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■魔女の条件MISSION:03/FINAL■

瀬戸太一
【4321】【彼瀬・蔵人】【合気道家 死神】

―…ちらほらと粉雪の舞う冬の或る日のこと。
雑貨屋『ワールズエンド』に一通の封筒が舞い降りた。

 一番最初にそれを発見したのは、ここ『ワールズエンド』で一番若い少女だった。
「銀兄さん、あれ何?」
 少女ー…リネアは竹箒を握り締め、ぽかんと口を開けて乳白色の空を見上げていた。
声をかけられ、隣で用具の片づけをしていた銀埜が振り返った。
そしてきょとんとした顔を浮かべて尋ねる。
「何って?ゴミでも落ちてきたか?」
「ゴミ…なのかな。こっちに向かって落ちてくるよ」
 リネアはそう言ったかと思うと、握っていた箒を放り出して駆け出した。
銀埜はやれやれ、と思いながら、地面に落ちた竹箒を拾い上げた。
 …リネアは、先の試験によって生み出された魂を持つ。
謂わば『課題』としての魂だが、本人は至って気にせず、
魂の源となった銀埜の主人ー…ルーリィを母と慕っている。
実際、ルーリィの魂を分けて造られたのだから、彼女の娘も同然なのだ。
(まるで、小学校になったようだな)
 銀埜はそう心の中で呟き、苦笑を漏らした。
リネアの外見は、現在ではもう10歳ほどになる。
その精神は早熟なもののー…まだまだ一般常識や教養が足りているとはいえない。
そういうわけで、ここ『ワールズエンド』は、目下のところ学び舎なのである。
だがそこでは、生徒は只1人の少女のみ、教師はというと4人もいる有様なのだが。
(…否。)
 銀埜はふと思う。
(あの子にとっては、私たちだけでなく、周りのもの全てが教師なのかもしれない)
 …願わくば、それが彼女にとって善きものであることを。
「…銀兄さん?」
 銀埜は子供特有の少し高い声が自分にかかったことに気がつき、ハッと我に返った。
リネアの放った箒の柄を握り締め、感慨に耽ってしまっていたらしい。
「…え、ええと。そろそろ寒いし、中に入るとするかー…」
「待って。これ落ちてたよ」
 気まずそうにそそくさと店内に戻ろうとする銀埜の服の裾を、小さな手が掴んだ。
そして、ん、と言うように手に握っていたものを銀埜に突き出す。
「…封筒?」
 銀埜は思わずそれを受け取り、確かめるように両面を見る。
ロウで封された真っ白い封筒、その表に書かれているものは、見覚えのあるミミズ文字。
「……大変だ」
 ボソっと呟き、慌てて箒を二本抱える。他の用具はー…このままでいいだろう。
何せ、緊急事態だ。
「リネア、早く入りなさい。ああほら、雪を追ってる場合じゃないんだ」
 銀埜は、段々と大きくなってきた雪を眺めて、今にも駆け出しそうなリネアの手を取った。
普段ならば、風邪を引かない程度に遊ばせてやりたいが、今はそうもいかない。
「銀兄さん、それ何なの?お手紙って、普通ポストに入ってるんじゃないの?」
「いやー…これは違うよ、特殊なものだから。
…魔女の村の郵便は、ポストを必要としていないからね」








          ★







「そのお手紙をね…母さんが開いたの。
そしたら、ぱぁって眩しくなって、それが消えたら…」
 リネアは薄い胸を上下させてしゃくりあげながら、たどたどしい言葉で話す。
母さんというのはルーリィのこと。
当の彼女は、安楽椅子に揺られながら、ぼうっと暖炉の火を眺めていた。
その瞳は焦点があっておらず、覗き込むと暖炉の火がちらちら燃える様子が映っていた。
「母さんが、変になっちゃったの。頭がぼうっとするっていってる。
あまりお話してくれなくなっちゃって、いつもどこか遠いところを見てるの。
わたしのこと、忘れちゃったのかなあ…っ」
 堪えきれなくなったのか、リネアの瞳から大粒の涙が零れた。
いた堪れずに、彼女を宥めながら、来訪者は途方に暮れた風な銀埜に眼を向けた。
「…原因はこれなんですよ」
 銀埜はそう言って、手にしていた紙切れを来訪者に見せた。
そこに書いてあるのは、予想通りのミミズ文字。
魔女の村以外の人間には読めないので、銀埜が解説してくれる。
「ルーリィの胸に、握り拳より少し小さいぐらいの…透明な玉が埋め込まれてるんですよ。
リネアが言う、光が消えたあとに。
その玉のことが、その手紙に書いてあるんですが…。
どうやら、魔女の魔力を吸収している玉のようで。
魔女の身体は、半分は精神力、半分は魔力で支えているといいます。
その玉が際限なく彼女の魔力を吸収しているのならば…」
 正常を保つことが出来なくなる。
かろうじてそう言って、銀埜は視線を床に落とした。
 …異常事態だが…これもまた、試験に関係あるのだろうか。
そう問いかけるような視線を向けると、銀埜は首を振った。
「…分かりません。ですが手紙には、玉を壊すには、
彼女が今まで作り出してきた想いが必要だと…そうあるのです。
この挑むような書き方は、確かに試験のそれかもしれませんね。
…こんな物騒なものとは思っていませんでしたが」
 肩を落とす銀埜に変わって、今までしゃくりあげていたリネアがバッと顔を上げた。
「…銀兄さんやリックちゃんは、母さんの使い魔だから助けることは出来ないの。
でもわたしなら、まだ魔女じゃないから母さんを助けられる。
わたしだけじゃ…役に立たないかもしれないけど」
 そう言ってリネアは、泣き腫らした瞳で来訪者たちを見据えた。
その瞳には、強い意志が。

