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■Calling 〜水華〜■

ともやいずみ
【4757】【谷戸・和真】【古書店『誘蛾灯』店主 兼 祓い屋】
 鈴の音が耳元でした。
 祭事に使う、そのおごそかな、神聖な音。
 振り向いて、そこに立っている人物を見遣る。
 その人物は、手に黒いモノを持っていた。あれは……武器? それとも……。
 よく見ればその人物の足元には水が溜まっている。
「?」
 怪訝そうにしたが、まだ耳元で音がした。
 刹那。
 そこには誰も居ない。
 水の跡。
 それは、もしや。
「ゆ、ゆうれい……?」
 恐る恐る呟き、逃げ出す。
Calling 〜水華〜



 少女は腹部に重い一撃を受けて後方に吹っ飛ぶ。
 ぐっと唇を噛み締める。そして、地面に靴を擦らせつつ着地した。
 くすり、と少女の前に居た幼い子供がわらう――。



 木にもたれるようにしている少女。前屈みになり、座り込んでいる。両足は力なく前に伸ばされて。
 木に激突して気絶しているようにも見えた。
 そう、谷戸和真の目の前に彼女はいる。
(…………う)
 どうしよう。
 口元を強張らせ、傘を片手に和真は心の中でそう呟く。
 依頼を受けてやって来た彼は、なぜかその光景を目にした。
 どうしてこんなところに傷だらけの女の子がいるのか。
(ずぶ濡れじゃねえかよ)
 唇を尖らせて近づくが、その顎先に何かが突きつけられていた。
 動きを停止している和真を、気絶していたはずの少女がゆっくりと顔をあげて見遣る。色違いの瞳に、和真はどきりと鼓動を鳴らせた。
「……? 何者ですか?」
 掠れた声で問う少女が、少ししてから我に返ったように瞳から殺気を消す。
「……いつの間に意識を……? そこまで時間は経っていないようですね……」
 安堵の息を吐くと、和真に突きつけていた剣を退かせた。掌を開くと、漆黒の剣がどろりと液体のようになって地面に落ちる。和真はぎょっとして目をみはった。
(なんだ今の……? 術?)
 疑問符を浮かべていると、少女が立ち上がる。彼女は顔にべったりとついていた前髪を払った。
 美人だ。
(……美人だ)
 凝視していると、ますます彼女は不審そうにする。
「あの……?」
「へ?」
「あなたは何者ですか……?」
 そう尋ねる少女のほうへ傘を傾けた。それに気づいて少女は和真を見つめる。
「……濡れたままだと、風邪ひくだろ」
「……余計なお世話です」
 正直胸にぐさりと突き刺さった。
(うぐ……かわいい顔して容赦がねえ……)
 それともなにか? 自分の言い方がまずかったのだろうか。
(結構気をつけたつもりだったんだが……)
 む、と顔をしかめていると、少女がポケットから何かを取り出しているのに気づいた。桜色の貝殻だ。
 貝を開くと、中には固形物がある。
 彼女はそれを人差し指ですくい、顔や手などの傷に塗っていく。
(! 塗り薬か)
 その振る舞いからして、おそらく自分と同業者なのだろう。ということは……。
(……敵に負けたってわけか)
 少女は薬を塗り終えてから、首を微かに傾げる。
「まだいらしたんですか?」
「……悪かったな」
 それよりも。
 取り出した包帯を握りしめて言う。
「薬塗って、また雨の中出る気なのかよ?」
「……変わった方ですね、あなたは」
 きょとんとして少女は呟く。
(か、変わってる……?)
 どこがだろう。ごく普通の行為だが。
 変わっているのは目の前の少女のはずだ。

