■浮き世物語■
月村ツバサ |
【5151】【繰唐・妓音】【人畜有害な遊び人】 |
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず――
少年はぼんやりと川辺に座り、その流れを眺めていた。昔は魚がたくさんすんでいたというその川も、今ではすっかり汚染され、白い泡がなかなか消えずに流れていく。
「一体、わたくしめの主殿はいずこに居られるのか……」
少年は、古風な着物を身につけていた。紺の長着に安灰色の袴、縞の帯を締め、その上には薄い青の羽織を着ている。男の和装がブームになっている昨今では珍しくもない服装かもしれないが、お祭りでもない日に年若い男が着ているのはやはりまだ不自然だ。行きかう人が必ず一度は彼のほうを振り返る。
しかし、彼にとってそとの事などどうでもよかった。深いため息をつき、
「己の主を忘れるとは、何たる不実。成仏できるとはよもや思うまいが、せめて今一度、ご尊顔を拝し奉りたく……っ」
少年は言葉を詰まらせ、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
そう、少年は一度命を落とした身のうえであったのだ。
しかし、何かこの世に未練があったのか成仏できず、こうして浮世をさまよっているのだが――
風が冷たい。空の曇り具合からいって、もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。うかうか川辺でたそがれているわけにもいくまい。
少年は、すそを払うと立ち上がった。知らず右手が自分の腰あたりを撫でる。普通ならばここに彼の愛刀「冥尽丸」がささっているのだが、今はない。武士ならば肌身離さず持つものなのだが、あれを持っていると妙に目立ってしまうし、おかっ引のような輩に追い回され、あわや取られそうになった。以来、信頼の置ける場所に隠しておくことにしたのだ。
「さて、どこへ参るべきか……」
少年がくるりと土手の上を見たときだった。そこにいた人物と目が合った。
「あ、主殿……っ!」
なぜそう叫んでいたのか。
少年は、その人物へ向かって駆け出していた。
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少年(広隆)に付き合ってやってくださいませ。
無下に扱うも、ほだされるも、同情するも可です。
ラストでは月下荘に帰って来る予定です。
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浮き世物語
<0>
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず――
少年はぼんやりと川辺に座り、その流れを眺めていた。昔は魚がたくさんすんでいたというその川も、今ではすっかり汚染され、白い泡がなかなか消えずに流れていく。
「一体、わたくしめの主殿はいずこに居られるのか……」
少年は、古風な着物を身につけていた。紺の長着に安灰色の袴、縞の帯を締め、その上には薄い青の羽織を着ている。男の和装がブームになっている昨今では珍しくもない服装かもしれないが、お祭りでもない日に年若い男が着ているのはやはりまだ不自然だ。行きかう人が必ず一度は彼のほうを振り返る。
しかし、彼にとってそとの事などどうでもよかった。深いため息をつき、
「己の主を忘れるとは、何たる不実。成仏できるとはよもや思うまいが、せめて今一度、ご尊顔を拝し奉りたく……っ」
少年は言葉を詰まらせ、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
そう、少年は一度命を落とした身のうえであったのだ。
しかし、何かこの世に未練があったのか成仏できず、こうして浮世をさまよっているのだが――
風が冷たい。空の曇り具合からいって、もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。うかうか川辺でたそがれているわけにもいくまい。