「母さんを助けたいの。…お願い、力を貸して」


魔女の条件 MISSION:03/FINAL





「・・・お願い、力を貸して」
 リネアは目の周りを赤くしながらも、決意を背負った瞳で来訪者たちを見つめた。
まだ10歳程度の彼女にとっては、彼らを見上げる形となったが。
 その来訪者たちの一人、一際大きな身体を持つ彼瀬・蔵人は、
その持て余し気味の身体を折り曲げ、リネアと目線を合わせて言った。
「良い目だね、リネア。でも、ちょっと駄目だな」
 そう悪戯っぽく笑ってから、おもむろにリネアの柔らかい頬をむにっ、と摘んだ。
「困ったときはまず笑わなきゃ。思いつめたり緊張しすぎると、どんなことも上手くいかないものだよ。
“急いでいても焦らずに、淑女たるもの、まずは微笑をひとつ”。
リネアは立派なレディになるんだろう?」
 蔵人はそう言って、ね?と問いかけるように首を微かに曲げた。
リネアはそんな蔵人を、頬を摘まれながら暫くポカンと見つめていたが、
やがてプッ、と噴出し笑顔を見せた。
蔵人はそんなリネアを見て、満足そうに頷いてから手を離した。
そして離した手を、ぽん、とリネアの頭に載せる。
「そう、それで良い。・・・それから、さっきの言葉は、実は僕の母さんの受け売りなんだ」
 これは内緒だよ?
そう言って蔵人はクスリ、と笑い、身体を起こした。
 そんな様子を眺めていた来訪者の内の二人は、急に和んだ空気に思わず頬を緩めた。
豊かな金髪の妙齢の女性、アレシア・カーツウェル。
そして彼女と対照的に、黒い艶やかな髪を持つ鹿沼・デルフェス。同じく女性である。
彼女たちは、ルーリィのことも、そしてリネアのことも知っていた。
むしろ、リネアの魂、そして自我が生まれたときに傍にいたのだから、
この店の従業員たちを覗けば、リネアたちのことを一番よく知っている彼らでもある。
そんな彼女らと立場を同じくしている蔵人が、悲壮感を漂わせたリネアを前に向かせてくれた。
彼女たちにとって、今の状態は非常に複雑で不安が立ち込めていたけれども、
だからこそ蔵人の微笑ましい言葉は、彼女たちの心の中も和ませた。
 そしてこの場には、更にもう一人。
リネアよりも幼く見える彼は、とてとてと歩いて銀埜に近づいた。
そして銀埜の服の袖をくいくい、と引き、きょとんとした顔で銀埜を見上げる。
「ぎんやちゃん、ぎんやちゃん」
 銀埜は袖が引っ張られた感触に気付き、足元を見下ろして思わず目を丸くした。
「えるも君・・・きみも来てたのか?」
 えるもと呼ばれた少年は、こくこくと頷き、
「ぎんやちゃんに、あいにきたの」
「そうか・・・それは有り難う。でも済まなかったね、今はこんな状態だから・・・」
 銀埜はわざわざ自分を尋ねてきたという幼い友人を、済まなさそうな目で見つめた。
彼瀬・えるも。以前銀埜が知り合った、彼の数少ない友人の一人である。
常に頭の上に木の葉が乗っているという、少々変わったところのある4歳程度の子供だが、
銀埜はえるもがそれだけの子供ではないことを、既に知っていた。
 そのえるもは、銀埜の言葉を受けて、ぷるぷると首を横に振った。
「わかってるの。ぎんやちゃんのごしゅじんさま、たいへんなの!でも・・・」
 言葉尻を呟くように言い、えるもは考えるように眉を寄せた。
「ぎんやちゃんのごしゅじんさま、りねあちゃんのおかあさんなの?」
 そう言って首を傾げる。
銀埜は、そんな可愛らしい動作のえるもに思わず頬を緩めて説明する。
「そうだよ。あの子も辛かろう・・・試験とはいえ、ルーリィのあんな姿を見るのは」
「しけん?しけんってなになの?それがおわったら、るーりぃちゃんおきれるの?」
 えるもは銀埜の言葉に、矢継ぎ早に質問を繰り返す。
銀埜が暫しそれに戸惑いを見せると、リネアたちから離れて蔵人が近寄ってきた。
そしてえるもの肩に手を置くと、
「そうだよ。だからこれから、リネアと一緒に起こしに行くんだ」
 微笑んでそう言った。
えるもは大きく頷いて、拳を固める。
「じゃあ、えるももおてつだいするの!」
 そしてニコッと笑って銀埜を見上げた。
銀埜は呆気に取られたまま蔵人とえるもを交互に見つめていたが、
そんな銀埜に向かって蔵人がゆっくりと言う。
「そういうわけで、リネアを手伝ってきます。
リネアから聞いたんですが、二階の倉庫にある道具たちにヒントがあるかもしれないということで。
えるももやる気のようだし、彼女たちもついていてくれてるし」
 そこで蔵人は一呼吸置き、店の中央辺りにいるアレシアとデルフェスのほうに顔を向けた。
そしてにこ、と微笑み、また銀埜に顔を戻す。
「きっと大丈夫。だから安心していて下さいね。それとこれを」
 蔵人はそう言って、自分の足元に置いていた紙袋を片手で取り、銀埜に差し出した。
銀埜は首を傾げながらそれを受け取り、中を覗き込む。
中には白い長方形の大きな紙の箱。
「お茶請けにいいだろうと思って、ケーキを1ホール。
全部めでたしめでたし、になってから皆で頂きましょう?」
 銀埜はそんな蔵人の言葉に、暫し唖然としてから、思い出したようにこくこくと頷いた。
こんなにも明るく言える彼ならば、任せることが出来る。
銀埜はそう心の中で呟いていた。
きっとリネアの助けになり、ルーリィを目覚めさせてくれるだろう。
そう思い、銀埜はふっと、安楽椅子に揺られたままの自分の主を眺めた。
 意識を持たない彼女の傍らには、いつの間にかデルフェスが佇んでいた。
デルフェスは下げていたカバンの中から、
ざっくりと編まれた淡い黄色のマフラーを取り出し、ルーリィの首元にそっとかける。
そのマフラーの先には、素朴ながらも丁寧に編みこまれた装飾が為されている。
デルフェスは動かないルーリィの首元に、優しくマフラーを巻きながら、囁くように言った。
「あなたと出会った編み物教室以来、編み物にはまってしまいましたのよ。
店番をしながら、のんびり編んでおりますわ。
・・・ルーリィ様のお身体が冷えないように、巻いておきますわね」
 そして結び終わると、そっとルーリィから離れ、慈愛を込めた瞳で彼女を見つめた。
名残惜しそうに視線を向けたあと、くるりとリネアのほうを向く。
「デルフェス姉さん・・・?」
「リネア様、これはあなた様用のものです。あなたのお母様とお揃いのものですわ」
 デルフェスは微笑みながらそう言って、手にしていたもう一本のマフラーを、リネアの首にかけた。
そして腰を屈めて、ルーリィにそうしたように、軽くマフラーを巻く。
「お守り代わりにどうぞ。・・・わたくしもお手伝い致しますから、頑張ってルーリィ様を助けましょうね」
「・・・うん」
 リネアは何処か泣きそうな、だが嬉しそうな複雑な表情を浮かべ、
巻いてもらったマフラーに顔を埋めた。
暫しそうしていたが、やがて決意したようにパッと顔を上げた。
だがそこには、もう悲壮の色はなく。
「デルフェス姉さん、そして蔵人兄さん、えるもちゃん。
・・・よろしくお願いします!」
 勢い良く頭を下げて、そうはっきりとした声で言った。
名を呼ばれた彼らは三者三様に頷いた。
目指すはカーテンに仕切られた二階、ルーリィの道具たちが眠る倉庫の部屋。

 銀埜はカーテンをめくって、その奥に消えていく四人を眺めながら、
一人だけ残った女性に気付いて視線を向けた。
「アレシアさん・・・貴女は?」
 一人残ったアレシアは、ルーリィが揺られている安楽椅子の背に手を置いていた。
銀埜の声が自分にかかったことに気付き、アレシアはふっ、と顔をあげた。
そしてゆっくりと銀埜のほうを向き、
「私は、足手まといになりそうだから・・・ルーリィと一緒に待っていることにしたの。
リネアにそう言ったら、あの子・・・母をよろしく、ですって。
本当に成長したのね・・・ふふ、ルーリィが見たら何ていうかしら」
 アレシアはそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。
そんな彼女を、銀埜はただ黙って見つめているしかなかった。











