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■愛すべき殺人鬼の右手<1>■

哉色戯琴
【2263】【神山・隼人】【便利屋】
「『栄光の手』?」

 草間武彦の言葉に、碇麗香が頷く。隣の三下忠雄は、どこか落ち着かない様子で二人を交互に見遣る。草間零は、首を傾げてその様子を見ていた。興信所の応接セットに漂う空気は、何処となく重い。

「聞いたことぐらいあるでしょう、貴方なら。呪いの儀式に使う燭台で、その材料は人間の手。死刑囚の手を使って作った、マジックアイテムよ」
「知識的には知っているがな。一番良い材料は赤ん坊の手だって言うアレだろう。それがどうした? 黒魔術はアトラスの範疇じゃないだろう」
「調べていた事件が、それに当たっちゃったのよ」

 碇は三下を見る。ビクッと肩を震わせた彼は、おずおずと、俯きながら話し出した。

「ぼ、僕は先日まで、編集長の命令である廃ビルを張っていたんです……夜中に音や光があるって、何かの心霊現象かもしれないって。そ、そしたら、そこで、変な話し合いをしていて」
「変な?」
「はい――人が沢山集まって、生贄がなんとかって」
「黒ミサ、か」
「で、でも、成功させるためには、魔具が大切だって、それで、栄光の手って言うのが出てきたんです。僕も聞いた事はあって、だからまずいって」
「で、逃げたんだけれどね。一緒に取材に行ったカメラマンが、次の日から行方不明なのよ」

 草間は巨大な溜息を吐く。
 ……つまり。

「依頼よ。三下くんを守って、ついでに連中の正体を突き止めてちょうだい。なんとなくなのだけれどね――随分、きな臭い感じがするのよ」

□■□■ 愛すべき殺人鬼の右手<1> ■□■□


「『栄光の手』?」

 草間武彦の言葉に、碇麗香が頷く。隣の三下忠雄は、どこか落ち着かない様子で二人を交互に見遣る。草間零は、首を傾げてその様子を見ていた。興信所の応接セットに漂う空気は、何処となく重い。

「聞いたことぐらいあるでしょう、貴方なら。呪いの儀式に使う燭台で、その材料は人間の手。死刑囚の手を使って作った、マジックアイテムよ」
「知識的には知っているがな。一番良い材料は赤ん坊の手だって言うアレだろう。それがどうした? 黒魔術はアトラスの範疇じゃないだろう」
「調べていた事件が、それに当たっちゃったのよ」

 碇は三下を見る。ビクッと肩を震わせた彼は、おずおずと、俯きながら話し出した。

「ぼ、僕は先日まで、編集長の命令である廃ビルを張っていたんです……夜中に音や光があるって、何かの心霊現象かもしれないって。そ、そしたら、そこで、変な話し合いをしていて」
「変な?」
「はい――人が沢山集まって、生贄がなんとかって」
「黒ミサ、か」
「で、でも、成功させるためには、魔具が大切だって、それで、栄光の手って言うのが出てきたんです。僕も聞いた事はあって、だからまずいって」
「で、逃げたんだけれどね。一緒に取材に行ったカメラマンが、次の日から行方不明なのよ」

 草間は巨大な溜息を吐く。
 ……つまり。

「依頼よ。三下くんを守って、ついでに連中の正体を突き止めてちょうだい。なんとなくなのだけれどね――随分、きな臭い感じがするのよ」

■綾和泉/七枷■

「まったく、面倒な依頼を受けちゃったのね、草間さんったら……」
「まあ、依頼を受けるのが興信所の本分とは思うが――それにしたって今回はまた、本当にきな臭いものを押し付けられたな」

 巨大な本棚が多数立てられた部屋の中、七枷誠と綾和泉汐那は、テーブルを挟んで向かい合っていた。二人の横には十数冊の本が積まれている。その殆どが洋書か翻訳物で、随分古いものなのか埃を被っていた。辺りに漂う古書特有の紙魚のニオイに、汐那は少し笑みを漏らす。本の持つこういうニオイは嫌いじゃない、嫌いならば図書館の司書などやってはいられない。もっともこの空気に慣れているのは図書館に住み着いている状態の誠も同様で、二人は眼球を右から左に流しながら――次々に、本を読み進めていく。

