コミュニティトップへ



■商物「夜の衣」■

北斗玻璃
【2991】【大徳寺・華子】【忌唄の唄い手】
「何処でお聞きなすったか知らないが、こりゃとんだ耳巧者も居たモンだ」
噂に聞いた店で、噂に聞いた品を求めれば店主は煙管を銜えた口元から、言葉と煙とを共に吐き出す。
「コシカタ、ユクスエ」
名を呼べば、店内に居た二人の子供がぱたぱたと奥に駆けていく……時を置かずに、彼等は並んで掲げた腕に一枚の布を掲げるようにして運んできた。
「ご苦労さん」
店主はそれを受け取ると、畳敷きに広い台場にす、と広げて見せる。
 それは単、と呼ばれる着物。下着のように和装の一番下の纏う薄い生地の黒は、絹の手触りでさらりと水のような光沢を持つ。
「こちらがお求めのその品。寝間に使えば夢に恋しい人と会える、そんな謂れを持ちますが……」
僅かな沈黙に、店主の声がひそりと低められた。
「二度は会おうと思わない。そんなお品で御座います」
そしてニ、と笑って眇められた目は、まるで何かを見通すようだ。
「こちらでよろしゅうございましょうかね。丈はぱっと見難はないかと思いますがそこはそれ、寝間着に使う品。細かいコトを気にしてちゃ安眠も出来ないってモンで」
一転。覚悟を決める間もない明るい口調で、店主は逡巡を与えずに瞬く間に単を畳んで包んでしまった。
「そうそう、大事なコトを忘れるトコだった。この着物はね、裏返して使って下さいましね、あぁ、お代はお使いになってみてそれからで」
ポンと胸に押しつけられた風呂敷の軽さに、当惑する自分に店主は煙管を銜えて愛想を振った。
「毎度ご贔屓に。またどうぞ」
そんな贔屓と言われるほど利用してもいないが。
 その声に背を押されるようにして店を出て、手にした包みに定まらぬ迷いの目を向けた。
 会いたい、会えない。
 ならばせめて夢だけでも……けれど二度目はないという。
 胸に去来する面影に一つ息を吐き。
 眠れる場所を求めて、歩き出した。
商物「夜の衣」

 大徳寺華子は、広く帳場を取った店構えを懐かしいような心持ちで見回した。
 入り口から奥へ、膝から腰へと順に高さを変える台には駄菓子や子供だましの籤が並ぶかと思えば妙に古びた本が積まれ、ガラスケースに真贋を問いたくなる無頓着さで装飾品の類が並び、壁かと思う高さで左右に聳える棚の小さな引き出しに和紙に墨でひとつひとつ、納められた薬種の名が記されている。
「どうぞ一服お上がり下さいましな」
台場に横座りに腰掛けた華子の前に、丁寧に立てられた抹茶と和菓子が添えられる……それを目の前で立ててみせた、この店の主と名乗った男は年代物の煙管盆を引き寄せた。
「……それにしても」
煙管を銜えた口の端から、言葉と紫煙とを共に吐き出して、店主は目を細める。
「何処でお聞きなすったか知らないが、こりゃとんだ耳巧者も居たモンだ」
 それは求めた品があるという事実を遠回しに告げるもので、華子は口をつけた抹茶椀の縁をきゅ、と親指で擦って丁寧な仕草で盆の上に置いた。
「噂は千里を駆けるというじゃないか、耳を閉じてさえいなきゃ大概の真実は人の口からもたらされる、そんなモノだろぅ?」
微笑んだ華子の言に、店主は和装の肩を軽く竦めた。「千里を走るのは悪事じゃぁありませんでしたかねぇ」とぼやきつつ、店の中、お手玉で遊んでいた子供二人を手招く。
「コシカタ、ユクスエ」
名を呼ばれた子等は、色とりどりのお手玉をそのままにパタパタと軽い足音で駆けてきた。
「奥から出して来ておくれ」
何を、とは言わぬというのに、白と黒に装いを違えた子等は同時に頷くと、台場に上がって奥へと姿を消す……華子は何とはなしその奥に目線をやる。
「……それにしても」
ふぅ、と店主が吐き出す煙が、その視界を薄く横切った。
「よくこの場所がお判りで。探そうと思えば難儀でしたでしょう」