              ■□■











「りねあちゃん、だいじょうぶなの?」
 えるもは階段を軽やかに登りながら、えるもはくるりと振り返って、
自分の背後にいたリネアの顔を覗き込んだ。
沈んだ顔をしていたリネアは、えるもの言葉にハッと顔を上げる。
そして無理に笑顔を作り、首を横に振った。
「大丈夫だよ、えるもちゃん。私がしっかりしなきゃ、だもんね」
「・・・るーりぃちゃん、しんぱいなの。えるも、よくわかるの」
 そう言ってえるもは足を止めてうな垂れた。
そんな二人に声をかけたのは、リネアの背後、一番後ろから階段をあがっていた蔵人。
「リネア、お母さんは寝ぼすけだろう?」
「え?」
 リネアは思わず、蔵人の言葉に足を止めて振り返った。
自分の背丈の倍以上もある蔵人を見上げ、リネアはきょとんとした顔を浮かべた。
そのリネアに、蔵人は穏やかな笑顔を向ける。
「だから、リネアのことも忘れたりはしてない。
ちょっと寝惚けてしまってるだけだよ。だから今、こうして僕らで起こしに行くんだろう?」
「・・・・・・」
 リネアは暫し無言で蔵人を見上げていたが、やがてフッ、と微笑んで言った。
「・・・うん、そうだよね。母さん、いっつも起きるの一番遅いの。
私、起こしに行くのは慣れてるんだよ」
「そうかい。じゃあ今回も簡単だ。きっとお母さんは、リネアが起こしにくるのを待ってるよ。
そうだろう?えるも」
 急に言葉を振られたえるもは、暫しぱちぱちと瞬きしていた。
だがすぐに、こっくりと頷いて笑顔を見せる。
「そうなの!だからりねあちゃん、がんばろうなの!」
「・・・・・・うん、ありがとう」
 リネアは微かな笑顔を浮かべたまま頷いた。
「リネア様。倉庫の部屋はどちらですか?」
 そのとき、先頭にいたデルフェスからの声がした。
彼女は既に階段を登りきり、廊下の端に立って彼らを見下ろしていた。
リネアは慌てて階段を登りながら、デルフェスに向かって声をかける。
「廊下の突き当たり。一番奥の部屋だよ」
「了解致しました。そういえばわたくし、まだこちらのほうにはお邪魔したことがありませんわ」
 デルフェスは三人が階段を上がってくるのを待ちながら、頬に手を当てて首を傾げた。
彼女は既にもう数回、この店に足を運んでいる。
だが実際足を踏み入れたのは、一階の玄関から続いている店内と、
カーテンに仕切られた向こうにあるリビングのみ。
それは蔵人も同様で、階段を登りきった彼は、同感だというように頷いた。
「どうやら、一階の一部と二階全部は、ルーリィさんたちの住んでいるところらしいからね。
わざと入らせなかったというより、僕たちが入る理由がなかったってところじゃないかな?」
「ええ、わたくしもその通りだと思いますわ。
・・・ということは、その部屋はルーリィさんたちの自室なのでしょうか?」
 デルフェスはそう言って、廊下を見渡した。
ぎしぎしと鳴る廊下の両脇には、いくつかのドアが並んでいた。
リネアはデルフェスの言葉を聞き、こくん、と頷いた。
「うん、そう。一番近いのが母さんと私の部屋で、その向かいがリース姉さんの部屋。
そして母さんの部屋の隣が銀兄さんで、銀兄さんの向かいがリックちゃん。
リックちゃん、いつもどたばたやってるから、姉さんによく怒鳴られてるの」
 リネアはその様子を思い出してか、くすくすと笑いながら言った。
そして廊下の突き当たり、一番奥のドアを指差す。
「あれが、母さんが道具に魔法をかけるときに篭る部屋よ。
母さんは作業室って呼んでるけど、私たちは倉庫って呼んでる。
母さんが今まで作った道具で、店に置いてないものとか、
あとは昔に作った失敗作なんかが詰まってるの」
「なるほど、だから倉庫か」
 蔵人は腕を組んで頷いた。
「うん。私じゃ母さんの玉は壊せないから、母さんが作った道具に頼るしかないの。
でもそれがどんなのか、私には良くわかんなくて・・・」
 リネアはそう言ってうな垂れた。
そんなリネアを励ますように、デルフェスが笑顔を浮かべて言った。
「大丈夫ですわよ、皆で探せばきっと分かりますわ。
それにリネア様はルーリィ様の娘ですもの、自信を持って下さいな」
「・・・うん。それに、デルフェス姉さんたちもいるもんね」
 私、頑張る。
リネアはそう言って意気込み、キッと突き当たりの部屋の扉を見つめた。







「・・・じゃあ、開けますわよ」
 デルフェスは扉に設えられた真鍮のドアノブを握り、ゆっくりと回した。
油がちゃんと効いていないドアは立て付けが悪く、ギギィ、と不気味な音を立てて開いた。
「・・・くらいのー」
 開かれたドアから中を覗き込んだえるもは、顔をしかめてそう言った。
えるもの頭の遥か上から中を覗き込んだ蔵人は、扉のすぐ近くに電気のスイッチを発見し、カチッと押した。
その途端、部屋の天井につけられた豆電球に光が点り、黄色い光で部屋を照らした。
「割と狭いのですね」
 デルフェスは一歩足を踏み込み、キョロキョロと部屋の中を見渡した。
その部屋は6畳程の広さがあったが、あちらこちらに幾つもの棚が置かれ、部屋の中を圧迫していた。
その棚は一階の店内で見かけたものと同じようなものだったが、
店内では一応の秩序を持って置かれていたのとは違い、この部屋の中では全くの無秩序に並んでいた。
勿論、棚に詰まれている様々な道具たちも無造作に収められていて、ところどころ床にも散乱していた。
そしてそんな棚と道具たちに囲まれた中央、そこには色とりどりの色で染められた木製の作業台。
「リネア様・・・あれがルーリィ様の作業台でしょうか?」
 デルフェスの問いに、リネアは眉を寄せて首をかしげた。
「うーん・・・そうだと思うんだけど。私、滅多にこの部屋に入らせてもらったことはないし、
それに母さんは、魔法をかけるとき他人を部屋に入らせないの。
だから良く分からないけど・・・」
 多分、そうだと思う。
そんなリネアの言葉に、デルフェスは納得して頷いた。
 デルフェスと同じように部屋の中を見渡していた蔵人は、ゆっくりと中に足を進めた。
そして作業台に近づき、その表面を軽く撫でる。
「何かの薬品かな?やけに毒々しい色もあるけど・・・あと焦げ跡もあるね。
失敗した跡なのかな?」
「焦げ跡・・・ですか。随分物騒な実験もなさっていたようですわね」
 そう言ってデルフェスは、ゆっくりと足を進めた。
あと数歩で蔵人に届こうかというとき、デルフェスはふっ、と顔を上げて足を止めた。
「でるふぇすちゃん、どうしたの?」
 まだ戸口のあたりにいたえるもが、デルフェスの様子に首を傾げる。
デルフェスは振り返り、えるもに向かって笑みを浮かべた。
「いいえ、何でもありませんわ。只、魔力があまり感じられなくて・・・」
「感じられないと、何かおかしいの?」
 リネアはきょとん、とした顔でデルフェスを見た。
異様な魔力というわけでもないのだから、特に問題はないのではないか?
そんな疑問も含めて問いかける。
だがデルフェスは苦笑を浮かべ、
「しかしリネア様。この部屋はルーリィ様の作業室、そして道具が詰まった倉庫なのでしょう?
ならば、もっと魔力が強く感じられても良いのではないかと・・・」
 だがデルフェスの言葉は、最後まで告げられることはなかった。
彼女の目の前にいるリネアとえるもは、二人して目を大きく見開いていた。
デルフェスはそんな二人を不審に思い、後ろを振り向いてみた。
そこには蔵人が立っていて、その蔵人の背後には―・・・。
「蔵人様、危ないっ!」
 デルフェスは思わず叫んだ。













