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■おそらくはそれさえも平凡な日々■

西東慶三
【1219】【風野・時音】【時空跳躍者】
 個性豊かすぎる教員と学生、異様なほど多くの組織が存在するクラブ活動、
 そして、「自由な校風」の一言でそれらをほぼ野放しにしている学長・東郷十三郎。

 この状況で、何事も起きない日などあるはずがない。
 多少のトラブルや心霊現象は、すでにここでは日常茶飯事と化していた。

 それらの騒動に学外の人間が巻き込まれることも、実は決して珍しいことではない。
 この物語も、東郷大学ではほんの些細な日常の一コマに過ぎないのである……。

−−−−−

ライターより

・シチュエーションノベルに近い形となりますので、以下のことにご注意下さい。

 *シナリオ傾向はプレイングによって変動します。
 *ノベルは基本的にPC別となります。
  他のPCとご一緒に参加される場合は必ずその旨を明記して下さい。
 *プレイングには結果まで書いて下さっても構いませんし、
  結果はこちらに任せていただいても結構です。
 *これはあくまでゲームノベルですので、プレイングの内容によっては
  プレイングの一部がノベルに反映されない場合がございます。
  あらかじめご了承下さい。
The Beginning... and The Future

〜 扉のカギは突然に 〜

 はじまりは、ほんの些細な一言だった。
「うちも他の人の話聞いてみたいなぁ。時音くんとかどうなん?」

 たまたま皆が顔を合わせたことから始まった、他愛のない会話。
 とりとめもなく話しているうちに、話題は次々と移り変わり、やがて、初恋の話になった。
 そこで、話の中心になっていた天王寺綾の口から、冒頭のセリフが発せられたのである。

「僕、ですか?」
 突然話を振られて、風野時音(かぜの・ときね)がきょとんとした顔をする。
 その表情を見て、綾は突然何かを思い出したように声を上げ、やがて申し訳なさそうにこう言った。
「あ、時音くんは記憶喪失やったな。ごめんな、変なこと聞いて」
 その様子に、歌姫は思わず吹き出しそうになった。
 時音が記憶喪失だというのは、実は真っ赤な嘘なのである。
 歌姫だけはそのことを知っていたので、ついつい笑みがこぼれそうになったのだが、そうしている間にも、話はだんだん妙な方向に転がり始めた。
「で、どうなん? あれからなんか思い出せたん?」
 心配半分、興味半分で尋ねる綾に、時音はとっさにこう答える。
「い、いえ……時々、思い出しそうになったりすることもあるんですが、まだ……」
 しかし、その答えが、話をますます厄介な方向へ向かわせてしまった。
「それやったら、もう一押しすればなんとかなりそうやな。
 よっしゃ、ここはうちらで時音くんの記憶を取り戻す方法でも考えよか!」
 楽しそうにそう宣言する綾。
 周りを見回すと、時音と歌姫以外の一同はそれなりに乗り気のようである。

 これは、まずいことになった。

 もともと、時音が記憶喪失を装っているのは、彼が未来から来たことを隠すためである。
 したがって、もともと失ってもいない記憶を取り戻すことなどできないし、とっさに「過去の記憶」をでっち上げて思い出したことにするというのも、時音の性格を考えれば非常に難しいと言わざるを得ない。

 少し考えて、歌姫はある結論に至った。
 すなわち――三十六計、逃げるに如かず、である。

 隣に座る時音の袖を引っ張り、目で、そして心の中で合図する。
 幸い、一同は「どうすれば記憶を取り戻せるか」の議論の方に集中しており、当の時音の方にはほとんど注意が向いていない。
 そのことを確認して、二人はそっとその場を抜け出した。


 


「危なかった」
 部屋から離れてしばらくしたところで、時音はぽつりとそう呟いた。
 時音の素性や、時音がこの時代に来た目的を知れば、彼らはほぼ間違いなく首を突っ込んでくるだろう。
 それは、それだけ危険な目に遭う人が増えるということを意味する。
 彼女らのためにも、そして時音のためにも、それだけは何としても避けたかった。

