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■一不可思議の雨■

追軌真弓
【5151】【繰唐・妓音】【人畜有害な遊び人】
 折り畳み傘は常にバッグに入れておいてこそ真価を発揮する。
 そう思うのはいつも、降り出した雨に前髪から雫が滴り落ち始め、コンビニエンスストアで何本目かのビニール傘を買った後だ。

 雨に冷えた髪をとりあえず拭いて、やや距離のあるバス停まで歩き出す。
 いい加減乾いた部分の無くなってしまった靴から視線を上げると、ひさしの張り出した店先に、先程までの自分と同じく空を見上げて途方に暮れる少年がいた。
 墨色の袴に麻の着物姿。いつもしている白い前掛けはないものの、得物処・八重垣の店員、八重垣芳人だった。
 品の良い縮緬の風呂敷に包んだ品物を、雨から守るように両手でしっかり抱えている。
 自分の視線に気付いた芳人がかすかに首を傾げる。
「八重垣に何度かいらした方ですよね?」
 得物処・八重垣には何度か立ち寄ったが、まだ実際に商品を買った事はない。
 そんな客までを覚えている事に驚く。
「ああ、ええと……傘、ないの?」
 無いから雨宿りしているのだろうが、とっさに間抜けな質問しか出てこなかった。
 素直に頷きながら、芳人は苦笑する。
「傘も無いんですけど……実は道にも迷っちゃって。
僕、こっちに越してきたばかりで、この辺りまだ良くわかってないんです」
 八重垣まではそう遠くない距離だ。
しかしタクシーを拾うとなると、路地裏に入るためかえって遠回りになる。
「送って行こうか?」
 驚いた芳人は、普段店で見かける表情と違って年相応の少年らしい。
「え、そんな、悪いですよ!」
「バス停まで行くついでだよ。
それにその荷物、このままじゃ濡れちゃうだろうし。大事なものなんでしょう?」
 芳人は自分と手の中の荷物を交互に見、控えめに切り出した。
「それじゃ、お願いできますか?」

 自分は雨に濡れた黒猫に傘をさしかけた。
一不可思議の雨

 何でこないに雨、続くんやろなぁ。
 も少し先やったら紫陽花も咲くんやけど、まだ早いようやし。
 いい加減、雨の中ぶらぶらするん退屈やわ。
 繰唐妓音は渋い男物の番傘の先を上げ、晴れ間の気配も見せない空を見上げた。
 妓音が緋色のワンピースの上に羽織った白地の着物には、大輪の花が咲いている。
 彩度の低い雨の景色の中、それは雨露をしたたらせても誇り高く咲く牡丹のあでやかさを漂わせていた。
 もう歩いて帰るの止そか。
 たまにはバス乗るんもええやね。
 コンビニエンスストアに立ち寄り、雨に冷えた髪とむき出しの足先をとりあえず拭いて、妓音はやや距離のあるバス停まで歩き出す。
 冷えて少し赤くなったつま先から視線を上げると、ひさしの張り出した店先に、先程までの自分と同じく空を見上げて途方に暮れる少年がいた。
 墨色の袴に麻の着物姿。いつもしている白い前掛けはないものの、得物処・八重垣の店員、八重垣芳人だった。
 品の良い縮緬の風呂敷に包んだ品物を、雨から守るように両手でしっかり抱えている。
 妓音の視線に気付いた芳人がかすかに首を傾げる。
「八重垣に何度かいらした方ですよね?」
 うち、まだ実際に八重垣で買うた事ないんやけど。
 そんな客まで覚えてるなんて関心やわぁ。
「あんたはん、傘、ないん?」
 素直に頷きながら、芳人は苦笑する。
「傘も無いんですけど……実は道にも迷っちゃって。
僕、こっちに越してきたばかりで、この辺りまだ良くわかってないんです」
 八重垣まではそう遠くない距離だ。
しかしタクシーを拾うとなると、路地裏に入るためかえって遠回りになる。
「送って行こか?」
 驚いた芳人は、普段店で見かける表情と違って年相応の少年らしい。
「え、そんな、悪いですよ!」
「バス停まで行くついでやもん。気にせんどきぃな。
それにその荷物、このままやったら濡れてしまうのとちゃいますの?
大事なもんどすやろ?」
 芳人は自分と手の中の荷物を交互に見、控えめに切り出した。
「それじゃ、お願いできますか?」