              ■□■












 その頃、一階では。
銀埜はそわそわしながら店内を行き交い、
アレシアはルーリィの傍に佇んだまま、考えるように目を伏せていた。
「・・・大丈夫なのでしょうか。もしかして、道具が暴走しているやも・・・」
「・・・何ですって?」
 アレシアはポツリと呟いた銀埜の言葉に、思わず顔を上げた。
銀埜は眉を曇らせ、
「ルーリィがこんな状態ですので。
先程も言いましたでしょう、彼女の胸の玉はルーリィの魔力を吸い取っております。
つまり、ルーリィの魔力は現在際限なく落ちている状態にあります。
そして倉庫の道具たちは、全て彼女の魔力を帯びたものたちです。
普段はルーリィの制御下に置かれていますが、ルーリィの魔力が薄まっている今―・・・」
 道具たちは”存在理由”を保てなくなっているやも。
銀埜はそう言って、ため息をついた。
「存在理由・・・?」
「ええ。道具は皆”使われたい”、という欲求を持っています。
そしてルーリィは、そんな道具たちに付加価値をつけることによって、
存在理由を高め、あるいは付け加えて、彼ら本来の持つ素質や能力をあげているのです。
ルーリィの魔力が普段どおりで、制御されていれば、
彼らも己が何故こうして存在しているのか、この能力はどう使えばいいのか、”理解”しています。
それが例え、意思を持たない無機物であっても。
それ故彼らの能力もその存在理由通りに使われるでしょうが、この状態では―・・・」
「存在理由が分からなくなることで、能力が暴走する・・・ってことかしら」
 アレシアは神妙な面持ちでそう言った。
銀埜は深く頷き、
「その通りです。それは例えば、何も分からない子供に銃を持たせるようなもの。
本来の性質が穏やかなものでも、己の存在理由が分からなくなって、荒れていることでしょう。
リネアだけではありませんから、生命の危険までには至らないと思いますが・・・」
 銀埜はそう言ってうな垂れた。
助けに行きたくとも、銀埜のような使い魔は、試験に関与することを禁止されている。
そんな自分の身が歯がゆい。
「・・・ならば、この店内はどうなのかしら。
ここにもルーリィの魔力を帯びた道具はあるわよね?」
 アレシアはそう言って、抱いた疑問を銀埜に問うた。
「ここは、まだ大丈夫でしょう。店内部分には結界が貼ってありますし、
ここは比較的ルーリィ自身に近いので」
「・・・そう。なら良かったわ」
 アレシアはそう言って、また考え込むように視線を下に向けた。
そうして暫く経った後、彼女はポツリと呟いた。
「・・・・・・魔力・・・」
「アレシアさん?」
 彼女の呟きを聞きつけた銀埜は、訝しげな声で問いかけた。
だがアレシアは銀埜の声が耳に入っていない様子で、ブツブツと呟き始める。
「・・・やはり吸収するのはルーリィだけなのかしら?
その可能性はあるけれど・・・暴走しているとなったら、試してみる価値はあるわね」
「あの・・・アレシアさん?」
 銀埜はおずおずとアレシアに声をかけた。
そしてアレシアはハッと顔を上げ、銀埜に振り返る。
「ちょっと失礼するわね。ルーリィのためにも、違う方向を向いていてね」
「・・・へ?」
 銀埜は訳が分からず、素っ頓狂な声を上げるが、アレシアは全く気にせずに膝を床に着いた。
床には柔らかい絨毯が敷かれているので、アレシアに膝の痛みはない。
アレシアは手を伸ばしてルーリィの首元に手をかけた。
先程デルフェスが巻いていったマフラーはそのままに、すこしそれをめくって、
ブラウスのボタンを一つずつはずしていく。
勿論、慌てたのは銀埜だ。
「アレシアさん・・・!一体何を?」
「御免なさい。ルーリィが起きたら謝るわ。でも私、確かめたいことがあるのよ」
 普段の柔和な彼女からはあまり想像が出来ない、意思の篭った強い言葉が出た。
銀埜ははっきりしたその言葉に少々面食らいながらも、
言われた通りに・・・というかあまり凝視するのも申し訳ない気分で、違う方向を向くことにした。
 そしてアレシアは、上から三つ目のボタンをはずしたところで、ブラウスの首元を広げた。
自然ルーリィの胸元が露になるが、アレシアの求めるものはそれではない。
アレシアは、ルーリィの白い胸元に、半分ほど食い込むように沈んでいるその玉を見た。
痛々しくルーリィの肌にめり込んでいる玉は、銀埜の言葉の通りだと透明のはずだった。
だがアレシアが見たその玉は、球の真ん中ほどに橙色のもやがかかっていた。
まるで占い師が使う水晶玉のように。
「これは・・・魔力かしら」
 アレシアは独り言のように、そう呟いた。
もやは霧のようにうずまき、時には散らばり、形を変えながら玉の中央付近に漂っている。
これがルーリィの魔力なのだとしたら、もう肉眼で確認できるほど集まってしまっている。
これは危ない―・・・アレシアは彼女なりの直感でそう悟り、急遽思案していた行動に移すことにした。
 アレシアは軽く息を呑み、右手をゆっくりと玉に近づけた。
あとほんの数ミリかで触れるか触れないかのところで―・・・。
「痛っ・・・!」
 アレシアは思わず手を引っ込めた。
彼女の右手の先が玉に触れた瞬間、
まるで電気が走ったような感触が、アレシアの身体を突き抜けたのだ。
「・・・触れるのは無理、ね・・・」
 アレシアは自分の右手を眺め、傷はついてないことを確認して呟いた。
 何らかの方法で、魔力を肩代わり出来れば、と思ったのだが。
アレシアは思わず、自分の下唇をきゅっと噛んだ。
自分ならどうにか出来るかもしれないと思い、一人この場に残ったのが間違いだったのか。
「・・・でも諦めないわ」
 アレシアはそう呟き、頭を回転させ始めた。
触れて魔力を肩代わりすることが無理ならば、己の魔力を注ぎ込んでみれば、
ルーリィの魔力を中和することができるかもしれない。
出来るかどうかはわからないけれど、やってみる価値はある。
 アレシアは心の中でそう呟き、微かに頷いた。
そして安楽椅子の肘掛に力なく置いているルーリィの手に、自分の両手をそっと添えた。
ルーリィの冷たい手が、何故か無性に哀しかった。
だがその想いは頭から追い出し、そのまま軽くきゅっと握り、己の手に意識を込める。
「・・・ルーリィ、戻ってきて・・・」
 アレシアはそう呟きながら、一心に念を込めた。
そしてアレシアの両手に淡い白の光が灯り、そのままルーリィの身体へと伝わっていく。
やがて白い光は胸元の玉に届き、橙色のもやは淡い色へと変わっていった。
その玉のもやの変化に応えるように、生気がなかったルーリィの瞳に、一点の光が灯った。
「・・・・・・・・・誰・・・?」
 ルーリィの唇が微かに動き、微かな言葉が漏れた。
「・・・私よ、アレシア。ルーリィ、気がついた・・・?」
 アレシアは光を送り続けながら、微笑む。
ルーリィは緩慢な動きで首を動かし、アレシアのほうを向いた。
その表情は普段の彼女とは遠く違っているものの、明らかに意識があることは確かだ。
「・・・・・・何で、アレシアが・・・?」
「・・・私の魔力で、中和してみたの。薄らいだ分、魔力がルーリィの中に戻ったようね。大丈夫?」
 アレシアはそう穏やかな口調で、ルーリィに囁きかける。
「・・・・・・魔力・・・?何で・・・」
 意識が朦朧としていても、分かることは分かってしまうらしい。
アレシアはその事実に気がつき、思わず苦笑を浮かべてしまった。
ずっと言わずに過ごせるならそれでよかったのだが―・・・。
これもまた、潮時というものなのだろうか。
「ルーリィ。・・・御免なさい、黙っていて。私もね、実は魔女なの。
本業というわけではないけれど、でも確かに魔女の血は私の中に流れてるわ」
 アレシアはそう告げて、じっと未だ感情が乏しいルーリィの顔を見つめた。
ルーリィは一瞬少しだけ目を大きくしたが、やがてゆっくりと、強張った頬を和らげるように微笑んだ。
「・・・そう・・・だったの。じゃあ、アレシアは・・・私の先輩ね」
 アレシアはそれを聞き、一瞬言葉を失った。
だがすぐに、ふっと優しげな笑みを浮かべた。
「そう・・・なるのかしら?でも流派が違うそうだから、必ずしもそうとは言えないわね。
それにルーリィは、私の友人よ」
 アレシアはそう言いながら、彼女の胸元の玉を見た。
その中のもやの色は大分薄まり、もう乳白色程度になっていた。
「アレシア・・・」
 ルーリィからの声がかかり、アレシアは彼女の方を向いた。
ルーリィは微かな笑顔を浮かべて言った。
「・・・・・・ありがとう」
 それは試験を手伝ってくれたことへの感謝なのか、
魔力を分けてくれたことへの感謝なのか、もしくはまた別の意味のそれなのか。
それは分からないが、アレシアに彼女の気持ちは十分伝わったから。
だからアレシアは、嬉しそうな笑みを浮かべて返した。
「・・・どう致しまして。後もう少しよ、頑張りましょう」
「・・・・・・うん」