路地の奥まった位置、そう思って探しても見落としそうな店構えを指してかと、華子は素直に頷いた。
「街中とはいえこんな辺鄙な場所じゃ、商売の障りになりゃしないかい?」
思わず要らぬ心配をする華子に、店主はハハと笑って煙を吐き出した。
「辺鄙でないと成り立たない商いというものもあるのでねぇ」
にこにこと目を細めた笑いと、裏を読もうと思えば幾らでも読める、そんな言質に華子は苦笑する。
「成る程ねぇ」
納得したふりで深くは問わぬ、華子にまた店主も答えずに視線をすいと動かす……奥から先の子供らが戻って来た。
「ご苦労さん」
並んで掲げた腕の間に渡して、仲良く運んできたのは一枚の布である。
 店主がそれを受け取り、それぞれの頭を撫でて労ってやると子供達は元の場所、床に転がるお手玉でまた遊び始めた。
 それをなんとなしに見守った華子の、視線を呼び戻したのは視界の隅に水の流れで広がる、黒。
 ……最初にこの店の名を耳にしたのはいつだったか。
――とある街のとある路地、その奥に構える『陰陽堂』という店に。
その日暮らしの稼ぎがあれば良い、と素性を詳しく問われぬ職を選べば自然、給仕等のサービス業が多く、その何れかで小耳に挟んだ……それは不思議ときれいさっぱり忘れた頃に再び耳にする、華子にとって奇妙な縁を持った名だった。
――恋人の夢が見れる、着物が売ってるんだって。
その名に気を引かれ、他者の声に耳を澄まして幾度めかに、ようやく聞き取れた細部はそれ……気に掛け始めて何年過ぎたか知れないが、華子の心を決めて求めさせるに年月は問題にはならない。
 寿命を奪われた、その身であるが故に。
 噂の着物は単、と呼ばれるそれ。下着のように和装の一番下の纏う薄い生地の黒は、絹の手触りでさらりと水のような光沢を持っていた。
 店主は広げた薄衣が自然に作る波を、手で払うように伸ばしながら品の曰くを口上する。
「こちらがお求めのその品。寝間に使えば夢に恋しい人と会える、そんな謂れを持ちますが……」
僅かな沈黙に続いて、店主の声がひそりと低められた。
「二度は会おうと思わない。そんなお品で御座います」
 噂に聞いた、それと違わぬ口上に、華子はス、と広がる布を掌で撫でた。
 店主はそれを見てニ、と笑って眇める……まるで何かを見通すようだ。
「こちらでよろしゅうございましょうかね。丈はぱっと見難はないかと思いますがそこはそれ、寝間着に使う品。細かいコトを気にしてちゃ安眠も出来ないってモンで」
一転。覚悟を決める間もない明るい口調で、店主は逡巡を与えずに瞬く間に単を畳んで包んでしまった。
「そうそう、大事なコトを忘れるトコだった。この着物はね、裏返して使って下さいましね、あぁ、お代はお使いになってみてそれからで」
ポンと胸に押しつけられた風呂敷の軽さと話の早さに、目を瞬かせた華子に店主は煙管を銜えて愛想を振った。
「毎度ご贔屓に。またどうぞ」
送り出す声に押されるようにして、暇の挨拶もそこそこに華子は薄暗い店からまた暗い路地へと出る……狐に抓まれたような、とはこの事を言うのだろう。
 けれど夢では無い事を示して、渡された包みは確かな感触と存在感を持って華子の胸に抱かれていた。
 店の噂を、衣の話を聞いた時に、胸を過ぎった願いが、今、確かに彼女の手の中に在る。
 華子は一つ息を吐き出し、所を定めた事のない……今も仮の塒へと戻る為に、小路を歩き出した。


「……身幅が少し足りないかねぇ」
寝間に着る気軽さと、着慣れた和装であるのも手伝って着付けに難を覚えずに済んだ華子は、姿見に単を纏った己の姿を映して、胸のあたり……生地の黒さに肌の色を強調して、胸の谷間を際立たせるように崩れるそれを直そうと苦心していた。
 店主の見立ての通り、丈に難はない……正確には胴回りも問題はなく、収まりがつかないのは胸ばかりである。