 ともあれ。

 窮地を脱して、一息ついたところで、歌姫は急に先ほどの話が気になってきた。
 初恋……というより、昔の恋の話である。

 綾は、自分の初恋のことを、明るく、さばさばと語っていた。
 それだけ、その恋をしっかり「終わらせている」という証拠だろう。

 それに対して、自分はどうだろう。
 今、隣には時音が――大切な人がいる。
 それなのに、まだ昔の恋を、その恋の痛みを、捨てられずにずっと引きずっている。

 いつかは、「終わらせられる」日がくるのだろうか?
 綾のように、明るく話せるようになる日がくるのだろうか?

 歌姫がそんなことを考えていると、不意に時音の声が耳に飛び込んできた。
「君は君だよ。気にすることないさ」
 驚いて見上げる歌姫の目に、優しく微笑む時音が映る。
 それだけで、歌姫は何とも言えない安心感を感じた。

 そういえば、先ほども話題に上がりかけた時音の初恋はどうだったのだろう。
 記憶喪失を装っている手前、皆のところでは話せなかっただろうが、二人きりの今なら何も不都合はないはずだ。
 時音のことをもっと知りたいという気持ちと、そして少しのいたずらな気持ちとで、歌姫は改めて時音に尋ねてみた。

 ところが、返ってきたのは意外な答えだった。
「それが、本当に覚えていないんだ」
 困ったような顔で、時音はこう続ける。
「僕は、故郷の町で大けがをして倒れていたところを、姉さんに助けてもらったらしいんだ。
 それより昔の記憶は、ほとんどない。
 だから、記憶喪失っていうのも、まるっきり嘘ってわけじゃないんだ」

 ひょっとしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかも知れない。
 そう思って歌姫が謝ろうとしたとき、再び時音が口を開いた。
「……でも、少しだけ覚えてることもある」
 そう言うと、時音は少し首をひねってから、ぽつりぽつりと話し出す。
「廃墟みたいなところで……浴衣を着た女の子と一緒にいた。それだけは覚えてる。
 その子が誰かはわからないけど、これだけ覚えてるってことは、これが僕の初恋なのかな」

 それを聞いて、歌姫はなぜか不思議な既視感を感じた。
 今までの「夢で見たことのある場面について聞いた時」とは、また少し違った既視感を。

 気になった。
 その既視感の理由と、「浴衣を着た女の子」の正体が。
 それも、ただ興味本位で、などという軽い気持ちでではない。
 知りたいというより、知らなければならないと思った。

 時音がこの世界に来る前から、歌姫と時音は「夢」を介してつながっていた。
 だが、そもそもどうして歌姫は時音の夢を見たのだろう?
 どうして、時間と空間を超えてお互いに干渉しあえたのだろう?

 口に出すことこそなかったが、その疑問は、時音と初めて出会った頃から、ずっと歌姫の中にあった。
 どこにも見あたらなかった、どこにもある気配すらしなかった、その問いの答え。

 この「浴衣を着た女の子」の正体を知ることができれば、きっとその答えもわかる。
 直感的に、歌姫はそう確信していた。

 顔を上げると、こちらを見つめていた時音と目があった。
「僕も、その答えが知りたい」
 それ以上の言葉を交わす必要は、二人にはなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 決死の記憶回復チャレンジ!? 〜(時音)

 約一時間後。
 二人は、以前とある事件で知り合った「自称・天才美少女呪術師」の黒須宵子のもとを訪れていた。
 もちろん、時音の失われた記憶を取り戻させるためである。

 二人の話を聞いて、宵子は小さくため息をついた。
「記憶回復ですか……それは、ちょっと専門外ですね」
 やはり、失った記憶を回復させるような術は、少なくとも宵子の知っている呪術の範疇にはないらしい。
 が、せっかく頼み事にきた相手をそのまま帰すのも彼女のプライドに関わるらしく、彼女はしばらく難しい顔で考え込んで……突然、こんな事を言い出した。
「頭を打って記憶喪失になったり、もう一回頭を打って記憶が戻ったり、って、よくお話とかでありますよね。
 それでよければ、『ものすごく頭を打ちやすくなる呪い』でも……」
「遠慮します」
 冗談ではない。
 記憶が戻るのが先か、頭の形が変わるのが先か。
 そんな妙な勝負に出るつもりは、時音にも歌姫にもさらさらなかった。
 そもそも、そんな呪いがかかったままでは、次に敵襲があった際にとんでもない足かせとなりかねない。

