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■アトラスの日に■

モロクっち
【0332】【九尾・桐伯】【バーテンダー】
 某月某日、白王社ビル内、月刊アトラス編集部。
 編集長碇麗香が檄を飛ばし、シュレッダーを稼動させ、記者その壱たる三下忠雄が悲鳴を上げる。
 麗香の目を盗むようにして、船舶模型情報誌に目を通しているのは、記者その弐。無口で無愛想な御国将。緑茶が入ったマグカップを傍らに、どこか覇気のない様相で、時折自分の影にちらりと一瞥をくれている。
 どやどやと応接室に外国人数名が入っていった。何でも、イギリスの秘密結社の幹部たちだそうだ。日本が気に入ったらしく、最近よく編集部でその姿を見かける。彼らがこの編集部にやってくるようになったのは、イギリス人の作家兼オカルティストがアトラスに関わるようになってからだった。集団が入った後に、そのイギリス人が黒尽くめの少女を伴って、応接室に入っていく。リチャード・レイと蔵木みさと、ふたりは最早この編集部の『住人』だ。

 多くの冒険者を抱えて、編集部はこの日も回っているのだ。
 ここは地球で、その縮図がここにある。
 シュレッダーに悪戯をするグレムリン、デスクの上に鎮座するぬらりひょん、暗がりの吸血鬼、影の中の蟲、深淵へと続くドア。
 すべてがここに、収まっている。
アトラスの日に


■ワイルド・スピード9B■

「ケータイ落としましたよ先生!」
「ああ、すみません!」
「オイ、なんかここに大事そうなファイルあるけどいらねェのか?!」
「要ります! すみません!」
「あーッ、先生、コーヒーがこぼれてますーっ!」
「なにー!」
「だーッバカバカよりによってオレのブレスの上に倒れやがってこのクソマグ!」
「もう3時ですうッ、もう間に合わないですうッ!」
「間に合わなかったらわたしの信頼性に傷がッ!!」
「おめーはうっかりしすぎで信頼もへったくれもねーだろーがボケ! だいいち今こうしてバタバタしてんのはおめーが時計合わせ忘れてたせいだろォ?!」
「だまれ下郎!」
「なにぃゲロだとこのジジイ!!」
「ケンカしないでくださいーッ!!」

「……」

 月刊アトラス編集部の喧騒に何とか紛れこんではいるものの、九尾桐伯がそのドアを開けたとき、応接室の中は修羅場にあった。中にはほぼ応接室に常駐状態にあると言っていいイギリス人作家リチャード・レイ、その助手の蔵木みさと、普段ならレイと仲がいいはずの焔使いブラック・ボックスの3人がいて、大混乱の果てに喧嘩を始めているところだった。
 桐伯はアトラス編集部に別件で来ていたため、応接室を冷やかしてから帰るつもりだった。
 彼はただきょとんとその様子を見守り、このまま何も見なかったことにしてドアを閉めてしまおうかと、ほんの一瞬考えた。
 一瞬だった。
 桐伯の耳は3人の会話をしっかり拾っていて、聡明な頭脳が怒号に満ちた台詞を正しく並べ替えていた。

・リチャード・レイ一行はとても急いでいる。
・大事な約束があるらしい。
・走っても約束の時間までにはとても間に合いそうにない。
・遅刻しそうなのはレイがうっかりしたせいだ。
・車なら間に合いそうだが、レイもみさとも無免許で、ボックスに至っては免停中。
・現金の持ち合わせがないのでタクシーも使えない。
・困った。
・急がなければとてもヤバイ。

「……送りましょうか?」
 言い争いの中、桐伯の穏やかな声は、容易くかき消されてしまうと思われた。
 しかし、レイ、ボックス、みさとの3人はぴたりと硬直し、応接室の出入り口に視線を向けたのである。
 桐伯はふわりと、掴み所のない笑みを浮かべた。
「今日は偶然、速い車に乗ってきたのですよ」


 3分後、白王社ビルの駐車場から、走り屋仕様のアメリカ車が一台、弾丸のように飛び出していた。


「すげーよ、オレ初めて乗ったよコレ、うははははすげークール! ちくしょーやったぜ!! あはははは!!」
「……あ、あの、キュウビさん……安全運転でお願いしま……」
「見た目も速そうでしたけど、ほんとに速いんですね! カッコいい!」
 三者三様の反応をちらりとルームミラーや目視で確認、とりあえずの赤信号で桐伯はブレーキを踏みこんだ。助手席のレイの首ががくんと揺れる。
「後ろの方もシートベルトをお願いしますよ。――それで、レイさん。3時までに御津馬村でしたね」
「……ええ、はい」
「ふむ。確かにちょっと急がなければなりませんねぇ。どうしますか? もう少しで高速ですが」
「現金があまり……」
「なら、高速は使えない、と。一直線ですが混んでいる道と、空いている迂回路、どちらを?」
「急がば回れとよく言いますね」
「では、迂回路」
「確か、この信号を右折――うぁっ!」
 ぱ、とその信号が青に変わったのだ。それこそがGOサインなのであった。突然の右折に、レイは車窓に側頭部を打ちつけた。呻き声を上げてうずくまるレイを尻目に、後部座席の二人は手を取り合って大喜びし、運転手はとても嬉しそうに微笑んでいる。目が、生き生きしていた。

