■鳴り出すピアノ 〜空箱より〜■
つなみりょう |
【3525】【羽角・悠宇】【高校生】 |
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ひとりでに鳴り出すピアノ?! 学園七不思議、ここに再現!!(神聖都通信)
誰でもこの学園に通っている者ならば知っているだろう、学園7不思議を。
今日はそのうちの1つ、「鳴り出すピアノ」に関して、我々報道部がスクープをキャッチした!!
ここ毎晩、中等部の音楽室でピアノが勝手に鳴っているらしい。
それはそれは見事な「月光」を最後まで弾き終えると、
その音は聞こえなくなるという。
……その美しさゆえ、「聞いた者は魂を抜かれる」と言われてきた「鳴り出すピアノ」!
我が報道部は勇気をもって、詳細を暴いていこうと思う。
続報をご期待あれ!
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「……こんなもんかな、っと」
放課後。部活に、そして下校にと賑やかにさざめきつつ生徒は校舎を行き交っていく。
今は卒業式まで間もない時期だ。
卒業式なんて、一部の在校生以外は関係ない。そんな声もちらほら聞こえる……だが、それが過ぎれば恐怖の学年末試験が彼らを平等に待ち受けていて、あまりのん気にしているばかりもいられない。
最上級生の姿が見られなくなった高等部校舎は、記憶にある風景と比べると今はやや閑散としている。
が、桜舞う頃に新しい生徒が入ってくれば、きっとこの違和感も消えてしまうのだろう。
毎年きちんと繰り返される、はざまのような時期。
人気のない廊下の隅では『報道部・部長』高等部2年布施啓太が、腕に抱える紙の束から一枚抜き出しては、数ある掲示板それぞれに貼り付けていく、という単調作業を繰り返していた。
一枚貼ってはとぼとぼ歩き、また次の掲示板の前に立つ。
『神聖都通信・号外』
原色を多用した見出しは生々しくも迫力を持って、見る人の興味をそそるだろう。
「全く、もっと部員がいればなぁ。部長たるオレがこんな新聞貼りなんてしなくてすむのに。
まあ、他にいないからこそオレが部長でいられるんだけど」
興味と感心は既に現地へと馳せている今、抱える新聞の束は重いことこの上ない。
早く、早く現場に行って詳細を調査したい! ――久々につかんだ大スクープに、そわそわと浮き足立つのを止められない啓太だった。
……中等部の校舎は走れば5分だ。早く行きてーなぁ。これを貼り終ったら速攻であっち行って、職員室で許可とって……。
と。
傍らに誰かが立った。啓太が振り返る間もなく、彼はいきなり掲示板の新聞に手をかけたかと思うと、ビリビリとそれを破き始める。
「……なっ! 何するんだよお前!!」
ぱんぱん、とわざとらしく手を払った彼は、つかみかかった啓太にも平然として対応した。
「警告だよ」
ちらり啓太が『女のようだ』と思った男にしては白く整いすぎた顔。それをわずかにすがめ、彼は啓太に笑ってみせる。
気味の悪さに啓太が手を離すと、彼は軽く咳き込んでから、もう一度見据えてきた。
「もう一度言うよ、これは警告だ。……この件には近づかない方がいい。
分かったね、啓太」
「……お、おま、お前、なんでオレ、いや新聞……!」
驚きのあまりそれだけを啓太が言うと、彼は表情から笑みを消しかすかにうなだれ、そしてそっと啓太の耳元に口を寄せた。
「ごめんね」
言葉の意味を図りかね、啓太がその腕をつかもうと振り向いた時には――彼は、もう既に廊下の角を曲がったところだった。
壁の向こうに姿を隠す寸前、目に焼きついた黒い学ラン。
ここの制服じゃないな。そう考えてから、ようやく啓太は今の少年に見覚えがあることを思い出したのだった。
「あいつ、この前の事件の時に会ったヤツじゃないか……?」
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鳴り出すピアノ 〜空箱より〜
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ひとりでに鳴り出すピアノ?! 学園七不思議、ここに再現!!(神聖都通信)
誰でもこの学園に通っている者ならば知っているだろう、学園7不思議を。
今日はそのうちの1つ、「鳴り出すピアノ」に関して、我々報道部がスクープをキャッチした!!
ここ毎晩、中等部の音楽室でピアノが勝手に鳴っているらしい。
それはそれは見事な「月光」を最後まで弾き終えると、
その音は聞こえなくなるという。
……その美しさゆえ、「聞いた者は魂を抜かれる」と言われてきた「鳴り出すピアノ」!
