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■憧れのアフター・スクール■

瀬戸太一
【4379】【彼瀬・えるも】【飼い双尾の子弧】
「リネア、此処にいたの?駄目じゃない、銀埜が待ってるわよ?
今日は薬草学を勉強するって言ってたじゃない」
 ルーリィは苦笑を浮かべて、散々探し回った挙句、
自分の作業室で大きなぬいぐるみを抱えてしゃがんでいた我が子に言った。
リネアは以前行われた魔女昇格試験の題材として、木製の人形から生まれた娘。
だが今ではすっかり、ルーリィにとって愛しい自分の娘だ。
 どんなに外見が人間そっくりでも、どんなにその白い肌が柔らかくても。
でもリネアは人間ではない。
だからルーリィは近所の小学校にはやらず、使い魔たちや幼馴染の魔女の力を借りながら、リネアの教育をしてきた。
主に一般常識、そしてほんの少し、魔女としての勉強も。

 だがルーリィは分かっていなかった。
本当はリネアが、何を望んでいるかを。

「・・・私、やらない」
「え?」
 ルーリィはリネアの言葉に、思わず首を傾げた。
目立った反抗期もなく、素直にすくすくと成長してきたリネア。
そんな少女が浮かべる表情は、今まで見たこともないようなムスッとした仏頂面。
「リネア・・・どうしたのよ?ハーブの匂いが嫌いなの?でも大丈夫よ、すぐに慣れるから―・・・」
「そんなのじゃないよっ」
 リネアはバッと立ち上がって、眉を吊り上げてルーリィを見上げた。
その強い視線に、思わず目を開く。
「ハーブは好き、それに含まれる色んな意味も好き。
母さんが魔法を使うときも好きだし、銀兄さんもリックちゃんも、リース姉さんも大好き。でも違うの、そうじゃないの!」
「リネア・・・」
 ルーリィは娘の名を呟いて、眉を曇らせた。
リネアがこんなに激昂している訳が分からない。
「私・・・それだけじゃイヤなのっ!
友達と色んなおしゃべりしたり、給食食べたり、帰り道で買い食いしたり、そんなことがやりたいの!母さんの馬鹿、鈍ちんっ!」

    バタンッ!

 リネアは矢継ぎ早にそう叫ぶと、ルーリィを残して作業室を飛び出していった。




            ★




「・・・というわけなの」
 リネアが残していったぬいぐるみを抱き締めながら、ルーリィはハァと溜息をついた。
「あの子、学校に行きたかったのね。
そりゃそうよ、この店にいるのは口煩い大型犬と、悪戯ばっかりリネアに仕込む蝙蝠と、やる気なさげな赤毛の魔女だもの。
あとはと言えば、あの子の未来のお手本魔女だし。肝心のお友達がいないのよね」
 ・・・未来のお手本というのは自分のことだろうか?
集まった来訪者は、少し遠い目をしてルーリィを眺めた。
そんな視線に全く気付かず、ルーリィはぬいぐるみの柔らかな毛を毟りながら、呟くように漏らした。
「はぁ。このままじゃ反抗期の始まりよね。そのうちきっと釘バットとか持ち出すようになるんだわ。
どうしよう、レディースとか組み始めたら。私の手に終えなくなっちゃう」
 多分、最近変な漫画でも読み始めたのだろう。
明らかに変な思考に酔っているルーリィは、哀願するような目で来訪者たちを見上げた。

「お願い。一日でいいから、あの子に学校気分っていうものを味わせてくれないかしら。
あの子がレディース入りする前に!」

 そう力を込めて叫んだルーリィは、グッと握り拳を固めた。
その手には、もっさりとぬいぐるみの毛がはみ出していたが。


 ―・・・さあ、どうする?

憧れのアフター・スクール



「成る程、それで合点がいきました。
リネア様のお姿が見えないと思ったら、拗ねてらしたのですわね」
 優雅な物腰で、心配そうに眉を寄せているのは鹿沼・デルフェス。
しっとりと波打つ黒い髪と、穏やかに光る赤い瞳。
ルーリィは既に馴染みとなっている彼女の曇った顔を見て、ハァと溜息をついた。
「そうなの。ごめんなさい、折角デルフェスさんがいらしてくれたのに」
「それで、リネア様は今何処に?」
 もしや家を飛び出していってしまったのなら、尚のこと心配だ。
デルフェスはその意も込めて尋ねた。
ルーリィは肩をすくめて、右手の人差し指でピッ、と天井を指差した。
「2階の自分の部屋にいるわ。…銀埜もオロオロしちゃって。あの子、こういう不測の事態には弱いのよね」
「…そうですか。ではわたくしが、リネア様の様子を覗きに行っても構いませんか?」
 ルーリィはデルフェスの思いがけない提案に、思わず目を丸くした。
「…!いいの、お任せして?」
 デルフェスはニッコリと微笑み、軽く頷いた。
「ええ、勿論ですわ。それにわたくし、少しリネア様のお気持ちも分かりますの。
ですので、是非お任せ下さいまし」
「…ありがとう、助かるわ。リネアの部屋は―…デルフェスさん、以前2階にも上がったのよね。覚えてるかしら?」
 以前というのはルーリィ自身の魔女昇格試験の時のこと。
確か、ルーリィの作業室へ足を運んだということなので、そのときのことを覚えているならば、
容易くリネアの部屋も見つかるだろう。
 デルフェスはルーリィの言葉の意味を察し、「ご心配なく」と頷いた。
「きっと大丈夫ですわ。ええ、ルーリィ様たちのお部屋には入りませんので、ご安心を。
では、お邪魔しますわね」
 デルフェスはそう言って、カウンターの裏に回り、カーキ色のカーテンを捲った。