「まぁ、いいとしようか」
どうせ寝間に使う物、気にしていては安眠出来ない……と、店主の言葉に倣って、部屋の電気を消して床に着く。
 非常灯の役目でか、電気を切ってもしばらくの間、畜光した緑で空間を照らし出す豆電球のそれを、華子は仰向けにぼんやりと眺めた。
 昨今は短期契約の賃貸マンションが増え、家具や最低限の生活用品も据え付けで華子も移動が楽になった……今の塒もその一つ、現金で前渡しにすれば、偽名を使った書類でも契約が通るのは便利と言えば便利、不安といえば不安である。
 とはいえ利は利として、使用を躊躇う華子ではない……如何に都会が他人に対して無関心であるとはいえ、時経ぬ自分が長く同じ場に止まって在らぬ悶着を起こすのは御免、と転々と居を変え続けてどれ程になるか。
――あぁ、それでも。
華子は瞼を閉じた暗闇に、想いを映す。
 処を定めようと決意した事はあったのだ。
 心から、この男性の側に居たいと……叶わぬまでもその生の終わりまでをその傍らで共に生きたいと。
 心の底からの、願いを向けた相手に逢いたいと、店の噂を、衣の話を聞いた時に、胸を過ぎった……それが華子の願いである。
 店主の言ったその通りに、衣の裏表を返した為か、裏地の縫い目が肌にあたらずに絹の滑らかな感触ばかりが身を包むのにふと、華子は微笑んだ。
 この衣の、水のような冷たさはまるで。
 闇のようだと思った其処で、華子の意識は眠りの底へと引き込まれた。


 望んだ夢は、予想に反して明るかった。
 まるで長屋のような借家の一室、狭いながらも日当たりの良いその部屋は、華子の記憶そのままだ。
 陽に焼けて色の褪せた、けれどぬくもりを含んだ畳の色に色を添えるような物もない……家財とて最低限の物しかなく、彩りといえば籠に盛られた林檎の赤程度か。
「お帰り、華子」
のべられた床の上、壁に背を凭せかけて本の頁を繰っていた青年が顔を上げて、間口で止まる華子にそう、声をかけた。
「あぁ……うん」
「どうしたんだい、狐につままれたような顔をして」
微笑んだ空気の柔らかさは、記憶のそれと合致する……懐かしい、恋人が華子を見る時の表情だ。
「なんでもない……なんでもないよ。ただいま」
懐かしさと、愛しさとが胸から溢れて涙になりそうで、華子は土間の片隅に置いてあった筈の桶と手拭いとを探そうとして、寝間に来た衣の胸から見える肌が、些か露出が多い事を今更ながらに思い出して慌てて両手で隠した。
「アハハ、気にしなくていいよ、華子。君の夢じゃないか」
慌てる華子に朗らかに声をかけて、笑った青年は傍らに本を置いた。
「そうか……そうだったねぇ。これは夢なんだねぇ」
ほ、と肩の力を抜く。
 この時代にこんな格好で出歩いていたとなったら、気でも触れたかと憲兵にしょっ引かれてしまう。近所の目も痛かろうと案じた己が滑稽でまた華子も笑う。
「華子」
脇の畳をポンポンと叩いて、青年の手が華子を呼ぶのに、彼女は部屋へと上がった。
 薄い布団を二つ並べればそれだけで一杯になってしまうような、狭い部屋は元々は華子が住まっていた場所である……其処に青年が転がり込む形で住み着いたのはほんの半年ほどか。
「華子は変わらないな」
呼ばれた場所へと腰を下ろせば、背に受ける障子越しの日差しが暖かく、正面から注がれる青年の眼差しが暖かい。
「あなたも……元気そうで安心したよ」
「あぁ、すこぶるつきに調子がいいよ……こういうのもおかしいけどね」
 青年は、疾うの昔に死んだ人間である。
 けれど生前と変わらぬ笑いを浮かべる彼の顔色の良さに、華子は心底の安堵に布団の上、きちんと置かれた手に掌を重ねた……ぬくもりは日差しと同じ心地よさで、徒に体力を削いでいく熱ではない。
