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■古書の海■

神月叶
【4483】【平松・勇吏】【哲学専攻大学生】
 月坂(つきさか)と言う、なだらかな坂がある。
 名前の通り、夜に上っていくと見事に月の映えるたたずまいをしている。
 江戸、もしくは明治、大正といった古い時期に出来た建物がまだ多く残っている一画でもある。
 無論、修繕や改築などを経てはいるが、住人や所有者の多くは建物の元の姿を維持しようと努めてきたのだ。
 それだけ、建物自体が人々に愛されてきた町なのである。
 坂の両脇には古い家が立ち並び、そのほとんどが庭に桜を植えている。
 別名、桜月坂(おうげつざか)とも呼ばれる所以である。

 その月坂の上に、一軒の古書店がある。
 神月堂古書店、と。そう軒に看板がかかっていなければごく普通の民家と変わらない。
 周囲の家々と同じく、都内にしては割と大きな順和風建築だ。
 「商い中」の木札が下がった引き戸をガラリと開ければ、古びた紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐる。
 店の中は明るすぎない程よい照明で、天井近くまでそびえる棚には古今の書物が分野別に並べられている。
 カウンタのある奥を透かし見れば、更に続く本の海が垣間見える様だ。
 レジスターすらないカウンタはむしろ、店と奥との単なる境にしかなっていない様にも思える。そのカウンタでさえ、年代物の木製の文机なのだ。
 何もかもが古い。


 カラリと奥の戸が開き、そこから影が滑り出た。
「あら。いらっしゃいませ」
 艶やかな黒髪の少女である。戸口から半身だけを覗かせた拍子に長い髪がさらさらと背中から零れ落ちる。
 にこりと笑みを形作った少女は、次いで困った様に眉根を寄せた。
「申し訳ないのだけれど、虫干しの最中なんです」
 言われてみれば確かに、棚には空きが目立つ。
「もし何か本をお探しでしたら、お手伝いいただければ差し上げますけれど」
「夏野」
 少女の声を遮る様に、低く艶を帯びた声音が空気を震わせた。
 いつの間にか、長身の青年が棚に凭れて腕を組んでいる。黒い髪をした、色白の青年である。この古びた空間の中、異彩を放っている。
 時を止めたかの如き空気に溶け込んでいる少女とはかなりの差だ。
「柊」
 呼ばれた青年は少女とは異なる意味合いを込めて眉を寄せた。
「俺は知らんぞ」
「平気よ。だって、人手がある方が早く片付くと思わない?」
古書の海