 やはり、もっとこういうことに通じていそうな人に頼むしかないか。
 二人がそう考え始めた時、突然宵子が手を打った。
「あ、もっと簡単な方法があります。
 時音さん、ちょっと髪の毛一本頂きますね?」
 そう言うが早いか、宵子は戸棚の方に歩いていって、頭蓋骨の上半分のような形をした怪しい器具を持ち出してきた。
「これは……なんですか?」
「すぐにわかります。あ、本物の人骨じゃないので安心して下さいね」
 時音の質問をさらりとかわしつつ、宵子は小さなハサミで時音の髪の毛を一本切ると、それを先ほどの頭蓋骨の右の眼窩から中に入れる。
「それじゃ、早速始めますよ」
 歌姫たちが唖然としている間に、宵子はさっさとそう宣言して、なにやらややこしい文様が描かれた小さな木槌を取り出した。
「痛かったら言って下さいね」
 そう言いながら、頭蓋骨の一点をこつこつと軽く叩き始める宵子。
「ここは?」
「いえ……なんにも感じません」
 なにやら医師の触診のようでもあるが、はたしてこれで何がわかるのだろう?
 歌姫が首をかしげている間にも、宵子はまた別の部分を叩き始める。
「ここはどうですか?」
「変な感じです……頭の中がこそばゆいような」
 ひょっとすると、頭の中の「ツボ」のようなものでも探しているのだろうか。
 だとしたら、どこかに失った記憶を取り戻させるためのツボもあるのだろうか?
 かすかに、希望がわいてくる。

 その時、事態が急展開した。
「それなら、きっとこの辺りですね」
 宵子が次の場所を叩き始めたとたんに、時音が頭を抑えて声を上げたのである。
「痛っ! そ、そこは痛いです!!」
 あの時音がここまで大げさに痛がっているのだから、よほど痛いに違いない。

 それなのに、宵子は叩く場所を変えるどころか、あろうことか思い切り木槌を振り上げた。
「わかりましたっ! じゃ、ここにガツンといきますよっ!?」
 どうやら、宵子が行おうとしていたのは、単純かつ乱暴きわまりない「ショック療法」だったらしい。
「いえ、え、遠慮します! これじゃ今ある記憶までなくしそうですよ!!」
 時音の叫び声が、部屋中に響き渡り――。

 次の瞬間。
「……あ、その可能性もあるんですね。
 じゃ、今日のところはやめておきましょうか」
 納得したような顔で、宵子が木槌を下ろす。
 その表情を見る限り、本当に「二次災害」の可能性には今の今まで気づいていなかったらしい。
 すっかり怒る気力も失せた歌姫と時音は、顔を見合わせて大きなため息をついたのだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 誘い 〜

 結局、宵子の尽力(?)にも関わらず、時音の記憶が戻ることはなかった。
「まあ、ここまで思い出せたんだから、そのうちきっと思い出すよ」
 時音はそう言って笑ってくれたが、歌姫は落胆せずにはいられなかった。
 なまじ答えにたどり着けるかも知れないと思っただけに、その答えへと続くはずの道が霧の彼方に消えてしまったことが何とも残念でならない。

 近いうちに、また別の人に相談してみようか。
 いろいろ考えながら歩いていると、突然、時音が足を止めた。

 静かだった。
 周りには、時音と歌姫以外には人っ子一人見あたらない。
 もともとあまり騒々しい場所ではないとはいえ、あまりにも静かだった。
 不自然すぎて、何者かの意図を感じずにはいられないほどに。