 デルフェスがカーテンの向こうに消えたのを見送りながら、
ルーリィは安堵の表情を浮かべていた。
だがそれもつかの間、すぐにまた眉を顰め、不安そうに俯く。
 リネアが彼女に懐いているのは知っているし、デルフェス自身への信頼もある。
だからやたらと心配する必要はないのだが、やはりこの渦巻く不安はどうしようもないのだ。
「はあ…大丈夫かしら」
「ダメよ、そんな顔してちゃあ」
 ポツリ、と呟いた独り言に、どこからともなく返事が帰ってきた。
ルーリィは思わずバッ、と顔を上げ、キョロキョロと辺りを見渡した。
…誰もいないはずなのに。
「どうも、こんにちは。お邪魔させて頂いてるわ」
 ルーリィが正面を向くと、何時の間に居たのか一人の女性が立っていた。
ルーリィは見覚えのないその顔に、暫し戸惑いの表情を見せる。
女性はつかつかとルーリィに近寄り、ニッと笑った。
そしてにゅっとすらりとした腕を伸ばし、ルーリィの頬を軽くつまむ。
「まず落ち着きましょうね?母親たるもの、どんなときもまず笑顔で、ね。
どんなに慌てていても、騒ぐのは心だけ。顔は微笑みを」
「へ?は、はあ…ひてて」
 ルーリィは頬をつままれながら、ポカンとした顔で彼女の顔を見上げていた。
20代のような若々しさを持つが、同時に40代の威厳も秘めている女性だった。
だからルーリィには、彼女の年齢を察することは出来なかった。
ただ彼女の心に浮かんでいたのは、この女性が何時の間に現れたのか、
いつから自分の話を聞いていたのか。
母親云々と出るからには、リネアの話をも聞いていたということなのだろう。
「分かったかしら、ルーリィさん?」
 女性はニッコリと微笑み、パッと頬をつまんでいた手を離した。
ルーリィはつままれていた頬をさすりながら、女性の顔を改めて眺めてみる。
その顔には常に微笑が浮かべられていたが、今は少し怖い…ような気がする。
所謂、無言の圧力というものか。
「あ、あの…その、すいませんでした。ちょっと私も慌てすぎました…いつのものことだけども。
何で私の名前を知ってるかは聞きません。でも」
 ルーリィは恐る恐る口を開いた。
この店には何故か、色々な人物が訪れる。
それはルーリィの想像を遥かに超えた人物ばかりで、…時には人じゃないものもいて、
だからきっとこの女性も、そのような人なのだろう。
 だが、最低限聞かなければいけないこともある。
だからルーリィは続けた。
「貴女のお名前、教えて頂けますか?」
「ああ」
 女性はそうだった、というように頷き、やはり微笑を浮かべたまま言った。
「春香よ。彼瀬・春香」
「へ?」
 ルーリィは聞き覚えのあるファミリー・ネームに一瞬目を丸くした。
彼瀬というと、もしかして―…。
「あの、貴女は―…」
「ああそうそう、こうしちゃいられないわ。まずは目の前の問題を片付けなければね」
 女性―…春香はルーリィの言葉を気にせず、自分のバッグをごそごそと漁り、携帯電話を取り出した。
そして手馴れた様子で操作し、携帯電話を自分の耳にあてた。
 どこか知らないところへ電話を掛けている春香を眺め、ルーリィは何となく察した。
…多分、彼女があの母親なのだろう。
ルーリィにとって馴染みの顔である彼らの。
彼瀬という苗字はそうそうあるものではないし、それに雰囲気も何処となく似ている。
最も、性格が似ているわけではなさそうだが。
「ええ、了解。感謝するわ。…ルーリィさん」
「は、はいっ」
 プチ、と電話を切り、春香はルーリィに顔を向けた。
ルーリィは思わず背筋伸ばし、裏返った声で返事をした。
…そうしてしまう何かが、彼女にはある。
「話はついたわ。私に任せて頂戴。きっとあなたの娘に、とびっきりの”気分”を味あわせてあげられるわ」
「へ…?」
 ルーリィは思わずきょとん、とした顔を浮かべ、有無を言わさない春香の微笑を眺めていた。
一抹の不安を胸に抱きながら。