我が報道部は勇気をもって、詳細を暴いていこうと思う。
続報をご期待あれ!
・続報
ピアノが鳴っている間、職員室にて『人魂』の目撃証言アリ!!
既に哀しき犠牲者が?! 待たれよ、真相解明!
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●羽角悠宇
「バカ言え、日和のことを一番よく分かってるのは俺なんだ」
季節は冬から移り変わろうとしつつある、今日この頃。
羽角悠宇は並木を連れ立って歩いていた。
青空を漂う雲はそこはかとなくのんびりとしていて、日の温もりと共に人々を午睡へと誘うかのようだ。
並木は桜、かすかに芽がほころびつつあるのが分かる。
そして、彼の傍らには初瀬日和がいる。彼女と何気ない会話を交わしつつ、下校途中の道をのんびりと歩いているところだった。
きっかけはなんだっただろうか。
話の流れで、何気ない調子で日和が言ったのだ。……私のチェロを、誰かが聴いてくれてたら嬉しいな、って思うの、と。
「誰か、じゃなくて、いつだって俺のために弾いてりゃいいだろ」
「ゆ、悠宇くんってば」
「俺、もちろん日和に比べりゃ全然分かってないんだろうけどさ。
でも、日和のことなら誰よりも知ってるって自信があるし、日和の音さえ聞けりゃそれでいい。俺、日和の『音』大好きなんだ。
日和は誰よりもすっげぇチェロが上手いと思うぜ。『まだまだだな』って言われてるの見たりすると、何にも分かってねぇ奴に聞かせることない! ってそう思っちゃうもんな」
「……ありがと」
顔を見合わせ、そして微笑みあう二人。
つないだ手に少しだけ力を込めると、小さな手がぎゅっと握りかえしてきて、悠宇は照れくさいような、それでいて胸いっぱいの幸せを感じる。
――季節は初春。満開に花開くのも、もうすぐ。
「俺ってさ、ほら、翼を持ってたりするだろ?」
再び歩き出した二人。やがて、悠宇が言った。
「最近さ、時々考えたりするんだ。『俺はなぜ、他の奴にはない翼をもっているのか』って」
「……気にしてるの?」
「いや、そうじゃない。……まあ、昔はそんなこともあったけどさ、今では俺の何よりの自慢だし」
不安そうな日和に、にかっと笑ってみせてから、悠宇はふと宙を見る。
「そんでさ、日和に会ってから、一つ思いついたことがあるんだ……」
そこで言葉を切り、日和を見た。日和も小首をかしげ悠宇を見つめかえす。悠宇の言葉を待っているのだろう、日和は何も言おうとしない。
なんとなく無言になりお互いを見やったまま、二人は歩き続けた――
と、そのまま二人が曲がり角にやってきた時。
日和の方ばかり向いていて前方を全く気にしていなかった悠宇は、曲がり角の向こうから来た人物と真正面からぶつかってしまった。途端、その人が抱え込んでいた荷物があたり一面に散らばる。
「いって……あ、す、すいません!」
「いや、こっちこそよそ見してたから……ってあ、啓太じゃねぇか!」
地面に座り込んだまま、呆けたようにこちらを見ていたのは布施啓太。
――何を隠そう、今悠宇と日和が向かっていたのは草間興信所。
というのも彼、布施啓太に呼び出されたからだった。
「なんだ、お前か。ちぇっ、謝って損した」
悠宇が胸を撫で下ろすと、あからさまに啓太がムッとしてみせた。
「損はないだろ、損は。……ってあーあ、これシュラインさんの荷物なんだから、拾うのお前も手伝えよな!」
「まじで!」
と、そこでようやく悠宇と日和は、啓太の後ろにいたシュラインに気がつく。二人の視線を受け苦笑する彼女に、悠宇は殊勝に頭を下げ、即座に品物を拾いはじめた。
「りんご、小麦粉、無塩バター? ……シュラインさん、これ興信所の買い物ですか?」
「ええそうなの。ちょっと料理しようかと思って」
何を作るんですか? 散らばった品物をそう何気なく見やっていた日和は、ふと首を傾げた。
「あの、シュラインさん。タバコはないんですか?」
「……武彦さん、やっぱり怒るかしら」
「……でも私も、そろそろ禁煙した方がいいかもって思います」
