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■花唄流るる■

草摩一護
【1856】【藤野・羽月】【学生/傀儡師】
【花唄流るる】

 あなたはどのような音色を聴きたいのかしら?

 あなたはどのような花をみたいですか?

 この物語はあなたが聴きたいと望む音色を…

 物語をあなたが紡ぐ物語です・・・。

 さあ、あなたが望む音色の物語を一緒に歌いましょう。



 **ライターより**

 綾瀬・まあや、白さん(もれなくスノードロップの花の妖精付き)のNPCとの読みたい物語をプレイングにお書きくださいませ。^^

『花唄流るる ― 優しい雨 ―』


 小さな街のミニシアター。
 そこで放映されるのはひとつの映画だけ。
 頑固な店主が気に入った映画しか絶対にかからない。
 そんなこだわりが昨今のミニシアターブームも呼び水となって、多くの人が足を運んでいた。
 全国放映系の映画のような派手さも、奇抜な殺人トリックも無い、ただ芸術性の高いドキュメンタリー的な映画や、静かに淡々と描かれる恋愛映画。そういうのがスクリーンに映し出されていた。
 そこはそういう場所。ただ静かに物語に浸って、時が流れていくような。
 その映画館に藤野羽月と綾瀬まあやがやって来たのはやっぱり映画を見るため。
 ただ、彼らがやって来たのは正規の営業時間内ではなかった。
 この映画館の営業時間は午前10時から午後8時まで。
 時計は午後8時52分。
 薄暗い部屋の真ん中の座席にそれぞれ並んで座る。
 館内のスクリーン横にあるデジタル時計は21時となる。
 開園のブザー。
 そして始まる映画。




 映画館のオーナーと羽月の姉は知り合いだった。
 どうも姉はこの映画館にはよく足を運んでいたらしく、そうして知り合いになったらしい。
 そして知り合っていくばくかの月日が経ったつい先日、羽月の姉はオーナーからその話を聞いたそうなのだ。
 彼の兄が撮っていた未完のサイレントムービー。
 それが父の死後、遺品を整理していた時に出てきたのだ、と。
 もしもよければその映画を見てはくれないか? と。
 未完の作品はさすがに正規の営業時間内では放映できないから。
 だから営業時間が終わったら見て欲しい。
 それが兄への供養となるから。
 そしてそれ以外にも………隠された想い。
 羽月の姉はそれを快諾して、そしてそれは姉弟で見る予定であったのだが、この二人で見る事となった。それは本当に偶然の事だった。



【一】


 6月1日。雨。
 しとしとと降る絹糸のような雨は庭の青紫の紫陽花を静かに濡らしていた。
 庭に面した部屋で藤野羽月は畳の上に敷いた西陣織の布の上に置かれた陶器人形の顔に手を伸ばした。
 触れた指先に伝染するその陶器の冷たさに羽月の心は安らぎを覚える。
 ―――温かな温もりは空っぽの鳥篭を思い出させるから。
 ふと手を止めて羽月は庭へと視線をやる。
 今、手に目をやれば、自分はあの銀色の髪に縁取られた温かな優しい笑みが浮かぶ顔を思い出すから。
 温かで優しい笑み。
 それは可愛いと表現するのが相応しい表情。
 温かで、明るい………それは皮肉にもアルビノの彼女の身体を苦しめる太陽にも似た表情。春のそよ風が吹く中で全身に浴びるようなあの温かみが心を包む。彼女のその笑みを思い出す時はいつも。それは心安らいで、幸せで、胸に温かみが広がって、とても大切にしたくて、だけど同時に心が痛い感覚。
 立ち上がった羽月は本棚に並べられた中の一冊を手に取る。
 さらりと開いた本のページ。挟まれていた手作りのしおり。小さな花の押し花。
「蒲公英。あなたと本当に似ている」
 彼女の笑みは温かな春の陽だまりを連想させて、その陽だまりによく似合う花は蒲公英のように想えて、だから幼い羽月は庭の片隅に咲いていた蒲公英を摘んで、体調を崩して寝ていた彼女を見舞った時にそれを手渡した。
 花を届けたその空いた手が、その手の平に乗せたのは、彼女の優しい笑顔。
 ―――可愛らしくって温かで優しい笑み。
 それは羽月にだけ、羽月だからこそ向けられた表情。羽月だけが知っているモノ。
 独り占めしたくって。
 自分のモノにしたくって。
 できればそれ以外の表情だって、そうやって自分のためだけに。
 だけどそれは叶わなくって。
 永遠に羽月が知りたかった彼女の顔は違う男のモノになってしまった。
 きっとこの先、どのような輪廻の輪を経て彼女の隣に立っても、それは向けられない。何故なら彼女と彼の縁は前世から繋がって、今世で二人はちゃんと結ばれたのだから。
 空っぽの鳥篭を胸に抱いて、頬を涙で濡らしながら、その光景を二番目の場所から見つめていた。
 指は覚えている。あの小さな楓のような手の温もりを。
 