 そんなやり取りから、時間は少し遡る。

 カーテンを捲り、2階へと上がったデルフェスは、リネアの部屋の前で思案していた。
 …さて、どう声をかけるべきか。
デルフェスにとって、リネアは単なる人間の子供ではない。
彼女は、リネアの身体がたんぱく質から作られているわけではないこと知っている。
そしてそれは、デルフェス自身もまた、同様に。
勿論誕生に立ち会ったということもあるのだが、材質は違えども
同じ作り物の持つ身であるが故の、思うところもある。
ましてやリネアはまだ生まれたばかり。
その心中を察し、デルフェスは決して激昂することのない表情を少し固くした。
 そして、ふと己の腕の中にある包みの存在に気がついた。
ルーリィの試験合格の祝いに持参したもの。勿論、リネアの分も入っている。
デルフェスはその包みを買ったときの気持ちを思い出し、表情を和らげた。
 迷うより先に、行動すべきだ。
 デルフェスは、くっ、と顔を上げて、空いているほうの手でゆっくりと、リネアの部屋の扉を叩いた。
程なく、中からくぐもった声が聞こえた。
「…リネア様。わたくしです、デルフェスですわ」
 そう自分の名を告げると、暫しの間が空いたあと、キィッとドアが開いた。
空いたことに思わず安堵し、デルフェスは扉の向こうに立っている幼い少女を見た。
「デルフェス姉さん…何で?」
「リネア様とルーリィ様に、お祝いの品を持ってきたのですわ。
廊下で立ち話もお行儀が悪いですし、中に入っても宜しいでしょうか?」
「あ、うん。そうだよね」
 リネアは突然のデルフェスの登場に暫し戸惑いながら、
それでも彼女を部屋の中に招いた。
デルフェスは軽く一礼し、少女の自室に足を踏み入れた。
 中は思ったよりも狭く、だが少女の小柄な身体を考えると、成る程この広さで十分なのだろう。
まだ10歳の少女にしては小奇麗に片付けられ、
ところどころに1階の店内で見られたような雑貨が並べられていた。
この少女が母親と同じ職を選ぶかどうかはまだわからないが、
こうして眺めていると、極々普通の少女の部屋、といった雰囲気だ。
「それで、どうしたの?姉さん。もしかして、母さんに頼まれたんじゃあ…」
「ええ、先程も言いました通り、お祝いを。お気に召すと良いのですが」
 リネアは部屋の壁に沿うように置いてあるベッドに腰掛け、探るような目でデルフェスを見上げた。
だがデルフェスはニッコリとそれを交わし、さり気なく腕に抱いた包みを差し出した。
リネアはそれで懸念も晴れたようで、目を丸くして包みを受け取った。
「えっ…いいの?私に?」
「ええ。ルーリィ様とお揃いのお洋服ですわ。どうぞお召しになって下さいまし」
「う、うん!ありがとう、デルフェス姉さん」
 リネアは包みをぎゅっと抱き締め、デルフェスを見上げて笑顔を浮かべた。
デルフェスはその笑顔を見て、満足そうに微笑んだあと、
さり気なくリネアの隣に腰掛けた。
「…リネア様。何かお悩みでもあるのでは?」
 探るわけではなく、あくまで穏やかな口調のデルフェスの言葉に、
リネアは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに眉を寄せてしかめっ面を浮かべた。
「…やっぱり母さんから聞いてきたんだ?
でも私、謝らないからね。母さんは私の気持ち、全然分かってくれないんだ。
だって母さんだって、人間だからちゃんと学校も行って…」
「…リネア様」
 リネアのふて腐れたような言葉は、途中で掻き消された。
デルフェスの柔らかな身体に埋められたからだ。
 思わず慌てるリネアを他所に、デルフェスは幼子を宥めるように、
優しくリネアの髪を梳きながら口を開いた。
「そう自棄にならないで下さいまし。わたくし、リネア様のお気持ちも分かりますの」
「…え?」
 デルフェスは穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「わたくしも、リネア様と同じ”人形”ですわ。わたくしの場合は、原料はミスリルですが。
ですから、リネア様と同じく学校には通っておりませんの」
「…デルフェス姉さん、ミスリルで出来てるんだ…だからあんなに固かったの?」
「ええ、わたくしミスリルゴーレムですから、堅さにはちょっとした自信がありますのよ」
 デルフェスはそう、面白そうに言った。
この身を盾として、この少女を守ったのはいつのことだったか。
もう大分遠い日のように感じる。
 リネアは暫し黙っていたが、デルフェスに抱かれながら、ゆっくりと口を開いた。
「…デルフェス姉さん、今楽しい?」
 デルフェスはリネアの言葉に、一瞬目を丸くするが、直ぐにニッコリと微笑んだ。
「ええ、勿論ですわ。学校に通っていなくても、
ルーリィ様やリネア様とお友達になれましたし」
「…私、友達?」
「ええ、わたくしはそう思っております。リネア様にとっては違うのでしょうか?」
 リネアは抱かれながらも、ぶんぶん、と首を横に振った。
「ううん、私も友達だと思ってるよ」
「そうですか、それは嬉しいですわ。
…ですから、お友達は学校で作るものではなく、ご自分で作るものなのですわよ」
「…………。」
 デルフェスの、穏やかながらもしっかりとした口調に、リネアは暫し考え込むように黙った。
デルフェスはしばらくそんなリネアの髪を撫でていたが、やがてふっ、とリネアの身体を離した。
そしてリネアの半分ほど伏せた瞳を覗き込み、にっこりと笑った。
「ですが、全く知らないというものも淋しいものですし。
少し体験してみるのも宜しいのではないでしょうか?わたくしも是非、体験してみたいですし」
「………へっ?」
 リネアはデルフェスの言葉に、ぱっと顔を上げた。
そして目を丸くして、
「体験って…そんなこと出来るの!?デルフェス姉さんも一緒に!?」
「ええ、やろうと思えば出来ますわよ。但し一日体験ですが」
「一日でもいい!私、やりたいっ」
 リネアはそう言って、哀願するようにデルフェスを眺めた。
デルフェスは笑顔を浮かべたままリネアの頭を撫で、
「それでは、1階に戻ってご相談してみましょうか。きっと何とかなりますわ」
「うんっ」
 リネアは嬉しそうに大きく頷いた。















