■プリズン■
天沼 はすね |
【1252】【海原・みなも】【女学生】 |
ふいに目が覚めた。
眠っていたのか気を失っていたのか、よくは覚えていないが、今まで意識を失っていたことは確か。
身を起こし、あたりに目をやれば、そこは見知らぬ部屋。
自分がどういう状況に置かれているのかわからないながらも、これはまずいと思う。
とまどいながらも自分の状況を確認しているとやがて部屋をノックする音が。
嫌も応もなく入ってきたその人物は、あなたににこやかに微笑みかけた。
「ようこそ、私の囚われ人」
懐柔か、脱出か、戦闘か、説得か。
あなたは選択を迫られている。
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プリズン
〜海原・みなも編〜
覚醒しかけた意識は、特に意図することなく、己の首筋にまとわりつく不快な感触へと自身の指を伸ばさせ、触れた部分から伝わるその異様さが、一気に海原みなもを目覚めへと導いた。
自分の首にまとわりつく、冷たくぶよぶよと粘つく感触。それに触れた指を鼻に近づけ、匂いを嗅いでみる。生臭い。
爪の先でつまむようにして恐る恐るはがしてみると、それは薄くスライスされた生の肉片だった。
「っ……!」
振り払うようにそれを投げ捨てながらあげた悲鳴は声にならず、喉がか細く笛のような音をたてる。同時に、いままで伏していた床から跳ねるように身を起こすと、彼女の身体の上で黒光りのする鎖がじゃらりと耳障りな音を立てた。
その音に驚き、ついで自分の姿を見回す。
両手両足首には重い鉄製の、腕輪というにはあまりにも堅牢な金属の輪が嵌っており、それにはそれぞれ小さな鍵穴が穿たれている。自分の意思でこの縛めから抜け出すことは容易ではなさそうだ。
輪からは黒光りのする重たげな鎖が伸び、その先端は床面から1.5メートルほど上、打ちっぱなしのコンクリート壁に取り付けられた丸い鉄製の輪へ繋がっていた。
天井には青白く輝く蛍光灯が灯ってはいたが光量は充分とはいえず、十二畳ほどの部屋の中に設置された、何に使うのかもよくわからない大型の機械群の隙間には、濃い闇がわだかまっていた。
ざっと見渡す限り部屋に窓はなく、機械群がたてる、騒々しいというほどではないものの絶え間なく低いうなりは、助けを求める声が外へ漏れるのを許してくれそうにはない。
自分はどうしてしまったというのだろう?
ひとわたり状況を確認して、じたばたしても始まらないだろうことを悟ったみなもは、いままで自分が身を横たえていた薄い毛布の上に座りなおすと、ここで目覚める以前の記憶を辿り始めた。
いつものように学校が終わり、特に用事もなかったので、のんびりと家路についた。2月も末となれば、日が翳るのもそれほど早くはない。
今年は暖冬ということもあってか、吹く風はさほど冷たくはなく、ふいにその風の中にかすかな花の香りを嗅ぎ取ったみなもが、すこし遠回りをしてみる気になったとしても無理はなかった。
花の香りに惹かれるままに、いつもの通学路から外れ、普段行かない通りをしばらく歩いていると、やがて小さな公園にたどり着いた。
「わぁ……」
感嘆の声が漏れる。公園の中心には見事な白梅の古木が、今を盛りと花をつけていた。
思いもかけず見つけた一足早い春に、みなもがしばし我を忘れて見入っていると、突然すぐ近くの植え込みがざざっと音を立て、何かが勢いよく彼女の胸元にぶつかってきた。
「ちーちゃんっ!だめっ!」
幼い少女の声が響く。その声の主を確かめようと振り向いたとたん。
なにか冷たい柔らかな感触が、ぺたりとみなもの首筋に張り付き……そこで彼女の記憶は途絶えた。
「やっぱり、あの時気を失ってしまったのかしら。でもどうして……。」
つぶやきつつ、さきほどまで生肉の張り付いていた首筋を撫でてみた。特に傷などはないようであるが、ある一点を指で押すと、打撲傷のような鈍い痛みが走った。
と、そこへ。
コンコン、と軽いノックの音。みなもは緊張とともに、重そうな鉄製のドアを振り返った。
ノックの主は、みなもの返事を待つことなくドアをあけた。
「あら、お目覚めだったのね」
コンクリートの床に敷いた薄い毛布の上にきちんと正座して、怯むことなく目をあげたみなもの姿に、ちょっと驚いたように軽く目を見張ったのは、まだ10歳になるかどうかの少女だった。