 問題の魔具についての情報を集めるためには、とにかく資料が必要である。そう判断した二人は、それぞれが根城にしている図書館で個別に本を漁る予定だった。だが、現在彼と彼女がいるのは、図書館ではない。都内にある豪邸の中でも一際の存在感を放つ、巨大な屋敷――その地下の、蔵書室である。
 二人も大量の本と言うのには慣れていたが、それでもこの部屋にあるほどの量を見る機会は少なかった。最低でも億単位の量があるだろう――希少価値のある本も、決して少なくはない。今手にしているものはどのくらいの価値があるのだろうと、汐那は柄にもない事を考える。だがそれはあくまで思考の片隅であり、大部分は、本文に集中していた。右から左、目を流して本も流す。
 誠も同じようにしながら、さらさらと大学ノートに目新しい情報を写していた。しかし、こういう――黒魔術だのなんだのという本を読んでいるのは、はっきり言って疲れる。描写は無駄にグロテスク、散りばめられるアンチカトリック。思春期の反抗心の延長のように見えないことも無い――ふぅ、と息を吐くと、汐那が苦笑した。

「少し休憩でもしましょうか? 流石に朝からこっち、根詰め過ぎかもしれませんし」
「いや――あまり時間もあるわけじゃないし、と言いたいところだが、どうも目新しい表記もそうそうは見付からないな。一般的な製造方法と効能が出て来るばかりで、どれも大して参考にはならない」
「それもそう、ですね。元々黒魔術って言うのは、悪魔を召喚するのが目的みたいなものですし。アイテムなんて色々ありますけれど、あるからこそ、それほど掘り下げられたものでもない。そして――ここ以上の情報量のある場所なんて、そう在り得ないと私は思います」
「つまり相手方も、これ以上の情報は持っていない可能性が高い」

 ぐ、と汐那は椅子を引く。長い身体を伸ばして少しストレッチをすれば、同じ体勢を続けていた所為で固まってしまった身体が少しだけ音を立てた。誠もそれに倣い、肩をぐりぐりと回す。

「ッ、と。思考ゲームでもしていた方が有意義かもしれませんね、先に調査に行った神山さんや鴉女さんからも連絡は来ませんし。でも、三下さん達は大丈夫でしょうか――」
「零とセヴン――なな、か。二人がいれば安心だろうとは思うが、相手方の人数も判らないから用心に越した事はないだろうな。一応三下には細工しておいたが」
「ああ、言霊――ですか?」

 この屋敷に来る前に興信所に寄っていた誠は、三下の眼鏡を拝借し、そこに呪術の反射を吹き込んでいた。鏡、硝子の属性は屈折や反射、複写と相性が良い。ついでに背広にも、血を使って言葉を織り込んでいた。吸魔、変換し抗魔――もし何か術、霊的な力を受けた場合は、吸収して弾き返す仕掛け。それに護衛も付いているのだから、それほどの心配は要らないだろうと踏んでいる。そう、それほど、は。

 汐那は、職場のデータベースから少々情報を拝借して来ていた。彼女が管理する種類の、曰く付きや物憑き更には危険な情報を含む書物――それらの殆どは、要申請特別閲覧図書として指定されている。それらの貸し出しには申請者の身辺調査も含まれ、危険思想、ようはイッてしまった宗教団体に関係がある場合には却下されるのだ。リストアップされた団体は資料として渡してある――この屋敷の持ち主である、セレスティ・カーニンガムに。

「さて、俺はそろそろ行くとするか」
「ああ――神山さん達ですね。気を付けて下さい、何が仕掛けてあるか判りませんから。私はもう少しこっちで調べたら、興信所に行ってみます。三下さんに色々聞きたいこともありますから」
「そうか、それじゃ」

 重い扉が開いて、閉じた。

■セレスティ/セヴン■

「ふむ。それでは、三下さん達は実際にその――『栄光の手』を見たわけではない、のですね?」
「は、はひ、そうです……」

 迷惑、その一言で碇に有給休暇を許可された三下は、草間興信所に保護されていた。
 だが彼女の判断は正しいだろう、セレスティはそう考える。草間は呪術的な事柄に対してはあまり対抗の手段を持っては居ないが、生身の人間の暴力に対する抵抗力は半端でなく高い。その妹として住み込んでいる零は、霊的な戦闘力に関して右に出るものがないほどに秀でている。現在草間は調査にと出向いてしまっているが、代わりにマシンドール・セヴンがいた。ここはもしかしたら一番安全な場所なのかもしれない――こつ、彼は傍らに杖を立て掛け、セヴンが差し出した紅茶のカップに口を付ける。

「なるほど。ただ話を聞いただけではなんの証拠にもなりませんし、司法介入も在り得ないでしょう――ですが、三下さんと一緒にいたカメラマンの方は消えた。自主的に姿を消したということは?」
「先ほど碇様からのお電話がありましたが、やはり唐突な蒸発であったと伺っております。また、彼が消息を断った深夜、アパートの部屋を物色する気配があったとのことです」
「単独で追っていた気配は?」
「むしろ、気味悪がっていたと」
「なるほど。ありがとうございます、ななさん」
「いえ」