「そういうことにしておいてくれる?」
ふふっ、とこっそり笑いあうシュラインと日和。
その足元で二人を見上げていた啓太と悠宇は、顔を見合わせ、同じようにふふっ、と笑ってみた。
「お前、キモチワルイ笑い方すんじゃねぇよ」
「お前こそ、似合わないんだよそんなの」
「……何やってんだろうな俺たち」
「……だよな……」
対して、より冷めた空気になった二人だった。
■□■
「それで、日和ちゃんと悠宇くんはなぜここに?」
「俺たちも啓太に呼ばれたんですよ。なあ、日和」
「ええ。何か、また協力してほしい事件が起こったからって……」
「そうなんですよ。ほら、前回の時と同じメンツならいろいろ話も早いし。今学校休みだから、その辺の人とは連携が難しいんス」
思い思いに事情を話しながら、シュラインが先頭で興信所のドアを開けた時。
「……あっ! バカ、シュライン入ってくんな!」
出迎えたのは、うろたえているような草間の叱責だった。
ドアの正面のソファに座っていた草間は、シュラインの登場に腰を半ば浮かせている。眉はしかめられ、くわえていたタバコはイライラと灰皿に押し付けられる。
表情は『困惑』そのものだ。
事情が飲み込めないシュラインがその場に立ち止まり目をぱちぱちさせると、背中から悠宇と啓太が顔を覗かせ、彼女を援護した。
「おっさん! 何言ってんだよそういう言い草はないだろ!」
「そーだそーだ! 草間さん、日頃シュラインさんにどんだけ世話になってんだよ」
「お、お前らまで来ちまったのか……?!」
援護射撃によりいっそう慌てた様子の草間は腕時計をチラリ見、力なくうなだれた。
「しまった、もうこんな時間か……」
「どういうこと、武彦さん?」
と、そこで初めてもう一人の人物が立ち上がった。
草間の正面、こちらには背中を向けて座っていた人物。気配の消し方が尋常ではない。
が、見知った顔に啓太以外が表情を変えると、彼は艶やかに微笑んだ。
――引き込まれてしまいそうな、妖しげな笑み。
「こんにちは、皆さん。……そこのキミとは初対面ですね。修善寺美童です。よろしく」
「あ、ああ……オレは布施啓太、ヨロシク」
戸惑いながら差し出された手を握る啓太。
「修善寺君じゃない」
「お前、この前一緒だった……よな」
「覚えていてくださって光栄です」
知人たちへは、赤い瞳をかすかにきらめかせつつ、優雅な仕草で深々と頭を下げる。
そして、再び草間に向き直った。
「これで、役者は揃ったということですね」
「……クソッ」
吐き捨てた草間は、悔し紛れかシュラインを睨む。
「おい、シュライン。タバコは?!」
「え? あ、ああごめんなさい、買い忘れちゃって」
その言葉に、草間はいっそう肩を落としたのだった。
■□■
「……とまあ、そんなところかな」
啓太が事情の説明を終えると、興信所のテーブルを囲んでいた面々が一斉に顔を上げた。
ひしめき合いながら座っているソファが、ぎしぎしとスプリングを鳴らしている。
ちなみに、草間はこの一同には加わっていない。ふてくされた様な表情で昼寝を決め込んでいるが、それがまた、部屋の隅、背もたれのない小さな丸イスの上、ときては駄々っ子と大差ない。
そしてそんな態度でも、心配で聞き耳だけは立てているのだろうことは皆が承知していたから、誰一人構おうともしない。 それもまた、彼の態度を頑なにさせている一因でもありそうだった。
「つまり、真夜中の音楽室でピアノが突然鳴り出すわけね」
んー……と、指を唇に当て、考え込んでいたシュラインがまず口を開く。
「実際音鳴ってたのって、本当に音楽室から? それに、人魂が職員室の物かも気になるところね」
何かの光が反射してたんじゃないかしら? そう疑問を投げかけると、啓太が首を振る。
「とりあえず、その辺の聞き込みはもうしてみた。あの時間だとあの辺、光源になるようなものは何一つないんだ。民家もろくにないようなとこだし、そうだなあ……あっても非常灯ぐらいかな。でもそれなら光は緑だろ?
