■古書の海■
神月叶 |
【1963】【ラクス・コスミオン】【スフィンクス】 |
月坂(つきさか)と言う、なだらかな坂がある。
名前の通り、夜に上っていくと見事に月の映えるたたずまいをしている。
江戸、もしくは明治、大正といった古い時期に出来た建物がまだ多く残っている一画でもある。
無論、修繕や改築などを経てはいるが、住人や所有者の多くは建物の元の姿を維持しようと努めてきたのだ。
それだけ、建物自体が人々に愛されてきた町なのである。
坂の両脇には古い家が立ち並び、そのほとんどが庭に桜を植えている。
別名、桜月坂(おうげつざか)とも呼ばれる所以である。
その月坂の上に、一軒の古書店がある。
神月堂古書店、と。そう軒に看板がかかっていなければごく普通の民家と変わらない。
周囲の家々と同じく、都内にしては割と大きな順和風建築だ。
「商い中」の木札が下がった引き戸をガラリと開ければ、古びた紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐる。
店の中は明るすぎない程よい照明で、天井近くまでそびえる棚には古今の書物が分野別に並べられている。
カウンタのある奥を透かし見れば、更に続く本の海が垣間見える様だ。
レジスターすらないカウンタはむしろ、店と奥との単なる境にしかなっていない様にも思える。そのカウンタでさえ、年代物の木製の文机なのだ。
何もかもが古い。
カラリと奥の戸が開き、そこから影が滑り出た。
「あら。いらっしゃいませ」
艶やかな黒髪の少女である。戸口から半身だけを覗かせた拍子に長い髪がさらさらと背中から零れ落ちる。
にこりと笑みを形作った少女は、次いで困った様に眉根を寄せた。
「申し訳ないのだけれど、虫干しの最中なんです」
言われてみれば確かに、棚には空きが目立つ。
「もし何か本をお探しでしたら、お手伝いいただければ差し上げますけれど」
「夏野」
少女の声を遮る様に、低く艶を帯びた声音が空気を震わせた。
いつの間にか、長身の青年が棚に凭れて腕を組んでいる。黒い髪をした、色白の青年である。この古びた空間の中、異彩を放っている。
時を止めたかの如き空気に溶け込んでいる少女とはかなりの差だ。
「柊」
呼ばれた青年は少女とは異なる意味合いを込めて眉を寄せた。
「俺は知らんぞ」
「平気よ。だって、人手がある方が早く片付くと思わない?」
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古書の海
■古書店
月坂(つきさか)と言う、なだらかな坂がある。
名前の通り、夜に上っていくと見事に月の映えるたたずまいをしている。
江戸、もしくは明治、大正といった古い時期に出来た建物がまだ多く残っている一画でもある。
無論、修繕や改築などを経てはいるが、住人や所有者の多くは建物の元の姿を維持しようと努めてきたのだ。
それだけ、建物自体が人々に愛されてきた町なのである。
その月坂の上に、一軒の古書店がある。
神月堂古書店、と。そう軒に看板がかかっていなければごく普通の民家と変わらない。
周囲の家々と同じく、都内にしては割と大きな純和風建築だ。
書店との看板に目を留め、ラクスはそこで立ち止まった。散歩と称して“書”探しの最中に目新しい書店に行き逢うとは幸いだ。単なる古書店ならば捜索中の“書”などは見つからないだろうが、少々の息抜きにはなるだろう。
磨りガラスの入った戸を見れば、「商い中」の木札。誘われるままに戸を引き開ければ、古びた紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐった。
店の中は明るすぎない程よい照明で、天井近くまでそびえる棚には古今の書物が分野別に並べられている。
カウンタのある奥を透かし見れば、更に続く本の海が垣間見える様だ。
レジスターすらないカウンタはむしろ、店と奥との単なる境にしかなっていない様にも思える。そのカウンタでさえ、年代物の木製の文机なのだ。
何もかもが古い。
無人の店内に恐る恐る足を踏み込む。ラクスが戸を開け閉てしても、誰の視線も浴びなかった。
