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■鳴り出すピアノ 〜空箱より〜■

つなみりょう
【3524】【初瀬・日和】【高校生】
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ひとりでに鳴り出すピアノ?! 学園七不思議、ここに再現!!(神聖都通信)


 誰でもこの学園に通っている者ならば知っているだろう、学園7不思議を。
今日はそのうちの1つ、「鳴り出すピアノ」に関して、我々報道部がスクープをキャッチした!!

ここ毎晩、中等部の音楽室でピアノが勝手に鳴っているらしい。
それはそれは見事な「月光」を最後まで弾き終えると、
その音は聞こえなくなるという。
……その美しさゆえ、「聞いた者は魂を抜かれる」と言われてきた「鳴り出すピアノ」!
我が報道部は勇気をもって、詳細を暴いていこうと思う。

続報をご期待あれ!


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「……こんなもんかな、っと」
 放課後。部活に、そして下校にと賑やかにさざめきつつ生徒は校舎を行き交っていく。
 今は卒業式まで間もない時期だ。
卒業式なんて、一部の在校生以外は関係ない。そんな声もちらほら聞こえる……だが、それが過ぎれば恐怖の学年末試験が彼らを平等に待ち受けていて、あまりのん気にしているばかりもいられない。
 最上級生の姿が見られなくなった高等部校舎は、記憶にある風景と比べると今はやや閑散としている。
が、桜舞う頃に新しい生徒が入ってくれば、きっとこの違和感も消えてしまうのだろう。
 毎年きちんと繰り返される、はざまのような時期。

 人気のない廊下の隅では『報道部・部長』高等部2年布施啓太が、腕に抱える紙の束から一枚抜き出しては、数ある掲示板それぞれに貼り付けていく、という単調作業を繰り返していた。
 一枚貼ってはとぼとぼ歩き、また次の掲示板の前に立つ。

『神聖都通信・号外』

 原色を多用した見出しは生々しくも迫力を持って、見る人の興味をそそるだろう。
「全く、もっと部員がいればなぁ。部長たるオレがこんな新聞貼りなんてしなくてすむのに。
まあ、他にいないからこそオレが部長でいられるんだけど」
 興味と感心は既に現地へと馳せている今、抱える新聞の束は重いことこの上ない。
 早く、早く現場に行って詳細を調査したい! ――久々につかんだ大スクープに、そわそわと浮き足立つのを止められない啓太だった。
 ……中等部の校舎は走れば5分だ。早く行きてーなぁ。これを貼り終ったら速攻であっち行って、職員室で許可とって……。


 と。
 傍らに誰かが立った。啓太が振り返る間もなく、彼はいきなり掲示板の新聞に手をかけたかと思うと、ビリビリとそれを破き始める。
「……なっ! 何するんだよお前!!」
 ぱんぱん、とわざとらしく手を払った彼は、つかみかかった啓太にも平然として対応した。
「警告だよ」
 ちらり啓太が『女のようだ』と思った男にしては白く整いすぎた顔。それをわずかにすがめ、彼は啓太に笑ってみせる。
気味の悪さに啓太が手を離すと、彼は軽く咳き込んでから、もう一度見据えてきた。
「もう一度言うよ、これは警告だ。……この件には近づかない方がいい。
分かったね、啓太」
「……お、おま、お前、なんでオレ、いや新聞……!」
 驚きのあまりそれだけを啓太が言うと、彼は表情から笑みを消しかすかにうなだれ、そしてそっと啓太の耳元に口を寄せた。
「ごめんね」


 言葉の意味を図りかね、啓太がその腕をつかもうと振り向いた時には――彼は、もう既に廊下の角を曲がったところだった。
 壁の向こうに姿を隠す寸前、目に焼きついた黒い学ラン。
ここの制服じゃないな。そう考えてから、ようやく啓太は今の少年に見覚えがあることを思い出したのだった。


「あいつ、この前の事件の時に会ったヤツじゃないか……?」



鳴り出すピアノ 〜空箱より〜


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ひとりでに鳴り出すピアノ?! 学園七不思議、ここに再現!!(神聖都通信)


 誰でもこの学園に通っている者ならば知っているだろう、学園7不思議を。
今日はそのうちの1つ、「鳴り出すピアノ」に関して、我々報道部がスクープをキャッチした!!

ここ毎晩、中等部の音楽室でピアノが勝手に鳴っているらしい。
それはそれは見事な「月光」を最後まで弾き終えると、
その音は聞こえなくなるという。
……その美しさゆえ、「聞いた者は魂を抜かれる」と言われてきた「鳴り出すピアノ」!
我が報道部は勇気をもって、詳細を暴いていこうと思う。

続報をご期待あれ!