「そうですか……あなたが依頼された憑物でしたか」
「つきもの?」
 腕に包帯を巻きつつ、和真は問う。
(憑物って言えば、あれだ。人間に取り憑くあれだろ? 妖怪とか、邪念とか)
 素直に手当てをされている月乃の、今まで穏やかだった瞳にぎらりと殺気が宿った。
「はい……悪霊や妖怪、人間に害を与えるものたちを総称して私はそう呼んでいます」
「へえ……。で……あ、名前訊いてなかったな」
「遠逆月乃です」
 名乗った名前に感心してしまう。確かに彼女に似合っている。儚いイメージがそう思わせた。
 田舎の夜道を照らす、唯一の月の光だ。
「月乃か。俺は谷戸和真」
「谷戸さんですか」
「それで、その憑物と戦ってたってことは、月乃はそういう職業なのか?」
「……退魔士です。妖魔退治の専門家なんですが……」
 言い難そうに月乃は小さく呟く。
(退魔士ねぇ……)
 ふうんと思う和真は何かに気づいて尋ねた。
「月乃、『右のそれはなんだ』?」
 ぎょっとしたように月乃が右手で右眼を隠す。そして和真から身を引いた。
「……視えたんですか!?」
「なにが?」
 和真に見えたのは、ぼんやりとした鈍い虹の光だ。ゆらりと月乃の頭の右半分を覆っていたそれは、今はない。
 目の錯覚だろうと和真は思う。ゆっくりと右手を離した彼女には、その怪しげな光はもう纏わりついていなかったのだから。
「…………」
 月乃は沈黙し、下から睨みつけるように和真を見る。和真としては困ってしまう。
 ここまで警戒される要因は自分にあるのだろうかと悩んでしまった。
(おかしいな……普通に会話してると思うんだが……)
「あまり凝視しないでください……」
 冷ややかな声で言われる。
 なんでこんなにつんとした言われ方をされなければならないのか……。
「とにかくだ。そのツキモノってのは俺の依頼された退治で……」
「わかっています。こちらは手を引きますので」
 あっさりそう言う月乃の言葉に驚いた。
(わ、わからない……)
 顔を引きつらせる。
 和真のイメージする『女の子』と、月乃はかなりかけ離れていた。
「……そうでした。忘れていました」
「?」
「私は呪われています」
 さらりと言われて和真は聞き逃しそうになる。
「は?」
「谷戸さんも憑物を退治されている方なのでしたら、今後も会うこともあるでしょう。私は呪いを解くため、四十四の憑物を封じていますから」
「ちょっと待てよ。呪いを解くために封じてる?」
「それが呪いを解く方法らしいので。
 それではまたどこかで。……今後、谷戸さんに依頼された敵を、私が誤って先に封じていても……諦めてください」
 きびすを返して去ろうとする月乃の腕を掴む。彼女は驚いて振り向いた。
「なんだと? 呪われてる? それを解くために封じてる?」
「先ほどそう言いましたが」
「あっさり諦めるのか?」
 月乃は目を細めた。
「あなたの依頼ではないのですか?」
「そりゃそうだが……」
 ああ、なんて言ったらいいのか!
 もどかしくて和真はますます顔をしかめた。
 どう言えば彼女に上手く伝えられるだろう。どうやったら。
「ようは封印すりゃいいんだろ?」
「は……?」
「だから、封印させてやるってことだよ」
「…………なにを言っているんですか?」
「退治できればいいんだし、俺が必要なのは本体じゃなくて」
 概念だ。
 そう言いかけるが口を閉じる。
「同情ですか? そうでしたら気を回すのはやめてください」
 無表情で告げる彼女は若い娘の外見をしていても、立派な退魔士だ。
「私は他の方に迷惑をかけるのを良しとしていません。谷戸さんはご自分の成すべきことをなさってください」
(…………かわいくねぇ……)



