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■導魂師:殺された霊■

深紅蒼
【3941】【四方神・結】【学生兼退魔師】
 TVや新聞には毎日殺人事件が報じられる。それは全体のほんの一部でしかない。日々殺されて霊になった者は量産されている。その重すぎる無念を抱えて次の生へ以降しきれない者達を導くのが今回の『するべき事』だ。

 待ち合わせの喫茶店に現れたのは、あのアブナイ格好をしたガタイのいい男だった。長い黒いコートの中は露出の多いタンクトップだけで裸同然だ。堅気の人間なら間違っても同席したくない部類の男だろう。店に入って15分は経っているがまだ誰もオーダーを聞きに来ない。
「これ、結構たまってるんだよねぇ」
 男は楽しそうに笑いながら写真の束を取り出す。緊迫感や悲壮感も無ければ誠実さもない。けれど多くの場数を踏んでいると聞く。
「どれでもいいよ。轢死や溺死、絞殺、刺殺なんでもある。若いのからお年寄りまで選り取りみどりって奴?」
 写真に映っているのは殺された場所であった。山あり海あり、住宅地あり。写真の裏には細かいメモ書きがある。生きていた時の事を鮮明に覚えている霊は実は少ない。名前も住所もわからない霊達から聞き出した僅かな記憶がそこに書き出されていた。それなのに、無惨に生を断たれた悲しく辛い気持ちだけが残っている。
「僕が選ぶんじゃない。キミが選ぶんだよ。ほら、自分が気に入ったの持って行きな」
 男は広くもないテーブルの上に風景写真を広げて見せた。

 あなたが選んだのは?
殺された人は:男/女・子供/若年/中年/壮年
殺された場所:山/海や海辺/川や河川敷/空き地/車の中/家の中/道路/ホテル/他殺害方法:轢死/溺死/絞殺/刺殺/毒殺/他
◆◇海に消えた幸福◇◆

 最近は雨が多い。もうすぐ梅雨入りするのだろうか。柄の細い紺色の傘を差し、四方神・結は現場に来ていた。今回結が選んだのは、海で溺死した男だった。

 正直、ちょっとだけ気が重い。なぜなら結がその写真を選んだ時、あの男はニヤニヤ笑って言ったからだ。
「これか〜。これはね、結構ヤバげだよ。信じていた親友と妻に裏切られて刺され、息のあるうちに崖から突き落とされて殺されたんだ。‥‥とっても苦しかったみたいで、かな〜り攻撃的な筈なんだよね」
 男は写真をチラッと見て言った。なんとなく、その言い方が不謹慎で軽薄な気がして結はちょっとムッとした。この男はベテランの導魂師だと聞いている。それなのに、どうしてこんな態度を取るのだろう。慣れてしまうと、心が麻痺してこんな態度を取るものなのだろうか。一柱でも多くの魂を助けてたい。けれど、『導く』事に慣れてこの男の様になるのは正直嫌だと思う。
「僕的にはさ、こっちの人のがオススメだよ。通り魔事件の被害者でね‥‥」
「いいえ、こちらの男性をお願いします」
 結が強い口調で言うと、一瞬男は黙った。それからやっぱりニヤリと笑った。まだ、一人前の導魂師ではないから馬鹿にしているのだろうか。そんな風に思ってしまうけれど、すぐにそんな自分が嫌になる。結は男から視線をそらせて下を向く。
「‥‥わかった。こいつはあんたに任せよう」
 男は写真を結に差し出した。

 そして今日があの後最初の土曜日だった。生憎の雨だがこの街にはそれも似合う。古都、鎌倉。知らないはずなのに、どこか懐かしさを感じさせる小さな観光の街だった。駅前のロータリー、小町通りの小間物屋、八幡様の大鳥居。どこも時間をかけて歩きたい気になるのだが、それではいつまで経っても海に着かない。
「えい! 道はこっち!」
 結は声を出して踏ん切りをつけると、海岸へと続く細い道へと入った。緩やかな坂道の表面を水が静かに流れてゆく。古いスニーカーだったら大変なことになっていたかもしれないが、今日はちょっとばかり値の張る新品同様の物だった。おかげでさして苦労もせず、結は目的地についた。急に視界が開ける。と、同時に強い潮の香りがした。道の向こうが一段低くなっていて、もうそこが砂浜だった。水を吸っていつもより黒く映る砂に結の足跡が微かに残る。こんな天気ではサーファーもいないし、ペットの散歩をしている人も見えない。誰もいない砂浜を水際まで歩く。雨が海にも振り、小さな波紋があちこちに浮かび、また浮かび‥‥際限なく繰り返される。
「静かですね」
 結は隣に立つ男に話しかけた。