・続報
ピアノが鳴っている間、職員室にて『人魂』の目撃証言アリ!!
既に哀しき犠牲者が?! 待たれよ、真相解明!

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●初瀬日和


「私のチェロを、誰かが聴いてくれてたら嬉しいな、って思うの」


 季節は冬から移り変わろうとしつつある、今日この頃。
 初瀬日和は並木を連れ立って歩いていた。
青空を漂う雲はそこはかとなくのんびりとしていて、日の温もりと共に人々を午睡へと誘うかのようだ。
並木は桜、かすかに芽がほころびつつあるのが分かる。
 そして、彼女の傍らには羽角悠宇がいる。彼と何気ない会話を交わしつつ、下校途中の道をのんびりと歩いているところだった。

 きっかけはなんだっただろうか。
 話の流れで、何気ない調子で悠宇が言ったのだ。……日和がチェロを弾いてて一番嬉しい時って、どんな時なんだ?
「誰かって、誰だ?」
「その時によって違うわ。私の音でより誰かの気持ちがいっそう楽しくなったり、誰かの悲しみを慰めてあげられたり。もしそんな気持ちがこの音に込められたら、素敵だと思うの」
「俺も素敵だと思うぜ?」
「……ありがと」
顔を見合わせ、そして微笑みあう二人。
 つつみこまれるようにして握られている手から彼のぬくもりが伝わってきて、日和はいっそう幸せな気持ちになる。

「俺、音楽の事は詳しく分からないけどさ」
 再び歩き出しながら、悠宇が言った。
「日和が弾いてる、ってのはすぐ分かるんだよな。なんでだろ。それも日和がこう、曲に『気持ち』を込めてるからなのかな」
「そう?」
「まーな。その点、コイツなんかよりよっぽど鋭いぜ、俺は?」
 悠宇が胸のポケットを小さく叩くと、反論のようにコトコトと小さく鳴る。
「悠宇くん、そんなことないって言ってるよ?」
「バカ言え、日和のことを一番よく分かってるのは俺なんだ」

 自慢半分に意地半分、悠宇が胸を張る姿に日和はくすくすと笑う。
 ――季節は初春。満開に花開くのも、もうすぐ。



 と、二人がある曲がり角にやってきた時だった。
「……ところでさ、桜が咲いたら花見にでも行こうぜ。弁当作ってくれよ、日和」
「悠宇くん、桜の綺麗なところ知ってるの?」
「うーんそうだなぁ、心当たりはいくつかあるけど、せっかく日和と行くんだから……うわっ!」
 話に夢中で日和の方ばかり向いていた悠宇は、曲がり角の向こうから来た人物と真正面からぶつかってしまった。途端、その人が抱え込んでいた荷物があたり一面に散らばる。
「いって……あ、す、すいません!」
「いや、こっちこそよそ見してたから……ってあ、啓太じゃねぇか!」
 地面に座り込んだまま、呆けたようにこちらを見ていたのは布施啓太。
――何を隠そう、今悠宇と日和が向かっていたのは草間興信所。
というのも彼、布施啓太に呼び出されたからだった。 
「なんだ、お前か。ちぇっ、謝って損した」
悠宇が胸を撫で下ろすと、あからさまに啓太がムッとしてみせた。
「損はないだろ、損は。……ってあーあ、これシュラインさんの荷物なんだから、拾うのお前も手伝えよな!」
「まじで!」
と、そこでようやく悠宇と日和は、啓太の後ろにいたシュラインに気がつく。二人の視線を受け苦笑する彼女に、悠宇は殊勝に頭を下げ、即座に品物を拾いはじめた。
「りんご、小麦粉、無塩バター? ……シュラインさん、これ興信所の買い物ですか?」
「ええそうなの。ちょっと料理しようかと思って」
 何を作るんですか? 散らばった品物をそう何気なく見やっていた日和は、ふと首を傾げた。
「あの、シュラインさん。タバコはないんですか?」
「……武彦さん、やっぱり怒るかしら」
「……でも私も、そろそろ禁煙した方がいいかもって思います」
「そういうことにしておいてくれる?」
 ふふっ、とこっそり笑いあうシュラインと日和。

 その足元で二人を見上げていた啓太と悠宇は、顔を見合わせ、同じようにふふっ、と笑ってみた。
「お前、キモチワルイ笑い方すんじゃねぇよ」
「お前こそ、似合わないんだよそんなの」
「……何やってんだろうな俺たち」
「……だよな……」
 対して、より冷めた空気になった二人だった。