「母さん、母さん!デルフェス姉さんが、一緒に学校行ってくれるって!
…って、そのオバサン誰?」
 バッと勢い良くカーテンから顔を出したリネアは、笑顔をルーリィに向けたあと、
彼女の隣に立っている春香に気がつき首を傾げた。
「…まあ、私もそう呼ばれるような歳ではあるけど…。
でも外見的には30歳前後ってよく言われるのよ…別に思い上がりでも何でもなく!」
「え?え?」
 ブツブツと呟き始めた春香に、ルーリィは思わず慌てた。
「あ、あのっ。春香さん、あの子は悪気があったわけじゃないの!
うん、私も春香さん、すっごい若いと思うし!ね、だから…」
「ふふ、いいのよルーリィさん。これしきのことでうろたえないで頂戴。
さっきも言ったでしょう?母親たるもの…」
「常に笑顔?」
「ええ、そうよ」
 自信たっぷりに春香はうなずき、とてとてと訝しげに近づいてくるリネアを眺めた。
「成る程、あなたがリネアさん?」
「うん、そう…です、オバサン…じゃなくて、春香姉さん」
「いいわよ、別に無理しなくっても。私も自分で自覚してるもの、そう呼ばれる年齢ってことは。
まあ、呼びたければそう呼んでも構わないけども」
「…う、うん。春香姉さん」
 リネアは春香の纏うオーラに気がつき、冷や汗を垂らしながら頷いた。
少女なりに気がついたらしい。彼女は安易に逆らってはいけない人物であることを。
「ま、まあ…そうそう、リネア!デルフェスさんが、何て?」
 ルーリィはその場を取り繕うように、笑顔でリネアに声をかけた。
リネアは思い出したように頷き、
「うん、そう!デルフェス姉さんが、一緒に学校に行ってくれるって」
「でも、場所がまだ確保できておりませんの。
わたくしは、リネア様とご一緒出来ればいいと思ったのですが」
 そう言って、デルフェスが遅れてカーテンの裏から出てきた。
ルーリィは安堵した表情をデルフェスに向け、
「ううん、ありがとう。…本当に感謝してるわ」
「いいえ、お礼には及びませんわ」
 デルフェスはそう言って、微笑みをルーリィに向けた。
そしてふと、自分に向けられている視線に気がつく。
目を向けると、ルーリィの隣に居た春香だった。
「あの、何か?」
「デルフェスさんといったかしら?申し遅れて御免なさい、私は彼瀬・春香。
あなたもご一緒するの?」
「…?ええ、そのつもりなのですが」
 デルフェスはいまいち展開が読み込めていなかったが、それでも微笑を浮かべて頷いた。
この状態からすると、リネア関連だと思ったからだ。
「そう。なら話は早いわ。付いて来てくれる?」
 そう言って春香はくるりときびすを返し、すたすたと玄関の方に向かって歩き出した。
そして首だけルーリィのほうに向け、
「あなたの娘、少しばかり借りていくわね」
 そう言ってニッコリと微笑んだ。