 淡々と受け答えをしていたセヴンは、礼を言われぺこりと頭を下げた。そのまま、壁際に下がる。隣室からはパタパタと音がしていた、零が三下の使用する仮眠室の掃除をしている。暫く閉め切っていた為か随分と埃っぽくなってしまっているそこが、彼女の潔癖精神を火を点けたらしい。手伝おうとした矢先にセレスティの来訪があった為、彼女は接客に回っていた。

「それと――これは綾和泉さんからの言伝なのですが。三下さんが覚えている限り、話を聞いた時の状況を教えて頂けますか? 何か重要な情報が隠れている可能性もありますし。また、アトラスで目を付けていた宗教団体の有無なども」
「そ、それは……」
「そもそも、どう言った内容の話をしていたのでしょうか。それは重要なポイントかと」
「え、えぇと、僕もよく憶えてはいない…の、ですが、生贄がどうという言葉は確かに聞こえました。確か――とにかく良質の生贄を用意することが大切だ、大量の処女が必要になる……もっと確実に効果を出すためには、魔具を。栄光の手。向こうに渡った連中も明日には――とか」
「続きは?」
「そ、そこで物音を出してしまって、慌てて逃げたんです……」
「そう、ですか――」

 三下の項垂れる気配から察するに、大方その物音と言うのを出したのは彼なのだろう。いかにもそういうタイプだ、セレスティは苦笑する。

「人数は、多分六人ぐらいだったと思います。男の人も女の人も居ました。暗かったのでよくは判りませんでしたけれど……何か特別なものを用意している様子は無くて、円になって座っているだけで。真ん中に、キャンプファイヤーみたいな火を焚いていました」
「典型的な黒ミサの風景ですが……悪魔役はいましたか? 頭領的な存在、と言いますか」
「い、いえ、すみません……」
「構いませんよ、仕方有りませんし……」

 質問を収め、彼は思考する――この情報から推測できる、情報。
 殆ど何も聞いていないと言って良い状況であるのは、確かである。黒ミサから連想される一般的な話の一端を聞いた、ただそれだけの事としか思えない。だが現実に彼と同行していたカメラマンは謎の失跡をしているし、家捜しまで受けている。カメラマンという職業に目を付けられたのかもしれない――写真などの証拠を警戒してのことか。だが、それならば記者である三下も条件は同じだ。テープレコーダーを持っている可能性は否定できない、ちなみに実際は持っていないだろうが。
 どんな些細な情報も漏らしたくないのだとすれば、そもそも妙な噂が立った時点で会合の場所を変えているはずだろう。だがその場所に固執したということは、そこに何らかの意味があると取れる。そして、不穏の芽を潰すということは――決行が、近いのか。
 話に出て来た『向こうの連中』という言葉から察するに、仲間は他にも居るのだろう。海外のマジックショップに向かったか、それとも、墓暴きに行ったか。土葬の習慣がある海外の方が、死者の手を手に入れるには好都合だろう。

 ともかく――

「では私は失礼します、か。ななさん、紅茶をありがとうございました」
「いえ。お送り致します」
「結構ですよ、車も人も待たせていますから」

 微笑し、彼は玄関に向かう。ドアを開ければ部下が佇み、折り畳んだ車椅子を用意していた。車までの距離ぐらい歩けると彼は手で示し、杖を付く。

「綾和泉さんからお預かりした資料に載っている宗教団体のどれかに、例のビルの持ち主が関わっているか。それと海外のマジックショップで『栄光の手』を買い求めた日本人がいるか、または最近暴かれた凶悪な犯罪者の墓がないか、早急に調べて下さい――人の命に関わることですからね。出来れば、夕刻までに」

■神山/鴉女■

 佇むビルは灰色で、所々が罅割れていた。面によっては苔生している箇所もある――神山隼人は、ふぅっと溜息を吐いた。欧州の古城もかくやとさせる、コンクリートの塊。この都市は土地不足の割りにどうでも良いものを残しているらしい、中々に謎が深いことだ。このミステリーに比べると、地獄の底の深さなんて些細な謎なのかもしれない、いや、実際些細だが。そんなものは第六層までと決まっている、つまり、そんな感じだった。

「こちら側の存在がばれているのなら、もう手を出しては来ないと思うのだけれどね」
「まあ、現実に一人関係者が消えていますしね――不安の芽は摘んでおいた方が良いものですよ」
「ふうん。でも、三下からは殆ど情報が引き出せなかったようなものだしね。いっそ囮に使いたいところだったんだけど、あの性格じゃどうしようもないし」

