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■愛すべき殺人者の右手<5>■

哉色戯琴
【4563】【ゼハール・―】【堕天使】
「き、嬉璃は――嬉璃は、どうすればッ、どうすればいいのぢゃ? 恵美に何ぞあったらば、嬉璃はあれの母や祖母に何と申し開きすれば良いか判らぬ、頼む、頼む――」

 三下の背中でゼェゼェと苦しげな呼吸を繰り返しながら、嬉璃がそう訴える。座敷わらしという性質上、彼女は自分が憑いているあやかし荘から離れれば著しく妖気を消耗するのだ。それでも、こうやって――碇は口唇を噛み締め、携帯電話に向かった。

「雫ちゃん? ネット喫茶よね、ごめんなさい、でも急な用事なの。最近多発している猟奇殺人、知っているわよね。あの犯人の情報を教えてあげるから、あなたにも手伝って欲しいの。恵美ちゃんが攫われたのよ」

 そして碇は、周りを見渡す。三下と、その背の嬉璃と、草間と――そして。

「被害者の共通項はね、ボーイッシュな女の子なのよ。ゲインのことを調べてみたんだけれど、あの男は男性性を心から憎んでいるが故に女性化思考に至った。だけど同時に本物の女性に対して嫉妬心を持っている。そして、女であるのにボーイッシュだと言う事が、冒涜のようにも思える――歪な感情」

 静寂の中、嬉璃の苦しげな呼吸音だけが響く。

「時間が無いわ。被害者は少なくとも一日、拘禁されたままに生かされるはず。探しましょう、恵美ちゃんを」
□■□■ 愛すべき殺人鬼の右手<5> ■□■□



「き、嬉璃は――嬉璃は、どうすればッ、どうすればいいのぢゃ? 恵美に何ぞあったらば、嬉璃はあれの母や祖母に何と申し開きすれば良いか判らぬ、頼む、頼む――」

 三下の背中でゼェゼェと苦しげな呼吸を繰り返しながら、嬉璃がそう訴える。座敷わらしという性質上、彼女は自分が憑いているあやかし荘から離れれば著しく妖気を消耗するのだ。それでも、こうやって――碇は口唇を噛み締め、携帯電話に向かった。

「雫ちゃん? ネット喫茶よね、ごめんなさい、でも急な用事なの。最近多発している猟奇殺人、知っているわよね。あの犯人の情報を教えてあげるから、あなたにも手伝って欲しいの。恵美ソゃんが攫われたのよ」

 そして碇は、周りを見渡す。三下と、その背の嬉璃と、草間と――そして。

「被害者の共通項はね、ボーイッシュな女の子なのよ。ゲインのことを調べてみたんだけれど、あの男は男性性を心から憎んでいるが故に女性化思考に至った。だけど同時に本物の女性に対して嫉妬心を持っている。そして、女であるのにボーイッシュだと言う事が、冒涜のようにも思える――歪な感情」

 静寂の中、嬉璃の苦しげな呼吸音だけが響く。

「時間が無いわ。被害者は少なくとも一日、拘禁されたままに生かされるはず。探しましょう、恵美ちゃんを」

■七枷/綾和泉■

「ともかく、嬉璃さんはあやかし荘に戻っていた方が良いでしょうね」

 ぐったりと弱り三下の背中で苦しげな息を吐いている嬉璃の背を撫で、綾和泉汐耶はゆっくりと声を掛けた。子供の眼差しが不安げに見上げてくるのを勇気付けるように微笑むが、それも少し苦さが混じる。心配を掛けたくはない、結果がどうなろうとも、今の最善を尽くさなければなるまい。ゆっくりと嬉璃の背を撫でれば、荒い呼吸の合間に彼女は声を漏らす。

「恵美、を……恵美を探して、くれ……はよう、はようにッ」
「判っています。でも、今私の目の前で弱っているのは嬉璃さんですよ。私達が恵美さんを探さなければならないのと同じように、嬉璃さんにもやらなければならないことがあります」
「わしの、やらねば、……?」
「嬉璃さんは、あやかし荘に戻って。帰って来た恵美さんに、『おかえり』の言葉を言わなくてはならないのですから」

 ひゅぅっと細い息が漏れる。この状態では詳しい話を聞きだすことも酷だろう。ともかく少しでも妖力の消費が少なくなる場所、彼女の依代であるあやかし荘に運んでしまわなければ。三下にそれを促そうと顔を上げたところで、不意に声を掛けられる。視線を向ければ、七枷誠が嬉璃に手を伸ばしていた。

「――宿るべきは家屋でなく人の中、家人の背にありながらの衰弱は奇なること。漏れ出る妖気の矛盾の矯正を、ここに『命じる』」
「……ひゅ、?」
「っと、少しは楽になったか? 弱っているところ悪いが、もう少し我慢してくれ――嬉璃、だったか。因幡の家と契約があるのなら、どうにかその気配を追うことは出来ないか? 大まかな方角でも良い、何かの手掛かりになるのなら、それを利用しなくてはならない。一刻を争う、からな」