 人形の顔は綺麗。
 だけど触ると冷たい。
 作り物の綺麗は冷たい。
 綺麗は、作り物だから。


 可愛いは温かい。
 それは心の表れだから。
 心が顔に表れたモノ。それが可愛い笑顔。
 だからそれは温かい。


 温かな可愛い笑顔。
 守りたい彼女を好きになった理由のひとつ。


 シッテイル。カレノ、シラナイ、ヒョウジョウヲ、ジブンハ、シッテイル。
 ―――だけど彼は彼女の心こそを、その手の平に乗せた。
 その輝きの前では、自分の手の平の上で灯る灯りはあまりにも儚く、儚く、儚く。


 手に取った陶器人形の顔はやっぱり冷たくって、そして綺麗だった。



『ありがとう』
 布団から身を起こして、寝乱れた髪を丁寧な手つきで直した彼女はそう優しく可愛らしい顔で微笑んで、蒲公英を届けた自分の手を握ってくれた。
 伝染する温度。この指は今も知っている。楓のように小さな彼女の手の温もりを。
 だから冷たい綺麗なだけの物を手にすると心は落ち着く。
 ―――表面上は。まったく正反対の物を手にして、それで心をごまかす事ができるから。


 見た紫陽花の花。鮮やかな色彩の中にその雨の珠が煌く蜘蛛の巣があって、それに白い蝶が捕まって弱々しく羽根を動かしていた。
 羽月の隣、座布団の上にちょこんと座っていた烙赦の瞳が映したのは、雨の降る庭に降りて、その蜘蛛の巣に捕まった蝶を逃がす羽月の姿だった。
 しとしとと、しとしとと、細い絹糸のような雨は降り続けていた。
 その雨の中を蝶は羽ばたいていった。



【二】


 家の電話が鳴った。
 昨日から家の用事で出かけていた姉からの電話。時間を指定されて、駅で待ち合わせ。
 傘を持っていない彼女からの呼び出し。
 手に姉の傘を持ち羽月は、家を出た。
 駅前の道。気持ちスピードを緩めていく車が通り過ぎていく様を見ながら羽月は歩行者用信号が変わるのを待っている。
 走っていく車と車の間を縫って視線は駅の改札口に向けられる。姉が乗ってくるはずの電車が到着するのにはもう少しの間があった。だからそこに視線をやったのは本当にただ手持ち無沙汰だったから。
 その視線の先を横切る、白い蝶。
 自然と視線はその白い蝶を追いかけて、そしてちょうど同じようにそれを見ていた彼女と目が合った。
 蝶とは正反対の黒で身を包んだひとりの少女。
 長い黒髪に縁取られた美貌に感情が浮かぶ。
 だけどそれはやっぱり彼女とは正反対の表情。彼女の銀色の髪に縁取られた美貌に浮かぶのは温かな心の表情。
 でも彼女の黒髪に縁取られた美貌に浮かぶのはどこか作り物めいた形だけの冷たい表情。手にしていたあの陶器の人形の顔と変わらない表情。