               ■□■









「あの、春香…姉さん。何処に行ってるの?」
 車の後部座席から顔を乗り出し、リネアは運転席で軽々とハンドルを握っている春香に声をかけた。
春香は前を向いたまま、ふふ、と含み笑いを浮かべて答える。
「まあいいから、今は大人しく座ってなさい。もう直ぐ着くわ」
 リネアはその言葉に、訝しげに眉を顰めながら、同じく後部座席に座っているデルフェスと顔を見合わせた。
 何時の間に止めてあったのか、”ワールズエンド”のすぐ外に駐車してあった車に積み込まれ、
春香の運転でもう15分ほど揺られている。
何処に行くかも告げられておらず、只春香の運転が妙に上手いことだけが彼女たちを安心させていた。
…最も、何故か胸騒ぎがするので、メーターはわざと見ないようにしていたが。
「着いたわ」
 春香がそう言うと同時に、キキッと車が止まった。
「さあ、降りて降りて」
 春香にそう急かされ、リネアとデルフェスは順に車から降りた。
そして見上げると、そこには背の高い、黒々とした鉄製の門がそびえていた。
「…春香姉さん、これって…」
 リネアは運転席から降りてきた春香を見て、恐る恐る口に出した。
だが春香はそれには答えず、リネアたちの背を押して、颯爽と門の中に入った。
「…デルフェス姉さん、ここ…」
「小学校、でしょうか。わたくしは入ったことはありませんが」
 門を入って直ぐのところには、4階建ての建物が、どん、と構えていた。
その建物の入り口は大きく、ガラス張りの戸は開けっ放しになっている。
戸の向こうには、順序良く並んだ木の棚のようなものがあった。
「ねえねえ、じゃああれ、クツバコかなあ?私、テレビで前に見たんだ!」
「そうですわね、わたくしも実物を見るのは初めてですわ。
なかなか古風なものですわね」
 そんな会話を交わしていると、リネアの肩がぽんぽん、と叩かれた。
振り返ると、お馴染みの上履きを手にした春香が、にこやかな笑みを浮かべていた。
「とりあえず、これに履き替えて教室に行ってね。
教室は4階の端、5−2って書いてあるところよ」
「え?う、うん」
 何故春香がこれを持っているのか、それを問う間もなく、春香は一人で校内へと入っていった。

 その背中を見送ったあと、リネアはデルフェスのほうを見上げ、
「…じゃあ、行ってみようか、デルフェス姉さん」
「…そうですわね」
 春香が何者なのか、もしやこの学校の職員なのか。
そんな幾つもの疑問を胸に抱きながら、デルフェスはそれでも微笑を浮かべて頷いた。