だから光があること自体おかしいんだ」
「その時間の電気消費量とか調べられる?」
「うーん、……用務員室とかに当たればなんとかなるかな。交渉してみるよ」
「お願いするわ。
あと、そうね……最近不審者とか、怪しい人とかいないの?」
「学校からの知らせとか、オレも独自に調べては見たけど、とりあえずはないみたいだなあ……
あ、でも」
何かを思い至ったのか、啓太は胸のポケットから手帳を取り出し、ページをめくり出す。
「ああ、これだ。なんでもさ、『職員室の光』ってのはここ1、2年出現してるらしい。しかもこの時期に」
「ふーん……?」
「『音楽室のピアノ』は学園の七不思議の一つになってるくらいだし、昔からポピュラーなウワサではあったんだ。でもそっちは今年が初めてだな」
「ねぇ啓太くん」
と、日和が口を開いた。
「今、神聖都学園ってお休みなの?」
「ああ。入試休みな。それが終わったらすぐ卒業式なんだ。
んで、それが終わったら学年末試験。……あ、しまった、オレ全然勉強してねーや」
「ねぇ悠宇くん、どう思う?」
日和は、傍に座っていた悠宇を見つめる。
「私ね、なんだか……ピアノが聴こえる間だけ現れるなんて、呼び合っているみたいだと思うの」
「呼び合う?」
「そう。『私はここにいるよ』って、自分を探してくれている誰かに届くように、それに気づいた誰かが自分を見つける目印になってくれるように、って、そう……呼んでるんじゃないかしら」
チェロを持っていってもいい? と日和は啓太に尋ねる。
「こちらからの返事を、返せればいいなと思うの」
「もちろん! そういやオレ、日和のチェロ聴くの初めてだなー」
「日和のこと呼び捨てにすんな」
ウキウキと声を弾ませた啓太を遮ったのは、怒りのにじんだ悠宇の声。
ごめん、と素直に身を小さくした啓太に、シュラインと美童がくすくすと笑う。
「日和のチェロは世界一だからな。腰抜かすなよ。
……まあそれはとにかく。何で今になって急にピアノの現象が起こり出したんだろうな?」
「というと?」
「こういうのって夏向きな話題じゃないか? だから、何か『今』に意味があるんじゃないかと思って。
卒業までに、何か伝えたい事でもあるのかな」
「そうか、もうすぐ卒業式なのね……」
シュラインの声に、悠宇は一つ頷く。
「今会って伝えないといけない事があるのなら、叶えてやりたいと思うしさ。
大切な人、会いたい人に会えずにいるのは辛いし、それなら助けてやりたいよな」
「……では、話は決まりましたね」
最後に、美童が笑った。長めの銀髪をかきあげ首を傾げる仕草に、その辺の女よりよっぽど綺麗だよなあ、と啓太などは思う。
「音楽室と職員室に、チームを分けましょう。……皆さん、これを」
ぱちり、と美童が指を鳴らすと、いつの間に現れたのか黒服にサングラスの男が彼の後ろに立ち、うやうやしく何かを美童に捧げる。
「これはインカムです。これを使えば、別行動中も連絡がとりやすいでしょう。お渡ししておきます。
それで、ボクは音楽室へ向かおうかと。共に行く部下は5人、残りは職員室へ行かせましょう。
皆さんは?」
「私は、体力に自信がないので、職員室の窓の外で張り込んでいようと思います」
と日和。
「俺は日和と一緒にいる。……あ、でも音が鳴り出したら音楽室に駆けつけてみるよ」
悠宇はそう言って笑う。
「じゃあ、私も職員室ね。さっきの消費電力のことを調べに用務員室へ寄ってから行くわ」
「んじゃ、シュラインさんに付き合ってからオレは音楽室行くかな!」
シュラインの言葉に、そう答えた啓太だったが。
「お前は止めとけ」
部屋の隅から小さな声。むくりと起き上がった草間が、小さく首を振った。
「お前は音楽室に行くな」
「……な、なんだよそれ。オレが臆病者だって言いたいのかよ」
「そういう意味じゃない。だけどまあ……あれだ。職員室に行った方が、お前は役に立つだろうよ。
今音楽室に行ったところで、お前が出来る事は何もない」
「……おっさん? なんだよそれ、どういう意味だよ」
「意味なんてそのままだ、分かったな啓太」
説明も何もせず、有無を言わせぬ口調でそれだけをいうと、草間は再び椅子の上で丸くなり、目を閉じてしまった。
■□■
――12時間後。
「日和です。異常ありません」