 慣れた手つきのシフトチェンジ!
 素早いが冷静なハンドリング!
 カーブでいちいちスピードなど落とさない!
 交通量こそ少ないが、カーブとアップダウンの激しい公道だ。これはかなりの難易度を誇るコースだろう。このコースこそ、リチャード・レイが自ら選択してしまったもの。相当のドライブ・テクニックを要求されるも、桐伯は涼しい顔だ。コースをがっちり囲うガードレールには、野望潰えし走り屋(ルビ、「つわもの」)どもの夢の痕が見受けられる。
「あの!」
「はい?」
「もう少し!」
「はい」
「ゆっくり!」
「はあ」
「お願いしますーッ!」
「急いでいるのでは?」
「これでは警察が来ますよ!」
「ああ、その点ならご心配なく。手は打ってありますから」
「ええ?!」
「おーォォ、なんか足元にいっぱいナンプレあっぞリチャード、ホレ」
 呑気にボックスが提示したのは、釧路ナンバー「し」の3434。その横ではみさとがにこにこしながら鹿児島ナンバーを掲げている。レイが盗まれたムンクの絵画にある仕草をとった。
「ああああーああ!! 犯罪ではないかーッ!!」
「それを言うなら、パ=ドゥさんは死体遺棄しているようなものですよ」
「儂をそこで引き合いに出すか!」
 身を乗り出して桐伯に抗議したレイが、ばうんとシートに叩きつけられた。車が急停止したのだ。ある程度大きな十字路に出たため、桐伯もきちんと信号を守ることにしたのだ。レイは息をつくと同時に窓を開け、歩道を歩いている若者に怒号のような悲鳴を浴びせかけた。
「おい、そこな若者! 儂を助けろ!」
「そろそろ青になりますから、レイさん。頭を引っ込めて下さい」
「おい、これは拉致だ! 殺人だ! ケーサツを呼べ! のぁ――――――ッ!!」

 ……歩道を歩いていた山田泰助(25)は、必死の形相で叫ぶ外国人男性の言葉が理解できなかった。ただ、あまりにも外国人が必死だったため、彼も犯罪の匂いを感じ、せめて車のナンバーだけでも覚えようとしたのだが――出来なかった。外国人が乗っていたアメリカ車のナンバーは外国のものだったのだ。

「レイさん、ルーマニア語で助けを求めてもわかってもらえませんよ。せめて英語でなければ。70のおじいさんでも『ヘルプ』の意味くらいは知っていると思いますし」
「きさま160キロも出しておいてフツーにしゃべんないで下さい!!」
「さっきの赤信号でかなりの時間をロスしましたねぇ」
「たかが1分だぞ?!」
「1分もピットインしていたら負けてしまいますよ」
「なに、なんの話だ!!」
「御津馬まであと20キロだそうです! 間に合いますよ、先生! よかったぁ……!」
「おまえもなんで平気だ?!」
「……うーん、総帥、もう食えねっス……ムニャムニャ」
「そしてここで寝るかおまえはーッ!! きさまら全員夜鬼にくすぐられろーッ!!」


 午後2時48分!
 車はのどかな村に、爆音を抱いて飛び込んだ!
 よろめくリチャード・レイをブラック・ボックスが支え、大はしゃぎのみさとが桐伯に頭を下げる。
「ありがとうございました! おかげで助かりましたぁ! ……楽しかったぁ、あたし、絶叫マシーンって憧れだったんです!」
「おい、キュウビ! おまえ、今度オレと走れよ!」
「……あの、ちょっと……世界が……回っていま……」
「いやいや、お力になれたようで、私も嬉しいです。さ、お仕事を済ませてきてください」
 ボックスに支えられて、ふらふらと待ち合わせ場所に向かうレイに、(レイにとっては)恐ろしい一言が浴びせかけられた。
 桐伯が、ふと気がついたことなのだ。
「あの、帰りは、どうされるのですか?」

 そのとき振り向いたレイの顔を、九尾桐伯は生涯忘れることはないだろう。惜しむらくは、そのとき、桐伯がカメラを持っていなかったことだ。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー】

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               ライター通信
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 わははは。モロクっちです。ニヤニヤしながら書いてました(笑)。レイだけだと会話がもたないので、みさととボックスもおまけでつけてみたり。スピード感もそうですが、シュールなやり取りを楽しんでいただければ幸いです。でも、レイの反応がいちばんまともなんですよ……ね……?
 走り屋ってチョーCOOL!