        ―――…ガラリ。

 引き戸になっている教室のドアを開けると、見覚えのある椅子と机が40個ほど、綺麗に並んでいた。
といってもリネアの場合、それはテレビや漫画の中で見ただけのものだったのだが。
「わあ、ホントに木で出来てるんだね!」
 そうはしゃいで教室に入るリネアに続き、デルフェスも教室に入って机と椅子を見下ろしてみる。
彼女の心中では、リネアと同じようなわくわくと一緒に、
果たしてこの椅子に外見19歳の自分が座れるのか、という不安もあった。
だが、とデルフェスは思い直す。
例え椅子が窮屈で、机が腰あたりまでしかなくても、
リネアと共に学校生活をエンジョイしようと。
「リネアさん、デルフェスさん。始業を少し過ぎてるわね?
早くお座りなさい」
「えっ?…は、春香さん?」
 リネアは突然の声に、驚いて教卓のほうを向いた。
そこには、先程別れたばかりの春香の姿。
何故か手には薄い本のようなものを持ち、先程まで掛けていなかった眼鏡を掛けている。
「まあ、先生役なのでしょうか?」
 リネアほどは動じず、デルフェスは楽しげな様子で春香を見た。
春香は腰に手をあて、顔にはいつもの微笑を浮かべ、二人に握っているチョークを指す。
「さあ、早く自分の席につきなさい。でないと、廊下でバケツを持って突っ立ってもらうわよ?」
「あっ、それ知ってる!罰ゲームだよね、罰ゲーム」
「ゲームじゃありません、リネアさん。さあ、早く」
 少し吹き出し気味の春香に急かされ、リネアとデルフェスは中央付近へと急いだ。
前から二列目、教卓の真ん中程の席には、机の上に教科書のような薄い本が二人分置かれていた。
「ねえ、ここ?私の席」
 うきうきしながら春香に尋ねたリネアに、思いがけない声がかかった。
「ちこくだね、りねあちゃん」
 リネアとデルフェスは、その声に驚いて、自分たちの席の隣を見た。
そこには彼女たちが教室に入る前から居たらしい、10歳程度の少女が座っていた。
茶色の髪は長く、大きな葉のついた狐型の髪留めで止めている、どことなく中性的な雰囲気を持つ少女だった。
狐色のトレーナーに青色のつりスカート、という古風ないでたちで、
つりベルトの部分に、紺野、と印刷された名札をつけていた。
「え、えーっと…」
 リネアはそんな少女を見て、どこかで見覚えがある、と感じていた。
何処で見たかも思い出せなかったが。
「初めまして。わたくし、鹿沼・デルフェスと申しますの」
「うん、よろしく。わたし、こんのえるも」
「…えるも…ちゃん?」
 リネアは自分よりも幼い少年と同じ名に、思わず戸惑った。
だが、リネアの知っているえるもは4,5歳程度の少年だし、
目の前の少女とは雰囲気は似ているが、歳が違う。
狐の変化のことを全く念頭においていなかったリネアは、暫し悩んだ挙句、
このえるもは、あのえるもとは違う子だ、という結論をつけた。
そして、きっと春香が連れてきてくれたのだろう、と思うことにした。
「私はリネアよ。リネア・キムっていうの。…あ、でも、さっき私の名前呼んでたよね」
 一度結論をつけると、もう警戒心はなくなったのか、
リネアはえるもの隣の席を引いて腰掛、えるもに話しかけた。
デルフェスはというと、リネアの反対の隣の席に着き、机の上に並べられた教科書を見定めていた。
どうやら本日の授業は算数のようだ。
「うん、はるかせんせいがおしえてくれたの。りねあちゃんに、でるふぇすちゃん」
「あら、わたくし、ちゃんを付けられて呼ばれたのは久しぶりですわ」
 何だか新鮮で嬉しいですわね。
そう言ってデルフェスは嬉しそうな笑みを向けた。
「えへへ、きょうから、おともだちだね!」
「…お友達?」
 リネアはえるもの言葉に敏感に反応し、大きな目を丸くして首を傾げた。
「えるもちゃん、私の友達になってくれるの?」
「うん。りねあちゃんも、でるふぇすちゃんも、おともだちだよ」
 えるもはそう言って、にっこりと笑って頷いた。






「はいはい!おしゃべりはそのぐらいにしなさいね。
そろそろ授業始めるわよ」
 パンパン!と両手を叩き、春香が良く通る声で言った。
リネアたちは揃って前を向き、姿勢を正した。
…最も、デルフェスだけは少々窮屈そうだったが。
「今日は算数ね。日頃から勉強してるお利口さんには簡単よ」
 春香はそう言って、手に持っていた教科書をぺらぺらとめくった。
真似するように、デルフェスとえるもも教科書を手に取り、中を覗き込んでいる。
二人の様子を交互に眺め、リネアは改めて自分の本を手にとって、中を開けてみた。
だが、リネアにとってさっぱり分からない内容だった。
(…ブンスウって何だろう?)
 リネアは全く勉強をしないというわけではない。
だがそれは”ワールズエンド”の面々から教わることのみで、
基本的に日常生活における細々としたことや、常識といった範囲のみで、
他はというと、時折銀埜から本を読んでもらったり、ルーリィに魔女の村に伝わる御伽噺を聞かせてもらったり、
果てはリックやリースから悪戯の極意を教わってみたり、とそんなことばかりしているものだから、
当然の如く小学校高学年で学ぶ算数といったものに触れる機会は皆無だった。
だから、日本語を読んだり書いたり、話すことには支障はないが、
それ以外の学問といったらさっぱりなのだった。
「…あら、どうしたの?リネアさん」
 まごついてるリネアに気がつき、春香が声をかけた。
隣の二人も心配そうに覗き込んでいる。
だがリネアは理由を話すことは出来なかった。
何せ、これはリネアのための授業なのだから。
「…リネアさん:
 そんなリネアを察したのか、春香が穏やかな声で言った。
「分からなくても良いのよ。学校は、分からないことを学ぶための場所なのだから」
「…そう、なの?春香姉さん…じゃなくて、先生」
「そうよ。日頃は見失いそうだけど、そのために学校はあるの。
…でも、いきなり難しいところにいくのは何だから、簡単なことからしましょうか」
 春香はそう言って、手にしていた教科書を机の上に伏せた。
リネアはそんな春香の言葉にホッとするが、それも束の間、次の春香の言葉に愕然とする。
「じゃあ、リネアさん。…九九の八の段を言って見なさい」
「……え、くく!?」
 リネアは思わず固まった。
その頭の中では、くくって何、簡単なものなの!?という言葉が渦巻いている。
無論、リネアは九九の存在すら知らない。
 そんなリネアを見て、春香は思わず、しまった、という顔をした。
九九程度なら、と思ったのだが、これは盲点だった。
だが今更問題を変えると、リネアのプライドが傷つきかねない。
「え、えっと…その…」
 リネアが戸惑っていると、隣の席のえるもが、つんつん、とリネアの肘をつついた。
「あのね、わからなかったら、しょうじきにわかりません、っていってもいいんだよ」
「…え?」
「きっとせんせいがおしえてくれるよ」
 だってそれがしごとだもんね。
 えるもはそう言って、にこっと笑った。
 だがその次の瞬間。