 ふぅッと溜息を吐き、鴉女麒麟は足元のアルマジロを脚でじゃれさせていた。最近飼い始めたが、中々に剛毅な友である。暇潰し探しが暇潰しになりつつある変化の無い日常の中、首を突っ込んでみたが――彼女はビルを見上げる。灰色のそれが、青い空と対比していた。まったく鮮やかじゃない。

「なんていうのか。ここはどうも、終わっている気がするんだよね」
「……どういう意味です、それはまた」
「なんとなくって言うか、勘だね。良いから早く検分を済ませようか、もしかしたら何か面白いものが残っているかもしれないしね」

 言って、麒麟はすたすたと玄関に向かっていった。隼人は苦笑してその後に続く。
 黒ミサと言ってもその種類は様々である。元々悪魔である彼も、それは良く知っていた。サバトのようなものもあるし、人を呪い殺す儀式の場合もある。または、悪魔を召喚する儀式――もっとも、この可能性はは低いだろうと踏んでいた。悪魔の召喚に必要なのは、穢れではなく清めである。まっさらな場所にしか悪魔は現れない――穢せる場所にしか、降りない。

「あの、麒麟さん、そっちに行くと即行非常口ですよ?」
「…………」
「私に付いて来てくださいね、そうすればきっと迷いませんから」
「そうしておくよ。一階の奥だったっけか」
「確かそうと――」

 すん、と隼人は鼻を鳴らす。
 僅かにだが、香木のニオイが漂っていた。それを辿って廊下を歩く、剥がれて浮いたタイルがぺきぺきと音を立てる。元はオフィスビルか何かだったのだろう、それほど複雑な構造はしていない。外観で五階建てぐらいかと判断していたが、全ての階を見回る必要は無いだろう。何かをしていた気配があるのは、この一階だけだ。

 麒麟もまた、ニオイには気付いていた。
 職業柄様々な骨董品を手にすることがあるが、その一つに、よく似た香りが染み付いていたのを憶えている。饐えた生臭さを裏側に隠す、どこか蟲惑的な芳香――様々な石で飾り立てられていたそれは、香炉だった。

「……反魂香、だね」
「おや、気付いていましたか」
「まだ誰か残ってると思って良いのかな。あまり期待はしていなかったんだけれど、まあ馬鹿な関係者の一人ぐらいは出て来て欲しいね。叩きのめして吐かせるのが手っ取り早いだろうから」
「それはまた随分と、穏やかではありませんね? 話し合いは大切ですよ」
「…………」
「口封じとか」
「それ、違うと思うよ」

 やがて、開けた部屋に出る。
 位置的に食堂か何かとして使われていたのだろうその部屋の床いっぱいに、白いチョークで巨大なサークルが描かれていた。暗闇で三下は気付かなかったのだろうが、その掠れた状態から察するに、最近書かれたものではないように思える。隼人は内側に踏み込まず、膝を付いた。二重円になっているその間には筆記体で人の名前が記してある。どれも歴史に残る聖人のそれだ。
 典型的な魔法陣である。そして、それ以外には殆どなんの痕跡も残っていない。何の召喚をしたのかは呪文を聞かない限り判らないが、さて――反魂ということは死者、つまり人間だろう。だが、果たして誰を?

 すい、と麒麟が円の中に入る。
 あ、と隼人は声を上げた。
 そこに、入ったら――

「さあ、僕を楽しませろよ――悪魔」

 そこに現れたのは、天井へ届くほども身の丈のある、双頭の獣だった。

■セヴン■

「…………」
「ななさん? どうしました?」
「…………」

 三下と共に零の掃除を手伝っていたセヴンは、チェストの上を拭いていた手の動きを止めてピタリと停止した。
 だが、別に機能を停止しているわけではない。その目は天井の一角に向けられ、センサーも全方位に向けて張り巡らされている。そして、そこに掛かった、人の気配――零や三下ではない第三者、もしかしたら第三者『達』の気配。場にある音を分析すれば、そこには、三下以外のものと思しき心音や呼吸音が感知出来た。何者かが、いる。
 興信所のドアは一つしかない、その一つはセレスティが辞した後に鍵を掛けておいた。無理に抉じ開けようとすれば電圧が流れ自分にその存在を知らせるようにしているし、窓も、同様の仕掛けがしてある。どこから入り込まれたのか――零がまだ気付いていないと言う事は、ただの人間である可能性が高い。正気の、とは考えられないが。