     ■□■



「それで、日和ちゃんと悠宇くんはなぜここに?」
「俺たちも啓太に呼ばれたんですよ。なあ、日和」
「ええ。何か、また協力してほしい事件が起こったからって……」
「そうなんですよ。ほら、前回の時と同じメンツならいろいろ話も早いし。今学校休みだから、その辺の人とは連携が難しいんス」

 思い思いに事情を話しながら、シュラインが先頭で興信所のドアを開けた時。
「……あっ! バカ、シュライン入ってくんな!」
 出迎えたのは、うろたえているような草間の叱責だった。
 ドアの正面のソファに座っていた草間は、シュラインの登場に腰を半ば浮かせている。眉はしかめられ、くわえていたタバコはイライラと灰皿に押し付けられる。
 表情は『困惑』そのものだ。
 事情が飲み込めないシュラインがその場に立ち止まり目をぱちぱちさせると、背中から悠宇と啓太が顔を覗かせ、彼女を援護した。
「おっさん! 何言ってんだよそういう言い草はないだろ!」
「そーだそーだ! 草間さん、日頃シュラインさんにどんだけ世話になってんだよ」
「お、お前らまで来ちまったのか……?!」
 援護射撃によりいっそう慌てた様子の草間は腕時計をチラリ見、力なくうなだれた。
「しまった、もうこんな時間か……」
「どういうこと、武彦さん?」

 と、そこで初めてもう一人の人物が立ち上がった。
 草間の正面、こちらには背中を向けて座っていた人物。気配の消し方が尋常ではない。
が、見知った顔に啓太以外が表情を変えると、彼は艶やかに微笑んだ。
 ――引き込まれてしまいそうな、妖しげな笑み。
「こんにちは、皆さん。……そこのキミとは初対面ですね。修善寺美童です。よろしく」
「あ、ああ……オレは布施啓太、ヨロシク」
戸惑いながら差し出された手を握る啓太。
「修善寺君じゃない」
「お前、この前一緒だった……よな」
「覚えていてくださって光栄です」
 知人たちへは、赤い瞳をかすかにきらめかせつつ、優雅な仕草で深々と頭を下げる。
 
 そして、再び草間に向き直った。
「これで、役者は揃ったということですね」
「……クソッ」
 吐き捨てた草間は、悔し紛れかシュラインを睨む。
「おい、シュライン。タバコは?!」
「え? あ、ああごめんなさい、買い忘れちゃって」

その言葉に、草間はいっそう肩を落としたのだった。



     ■□■
     
     

「……とまあ、そんなところかな」
 啓太が事情の説明を終えると、興信所のテーブルを囲んでいた面々が一斉に顔を上げた。
ひしめき合いながら座っているソファが、ぎしぎしとスプリングを鳴らしている。

 ちなみに、草間はこの一同には加わっていない。ふてくされた様な表情で昼寝を決め込んでいるが、それがまた、部屋の隅、背もたれのない小さな丸イスの上、ときては駄々っ子と大差ない。
 そしてそんな態度でも、心配で聞き耳だけは立てているのだろうことは皆が承知していたから、誰一人構おうともしない。 それもまた、彼の態度を頑なにさせている一因でもありそうだった。
  
「つまり、真夜中の音楽室でピアノが突然鳴り出すわけね」
 んー……と、指を唇に当て、考え込んでいたシュラインがまず口を開く。
「実際音鳴ってたのって、本当に音楽室から? それに、人魂が職員室の物かも気になるところね」
何かの光が反射してたんじゃないかしら? そう疑問を投げかけると、啓太が首を振る。
「とりあえず、その辺の聞き込みはもうしてみた。あの時間だとあの辺、光源になるようなものは何一つないんだ。民家もろくにないようなとこだし、そうだなあ……あっても非常灯ぐらいかな。でもそれなら光は緑だろ?
だから光があること自体おかしいんだ」
「その時間の電気消費量とか調べられる?」
「うーん、……用務員室とかに当たればなんとかなるかな。交渉してみるよ」
「お願いするわ。
あと、そうね……最近不審者とか、怪しい人とかいないの?」
「学校からの知らせとか、オレも独自に調べては見たけど、とりあえずはないみたいだなあ……
あ、でも」
 何かを思い至ったのか、啓太は胸のポケットから手帳を取り出し、ページをめくり出す。
「ああ、これだ。なんでもさ、『職員室の光』ってのはここ1、2年出現してるらしい。しかもこの時期に」
「ふーん……?」
「『音楽室のピアノ』は学園の七不思議の一つになってるくらいだし、昔からポピュラーなウワサではあったんだ。でもそっちは今年が初めてだな」