インカムにてそう発言すると、『美童だ、異常なし』『こちら啓太、シュラインさんも傍にいるぜー。異常なし』と即座に反応が返ってくる。
ピアノの音も未だ聞こえない。今のところ、何も起こっていないようだ。
辺りは、墨を流したかのように一面の黒。
悠宇と日和の二人は職員室の外、中庭に面した窓の下に座り込んでいた。季節は移りつつあるとはいえ、夜はまだ寒い。
はぁ、と白い息を吐きながら日和は手をすり合わせている。彼女に抱えらえたチェロがかすかに音を立てた。
「寒いね悠宇くん。大丈夫?」
「俺なんかより、日和が風邪ひくなよ」
うん、と照れくさそうに笑う日和が可愛くて、悠宇はそっと彼女の頭を撫でる。
――はにかむような、この笑顔に弱いんだよなぁ、俺。
悠宇はそっと、内心で思う。
ちなみに、美童が連れてきた黒服たちは、校舎の中、職員室の扉の前で張りこんでいる。
音が聞こえ出したらインカムで連絡を取り合い、中へと侵入する手はずになっていた。
と、顔を見合わせる二人。
「……悠宇くん」
「ああ。ピアノの音だな」
空から降ってくるかのように聞えてくる音。ピアノの音であることは確かだ。
音楽室は職員室の真上、4階にある。
「何の曲だ……? 日和、分かるか?」
夜の澄んだ空気を潜り抜けてくるせいか、音は大分クリアだ。
すぐに息を潜めずとも、音が幾つもの旋律を形作っていくのが分かるようになった。まるで手に取ることが出来るかのように、はっきりと。
「……『月光』だわ」
「ウワサどおりってことか」
悠宇は一つ頷き、、スッと立ち上がる。
「じゃ、俺音楽室へ行ってくるわ」
「気をつけてね、悠宇くん」
――心配気な彼女をどうしても安心させたくて、悠宇はこんな時いつでも笑ってしまう。
「何言ってんだ。お前の方こそ、気をつけろよ。何かあったらインカムでもイヅナでもいいから、ちゃんと俺を呼べ。分かったか?」
「ありがと、悠宇くん」
ホッとしたように頬を染め一つ頷く日和を見ると、悠宇はいつだって『何が起こったって大丈夫』と思うのだ。
――こんな顔してくれる子が俺のことを待ってるんだから、絶対絶対、俺は無事で戻らなきゃいけないよな。
背中の羽は闇の中に溶けてしまいそうな漆黒だ。それを羽ばたかせ宙に舞い上がると、冷たい空気が悠宇の全身をなぜる。
ふと、風を切りながら悠宇は日和の言葉を思い出していた。
昼間、打ち合わせの時だ。
『自分を探してくれている誰かに届くようにって、そう……呼んでるんじゃないかしら』
確かに、大切な人、会いたい人に会えずにいるのは辛いだろうと思う。
――でも、俺なら。
俺なら離れているからといって、とても待っていられないから探しにいくだろう。
お前が何処にいても、どんな遠くでも、俺にとってはそこが世界の中心。……だから、必ず探し出す。
2階、3階、ゆっくりと校舎の外を上がっていく。まっくらな教室を覗き込むようにして中を見ても、今は何も見えない。やはり異常はこの上、4階音楽室のみのようだ。
いっそうの力を羽ばたきに込めて、悠宇は宙を飛ぶ。
そうして間もなく4階のベランダに降り立ち、中を覗き込んだ悠宇が最初に目にしたのは、窓際にあるグランドピアノと、それを弾く一つの人影だった。
――青い髪の、女の子……?
ガシャーン!
その時だった。
真下、職員室からガラスの割れる音がして、悠宇はハッと振り向く。
「日和、おいどうした日和!」
インカムに向け叫んでみるが、返事はない。
もう一度音楽室の方を振り向き、中をよく覗き込んだ。……と、奥の方にいた美童と目が合う。
悠宇と目が合うと、美童はニッと笑って一つ頷いてみせた。
「頼む!」
あとはもう、何も気にしなかった。ベランダの柵をひらり乗り越えると、悠宇は勢いよく落ちていく。
ヒュウッと風を切る高い音を耳元で聞きながら、地面すれすれまでこらえて、こらえて――そして地に激突する寸前で背中の翼をバッと開くと、体は宙で止まる。
その衝撃を反動にし、開いていた職員室の窓枠を軸にして悠宇は部屋に飛び込んだ。
「日和!」
まず最初に目に入ったのは、真っ青な顔をしている日和と、その彼女に迫ろうとしている少年。
周囲を見渡す余裕もなく、名を叫びながら悠宇は彼に体当たりをした。渾身の攻撃はしかし、確たる衝撃を感じない。
……当たったか? いや、手ごたえはなかった、避けられたか!