              ■□■










 ―・・・その少し前に時間は遡る。

 一階でアレシアが思案していた頃、二階の廊下の突き当りでは、
ある種壮絶な戦いが繰り広げられていた。
「くろーどちゃん、うしろもきをつけてなのー!」
「ああ、分かってる・・・いたたっ」
 先程まで静かだった部屋の中では、縦横無尽に数々の道具が宙を飛び交っていた。
それはまるで、今までつけられていた枷を外され、はしゃいでいるようにも見えた。
だがそれだけならまだ微笑ましい光景にも映るが、実際は少々危険な状態だった。
 えるもの言葉どおり、蔵人の背中には何かがどすっと当たった。
頑丈な蔵人の背中はそれだけでは勿論揺るがないが、油断も出来ない。
気を抜くと飛んできたテーブルかけに首を絞められるし、
始終あちこちから小物類が飛んできて、蔵人の身体に体当たりをかます。
雑貨屋だけあって刃物類がないのは幸いだが、凶器となり得るものが全くないわけではない。
そんなわけで、ただ道具類を放っておくわけにもいかず、蔵人たちは何とか道具を宥める策に出た。
 クッションに巨大なぬいぐるみ、そして椅子やら箱やらの大きなものは、蔵人が何とか耐え、
カップやソーサー、香水瓶にアクセサリーなどの小さなものは、
手当たり次第捕まえたあと、えるもの担当となった。
 えるもはこう見えても天狐の血を引く、双尾の狐である。
彼が両手から出した蒼白い炎で、暴れる道具を包むと、一時的にだが大人しくなった。
本来ならば堂々と広範囲で使いたいところだが、リネアが火に弱い。
実害のない炎だと説明しても、彼女の本能的な部分で怯えがある。
何せ彼女の本性は木製の人形である、
火はそのまま人間以上に、己の生命の危険へと繋がってしまう。
そんなわけで、専らえるもは、
蔵人が捕まえた小さな道具に隅のほうで天火を使い、落ち着かせる役目をしていた。
 そして当のリネアは、えるもがしていることを見えないような場所で、デルフェスに抱えられていた。
デルフェスもまた、人間ではない。
彼女の身はミスリルという金属で出来ているので、大半の物理攻撃は効かない。
だから彼女はそんな自分の身を盾にして、
流れ弾のように飛んでくる道具たちから、リネアを守っていた。
「デルフェス姉さん、大丈夫!?」
「ええ、何ともありませんわ。それよりどう致しましょう。
この状態では、何を探すにしても困りますわね」
 デルフェスは涼しい顔でそう言った。
彼女の言うことも最もなことで、とりあえず何とか凌いではいるが、
この部屋に来たのは道具を宥めるためではない。
ルーリィの玉を壊すための何かを探さなければいけないのに、
こうも乱雑にものが飛び交う状態では、探すに探せないでいる。
「・・・・・・」
 リネアはデルフェスに抱かれながら、暫し思案していた。
そして皆に向かって叫ぶ。
「あのね!何か他と様子が違う道具ってない?
光ってるとか、暴走が激しいものとか・・・全く動いてないものとか!」
「様子が違うもの―・・・」
 蔵人はそう呟きながら、自分に向かって飛んできた香水瓶を片手で掴んだ。
その瞬間に独り手に瓶の上部が押され、ぷしゅっと甘い香りが辺りに漂った。
「けほ、けほっ・・・。様子が違うもの、ねえ・・・この状態だと分かりにくいなあ」
 その香水に何の効果があったのかはわからないが、
顔から離れていたおかげで、特に害はないらしい。
「くろーどちゃん、そこ!」
 カップを天火で落ち着かせ終わったえるもが、ビッと人差し指で、棚の一つを指差した。
蔵人の右横あたりにある大きな棚、
その引き出しは全て開けられ、中のものが飛び出ている状態だった。
「これがどうしたの、えるも」
 蔵人は不思議な顔でえるもを見た。
だがそれに応えたのはデルフェス。
「蔵人様、その中の上から2列目、右から3個目の引き出しを見てくださいな。
それだけ開いておりませんわ」
 デルフェスの言葉どおり、その場所の引き出しを見ると、確かにひとつだけピッチリと閉まっていた。
「じゃあ、ここに何かがあるってことは確かか・・・うわっ」
 そんなことを言っているうちも、道具たちは蔵人とデルフェスを襲っている。
その引き出しに近づくのも困難と思われたそのとき―・・・。