 ツメタイ、ツメタイ、ツメタイ、ユキノヨウニ、ツメタイカノジョ。
 ―――心を凍りつかせなければ、その罪の重さに心が耐えられなかったから。
 心を凍りつかせる事で、感情は停止して、喜び、幸福を感じないから。
 それが彼女の贖罪の方法。



 凍りつかせた心の内側で、彼女はきっと泣いていた。
 大切な人たち全員を己の呪われた力と非力さのせいで死なせた幼い女の子のままで。
 道に迷った幼い子どものようにその場にしゃがみ込んで、抱えた両膝に顔を埋めて、声を押し殺して泣いていた。
 だけどそれに気付いた自分。
 気付けた自分。
 偶然という名の必然の出会い。
 躊躇いながら彼女の心に触れた。
 自分の心に触れられた彼女は、触れた羽月の手を握った。
 知っているから。わかるから。自分たちは心に悲しみを抱くから、二人で居られると。
 ―――独りの悲しみを知る人は欲するから、誰かを。
 泣きやんだ彼女はだけどそれ以上は心に触れさせない。
 溶かさない。心を凍らせた氷を。
 泣いている彼女を知った自分を、もう許される権利を得た証とも、幸せを願う周りの皆の想いの奇跡とも彼女は想わないようで、ただ彼女は羽月の隣に居るだけ。それ以上の事を願う事を罪と想っているのかもしれないし、多分そうやって隣に居る事すらももう精一杯なのかもしれない。そうする事に抱く罪悪感を見ないフリをするので。
 そして羽月が彼女の隣に居るのは、そういう彼女だからこそもう自分の傍らから飛んでいく事は無いと想うから。もう見送らずともいいから、飛んでいく鳥を。だから羽月は彼女の隣に居る。
 手の平に乗せたのは冷たい硝子の鳥。
 硝子の鳥の冷たさは指が覚えている温もりを紛らわしてくれる。
 綾瀬まあや、彼女と一緒に居るだけで、あの優しい笑みを忘れられるから。
 そして自分は泣いていた彼女を泣きやます事ができたから。
 だから一緒に居る。自分たちは。
 あるいは人に寄れば屈折しているように見えるのかしれないが、でも確かにそこにあるのは恋愛感情だった。



 雨が傘を叩く心地良い音色を聞きながら彼女の前に立った。
 改札口の隣の駅の自転車置き場の屋根の下。
「こんにちは、まあやさん」
「こんにちは、羽月君。お姉さんの、お出迎え?」
「ええ。昨日より出かけられていた姉上に呼び出しをされました」
「大変だ、弟君も」
「ええ、大変です」
「まあやさんは」
「ん?」
「ここで雨宿りですか?」
 先月の遊園地デートの時から綾瀬さんからまあやさんと呼び方を変えているが、どうにもまだ言い辛い。そしてまた意地悪な事にどうやらその事を彼女は見て楽しんでいるようだ。
 本当にこの人は性質が悪い。
 軽く吐息を吐く羽月にまあやは両目の端をわずかに垂れさせながら頷いた。
「そう。濡れて帰るのも好きなのだけど、でも何となくそうする事が躊躇われて、ここで雨宿りをしていたの。だけどその訳がわかったわ」
「ん?」
 笑う彼女に今度は羽月が小首を傾げる。
「あなたと出逢えた」
 さらりとそう言う彼女に羽月はわずかに顔を赤くした。
 だけど今度は彼女はただただ静かに微笑するだけで、羽月をからかっている素振りは、無い。
「本音ですか?」
「もちろん」
 そしたら今度は神妙な顔つきをして、彼女はこくこくと頷く。大仰な仕草で。感情が、読めやしない。
「まあやさん」
 目を半眼にしてそう言ってやると、彼女は口許に手をやってくすくすと笑った。
「まったく」
 羽月は傘を差す方の肩を竦めながら苦笑を浮かべた。だけどそれが嫌ではない事は彼の顔を見れば明らかだった。
 二人そうしていると駅にベルが鳴り響き、駅員のアナウンスが流れる。
 滑り込んでくる車両。
 ざわついた人々の声。
「お姉さん、今の電車?」
「うむ。だと想うのですが……ああ、居た。ここで少し待っていてください」
 そう言ったのはそのままふらりと彼女が何処かへ行ってしまうような気がしたから。
 姉の傘を持って羽月は改札口の方へ行く。出てきた姉と言葉を交わし、傘を渡した代わりにその手に握らされたチケット。
「傘を持ってきてくれたお礼。がんばって」
 ―――何を?
 姉はにこにこと微笑みながら弟の胸をぽんぽんと叩くと、まあやににこりと微笑んだ顔で手を振って、家路についた。
 その見慣れた背中を見送りながら羽月は溜息を吐く。
 それからまあやを見て、苦笑を浮かべて、チケットを見せて唇を動かした。
「見に行かぬか、良かったら」
 まあやはにこりと微笑んで、頷いた。