 誠は蒼さが少し引いた彼女の頬に指を伸ばし、撫でる。生物に言霊の力を使用するのは精神力の消費が激しいのであまり気が進むものではないが、そうも言っていられないのが現状だった。背に腹は変えられない、出し惜しみをしていられる状態ではない。
 ぐ、っと腕を上げて、嬉璃は自身の髪を掴み、引いた。ぶちぶちと微かな音がして、抜けた数本がその指に絡まる。小さな童の手を伸ばして、嬉璃は汐耶と誠を見詰める。

「わし、の髪……じゃ。恵美、因幡のものが近くにおれば光ってそれを知らせる。これを使って、どうにか、頼む……ぅ、ッ」
「判りました、嬉璃さん。安心してください、ちゃんと恵美さんは私達が見付けます。無事にあやかし荘に送り届けますから、待っていて下さい」
「た、のむ……たの、むっ」
「判りました、から」

 汐耶は嬉璃の手を一度握り、それから三下を見る。おろおろとしていた彼はその視線に、はい、と頷いて編集部を出て行った。早く彼女をあやかし荘に戻さなければ、恵美よりも危険な状態になるだろう――汐耶は誠と一瞬だけ目配せをし、机の上に資料を掻き集める碇に視線を向ける。彼女はすぐにそれに気付き、手を止めた。質問を待つポーズに、汐耶は小さく息を溜める。

「詳しいところを聞いてもよろしいでしょうか。恵美さんはいつ頃から、いなくなって?」
「三下君が聞いた所によると、午後六時過ぎ。買い出しから帰ると連絡があったのがその時間だったそうよ。電話を取ったのは柚葉ちゃんで、いつもならそれから十分かそこらで戻る所だったのだけれど――」
「戻ってこなかった」
「ええ、異変に気付いたのが六時半。表に出て待っていたのだけれどどうにも気配が無くて、辺りを見に行ったら、道の真ん中に買い物袋とバッグが落ちていた」
「……ほぼ確実、ですね」
「ええ」

 腕時計を見れば、針は午後八時を指していた。今日はここまでにしようと解散したのが六時、そして、襲われたのはそれからすぐ。恐らくは逃げたその脚で恵美を攫ったのだろう、無くした新しい皮の代わりにか、それとも本能に似た衝動のためにか。汐耶は軽く口唇を噛み、僅かな痛みで平常心を保つ。仕留められなかったことを悔やんでも仕方が無いし、時間の無駄でしかない。
 碇は手近な机の上に地図を広げる。赤いペンの三角形と、その中に点在するいくつかの目印。今までの犠牲者が攫われた場所、見付かった場所。不幸にもその結界の中には、あやかし荘が入っている。ペンのキャップを開けた碇は、その近くにマークを付けた。

「恵美ちゃんが最後に連絡をして来たスーパーが、ここ。あやかし荘がここで、この道の途中で…彼女が消えている。相手は乗り物なんて使っていないだろうから、このぐらいの範囲で探せば、まだ見付かると思うわ」
「人海戦術で行くのが、有効でしょうね……とにかく急がなくては。相手が探しているタイプに近いのは私ですし、一度襲われていますから、囮になりましょう」
「いつもなら人倫云々ぐらい言っておくのだけれど、この状況じゃあね。お願いするわ、綾和泉さん」
「なら、その前に一寸時間を貰うぞ」

 手首を擦っていた誠がすいっと身を乗り出し、シャツのポケットからメモ用紙を取り出す。ペンで何かを書き付ける仕種は、言霊の発動だった。破り取られた白い紙を折り畳み、彼はそれを口元に寄せる。

「――矛盾に不順と歴順を重ね帰順に至る、逆説に囚われる脚に加速を齎せ。不純と波旬に制約と制縛と束縛を――矛盾が語る言葉の破綻を、『命じる』」
「……誠さん?」
「取り敢えず、これを身に付けておいてくれ。逃げられることが無いように言霊を打っておいたから二の舞にはならないだろうと思う。だが、くれぐれも一人では相対しないでくれ……本当に、危ないらしいからな」
「それは、重々承知の上です」

 差し出されたのは五角形に折り畳まれた小さな紙だった。汐耶は本にそれを挟み、草間を見る。こくりと頷かれ、促され、脚を進める――動くことが、今は何よりも先決だった。

「図形、結界ですからね。力が集まるのは中心部でしょうから、あやかし荘からそちら側に向かって道を辿りたいと思います。草間さんには何か案がありますか?」
「いや、同じだ。急ぐぞ……女子高生のピンチだ」
「ふざけている場合じゃ有りませんよ」

 まったくだ、呟いて二人は白王社を出た。

■セレスティ/神山■

「それでは、集まっている情報をもう一度確認させて頂いてもよろしいですか?」

 護衛の数人に汐耶達と一緒に行動することを命じてから、セレスティ・カーニンガムは碇を見た。集めた資料をファイルに詰め込みながら、ええ、と碇はらしくない生返事を零す。そうとう焦っているらしいが、今は落ち着いて情報の整理をするのが勤めだろう。車椅子を進め、彼は応接セットのテーブルの上に広げられた紙資料を眺める。

 神山隼人は窓辺に寄り、細くガラスを開いていた。嬉璃から受け取った髪の数本をそこからふわりと撒けば、それは重力やビル風には従わず、バラバラの方角に飛んで行く。不可視の使い魔に持たせ、絞られた範囲を探索させるが――いかんせん、情報不足は否めない。もう少し範囲を絞らなければならないだろう。ふぅっと碇が息を吐いた気配に、彼もまた応接セットに向かった。