    ガシャ、ガシャンッ!!

 盛大な音を立てて、急に宙を待っていた道具たちが床へと落ちた。
それはまるで、延々と流していたビデオを一時停止されたような、見事な落ちっぷりで。
「・・・・・・ええと、どうなってるんだろう・・・」
 蔵人は呆気に取られたように、床でぴくりとも動かない道具たちを見下ろしていた。
「ルーリィ様の身に何か起こったのかもしれませんわ。
蔵人様、それより引き出しの中を、早く」
 デルフェスはそう言って、蔵人をせかす。
蔵人は頷いて、床の道具類をかき分けながらその棚の元へ行き、引き出しをえいっと引き抜いた。
「・・・ビンゴ、なのかな?一つじゃないんだけど」
 そう言いながら、その引き出しごと抱えてデルフェスたちの元へと駆け寄ってくる。
デルフェスは蔵人の言葉に思わず首をかしげ、抱えていたリネアを離した。
デルフェスとリネア、そして近寄ってきたえるもは、引き出しの中を覗き込んでみた。
そこに入っていたのは。
「・・・・・・めがね、なの?なんだかふるいのー」
 えるもが取り出したのは、黒ぶちの眼鏡。古めかしいデザインで、男物のようだった。
次に出てきたものは、これまた古い写真立てだった。
木製のシンプルなもので、幼い金髪の少女を真ん中に、少女の両親らしい男女が両側で笑っていた。
そして最後に出てきたものは。
「何でしょう、これは?」
 デルフェスはそれを手にとって首をかしげた。
それは彼女の両手に乗るほどの大きさの、細かい装飾が施された桐の箱だった。
デルフェスがそっと箱の蓋を開けてみると、
かすれたような音で聞いたことのないメロディが流れ始めた。
「オルゴール・・・かな?」
「そのようですわね・・・音はかすれていますけど、美しいメロディですわ」
 デルフェスはしんみりとそう呟き、箱の蓋をそっと閉じた。
それと同時に、部屋に響いていた音が鳴り止む。
「・・・リネア様?」
 デルフェスは、じっと真剣な顔でその三つを眺めていたリネアに声をかけた。
リネアは恐る恐る、といった風に声を出す。
「・・・多分、だけど。この中のどれかが、キィだと思うの」
「キィ・・・鍵かな?」
 蔵人の言葉に、リネアは軽く頷く。
「試験内容の紙には、母さんの想いが必要だってあった。
多分この三つは、母さんが作ったものじゃないと思う。だから―・・・」
「ルーリィ様の今までの想いが込められている、というわけですわね?
それは良くわかるのですが・・・どれが正解なのでしょう」
「うーん・・・選んで持っていこうか」
 デルフェスと蔵人は、顔を見合わせて頷いた。
その話を黙って聞いていたえるもは、写真たてを引き出しの中にそっと戻した。
「えるも?」
「りねあちゃんうつってないから、これはちがうの。
えるもはこれだとおもうの!」
 そう言って、眼鏡を握る。
デルフェスは暫し考えていたが、やがて顔を上げ、持っていたオルゴールの箱をそっと胸に抱いた。
「わたくしはこれだと思いますわ。きっとこの音色に、ルーリィ様が魔女を目指す志が詰まっているのだと」
「僕も賛成。その音色を聞いて、彼女が意識を取り戻してくれることを願うよ」
 蔵人はそう言って微笑んだ。
そんな三人を見ていたリネアは、満足そうに頷いて彼らを促す。
「じゃあ、母さんのところに戻ろ!きっと大丈夫だよ。そうだよね?」





 





