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■Calling 〜水華〜■

ともやいずみ
【3524】【初瀬・日和】【高校生】
 鈴の音が耳元でした。
 祭事に使う、そのおごそかな、神聖な音。
 振り向いて、そこに立っている人物を見遣る。
 その人物は、手に黒いモノを持っていた。あれは……武器? それとも……。
 よく見ればその人物の足元には水が溜まっている。
「?」
 怪訝そうにしたが、まだ耳元で音がした。
 刹那。
 そこには誰も居ない。
 水の跡。
 それは、もしや。
「ゆ、ゆうれい……?」
 恐る恐る呟き、逃げ出す。
Calling 〜水華〜



 はあ、と彼は息を吐き出す。
「――――逃がしたか」
 舌打ち混じりのセリフが、悔しげに洩らされた。



 初瀬日和は小さく空を見上げる。傘の上からは雨がしきりに降っているというのに。
「つめたっ」
 慌てて顔を引っ込め、日和は歩き出す。
 よりによってレッスンの日に雨にならなくてもいいのに……しかも突然降り出すし。
 嘆息しつつ足もとを見る。これでは足もともかなり濡れてしまうだろう。
 ぞく、と背筋に寒気が走って思わず足が止まる。
「……?」
 な、なんだ……ろう?
 恐る恐る振り向く日和だったが、雨のせいで数の少ない人々が慌てて行き交う様しか視界に入らない。
 なにも……視界には。
 おかしい、と頭のどこかで警報が鳴る。
 違和感があるのだ。
 胸の奥からこみ上げる感情に喉が痛む。吐き出せば楽になるのに、それもままならないような。
 日和は前を向くなり、走り出した。
 持っているチェロのケースが重く、余計に足取りが遅くなる。
「きゃっ」
 悲鳴が聞こえた。
 日和は走りながらちらりとそちらを見遣った。
「やだ……ストッキングが」
 文句を言う女性の足に、切り傷がある。直感した。
(あれは……普通の傷じゃありません……!)
 必死にケースを抱えて走る。傘が激しく揺れた。
 なんとか人の少ない場所に行かなくては。このままではもっともっと。
 被害が。
 息がきれる。
 心臓が辛い。
 胸がいたい。
「はあ、はあ……」
 脳裏に浮かんだのは自分の大切な少年の姿だ。だがここにはいない。助けになんて、来てくれるはずがない!
 絶望的だった。
 どうしてよりによって雨の日で。
 ぴっ、と日和の頬に痛みが走る。
「あ……」
 痛みというよりは、熱が走った感じだ。これは傷を負わされた証拠ではないか。
(だれか……)
 助けて欲しい。けれどもそれを口にはできない。
 周囲にいるのは普通の人だ。助けを求めてどうなるわけでもない。
「あぅっ」
 足がよろめく。チェロが重い。雨で寒い。
 いっそこのチェロさえなければもっと速く走れるのに。
「……ふ、……」
 息を小さく吐いて、日和は重くなっていく足を引きずるようにして走り出す。もはや速度もなく、歩いているのと大差ない感じだ。
 けれども止まれない。
 もっと人の少ないところへ――。
 よろめきつつ、前へ進む日和は、人のいない道路に出て安堵する。
 が、刹那足がもつれた。
 転ぶ、と思われた瞬間、ふわりと日和の身体が支えられた。
(え……?)
 しっかりと抱きかかえられている。もしかして……。
 そう思って荒い息を吐きつつ見遣る。
「はつ、せ……?」
 声が。
 目を見開く日和は、この声に聞き覚えがあった。
「かず……ひこ……さ……」
 現れたのは日和の思い描いていた人物ではなく、黒髪の少年で。
 雨に濡れたまま、彼は日和を驚いたように見ている。
「どうしてあんたがここにいるんだ、初瀬さん」
「あ……の」
 言葉がうまく出ない。呼吸がまだ整っていないせいもある。
 日和の顔や衣服の切り傷を見て彼は顔をしかめた。
「初瀬さん、遭ったな?」
 え? という顔をする日和は、自身もずぶ濡れになっていることに気づいた。必死に走りすぎて傘が役に立たなかったのである。
「しっかりしろ。傘をきちんと持て」
 ぐっと手の上から握られて日和はどきんと鼓動が鳴った。
「あの……」
「喋るな。もうわかっている」
 きっぱりと言い放ち、彼は眼鏡を外す。雨に濡れたそれを日和に渡した。
「持っていろ。すぐに終わらせる」
「で、も……」
 間近にある彼の顔は、眼鏡がないとはっきり見える。あまりにも整っていた。
 疲れて足が言うことをきかないのだと日和は気づく。