         ―…カンっ。

 小気味良い音が響き、えるもは後ろにつんのめった。
近くの床には、コロコロと白いチョークが転がっている。
リネアはぽかん、と口を開けて呆然としていた。
春香の方を向くと、春香はチョークを投げつけたままの格好で、
にっこりと微笑を浮かべていた。
「おしゃべりはいけませんよ、えるもさん?」
「い、いたいのー―…ほんとになげちゃいたいのっ」
「あら、授業中におしゃべりするからよ」
 ほんの少し赤くなった額をさすりながら涙目で訴えるえるもに、
春香はそれでも微笑を絶やさず言い放った。
 そしてリネアのほうを向き、
「それで、リネアさん。もう解けた?」
「えっ、あの…!」
 リネアは再度春香の視線を受け、慌てながらも先程のえるもの言葉を思い出す。
 …きっと、分からないと言うのも勇気なんだ。
「ええと…わ、わかりません」
 殆ど最後のほうは消えかかりそうになりながら、それでもリネアは言った。
その言葉を聞き、春香はにっこりと笑う。
「そう。じゃあ、誰かリネアさんを助けてあげられる人はいない?」
「はいっ」
 それを待ちかねていたように、リネアの隣からはっきりとした大きな声があがった。
それと同時に、ぴしっとまっすぐに上がった腕も。
「はい、デルフェスさん」
 春香に指され、デルフェスは軽く頷いてから、朗々と暗唱しているように言った。
「八一が八、八ニ十六、八三二十四…」
 そして最後の九まで言い終わり、春香のほうを見た。
春香は満足そうに頷き、
「はい、ありがとう。良く出来ました、デルフェスさん」
「ありがとうございます。…リネア様」
 デルフェスはにっこりと微笑んで、微かな声でリネアに言った。
リネアは首を傾げてデルフェスを見る。
「分からないことは、今から学んでいけばよろしいのですわ。
何も恥じることはありませんのよ」
「…デルフェス姉さん」
 リネアがデルフェスの言葉に、思わず瞳をうるませていると、
すぐに教卓のほうから鋭い声がかかった。
「こら、そこっ。チョークを食らいたいのかしら?
仲が良いのも結構だけれど、それは放課後になさい」
「はぁーい」
 リネアはそう言って、春香のほうを向き直った。
そして思わず、くすくすと忍び笑いを漏らす。
…学校っていいなあ。
 リネアの胸には、確かに今、微かな幸福感が生まれていた。
「じゃあ、今日は九九をやりましょうか。リネアさん、今日中に覚えてもらうわよ」
「はいっ。私、がんばります!」
 