【三】


 姉に貰ったのは隣の区の小さな映画館のチケットだった。
 バスで行くのも良いけど、それよりも今は二人で歩きたい、そう彼女が言うから、二人でひとつの傘を差して歩いた。
 線路に沿って伸びる真っ直ぐな道を。
 二人居る空間を埋めるのはしとしとと降る雨が傘を叩く音。
 その音の合い間を縫って交わされる言葉。姉から聞いた今から見る未完の映画の話と、とりとめのない日常の話、それに今作っている人形の話。トリビア的な話なんかも。
 バスでだったなら15分足らずの道をそうやって歩いて二人は目的地の映画館の前に到着した。
「少し、早いね。お姉さんがした約束の時間は9時だったのでしょう?」
「ああ。まだ1時間半ばかりあるな」
 まあやは周りを見回して、そしてすぐそこの和風喫茶を指さした。
「あそこにしましょう」
「まあやさんはあのようなお店にはよく入るのですか?」
「いえ、全然。もっぱら普通の喫茶店で普通にコーヒーを飲んでいるわ。でもここにも、水出し珈琲があるようね。これは初めて飲むから楽しみ」
 店の前に出されたお品書きを指差して微笑んだ彼女に羽月も微笑みながら頷いた。
 映画館から少し離れた場所にあるそのお店は琴の音色が流れる雅やかな和の空間で統一されていて、雨さえ降っていなければ、店の中庭で赤い傘の下、赤い布が敷かれた長椅子に座って甘味を楽しむ事もできたらしい。
 しかし雨が降っている今日はその中庭の席も楽しめない。
「残念」
 吐いた溜息で額の上でわずかに前髪を浮かせてまあやは肩を竦めた。
 案内された座敷の部屋で向かい合って座っているまあやはそのまま机に突っ伏した。まるで子どもだ。
「これ、行儀が悪い」
 苦笑しながら羽月がたしなめると、顔を上げたまあやはあっかんべーをした。
 だから羽月はわざと大仰に眉根を寄せてやる。
「変な顔」
 ぷっと笑うまあや。肩を竦める羽月。
 まあやは四つん這いで部屋の片隅に置かれている棚に飾られている折り紙を見に行った。大きな鶴とか人形とか、動物、とても上手に作られた折り紙たち。
 折り紙を見つめながらそっとそれらに手を出す彼女の横顔は本当に子ども。幼い子ども。普段の凛々しい彼女は心を凍りつかせた彼女の演技。この今の彼女が本当の彼女。自然体。その素顔が幼いのは、それは心を凍りつかせたその時から彼女の心の成長が止まっているから。
 そんな彼女を哀れとも想うし、また愛おしいとも想う。
「あっ」
 声をあげるまあや。手に取った折り紙の大きな六角形がばらばらと崩れ落ちてしまっている。
 羽月は大きく目を見開き、そしてその後に声を押し殺して笑った。半眼でまあやが睨んでくるが知った事ではない。本当に面白い。また一つ知れた彼女の事。
「まあやさんは天然なんですね」
「なっ。失敬な。誰が天然よ?」
 ムキになってくるところがまたお約束っぽい。羽月は面白がって言う。
「おや、やる事成す事意図せずにお約束に結びつく貴女は充分に天然だと想いますよ?」
 また一段と眉間に皺が刻まれる。本当にスノードロップと同じ天然扱いされるのが嫌らしい。
「天然って言うのはスノードロップみたいなのを言うのよ? すごく不服だわ。あの虫と一緒にされるのは」
「虫って」
 苦笑しながら席を立って、そして正座するまあやの隣に座って羽月は手早く丁寧に六角形を直してしまう。
「すごい」
 ぱちぱちと手を叩くまあや。
「当然だ」
 にぃっと笑う羽月。
 そうしていると店員が注文した品を持ってやって来て、棚の前で座っている二人を見て少し驚いたような顔をして、羽月とまあやは苦笑しあった。
 それから二人は元のように席について、前に置かれたお茶に口をつける。
 ほぉーっと一息吐いて、そして机の上の品に羽月は苦笑して、まあやは目を輝かせた。
「これはまたすごい品じゃな」
「でしょう? ハニートースト。和風喫茶ヴァージョンよ」
 人差し指一本立てて言うまあやに羽月はまた苦笑する。そう言う姿はあの食いしん坊の妖精、スノードロップを想わせるから。