 と。
 目の前の曲がり角から、見覚えのある女が歩み出てきた。

 訃時(ふ・どき)である。

「待っていたわ」
 そう言って、冷たく笑う訃時。
 その視線が、時音ではなく歌姫の方を向いていたのは、はたして歌姫の思い過ごしだろうか?
 歌姫はかすかな違和感を感じたが、その正体を確かめるより早く、時音が光刃を手にして訃時に斬りかかった。
 その光刃を、訃時は後ろへ下がりながら難なく紅色の光刃で受け止める。

 以前見たのと、ほとんど同じ光景。
 だとすれば、恐らく同じ方法で――。

 と、歌姫がそこまで考えた時。
 訃時の腕の一振りによって、時音がはじき飛ばされた。
 時音の身体がサッカーボールか何かのように数度地面で弾み、ちょうど歌姫の足下まで飛ばされてくる。

(時音さん!!)

 考えるより早く、身体が時音を助け起こす。
 息はあるようだが、完全に意識を失っているらしく、目を覚ましそうな気配はない。

「何があったのか知らないけれど、だいぶ消耗していたようね」
 すぐ上から、訃時の声が聞こえてくる。

 このままでは、時音が殺される。
 そう感じて、歌姫はとっさに時音をかばうようにして立ち上がった。

 倒れたままの時音と、目の前の訃時の間に、両手を広げて立ちふさがる。
 もちろん、訃時が本気を出せば、自分ごと時音を殺せることくらいわかっていた。
 それでも、歌姫はそうせずにはいられなかったのだ。

 だが、訃時は二人を殺すどころか、半ば呆れたように笑いながらこう言った。
「心配しなくても、私は時音を殺しに来たわけじゃないわ」

 信用できない。
 信用はできないが、わざわざこんな嘘をつく理由もないはずだ。

 歌姫が真意を測りかねていると、訃時は薄笑いを浮かべたまま続けた。
「私はあなたに見せたいものがあって来たの。
 そのために、邪魔な時音には眠ってもらっただけ」

 こうまでして、見せたいものとはなんだろう?
「どうせろくなものではない」という気持ちと、「それでも気になる」という気持ち。
 歌姫の中で二つの気持ちがせめぎ合いを始めたが、もとより歌姫に選択権など無かった。

 どうしたことか、だんだん気が遠くなっていく。

 薄れゆく意識の中で、歌姫はかすかに訃時の声を聞いた様な気がした。
「見せてあげる。貴女の知りたかった過去を……」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 運命の始まるところ 〜

 気がついた時には、歌姫はどこかの街中にいた。
 見たことがないはずの、しかし、なぜか見覚えのある街並み。

 ここは……どこだろう?

 歌姫が懸命に思い出そうとしていると、不意に、一組の親子連れが目の前を横切っていった。
 左側には、父親とおぼしき男性が。
 そして右側には、母親とおぼしき女性が。
 この二人が、自分の両親であることを、歌姫は本能的に悟っていた。
 そして、その二人の真ん中を歩いている、浴衣を着た少女は――間違いなく、歌姫自身だ。

 ――これは……私の過去?

 考えれば考えるほど、どんどんわからなくなってくる。

 自分の過去であるとするならば、これは「現代」から見ても過去でなければならない。
 ところが、周囲の景色を見る限りでは、どう考えても「現代」よりは「近未来」に近い、と思わざるを得ない。
 それに、もしこの「浴衣を着た女の子」が時音の初恋の相手であるとするならば、彼女は「近未来」の人間でなければならないのだ。

 訃時の作り事、という可能性は、もちろんある。
 けれども、歌姫は明らかにこの街を知っていたし、父と母に連れられて、こんなところを歩いたこともあった様な気がする。

 ――あの子は、私なの?