 結の言葉が聞こえなかったかのように、男は身じろぎもせず答えもない。ただ、まっすぐに雨の降る灰色の海を見ている。切り裂かれたシャツ、全身がずぶぬれで靴は片方脱げている。崩れた身体では年齢も顔立ちもよくわからない。波の音も低く、傘に落ちる雨の音だけがやけに大きく聞こえる。
「私の声が聞こえますか?」
 もう一度、結は男に話しかけた。ゆっくりと、驚かさないように低い声で話す。ぎこちなくではあったが、男がピクリと動いた。少しずつ視線が海から結へと移動する。それから更に時間をかけて、男の口が動いた。
「‥‥誰だ? あんた」
 暗い声だった。洞窟で聞いた時の様に、わ〜んと響いて聞こえる。耳に聞こえる声ではなく心で聞いている筈の声がその様に感じられるのは初めてだった。力も強い。都心に漂う魂は存在自体希薄な場合が多いのに、この男はそうではない。生きている時から強かったのか、それとも海という場所がそうさせるのだろうか。経験の浅い結では判断できない。ともかく慎重にいくしかない。
「結といいます。少しお話をしていいですか?」
 男は意外そうな表情をした。先ほどよりも少し様子が違ってきている。全体的に灰色っぽかったのだが、少しだけ肌や服に色の違いが出てきている。男の意識が覚醒してきているのだろうか。
「俺と話? どうして‥‥俺が死んでるのはわかってるよな」
「‥‥はい。海で亡くなられたのですよね」
「‥‥そうだ。殺された」
 男は死の記憶を持っていた。結はほっとする。自分が死んだ事に気が付かないでさまよっている事例は多い。そういう場合はまず、死を受け入れて貰うところから始めるのだが、この男はそうではない。
「俺が死んだのはこの海じゃない。もっと北の‥‥岩がごつごつした場所だ。寒い季節だった」
 それきり男の言葉が途切れる。じっと海を見つめている。潮風に男の髪が揺れる。想像していたのよりは若いのかもしれないと思った。
「‥‥ここがお好きなんですか?」
 男は結の言葉にうなづいた。
「ここには良い時の思い出がある。幸せだった頃を‥‥俺がそう思っていただけかもしれないが、妻がいて、友がいた。‥‥楽しかった」
 男は笑っている様だった。けれど、悲しみが波紋のように伝わってくる。信じていた者達に裏切られ、それでも信じたい心が切なくて言葉が見つからない。
「馬鹿な奴だと思うだろう。‥‥俺もそう思う。ずっと思い続けている。けど、ここで幸せだった頃の思い出に浸ってないと、ろくでもない事をしでかしてしまいそうなんだ」
 男は今度も笑った。
「俺は情けない男だ。最低な奴、駄目な奴だ。だから愛想を尽かされた。死んでからも同じだ。悔しい憎い気持ちが残って身体が重い。けれど、その気持ちに引きずられてあいつ等に仕返しをする勇気もない。何も出来なくて、ここでありもしない幻想に浸ってる。けどな‥‥」
 男は結に向き直った。
「幻想でも俺には現実だったんだ」
「幻想でも現実‥‥」
 それは結の中にも思い当たる事があった。夢の様な現実ではないもう1つの世界。その世界の事を結は覚えている。誰1人そんなものは無いと信じてくれなくても、結にとっては現実であり心のよりどころでもある。男にとっても、幸せな思い出は心を支える大切なものなのかもしれない。
「‥‥まだここにいますか?」
 そっと結は聞いた。
「あぁ。もう少し。ここにいたい。懐かしいあの頃を思い出していたい」
「わかりました」
 まだその時ではない‥‥と、結は思った。この男は自分の力で自分を癒そうとしている。長い時間がかかるかもしれない。けれど、それが男の意志ならば、それも選択なのだと思う。
「‥‥雨、あがったよ」
 男が結に言った。傘を傾げてみる。潮風が結の髪を吹き上げた。重い雲が切れ、光の筋がいくつも海へと刺す。これで良かったのだと、誰かが言ってくれている様だった。

 道を行き交う車の音、信号機の音楽。急に音が戻ってきた。傘をすぼめて露を払う。結はくるりと反転し、波打ち際から引き返す。

 男は海を眺めていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3941/四方神・結/導魂師(仮免)/高校生退魔師・免許皆伝】
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■         ライター通信          ■
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 大変お待たせ致しました。導魂師シリーズのゲームノベルをお届け致します。今回はこのような結末になりました。もっとヤバい事態になるのかと思って書き始めましたが、結さんがご無事で本当によかったです。また機会があれば、ご参加下さい。ありがとうございました。