 大学へ通う為に上京し、慣れぬ都会の生活と空気に疲れ果てた身体に肺の病を得て下宿を追い出され、病を醜聞とした風潮の強い時代に郷里の家族からも見放された、青年。
「おかしくなんかないよ、良かったじゃないか」
恋人の穏やかな微笑みに病が落とす青白い影がない事を心底から喜んで、華子は足を崩した……その膝に、青年の置いた本があたる。
 手垢が目立つほどに読み込まれたそれは古い辞書だ。
 他は教科書も何もかも、売って薬代に充てて手元に残したただ一冊を、少しでも体調の良い日は飽かずに繰っていた事を思い出す。
「そうだ華子。林檎を剥こうか。食べるだろう?」
とんでもない、と両手を振って辞退しかけた華子を、青年は微笑みで制する。
「私の為に買ってきてくれていたけれど。本当は華子も好きだったろう?」
医者の出す薬は高価く、保険などなかった時代である……提示される金額を支払えぬ事もままあって、せめて滋養をと、当時それなりに高価であった林檎をしばしば買って来たのは華子であった。
 傍らに置かれた小刀で、器用に林檎を剥いて行く手元を見る……蘇る想い出と、この現実と紛うばかりの夢との、暖かな温もりの一致が嬉しく華子は瞼を閉じる。
 夢の中、その筈だと快い眠気が瞼を重くして、ともすれば眠り込んでしまいそうだ。
「華子、剥けたよ」
名を呼んで軽く肩に触れられて……目を開けば夢から、この穏やかな時間から醒めるのではないかと、ふと怖じた華子の心情を汲んでか、青年の声が笑って請け負った。
「まだ、大丈夫」
促されて恐る恐る目を開けば、青年の変わらぬ姿と微笑みとがあるのに安堵する。
「華子は時折、子供のようだ」
「……たまにはいいじゃないか」
拗ねたように言って、差し出された小皿に盛られた林檎の一片を抓んで口に運べば、シャリ、と小気味の良い音と共に爽やかな香りと甘さが口中に広がった。
「美味しいかい?」
訪ねられてこくりと頷く……その仕草もまた子供のようだと微笑んだ青年はふと、笑いを納めた。
「済まなかった」
不意の謝罪の意味を華子が掴めぬまま、青年は続ける。
「お前の居る場所に、共にと望んだけれど。ここに止まったままで」
 意図を察して華子は首を振り……林檎を呑み込んで、口を開いた。
「気にしないでおくれよ……ここは私の夢なんだろぅ?」
いつもの微笑を納めれば、青年は線の細さからは意外な程に凛々しい表情を浮かべて見せる。
 春の穏やかさと凛と張る冬の空気とを並べたような、その差もまた、華子の好む所であったなと今更ながらに思い出す。
 嘗ては不治の病とされた肺病に蝕まれた命の、尽き欠けた灯火を揺らし……血の色の息を吐きながら、華子に最期に請うたのは唄だった。
 拒む華子の手を痛いほどに、死の床にある人間とは思えぬ力で握り締めた青年は、底光りするような眼差しの強さで華子を見据えて尚も請う。
 天へは昇らない、と。
 暗き深淵へ堕ち、おまえの双眸が見ている場所で。
――共に在りたい。
 まるで慟哭のようでいて静かな、苛烈な願いを華子は拒みきる事が出来なかった。
 華子と共に在る為に、魂すらも投げだそうという心が、正直嬉しかった……残酷な程に。
 寝返りさえも打てなくなった身体に覆い被さるようにして、華子は彼の耳元で旋律を囁く。
 病に抗する気力を奪われ、瞳が光りを無くして闇色に……華子の後ろに昏く口を開く淵の色に染まり行く様を、微かに痙攣した身体が命を手放す様を、最期までを見届けて今まで。
 面影を胸に焼き付けて留めてきたけれど、夢に逢えると聞いた瞬間に思ったのだ。
 闇に囚われた死者の如き、己に囚われたままの彼を。
 光に焦がれる事すら飽いたというのに、いつまでも彼を手放せないで居る自分を。
 ……もう眠らせてあげたいと。