「まず、被害者の特徴ね。ボーイッシュな女の子なのだけれど……そうね、大きな共通項としては髪の長さ。服装はやっぱりパンツルックね、綾和泉さんもそうでしょう? 恵美ちゃんは休日で、やっぱりジーンズ姿だったみたい」
「時間帯的には、やはり夕方頃で?」
「そうね。夕方から日付変更頃まで……零時以降は出現しないみたい。あくまで統計だから、例がないわけじゃないのだけれど」
「今現在行方の判っていない女性はいますか? 現に今日は二人が襲われているのですし、攫われている方のいる可能性もあるはずですね。殺害が一日後、なら、今日危ないのは昨日攫われた……?」

 碇は沈痛な表情で、一つ頷いてみせる。
 連続殺人事件が始まってから、犠牲者はほぼ毎日どこかで出ていた。今日二人が危険に晒されて、昨日そんな女性が居ないはずもない。指し示されたのは二枚の写真、どちらも、髪の短い女性だった。細い溜息を吐いて碇は指を組む、爪が白い手に食い込んでいた。常人の彼女には歯がゆいのだろう、確かに行動しているのは楽なのかもしれない。彼女は見かけに寄らずアクティブに動きたがる方なのだし。隼人はそんな事を考えながら、地図を眺める。
 描かれた三角形と、その中でのみ起こる殺人事件。誘拐も死体遺棄も全てその範囲で行われている。ならば監禁と殺人も、同じ範囲だろう――だが、どこで。それが問題だ。法則性は見られないし、場所も範囲内と言うだけでバラバラに見える。どこが中心なのか、判らない。

 セレスティは車椅子の脇に下げてある書類ケースから、一枚の地図を取り出す。結社の人間が所有していた不動産を記したものだった。二枚の地図に触れながらその情報を重ね合わせるが、やはり噛み合う箇所は見付からない――物件の近くに、死体は出ていない。
 だが、限られた範囲に密集している物件と死体とが一切重ならないというのは、逆に不審でもあった。それが意図的なものなのだとすれば、場所を転々としている可能性も出てくる。果たしてそれだけの理性を持っている相手なのかは謎だが、これまで捕まっていないと言う事は、それなりの知識があるか――助言者の存在を疑って然るべきだろう。
 例えば、ゼハールのような。

 バタン、と乱暴にドアが開けられた。

「ッとー、お待たせなんだよね!」
「おや、雫さん」
「待ってたわよ雫ちゃん。ネットはどのパソコンからでも繋がっているから、事情の説明が終わったらすぐに――」
「あ、詳しい事はこのおじさんにもう教えてもらったし、ポケコンである程度の範囲は絞ってあるよ! あとは連絡待ち状態っ!」
「このおじさん、って」

 小柄な雫の二倍はあるだろう体躯。
 彼女の後ろには、鬼鮫がいた。
 隼人の口元が引き攣り、碇とセレスティは少しだけ驚いた表情を見せる。
 なんてったって、おじさん扱い。

「恵美ちゃんのピンチなんだからね、時間の無駄はしてらんないでしょっ。とにかくアクティブ、情報戦は体力勝負なんだからっ!」
「それはそれは、私には少しきつそうですね」
「うーっ、弱音は早すぎるんだからね! 人海戦術で行くならセレスティさんは不可欠なんだから……今までの現場は回ったんだっけ? だったらその、怪しい教団の施設? 所有物件? そーゆー場所を洗わなきゃだよ」
「雫さん、元気ですねぇ……」
「おふこーす! こんな楽しそうなの久し振り、緊迫感ばりばりだけど」

 ぐっ。
 立てられた親指の力強さに隼人とセレスティは苦笑し、碇は巨大な溜息を吐く。

「では私は、手の者に連絡しておきましょう……何かの記録が残されているようならば、向かいます。現在の居場所が特定されるようならばご連絡下さい」
「りょーかいっ! 神山さんはどーするの?」
「そうですねぇ」

 隼人は苦笑を一層に深くして、壁を、隣の部屋を見詰めた。

「メイドさんとお茶でもしましょうか」

■鴉女/ゼハール■

 編集部の隣室は、編集者達の仮眠室になっている。ソファーとベッドがいくつか押し込められているそこに、鴉女麒麟とゼハールは、居た。
 二人はにこにこと笑っているが、何かの楽しみを共有している様子ではない。自分の楽しみのベクトルに向かって、ただ笑みを浮かべている。ソファーに腰掛けるゼハールを見下ろしながら、麒麟はくるくると自分の髪をいじっていた。

「まったくまったく本当に本当に楽しいったらありゃしないね、ようやくと言う奴だ、ついにとうとう見えたと言うわけだ。かよわい少女が人質に取られているなんてまるでヒロイックファンタジーみたいじゃないか」
「そうですわね……ですが鴉女様。そんな状態で、こんなところで時間を潰していてなど良いものなのですか? 私も嬉璃さまのお世話にとあやかし荘に向かいたいのですが」
「ああ大丈夫だよ、それほど時間と手間は取らせない、キミが僕の質問に対して誠実と実直と正直を以って、そして一切の省略を含まずに答えてさえくれればね」

