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■月残るねざめの空の■

エム・リー
【3331】【北条・瑞穂】【学生】
 薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
 気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
 薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
 擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
 彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
 路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
 その辻を挟み、大路は合わせて四つ。四つ方向へと伸びるその路上には、花魁姿の女が一人、佇んでいます。

 艶やかな衣装を身に纏い、結い上げた黒髪には小さな鈴のついた簪をさしています。
表情にあるのは艶然たる微笑。悪戯を思いついた童のように貴方を見上げる眼差しは、常に真っ直ぐであり、そして飄々としたその言は、貴方の問いかけをひょいと交わしてしまうでしょう。
 女の名前は立藤。
 大路の何れかの何処かに存在していると云われる廓に在する花魁である彼女は、客人が迷いこんできた際には何故か何時も大路に立ち、戯れのように、小さな依頼を口にするのです。貴方はその依頼を、結局は引き受けてしまう事になります。
 そうして貴方は、この四つ辻の大路の薄闇を、散策することとなるのです。

 彼女は一体何者なのか。
 客人を呼び招いているのは、彼女であるのか否か。

 その答は、何れは貴方の知る処となるのか、否か。
遊園地へ行きましょう


 ふらりと立ち寄った三上事務所には、相変わらずの空気が漂っていた。
退屈そうに見えるといえば、確かにそう見えるような。
しかしその反面、確実に切れ間なく依頼は舞いこんできているらしい。
だから実際は忙しいのかもしれないが、それを『退屈そう』に見せるというのは、ある意味では事務所独特のものであるかもしれない。
……などというとりとめのない事を考えつつ、北条瑞穂は事務所のドアを軽くノックした。
「おや、これはこれは、瑞穂さん。お久しぶりですねェ」
 デスクで何やら事務仕事をしていた中田が、ふと顔をあげて瑞穂を見やる。
中田ののんきそうなその声で気付いたのか、奥のドアからは三上可南子が姿を見せた。
「おお、瑞穂殿。ようおいでくださいましたのう。外は寒かったであろうに」
 三上はそう述べて目を細め、瑞穂に椅子を差し出した。
「すまぬ」
 軽い礼を返して椅子に腰をおろす。
少しの間をおいて、中田が、使い古したものと思われる盆の上に湯呑を乗せて運んできた。
「して、今日はどうされた?」
 湯呑の中の緑茶は思ったよりも熱かった。
さますために息を吹きかけている瑞穂に、三上が身を乗り出してそう切り出した。
「今日は偶然通りかかったのだが、少し暇であったから、何か依頼があれば手伝おうかと思ってな」
 さめない緑茶をデスクの上に置き、三上の顔を覗きこむ。
「あー、なるほど、それならばちょうど良かった!」
 中田がぽんと手をうった。
「これから遊園地に参りませんか、瑞穂さん」
「遊園地?」
 だしぬけに告げられた中田の言葉に、瑞穂は軽く眉根を寄せる。
そんな瑞穂の意など気にとめることもなく、中田はさらに言葉を続けた。
「なにやら、幽霊が出るとか出ないとかいう噂のある遊園地があるのですよ。ちょうどそちらから依頼を受けておりましてね。誰に声をかけたものかと危惧しておったのですよォ。ああー良かった」
 瑞穂の言葉を待たずに解決してしまった中田に、瑞穂は小さな笑みを向けて頷いた。
「良かろう。こういう機会でもなければ、遊園地など足を運ぶこともないしな」


 東京近郊のとある町の一角に、その遊園地は所在していた。
目玉となるアトラクションも特になく、あるのはありがちな乗り物ばかり。
「それなりに繁盛しているのだな」
 チケットの半券を受け取って園内に立ち入った瑞穂が、コートのポケットにそれをしまいながら呟いた。
「地元の方や周辺にお住まいの方なんかが遊びにいらっしゃるんでしょうねェ」
 間延びした口調で返して園内の地図を確認しながら、中田がそう答える。
「それに、」
 言葉を続けようとする中田に気付き、瑞穂が中田に顔を向ける。
「それに?」
「昨今では噂に尾ひれがついて伝わっているらしく、それも客寄せになっているとの事ですねェ」
「……なるほどな」
 納得する。
霊が出るとかそういうオカルトネタは、確かに客の心を惹くだろう。
「して、霊が出るという乗り物は?」
 中田に問うと、中田は地図をポケットにしまいながら、左の方角を指差した。
「あちらに見える、ジェットコースターに出るとの噂です」