■古書店
 月坂(つきさか)と言う、なだらかな坂がある。
 名前の通り、夜に上っていくと見事に月の映えるたたずまいをしている。
 江戸、もしくは明治、大正といった古い時期に出来た建物がまだ多く残っている一画でもある。
 無論、修繕や改築などを経てはいるが、住人や所有者の多くは建物の元の姿を維持しようと努めてきたのだ。
 それだけ、建物自体が人々に愛されてきた町なのである。
 その月坂の上に、一軒の古書店がある。
 神月堂古書店、と。そう軒に看板がかかっていなければごく普通の民家と変わらない。
 周囲の家々と同じく、都内にしては割と大きな純和風建築だ。
 「商い中」の木札が下がった引き戸をガラリと開ければ、古びた紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐる。
 店の中は明るすぎない程よい照明で、天井近くまでそびえる棚には古今の書物が分野別に並べられている。
 カウンタのある奥を透かし見れば、更に続く本の海が垣間見える様だ。
 レジスターすらないカウンタはむしろ、店と奥との単なる境にしかなっていない様にも思える。そのカウンタでさえ、年代物の木製の文机なのだ。
 何もかもが古い。
 勇吏がその店を訪れたのは、古書店巡りのついでだった。よく足を運ぶ他の店を出、いつもとは違う道を辿っていると目に付いた、ただそれだけ。
 一通り店を見回して、勇吏はおそらくはジャンル分けされているだろう棚に並ぶ背表紙を識別する事から始めようとした。ざっと見て周り、畑違いのものばかりなら早々に退出するに限る。
 そう考えた勇吏が店内を見回していると、カラリと奥の戸が開き、そこから影が滑り出た。
「あら。いらっしゃいませ」
 艶やかな黒髪の少女である。戸口から半身だけを覗かせた拍子に長い髪がさらさらと背中から零れ落ちる。
 にこりと笑みを形作った少女は、次いで困った様に眉根を寄せた。
「申し訳ないのだけれど、虫干しの最中なんです」
 言われてみれば確かに、棚には空きが目立つ。
「もし何か本をお探しでしたら、お手伝いいただければ差し上げますけれど」
「夏野」
 少女の声を遮る様に、低く艶を帯びた声音が空気を震わせた。
 いつの間にか、長身の青年が棚に凭れて腕を組んでいた。黒い髪をした、色白の青年である。
 時を止めたかの如き空気に溶け込んでいる少女とはかなりの差だ。
「柊」
 呼ばれた青年は少女とは異なる意味合いを込めて眉を寄せた。
「俺は知らんぞ」
「平気よ。だって、人手がある方が早く片付くと思わない?」
 交わされる会話からして、青年もまたこの店の関係者なのだと知れる。何やら含みのありそうな言葉が行き交っているが、勇吏には大人しく古書店の虫干しを手伝う気などこれっぽっちもなかった。
「テキトーに探してなさそうだったら出直すさ。哲学関係はどこにある?」
 幸いと言うべきか、勇吏の求める哲学書の棚は比較的陳列されている書物が多いように見受けられた。この辺りから虫干しを始めているのだろうか。
 もしかしたら先程まで奥で作業をしていたのかも知れない。
 そんな事は関係ないが、と勇吏は並ぶ背表紙を順に読み飛ばしていく。探し物は洋書だから、日本語は読むまでもなく通過だ。
 しばらくそうやって視線を彷徨わせていると、洋書が期待したよりも少ない事に気が付いた。この店の構えを見る限り、それも仕方のないことか。和風を全身で以って主張しているような店に洋書を抱えてやってくる客が多いとも考えられない。
「お探しの物がありましたら奥も探して参りますけれど……?」
「あぁ、『パイドン』の英訳を探してる」
 棚からは視線を外さず、控えめにかけられた声にぞんざいに返す。ほぼ同時に、並んでいる本のタイトルを全て確認し終えて、勇吏はようやく顔を少女に向けた。
「英訳、ですか。邦訳ならあった様に記憶していますが」
「生憎と欲しいのは英訳なんだよな」
 すぅ、と眉を寄せて蔵書に思いを馳せているらしい少女を見つめていた事に気づき、勇吏は慌てて言葉を返した。先程は全く考慮に入れていなかった少女の容姿が、その声と共に勇吏の興味をかき立てる。
 普段ならば興味が湧いた、好みだ、と感じた時点で口説きにかかるのだが。今日はそれを是としない邪魔者がいた。
 現れた時から棚に凭れている青年だ。勇吏の事など気にしていない風情でいて、その実しっかりと見られている。そんな気がずっとしている。
「英訳、ですか……。哲学書の類は多分、そこに出ている分だけですね」
 申し訳なさそうに瞳を伏せる少女に再び視線が寄せられる。
 何か言おうにも、青年が邪魔だ。
 少女には気取られぬ様、勇吏は青年へと鋭い眼差しを向けた。大抵の輩なら近寄らぬが吉、そう感じる程の視線だ。
 だが、それを真っ向から受け止めた青年はたじろぐどころか薄っすらと口元に笑みを浮かべてさえ見せる。露ほども気配を感じさせなかった登場の仕方と言い、一筋縄ではいかない相手――の様だった。
 となれば。
「なぁ、アンタ」
 少女の方を連れ出してしまえばいい、とは単純すぎるだろうか。
 ちらりとそんな思いが脳裏を掠めはしたものの、勇吏は目の前の少女に向けてその誘いを紡ぎ出していた。
 ついて来るか来ないか、可能性はどちらも五分。
 目を軽く見開き、頬に手を当てて考え込んでいるらしい少女の返答を待つ。驚いてはいるのだろうが、あまりそれが表へ出る性質ではないらしい。
「こんなお誘いは初めてですけれど、私でよければお付き合いします。ついでに『パイドン』の英訳を置いていそうな店をご紹介しますね」
 やがて少女が出した答えは、イエス。
「――おい」
 青年があからさまに眉間へ皺を寄せる。
 だが勝者となった勇吏にはそんな青年の様子など歯牙にもかからない。意気揚々と少女の肩を抱く勢いで店を出た。