「お前、日和に何した!」
「悠宇くん!」
駆け寄ってくる日和の声に、悠宇は我に返る。
汗が全身からスッと引き、熱くなっていた脳がゆっくりと冷静に落ち着いていって……そこでようやく、悠宇は周囲を見渡す余裕が出来た。
――床に、黒服の男たちが倒れ伏していた。屈強であるはずの男たちが、いまやピクリとも動かない。
その横には、懐中電灯を持つ怪しげな男。
悠宇や日和よりもわずかに年かさだろうか。髪は金色に染められ、その服装は闇を忍ぶには全くふさわしくないと思われるほどの派手さだ。
そして。悠宇の攻撃が効いていないのか、すぐに立ち上がったのは、悠宇が体当たりをしたはずの少年。
とっさに日和を背に庇うと、彼は力なく笑った。
「お前……この前の事件の時にも会ったな」
「日和さんのピンチには、やはりあなたが来るのですね」
「やっぱりお前とは、一生仲良くなれそうにねぇな」
「覚えていてくれて光栄ですよ、羽角悠宇君」
早乙女美。――それが悠宇の記憶に焼きついている、彼の名前だった。
対峙しあう三人。沈黙を破ったのは、ドアを開け放つ音だった。
「日和ちゃん、無事?!」
「……お前っ!」
職員室に飛び込んで来たのはシュラインと啓太だ。彼らもまた、美の姿に目を見開いている。
「お前、お前この前の時にもいた……!」
「早乙女美……君ね。なぜこんなところにいるのかしら」
しらじらしい口調でシュラインが尋ねると、美は悠宇に伸ばそうとしていた腕を下ろし、シュラインたちの方へと向いた。
と、その表情が曇る。
「啓太、なぜここにいる」
「お、オレ?!」
「僕は『この件には近づくな』と忠告したはずだ」
「え、そ、そんなこと言ったって……オレは報道部だ!」
と、美はうつろな表情で悠宇たちに背を向け、入り口の方へと歩いていく。
逃げるのかよ! と悠宇は声をあげたが、全く意にも介していないようだ。
そして美は、啓太の前に立つ。
「邪魔をしないでほしい。僕はただ……ピアノの主に会いたいだけだ」
「ピアノ……? 音楽室の?」
シュラインの問いに、美は頷きもしなければ否定もしない。
ただ静かに、啓太たちの傍らを過ぎようとした。
「てめえ、今更怖気づいたか!」
その時、金切り声で叫んだのは、先ほど日和に迫ろうとした男。
「全て『事』が済んだら、音楽室のヤツと会わせてやるって言ってんだろうが! 今はこいつらを先にどうにかしろ!」
「ちょっとあんた。……音楽室のピアノ、あんたの仕業なの?!」
口走った言葉にシュラインがかみつくと、男はにやり、と笑った。
「ああそうさ。オレらが職員室で一仕事してる間に誰か来られちゃたまんねぇからなぁ、そっちに関心を集めようってワケさ。……どうだ、名案だろう?」
「じゃ、じゃああなたの仲間が、ベートーベンの『月光』を……?」
日和の問いに、男は突然弾けたように笑い出す。
「はぁ? 弁当だかべったらだか知らねぇけどよぉ、オレのダチが弾いてるのはそんなんじゃないぜ。
いいか、聞いて驚くな。……『猫ふんじゃった』だ!」
――沈黙。
「な、な、なんだよお前ら、その目は!」
「お前なぁ、ベートーベンも知らないくせに、音楽を語るんじゃねぇよ。俺だってそのぐらい知ってるぞ」
凄みの効いた悠宇の言葉に、男はたじろぐ。
「あんた、今聞こえてる曲のどこが『猫ふんじゃった』なのよ」
「な、なんだと? じゃあ、これを弾いているのは一体誰なんだ?」
男の発言に、さっと一同の顔色が変わる。
「誰、って……お前の仲間じゃないのか?」
「そんなわけない! だって、あいつはそれしか弾けないはずだ」
「じゃあ、本当に……?」
一同は顔を見合わせた。
インカムに問いかけてみても、音楽室へ向かったはずの美童からの返事は未だない。
「く、くそっ……! 何がなんだかわからねぇ! おいお前! さっさとこいつらをやっつけろ!!」
再び男が叫ぶ。が、その視線の先にいた美は、かすかに笑っただけだった。
「僕が? なぜ?」
「……なんだと?」
「先ほども言ったが、僕はピアノの主に会いたいだけだ。
今や、お前が彼女と関係がないと分かった以上、お前などに用はない」
そこで、ハッと顔を上げたのはシュライン。
「ちょっとあなた、今『彼女』って……」
が、その問いは凶悪な唸り声で遮られる。
「て、てめぇ……!」
男は懐中電灯を放り出すと、そのポケットからスタンガンを取り出した。
暗闇に光る一筋の電光。それに照らされ一瞬、狂気に浮かされた血走った眼が闇に浮かぶ。
「だったら俺がやってやる……やってやるぜぇぇぇぇ!」
「危ないっ!」
叫んだのは誰だったのか。
見境のなくなった男がその攻撃の的としたのは、一番近くにいた『外敵』啓太だった。