 歌姫がなおも悩んでいると、突然辺りが暗転した。





 気がついた時、歌姫はなにやら研究室らしい建物の中にいた。
 このように突然場面が変わることから考えると、どうやらこれはいつもの夢と同じようなものなのだろう。

 だとすれば、次に現れるのは。
 歌姫がそのことに思い至るのとほぼ同時に、彼女の視界に一人の少年の姿が映った。

 時音だった。

 彼の隣には、先ほど見かけたのと同じ、浴衣を着た少女の姿がある。
 その光景を見ているうちに、歌姫は急速に何もかもを思い出し始めた。

 あの少女は、まさしく幼い頃の自分に間違いない。
 彼女は、両親の用事でこの街を訪れ、そして時音と出会った。
 両親がその「用事」を済ませている間、歌姫はいつも時音と一緒にいた。

 そして――。

「理論上は、この装置であの結界を無効化できるはずです」
 父親のその言葉で、歌姫は我に返った。
 いつの間にか、幼い時音と歌姫の姿は視界から消え、かわりに両親と数人の大人たちが、なにやら機械のようなものを囲んで深刻な顔で話し合っていた。
「理論上は、か。そこから先は、実際に使ってみないとわからない、ということか」
「ならば、実際に奴が現れた時にテストするしかない、か」
「もっとも、現れないなら、それに越したことはないのだがな」
 話を聞く限り、装置そのものは完成しているはずなのに、集まっている面々の表情は、異様なまでに暗い。

 それにしても、どこかで聞いたような話だ。
 結界を破壊する装置と、その装置が必要になるような何者か。

 ――これは、まさか?

 歌姫があることに思い至ったのと、大慌てで一人の男が駆け込んできたのとは、ほとんど同時だった。

「奴が! 奴が、この研究所に!!」
 そう言い終わるが早いか、男はその場にうずくまり、それに続いて数人の人物が苦しみ始める。

「いかん! 早くスイッチを!!」
 リーダーとおぼしき男の声に、父親は、直ちに機械のスイッチを入れた。

 が。
 機械は幾度か火花を散らせたあと、力なくその機能を停止した。
 先ほどまで苦しんでいた人々が、突然亡者と化して他の面々に襲いかかったのは、それとほぼ同時だった。

「私は、失敗するとわかっていたから邪魔しなかっただけ」
 一人の女性が、勝ち誇った表情でゆっくりと階段を下りてくる。
 その姿は今とは全く違っていたが、それが訃時であることはすぐにわかった。

 あの時の両親の用事というのは、このことだったのか。
 愕然とする歌姫の目の前で、再び世界が闇に包まれた。





 次に目を開いた時には、歌姫は再び地上に戻っていた。

 先ほどと同じ街の、先ほどと同じ場所。
 そのはずなのに、実際に見える景色は先ほどとは一変していた。

 あちこちに亡者が溢れ、人々の悲鳴や絶叫、破壊音などがひっきりなしに聞こえてくる。
 美しかった街は、急激に廃墟と化しつつあった。

 その地獄と化した街を、幼い時音と歌姫は駆けていた。
 一刻も早く、この街から逃げなければならない。
 亡者と化した人々に襲われる前に、とにかく街を離れなければならない。

 だが、天は二人に味方しなかった。
 亡者たちを避けて二人が駆け込んだ裏道は、何と袋小路だったのである。
 引き返そうにも、すでに入り口には無数の亡者が集まってきている。

 絶体絶命。
 恐怖に震えながら、助けを求めるように時音を見つめる幼い歌姫。
 時音はその視線をまっすぐに受け止めると、意を決して、亡者の群れに立ち向かっていった。
 小さな身体で、懸命に拳を振り回し、亡者たちを少しでも押し返そうとする。
 しかし、所詮は大人と子供。
 時音は逆に殴られ、蹴られ、ついにはボールのように投げ飛ばされて、突き当たりの壁に叩きつけられた。
 倒れ伏す時音に、幼い歌姫が駆け寄る。
 すると、時音は咳き込みながら、ぽつりと一言こう呟いた。

 ごめん、と。

 彼は、歌姫を守ろうとしていたのだ。
 勝ち目のない相手であることくらい、恐らく彼自身も気づいていただろう。
 そのことに気づいていながらなお、彼は戦い、そして敗れた。