 省略、の時点で、ゼハールの眉が僅かに動く。麒麟はそれを見て尚更に笑みを深くする。
 如何なる質問にも真実で答える、それが魔にある者としてのゼハールの制約である。長い時の中でその不便との折り合いを付けるために、真実を小出しにする、所謂省略を行うのが彼の手法だった。嘘ではない、真実ではないというわけでもない。狭間を行く論法で持って或いは隠し或いは欺いて目的を運んでいたが、目の前の少女はそれを許さないという。質問によっては窮地が待っているかもしれない、が、それは――その時に考えるべきことだ。
 笑みを浮かべ続けながら、ゼハールは小首を傾げる。強かな仕種に、麒麟はくくくっと喉から笑いを漏らした。

「まあ判りきってる事は今更確認しないのだけれど、取り敢えず。キミの魔王はキミに一体どんな楽しい命令を下しているのかな?」
「ゲインの行動の監視とその報告。我が君様の暇潰し。二冊目のスクラップブックのために、退屈凌ぎのために」
「ふむ。じゃあキミはあの殺人鬼の居場所を知っていて、今も監視を続けているわけだ。この時間も何をしているのか誰を殺しているのか何処を歩いているのか誰を狙っているか、全てを監視している」
「ええ」
「それじゃあ話は早い」

 ここで居場所を教えるわけには、行かない。ゼハールは僅かにその身体を緊張させる。彼の王の大切な暇潰しを、簡単に失ってしまうわけには行かないのだ。そしてゲインの命令にも、背くわけには行かない。召喚者の願いを聞くことが彼の使命なのだから。

 麒麟はそんなゼハールの様子を見て、くすくすと笑みを漏らした。適度な緊張感と緊迫感は神経を逆撫でする、その心地、刺激はすこぶる気持ちが良い。ここでもう一度殺し合いに持ち込むのも一興だが、物事には優先順位というものがあって、人生には人間関係というものがある。そのどちらもがここで彼と戦闘することを阻んでいるのだから、まったく勿体無い状況だった。
 編集部を壊せば楽しそうな依頼も聞けなくなるし、ここで戦闘を行えばそんな場合じゃないと突っ込みを入れられる。社会的信用にも関わるのだ、長い人生明日のためにもたまには我慢しておくべきだろう。不本意ながら。

「ねえゼハール」
「なんでしょう鴉女様」
「彼に伝言を頼むよ」
「はい?」

 予想外の言葉に上ずったその声に、麒麟は変わらぬ笑みを湛えたままで笑い掛ける。それからドアに向かい、脚を進めた。

「僕は何もかもを冒涜してやろう、その人格も性格も性質も性癖も神とやらも否定して踏みにじろう。お前が信望し信用するものなど何一つ認めない許さない。僕はお前と『敵対』してやろう。だから僕を狙って見せろ殺して見せろ、壊して見せろ引き裂いて見せろ」
「――――鴉女様」
「ん?」
「我が君様は仰っておられましたわ。『悪魔と闘う者は、また自らも悪魔となる』――貴方は悪魔となられますか?」
「冗談は止めてくれ。僕は人間だよ、何処までも人間だ。享楽と快楽とを極限まで求めるものが人以外であるはずも無いじゃないか。鬼にも魔にも霊にも人外にもならない、僕は人間だよ。そして、『奴』もね」

 ぱたん、とドアが閉じる。
 麒麟はその脚で隣の編集部に向かい、豪快にドアを開け、にっこりと一同に笑い掛けた。
 どこか邪悪で悪魔的な、笑みを。

「さあて各々方、可愛いお姫様がどこかで勇者を呼んでいる。行かない手は無いだろう、正義とか偽善とか独善とか、奇麗事から慰霊言までぬかして助けに逝こうじゃないか!」

 ゼハールは溜息を吐く。

「……なんとも、判らなくて、面白い方ですこと……ふふふっ」

 言って彼は自身の胸に腕を突き入れる。エプロンドレスの生地を歪ませることなく、それは彼の内部にずぶずぶと入っていった。何処か別の空間に入り込んでいるようで、確実にゼハールの内側に突き刺さる腕――ぐ、と何かを掴む仕種の刹那後に、ずるりとそれは引き抜かれる。
 彼の手は、白い鴉の脚を掴んでいた。
 羽を震わせ、びくびくと二、三度痙攣してから、それは彼の手を離れる。窓ガラスも壁も突き抜けて、使い魔は飛んで行く。
 伝言と視覚を乗せたそれを見送って、ゼハールは立ち上がる。そして、恐らくまだタクシーを捉まえられないでおろおろしているだろう三下の元へ向かって、軽やかにその脚を進めた。

■七枷/セレスティ■

「未完成でありながらも能力は完成している、のは、中々に都合が悪くて気持ちの悪い矛盾だな」

 セレスティの車の中、誠は呟きながら軽く手首を擦っていた。そこには螺旋状の文様が浮かんでいる。視覚には訴えないながらも、妙な気配を発しているそれを感じながら、セレスティは黙って彼の言葉を聞いていた。誰に話し掛けるでもなく、ただ独り言として声を漏らしているのだろうことを判っているから、相槌も打たずにいる。

「呪具としては未完成で、出来損ない。『栄光の手』にはなりきれていないが、それでも今は『殺人鬼の手』として働いている。歪んで変質して新たな魔具になり、それでもまだ制御を失する不完全でありながら、災厄と最悪を齎す役目は果たせている――まさしく、『矛盾』だ」