とっさのことに身を引くのが間に合わず、啓太は観念して身を固くする。
そして。
「……キサマ、なぜ邪魔をする……! オレの、オレの味方だったろうがぁああ!」
「……味方など、なった覚えはない。僕はただ……協力戦線を……」
「お、おいお前、大丈夫か?!」
啓太と男、その二人の間に入ったのは美だった。
啓太へとむけられたはずの攻撃をその身に受け、美は堪えきれずに膝をつく。
「ど、どこか痛いのか、お前……」
「僕に触るな! ……怪我をする……!」
近づこうとした啓太をそう一喝すると、美は膝をついたまま男を見上げた。
「な、なんだその目は、はははぁはあはぁ……そ、そういう目すんなら、お前もやっちゃうよぉ?」
最早常軌を逸しつつある男を見やりつつ、美は舌打ちする。
「お前のような雑魚に、これを使うなどもったいないと思っていたが……」
そう言って美がポケットから取り出したのは、小さな箱。
開いた気配もないうちにその隙間から噴き出す紫色の煙が、どんどんと濃くなりつつ男を包んでいった。
「な、なんだ、なんだこれは……! くるしィぃぃぃぃっ」
「啓太を……狙った事、地獄で苦しめ!」
煙に全身を包まれた男は、身をくねらせそして断末魔の悲鳴を残すと、ばたりと床に倒れた。
と同時に煙が霧消する。
窓から差し込むわずかな月明かりに照らされた男は、酷く矮小だった。
「こんな……こんなはずでは……」
立てないのか、うずくまったまま美はそう呟く。
「取り込み中悪いけど、お話伺えないかしら。あなたには聞きたいことがいろいろあるのよ」
シュラインが彼の前に立つと、美は力なく笑ったようだった。
「申し訳ないですが……僕はまだ……捕まるわけには……」
「そんな体で、逃げられると思ってるの?」
その腕を掴もうとしたシュラインは、途端に感じた衝撃に指を引っ込める。
「あなたも、この電力の餌食になりたくなかったら僕に触れない事です。どうやら帯電してるようですからね」
「ま、待ちなさい!」
「申し訳ないですが。僕にはこれがあるのですよ……」
と、美は再び箱を取り出す。
一同がはっと息を飲む頃には、紫色の煙が既に美の全身を包んでいた。
「シュラインさん、そいつを逃がすな!」
悠宇の叫びが空しく響く。
「また、またお会いしましょう皆さん。……啓太」
何かを言いかけたのだろうか、最後に啓太の名を呼び、彼を振り向く。
が、それ以上の言葉を一同が聞き取る間もなく、彼の姿は忽然と消えていた。
と。
『こちら美童。聞こえるか』
突然聞こえるようになったインカムが、離れたところにいる人物の声を伝えてきた。
「こちらシュラインよ。大丈夫なの?」
『心配ない。……ところで、日和君、いるか』
「は、はい。日和です」
突然名を呼ばれ、日和が慌てて返事をする。
『言伝てを預かった。……今から言う、いいか?』
「こ、言伝てですか?」
その言葉に顔を見合わせる悠宇と日和。が、そんな二人がもちろん彼には見えていないのだろうが、大した間も置かず美童は言葉を継ぐ。
『君の音は確かに届いた、ありがとう。……だそうだ』
■□■
――男は、学園の卒業生だったという。
狙いは、卒業式の後にある学年末テストの答案用紙だった。
かつて落第の危機にあった彼は、思い余って深夜の職員室に忍び込み、答案を一枚ずつ盗み出したらしい。盗まれた枚数が少なかったため、その時は気づかれずに済んだようだ。
そして、彼は蛍光灯の明かりはつけず、持参の懐中電灯で全て事を済ませていた。……この明かりこそが、『人魂』の正体だった。この明かりを勘違いしたものが、人魂として噂を広めたらしい。
ピアノは「めくらまし」として男の一人が考えたものだった。7不思議の一つでもある『ピアノの音』で、目撃者たちの関心を逸らす目的だったようだ。
以来、彼はクセになった。毎年この時期、学年末に、仲間らと職員室へと忍び込んでは答案を盗み、難を逃れていた。それは彼が卒業してからも続き、今では在校生へ売りつけることによって大した副収入になっていたらしい。
不祥事の発覚を恐れた学園側は、草間たちに沈黙を要請してきた。草間はそれを飲み、事件はうやむやのうちに済まされそうだった。
最も、『報道部』たる啓太が黙っていられまいと皆は思っていたが、それはまた別の話。
――そして。
警察に引き渡される事なく終わった犯人の男らだったが、事件以来その姿を見かけたものはいない。
黒づくめの服にサングラスの男たちが、彼らをいずこかへと連れ去っていった、という目撃情報があったようだが、いかんせん心当たりがあるはずもないのだ、たぶん――
「春が近いな、日和。花が咲いたらさ、花見にでも行こうぜ」
「悠宇くんってば、やっぱりお弁当が目当てなんでしょう?」