少年は、すそを払うと立ち上がった。知らず右手が自分の腰あたりを撫でる。普通ならばここに彼の愛刀「冥尽丸」がささっているのだが、今はない。武士ならば肌身離さず持つものなのだが、あれを持っていると妙に目立ってしまうし、おかっ引のような輩に追い回され、あわや取られそうになった。以来、信頼の置ける場所に隠しておくことにしたのだ。
「さて、どこへ参るべきか……」
少年がくるりと土手の上を見たときだった。そこにいた人物と目が合った。
「あ、主殿……っ!」
なぜそう叫んでいたのか。
少年は、その人物へ向かって駆け出していた。
<1>
可愛い坊(ぼん)やわぁ。妓音は彼をそう一言で称した。走ってきながら、なにか違うなぁと首をかしげる姿もばっちり見ていたが、そんなことを気にさせてはいけない。
「どうしはったの、坊?」
「え、えぇと……」
どぎまぎして言葉がうまく紡げないらしい。ここは年長者らしくリードしてあげよう。妓音はそう心の中で微笑むと、
「坊はこの辺りの子ぉなんやろ?」
「一応そうでございますが……なにか?」
「この近くに、あんみつ屋さんはないかなぁ思うて。どこかえぇとこ知りませんのん?」
「わたくしですか? 古い記憶しかないもので、どこまでお役に立てるかわからないのでございますが……」
「知ってるんやねぇ? ほんなら、行きまひょ」
言うが早く、少年の手を取った。
「いややわぁ、ずいぶんとひやっこい手ぇしてはりますなぁ」
「え……」
「うちが暖めてあげる」
「え、えっ、そんな……」
初心な子どもをからかうのは、なかなかできないため
「坊、お名前は?」
「ひ、広隆と申しまする」
「広隆はん、うちに少しだけ付き合うてくれへん?」
「え、ええと……?」
「そないに不安そうな顔しないでも。うちが悪い人間に見えるのん?」
広隆はすごい勢いで首を振った。素直である。
「悪い人間とは思えませぬ。ただ……」
「なに?」
「――いいえ、なんでもございませぬ」
なにか、危険なものを感じ取ったらしかった。
<2>
「やはり見当たりませぬ……美味しく手ごろな値段の甘味処がたしかこの辺りにあったはずなのでございますが……」
広隆が連れてきてくれたのは、どう見てもただのオフィス街である。天下無敵の方向音痴である妓音も、つい首を傾げてしまう迷いっぷりだ。
「坊、本当にここやのん?」
「そのはずでございます。やはり、お店をたたんでしまわれたようでございますね」
残念そうに言う広隆だ。
「……ん、これって」
妓音が見たのは、この界隈の昔の地図だった。その昔、この辺りはコテコテの下町で、
「……あんみつ屋さん、あるやないのん」
江戸の昔から開業していたあんみつ屋が本当にここにあったらしい。しかし、空襲で跡形もなく焼けてしまったのだそうだ。どれだけ記憶が古いのだろうか。
「前時代の人、言うんやろうねぇ」
妙に感心して、妓音が呟いた。
「申し訳ありませぬ、妓音どの。どうやらわたくしの記憶違いでしたようで……」
「あんたはんの記憶は間違っておへんよ。……それより、いややわぁ、この天気」
妓音は空を見上げた。ぽつり、ぽつりと雨粒が降ってくるのが見える。
「雨宿りできる場所を探さなくては……」
広隆が慌てて右往左往するが、妓音は落ち着き払って、
「心配せんでも、傘がありますよって」
木のきしむ音をさせて開いた傘は、番傘だった。
<3>
別のあんみつ屋さんを探そう、と歩いているうちに、ずいぶん人気のない場所まで来てしまった。ビルの合間の公園には、雨と言うこともあって人影どころか猫の仔一匹見当たらない。
「広隆はん、もっと近う寄らな、濡れてしまいますえ?」
「わ、わたくしはここで結構でございます!」
いくら妓音が声をかけても、広隆は傘の中に入らない。左肩も、頭も傘の外で、かろうじて右肩だけが傘のうちにあるという具合だ。相当意識しているらしい。
「そんなに、うちと相合傘するんがいややったのん?」
悲しげに言うと、広隆の心がぐらりと揺れる音がした。
「いやではございませぬ。ただ……」
「なんやの?」
「妓音どのに、あらぬ誤解がかかっては、と……」
「誤解て?」
「えぇと、それはその……」
どんどんしどろもどろになっていく。らちがあかない。
「しゃあないなぁ」
まあ、そんな所も初心で良い。髪や服から水が滴ってスゴイことになっているが、そんなことは気にならないほど彼の意地は堅いのだろう。
「見つかりませんねえ、あんみつ屋さん」
「東京の人は和菓子は食べへんのん?」