 皺だらけの乾いた手に皮を幾重にも被せ、女のような男としてナイフを振るい、人の皮を剥ぐ醜悪。死人でありながら死人を作り出し死を作り死を遊ぶ劣悪。狂人の論理で奇人の倫理で今も人を殺しているかもしれない、害悪。
 セレスティは小さなビニール袋に入れた嬉璃の髪を、そっと撫でる。反応は見られない。恵美は近くに居ない、だが幸い死んでもいない。命の危険があるのか無いのか、今まさに凶刃に晒されているのではないのか。不安が募るもののどうにも出来ない歯がゆさは、強い。碇の心地と少し似ているのかもしれない、思いながら吐いた息は重かった。

 結社が所有する物件の徹底的な調査を手の者とIO2とに任せて一時間、連絡はすぐに入った。五件の全てからルミノール試薬の反応が出たこと、非常に細かいものではあるが肉片や骨片が発見されたこと。DNA鑑定をしている暇は無いが、それが人間のものであるのならば、それぞれの物件が殺人現場として使用されたのは確実だろう。
 ただし、それだけだ。監禁されている女性が見付かったわけでも、手やゲインが見付かったわけでもない。結社の物件ではない他の場所に彼の根城があるのだとすれば、そちらを早急に探さなくてはならない。ともかく足取りを追うためには、血痕や遺留品から何か情報を読み取らなくてはならないだろう。
 死体に触れるのは正直な所あまり気持ちの良いものではないが、この状況では仕方あるまい。夜の街を静かに走る車の中で、彼はぼんやりと通り過ぎるネオンを眺めていた。

「世界を歪ませるというのは、気持ちが悪いことだ。例外なくそれは摂理に反する害悪。絶対の盾と絶対の矛は同時に存在しえない――だが、それはあくまで論理の上。二つが相対することがなければ、接触で競い合うことが無ければ、『在る』という最低限の事は出来る」
「……矛盾を繰る言霊師の君と、矛盾した呪具である彼は同時に存在出来る。だが、それは接触しない限り有効なだけ――と言うわけですか」
「そう、だな。接触すれば喰らい合う共食いの道しか残されない。途轍もなく曖昧で触れたとも言えないような茫洋だったなら、まだこれほど気持悪いものではなかったんだろうが」

 言いながら、誠は手首に触れる。不可視の状態ではあるが、そこに穿たれた音の刻印は、確かに存在が感じられた。
 曖昧で、触れているのか触れていないのか判らないほどに朧ならば、存在も共存もできる――かも、知れない。それでも触れなければならない事態なのだ。触れなければ矛盾は折り重なるだろう、石か意思か遺志のように積みあがったそれは、やがて現実の『何か』を突破する。薄い皮膜に覆われた世界に亀裂を生むのは、避けなければならない。だからこそ同じ矛盾として相対し、粉砕を。
 やられる前にやれ、食われる前に食え。

 車が止まり、ドアが開く。ステッキを下ろしてからセレスティはゆったりと事件に脚を下ろした。誠もそれに続く。佇むビルは、暗い。

「矛盾、とは言いますが」
「ん?」
「どこにでも溢れているものなのだと思いますよ。だからこそ干渉は容易い。捻じ曲げることも何もかも、しようと思えば、本当は誰にでも出来るのではないのでしょうかね。時間の流れの副産物。流れは柔らかく、何処へでも、道を作ります。だからこそ――」

 ふわりと、セレスティの指先から水が生まれる。否、それは水のように見えるが、そうではない。可視化された『何か』――それはアスファルトで覆われた地面に落ち、消える。世界に吸い込まれるように。
 歓迎しない未来や運命があるのならば、それを回避する。落とした水は因果の流れに干渉するだろう。人の死すらも、捻じ曲げる方向に。
 にこりと、彼は笑う。

「気負うことなど本当は無いのですよ。さて、早くゲインの所在を掴まなくてはなりませんね……お嬢様方の危険を放っておくのはいけません」
「……麒麟に関しちゃ問題ないとは思うが、そうだな。恵美や他の人達の事を考えるとゆっくりもしていられない。肉片や骨片に言霊を吹き込めば、次の探索は無効にならないだろうし」
「では、参りましょうか」

■綾和泉/鴉女■

「ッは、ははははははッ!!」

 薙がれたナイフを腕で浮けながら麒麟は哄笑していた。その腕には幾重にも傷が走り、血が流れている――普段ならば直ぐに塞がってしまうそれが、今は穿たれたままになっていた。新しいナイフには何かの細工がしてあるのだろうか、治癒の状態が著しく鈍い。だがそれすらも、彼女にとってはただ楽しいだけの刺激でしかなかった。
 目の前には金色の髪を振り乱す小柄な殺人鬼。鬼の名を冠しながらも人から脱することの出来ない、出来損ないの害悪。ただ振り翳すばかりのナイフはそれでも的確に急所を狙っているが、彼女には『急所』という概念自体が通用しない。心臓でも肝臓でも脾臓でも腎臓でも膵臓でも肺臓でも、どこも、『致命傷』になどなりはしない。

