが、それでもやはり犬は犬であるため、扉を開けることまではしない。案内するだけ案内するとすっと扉の前から離れ、沈黙のままに控える。
「ここを開けろということか。勇者を導くという聖獣だということだが……」
そこには何があるのか。城ヶ崎はドアノブに手をかける。そして、一気に押し開けようとしたが、ふと思いとどまり、扉を軽く叩く。
コンコン。
それから、開く。
あまり広くはなく、窓もない。壁には書棚、部屋の中央にはたくさんの本や見るからに怪しげな薬瓶や天秤、干した草や石を砕いたものが置いてあるテーブルがある。その奥にはローブを羽織った背中が見える。
「誰かね?」
声、そしてその背中から判断するに中年の男性だろう。噂の魔道士だろうか。城ヶ崎はその場に佇み、その背中を見つめる。見覚えがあるような、ないような……よく知っているような、知らないような。その背中を見ていると不思議な感覚に襲われる。
「まあ、誰であれ、ノックをしたことは正しいな」
そうでなければ問答無用で魔法をお見舞いしたよ……そう言って振り向き、自分を見つめたその背中は、自分と同じ顔をしていた。
<3>
「君か……」
自分と同じ顔をしたその男は少しばかり驚いた表情を浮かべたものの、すぐに小さなため息をつき、そう言った。そして、目を細め、穏やかに微笑む。
「その台詞は僕が口にしたいところだよ。まさか、自分を見ることになろうとは」
魔道士が自分に化けている?
ふと、この世界に召喚されてはじめて耳にした言葉を思い出した。
『ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救ってくださいませ』
今度こそ。
男は確かにそう言った。そして、レンの最初の挨拶。
『あたしらはあんたを知っていても、あんたはあたしらを知らないだろうから』
彼らは自分を知っていた。
何故なら。
「そうか……そういうことだったのか……」
城ヶ崎が本来在るべき世界の彼らがこの世界にいたように、この世界にもまた自分は存在していた。
「この守護聖獣は君の連れというわけだ」
城ヶ崎は黒犬をちらりと見やる。黒犬は微動だにせずそこに控えていたが、もうひとりの自分が軽く手を差し伸べると悠然と部屋のなかへと歩いてきた。
「今は僕が勇者だから、守護聖獣だなんて仰々しい敬称があるけどね。使い魔にして有能な助手だよ」
「それはよしとして、もう少し、愛想というものを教えておいた方が良いのでは……と思うのだが、どうだろう」
「考えておこう。しかし、まさか、召喚の儀式を行うとは……しかも、違う世界の僕を呼び出すとは思わなかったね。いや、はじめまして」
気さくに話しかけてくる極めて友好的な自分を前にして、城ヶ崎は……やはり、同じく友好的に接した。
「いや、こちらこそ。事情はなんとなく理解した。が、なんとなくだ。できたら、説明してもらえると嬉しいな」
「古より伝わる勇者選出の儀において、僕は勇者に選ばれた。皆の期待を背に、使い魔とともに……人は守護聖獣と呼ぶけれどね、ともかく、旅立った。時には魔物と戦い、時には情報収集をして、遂に魔道士がこの都市に潜伏していることをつきとめた」
黒犬の頭を撫でながらこの世界の城ヶ崎は語る。
「君は僕だから、同じことを考えたかもしれないが……魔道士は何故に水晶を奪ったのか?」
城ヶ崎はこくりと頷いた。そう、それを考えた、自分も。
「やはり、君もそれを考えたか。奪ったからといってこれといった悪事を行うわけでもない。そこで、魔道士に会い、直接、話を聞いた。老齢であった彼は死の間際だった。そして、僕にこれを託して亡くなってしまった……失意のうちに」
そう言い、装丁のしっかりしたかなり厚みのある本を広げて見せる。かなり古そうなそれは城ヶ崎の好奇心を刺激する。が、今は魔道士のことが先決だ。
「もう何年前になるのか……この学院都市の住民が石化する事件があった。君もここへ訪れる途中に見ただろう、あれらを。原因は長らく不明だったわけだが……」
「その魔道士の仕業だったのかい?」
城ヶ崎の言葉にぱたんと本を閉じ、静かに頷く。
「魔法が暴走したそうだ。一瞬にして学院都市の住民は石と化した。彼は責任を感じ、石化を解くための方法を探していたらしい。そして、ようやくその方法を見つけ出した」
「それを実践するためには水晶が必要不可欠だった……というわけか」
事情は呑みこめた。頷き、城ヶ崎は表情を引き締める。
「しかし、それを僕……いや、君に託し、失意のうちに亡くなったということは……」
もうひとりの自分は残念そうに視線を伏せた。