本当に「商い中」なのかと疑問が湧く。それぐらい、しんとしていた。書物に包まれた静寂はラクスの好むところだ。だが、店であることを考えるといささか無用心な気もする。
かといって、すぐに出て行くのも勿体無い。
どうすればいいのだろう。
戸惑いも露にラクスはうろうろと棚の側を歩き回った。見れば、棚には思ったよりも本が詰まっていない。
これもまたどうしたことかとラクスが首を傾げた時だ。
カラリと奥の戸が開き、そこから影が滑り出た。
「あら。いらっしゃいませ」
艶やかな黒髪の少女である。戸口から半身だけを覗かせた拍子に長い髪がさらさらと背中から零れ落ちる。
にこりと笑みを形作った少女は、次いで困った様に眉根を寄せた。
「申し訳ないのだけれど、虫干しの最中なんです」
なるほど、とラクスは頷いた。ついでに入れ替えもしているのだとしたら、この状態なのも理解できる。何より少女一人では手に余るだろう。
「もし何か本をお探しでしたら、お手伝いいただければ差し上げますけれど」
「探している本はありますけど、特殊なもので。あ、でも、虫干しって久しぶりなのでお手伝いしたいです」
「そうですか? ありがとうございます。もし何か欲しい本が見つかったら言ってくださいね」
おそらく、この店にはラクスの探し物はない。直感でそう思った。
だが、手伝うのは吝かではない。
「夏野」
少女の声を遮る様に、低く艶を帯びた声音が空気を震わせた。
紛うことなき男性の声音に、ラクスは思わずびくりと肩を竦める。そろそろと視線を声の方向へ向ければ、棚に凭れて腕を組んだ青年に行き着いた。いつの間に現れたのか、黒い髪をした色白の青年である。
できるだけ距離を取ろうと後じさったラクスは、青年の己を見る視線が僅かに色を変えたのに気づいた。
明らかに、ラクスを訝っている。
その存在を。
「夏野」
再び、青年が少女を呼んだ。先刻とは異なるニュアンスを混ぜた言葉は、それだけで少女に何かしらの事を悟らせたらしい。
だが少女は、ラクスに向けてにっこりと笑っただけだった。次いで、青年へも笑顔を向ける。
「柊」
呼ばれた青年は少女とは異なる意味合いを込めて眉を寄せた。
「俺は知らんぞ」
「平気よ。だって、人手がある方が早く片付くと思わない?」
■古書の海
少女と青年の間にどんなやりとりがあったのかはラクスにはわからない。
ただ、ラクスの存在に対する魔術が青年には無効だった事、それが少女にも抽象的にだが伝わっている事だけは確かだった。
少女が、それでいてラクスに対して最初と態度を変えないことも。
少女の笑みに押されたのか、青年はしばらく黙っていたが不意に身を翻すと奥に消えていった。少女は苦さを少し加えた笑みを口元に乗せて、ラクスに改めて頭を下げた。
「自己紹介が遅れました。坂井夏野(さかい・なつの)と申します」
「ラクス・コスミオンと申します。以後お見知りおきを」
ラクスも深々と頭を下げる。二人ほぼ同時に顔を上げて、思わず吹き出した。
「先程は柊(ひいらぎ)が失礼しました。あまり気にしないでくださいね」
部外者に手伝ってもらおうとすると機嫌が悪くなるんです。
困った、と頬に手を当ててため息をつく夏野に、ラクスは密かに同情の念を寄せた。例え売り物であっても、他人の手を借りて整理するのが嫌だという人間はどこにでもいるものだ。
「平気です。それより、楽しく虫干しできるといいですね」
「えぇ」
ぽつぽつと会話をしつつ、促されるままにラクスはカウンター代わりの文机の奥へと進む。
夏野が出てきた戸の向こうは、渋味のある板張りの廊下になっていた。中も純和風の造りになっているらしい。
右手には水周り、左手には客間らしき部屋がある様だ。
己が身を寄せている屋敷とは全く違う造りと雰囲気だけれども、嫌な感じは全くしない。こういう場所も割りといいかも知れない、とラクスはきょろきょろと辺りを見回した。
「なにぶん量が多いので、少しずつ客間に出しながら作業しましょう」
「はい」
夏野が廊下の突き当たりにある戸を引き開けた。
そこに広がる光景にラクスは目を瞬いた。
正に書の海。