「ねぇ啓太くん」
 と、日和が口を開いた。
「今、神聖都学園ってお休みなの?」
「ああ。入試休みな。それが終わったらすぐ卒業式なんだ。
んで、それが終わったら学年末試験。……あ、しまった、オレ全然勉強してねーや」
「ねぇ悠宇くん、どう思う?」
日和は、傍に座っていた悠宇を見つめる。
「私ね、なんだか……ピアノが聴こえる間だけ現れるなんて、呼び合っているみたいだと思うの」
「呼び合う?」
「そう。自分を探してくれている誰かに届くように、それに気づいた誰かが自分を見つける目印になってくれるように、って、そう……誰かを呼んでるんじゃないかしら」
 チェロを持っていってもいい? と日和は啓太に尋ねる。
「こちらからの返事を、返せればいいなと思うの」
「もちろん! そういやオレ、日和のチェロ聴くの初めてだなー」
「日和のこと呼び捨てにすんな」
 ウキウキと声を弾ませた啓太を遮ったのは、怒りのにじんだ悠宇の声。
ごめん、と素直に身を小さくした啓太に、シュラインと美童がくすくすと笑う。
「日和のチェロは世界一だからな。腰抜かすなよ。
……まあそれはとにかく。何で今になって急にピアノの現象が起こり出したんだろうな?」
「というと?」
「こういうのって夏向きな話題じゃないか? だから、何か『今』に意味があるんじゃないかと思って。
卒業までに、何か伝えたい事でもあるのかな」
「そうか、もうすぐ卒業式なのね……」
シュラインの声に、悠宇は一つ頷く。
「今会って伝えないといけない事があるのなら、叶えてやりたいと思うしさ。
大切な人、会いたい人に会えずにいるのは辛いし、それなら助けてやりたいよな」

「……では、話は決まりましたね」
最後に、美童が笑った。長めの銀髪をかきあげ首を傾げる仕草に、その辺の女よりよっぽど綺麗だよなあ、と啓太などは思う。
「音楽室と職員室に、チームを分けましょう。……皆さん、これを」
ぱちり、と美童が指を鳴らすと、いつの間に現れたのか黒服にサングラスの男が彼の後ろに立ち、うやうやしく何かを美童に捧げる。
「これはインカムです。これを使えば、別行動中も連絡がとりやすいでしょう。お渡ししておきます。
それで、ボクは音楽室へ向かおうかと。共に行く部下は5人、残りは職員室へ行かせましょう。
皆さんは?」
「私は、体力に自信がないので、職員室の窓の外で張り込んでいようと思います」
と日和。
「俺は日和と一緒にいる。……あ、でも音が鳴り出したら音楽室に駆けつけてみるよ」
悠宇はそう言って笑う。
「じゃあ、私も職員室ね。さっきの消費電力のことを調べに用務員室へ寄ってから行くわ」
「んじゃ、シュラインさんに付き合ってからオレは音楽室行くかな!」
シュラインの言葉に、そう答えた啓太だったが。
「お前は止めとけ」
 部屋の隅から小さな声。むくりと起き上がった草間が、小さく首を振った。
「お前は音楽室に行くな」
「……な、なんだよそれ。オレが臆病者だって言いたいのかよ」
「そういう意味じゃない。だけどまあ……あれだ。職員室に行った方が、お前は役に立つだろうよ。
今音楽室に行ったところで、お前が出来る事は何もない」
「……おっさん? なんだよそれ、どういう意味だよ」
「意味なんてそのままだ、分かったな啓太」

 説明も何もせず、有無を言わせぬ口調でそれだけをいうと、草間は再び椅子の上で丸くなり、目を閉じてしまった。



     ■□■
     
     

 ――12時間後。
「日和です。異常ありません」
 インカムにてそう発言すると、『美童だ、異常なし』『こちら啓太、シュラインさんも傍にいるぜー。異常なし』と即座に反応が返ってくる。
 ピアノの音も未だ聞こえない。今のところ、何も起こっていないようだ。

 辺りは、墨を流したかのように一面の黒。
 悠宇と日和の二人は職員室の外、中庭に面した窓の下に座り込んでいた。季節は移りつつあるとはいえ、夜はまだ寒い。
はぁ、と吐いた息が白く濁り、日和は思わず手をすり合わせた。腕の中に抱えたチェロがかすかに音を立てる。
「寒いね悠宇くん。大丈夫?」
「俺なんかより、日和が風邪ひくなよ」
うん、と頷くと悠宇がよし、と頭を撫でる。
 ――よく触れてくれる、その優しい手の感触が好き。
 日和はふと、そう思った。
 