乱雑に編まれた二本のおさげと、神経質そうな細面にかけた、大きなフレームの眼鏡がどこかコミカルだった。
着古したジーパンとトレーナーの上に大人用の白衣のそでをまくって着込み、手にはミネラルウォーターの500mlビンと、手作りらしいサンドウィッチの載った皿を持っている。
「あの……」
思いがけず可愛らしい訪問者に、みなもはどう問いかけていいのかわからず口ごもっった。
「食べる?ツナサンドだけど」
少女はそう言って、両手に持っていたものをちょっと持ち上げてみせた。
現金なもので、現れたのが自分よりも年下の少女だということがわかると、わずかながらに緊張の糸が緩み、みなものお腹は控えめな音で抗議の声をあげた。
「……いただきます」
「ふぅん、食性は人間と大差ないのね」
「え?」
洗っていない手を気にしつつも、差し出された皿からサンドウィッチを一切れとり、ぱくついたみなもを見て、少女がぽつりとつぶやく。
「あら、首の馬肉はがしちゃったのね。まだ痕残ってるわよ」
言って、正面にしゃがみこむと、ついとその手をみなもの頤へと伸ばす。
少女の不可解な行動に、みなもは身を引きながらも(あれは馬肉だったのか……)と、妙な所に納得していた。
「あなた、ここの人よね? あたし、どうしてここにいるのかしら」
みなもの問いかけに、少女はにいっと口の端を吊り上げ、笑って見せた。
「あなた、人間じゃないでしょ?」
「……!」
唐突に突きつけられた真実に、みなもは息を呑む。
だが、少女はそんなみなもの様子を楽しそうに観察しながら、言葉を続けた。
「夕方ね、ペットのちーちゃんが逃げ出しちゃって、探していたの。そうしたらお腹をすかせてたちーちゃんが、あなたに襲いかかって血を吸っちゃったのね。まずい! と思って、倒れたあなたのところへ駆け寄ってみたら……」
そこで一旦、勿体をつけるように言葉を切って、少女はみなもの顔を覗き込む。そして、大切な秘密を打ち明けるように嬉しそうに囁いた。
「ちーちゃんに鱗が生えちゃってたの」
「ちーちゃんって、何なの? その前に、ここはどこ?それとあたしの首に巻きついていた馬肉には何の関係が?」
みなもの疑問は晴れるどころか、さらに膨らんでゆく。
「ああ、ちーちゃんっていうのは、私が品種改良した巨大蛭。すごいのよ〜、空腹時なら一気に500mlは吸血できるんだから。でもって、ここは私の研究室。私、こう見えてももう、アメリカで生物学の博士号持ってるんですからね。あ、それから馬肉はね、あなたの首にちーちゃんのキスマークがついちゃって、かわいそうだったから、消してあげようと思って。ネットで調べた民間療法なんで真偽のほどは確かじゃないけど、ついでに実験させてもらったの」
とんでもないことをさらりと言って、得意げにこころもち胸をそらす。
蛭に血を吸われた……しかも500mlも……。みなもは思わず傍らに置かれたミネラルウォーターのビンに目を落とした。
これだけ一気に血を吸われれば、貧血で倒れるのも無理はない。
「それで、あたしをどうするつもりなの?」
「もちろん、飼うのよ」
少女は、さも当然という表情で物騒な台詞を口にした。
「飼う?」
「私、珍しい動物が大好きなの。だからあなたも私のコレクションに加えてあげようと思って」
「いやよ。あたしには、あたしの帰りを待っていてくれる、大切な家族がいるんですもの!」
言ってすっくと立ち上がる。と、同時に手足の枷ががちゃりと床に落ちた。鍵穴からは極少量の水が流れ出ている。
いままでの会話の最中、みなもはこっそりミネラルウォーターを操って鍵を解除したのだった。
「!どうして?その枷には鍵がかけてあったはずなのに!」
信じられない光景に、少女が悲鳴とも憤怒ともつかない金切り声をあげた。
その声を聞きつけたのか、「お嬢様、どうされました!?」と野太い声と同時に重量級のレスラーのような大男が飛び込んできた。
みなもは、すかさず持っていたミネラルウォーターのビンを男に向かって振り下ろす。
ビンの口からほとばしった水は、細いワイヤーのように男の身体に巻きつき、身動きできないように縛めてしまった。
常識では理解できないみなもの力を見せ付けられて、少女はその場から逃げ出すことも出来ず、小さく震えだした。いくら尊大な態度をとっていても、やはり小さな女の子であることにはかわりなかったようだ。