 がくがくと小さく震える日和の足に、和彦は眉間に皺を寄せた。
(あ……和彦さんのお邪魔に……)
 なってしまう。
 足を叱咤する日和を片手で支え、和彦は口を開く。前を向いて。
「いい。動くな。すぐに片付けてやる」
「でも……」
「黙っていろ」
 ぴしゃりと言われて日和は口を閉じる。自分は全体重を彼にかけていて、彼の左手は自分を支えている。
 空いているのは、右手だけ。
「眼鏡をしっかり持っていろ――――」
 ぎっと瞳に力が込められたのが、日和にもわかる。
 彼は右手を動かす。
 その手に何かが引き寄せられるように集まった。日和は視線を動かす。
 それは下。
 地面。
 雨が叩くそこ。
(! 影……が?)
 起き上がった。
 和彦の手に伸び上がるそれは、ゆっくりと地面を離れて形をとる。彼の右手には、長い刀が握られていた。
(漆黒の刀……?)
 和彦は日和を左腕で支えたまま腰を落とす。ゆっくりと……ゆっくりと…………。
 水が溜まる地が、ふいに揺らいだ。
 地面の水が跳ね上がり、一直線に日和を狙って迫ってくる。凄い速度で。
 まるで水のカマイタチだ。
 ぐっと和彦が腰をさらに落として右足を後ろにさげ、右腕だけで刀を後ろに引く。不思議な構えだ。
(危ない……!)
 目を閉じかけた日和の鼓膜を、音が叩く。風を切り裂くそれに、日和は見開いた。
 一瞬だ。
 和彦が右腕を後ろからぐっと引っ張って刀を振り上げたのだ。
 水と、雨と、空気を。
 斬り裂く――――!
 あの長い刀の刃に、迫っていたソレが真っ二つに斬り裂かれた。「ぎっ」と悲鳴のような音が洩れる。
 それだけでは終わらない。和彦は振り上げた刀を、刃を切り返してびゅん! と振り下ろした。それも日和の目には映らないほどの速度で。
 さらに斬り裂かれたソレは地面に鈍い音をたてて落ちる。
「……っ」
 喉が引きつった。ソレは……赤ん坊くらいのサイズの幼虫に見えた。
 その腕が鋭い鎌のようになっており、それで攻撃してきたのだろう。
 和彦は武器から手を離す。刀は溶けて地面に落ち、影に戻る。
 彼はどこからか取り出した巻物の紐を口で解き、斬り裂いた敵に向けた。巻物が輝き、敵の姿が忽然と消えてしまう。
 驚く日和は、周囲を見回す。けれどもどこにも……。
「大丈夫か?」
 そう尋ねられてハッとする。
「あ、は、はい……」
「そうか。なら良かった」
 和彦は日和から手を離す。なんだか少し残念な気がした。
「今の、は……?」
「憑物。人に害を与える……まあ、妖怪とか、悪霊とか……そういうものだ」
「つき、もの……」
 ぼんやりと呟く日和の手から彼は眼鏡を取る。そして、かけた。
「雨は面倒だな。眼鏡が濡れて視界が悪くなる」
「和彦さん、ずぶ濡れじゃないですか……っ」
 傘を和彦のほうに差し出すが、彼はやんわりと押し返した。
「必要ない」
「でも……」
「これだけ濡れているんだ。今さらだろう?」
 前髪を掻きあげる彼は嘆息する。そして、荒い息を吐いている日和に気づいた。
「まだ辛いみたいだな」
「全力疾走しましたから……」
「……それを持ってか?」
 和彦の視線は日和の持っているチェロのケースに向けられている。
「……はい。これは、大事なもの……ですから、どうしても……」
 手離すことができなくて……。
 そう心の中で呟く日和は、足がまだうまく動かないことに悲しくなった。もうしばらく休まなければ……。
「和彦さん、ありがとうございました」
「……いや。一度で仕留められなかった俺が悪いんだ」
「え?」
「アレは俺が追っていたヤツだったんだ。もう少しというところで逃げられて、あんたに迷惑をかけた。興奮してあんたに目をつけて追いかけたみたいだな」
「…………そう、なんですか」
 だからあれほど執拗に追ってきていたのだ。じわじわと、楽しむように。
「それを貸せ」
 日和は目線を上げて和彦を見遣る。彼は手を差し出していた。
「え……?」
「重いんだろう?」
「で、も……」
「いいから貸せ」
 日和から奪うようにチェロのケースをひったくる。
「家まで送ってやる。迷惑をかけた詫びだ」
「そんな……。平気です、私」
「…………」
 大仰に溜息をついた和彦はつい、と右手を動かした。彼の足もとから影が彼の手に浮き上がる。
 目を見開く日和の目の前で影はある形をとった。傘だ。
(これは……番傘?)
 普通の傘ではない。
 黒一色の傘を片手に、残る片手にチェロケースの和彦は日和を見遣った。
「送る」
 問答無用である。

