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■奇兎−狩−■

千秋志庵
【5191】【武田・幻之丞】【高校生、黄泉財閥の長男『素戔嗚尊』】
――“世界”は不完全で、僕達はいつもその未熟さに恐怖する。

「……ビンゴ」
情報屋は一通のメールを見て、嬉しそうに微笑んだ。指先でパソコンのキーを玩びながら、喉の奥で久々の本能に任せた声を上げた。
黒社会で蠢く事態は殆ど把握している。それでも、情報屋の掴んだ情報は「情報」たらしめていない部位が多い。例えば、意図的に隠され、それ自体が黙殺され――。一連の行為すら忘れ去られているという、誰にも価値のないような情報。

奇兎

画面に表示された文字を、細い指がぴんと弾く。
「“奇兎”狩り依頼、か。狂ってますね、彼らは。」
“奇兎”というのは、簡単に言って、或る一部の特殊機関での専門用語で「異能種」のことである。その種類は幾つもあり、分け方は本職者でないと分からないが、端的に言って「人間ではない者」であることには間違いない。恐らくその「異能者」の中には、ただの「異能者」もいる筈である。自分と同じ、アウトサイダーの人間。彼らを捕え、或いは殺す。
かつての魔女狩りと同じ行為を自分が繰り広げようとしていることに、自然と笑みは漏れる。
「狂人歓迎」
情報屋は哂った。
パソコンを付けっ放しにしてふいに立ち上がる主に向けて、傍らにいた下僕は一つ問うた。
「どこへ?」
着物を身に纏った、小柄な少女の陰である。
「僕は出掛けます。少々興味のある依頼でしてね、直接依頼人と交渉をしてみたいんですよ。交渉ってのは、“奇兎”のデータをこっちに回して貰えるかってことです。あ、君はここで待機です。幾つかのアテにこの依頼回して、んでOKならこっちの情報がファイルになってるから、それ添付で送っといて下さい」
黒く長いコートを羽織りながら、情報屋は振り返らずに言った。
閉じる扉に向けて、少女は小さく礼をした。

「主の戯れだな」

冷笑を浮かべ、少女は先程まで情報屋の座っていた椅子に腰掛ける。パソコンに慣れた手付きで触れ、言われた行為を実行する。
その後で、開封済みのメールを開いた。



拝啓 シン=フェイン様

突然のメール失礼致します。
本名は申し上げられませんが、Altairと名乗らせていただきます。
唐突に本題に入らせていただきますが、“奇兎”と呼ばれる異能種をご存知でしょうか?
彼らの捕獲或いは体の一部を手に入れて頂きたいのです。生死は厭いませんが、我々の存在を残さない方法でお願い致します。
報酬はそちらの言い値で構いません。
当方、“奇兎”のデータの蒐集を生業としている者であり、情報はそちらにも幾分かは提供出来るかと思います。もし宜しければ、一度私の元まで直接お越し下さい。貴方なら私の正体くらい見破るのは容易いでしょう。
それでは、快い返事をお待ちしております。

Altair 拝
奇兎−狩−

「あっゴメン、先帰ってて! 私忘れ物しちゃった」
 直感で感じたのは、殺意のこもった気。
 放たれている先は明らかで、しかし全く隠そうとしない真っ直ぐな“殺意”に苦笑を禁じえない。殺意は隠すものであって、堂々を開け放しておくものではない。
 そうは語るものの、殺意という特異なものを肌で感じられる人間はそうそういない。例えるなら常にそういう場に身を置いている人間か、或いは、

 殺意を自身の体の構成物としている人間か。

 彼の場合は、後者だった。
「プリント、机の中に入れっ放しだったんだ。先帰ってて」
 待つと言う友人の背を無理矢理見送り、武田幻之丞は振る手をそのままに視線を彼方にやった。背が消えるまで動くことなくその場に佇んでいたが、思考だけはフル回転を続けている。殺意の数、殺意の正体、その目的。
 ……敵の人数は、一人、か。
 幻之丞が敢えて友人と別れたのは、彼らを巻き込みたくないという慈愛たっぷりの精神故の行動ではなく、下手に人質にでも取られたら事後処理が厄介だ、という程度のものだった。線の繋がりの殆どない他人ならまだしも、彼らは幾度となく顔を付き合わせている“友人”だ。これくらいする義理くらい、辛うじて持ち合わせていると言ってもいいだろう。
 幻之丞は校舎へと足を向け、別の門から移動を開始する。
 ……気の質からして、人間、か? それにしては気の抑え方が下手すぎると言える。隠すならもっと周到にやるべきなのだが、それすら頭に及ばないということなのだろうか。まあどちらにせよ、「関係のないこと」ではあるのだが。
 足は人のない廃墟へと向かっていく。そこは倒産した工場なのだが、買い手もなく放置されているその中へと、幻之丞は慣れた足取りで進んでいく。埃の舞う室内の丁度中央で、幻之丞は漸く足を止めた。気はまだ感じるからして、莫迦みたいについてきたということだろう。
「地獄って、信じる?」
 口を開いた幻之丞の声に、姿を見せずに気配は答えた。
「地獄も天国も、あるならば見てみたいね」
「それなら好都合」
 喉の奥から厭な笑いが零れ、
「私はそこの、住人だから」
 息を呑む音がする。続いて、一人の青年がどこからともなく姿を現した。手には刀。刃毀れ一つないそれを幻之丞へと向け、息を殺した。
「生きて帰れると、思って?」
「……それでも、仕事だから」
 青年の声は僅かに震えていた。
 理由は明白だ。
 影でしか窺えない幻之丞はもはや人ではなく、人間としてはありえないモノの存在と化していた。禍々しい形をしたそれを正面から見据えようと体をずらし、
「…………」
 振り返った幻之丞の姿に思わず息を呑む。
 顔は明らかに笑みを浮かべていたものの、幻之丞の口元からは牙が覗き、見たことのない文様が浮かび上がって更なる不気味さを染み出させている。顔や腕、肌と呼ばれる部位、露出している場所だけしか分からないが、ひょっとしたら体の中まで浮かびあがっているのかもしれない。
 紅い目が、静かに青年を睨んだ。
 奇兎と呼ばれる異能者の特徴の一つがその紅い目だということを思い出し、だがそれとは「異質の存在」であることにはたと気付く。例の異能者は結局のところただの異能者に留まるだけであって、結局のところ人間である。だが今目の前にいる存在は、一体何と呼べばいいのだろうか。バケモノ、か。そう考えて青年はすぐさま否定した。