 ちなみに、美童が連れてきた黒服たちは、校舎の中、職員室の扉の前で張りこんでいる。
音が聞こえ出したらインカムで連絡を取り合い、中へと侵入する手はずになっていた。
 と、顔を見合わせる二人。
「……悠宇くん」
「ああ。ピアノの音だな」
 空から降ってくるかのように聞えてくる音。ピアノの音であることは確かだ。
音楽室は職員室の真上、4階にある。
「何の曲だ……? 日和、分かるか?」
 夜の澄んだ空気を潜り抜けてくるせいか、音は大分クリアだ。
すぐに息を潜めずとも、音が幾つもの旋律を形作っていくのが分かるようになった。まるで手に取ることが出来るかのように、はっきりと。
「……『月光』だわ」
「ウワサどおりってことか」
 悠宇は一つ頷き、、スッと立ち上がる。
「じゃ、俺音楽室へ行ってくるわ」
「気をつけてね、悠宇くん」
 ――精一杯の気持ちを込めたはずの言葉は、彼の笑顔の前では溶けてしまうらしい。
「何言ってんだ。お前の方こそ、気をつけろよ。何かあったらインカムでもイヅナでもいいから、ちゃんと俺を呼べ。分かったか?」
 真摯な言葉を返され、日和は不安に固まっていた体がゆるくほぐれるのを感じていた。

「ありがと、悠宇くん」
その言葉は「礼なんて変だろ」と悠宇に一笑に付されたが、日和にとってみれば心からの言葉だった。



 背の黒い翼を羽ばたかせ悠宇が4階へと舞い上がった後も、ピアノの音は続いていた。
 その旋律はますます確かになり、まるで何かを訴えかけてきているかのよう。
「初瀬さん、『人魂』を確認しました。我々は職員室へ侵入します」
インカムから聞こえてくる声に一瞬迷った日和だが、すぐにインカムへ「お願いします」と返事をし、弓を構えた。
 ――お願い、答えて。
 日和には、この降り注ぐ音に何かの気持ちが込められている気がしてならなかった。
 ――私はここにいるから。
日和はチェロを奏で出す。ピアノに合わせ最初は静かに、やがては共に語り合うように。
 そのハーモニーは宙で溶け合い、星のない暗い夜空へと染みこんで行く。
 ――私はここにいる。あなたは独りじゃない、お願い気づいて……
 

 ガシャーン!


 その時だった。
日和のすぐ傍の窓ガラスが割れ、日和は身を固くしつつ立ち上がる。
「ど、どうしたんですか!」
チェロを下に置き、それから慌てて職員室へと飛び込む日和。
 そして、息を飲む。
 ――床に、黒服の男たちが倒れ伏していた。屈強であるはずの男たちが、いまやピクリとも動かない。
慌ててインカムに向け声を発してみたが、無駄だった。
「通じないわ……」
「なんだぁ? まだいたのか」
 新たな声がした。日和がそちらを振り向くと、怪しげな男がこちらを見ている。
 悠宇や日和よりもわずかに年かさだろうか。髪は金色に染められ、その服装は闇を忍ぶには全くふさわしくないと思われるほどの派手さだ。
 手の中の懐中電灯をかざしつつ、怯える日和にニタリと笑う。
「なんだ、オンナノコじゃねぇか」
だったら俺が相手してやろうか? 男がそう言って一歩踏み出そうとした時、部屋の隅の闇から新たな人影が現れた。
「僕に相手させてもらおう」
「んだとぉ? お前は大人しく……」
「それよりも、早く仕事を片付けてくれないか。僕に余計な時間はないんだ」
穏やかに見えてその実、迫力のにじむ有無を言わせぬ口調。
 男は黙り込み、そしてすごすごと身を引く。

 そうして男を舞台から退場させてから、その少年は再び振り向いた。
「こんばんは、初瀬日和さん」
「……あなたは」
「早乙女美です。またお会いできるとは思いませんでしたよ」
 ――彼には以前、会ったことがあった。
 その笑みも、優しげな風貌も、記憶と違わないのに……この身の震えはなんだろう。
「美さん、なぜあなたがここに」
「あなたにお話しすることはありません」
 日和に向け、一歩進み出た美。思わず日和が一歩引くと美はかすかに笑い、また一歩踏み出した。
「申し訳ありませんが、今邪魔をされるわけにはいかないんです。大人しくしていていただきたい……」
 彼はもう目前だ。が、足が床に縫い付けられてしまったかのように、日和の体は動かない。
干上がっていく喉は、すでに言葉を紡げなくなっていた。
 凍りつく体。意識だけが焦りを覚えていく。
 日和の正面に立った美は、笑みをたたえたまま日和へと手を伸ばす。眼前へと迫る彼の指に、日和はただ唇を噛み締めるばかりだった。
 ――悠宇くん。悠宇くん!
 