 せめて今宵、良い夢を見たいと願って沈んだ眠りは、彼女が身を置く闇の汚泥の底に違いないと半ば確信していたのだが、予想と反して彼は華子と過ごした時間の中で、ぬくもりの中で待っていてくれたのが、心から嬉しい。
「華子、眠いのか?」
溢れそうな涙を隠そうと、目を伏せた華子にかけられた問いに頷く事で答えれば、青年は掛け布団を捲って身をずらした。
「狭いけれど、二人で入れば暖かいだろう。おいで」
誘われるまま、薄い布団に潜り込めば上掛けを掛けた腕が伸び、強く、華子を抱き締める。
 青年の鼓動とぬくもりに華子は頬を擦り寄せて目を閉じる……彼の浴衣の胸に涙が吸い込まれて濡れるのを感じながら、華子の夢の眠りの更に底へと沈んだ。


「おや、いらっしゃいませ、大徳寺様」
相変わらず見つけにくい店構えの『陰陽堂』を訪れれば、台場に長く身を伸ばした店主の姿に華子は呆れを隠さずに髪を掻き上げた仕草と同時に眉も上げた。
「それで客商売が成り立ってんのかい? もうちょっとしゃきっとおしよ」
「今日お出では大徳寺様だけと解っておりましたのでねぇ」
華子のお叱りに軽く笑って、店主は身を起こして無精髭の浮いた顎をさすった。
「おや……約束をしていたかねぇ?」
台場の縁に腰掛け、華子が首を傾げて置いた風呂敷包みを店主は煙管の先ですいと示す。
「で、使った具合は如何でしたでしょうかね? 良い夢は見られましたか」
言われて華子は、今それに気付いたと言う風にあぁ、と小さく呟いた。
「どんな夢を見たかはとんと、覚えがないよ」
小さく肩を竦めた華子に倣うかのように、店主もまた肩を動かす。
「おや、お気に召しませんでしたか」
それには華子は片手を振って、商品自体が悪いのではないと否定した。
「確かによく眠れはしたねぇ……何かこう、胸の支えが取れたようで、それが寂しいようで……だけどもういいかと思ってね、返しに来たんだよ」
「左様で、それは残念な」
言いながらもあまり残念とは思わぬ風で、店主は些か行儀悪く煙管を使って包みを引き寄せる。
「そうそう、お代を支払っておかないとね。お幾らだい?」
和装の袂に手を入れる、華子を制して店主は笑んだ。
「既に頂いておりますよ大徳寺様……お暇でしたら茶でも一服如何で?」
その誘いにけれど華子は辞退する。
「そうだったかねぇ? あぁ、残念だけどこの後仕事が控えていてね。またご馳走しておくれ」
予定の刻限が近いのか、急ぎ足にそのまま店を出る華子の背を見送った、店主の「またご贔屓に」との挨拶は閉まった扉に阻まれて届いたか、届かぬか。
 店主は鼻から一つ息を吐くと、慌ただしく去った華子が残した包みを開いて納められた黒絹の衣を引き出して広げた。
「……あぁ、いい色に染まったねぇ」
それは確かに黒である……華子が手にしたその時に既に確かな色であり、それ以上染めようもないその筈が、確かに深みを増してまるで吸い込むような。
 その出来映えに満足げに、店主は衣の生地をつるりと撫でて、僅かに微笑んだ。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【2991/大徳寺・華子/女性/111歳/忌唄の唄い手】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

二度目ましてとの感謝の意に、御礼申し上げますは闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
シナリオを作ってからコレ過去の清算にしか使えねーんじゃ……と不安に思っていた北斗で御座いますが、良い形での発注を頂けて安心しきりでございます♪
北斗が説明するのも詮無い限りなので多くを申し上げるは難ですが、儚いような、けれど確かに在った関係を書き出せていればいいなとか願いながら、それではまた時が遇う事を願いつつ。