バレてるか、と頭をかく悠宇に、日和はくすくすと笑う。
数日後。
二人は再び肩を並べ、この前と同じ桜並木を歩いていた。
花を見るにはまだまだ早いけれど、先日よりも確かにそのつぼみのほころびは緩くなっている。
「あのさ、日和」
「ん?」
「この前、言いかけた言葉だけどさ。……その」
「悠宇くんがどうして、他の人にはない翼をもっているのか、っていうお話?」
「覚えててくれたのか。……そっか」
心の内に答えを出すのは、自分以外に他ならない。だけれど誰かが分かってくれている、悩みを共有してくれている、それだけでこんなにも想いが軽くなるのか、と悠宇はハッとする。
「俺の翼は、お前んトコに飛んでったり、お前を守ったりする為に与えられたんだと思うんだ。
……誰よりも大切なお前に出会ってから、特にそう思う」
「私の、ため?」
「ああ。……押し付けがましくてごめんな。でも、そう思ってると……俺、なんだか普段よりずっとずっと強くなれるような気がしてさ。だから」
見上げた空は青く、渡る風は穏やかだ。
日和たちと同じ年頃の生徒たちが、その陽気に浮かされるように騒ぎつつ二人を追い越していく。
「俺の力や存在が、お前のためにある、と思うのは……もしかして、弱さなんだろうか」
悠宇はぽつり呟く。
と、そんな彼を励ますように、日和が両の手で彼の手を包み込んだ。
「弱さなんかじゃない。強さだよ、悠宇くん」
「……日和」
「ありがとう、悠宇くん。いつでも私の傍にいてくれて」
何を言ってもその言葉以上のものが返せない気がして、悠宇は無言のまま、ただつないだ手にぎゅっと力を込めた。だが何かが伝わったのか、日和は悠宇の目を見てふわりと笑う。
「ね?」
「そうだな」
「……悠宇くん、ちょっと、痛いかも」
「あ、ご、ごめんな」
「ね、ねぇ。もう、手を離してくれる?」
「それは……えーと、せっかくだからもうちょっとつないでようぜ、な?」
再び歩き出した二人をからかうかのように、つむじ風が並木を駆け抜け、やがて宙へと消えていった。
――移ろい行く季節の横で、ずっと変わらないものが、ある。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【3524 / 初瀬日和 / はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【3525 / 羽角悠宇 / はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0635 / 修善寺美童 / しゅぜんじ・びどう / 男 / 16歳 / 魂収集家のデーモン使い(高校生)】
(受注順)
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ライター通信
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こんにちは、つなみりょうです。この度はご発注いただき、誠にありがとうございました。
ご期待に沿えるものでしたら幸いです。
さて、今回は「空箱」の第2話と銘打たせていただいてます。若干前回から続いてるところもあるかな? といった作りになってますが、さていかがでしょうか。
あと、なんというか……長文です。頑張って読んでください(笑)このシリーズはどうも長くなる傾向にあって困りますね。
悠宇さん、こんにちは! いつもありがとうございます。
さて、いかがでしたでしょうか? 日和さんと別れてしまい、大変だなあとは思ったのですが……結局のところ、やっぱり日和さんの元に駆けつけてもらいました(笑)やっぱり、こんなところが一番悠宇さんらしいかな、と。
今回は前回とは正反対に、終始ほのぼのムードでいかせていただきましたがいかがでしたでしょうか? 日和さんよりもずっとずっとストレートに気持ちを書かせていただいてます。その辺の差も、日和さんの方と比べていただければうれしいかな、と。
ご意見・ご感想などありましたらぜひお聞かせ下さい。
また、次回はWEBゲームの方で窓を開けてみようかと思っています。啓太や、今回残念ながらお話していただけなかった『彼女』などの、相変わらずの面々が出てくる話になるかと思いますので、よろしければその時もぜひお付き合いくださいませ。
その際はダイカンゲイさせていただきます!
それでは。
近づく春にかつての思い出を重ね合わせている今日この頃な、つなみりょうでした。
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