               ■□■











「…でね、でね!帰り道で、商店街ってところにある、
お肉屋さんのコロッケも食べたんだ。すっごいさくさくで美味しかったよ!」
「へえ、そりゃ良かったな。でもそんな脂っこいものを食べて、身体がおかしくならなかったかい?」
「うん、大丈夫だったよ」
「きっと、人間のものを食べているうちに、身体が慣れてきたんじゃないかしら。
魂が人間だもの、鳴れるのも早いはずよ」
 窓の外はすっかり陽が落ち、暗くなっている。
1時間程前に帰ってきたリネアは、ルーリィや銀埜を前に、今日の出来事を興奮して喋っていた。
「でもね、デルフェス姉さんは食べなかったの。何でだろう?」
「そりゃあ、彼女はミスリルゴーレムですもの。食事は必要としないのよ」
 店の後片付けをしながら、ルーリィはくすくす、と笑いながら言う。
今日がどんな一日だったかは、リネアの嬉しそうな表情が物語っている。
母親として自力で解決できなかったことは心苦しいが、
それと同時に身近にいる人々―…デルフェスやリネアの言う”えるもちゃん”、それに春香。
こういった人々の暖かさを、より近く感じることが出来た。
それは素直に嬉しいと思うし、リネアにとっても喜ばしいことだと思う。
「…でも、私も同じ人形だよ。食べなくていいの?」
 リネアの問いに、銀埜が答えた。
「私たち動物のように、必ず食べなくてはいけないということはないな。
リネアは基本的に、何も口にしなくても生きてはいける。
だが生まれてから今まで、ずっと私たちと同じものを口にしてきたのだから、
急にそれをやめると、支障をきたすかもしれない。だから―…」
「じゃあ、やっぱり私は食べてていいんだよね。
良かった、これから美味しいもの食べれないのなんて、寂しいもん」
 銀埜の長い説明を遮るように、リネアは幸せそうな顔をして言った。
思わず銀埜は苦笑を浮かべるが、ルーリィは笑いをこらえるように震えていた。
「あ、そうそう。これ、えるもちゃんに貰ったの。
またこんどあそぼうね、って言ってた。またこんど、っていつだろ?明日かな?」
「…そんなに早くは無理だろう。”また今度”と、”いつか”という言葉だけは信用ならないと―…ああ、冗談だ。
きっと直ぐにまた遊べるよ」
 銀埜は己の言葉で思わず涙ぐむリネアに慌てて訂正し、
それを誤魔化すかのように、リネアの手にある小瓶を取った。
中にはすみれ色の染料が入り、銀埜が小瓶を振るたびに、ちゃぽん、という音を鳴らした。
「へえ、綺麗な色だな。……む、これは」
 銀埜は小瓶を手に取った瞬間に感じた僅かな香りに、鼻をひくつかせた。
どこかで嗅いだ覚えのある香り。
場所ではなく、特定の人物から発せられる匂い。
 銀埜はその持ち主に気がつき、思わず笑みを浮かべた。
そして小瓶をリネアに返しながら、囁くように言う。
「…本当に、直ぐに会えるさ。これはあの可愛らしい子狐さんが作ったものだからね」
「……えっ。…てことは、やっぱりえるもちゃんはえるもちゃんなの!?ホント!?」
「ああ、匂いは嘘をつかない」
 リネアは小瓶を抱き締め、思わず飛び上がった。
あの10歳程度の少女は、やはり狐のえるもだった。
リネアはつい先日見た、可愛らしい本物の狐の姿をしたえるもを思い出し、悦に浸るような表情を浮かべた。
「えるもちゃん、すっごい可愛かったぁ…。また会えるよねっ」
「ああ。…だけど、あんまり苛めてあげるなよ」
「大丈夫だよ、ちょっと撫でるだけだもん」
 撫でた部分が禿げなければいいが、と苦笑を浮かべながら、
銀埜はなにやら考え込んでいるルーリィのほうを見た。
「…どうかしましたか?」
「あ、ううん…大したことじゃないんだけど。
…紺野えるもちゃんは、えるもちゃんだったのよね。デルフェスさんは銀埜も知ってるでしょう?
…なら、あの春香さんは一体何者なのかしら」
「……………」
 ルーリィの言葉に銀埜も思わず固まった。
ルーリィとリネアの話によれば、神出鬼没で、その上軽々と小学校の教室を貸切り、
尚且つ教師の真似事までしていたという。
「…世の中には、不思議がまだまだあるということですね…」
「……そうね」
 世間一般から見て、”不思議”極まりない魔女という職業に関わっている二人は、しみじみと頷いた。
そして心の中で、まだまだ世界は広いな、と呟くのだった。




 そして後日。
さらに二人を不思議がらせる一通の封書が届く。
中にはリネアのものらしき戸籍―…きっと偽造に違いない―…と、
達筆な文章でこう書かれた手紙が入っていた。


 『いつも息子たちがお世話になっています。先日は楽しかったわ。

           ――彼瀬・春香』












          End.





●○● 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)         
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【整理番号|PC名|性別|年齢|職業】

【2181|鹿沼・デルフェス|女性|463歳|アンティークショップ・レンの店員】
【4400|彼瀬・春香|女性|46歳|主婦?】
【4379|彼瀬・えるも|男性|1歳|飼い双尾の子弧】



●○● ライター通信      
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 こんにちは、WR瀬戸太一です。
今回は当依頼に参加して頂き、有り難う御座いました。
皆さんお馴染みの方ばかりで、有り難く思いながらも
楽しんで書かせて頂きました。
少々展開の問題で、買い食いのシーンを大幅に削ってしまいまして、申し訳ありません;
なるべくしっくり読めるよう心がけて書いてみましたが、如何だったでしょうか。
楽しんで頂けると非常に嬉しく思います。

そして初の作品を書かせて頂いて有り難う御座います、春香さん。
当方色んな意味で強い女性は大好きなもので(笑)、
大変楽しんで書かせて頂きました。
イメージと合っていましたら、とても嬉しく思います。

それでは、書かせて頂いて有り難う御座いました。
またどこかでお会いできることを祈って。