             ■□■














「母さん!」
 リネアはカーテンをめくって店内に飛び込むなり、そう叫んだ。
リネアの声に、その場にいた銀埜とアレシアが振り向く。
「リネア、大丈夫だったか?怪我は?」
「大丈夫だよ、銀兄さん。それに私たち、ちゃんと取ってきたから!」
 心配そうな銀埜の声に、リネアは笑顔で答えた。
それに準ずるように、三人も店内へと足を踏み入れる。
「皆さん・・・!お怪我は?」
 アレシアは四人の姿を確認すると、立ち上がって迎えた。
アレシアの言葉に、蔵人は笑顔を浮かべる。
「多少の擦り傷はあるけど、大丈夫。名誉の負傷、というべきかな」
「道具、見つけてきましたわよ。ルーリィ様、大丈夫ですか?」
 デルフェスはそう言いながら、ルーリィの元に駆け寄った。
少し意思の光が戻ったルーリィは、デルフェスらの姿を確認して、軽く微笑む。
それで全てを察したデルフェスは、アレシアとルーリィへ安堵の微笑を浮かべた。
「アレシア様、ご苦労様で御座いました」
「いいえ・・・デルフェスさんたちも、お疲れ様。それで、道具って?」
「これ、これなの!」
 えるもが嬉しそうな顔で眼鏡を掲げながら駆け寄ってくる。
そしてルーリィにその眼鏡を差し出しながら言った。
「るーりぃちゃん、これしってる?るーりぃちゃんのだいじなものなの?」
 ルーリィは差し出されたその黒ぶちの眼鏡をジッと見つめ、そのまま固まった。
暫しそのまま時が流れるが、何の反応もない。
訝しげにえるもが声を出したそのとき、ルーリィの瞳から、つ、と涙がこぼれた。
「るーりぃちゃん、どうしたのっ!?かなしいの?」
「母さん・・・?」
 えるもは慌てた表情を見せ、その場にいたほかの皆は、驚いて互いに顔を見合わせた。
「・・・それは、お父上の形見なのですよ」
 そう言ったのは、いつの間にいたのか、えるもの傍らで切なそうな表情を浮かべている銀埜。
「ルーリィのお父上がいつもつけておられた眼鏡です。
・・・あの方はルーリィが幼いときに亡くなられましたが・・・この地にまで持ってきていたのですね」
 そう言って銀埜は、ルーリィを見つめた。
ルーリィは只ぽろぽろと涙を流し、嗚咽をかみ締めるように肩を抱いた。
その胸に宿っているものが何かは分からないが、彼女にしか分からない哀しみが、
確かに存在していることを証明する涙だった。
 えるもはそんなルーリィを見つめ、しゅんと肩を落とした。
銀埜はえるもを慰めるように肩に手を置き、預かっておこう、と眼鏡をもらう。
「・・・リネア様?」
 暫し呆然とルーリィを見つめていたリネアを呼ぶ声がした。
リネアが振り向くと、その声の主はデルフェスだった。
彼女は手に持っていたオルゴールをリネアの腕に握らせ、優しく言った。
「これはリネア様のお役目ですわ。この音色をルーリィ様に聞かせてさしあげて下さい」
「デルフェス姉さん・・・」
 リネアはジッとデルフェスを見つめた。
そしてこくん、と頷くと、オルゴールを抱いたまま、ルーリィに近づく。
「母さん。目、覚まして?」
 リネアはそう言ってオルゴールの螺子を巻き、ルーリィの両手にそれを握らせた。
リネアの小さな手がオルゴールの蓋をゆっくりと開けると、
それに連動して先程聞いた音色が、店内に響き渡った。
その少しかすれた音は、ゆっくりと優しく、まるで子守唄のように歌を奏でた。
それは初めて聞いた曲だったけれども、どこかで聞いたことがあるような、そんな不思議な曲だった。
 その場の皆がオルゴールの曲に聞き惚れていると、やがて誰ともなく異変に気付いた。
箱から流れ出す音が、まるで宙に音符となって巡っているように、次第に音の流れは光となっていた。
その微かだが眩しい光はルーリィの周りを漂い、彼女の胸の玉へと吸い込まれるように消えていく。
いつしかオルゴールの音はすっかり光となり、玉へと流れ込んでいた。
 やがて曲が終わりに差し掛かり、最後の全音符を奏で終ると、光の粒もすぅっと胸の玉へと消えた。
そして曲が終ったのを待ちかねていたように、ルーリィの胸から、
いまや光でいっぱいとなった玉が、するりと抜け落ちた。
と思った次の瞬間、今までルーリィの胸に食い込んでいた玉は音もなく砕け散り、
辺りに光の粒と、欠片を宙に飛び散らせた。
 その様子を、皆は呆気に取られて眺めていた。
誰も言葉は出さず、また出す必要がないことも知っていた。
砕け散った光と玉の欠片はきらきらと舞い落ち、反射し合い、夜空の星のように瞬いた。
そしてその瞬きは、あれよあれよという間に、人影のようなものを作り出した。
それを察し、思わず声を出したのは―・・・ルーリィ。
「えっ、ええっ!?」
 第一声にしては果てしなく間抜けな声だったが、
それでも彼女の意識が完全に戻ったことの証明でもあるわけで。
「母さんっ!」
 リネアは思わず、ルーリィの胸に飛び込んだ。
それを囲んでいた皆も、安堵と感嘆の溜息を漏らした。
・・・このために彼らは、奮闘していたのだから。
「りねあちゃん、よかったの」
 そう言いながら、えるもは思わず涙ぐんでいた。
「ああ。えるも君たちのおかげだよ」
「これで一安心、ってところかな?擦り傷作った甲斐があったねえ」