かなり広いであろう部屋の壁際は採光も兼ねた窓際以外は全て書棚で埋められ、ぎっしり書物で埋められている。そこからはみ出した書籍があちこちで大小の山を作り、部屋の中程にある書棚との間を埋めていた。和綴じの本は勿論、中には本の形になっていない文献すらある。
足の踏み場も無い、と言いたくなるような部屋だったが、辛うじて人一人が通れるように畳が顔を出している。
計画的に積み上げられている事が窺える「書庫」だった。
古びた紙の匂いとインクの匂いが混ざり合い、店よりも寧ろこちらの方が“古書店”独特の空気を醸し出している。
「すごいですね……」
ほぅ、と息をついてから、ラクスははたと己の体を見下ろした。
確かに通路はある。あるのだが、それはあくまでも「人間が一人」通れる程度のものだ。ラクスでは少々幅が足りない。
「それじゃあ――」
結局、夏野が書庫から本を分類して運び出し、ラクスが客間で傷み具合のチェックと虫干しの作業を担当することになった。
案内された客間は日当たりのいい庭に面していたが、今日は作業の為に雨戸で日陰を作っていた。爽やかな風が室内を吹き抜けていて、虫干しには絶好だ。
夏野と別々に作業をすることになったのは、ラクスにとっては却って好都合だった。
「心おきなく魔術が使えますからね」
こっそり呟き、夏野に見られては驚かれる事間違いなし、の物たちを亜空間から召喚する。できるだけ、本を運んでくる夏野からは見えない位置でそれらを使う事に気を払い、ラクスは作業に取り掛かった。
姿の見えない青年がほんの少し気にかかりはしたけれども、それも手に取る書物の前にすぐに薄れてしまう。
夏野の店にある古書は、和書が圧倒的に多い様だった。西洋の書物に関しては訳書は数多くあるものの、原書となるとそれ程でもない。
店の外観から考えれば、無理もないことだろう。純和風の建物に洋書を持ち込む客はあまりいまい。
それが幸いだったのか災いだったのか、ラクスは作業の合間合間に気になる題を見つけてはページをのんびりと繰っていった。おかげで作業は捗るとは言い難い進行状況になる。
「すみません。ついつい読んでしまって」
休憩を挟んだ際に、ラクスは部屋の中を振り返って軽く項垂れた。
「いいえ。私もよく読書に摩り替わってしまうんですよ。おかげであんまり捗らなくって」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
煎茶と共に供された和菓子を頬張りながら、ラクスは胸を撫で下ろした。どうやらラクスの魔術には気づかれていない様だ。縁側でお茶でも、と夏野が入ってきた時には焦った。
慌てて召喚していたものを隠したのだが、もしかしたら見られていたかも知れないタイミングだったのだ。
「本を読まれない方に手伝っていただくのが一番いいのかもしれませんね」
そうすれば、読書に没頭してしまうという事態は避けられる。
「でも、それだとちゃんと丁寧に扱ってもらえるか心配になりません?」
「……確かに」
顔を見合わせてくすり、と笑い合う。
本が好きな者同士、やはり共通点というものが存在する。
そこからは虫干しとは名ばかりの読書会に変わってしまった。お茶を傍らに、気になった本を広げて風通しのいい部屋で寛ぐ。実に
ラクスの求める本は予想通りなかったが、代わりにゆったりとした時間を得た。
オレンジに染まる陽差しの中、のんびりと帰路につく。ラクスの鞄の中には和菓子が二つ、ころんと納まっていた。
[終]
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1963/ラクス・コスミオン/女性/240歳/スフィンクス
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、ライターの神月叶です。
この度はゲームノベル「古書の海」に参加いただきましてありがとうございました。
坂の上の古書店はいかがでしたか?
今回はのんびりまったり虫干ししながら読書、という形になりました。
散歩ついでの楽しい時間になっていれば幸いです。
それでは、PC様の今後のご活躍を祈って。
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