 いつの間にか、歌姫は涙を流していた。
 過去の自分も、そして、現在の自分も。

 倒れ伏す時音と、泣き続ける歌姫。
 幼い二人に、じりじりと亡者たちが迫ってくる。

 その時だった。
 突然、幼い歌姫の胸元で、何かが光を放った。
 彼女が取り出したものは、小さな懐中時計。

 覚えている。いつか両親に渡された、あの懐中時計だ。

 歌姫の見ている前で、光はどんどん強さを増していく。
 やがて光は二人の姿を飲み込み、歌姫の視界を白く塗りつぶしていった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 選択 〜

 現実に戻ってきたことがわかっても、歌姫はしばらくの間身動きひとつできなかった。

 時音も、そして自分自身も忘れていた過去。

 嘘だ。
 心の中で呟いてみる。
 
「嘘じゃないわ。それはあなたが一番よくわかっているはず」

 そう。
 嘘ではないことくらい、自分が一番わかっている。
 だが、あれが現実だとすれば――?

「そう。そもそもの引き金は、貴女なの」

 時音は、歌姫を守ろうとして戦って、重傷を負い、記憶まで失った。
 そこに彼が姉と呼んでいた女性が駆けつけ、彼を救い出した。
 記憶をなくしていた時音は彼女の弟のようにして育てられ、彼女の背中を追いかけて……。

 そして、時音はその姉と故郷を守れず、心に大きな大きな傷を負った。
 そのために、戦い続けなければならない宿命を負った。

 その最初のきっかけは、自分だ。 

 愕然とする歌姫に、訃時は怪しげな笑みを浮かべてこう言った。
「これで、貴女に選択が生まれたわ」
 その言葉の意味を計りかねて、訃時を見返す。
「私の味方になることを選べば、あなたたち二人とも助けてあげる。
 それとも、私と戦って、彼を……時音を殺す未来を救う?」

 このまま戦い続ければ、時音を待っているのは。
 否定しきれない最悪の未来予想図が、打ちのめされたままの歌姫の心に突き刺さる。

 もういいよ。戦わなくても。
 もういいよ。苦しまなくても。
 時音にそう言葉をかけてあげたい。その思いは確かにある。

 けれども、やはり歌姫には訃時を信じることはできなかった。
 迷う歌姫に、訃時は余裕の表情でこう続ける。
「私が信用できないというなら、それもいいわ。
 あくまで私の誘いを拒み、私と戦うつもりなら、貴女の光刃を彼に抜かせなさい」

 光刃というのは、時音や訃時が手にしているようなもののことだろうか?
 もしそうなら、そんなものは持っていないし、生み出す力もない。
 歌姫はそう答えようとしたが、またしても訃時の言葉が先回りした。

「貴女と彼が想い合っているなら、退魔である彼は貴女の光刃を使えるはず。
 そして貴女は、彼の傷を癒し、力を与えられるはず」

 訃時の言っていることが本当なら、従うことも、戦うこともできるということになる。

「選ぶのは貴女。さあ、どうするの?」

 どうしたらいいのだろう?
 意図せずして自分が引き金を引いてしまったことで始まった時音の戦い。
 今自分が選ぶべきは、例え時音自身にとっては不本意な形ではあるとしても、責任を持ってその戦いを終わらせることだろうか?
 それとも……時音の傷を、苦しみを少しでも肩代わりしながら、戦い続ける彼を最後まで支え続けることだろうか?

 恐らく、時音はそのどちらも望まないだろう。

 それでも。
 もし歌姫ではなく時音が選択権を与えられたのだとしたら、彼はどちらを選ぶだろう?
 そして、歌姫は、時音がどちらの選択をすることを望むだろう?