「悪ぃがまだ終ってへんで、でかいの」

 ほのぼのと和やかな空気を一刀両断するように、しわがれた鋭い声が響いた。
思わず彼らはびくっと固まる。
「感動の場面っちゅーのを邪魔して悪いけどな、わしもわしでやることあるんやさかい」
 皆が皆、声の出所を探していた。
そしてそれは、先程光が瞬いていた宙だった。
否、そこに浮かんでいた、一人の小柄な老婆から。
長いローブのようなものを纏った老婆は、暫しふよふよと宙を漂っていたかと思うと、
暖炉の上のでっぱりに、よいこらしょと腰掛けた。
そしてひょひょひょ、と変な声をあげて、身体全体を震わせて笑った。
「ま、とりあえずはあれやな、祝いの言葉でもゆっとくか。
おめでとうさん、ルーリィ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 老婆はニヤけた顔でその場の面々を見渡した。
誰もがこの展開に呆気に取られていた。だが突然現れた奇妙な老婆から目が離せない。
まるで石化したように固まった時間を解いたのは、ルーリィの素っ頓狂な台詞だった。
「ばばばばば、婆さまっ!!?」
「おっそいわい、反応が。まだ寝惚けとんのかっ」
 老婆が皺だらけの指をはじくと、ルーリィの頭の上にカンッと大き目の石が降ってきた。
ルーリィは思わず頭をさすり、呻く。
「いったぁ〜・・・だ、だって、まさかいきなり出てくるとは思わなかったし!
皆だってほら、婆さまの妖怪面に唖然としてるしっ」
「誰が妖怪面じゃ、ドアホ」
 老婆が呆れた声で返すと、またルーリィの頭の上に石が降る。
連続した痛みに身体を折って苦悶しているルーリィを他所に、
いまだに固まったままの面々に、老婆はニヤリと笑みを浮かべて言った。
「お初によろしゅうに、東京の皆はん。
わしはこいつの祖母であり師でもある魔女、プロキシンや。
固まるのもええんやけどな、ええ加減に動いてくれんと、こっちも続けられへんのや」
 プロキシンと名乗った老婆はそう言って、指をぱちんとはじいた。
その音に反応するように、皆はびくっと身体を震わせ、顔を見合わした。
そして恐る恐る、プロキシンに向かって尋ねる。
「あの・・・婆さま、ですか?」
「せや。こいつから何度か聞いたこともあるやろ」
「い…いつの間に?」
「さっきや。あのガラス玉が割れると同時に、わしを召喚する魔法をかけとったんや。
さっさとルーリィにライセンス渡したらんとな、わしも4年待っとったんやさかい」
「ライセンスって・・・今ですか!?まさか!」
 プロキシンの言葉に思わず反応したのは銀埜。
言ってしまってから、ハッと自分の口を手で塞ぐ。
プロキシンは銀埜を見て、にぃと唇を歪ませた。
「銀埜の坊主か。お前もよぅ手伝わんと放っておいてくれた。
お前のこっちゃから、どうせまた途中で手ェ出すんやないかと思っとったからな」
「はぁ・・・それはまあ、今年は何が何でも、と思っておりましたから。
ってそれじゃなくて、ライセンスを今ってどういうことですか?」
 焦る銀埜だが、魔女の村には無関係の四人にとっては、勿論のごとくサッパリ意味が分からない。
「ぎんやちゃん、らいせんすってなになの?」
 銀埜の傍にいたえるもが、銀埜の服の袖を引いて彼を見上げた。
「あ、ああ・・・魔女昇格検定試験に合格するともらえる、証明書みたいなものだよ。
本来なら、村ではない土地で試験を受けたとしても、村に戻って授与されるのだが・・・。
婆様、何でまたここで?」
 訝しげな銀埜の問いに、プロキシンはやれやれ、と肩をすくめた。
「最長記録保持者に、いまさら決まりがどうこうはあらへんやろ。
どうせもうこれで合格なんやから、渡せるもんはさっさと渡しといたほうが、楽や思ってな」
「合格・・・って、合格なんですか?試験が?」
 そう驚いて口にしたのはアレシアだった。
プロキシンの口ぶりだと、これで全ての試験が合格だと―・・・そういう意味合いに取れた。
プロキシンはアレシアのほうを向き、あっさりと頷いた。
「そのとおりや、おもろい血ィもっとるお嬢さん。
ルーリィはこれで魔女昇格試験合格、晴れて初級魔女や。
ライセンス自体はもう”届けた”からな、あとで確認しぃ。
集まっとくれた皆もご苦労やったな、ほなこれで―・・・」
「ちょっとまって、婆さまっ!」
 ルーリィはがばっと起き上がり、叫んだ。
今まさに消えようとしていなプロキシンは、何や、と眉をしかめる。
ルーリィは恐る恐るプロキシンを見上げて言った。
「あの・・・私、ろくに一人で試験、こなしてないのよ。
最初の試験は、確かに”魂の主原料”は私だったけど、他の人にも提供してもらったし、
妨害念波からも守ってもらったし・・・。
第二も同じ、一番の要の名前だって、ここにいるデルフェスさんにつけてもらったわ。
今回の試験に至っては、私は何もしてないのよ?ただ、ぼけっと魔力を吸い取られてただけ。
これで本当に合格なの?これでいいの?」
 ルーリィはそうつっかえながらも言いきって、少し強い視線をプロキシンを見上げた。
名前があがった当の彼らは、困惑しながら顔を見合わせている。
 プロキシンは長い溜息をつき、やれやれ、とポーズを作って言った。
「ほんならな、試験の意図と思われるものを言ってみぃ。
・・・これもルーリィより、助手のお嬢さんらのがよぅ分かってそうやな。
ミスリルゴーレムのお嬢さん、どない思う?」
 皺だらけの指で指されたデルフェスは、困惑した笑みを浮かべながらも、
しっかりとした口調で言った。
「わたくしは・・・今回の試験は、絆を試すものと思いますわ。
ルーリィ様が人形のリネア様をどこまで愛し、
リネア様はその愛にどこまで応えられるのか、を見るのではないでしょうか?」
「ふぅん、なるほどなあ。正解」
 プロキシンはニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
そして今度はアレシアのほうを向いて、彼女を指す。
「ほなら、おもろい血のお嬢さんはどないや?」
 アレシアは暫し考え込むように目を伏せ、やがて顔を上げて言った。
「私は、今まで作り出してきた想いというものが・・・代償を指すのかと思いました。
その想いを失ってでも、玉を壊すことが出来るのかどうかが、決め手だったのではないかと」
「ふんふん、そういう見方もあるな。実際代償は捧げられたんや。
あとでオルゴール回してみぃ。いくら回しても音はもう鳴らんはずや」
「・・・・・・・・・!」
 アレシアは目を見開いて、ルーリィのふとももあたりに乗っていたオルゴールに目を移した。
やはりあれは、音が光となって玉を砕いたのだ。
だから砕け散ったときに、音も一緒に壊れてしまった。
「まあ、見方は色々あんねや。だから何が正解ともいわれへん」
 プロキシンはそう前置きのように言い、リネアのほうに目を向けた。
「・・・リネア。お前は多くの人の助けを貰い、生まれてきた」
 リネアはプロキシンの言葉に思わず姿勢を正し、こくんと頷く。
「そしてそれはルーリィにも言えるこっちゃ。
元々この試験は、ルーリィ一人でやることを想定したもんやなかった。
異国の地にいるお前やからこその試験やった。
お前が今までこの地でどれだけの人間関係を築いてきたか、
それをどう生かせるかが鍵やった。
やから、人の手を借りた合格でも、それは気にせんでええ。
はなっから、そうせなでけへん試験やったんやからな」
 プロキシンはそう言って、右手の人差し指をさっと振った。
すると彼女の足の先から、まるで分解するように宙に解けていく。
それを見てルーリィは慌てて叫んだ。
「ちょ、それでよかったの!?婆さま待って、まだ私―・・・!」
「わしは思うんや。これからの魔女は狭いところで閉じこもってたらあかん。
開かれた世界で大きくなるんや。
ま、わしゃお前には多少の不安もあったんやけど、
これだけ力強い友人がおったら、なんとかなるやろ・・・」
 たまには、村に戻ってくるんやで。
そう言い残し、プロキシンは掻き消えた。
現れたときと同様に、宙へと。


「・・・・・・婆さま・・・変にかっこよく帰らないでよ・・・」
 妖怪面のくせに・・・。
ルーリィはうな垂れ、そう呟いた。

だがもう石は降ってこなかった。












 そして数十分後の”ワールズエンド”では。
蔵人の持ってきたケーキが急遽、試験合格祝いのケーキとなり、皆に振舞われていた。
評判の店で買ってきたというそのケーキは大層美味く、
これだけでも合格した甲斐があった、とルーリィは笑って言ったという。














          Fin. ―――おつかれさまでした!





●○● 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)         
――――――――――――――――――――――――――――――――
【整理番号|PC名|性別|年齢|職業】

【3885|アレシア・カーツウェル|女性|35歳|主婦】
【4321|彼瀬・蔵人|男性|28歳|合気道家 死神】
【4379|彼瀬・えるも|男性|1歳|飼い双尾の子弧】
【2181|鹿沼・デルフェス|女性|463歳|アンティークショップ・レンの店員】


●○● ライター通信      
――――――――――――――――――――――――――――――――
納期ぎりぎりになってしまって申し訳ありません。
魔女の条件最終話に参加して頂いた皆さん、大変有り難う御座いました!
当WRにとっては初めての連作で、
当初は参加なさる方がいらっしゃるのかどうかという不安も大きかったものですが、
終ってみると連続で参加して下さった方もいらっしゃって、
連作ならではの楽しみがあったと思います。

そういうわけで最終話、2話に遅れての納品でしたが如何だったでしょうか。
当初の予定通り(汗)随分と長いノベルになってしまいましたが、
皆さんに楽しんで頂けると非常に光栄であります^^
そしてこの話を区切りに、少々異界のほうをリニューアル(?)することになると思います。
といっても、”見習い魔女”から”魔女”にグレードアップするだけですが。(笑)
常駐で開けているフリーシナリオのほうもこれを機会に新しくしようと思っておりますので、
また異界のほうへも足を運んで頂けると非常に嬉しいです。

そして連作に参加して下さった記念として、アイテムのほうを贈らせて頂きました。
ささやかなものですが、気に入って下さるととても嬉しく思います。
当WRのノベル内でしたら、今後アイテムをネタにして
参加されるのも大歓迎であります。(笑)

それでは皆様、今作にお付き合いくださり、誠に有り難う御座いました。
またどこかでお会いできることを祈って。


 瀬戸 太一