「そう、失敗したんだ。僕は託され、研究を続けている。それを神殿に知らせようとして使者を送ったわけだが、何故か君と一緒に戻ってきたというわけだ。どうやら、神殿は僕が魔道士にやられたと思っているようだね」
なんとも言えない笑みを浮かべ、もうひとりの自分は言う。
「とりあえず、君の意思は上手く伝わっていないようだ。それで、託された研究の方はどうなのかな」
「あともう一息なのだろうが……なかなか手強いね。ん?」
「手伝おう」
城ヶ崎はやんわりと微笑み、右手を差し出した。
◇ ◇ ◇
「ありがとうございます、勇者さまたち。これでこの世界は平和を取り戻しました」
水晶を手に神殿へと戻ると感謝の言葉で出迎えられた。
「おまけに学院都市も蘇るとは……」
まったくもって喜ばしいことですと男は言う。
「いやー、そうだね、うん……」
目の下に隈をつくりながらの研究の日々。一刻も早く神殿に水晶を戻し、魔道士の無念を晴らそうとふたりで研究に明け暮れた。なんとも不思議で奇妙な日々ではあったが、作業効率は単純計算で二倍。相談もできたし、考えは似ているし、そうだよそこが言いたかったんだよというところもわかってくれる。良いパートナーであったと思う。
「なんだか、やつれているというか……お疲れのようですね、勇者さま……」
「ああ、少しね……うん、少し……」
徹夜が続いたからね……おまけに都市全体を石化から救うような大きな魔法を使ったため、精神も疲労している。
「そうですか……。では、名残は惜しいですが、勇者さまを本来在るべき世界へとお送りしましょう。勇者さまの手を必要としている人々がいるでしょうし」
なんだかお疲れのようですしと男は続ける。男の言葉に反応し、背後に控えいた者たちが頷き、小さく言葉を呟きはじめる。その言葉が進むに連れ、城ヶ崎の周囲に淡く小さな光がぽわりぽわりと浮かびだす。
「ありがとう。元気で」
「君も元気で」
「勇者さま、忘れ物です」
男は本を差し出した。そういえば、古書店で買った本を忘れるところだった。城ヶ崎が差し出された本を受け取るとほぼ同時に周囲の光景が一転し、東京の町並みが戻ってきた。……いや、戻って来たのは町並みではなく、自分になるのか……城ヶ崎は空を見あげる。
黄昏時の空。
「……」
落ちついて周囲を見まわしてみると、自分はまったく同じ場所、同じ時間に戻ったらしく、何事もなかったかのように人々は自分を避けて通りすぎて行く。
本当に何事もなかったかのようだから、そのとおり、何もなかったかのように、それこそ夢だったようにも思えてくる。
夢だろうか?
自分はこんなにも疲労している。今にも倒れそうなくらいに。だから、夢ではないと思うのだが……しかし、証拠となるようなものもない。いや、あったか。城ヶ崎は手にしていた本を見つめる。
「これは……」
それは古書店で購入した本ではなく、ここ数日、異世界で研究した魔道書だった。こちらの世界に戻ってきてしまったせいか、何が書かれているのかはまったくわからない。
「これは僕の本ではないよ……」
だが、いいか。買った本は向こうに置いてきてしまったが、大丈夫。きっと、向こうの世界にいる自分が読んでくれるだろう。
おそらく趣味は同じなはずだから。
−完−
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2839/城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ)/男/42歳/魔術師】
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■ ライター通信 ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます
お待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。
こんにちは、城ヶ崎さま。
納品が大幅に遅れてしまい大変申し訳ありません。
通常、お持ちの能力でも翼竜には対抗できたと思うのですが、こういう世界ですから、敢えて。敢えて、魔法を使っていただきました。そう来ましたか……!というプレイングでしたが、それゆえに楽しく書かせていただきました^^
楽しんでいただけると良いのですが……。
願わくば、この事件が思い出の1ページとなりますように。
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