 食パン一斤の真ん中に穴を開けて、その穴の中に宇治茶アイスクリームを入れて、その他にも餡子、白玉、イチゴやミカン、バナナにチェリーなどのフルーツが飾られている。
「これは美味しいのか?」
 至極真剣に羽月はまあやに聞いた。たしかに名古屋の方ではトーストに餡子を挟んで食べる小倉トーストサンドという品があると聞いた事はあったが………
「まあ、騙されたと想って。虫(スノードロップ)は好きよ、ハニートースト」
 あの食いしん坊胃袋宇宙の妖精と一緒にされても困るのだが………
「あたしも初めてなの。ハニートースト和風喫茶ヴァージョンは」
 そう言いながら彼女は羽月の分を小皿によそってくれた。これはもう食べないわけにはいかない。どんなに邪道なデザートでもあのまあやがよそってくれたのだから。
 おそらくはまだ清水の舞台から飛び降りる方が楽なぐらいの決心の下に羽月はそれを口に入れた。その彼の瞳が大きく開かれたのは、意外と美味しかったからだろう。
「考えてみれば宇治金時とか、そういうのが美味しいんだから宇治茶アイスと餡子だって合うわよね。それにフルーツは何にだって合うし、ああ、でも白玉が宇治茶アイスと合うのは意外だったわ」
 ぱくぱくと食べるまあやを恐ろしいと想いながら羽月は静かに餡子は餡子、宇治茶アイスは宇治茶アイス、白玉は白玉と分けて食べていった。
 ここら辺は男の子と女の子の違いだろうか?
 食パン丸ごと一斤使ったそのハニートースト和風喫茶ヴァージョンは結構な食べでがあって、二人では多すぎるようにも想われたのだがほぼ半分以上はまあやがぺろりと食べてしまった。
 羽月は口直しのお茶漬けを食べながら、やはりお茶漬けを食べているまあやの身体を見る。彼女の身体はちゃんとご飯を食べているのであろうか? と心配になるぐらいに体の線は細いのだが、本当にあれだけ食べて、その上またぺろりとお茶漬けを食べてしまった彼女は案外と大食いなのかもしれない。それでこの身体の線の細さ。
 それにしても店のテーブル席の方から感じる視線が、なんだかとてつもない敵意と憎悪を孕んでいて怖い。
 羽月は気付かぬフリをしているが先ほどから美味しそうにハニートースト和風喫茶ヴァージョンをぱくぱくと食べているまあやを見るこの店の他の女性客の視線がすごいのだ。
 本当にあれだけ甘い物をぱくぱくと食べて、これだけ線が細ければ、それはダイエットに勤しむ者は怒れてくるかもしれない。
 じぃーっとまあやの身体を見ていた羽月の顔が赤くなったのは、ずぃっと上半身を前に乗り出させてきたまあやと目が合ったからだ。
 彼女の身体を見ていただけに恥かしさに耳まで赤くなっている羽月にまあやはにこりと微笑む。
 だけどそれだけ。まあやは微笑むだけで何も言ってくれない。こういう場合は何か言ってもらえた方が何かしらの反応ができるし、言い訳もできる。しかしまあやの方は意地悪に微笑んでいるだけで、だから羽月の方も何も言えない。この状況で何かを言えばそれは絶対に自爆になる事間違い無しだ。
 小悪魔的な微笑を長い艶やかな黒髪に縁取られた美貌に浮かべて、わずかに小首を傾げる。
「何か言ってもらいたいのかしら?」
「いや、あの…」
 そう面と向かって言われても困る。
 羽月の視線はまあやの紫暗の瞳から外されて、だけど羽月の両の頬にまあやの手が添えられて顔が固定される。近づく顔。
 視線は無意識にすぐ目の前のまあやの顔に、動く唇に。
 吐息を吹きかけられて、体が硬直する。
「ひょっとしたら着痩せしているのかも。今夜辺りに羽月君が自分で調べてみる? 頭の先から足の爪先まで、あたしの身体を」
 羽月、絶句。
「な、何を」
「冗談よ。おませさん」
 先ほど店のレジの前で買った安物の扇子を笑みを形作った唇の前で開いて、彼女は意地悪そうに両目を細めた。
 そういえば前に聞いた事がある。悪魔が人の前に現れる時のその姿は、悪魔ではなく天使の恰好だと。
「本当にこの人は性質が悪い。先ほどの仕返しだな?」
 目を半眼にする羽月の前髪を扇子で扇いで舞い上がらせて、まあやはくすくすと笑った。
「まだまだ年上のお姉さんには敵いませんね、青少年」