 その時。
「日和!」
 自身の名を呼ぶ声。同時に、窓から入ってきた誰かが美に体当たりした。
 ――誰か? そんなの、決まっている。
「悠宇くん!」
「大丈夫か、怪我してないか?」
 悠宇が窓から飛び込んできた途端、呪縛が解けたかのように日和の体が動き出した。ほ、と一つ息をついてから、悠宇に駆け寄る。
「ありがとう、悠宇くん」
「怪我がないなら何よりだ。……それより、こいつ」
 悠宇の攻撃が効いていないのか、美はすぐに立ち上がる。そして日和と彼女を背に庇う悠宇を見やると、力なく笑った。
「日和さんのピンチには、やはりあなたが来るのですね」
「お前とは、一生仲良くなれそうにねぇな」
「覚えていてくれて光栄ですよ、羽角悠宇君」


 対峙しあう三人。沈黙を破ったのは、ドアを開け放つ音だった。
「日和ちゃん、無事?!」
「……お前っ!」
職員室に飛び込んで来たのはシュラインと啓太だ。彼らもまた、美の姿に目を見開いている。
「お前、お前この前の時にもいた……!」
「早乙女美……君ね。なぜこんなところにいるのかしら」
しらじらしい口調でシュラインが尋ねると、美は悠宇に伸ばそうとしていた腕を下ろし、シュラインたちの方へと向いた。
 と、その表情が曇る。
「啓太、なぜここにいる」
「お、オレ?!」
「僕は『この件には近づくな』と忠告したはずだ」
「え、そ、そんなこと言ったって……オレは報道部だ!」
 と、美はうつろな表情で悠宇たちに背を向け、入り口の方へと歩いていく。
逃げるのかよ! と悠宇は声をあげたが、全く意にも介していないようだ。
 そして美は、啓太の前に立つ。
「邪魔をしないでほしい。僕はただ……ピアノの主に会いたいだけだ」
「ピアノ……? 音楽室の?」
シュラインの問いに、美は頷きもしなければ否定もしない。
 ただ静かに、啓太たちの傍らを過ぎようとした。
 
「てめえ、今更怖気づいたか!」
 その時、金切り声で叫んだのは、先ほど日和に迫ろうとした男。
「全て『事』が済んだら、音楽室のヤツと会わせてやるって言ってんだろうが! 今はこいつらを先にどうにかしろ!」
「ちょっとあんた。……音楽室のピアノ、あんたの仕業なの?!」
 口走った言葉にシュラインがかみつくと、男はにやり、と笑った。
「ああそうさ。オレらが職員室で一仕事してる間に誰か来られちゃたまんねぇからなぁ、そっちに関心を集めようってワケさ。……どうだ、名案だろう?」
「じゃ、じゃああなたの仲間が、ベートーベンの『月光』を……?」
 日和の問いに、男は突然弾けたように笑い出す。
「はぁ? 弁当だかべったらだか知らねぇけどよぉ、オレのダチが弾いてるのはそんなんじゃないぜ。
いいか、聞いて驚くな。……『猫ふんじゃった』だ!」

 ――沈黙。
 
「な、な、なんだよお前ら、その目は!」
「お前なぁ、ベートーベンも知らないくせに、音楽を語るんじゃねぇよ。俺だってそのぐらい知ってるぞ」
凄みの効いた悠宇の言葉に、男はたじろぐ。
「あんた、今聞こえてる曲のどこが『猫ふんじゃった』なのよ」
「な、なんだと? じゃあ、これを弾いているのは一体誰なんだ?」
 男の発言に、さっと一同の顔色が変わる。
「誰、って……お前の仲間じゃないのか?」 
「そんなわけない! だって、あいつはそれしか弾けないはずだ」
「じゃあ、本当に……?」
 一同は顔を見合わせた。
インカムに問いかけてみても、音楽室へ向かったはずの美童からの返事は未だない。

「く、くそっ……! 何がなんだかわからねぇ! おいお前! さっさとこいつらをやっつけろ!!」
再び男が叫ぶ。が、その視線の先にいた美は、かすかに笑っただけだった。
「僕が? なぜ?」
「……なんだと?」
「先ほども言ったが、僕はピアノの主に会いたいだけだ。
今や、お前が彼女と関係がないと分かった以上、お前などに用はない」
 そこで、ハッと顔を上げたのはシュライン。
「ちょっとあなた、今『彼女』って……」

