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■緋櫻 〜其を喚ぶ声〜■

海野 希
【2736】【東雲・飛鳥】【古書肆「しののめ書店」店主】

 ―――…どうして。

 二和記念公園―――西東京において有数の桜の名所でもある広大な公園。
 その公園の約中央にある櫻園。そこは4月ならば夜でも花見客で賑わうであろう場所だが、既に今は花も散り五月に入っていて閑散としていた。――まあ、一部の人間には最適のスポットではあるのだが。


「まだ、さすがに肌寒いわね〜。」
 薄手の春物に身を包んだ女が言った。
 最近は陽も長く、暖かくなってきたが風の冷たい日の夜などはまだ寒い。
「じゃあ、俺が暖めてやるよ。」
 冗談交じりに傍らに立つ男が言った。

 ―――…ねぇ、どうして?

「? おい、今何か言ったか?」
「え、何も言ってないわよ? ちょっとやめてよ…こう言う場所でそう言う事言うのさぁ。」
 女がそう言った直後、男の首筋をふわりと生暖かい風が撫でる。肌寒い、この夜に。
「ああ、そうだな悪――――――」
「……ねえ、どうしたの?」
 硬直した男を訝しげに女が尋ねるが男は答えない。それどころか視線すら合わせようともしない。
 否、合わせられなかったのだ。男はある一点を凝視していて、その視線を逸らす事が出来ずにいた。
「ひ…っ。」
 男の視線を辿って女も息を飲んだ。そこには、緋色の桜が幽玄のように佇んでいたからだ。
 今は五月である。咲きの遅い桜も、この地では既にその身を緑に染め上げている。
 しかし、その桜は今が旬と言わんばかりに満開にその花を開かせ咲き誇っていた。
 そしてその傍らには一人の女。

 平安時代の絵物語に出て来るような恰好をした朧に見えるその女は、白く儚く、緋色に咲いた桜に良く映えた。
 その女の視線がこちらを向いた。
 
 ざわり。
 
 全身から汗が吹き出る。
 冷たい汗。

 ―――……どうして、中将様…。

 女の声が聞こえた―――気がした。
 瞬間、二人の束縛は解け、彼らは笑う膝で何事か叫びながら夜の街へと一目散に走り去って行った。
 その場に残されたのは夜の静寂と冷たい風、そして緋櫻と白い女。


 ―――……どうして逢いに来て下さらないの……どうして…。



 二和公園からそう遠くない町、七七七町にその変な骨董品屋はあった。
 何が変かと言えば店の名前はまだ無く、骨董品屋というよりも萬屋と言った方が良い事をしている。
「猫の散歩から犬の世話、赤子のお守など何でもお引き受け致します。」
 骨董品のレンタルもやってるようだがこのご時世は大変らしい。
 しかもこの店はそれだけじゃなく怪奇事件の仲介までやっている始末だ。無論、公に知られている訳ではないのだが。

 その店の主人―と言うにはまだ若すぎる気もするが―の藤井・敦耶(ふじい・あつや)は口を開いた。
「――二和公園の噂を知ってるか? 夜な夜な公園の中央に狂い咲きの桜と女が現れるって奴だ。」
 こんな怪奇事件はまともに新聞には取り沙汰にされる訳がないので大体は噂か、ネットの情報からだ。
「現状は直接被害が出たって事は無いんだけどな、驚いて逃げた奴が転んで足の骨を折ったとか。とりあえず公園の管理側としてはひっじょーに困ってるらしい。」
 やれやれ、と言わんばかりに依頼書(と思わしき物)を畳むとニッとこちらに笑いかける。
「ま、そーゆーワケでうちに依頼が来てるんだが…どーする?」