【四】


 そうして二人して映画館に入った。
 羽月とまあやで来るという連絡は既に羽月の姉から来ていた。
 映画館のオーナーは静かに微笑んでいたが、しかしフィルムを手に取った時のその表情がどこか哀しそうに見えたのは何故だろうか?
 その訳は未完のサイレントムービーを見てわかった。
 二人以外は誰も居ない空間で席に座って、真っ暗な中でスクリーンに映し出される映像を見ている。
 手はいつの間にか繋がれていた。
 繋いだ手はとても冷たかった。
 そして震えていた。
 繋いだ彼女の手から伝わってくるその震えが、心に痛い。
 そうして未完のサイレント映画は途中でぷつりと途切れて終わった。



 +++


 その映画は教会が舞台の映画だった。
 今だったら映画監督を夢見る若者が参加する映画の品評会に送るようなそういう短い映像。
 20分ばかりの映像。
 その映像の中にひとりの女性が居る。とても綺麗で、笑顔がかわいらしい女性。
 眼鏡をかけたその彼女は、教会の中に入って行って、そして教会から出てきた彼女はその身に白のウェディングドレスをまとっていて、カメラの前でただただ微笑んでいた。幸せそうに、楽しげに、そして確かにカメラマンに恋をしている瞳で。
 彼女がウェディングドレスを着て、教会の礼拝堂から出てくるシーン。
 小雨が降る中で彼女はウェディングドレスを着て踊っている。
 サムシングフォー。
 サムシングブルー。何か、青い物。
 彼女は友達から青いリボンを貰って、ウェディングドレスのスカートをたくし上げて、太ももにそれを結びつけて、小悪魔っぽく微笑む。
 サムシングオールド。何か、古い物。
 彼女はひとりの女性からルージュを貰い受けて、それを唇に塗る。
 サムシングボロー。何か、借りた物。
 彼女は周りのカップルの一組の方へと寄って行って、男性の腕に自分の両腕を絡み合わせようとして、ぱちんと額をカップルの女性に叩かれて舌を出す。
 ひらりとその場で踊った彼女。たおやかな笑みを浮かべる老婆の前に踊り出て、彼女が耳につけていたイヤリングを借りて、自分の耳にそれをつけた。
 サムシング………
 そこで彼女の映像はぶつりと消えた。
 もう二度と永遠に永遠に幸せにはなれなくなった花嫁。