 が、その問いは凶悪な唸り声で遮られる。
「て、てめぇ……!」
男は懐中電灯を放り出すと、そのポケットからスタンガンを取り出した。
 暗闇に光る一筋の電光。それに照らされ一瞬、狂気に浮かされた血走った眼が闇に浮かぶ。
「だったら俺がやってやる……やってやるぜぇぇぇぇ!」

「危ないっ!」

 叫んだのは誰だったのか。
 見境のなくなった男がその攻撃の的としたのは、一番近くにいた『外敵』啓太だった。
とっさのことに身を引くのが間に合わず、啓太は観念して身を固くする。
 そして。
 
 
「……キサマ、なぜ邪魔をする……! オレの、オレの味方だったろうがぁああ!」
「……味方など、なった覚えはない。僕はただ……協力戦線を……」
「お、おいお前、大丈夫か?!」
 啓太と男、その二人の間に入ったのは美だった。
啓太へとむけられたはずの攻撃をその身に受け、美は堪えきれずに膝をつく。
「ど、どこか痛いのか、お前……」
「僕に触るな! ……怪我をする……!」
 近づこうとした啓太をそう一喝すると、美は膝をついたまま男を見上げた。
「な、なんだその目は、はははぁはあはぁ……そ、そういう目すんなら、お前もやっちゃうよぉ?」
最早常軌を逸しつつある男を見やりつつ、美は舌打ちする。
「お前のような雑魚に、これを使うなどもったいないと思っていたが……」

 そう言って美がポケットから取り出したのは、小さな箱。
開いた気配もないうちにその隙間から噴き出す紫色の煙が、どんどんと濃くなりつつ男を包んでいった。
「な、なんだ、なんだこれは……! くるしィぃぃぃぃっ」
「啓太を……狙った事、地獄で苦しめ!」


 煙に全身を包まれた男は、身をくねらせそして断末魔の悲鳴を残すと、ばたりと床に倒れた。
と同時に煙が霧消する。
 窓から差し込むわずかな月明かりに照らされた男は、酷く矮小だった。


「こんな……こんなはずでは……」
立てないのか、うずくまったまま美はそう呟く。
「取り込み中悪いけど、お話伺えないかしら。あなたには聞きたいことがいろいろあるのよ」
 シュラインが彼の前に立つと、美は力なく笑ったようだった。
「申し訳ないですが……僕はまだ……捕まるわけには……」
「そんな体で、逃げられると思ってるの?」
 その腕を掴もうとしたシュラインは、途端に感じた衝撃に指を引っ込める。
「あなたも、この電力の餌食になりたくなかったら僕に触れない事です。どうやら帯電してるようですからね」
「ま、待ちなさい!」
「申し訳ないですが。僕にはこれがあるのですよ……」

 と、美は再び箱を取り出す。
 一同がはっと息を飲む頃には、紫色の煙が既に美の全身を包んでいた。
「シュラインさん、そいつを逃がすな!」
悠宇の叫びが空しく響く。
「また、またお会いしましょう皆さん。……啓太」

 何かを言いかけたのだろうか、最後に啓太の名を呼び、彼を振り向く。
 が、それ以上の言葉を一同が聞き取る間もなく、彼の姿は忽然と消えていた。
 

 
 と。
『こちら美童。聞こえるか』
 突然聞こえるようになったインカムが、離れたところにいる人物の声を伝えてきた。
「こちらシュラインよ。大丈夫なの?」
『心配ない。……ところで、日和君、いるか』
「は、はい。日和です」
 突然名を呼ばれ、日和が慌てて返事をする。
『言伝てを預かった。……今から言う、いいか?』
「こ、言伝てですか?」
 その言葉に顔を見合わせる悠宇と日和。が、そんな二人がもちろん彼には見えていないのだろうが、大した間も置かず美童は言葉を継ぐ。
『君の音は確かに届いた、ありがとう。……だそうだ』


 
     ■□■
     
     
     
 ――男は、学園の卒業生だったという。
 
 狙いは、卒業式の後にある学年末テストの答案用紙だった。
 かつて落第の危機にあった彼は、思い余って深夜の職員室に忍び込み、答案を一枚ずつ盗み出したらしい。盗まれた枚数が少なかったため、その時は気づかれずに済んだようだ。
 そして、彼は蛍光灯の明かりはつけず、持参の懐中電灯で全て事を済ませていた。……この明かりこそが、『人魂』の正体だった。この明かりを勘違いしたものが、人魂として噂を広めたらしい。
 ピアノは「めくらまし」として男の一人が考えたものだった。7不思議の一つでもある『ピアノの音』で、目撃者たちの関心を逸らす目的だったようだ。