 どちらかといえば小規模である遊園地だから、ジェットコースターまではほどなく辿りつけた。
あまり派手ではない造りのそれは、お世辞にも満員とは言えず、ほのかに寂しい空気を漂わせている。
「あれのどこに霊が出るというのだ?」
 レールの上を走るコースターを指で示し、瑞穂は中田の顔を確かめた。
「ええと、報告によれば、乗って一周した後にスタートした場所まで戻ると、見えるのだということです」
「乗らなくてはならぬのか」
「ええ、そうらしいですねェ。それも条件として、前列から数えて二番目の席に座り、なおかつ前の席が空席であるという事がのぼるようですね」
「一番前の席に、霊が出るという事か」
「そのようですねェ」
 依頼内容をしたためているメモ帳に目を向けながら、中田はどこか他人事であるような口ぶりだ。
瑞穂は「ふむ」と小さく唸ってみせると、束の間何事かを思案して、実り豊かな稲穂と同じ金色をした目をまばたきさせる。
「では乗ってみるとしようか。おりしも、乗客の入れ替えをしている所だ。他に客も見当たらぬから、望む席に座ることができよう」
 淡々とそう言い放つ瑞穂。驚愕したのは中田だった。
「あ、あたしも乗るんですか?!」
 その顔は見る間に青ざめていく。
「うむ、それはそうだろう。せっかく来たのだから、楽しまねばな」
 しごく当然のことだとでも言いたげに、瑞穂は首を縦に動かした。
「や、あたしはこういった乗り物はちょっと」
 中田は両手を振って拒んでいるが、瑞穂はわずかに首を傾げただけで、涼しげな顔で係員の横を過ぎていく。
「見たところ高さもそれほどではなく、速度も驚くものではないようだ。多少こういった乗り物が苦手な人間であっても、難なく乗ることの出来るものだろう」
 振り向き、微笑する。
瑞穂が穏やかな笑みを浮かべて手招きしているので、中田は心もとない足取りで、ふらふらとその後ろをついていくしかなかった、


「しかし、何故ジェットコースターであるのか」
 低く唸りつつ、予定通りの席に座り、安全のためのバーを降ろす。
隣では中田が、両手で頭を抱えこんでいる。
「その理由まではなんともかんとも……ヒィィ」
 動き出したレールの音に、中田が体を縮こませた。
「なに、たいしたことはないだろう。……さて、霊は姿を見せるかな」
 中田とは対称的な表情の瑞穂が、口許に小さな笑みを浮かべて呟いた。
 ジェットコースターはじりじりとレールをのぼり、来る一瞬の落下を感じさせている。
鳴り止まないレールの音が、カタカタと小さく響く。
冬の日の凍てついた空気の中で、それは容赦なく、訪れた。
ゴオゥゥゥゥ
落下。空気が過ぎていく音がする。
「イイイぃイイィ」
 形容しがたい絶叫をあげ、中田が頭を抱えた。
余裕の表情の瑞穂が隣に目を向けた、その時。
瑞穂の表情を変容させる光景が、そこにはあった。
「中田、……頭が」
 言いかけて言葉を飲む。
言ってはいけない光景が、そこにはあった。
中田は瑞穂の言葉など聞こえていないようで、ただひたすらに頭を抱えている。
口にしてはいけないとは思うが、目が離せない。
まさに釘付けだ。


 数分後、二人を乗せたジェットコースターは速度を落とし、スタートした場所へと滑りこんでいった。
カタカタと鳴る音も徐々に止み、やがてぴたりと止まる。
 瑞穂が中田に目を向けると――もっとも動き出してからというもの、一瞬たりとも目を離してはいないのだが――、手早く頭髪をいじり、正しているところだった。
中田がちらと瑞穂を確かめたのに気付き、慌てて視線をそらすと、いつもよりも神妙な表情を浮かべて目を細めた。
「……これで、条件は揃ったわけだが」
 呟くようにそう告げると、中田は安堵の息を一つつき、頷く。
「この席に、姿を見せる……とのことなんですが」
 言いつつ、前の席に両腕を伸ばす。
ぶらぶらとその腕を動かしていると、その手が不意に中年の男の腰を通りすぎた。
「あ、あれ」
 中田は素っ頓狂な声をあげたが、瑞穂はゆっくりと口を開けた。
「あなたが、ここを賑わせているという霊か」
 霊がゆっくり振り向く。
「……賑わせているわけでは……」
 遠慮がちに睫毛を伏せたその霊は、見れば四十代ほどの中年男性だった。
眼鏡に、くたびれたスーツ。手櫛で整えたと思われる頭髪は、わずかに不自然ではあったが、豊かな黒髪をたたえいる。
「私はただ、この場所が好きなだけなんですから……」
 俯き、遠慮がちに呟く。
瑞穂はその言葉に小首を傾げると、男の話を聞き出すために、相槌をうった。