 +++


「この映画には兄の自殺の原因が隠されているんです」
 寂しげに言ったオーナーに羽月は小首を傾げた。
 まあやがもう一度見たいと言ったから、それを伝えに羽月は映写室に来て、そうしてこうやってオーナーと二人で話をしている。
「自殺?」
「ええ。私には歳の離れた兄が居た。16違っていた。私が10歳の時に兄は結婚する事になって、その時に兄が連れて来た彼女があの映画のヒロインだった。あの映画が未完だったのは、そのヒロインである彼女が途中で殺されてしまったから。そして兄も自殺をしてしまった」
 オーナーは顔を横に振った。
 羽月は痛ましげに顔を歪めた。
「犯人は捕まったのですか?」
「いえ。でもただそのすべての答えはこの映画にある、と兄の手紙にはありました。父はその手紙もフィルムもただ誰の目にも入らないように、取っておいたんです。私はただそれを見てもらいたかった誰かに。彼女が兄へのメッセージを込めたこの映画を。兄が撮っていたこの映画を」
 そうして映画はもう一度始まり、その瞬間に羽月が持っている【硝子の華】がりん、と澄んだ音色を奏でたと想った瞬間に、スクリーンの中の映像がぶれて、大きな扉が浮かんで、そしてその扉の門番が小さく微笑んで、扉が開いた。
 物語に縛られた異界へと続く門の門番、冥府の介入は【硝子の華】を持つ者の心が呼んだ。



【五】


 気付くと羽月とまあやはあのサイレントムービー『6月の花嫁』の中に居た。
「やれやれ、困ったものね。白亜や冥府にも」
 まあやはひょいっと肩を竦めた。
 それから後ろに立つ羽月を振り返って、にぃっと笑う。
「こういう物語も書き換えられるのかしら、彼女は?」
「さあ、どうだろうな。ただこの物語は軽軽しく変えていいモノでは無い事は確かだろうな」
 羽月は溜息混じりで呟いて、そしてそれからまあやを哀れむように微笑んでから、この『6月の花嫁』についての話をした。
「動機はわからないけど、犯人は確かよね。そして彼女の想いも」
 そう呟くまあやの前を素通りしていく眼鏡をかけた彼女。
 羽月はまあやの隣に立って、彼女の手を握った。
「軽軽しく変えてはいけないモノだが、しかしその彼女のメッセージを彼に伝える事で、この映画は終わるのかもしれないな。永遠に幸せになれなくなったこの花嫁の物語は」
 静かに羽月は何かを呟き、そして彼の前にある空間に綴られた文字が蝶となって消えて、そうして映画は途中でぷつりと途切れた部分を迎える。補う。続いていく。
 現実世界ではノイズの部分がこの映画の世界の中では映し出されている。
 純白の花嫁は赤い血の湖の中に沈んでいた。
 すべてがモノクロームのこの世界だが、確かに彼女が沈んでいるのは血だとわかった。
 羽月は呟く。
「かわいそうに」
 ざわりと世界が揺らいだ。
 この世界を構成する犯人の殺意。憎悪。そういうのが羽月に向けられる。
「この映画は彼女のメッセージが込められていたと聞いている。サムシングフォー。ジンクス。それを身につけた花嫁は幸せになれる。サムシングブルー。青いリボン。サムシングオールド。口紅。サムシングボロー。イヤリング。そしてサムシングニュー」
 服が汚れるのも構わずに羽月は血の湖の中に跪いて、そして彼女の瞼を開いて、その瞳に付けられていたコンタクトを指に持って。
「サムシングニューはコンタクト。彼女のかけていた眼鏡はとても古かった。その古さがこの事を証明している。彼女は本当にあなたと幸せになろうとしていた。どうしてあなたは彼女のその気持ちを信じられなかったのだ?」
 羽月は彼女の隣に落ちている手紙を手に取った。会いたい。一緒に逃げよう、そう書かれていた手紙を。
 彼女の名前は城嶋みちる。
 オーナーの兄の名前は勝崎唯人。
 そしてその手紙に書かれていたのはオーナーの名前。
 簡単な構図。城嶋みちるは最初はオーナーの事が好きで、だけど兄と触れ合い、兄と結婚する事になった。
 そこにあった尊い気持ちを、だけど彼は信じられなかった。
「彼女はあなたと生きて、幸せになるつもりだったのだぞ」
 モノクロームの世界が鮮やかな色を持つ。
 雨が降り続ける世界の色。
 教会の色。
 咲く紫陽花の鮮やかな色彩。
 血の赤。
 その水溜りの中にいつの間にか居た彼は跪いて、冷たい彼女の体を抱きしめて、声をあげて泣いた。
 そして世界が巻き戻って、最初からまた『6月の花嫁』が始まる。
 今度は最後までシナリオ通りに流れて。
 花嫁は幸せな笑みを浮かべながらウエディングブーケを虹が浮かぶすみれ色の空に投げて、そうして花嫁と花婿は羽月とまあやに頭を下げて、虹が浮かぶすみれ色の空に昇っていって、映画は終わった。