 そう考えれば、選ぶべき道は一つしかなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 つながった記憶 〜

 声が聞こえる。
 自分の名を呼ぶ声が。

 唄が聞こえる。
 どこか懐かしい唄が。

 誰かが呼んでいる。
 大事な、大事な誰かが。

 行かなくちゃ。

 行かなくちゃ――。

 右手に感じる暖かい感触で、時音は目を覚ました。
 あれほどひどくやられたはずなのに、なぜかそれほどひどい傷は負っていない。
 それどころか、戦い始めた時よりも、力がみなぎっているようにさえ感じる。

 なんだろう。この暖かさは。

 目を開けると、心配そうな歌姫の顔が見えた。
 時音の右手をしっかりと握った、歌姫の両手が見えた。

 それだけで、時音には全ての合点がいった。
 詳しい事情まではわからないが、時音は、ずっと昔から歌姫を知っていた。
 そして……あの「浴衣を着た女の子」は、きっと歌姫だったのだ。

 歌姫の目を見て一度小さく頷き、握った手をゆっくりと離す。
 残ったものは、確かなぬくもりと……歌姫より託された光刃。
 時音の光刃が陽光の色ならば、歌姫の光刃は月光の色――あるいは、その月光を受けて闇夜に映える夜桜の色。
 綺麗だ。心の底からそう思った。

「そう……それが貴女の決断なのね」
 歌姫の方を見ながら、訃時が呟く。
 その言葉の意味は時音にはわからなかったが、自分が今するべきことだけは、はっきりとわかっていた。

「訃時!」
 身体を起こすとほぼ同時に、強く地を蹴って訃時へ向かう。
 拮抗した状態での消耗戦に持ち込まれれば不利なことは目に見えている。
 故に、狙うべきは、戦況を大きく動かせるような一撃のみ。

 先ほどの戦いと同じように、時音が光刃を大きく振りかぶる。
 そして、それを受け止めるべく、訃時が紅色の光刃を構える。

 しかし、結果は先ほどと同じにはならなかった。
 歌姫の、あるいは二人の光刃はまるで柳の枝のようにしなり、受け止めようとした訃時の光刃をかわして、右肩を切り裂いたのである。

 思わぬ展開に、訃時は驚いたような顔をして大きく後ろへ飛び退く。
 なおも時音が追撃する構えを見せると、訃時は苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「今は退くわ……また会いましょう。そう遠くないうちに」
 その一言を残して、訃時の姿が遙か彼方へと遠ざかっていく。
 その姿が完全に見えなくなるのを見届けて、時音と歌姫は安堵の息をついた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 そして 〜

 どうにか訃時を退けた後、二人はまっすぐあやかし荘へと戻った。

 お互いに、伝えたいことは山ほどあった。
 けれども、本当に伝えたいことは、足を止めなくても、口を開かなくても、一緒に歩きながら、時々視線を交わしているだけで、全て伝わっていた。

 二人の心は、響き合う音叉と同じ。
 一方の感じた喜びや悲しみは、そのままもう一方にも伝わっていく。

 だから。
 自分が悲しんだり、苦しんだりすることは、そのまま相手を悲しませ、苦しませることにつながる。

 お互いに、本当に大事に思うから。
 お互いに、相手に責任を感じてしまったから。
 そしてきっと、理屈以前に、そういうふうにできているから。





 二人があやかし荘の近くにさしかかった時、不意に後ろから耳慣れた声が聞こえてきた。
「なんや、いつの間にかいなくなったと思ったら、デートやったん?」
 からかうように言う綾に、時音は少し照れたような笑みを返した。
 おそらく、歌姫の顔にも、似たような笑みが浮かんでいたのだろう。
 綾は二人の顔を見比べると、大げさに肩をすくめながら、冗談めかしてこう言ったのだった。
「あんたたち二人は、これが初恋みたいな感じやなぁ」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1219 / 風野・時音 / 男性 /  17 / 時空跳躍者
 1136 /  訃・時  / 女性 / 999 / 未来世界を崩壊させた魔

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■         ライター通信          ■
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 撓場秀武です。
 この度は私のゲームノベルにご参加下さいましてありがとうございました。
 また、ノベルの方、大変遅くなってしまって申し訳ございませんでした。

・このノベルの構成について
 このノベルは全部で七つのパートで構成されております。
 最初は時音さんと訃時さんで分けることも考えたのですが、分けてしまうと話の筋が追いにくくなる可能性が高くなるため、どちらの側にも全パートを納品させて頂きました。
 そのため、少々文字数が多めとなっておりますがご容赦下さいませ。