 どこか。天井裏。見られている。ちりちりとセンサーがその範囲を狭める――瞬間。

「ッ」
「うッひゃあぁ!!」
「な、っ」

 唐突に仮眠室のドアが蹴破られ、一人の男が侵入してきた。セヴンは咄嗟に零と三下を部屋の隅、壁際まで突き飛ばす。そのまま二人の前に立てば、部屋の全方位を見渡すことが出来た。どこから向かってこられても、突然の攻撃があっても、これなら最小限の動作で対処出来る。相手は少なくとも二人、目の前と、天井裏。男はその顔を黒いマスクで隠し、額にはキョンシーのように何かの呪符を貼っている。一撃でドアを吹っ飛ばした所から察するに、おそらくは筋力の増強――もしくは潜在能力解放の、類。
 彼女は装備を解放する。ヒートナイフとアサルトファイア、そして、アタックバリアもロックを解除し使用可能にしておく。バリアは一度使用すると次回までのタイムラグもあり、他の動作を全て制限されるが――物理的攻撃に対しては有効である。アサルトファイアは火器なので、気をつけなければ事務所が炎上する。出力を制限し、彼女は、相対する。

「零様、わたくしが攻めに出ます。三下様を」
「わ、判りました――気をつけて、下さいね」
「はい」

 労わられる言葉がある、だから、この人を守りたい。この人達を守りたい。その為には、戦う。ここで――敵を殲滅し、駆逐する。ナイフの持つ熱が増し、金属が変色していた。相手は、荒い呼吸を獣のように吐き――踏み込んで、来る。

「、はッ!」

 セヴンはバリアを展開させ、相手の身体を跳ね飛ばす。何かを装備している様子が無いかスキャンサイトを展開するが、動作の様子から見てそれほど体重に偏りは見られない。つまり、大口径の武器を装備してはいないということだろう。だが呪符から察するに、何か軽量のマジックアイテムを所持している可能性は高い。タックルで接近し、ナイフを振り翳す。機敏な動作で避けられ、ごろごろと転がられた。体勢を立て直す前にもう一度ナイフを薙ぐが、脚のバネで飛び掛られる――バリアを展開すると、相手は跳ね飛ばされた。
 物理衝撃性のバリアであることは一撃から理解しているはずなのに、何故向かってくるのか。相手の全身を包む黒い服は、所々が解れ血液が染み出している。痛覚を麻痺させているとしても、その脳が獣程度に制限されていたとしても、学習能力で特攻はしてこないはずだ。そこに何か意味はあるのか――セヴンは踏み込む、バリアを展開させてその身体を弾き飛ばし、反作用を利用して後退する。零と三下の様子を見れば、三下は珍しく気絶していなかった。零は彼を庇うように立ちながら、セヴンの様子を伺っている。

 早く、蹴りを着ける。

 彼女はナイフを構え、タックルの為に踏み込む。
 相手は動かない。
 ぱたりと、その血が床に落ちる。
 それは、赤くは無かった。

 バリアを展開する、跳ね飛ばす、大きく破れた衣服の下には――腐った皮膚が、

「――傀儡」
「衝撃性のバリア、前方向用。そして使用時は別行動が取れず、再使用に掛かる時間は――五秒というのが妥当なところかな」
「ッ!?」
「攻撃には充分だ」

 そうだ、天井にも気配はあった――そしてそれは複数だった。セヴンは振り向く、しかしその瞬間に肩の金属部分に電流が流れる。並みの電圧ならばどうと言う事は無いが――その衝撃は、ズンッと彼女の身体に圧し掛かる。頭の奥、計算がはじき出した電力は十万ボルト。強力なスタンガンのリミッターを外した挙句に改造が加えられてある。人工筋肉や演算機能を一時的にせよ停止させるに、それは充分な暴力だった。
 身体が崩れ落ちる。視界の端に零と三下を探した。立っていたはずの二人は倒れて、その周りには三人の男の影がある。零の額には何かの札が貼られていた、そして、その身体は死体か木偶のように力が抜けている。三下の鳩尾に、一人の男が拳を叩き込んだ。誠は呪術的な耐性を彼に叩き込んでいたが、物理的な攻撃の前には、それも意味をなさない。三下は貧弱過ぎた。

 ギリ、とセヴンは身体を軋ませる。
 目の前には脚と、外套。スタンガンを押し付けた男のものだろう。
 彼女はそれを掴む。
 そして―― 一時的な停止に陥った。

「魔力封じの札がそこまで作用するということは、その娘、リビングデッドの亜種かもしれんな。一緒に運び出しておけ――場合によっては良い生贄になるかもしれん。……ん? ……ちッ、外套を掴まれたか――マシンドールの力では開いている時間もない」