【ラスト】


 二人手を繋いで歩いて帰っていた。
 あの映画のフィルムは最後に見たあの上映を最後に切れてしまった。
 オーナーは笑いながらこれで良かったのだと言って、フィルムを箱に閉まった。
 心は、魂は報われたのだ。それをきっと彼も無意識に感じた。彼もまたきっと過去から解放されたのだ。


 歩きながらまあやはおもむろに言った。
「あたしは」
「はい?」
「あたしは信じるから、安心して良いよ」



 手の平に乗せた硝子の鳥の冷たさが、まだ手が覚えている彼女の温もりを茫洋にしてくれる。



 わずかに羽月は両目を見開いて、そしてその後に、
「はい」
 羽月は頷く。そして彼は足を止めて、まあやに言う。
「あなたも私に見せてくださいますか? あなたの心を」
 私があなたが泣いている事に気づく事ができたのはあなたがもう許されても良い、という事の表れだと想うから、だから私があなたを解放したい。過去から。
 もしも心の奥底から笑うあなたの笑顔を見る事ができたら、きっと私の心が抱く空っぽの鳥篭も優しい雨に洗い流されて、そうしてあの映画の世界で見たとても美しい淡い薄紫の世界をなすから。
 そうしてだから私たち二人はまたそこから一緒に居る事の意味を見つけられるはずだから。見つけたいから。そこから見つけた物を抱いて、一緒に歩いていきたいから。
「私は誰よりもあなたの隣に居たいから、ずっと。そのためなら私はちゃんとあなたの背負う物を私も背負おう。そう決めている。もう」
 告げた羽月に、まあやはわかっている、と微笑みながら頷いた。
「あなたがあたしの心に触れてくれるのなら、きっとあたしは…見せるから。約束するわ。あなたの心の温もりはすべてを溶かすから」
 教会の鮮やかな紫陽花の前で少年と少女は抱き合って、唇を重ね、心を重ねあわせた。


 ― fin ―




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1856 / 藤野・羽月 / 男性 / 15歳 / 中学生/傀儡使い】


【NPC / 綾瀬まあや】


【NPC / 冥府】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、藤野羽月さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 

 今回は3つのお題をいただいて、それを使って書くという事で、このようなお話を書かせていただきました。^^
 いかがでしたでしょうか? お気に召していただけていましたら幸いです。^^


 普通のデートで済ますのはちょっとなー、と想ったので、異界での道具を使って違うエッセンスを込めてみました。^^
 意外な展開に驚いて、楽しんでもらえていましたら嬉しい限りです。^^


 今回のお話で完全に二人の心は重なったかな、と想います。^^
 本当に難しい子だけど、羽月さん、見捨てずに構ってやってくださいね。(><


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。