 以来、彼はクセになった。毎年この時期、学年末に、仲間らと職員室へと忍び込んでは答案を盗み、難を逃れていた。それは彼が卒業してからも続き、今では在校生へ売りつけることによって大した副収入になっていたらしい。
 不祥事の発覚を恐れた学園側は、草間たちに沈黙を要請してきた。草間はそれを飲み、事件はうやむやのうちに済まされそうだった。
 最も、『報道部』たる啓太が黙っていられまいと皆は思っていたが、それはまた別の話。
 
 ――そして。
 警察に引き渡される事なく終わった犯人の男らだったが、事件以来その姿を見かけたものはいない。
 黒づくめの服にサングラスの男たちが、彼らをいずこかへと連れ去っていった、という目撃情報があったようだが、いかんせん心当たりがあるはずもないのだ、たぶん――





「春が近いな、日和。花が咲いたらさ、花見にでも行こうぜ」
「悠宇くんってば、この前も同じこと言った」
そうだっけ、と頭をかく悠宇に、日和はくすくすと笑う。

 数日後。
 二人は再び肩を並べ、この前と同じ桜並木を歩いていた。
花を見るにはまだまだ早いけれど、先日よりも確かにそのつぼみのほころびは緩くなっている。
 ……些細な事でいい、時の流れを悠宇と一緒に確認出来た時、『幸せ』だな、と日和は思う。
 そしてこれからもずっとずっと、肩を並べて共にいられれば、と願うのだ。
「悠宇くん、あのね」
「ん?」
「この前、『チェロを弾いてて一番嬉しい時ってどんな時だ?』って聞いたでしょう?」
「ああ」
「……あれからね、少し考えたの」

 見上げた空は青く、渡る風は穏やかだ。
 日和たちと同じ年頃の生徒たちが、その陽気に浮かされるように騒ぎつつ二人を追い越していく。

「もし何かがあって……『大切な人』と離れることになったら辛いでしょう? でも私は弱いから、離れてしまったらその人の元へと行けないかも知れない。だから……だから私は、いつでも『大切な人』に向けて音を弾いているのかも……なんて思うの。
私を探してくれている『大切な人』に届くように、そして気づいたその人が私を見つける目印になるように、って」

 と、悠宇が立ち止まった。
それにつられ、日和も立ち止まる。
「大丈夫だって」
 そして、彼は日和をじっと見詰めた。
「俺はお前を見失う事なんてないし、もし日和に何かあったって、俺がお前の元に行ってやるから」
 つないだ手にこめられる力。それを感じ、日和は悠宇の目を見たままふわりと笑った。
「うん」
「なんたって、俺はお前の『大切な人』なんだろ?」
「……うーん、でも悠宇くんだけじゃないかも」
「なんだよー、俺だって言えって! ちょっと期待したじゃんか」
「冗談よ、冗談。……悠宇くんしかいないわ」



 再び歩き出した二人をからかうかのように、つむじ風が並木を駆け抜け、やがて宙へと消えていった。
 ――移ろい行く季節の横で、ずっと変わらないものが、ある。





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【3524 / 初瀬日和 / はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【3525 / 羽角悠宇 / はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0635 / 修善寺美童 / しゅぜんじ・びどう / 男 / 16歳 / 魂収集家のデーモン使い(高校生)】

(受注順)

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          ライター通信          
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こんにちは、つなみりょうです。この度はご発注いただき、誠にありがとうございました。
ご期待に沿えるものでしたら幸いです。

さて、今回は「空箱」の第2話と銘打たせていただいてます。若干前回から続いてるところもあるかな? といった作りになってますが、さていかがでしょうか。
あと、なんというか……長文です。頑張って読んでください(笑)このシリーズはどうも長くなる傾向にあって困りますね。


日和さん、こんにちは! いつもありがとうございます。
さて、いかがでしたでしょうか? プレイングにかかれてました優しい気持ちをぜひ本文中に生かしたいな、と思いつつ書きました。
それと、前回が悠宇さんとのケンカで始まったので、今回はそのお詫びもかねて(?)よりいっそうほんわかした雰囲気で書かせていただきました。いかがでしたでしょうか?
そして今回もゼヒ、悠宇さんの方と併せてお読みくださいね。


ご意見・ご感想などありましたらぜひお聞かせ下さい。
また、次回はWEBゲームの方で窓を開けてみようかと思っています。啓太など相変わらずの面々が出てくる話になるかと思いますので、よろしければその時もぜひお付き合いくださいませ。
その際はダイカンゲイさせていただきます!


それでは。
近づく春にかつての思い出を重ね合わせている今日この頃な、つなみりょうでした。