「麒麟さん!」
「くくくあはははは、手を出しちゃいけないよ汐耶ちゃん! 人の楽しみを邪魔するのはとてもとても悪いことなのだからね!」
「楽しみ、って――楽しくないですよ私は!」

 ひと気のない道を選んで、付けられた護衛や草間達を撒かないよう慎重に歩みを進めていた汐耶の前に、『彼』は再び姿を現した。既に消灯された暗いビルの真上から降り立ち、両手にナイフを持って、地面に這い蹲るようにしていた『彼』。赤い眼は魔性の如く光を発し、そして、獣のような荒い呼吸を重ねながら、一気に細い脚のバネで飛び掛って。
 だがそれは本を構える汐耶の脇を通り過ぎる。視線を後ろに向ければ、道の真ん中に佇んでいたのは麒麟だった。真っ直ぐに、一直線に『彼』は彼女に向かい――二本の刃は、麒麟の細い腕を散切りにしている。

 麒麟は髪も長く、服装も黒のワンピースだった。碇の言っていた被害者の条件とはまったく合致する所のない、むしろきわめて女性らしい服装をしている。条件を満たしている汐耶ではなく彼女に向かう、その理由は判らないが、今は考えている場合でもない。汐耶は本に挟んでいた蓮のカードを取り出す。封印の気配はまだ追える、同じ方法では一時的でしかないだろうが、封じることは可能だろう――意識を集中させた所で、背を向けていた『彼』の首が、ぐるりと回った。
 百八十度。伸びた皮が皺を寄せている。真後ろに向けられた首と、伸びた口元の皮膚。晒された赤い眼に、一瞬怖気が走る。

「か、ァ――――ッ!!」
「くッ!!」

 一足飛びの跳躍に距離を詰められ、汐耶は本で結界を張った。見えない壁に阻まれるようにその身体は空中に停止するが、指は僅かに彼女に向かって進んでいる。突破されかかっている気配に、本に込める力を一瞬だけ上げた。弾き飛ばされた華奢な体躯は舗装された地面を擦りながら転がる、そしてその身体を麒麟が脚で踏み付けにした。
 力が上がっているわけではない、だが、変質が見える。最初の遭遇から経った時間は三時間と言った所だが、気配が違った。静かな狂気でナイフを振り上げていた一度目と、激しい憎悪で向かって来るこの二度目は、明らかに異質。汐耶は誠に渡された言霊を思い出す。

 逃がさないようにの言霊。追い付けないと言う事は、その接触が致命的ではないと言う事なのだろう。追い付けると言う事は、確実な接触を持てると言うことなのだろう。殺し合いでも封印でも、可能だと――弊害染みている。
 それでも死ぬつもりなど無い、汐耶はカードを本に挟み、結界の力を分け与える。

「おやおや困るね、二股を掛けられるのは嫌いだよ。僕はこんなにも君に向かってぞっこんだって言うのに、そんなに汐耶ちゃんと遊びたいのかい? それは都合の良すぎる考えなんだよ、『僕の敵』」
「――――、――ッ!!」
「罪の無い少女を殺して皮を剥いで繰り返してきたんだろう? ほうら次は僕の番だ、僕は邪魔をしてやろう敵対してやろう、聞いたんだろう? お前の敵はこの僕だ」

 微かな笑みを含んだ声で、麒麟は『彼』の肩を蹴り飛ばした。普通の人間ならば鎖骨が折れるか肩が外れるかしているだろうが、重ねられた皮がそれを阻んでか大した衝撃を生み出せてはいないらしい。ただ転がり、その身体は近くのビルの壁に叩き付けられる。両手に握り締めたナイフが『彼』自身の皮膚を傷付けるが、何でもないように、傀儡の身体は立ち上がった。
 ぐるりと反転した眼、白目は充血してか出血してか真っ赤になっている。食い縛った歯を見せて紛い物の吐息で肩を上下させて、たるんだ皮を見せ付ける滑稽な裸の姿で、それは麒麟に向かっている。くくく、と彼女は喉を鳴らした――そう。好戦的に向かって来る相手だからこそ、楽しめる。

「さあ怒って憎みたまえ。人外なんかに逃げるなよ。死んでいようが病んでいようが人間は人間のまま、鬼より神より強くなれ」
「、しぁッ」
「麒麟さん危ない!!」

 麒麟が一歩踏み出すのと同時に、『彼』は飛び掛かった。詰められた距離と加速度、小柄な身体と言えども勢いが付けばそれなりの力は持つ。肩を掴まれ押し倒すような形で地面に背中を叩きつけられ、麒麟はほんの少し顔を顰めた。肺腑が圧迫されて呼吸が一瞬止まる、伸ばした手で腕を掴むが、ずるりと皮が内側で擦れて取り逃がす。そして次の瞬間、麒麟の心臓には二本のナイフが突き刺されていた。

「ッう」

 汐耶は一瞬引き攣った声を漏らす、だが『彼』はただ目の前の麒麟だけに集中していた。ぐりぐりと抉るように二本のナイフが動き、次は肺を裂くように水平に突き刺す。力任せに横に引かれれば、どろどろと水流が生まれる。巨大な傷では血にも勢いが無い。
 抜かれたナイフが麒麟の下腹部を突き刺し、ぐぐぐぐぐッと胸に向かって上げられていく。麒麟はゲホッと咳き込んだ。肺からの出血が気管を塞ぎ喀血する、単純に息苦しい。目の前では歯を見せて笑っている殺人鬼。痛みよりも不快感が走った。腕を伸ばし、たるんだ気配の無い場所、頭部を鷲掴みにする。