 男は外套を脱ぎ捨てる。
 そして、そのままに、興信所を去った。
 零も三下もいない、残されたのはセヴンと、彼女が対峙していた傀儡だけだった。

■神山/鴉女/七枷■

「ふぅん。神山さん、これってナマモノなのかな」

 襲い掛かってきた爪をひらりと避けながら、さほど切羽詰った様子も無く麒麟は隼人に問い掛ける。サークルの外側で半ば呆れたような顔をしていた彼は、その問い掛けで我に返った。最近の子供は無茶をする、まったく心臓に悪いったらない。

「ナマモノ――と言うか、現実にこの三次元に存在してはいますね。錯覚や幻覚の類では有りませんし、勿論呼吸もしています――ッて、麒麟さん、とにかくそのサークルから出て下さいよ。陣自体を崩してしまえば媒体がなくなりますから、それも消えます」
「この陣は残しておいた方が良いと思うけれどね。一応証拠品だし、見る人が見れば術の形態なんかも判るものだろうから。キミが入ってこないところから見ると、内側に入った人間の頭数に呼応して増える――って仕掛けなのかな」
「それは、そう――ですが」
「一度駆逐してしまえば効果は消える?」
「ええ、そのタイプです」
「じゃあ、駆逐しよう」

 麒麟はスゥとその赤い眼を眇めた。精神集中に入る僅かな間を狙って獣はその牙を向けてくるが、彼女は軽く身体を傾けるだけでそれを避ける。避け続けているだけならば簡単だ、相手の身体は無駄に巨大なのだから。なんらかの動作に出る際は、どうあっても筋肉の動きが大きくなる。その観察をしていれば、容易い。
 しかし――と、彼女は軽く飛び退く。
 周囲の温度に変化は出ていて、相手の体感温度はもはや百度を越しているはずだった。だが攻撃力が鈍る気配は無く、むしろその動作は機敏になっているような印象すら受ける。燃え上がる気配も無く、その体毛が発火温度に達することも無い。垂らされる唾液からも、沸騰の気配はまるで無かった。

「……なるほど、暑さ我慢大会のチャンピオンか」

 おどけた言葉を吐きながらも、その額には薄っすらと汗が浮いている。獣が動くたびにそれが纏った熱気が周囲に発散され、辺りの気温が上がっているのだ。汗で長い髪が肌に纏わり付き気持ちが悪い、これは中々に不快だ――下手をすると自滅かもしれない、ううむ。

 やれやれと肩を竦める隼人の足元に、麒麟のアルマジロがゲシッと突撃をした。はよ助けんかい、と脅迫するような視線で、べしべしと尻尾を苛立たせるそれに、彼は苦笑を向ける。さて、熱気から察するに麒麟は温度を操ることが出来るようだが――それが通用していない、らしい。

「ああそうだ麒麟さん、ご存知ですか?」
「……何を?」
「地獄と言うのはその灼熱を持ってして、罪人を裁きます。煉獄などが良い例ですね。必然そこから召喚される魔物の類は、火に対する耐性が強いんですよ――つまり、高温や高熱に対する、ね」
「へぇ――それはまた、初耳だね」
「つまり逆説的に考えるならば」
「冷気には劇的に弱い」
「そう言うことです」

 にこり。
 にやり。

 二人は笑い合う、麒麟は再び目を眇める。先程とは逆のイメージで、軽く手を、翳す――

 ぴたり、獣の動きが止まる。
 ぶるぶると痙攣するように、その身体が震えていた。ぱらりと氷の欠片が落ちる、汗が凍ったものだろう――熱を纏わせたのもあながち無駄ではなかったようだ。急激な温度変化、大量の運動による発汗、それらが確実に作用している。爪を振り上げようと腕を動かすが、末端からそれは凍り付いていた。無理に上げられた腕が、ボキリと折れて床に落ちる。じわりじわりと凍っていく様子に、ああ、と彼女は息を漏らした。

「そっか、普通は取れたら元に戻らないものなんだよね。これはまた、可哀想に」
「心にも無い台詞に聞こえますが、気のせいですか?」
「それはまた随分なことを言うんだね。僕はこれでも面倒見が良くて慈悲深いよ。敵以外には」

 やがて、巨大な氷像が出来上がる。
 隼人はそっと、腕を上げた。
 ノブを捻るような動作で、クイッと手首を捻る。
 氷像は、粉々に割れた。

「…………」
「なんでしょう?」
「何、その美味しいトコ取り。僕に対する挑戦なら受けて立つんだけれど」
「そ、そんなつもりは――」

 べしっ、とアルマジロの尻尾が隼人の脚を叩く。彼は苦笑して、陣の様子を見た。どうやらこれ以上のトラップを仕掛けてある様子はないが、いかんせん巨大すぎる――何かに書き写して調べる方が早いかと、背広の内ポケットからメモ用紙を取り出す。流石にこの場で意味の全てを解けるほどに、黒魔術も単純なものではない。
 と、彼の背後で足音が響く。
 振り向けば、誠が立っていた。