 足が痛い日和の歩調はかなり遅い。それなのに、和彦は文句一つ言わずに日和に合わせて歩いていた。
「初瀬さん」
 呼ばれて少しぼんやりしていた日和はハッとして顔をあげる。
「はい、なんですか?」
「あんたも、俺に負けず劣らずずぶ濡れだな」
「そうですね……」
 逃げていた時に傘をきちんと持っていなかったことを思い出す。服が濡れているため、冷たい。
 彼は嘆息した。
「逃げていたから仕方ないんだろうが、帰ったら早く風呂に入って暖かくするんだな」
「それは和彦さんもですよ?」
「……俺のことは気にする必要は無い」
「でも、風邪なんてひいたら大変ですから」
 心配する日和の言葉に和彦は不愉快そうに眉根を寄せた。
「俺のことよりあんたは自分のことを心配したらどうだ」
 驚いている日和に気づき、和彦は我に返ったように視線を伏せる。
「……言い過ぎた。すまない」
「いえ」
「……俺は、病にはならないから…………気にするな。本当に」
 病気にならない?
 どういう意味だと日和は口を開きかけるが、やめる。
(きっと、今は訊かれたくないでしょうし……)
 もう少し仲良くなって、彼が心を開けば……その時。
「和彦さん」
「なんだ」
「今日はありがとうございました。助けていただいて」
「…………ケガ、させてすまなかったな」
 小さくぼそりと言われたため、日和の耳にはその言葉は届かない。
「え? あの、声が小さくて聞こえませんでした」
 和彦はごそごそとポケットから何かを取り出す。貝殻?
「塗っておけ」
「え?」
「切り傷用の塗り薬だ」
 受け取った日和は、貝殻をそっと開ける。中には塗り薬があった。
「やる」
「えっ? でも」
「いいんだ。俺は使うことがないから」
 小さく……哀しそうに微笑する。
「…………使ってもらわなければ、薬が勿体無い」
「ありがとうございます」
 戸惑うように呟く日和は、可愛らしい桜色の貝殻と和彦を見比べた。
 そう、きっと彼は色々なことに不器用なのだ。
(……大変な目に遭ったけど、それでも)
 こんな雨の日も、たまにはいいかもしれないと日和は小さく微笑した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/女/16/高校生】

NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 二度目のご依頼ありがとうございます、初瀬様。ライターのともやいずみです。
 今回もまだ和彦は硬い感じは見えていますが、彼は初瀬様を巻き込んでしまったことに少し凹んでいますのでご勘弁を〜。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 和彦の憑物封印にお付き合いくださり、ありがとうございます! 書かせていただき、大感謝です!