 上げられた顔と視線が合う。
 ニヤリと笑って、麒麟は温度を上げた。

「ッひィあぁあああぁぁぁあ!!」

 熱に体液が沸騰し、まず眼球が破裂した。髪は蛋白質のニオイを発しながらじりじりと縮れていく、首から上、頭部だけが発火していた。炎は麒麟の腕も包み、その皮膚組織を爛れさせている。けふっ、と力の無い咳で血を吐き出しながら、麒麟は眼を眇める。

「おい。その程度か?」
「あ、あがぁあぁ、おごぉッ」
「違うだろう――もっともっと邪魔してやらなきゃならないのか? 死体ばかり相手にして、生きた者との敵対の意味を忘れたんじゃないだろうな」
「ひぎぃい、ぉおおぉぉうぅッ」
「ただの痛みじゃ、つまらないんだよ」

 『彼』の身体が仰け反り、麒麟の腕を振り払ってごろごろと転げた。漂う臭気に汐耶はハッと我に返り、本を翳す。意識を集中させ、そこにある封印をイメージする――カードと、本が司る力とを合わせれば、この場で魂を捕らえることも可能だろうと。兎も角今はその行動を止めてしまわなければ。

 イメージするのは籠。ゆっくりと編み進めて檻。もっと進めて厘。そして、箱に。
 閉じ込めて休ませる。眠らせる。揺り籠のように。
 カードの、中へと。

「ッ!?」

 ばち、ッと音が鳴る。
 本に挟んだカードを見れば、その表面にあったはずの模様が消えていた。油を溶かしたような気味の悪い、気持ちの悪い文様。人の顔のようなフラクタル。そこにあるのはただの紙――弾かれた挙句に、無効化されている。古い封印を拒絶するように、なくなっていた。

「別物に、なっている――魂が変質して、封印のやり直しが効かなくなっている?」
「ん? どうしたの汐耶ちゃん? っと」

 血や内容物を垂らしたままで汐耶に声を掛けた麒麟は、不意に降り立ってくる白い鴉を見止める。それは『彼』の上に降り、火を収束させた。ぺこりと頭を下げてから、羽を広げ――消えて、行く。
 チッと舌打ちをして、彼女は飛び出した物を乱暴に腹部へと突っ込んだ。

「ああまったく、詰まらない詰まらないー……それで、汐耶ちゃん。見たところカードが白紙になっているみたいだけれど、どうしたのかな?」
「……私にもよくは判らないのですが、だから憶測なのですが――彼の魂は、どうやら変質しているようです。古い封印を受け付けないようにされているのか、それとも、この手法では太刀打ち出来ないうに『いじられている』か。そんな印象、でした」
「ふうん? まあ最初から封印程度で済ますつもりは無かったしね……ああ、しかし傷が治りにくいのは少し難儀だよ。歩くと腸がはみ出す」
「そ、そうですよ、麒麟さん大丈夫なのですか!? それに、草間さん達は――セレスティさんがガードを付けて下さっていたはずなのに、その方たちも、どこに」
「ああ、僕が撒いた」

 だって遊びたかったんだもん。
 だもん、じゃありませんよ。

「ともかくこの近くに奴はまだいるらしいのだから、ちょっと連絡は取っておこうか。汐耶ちゃんお願いするよ、僕は五分ぐらい動けないから」
「……判りました……」

■神山/ゼハール■

「それで結局、貴方の魔王の目的はなんなのです?」

 あやかし荘の管理人室、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら布団に横たわっている嬉璃の額に濡れタオルを置くゼハールを見下ろしながら、隼人は尋ねた。
 天井に足を付けて、彼はぶら下がっている。髪や上着が重力によって乱される気配も無い、三次元に対して存在の度合いが曖昧であるが故の状態である。ゼハールはそんな彼の逆さまの顔ににこりと笑い掛け、可愛らしく小首を傾げてみせる。

「鴉女様にも訊かれましたが、簡単なことですわ。ただ楽しみたいだけ……永久が暇なのは、神山様もご存知の事と存じますが。我が君様も退屈はお嫌いな方でございますし、知己の魂が現を彷徨っているこの状況を、もう少し観察していたいとの事ですわ」
「それが誰を殺すことになっても?」
「誰が死ぬことになっても」
「これ以上の人死には、感心しませんがね」
「それは困りました」

 苦笑を漏らすゼハールを一瞬だけ強く睨み、だが、隼人は溜息を吐くに留めた。
 魔物とは、悪魔とは、在る意味で最高峰に到達してしまっている。一切の価値観と一切の倫理と一切の道徳と、そういったしがらみから解放されているものなのだと、諦念にも似た理解があった。彼自身もそうであるがゆえに、古巣の住人を責める気にもならない。否、責めた所で無駄なのだと判りきっているのかもしれない――過去の自分に何を言った所で、全ては無駄だろう。自分が一番、よく知っている。
 ゼハールは落ち着いてきたらしい嬉璃の容態に、ぽんぽん、と軽く布団を叩いた。呼吸は大分安定しているが、意識はない。疲弊と心労とが、彼女を深い眠りに誘っていた――だから、多少の物騒な話題も、許される。トン、と畳の上に脚を下ろした隼人が、長い脚を折り曲げて座卓に向かった。