「――なんだ、騒がしいと思ったら、もう終わった後か」
「ああ、誠さん……綾和泉さんとの調べ物は、一段落着いたのですか?」
「殆ど成果無く、な」
「まったく遅いよ誠。もう少し早かったら僕の華麗な活躍を見せられたって言うのにさ」
「…………。ん――その魔法陣」

 あえて沈黙してから、誠は部屋の中を覗く。そこに書かれてある魔法陣を見止めたのか、ああ、と隼人は答えた。

「一応証拠品、というところですね。少し大きすぎるので書き写そうと思っているところです」
「いや、その必要は無い」
「ん? どういうこと、誠」

 彼は自分のポケットから、数枚の紙を出す。言霊の為に持ち歩いているメモ用紙ではなく、もっと硬い――羊皮紙で作られた、短冊形のそれ。麒麟は首を傾げ、隼人は少しだけ瞠目した。
 その紙の中央には、同じ魔法陣が描かれている。

「靴に言霊を掛けて、屋上から降りてきたんだが――部屋の所々にこんな札が落ちてあった。多分同じものだろう。一応裏に俺の血で言霊を与えてあるから、これ自体は無害だ」
「そうですね――同」
「……神山さん?」

 突然言葉を途切れさせた隼人に、二人が訝しげな視線を向ける。彼は何処を見ているのか判らない視線で天井付近を仰ぎ見、そして、無理矢理な苦笑をした。

「……興信所が、少々大変な事になっているよう――ですね」

 彼が三下に憑けていた『眼』からの、情報だった。

■セレスティ/綾和泉/セヴン■

 セレスティの車の中、汐那は資料を読みながら、小さく頷いた。半日足らずで集めたにしては分厚いデータに、彼の財閥が持つネットワークの広さと深さが知れる。

「墓を暴かれた犯罪者は、十五人――ですか。世界規模にすれば少ないんでしょうけれど、やっぱりまだ少し範囲が広すぎますね」
「欧米では土葬ですから、装飾品などを一緒に入れることが多いのですよ。自然墓荒しは多くなってしまうんです――今、それぞれの国に入国している日本人の情報も洗っているところです。最近帰って、かつその墓地の近くに立ち入った可能性の高い人物――少し骨が折れますが、明朝までには絞り込めると思います」
「凄い、ですね……それはまた」

 リムジンが静かに走っていく。
 二人が乗った車は、興信所に向かっていた。取り敢えず判った情報を草間に伝えようと思ったのだが、どうやら電話が繋がらないらしい。草間の携帯電話も留守電になっていると言う事は、どこかで調査に没頭しているのかもしれないが――少々嫌な予感を憶えたセレスティは、屋敷にいた汐那と連れ立って事務所に向かっている。運転席の従者には絶えず電話をさせているが、黙っているところから察するにまだ繋がってはいないらしい。何も無ければ良いが――夕日が少し目に入り、彼は眼を閉じる。

「それと、宗教団体とビルのオーナーに関しては、まだ当たっている最中です。一時間以内にはそちらも結果が出るでしょう」
「ありがとうございます。それじゃあ、私が調べた『栄光の手』に関する記述の方も、説明しておきますね」
「お願い致します、資料を読み取るのが少し困難なもので」
「いえいえ。……まず材料ですが、これは絞首刑になった死刑囚の手ですね。それをハーブなんかと一緒に壷に入れて土中に埋め、二週間後に取り出して乾燥させる。形はこう、人差し指を立てるようにして……指先に火を灯して使うそうです」
「主な効能の程は?」
「金縛りや、命を奪うこと……ですね。黒ミサで使うとすれば、多分これを媒介にして、誰かの命を奪うとか――もしくは何か大災害でも引き起こしたいのか。いずれにせよ、不穏なことこの上ない感じです。色々と記述はあるみたいですけれど、基本的な能力はこれだけですね」
「ふむ――」

 こつん、とセレスティは杖を鳴らす。

「どうも、情報不足は否めませんね」
「まあ、三下さんが依頼人ですからね」

 その一言で片付けられる男、三下忠雄。

「でも――興信所に電話が繋がらないのは、少し不安ですね。零さんもななさんもいるはずですし、勿論三下さんだってそうですから。誰かと話しているにしても、長すぎます」
「私もそれは気になっているのですが、まああと数分の距離ですから。そう心配なさらずとも大丈夫だとは思います」
「そうですね、彼女達ならきっと――あ、あれ、草間さんですね」