 元々この遊園地のそばで暮らしていた男にとって、この場所は思い出深い場所だった。
子供の頃にはただの空き地であった場所は、それはそれで楽しい記憶がつまった場だった。
やがて遊園地が出来てからは、バイト先として忙しく働き、ほのかな恋や、あるいは友情を紡ぐ場にもなった。

「それが私、たまたま事故に遭っちゃいまして」

 赤信号であったのを、うっかり勘違いして渡ってしまった。
仕事で疲れていたにしろ、あれは今思い出しても、うっかりすぎだったと思う。
男はそう続けてがっくりと肩をおろし、睫毛を持ち上げながら呟いた。
「死ぬ間際、ここを思い出しましてね。……このジェットコースターを担当してたんですが、リニューアルしたらしくて。……乗ってみたくなったんですよねぇ」
 かすかに頬を緩ませてそう告げる男は、どこか嬉しそうに目を細めて瑞穂を見やる。
「……出来れば、ここに留まりたいんですが、……無理ですかねぇ?」
 瑞穂は少しの間思案顔をしていたが、やがて思いついたように目をあげて、男に向けて微笑した。
「ここの責任者にかけあってみよう。どっちにとっても悪くない案が、一つある」

 数十分後。
瑞穂は中田を連れ立って再びジェットコースターに戻り、男の霊を呼び出して声をかけた。
男は今度はすんなりと現れ、瑞穂が告げるであろう言葉を、緊張した面持ちで待っている。
「霊がでる遊園地というのは、大々的に宣伝することで、宣伝効果をもたらすと思うのだ」
 開口一番、瑞穂はそう告げて頷いた。
「記念写真ならぬ記念心霊写真とでもいうのか。そういったオマケがあれば、さらに良かろうとの事だ。不服があればまた考え直すが」
 男の顔が見る間に明るく変容していく。
「ここに留まることが出来るんなら、こちらからお願いしたいくらいの条件です!」
 瑞穂の顔にも、穏やかな笑みが浮かんだ。


「ほほう、それはなかなかにして見事な、といったところじゃな」
 湯呑の中の緑茶をすすりながら、三上が頷いた。
「あたしには考えもつかない事でしたよ」
 茶菓子にカステラを出し、中田が感嘆の意を述べる。
「遊園地に留まりたいという霊の言い分と、どうにかしたいという遊園地側の言い分。どちらもまるくおさめてしまったんですからねェ」
 差し伸べたカステラを一番に掴み、もごもごと食しながら中田も頷く。
「どちらにも得となりうるだろう事を考え出したまでだ。たいした事ではない」
 緑茶をすすり、カステラを一つ手に取る。
「それに、俺も今回は少し得をしたような、そんな心持ちであるしな」
 瑞穂はそう答えてから、視線を中田へと移した。
中田はきょとんとした表情で瑞穂を見ている。
「……なんでしょう? あたしも得することですかねェ?」
 うきうきとそう身を乗り出している中田に一瞥し、瑞穂は小さな笑みを口許に浮かべた。
「……いや、たいした事ではない」
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3331 / 北条・瑞穂 / 男性 / 392 / 学生】



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■         ライター通信          ■
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この度はご発注ありがとうございました。

明るめな話になりました。アクション場面もなく、まったりしたノベルといいましょうか。
今回は中田とのやりとりや、中田の謎(!)を目撃してしまうという場面の描写に力をいれてみました。
お気に召していただければ幸いですv

口調その他、問題点がございましたら、遠慮なくお申しつけくださいませ。
今回はありがとうございました。