■バーの片隅で知を遊ぶ

「申し遅れました。坂井夏野(さかい・なつの)、といいます」
「平松勇吏。大学生だ」
 哲学専攻の、と付け足して勇吏はカチリと触れ合わせたグラスを掲げて笑った。
 静かで落ち着ける店を、とチョイスしたバーは夏野の趣味にも合ったらしく、現在は二人してカウンターに並んでいる。
 勇吏の手には琥珀色の液体、夏野の前には炭酸を内包した紅のカクテル。
「坂井はアレが本業なのか?」
 古書店など、勇吏は年嵩の店主しかお目にかかった事がない。中にはその店主の娘や息子などもいたようだが、総じて年齢は高めだったように記憶している。そんな勇吏の多少は偏った経験からすれば、隣の少女は随分と若い部類に属する。
 そう、まだ「少女」と形容できるぐらいには。
「本業、ではないですね。いずれはそうなるのでしょうけど」
 今のところは、という限定付きでやんわりと否定し、夏野はグラスを傾けた。
「じゃあ別に本業がある、ってコトか」
「えぇ。……神聖都学園に在籍しています」
 神聖都学園。
 そのマンモス校の名称は勇吏も知っている。
 では、同じ大学生か、と問えば。
「いえ。高等部に」
 思わず勇吏は、手にしていたグラスの中身を零しかけた。そんな勇吏の驚きにも構わず、少女は平然とカクテルを喉に流し込んでいる。
 既に半分程が減っていた。
「――よくついて来たな」
 ようやっとそれだけを言うと、夏野はくすりと笑った。
「未成年だからと言って、お酒が飲めない訳じゃないですよ。禁止はされていますけれど」
 悪戯をしている子どもの様なその笑みに、勇吏もつられて吹き出す。そもそも、年齢など一切確かめずに誘ったのは自分の方だ。
「面白いな、アンタ」
「そうですか? 平松さんも興味深い方だと思いますけれど」
 くつくつと笑い合い、二杯目のグラスで改めて乾杯を交わす。
 話は互いの簡単な素性から、高校、大学、哲学、古書、と気の向くままに広がっては変化を見せていった。ぱっと花が咲く、という話し方ではないが、退屈はしない。そんな会話になっていた。
「じゃあ、店自体は坂井の祖父さんがやってンのか」
 何杯目かのグラスを傾けつつ、勇吏はちらりと夏野を窺った。弱くはないようだが、三杯目のカクテルはあまり進んでいない。
 そろそろ、帰る頃合だろう。
「えぇ。とは言っても、しょっちゅう古書を探すという名目で旅行に行ってしまうんです」
 時にはそうして集められた古書だけが送られてくるのだという。
 困った、と顔を顰めてみせる夏野はそれでも楽しげで、祖父が元気なのが嬉しい様子だ。
「そいつはまた……元気な祖父さんだな」
 夏野を見ている限りでは、にわかに想像し難い。
 そんな感想をもらし、勇吏は夏野を促して席を立った。
 気が付けば、酒量の割には時間が思ったよりも過ぎている。これは送って行かねばなるまい。
「夏野」
 そう思った矢先、闇に紫電が閃いた。
 次いで、闇の一部が人の形を作り出す。
 身構えた勇吏は、それが古書店にいた青年だと気づいて肩の力を抜いた。どうやって場所を知ったのかは不明だが、夏野を迎えに来たに違いない。
「……『パイドン』の英訳が置いてある古書店の所在だ」
 勇吏の傍らから夏野を攫い、代わりに青年は空いた勇吏の手に紙片を押し付けた。走り書きのメモらしきものが記されている。
 そう言えば、夏野がそんな事を言っていた。
 いつの間にそんな意思疎通が行われていたのか、それがさっぱり分からないが。
「ありがとう、柊」
 夏野が満足気に青年に告げ、勇吏に向き直ってぺこりと頭を下げた。
「平松さんも、今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
 にこりと笑われては、勇吏も笑い返すしかない。
 やはり青年は邪魔、だったけれど。
「俺も楽しかったしな。店のメモ、サンキュ」
 酒の席では少女一人だったのだから、それは満足すべき点だ。
 ひらひらと挙げた掌を振って、勇吏は足取りも軽く帰路についた。



[終]



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

4483/平松・勇吏/男性/22歳/哲学専攻大学生

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの神月叶です。
この度はゲームノベル「古書の海」に参加いただきましてありがとうございました。
坂の上の古書店はいかがでしたか?
店員は未成年、と言いつつしっかりお酒をご馳走になりました。
邪魔者もいましたが、楽しい酒席になっていれば幸いです。
またお探しの本がありましたら、お立ち寄り下さいませ。

それでは、PC様の今後のご活躍を祈って。