 男物の番傘は、二人が並んで入ってもまだ余裕があった。
 妓音の方が背が高いので、恐縮しながらも芳人は傘を妓音に持たせていた。
「えっと、妓音さんはどうして八重垣に?
失礼ですけど、武器を手に取るような方には見えなくて」
「いややわぁ、妓音さんなんてかたっ苦しい。妓音ちゃんて呼んだって」
 ころころと笑う妓音に、芳人は顔を赤くしながら「妓音……ちゃん」と返す。
 その言葉に満足げに頷き、
「うち、これでも鉄扇使おてるんよ。綺麗な扇で舞うん、あんじょう好きなんどす」
 傘を差していない方の手をひらりと舞うような仕草で動かし、妓音は嫣然と微笑んだ。
「あっ、そうなんですか!
女性のお客様はまだ少ないのでお店に出してなかったんですけど、いくつか在庫ありますよ。
帰ったら鉄扇も早速出しますね」
 八重垣に並ぶ品は芳人が折を見て入れ替えているが、今のところ男性客ばかりの為どうしても品物が偏っていた。
「ほんま? 嬉しわぁ。
芳人はん、うちに似合いの可愛らしぃの選んだって」
 するりと芳人の腕に自分の腕をからめ、妓音は藍色の瞳でのぞきこむ。
 間近で視線が合った芳人は緑の瞳を丸く見開いて真っ赤になっている。
「あ、あのっ、それじゃ早く帰らなくちゃ!」
「そやね、今からそこにいぬんやったなぁ。
前は迷って偶然八重垣はんに寄せてもろたんやけど」
 ぱっと腕を放した妓音は数歩道を進んで止まった。
「え? 妓音……ちゃん?」
 芳人は何となく嫌な予感を感じていた。猫又の勘は悪い事にばかり敏感だ。
 今、迷ったという言葉を確かに聞いたように思う。
「いややわぁ、ここ、どこでっしゃろ?」
 にっこりと笑う妓音に、足元が崩れそうになる芳人だった。


 しとしと降り続く雨の中、相合傘の二人は町をさまよっていた。
 人通りも少なく、一度見たような景色がけぶる雨の向こうに何度も繰り返されている。
「もうすぐそこまで来てる、いう自信はあるんよ?」
 頬を膨らませた妓音に、芳人は慌てて言葉を返す。
「気にしないで下さい。僕は、これが濡れなければ十分ですから」
 ぎゅ、と風呂敷包みを抱えなおす。
 その仕草が気にかかり、妓音は首を傾けて芳人を見た。
「一体何が入ってますのん?」
「ああ、これはですね……」
 芳人が答えかけた時、横を向いた妓音の足はバランスを崩し倒れかけた。
「……えらいびっくりしたわぁ」
 番傘がアスファルトに落ち、くるりと半円を描いて止まる。
 とっさに片手で妓音の腕を支えた芳人は、ゆっくりと姿勢を直した。
「大丈夫ですか?」
「やっぱり芳人はんも男の人やね。今、あんじょう頼りがいあったわぁ」
「そ、そんな事ないですよ!」
 手を振って大げさな程否定する芳人が可笑しくて、妓音は微笑んだ。
 が、足元に違和感を感じて下を向く。
「うちの鼻緒、切れてしもたわ」
 片足を浮かせ、妓音は肩をすくめた。
「僕、直せますよ。これ持っててもらえますか」
 風呂敷包みを妓音に預け、懐にある手ぬぐいを器用に鼻緒に仕立てる。
 足元にしゃがんだ芳人が雨に濡れないように傘を差しかけながら、妓音が聞いた。
「芳人はんは、何でも一生懸命しはるんやね」
「そんな事ないです……僕は良くしてくれる人に、お返ししたいだけです」
 下を向いたままそう言った芳人の表情は見えなかったが、出来上がった木履を差し出す少年は明るく笑っていた。
「はい、出来ました。
立ち止まってるうちに、雨もやんだみたいですね」
 一度雲間が切れると、さっと舞台の緞帳が開いて行く様に太陽の光が差しこんでくる。
 足捌きをみていた妓音も番傘をたたんで背筋を伸ばした。
 雨の滴で覆われた街も今度は明るい光をまとい、一瞬前までの重く沈んだ雰囲気は消えている。
「この分なら、虹も見れそうやね」
「きっと出ますよ!」
 雨がやんだので、芳人は風呂敷包みを解いて見せた。
「大旦那様が探してらっしゃった、粉本(ふんぽん)の一部です。
日本画の元になるスケッチやデッサンですね」
 粉本とは、日本画の絵師が制作の参考にするための、古画の模写や見取り図、縮図や写生帳などの総称だ。
 時代を経て黄変した紙の上、無数の鳥が本絵に臨むように入念に描かれている。
「手に入ったって聞いたら、大旦那様に早く見せたくて……傘も持たないで出たら、やっぱり雨に降られてしまって」
 僕、雨って本当は苦手なんです、と芳人は続けた。
「ええやないの。
大切な人のために役立ちたいいう気持ち、忘れたらしまいでっしゃろ?」
 芳人はんて一途なんやねぇ。
 そんなに想われてる八重垣の旦那はん、一度見てみたいわ。
「そうですよね……あ! あそこ見覚えあります!
八重垣のすぐ近くですよ、ここ」
 ぱたぱたと駆け出した芳人が妓音を振り返った。
「妓音ちゃんはゆっくり来て下さいね! 僕、急いで鉄扇もお茶も用意しますから!」
 返事を待たずに走る芳人の後姿を微笑ましく思いながら、ゆっくり妓音は新しい鼻緒で歩き出した。
 

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5151/ 繰唐・妓音 / 女性/ 27歳 / 人畜有害な遊び人】

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■         ライター通信          ■
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繰唐妓音様
ご注文ありがとうございます!
甘え上手な妓音様が出ていれば良いのですが。
方向音痴な人に限って、妙に自信満々で逆方向に突き進んだりするから更に迷うんですよね〜(それは私)
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。