「あなただって、あなたが急にいなくなったりしたら、どんなにご両親が悲しむかくらい、想像できるでしょう?」
優しく、少女に言い聞かせる。
みなもは視線をあわせるべく、すこし腰をかがめるとその両肩に手を置いて彼女の顔を覗き込んだ。
すっかり怯えておとなしくなっていた少女だったが、『両親』という言葉がみなもの口から発せられると、ぴくりと頬を引きつらせ、そっぽをむいた。
「……ないもん」
「え?」
小さくつぶやいた少女の言葉を聞き返す。少女は自棄をおこしたようにきっとみなもを正面からにらみつけながら吐き捨てた。
「私の両親は、私のことなんて心配していないもん。生後半年で「ハロー」って挨拶した私のこと、ずっと気味悪がってた。8歳でアメリカの大学に入ってからは会いにも来てくれない。卒業して、帰国したって、こうして大きな屋敷と使用人は用意してくれたけどずっと仕事が忙しいって私から逃げてばかりなのよ!」
「……あなた……」
みなもには、わかってしまった。
彼女の瞳の奥にゆらめく、昏い炎。それは、自分も、自分の姉妹たちも心の奥に抱いているものと同質の……人と違った存在としての孤独。だった。
それは時に弱った心を燻らせ、胸に淀んだ想いの灰を沈殿させてゆく。
みなも自身には、それでもまだ、そんな彼女を見守って、降り積もる昏い感情を浄化してくれる優しい家族がいる。
けれど、この少女は……。
「わかったわ」
みなもはくしゃりと笑顔を見せると、少女の肩をぽんぽんと叩いた。
「?」
少女は、みなもの真意が読み取れず、怪訝そうなまなざしを彼女に向けた。
「あなたのペットになるのはお断りだけど、あたし、あなたのお友達にならなれると思うの」
「……ともだち……?」
まるで聞き慣れない単語のように、ぎこちなく、少女がみなもの言葉を反芻する。
「そう、友達。ペットのようにあなたの言いなりにばかりはならないけれど、寂しいときや辛いときは、話し相手になってあげられるし、嬉しいときは、一緒に喜んであげることができるし、お互いがまちがってると思ったら、喧嘩だってできちゃうわ。それぞれべつべつの考えで、いろんなものを見て、聞いて、考えて、分け合って、辛いことは半分に、楽しいことは倍以上にできる……そういう関係」
本当はみなも自身、そんなふうにうまくいく理想の友人関係などめったにありえないことはわかっていた。でも、この少女にはとにかく自分を信じてもらいたかった。
それはもちろん、この状況から円満に脱出するという目的も兼ね備えてはいたが、なにより、自分たちが抱えているのと同質の孤独をすこしでも癒してやりたいと思ったのだった。
しばしの沈黙の後。
「…………それは、素敵かもしれないわ」
少女はおずおずとみなもの首に手を回すと力いっぱい抱きつき、そして、小さな声で「ごめんなさい」と囁いたのだった。
みなもは、そんな少女をしっかりと抱きしめた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1252/ 海原・みなも (うなばら・みなも)/ 女性 / 13歳 / 中学生】
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■ ライター通信 ■
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海原みなもさま、はじめまして。このたびはぽっと出の新人にお声をかけてくださり、誠にありがとうございます。
一旦ライターとして依頼を発表、土俵にあがってしまったからには言い訳はきかないんだぞ、と自分に言い聞かせてはみたものの、やはり自由に書きなぐるのとは勝手がちがって、思った以上に時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。
自分に捉えられるかぎりのみなもさまらしさをがんばってみたのですが、いかがでしょうか?(生肉巻きつけちゃったりして済みません)すこしでもお気に召していただける部分があれば幸いです。
※誤字脱字、用法の間違いなど、注意して点検しているつもりではありますが、お気づきの点がございましたらどうかご遠慮なくリテイクをおかけくださいませ。
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