 見たところ月乃は高校生で、和真より年下だ。それなのに……。
 和真なりに苦労して、自分は敵の能力を喰うだけで、月乃が封印してもいいと伝えたのに。
「結構です」
 と、すっぱり断られてしまった。
「ご健闘をお祈りします」
 冷ややかに言うや、月乃はきびすを返すと歩き出した。傘を渡そうとする間もなく、ぐっと足に力を入れるとそのまま駆け去ってしまう。
 あっという間に姿が見えなくなる。それもそうだ。月乃は軽々と家の屋根まで跳びあがったのだから。
 あの細い足からは想像できない跳躍力である。
(……あいつ、忍者になったほうがいいと思う……)
 冗談半分でそう考えて目的地に向かっていた和真は、くすくすという笑い声を聞いた。
「なあんだ、また来たの?」
 和真は無言で目を見開く。この声の高さは……。
 雨合羽を着た子供が、和真の目の前に着地する。目の焦点が合っていない。
(! 取り憑かれてやがる……!)
 子供に取り憑いているのだ!
「今度はお兄ちゃんかあ」
 ぺろりと唇を舐める少年の言葉に、和真は思い当たる。
「この傷は私の落ち度です」
 と、手当てしている最中に彼女が洩らした言葉。
 落ち度。
(あの身軽な月乃が黙ってあんなに傷を……!?)
 ひらりと塀に足をかけた先ほどの光景が思い出された。
 子供だ。
 正真正銘の子供に、敵は憑いている!
 符を取り出して子供の足もとに投げつける。下手に武器を使えなくなったからだ。
(よりによって雨か……!)
 傘を投げ捨てる。傘を片手に相手にできるわけがなかった。
(子供から引き剥がすのが先だ……)
 子供の足に絡みついた符によって、少年のにやにやが消える。
「なんだよこれは。邪魔だ」
 無理に動かそうとする足が、みしみしと音を鳴らす。それは骨の音だ。
 和真は思わず符に飛ばしていた念を解いた。
 この敵は、子供の身体のことなどなんとも思っていない。今だって、無理に動かしていれば足がねじ曲がっていたはずだ。
 どうすればいい?
(子供に罪はねえんだ!)
 キィィィィィィ、と耳鳴りがした。
 雨の中を、雨水を一直線に突き破って飛んできた矢が、子供の背後で破裂した。
 漆黒の矢は弾けると細かい目を持つ網へと変貌する。そして子供を地面に押し付けるように襲い掛かった。
 地面の雨水の中に少年は倒れ込む。
「??? なんだ今のは……?」
 困惑する少年は、起き上がれない。どれほど力を入れようとも、その網は力強く地面に縫いついているのだ。
「ぐ……! おのれぇ……!」
 少年のうなじ部分からずるりと何かが這い出てくる。そこを和真は見逃さなかった――!

 気絶している子供を網から救出する。概念のなくなった敵は地面に転がっていた。怪魚だ。
 網は溶けるようにそこから消えてしまう。
 そして怪魚は、忽然とその姿を消した。
「あれ?」
 怪魚がいないことに気づいた和真は、意識を取り戻さない子供を背負って見回した。やはりどこにもいない。
 逃げたということは考えられなかった。
 では……?
「さっきの矢…………」
 まさか。
「…………月乃、か?」



 矢を放った格好だった彼女は、姿勢を正す。その手の弓が溶けて地面に落ちると彼女の影になった。
 ふう、と安堵の息を吐いた彼女は、家の屋根の上から先ほどの矢を放ったのだ。
 巻物をさっと広げ、すぐさま閉じる。
 和真が子供を見てひるんだ姿を思い出し、小さく苦笑する。和真には見せなかった表情だ。
(……いい人のようでした。きつく言ってしまって、申し訳なかったです)
 彼が自分の獲物だと言い出した時点で、彼女はこうしようと決めていたのだ。子供を無傷で助けるにはこれしかなかった。
 敵の目が自分ではない者に向けられていなければ、ならなかったのだ。
 くるり、と彼女は背を向ける。
(今度こそさよならです、谷戸さん)
 あなたのおかげで、子供を無事に助けることができました。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【4757/谷戸・和真(やと・かずま)/男/19/古書店・誘蛾灯店主兼祓い屋】

NPC
【遠逆・月乃(とおさか・つきの)/女/17/高校生+退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして谷戸様。ライターのともやいずみです。
 谷戸様の親切に対してもなかなか月乃は素直に従わず、申し訳ないです〜。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 月乃の憑物封じにお付き合いくださり、ありがとうございます!

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!