「なんだか親子のようですわね」
「止めてください本気で止めて下さいお願いしますから止めて下さい」

 千年を生きる悪魔、本気の頼みごと。

「冗談ですのに、冷たいこと……せめてお情けを掛けて下さいましな」
「科を作らないで下さいこっちに擦り寄って来ないで下さい、むしろそんなことをしている場合じゃ有りませんから」
「それもそうですわね、お世話をしなくてはなりません……それにしても、日本家屋にメイドは少々不似合いかも知れませんわね。割烹着があったらお借りしたい所なのですが」
「そういう問題でも有りませんから」

 こほん、と一つ咳払いをして隼人は調子を変える。くすくすと笑うゼハールは、正座したままに彼へと身体を向けた。しゃらん、と首元の鎖が音を立てる。それを合図にして、隼人の視線が鋭さを持った。

「恵美さんに何かがあれば、流石に貴方を野放しには出来ませんよ、ゼハール。他の方々も同じでしょう」
「あら。他の犠牲者の方々は良いのに、因幡様だけが特別なのでございますか?」
「ええそうですよ。誰だって自分が触れない世界の一点なんて気には留めないものです。恵美さんは私達の触れる世界の一端にありますからね――それが殺されたら、怒っておかなくてはならないでしょう」
「それは、とても困りました」

 良いながらもゼハールの顔には笑みが浮かんでいた。本当に困っているのかなど判らない、言葉はただ涼やかに流れる。たまに魘される嬉璃の声が流れるだけで、部屋は無音だった。そんな時間が暫く続き、そして、溜息。勿論その主は隼人だった。
 尋問も詰問も意味を成さない相手と話をしているのは、少し疲れる。何をどうすれば情報が引き出せるものか。自分の触れる世界の均衡が崩れるのは、それなりに心地良い現状を失うのは痛手だった。だから恵美は助けておきたい所なのだが、一番に近い手掛かりがこの状態ではどうにもならない。嬉璃が生きているのだから、生存は確実なのだろうが――。

「皮を剥ぎ取るまでは無駄な傷を付けられていないでしょうから、無事ではあると思いたいのですがね……『彼』の気が立っているようならば、あまり保障も無いのが実情です。だからゼハール、知っていることは全て言ってもらった方が助かるのですがね」
「とは仰いますが、私が何を知っているとお思いなのです神山様。本当は何も知らないのかもしれませんわ。堕天使虐待はお止め下さいませ」
「虐待で済ませるだけ良いと思ってもらいたいものですよ」

 ちくたく、壁に掛けられた時計が鳴る。時針は午後十時に差し掛かっていた。ゲインの活動時間も、残り二時間と言うところ――少なくとも、外での出没時間は。そこから過ぎたら次は解体の時間だろう、恵美の危険は、増す。
 秒針が一回りした所で、ゼハールは身体を嬉璃に向けた。

「因幡様は殺されませんわ」
「ほう?」
「我が君様のお達しですの。『因幡恵美が殺されるようなことになってはならない、その気配があるのならば草間達に彼の居場所を教えろ。その他は、泳がせ、遊ばせておけ』と」
「……ふむ」
「ですから、心配は要りませんわ。事実因幡様はご無事です」
「精神も無事なら、良いのですがね……彼女は人一倍に怖がりだと聞いていますから。っと」

 不意に彼の懐に入れてあった携帯電話が振動した。マナー設定のそれを取り出せば、メールの着信がディスプレイに浮かんでいる。送信者は、碇麗香――何か情報が掴めたのかとカーソルを動かして、隼人はクスリと笑いを漏らした。そしてそのまま、ゼハールを見遣る。

「行きますよゼハール、碇さんがお呼びです。ビッグゲストが来ているのだそうな」
「ゲスト、でございますか?」
「ええ、直ぐにゲインに追い付けるでしょうね――」
「……どちら様ですの?」


「高峰沙耶、ですよ」



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

2263 / 神山隼人         / 九九九歳 / 男性 / 便利屋
4563 / ゼハール         /  十五歳 / 男性 / 堕天使・殺人鬼・戦闘狂
3590 / 七枷誠          /  十七歳 / 男性 / 高校二年生・ワードマスター
1883 / セレスティ・カーニンガム / 七二五歳 / 男性 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
1449 / 綾和泉汐耶        / 二十三歳 / 女性 / 都立図書館司書
2667 / 鴉女麒麟         /  十七歳 / 女性 / 骨董商

<受付順>


■□■□■ 配布アイテム ■□■□■

これが勝利への鍵だ!
☆嬉璃の髪(全員)


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 毎度長くなっていることにもう開き直ってしまったほうが良いのかと諦めを憶えつつ、ライターの哉色です。今回もお付き合い頂きありがとうございました、早速納品させて頂きます。ラストの引きが前回と被っていることにほんのりと打ちひしがれております、技量不足…(へたり) 残す所も二話となりまして、次回は戦闘or始末がメインになりますが、相手も何か手段を講じてくる、かも…の状態です。正直どうなるのやら自分が楽しみなのですが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。それでは失礼致しますっ。