 汐那は道を歩く影の中に見覚えのある後姿を見付け、そう呟く。セレスティは車を止めさせた。どうせもうそれほどの距離は無いのだから、歩くのも困難ではない――先に車を停めておくように言付け、車を降りた。気付いたのか、草間が振り向く。咥えられた煙草には火が点いていなかった。

「こんにちは、草間さん。何か情報はつかめましたか?」
「大したもんはないな、麗香のとこで資料読み漁って怪しい団体にチェック入れて――ああ、例のビルのオーナーだがな。妙な団体との結び付きが見付かってる」
「おや、草間さんの方が早く見付けてしまいましたか」
「団体ってほど大きくもないし、内々のものらしいんだがな――今時終末思想で客寄せしてるってんだから。とっくに新世紀だってのに」

 確かに世紀末の馬鹿騒ぎは記憶に新しいが、と汐那は苦笑する。世紀末を幾つも過ごしているセレスティも、同じように笑っていた。一つの区切りが生まれるたびに人は怯えて、何か不吉を――期待、する。そしてそれを示すものを笑いながらも、安心するのだろう。
 だが、何の脈絡もなくそんな思想を垂れ流すということは――何か確信的なものでもあるのか。それとも、その言葉を真実にするだけの力があるのだろうか?
 辿り着いた興信所のドアには、鍵が掛かっていた。用心のためだろう、草間はポケットからキーホルダーを出して開錠する。事務所のスペースには誰もいない、そして、静かだった。

 汐那は訝る。どうしたことだろう、出迎えの様子も無ければ話し声も無い。嫌な静寂だ、まるで、誰もいないような。施錠されていたのだから出掛けているという可能性もあるかもしれないが、彼らはいわばここに篭城しているのだ。そこからみすみす出るような真似は、しまい。
 セレスティはふと、何かの音に気付く。視線を向けたドアは仮眠室のものだった。何かがこすれるような、引き摺られるような音――杖を鳴らし、彼は近付く。そして、ノブに手を掛けた。

 部屋の中には、セヴンが倒れていた。

「なな!!」
「ななさん!?」

 草間が彼女に近付く、セヴンは僅かに動く腕で、掴んでいた外套を示す。セレスティが聞き付けたのは彼女が必死で身体を起こそうと床を擦る音だったらしい。示された黒い外套の裏地には巨大な魔法陣が描かれ、数枚の札が貼り付けられている――それを一瞥しながら、草間は彼女を抱え起こす。

「高電圧を、掛けられました――暫く機能が低下している、だけです。申し訳ございません、三下様と、零様が――守れなく、て」
「良い、とにかく今は、何か出来る事はないか? 手当てでも修理でも」
「お二人、を――お願い、します。私もすぐに――」
「ななさん……ななさん!!」

 汐那は必死で呼びかける。草間は彼女の腕にセヴンを預け、飛び出して行った。どこに向かったのか、一体――とにかく、と汐那はセヴンの身体をベッドに横たえる。
 セレスティは残された外套を眺めていた。手触りからして、中々の高級品であると知れる。タグを探せば、製作の通しナンバーの刺繍が指先で感じられた。ここから持ち主の特定は出来るだろう、携帯電話を取り出し、部下に告げる。

「どうやら――ややこしい事態になってきた、ようですね」

 ひらりと落ちた羊皮紙の札を眺め、彼は呟いた。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

3590 / 七枷誠          /  十七歳 / 男性 / 高校二年生・ワードマスター
2263 / 神山隼人         / 九九九歳 / 男性 / 便利屋
4410 / マシンドール・セヴン   / 二十八歳 / 女性 / スタンダード機構体
2667 / 鴉女麒麟         /  十七歳 / 女性 / 骨董商
1449 / 綾和泉汐耶        / 二十三歳 / 女性 / 都立図書館司書
1883 / セレスティ・カーニンガム / 七二五歳 / 男性 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
<受付順>


■□■□■ 配布アイテム ■□■□■

これが勝利への鍵だ!
☆魔呪符(全員)

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 ……非常に長ったらしくなりましたが;
 こんにちは、または初めまして、ライターの哉色と申します。この度は『愛すべき殺人鬼の右手<1>』にご参加頂きましてありがとうございましたっ。殆ど物語動いてへんやん、黒魔術もグロも出てないやん! との突っ込みは絶好調でお受け致します…ほ、殆ど序章状態にて申し訳ございません;
 零と三下の誘拐イベントは必須だったので、二人を守る手段をご提示下さいました方々には本当に申し訳なく…挙句負傷者も出てしまいましたが、一時的なものなのですぐに直ると!;
 長い挙句に連作なのですが、次回もお付き合い頂ければと思います。それでは少しでもお楽しみ頂けていることを願いつつ、失礼致しますっ。