 存在の定義に困り、
 ややもして自分の行動の愚かさを呪い、
 俄かに消えた幻之丞の姿を捉えられることはなく。

 痛みもなく、青年は絶命した。

 僅かに付着した血を拭い、幻之丞は青年の体を始末し終えると、唯一彼の「存在の証明」を表すものを手に取る。ストラップ一つ付いていない、簡易な黒い携帯電話。受信メールも送信メールも全く残されておらず、唯一着信履歴が一件残っているだけであった。

 不在 シン=フェイン 17:35

 その時刻は丁度、青年の息絶えた時刻。
 ……この男は、諮っていたのか?
 幻之丞は携帯電話を宙に放り投げて切り刻もうとし――だが寸でのところで踏み止まった。数度宙に投げてキャッチする。
 リダイヤルをしようかどうかを考え、
「くだらない、かな。いざとなったら、こっちに連絡くるような人間よね、彼は」
 シン=フェインという名前はその筋では有名な名前だ。情報屋としての名前でもそうだが、異常者であるという一面も無視出来るものではない。
 地面に落とした携帯電話を靴で踏みつけて粉々に砕く。元が分からないようにしておけば、後は風にでも飛ばされて証拠は残らないといった按排だろう。例え証拠が残ってしまったとしても、警察程度の力では携帯のカスから持ち主を判別することは不可能だろうし、何より幻之丞の力を証明できやしないだろう。疑わしきは罰せず。素晴らしい原則で鉄則だ。
「…………」
 ふと幻之丞は去ろうと動きかけた足を止め、制服のポケットをまさぐって自身の携帯電話を取り出す。電話が鳴っている。掛けている相手はメモリに登録されていないせいで、画面には番号しか表示されない。普通ならば冒頭に見られる090、080といった数字は見当たらず、十一桁を大きく超えた数字の羅列が画面に映っている。幻之丞は躊躇うことなくその電話に出た。
『彼を殺さないで下さいよ』
「……こっちを殺そうとしたくせに」
 言葉に、相手先の声が可笑しそうに笑った。
「ねえ、地獄ってあると思う?」
 幻之丞は先程と同じ質問を、声に向けて言った。
 声は答えた。

『今そこに、あるでしょう?』

 電話はそこで切れた。
 幻之丞は喉の奥で愉しそうに笑いながら、普段の慣れた手つきで掛かってきた数字の羅列を電話帳へと登録しようとする。
「……」
 その名前の正式なものが一体何だったのか、イマイチきちんと思い出すことが出来ずに、だがその代わりにと一つの未来を与えてやる。
 携帯電話の示す時刻は、当に七時を回っていた。空腹はまだ満たしきれていない。どこかで喰べて帰るのも悪くないな、と思考の隅で考えながら、幻之丞はその場をあとにした。
 残されたものは、もう殆どが塵と化してしまった携帯電話と、幻之丞のメモリに新規に登録された名前だけだった。

 未喰

 彼を殺そうとした真意は分からない。だが、もしまた襲ってきたときも喰らってやればいい。ただそれだけだ。簡単な、話だ。
 “未喰”の名は、すぐにでも変えさせてやる。





【END】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5191/武田幻之丞/男性/17歳/高校生、黄泉財閥の長男『素戔嗚尊』】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、千秋志庵と申します。
依頼、有難うございます。

“奇兎”という“異能者”狩りの話でしたが、如何でしたでしょうか?
“未喰”。
その意は“未だ喰らっていないモノ”、或いは“喰らう予定のモノ”。
事件自体としては概要にすら触れられていない、事件とは呼べないモノであるかもしれません。
それでも事件の依頼者自身が接触を図ったのは、喰らうことと同義であるようにそれが本能であったり、愉しみとしていたり、或いは何の目的もなく「そうしたいから」行っているという理由からというひどく曖昧なものです。
それが一体何を導くのか、真意は想像するだけに留まります。
それでも知ろうとした場合には、“未喰”の名は別の名へと変容してしまうのでしょう。
“未喰”ではなく、“餌”としての意を持つものとして。
兎にも角にも、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。

それでは、またどこかで会えることを祈りつつ。

千秋志庵 拝