「そんなことはないと存じますが」
親身になって困っている広隆に、妓音はさらに
「あら、いややわぁ、かんざしをどこかに落としてしまったみたいやわぁ」
「妓音どの……」
「えらいすんませんけど、さがしてくれはりますやろか?」
広隆に断れるわけがなかった。
雨に本格的に濡れながら、地面をはうようにしてかんざしを探す広隆と、申し訳程度にかがんで、「あらしまへんなぁ」と呑気にうそぶく妓音。かんざしは銀のシンプルなもので、この雨の中探すのはかなり酷であった。
「……疑うわけではございませんが、本当に、落とされたのですよね?」
「それは確かやわ。実際に、あるはずのものがないんやから」
「自分で外した、なんてことは……」
「あるはずあらへん」
その点だけはきっぱりと否定する。
足音が聞こえてきた。
広隆は顔を上げた。ただの公園に遊びに来るにしては、ずいぶん大勢で走ってくるようだ。
「どなたでしょうか、こんな雨の日に……」
「あんまり、良い予感はせぇへんなぁ」
妓音の予想は当たっていた。
走ってきたのは男たちで、手にはめいめい鈍く光る長いものを持っている。――ドスだ。
「ヤクザ者同士の縄張り争いみたいやねぇ」
広隆ははっとして後ろを振り返った。妓音がいつのまにか公園を出て、安全圏へと避難している。
「ご、ご自分だけでそんなっ……」
悲痛な叫びは、だが頭に血の上ったヤクザ連中には届かない。左右から、広隆のいる公園へと刃物を思ってなだれ込んでくる。
もうだめだ、と広隆がなにかを覚悟した時だった。呑気な声がした。
「あんさん、人間やあらしまへんやろ」
あ、と思った時には、男たちは広隆の体をすりぬけていた。
<4>
「わたくしがこの世のものにあらざると知っていらしたのでございますか!」
「手ぇを握った時から、なんとなくそうやないかなぁて思うてたけど」
いくら幽霊とはいえ、あんな場面に出くわせば寿命が縮むような気もするらしい。公園から這い出てきた広隆は、恨みがましい目つきになっていた。
なんとか公園から離れて、表通りまで出てきた。びしょぬれの二人を道行く人が一瞬見てはすぐに目をそらす。
「怖い思いさせてもうたなぁ、坊」
妓音が広隆の頭をなでてやろうとすると、手が彼の体をすりぬけてしまった。どうやら、意識的に触れられないようにしているらしい。
「へそ、曲げてもうたん?」
「……そういうわけではありませぬ」
憮然と言い返した広隆は、懐に手を入れ、一本のかんざしを取り出した。
「偶然、拾いましてございまする」
それは確かに、妓音が落としたはずのかんざしであった。妓音は思わずくすっと笑ってしまった。
拾ったのは本当に偶然なのかとたずねるが、はぐらかすだけで答えてくれない。そのうち、雨も止んだ。差す光は赤く、もうすぐ日が落ちることを物語っている。
「そろそろ家へ戻らねば」
「家があるの?」
まさか墓場じゃないだろうか、といやな予感のしていた妓音だが、
「月下荘というお屋敷でございます。わたくしは、そこに居候させてもらっているのでございます」
意外とまともな所のようである。
「ほんなら、挨拶がてらうちも行ってええ?」
「女性(にょしょう)を一人にするわけにはいきませぬゆえ」
<5>
ようやく月下荘に到着した頃には、すっかり「月下」の名にふさわしい時間となっていた。
「あ、やっと帰ってきた! 九頭鬼も待っとるで」
玄関に少女の姿がある。言葉のイントネーションが関東のものとは違う。
「ここが、あんたはんのお家やのん?」
「今だけ、でございますが」
一般家庭とは違った暖かさを持つ家だ。
「あれ〜、広隆、あんたもすみに置けへんなぁ。こんな美人ひっかけてくるやなんて」
「な、なにをおっしゃりますか、真琴どの!」
真琴と呼ばれた少女は、焦っている広隆に吹き出しつつ、妓音に向き直った。
「この幽霊がえらいご迷惑おかけしまして、ほんまにすみません」
「大丈夫やて。むしろうちのほうこそ、いろいろお世話になりましたし」
妓音の言葉はあながち遠慮というわけでもないのだが、普通は真に受けたりしない。
「お姉さん、これから家に帰るん?」
「そのつもりやけど」
「もう暗いで。大丈夫なん?」
「朝になるまでにつけばええわて、思うとりますけど」
迷うに決まっていた。たとえ夜でなくとも、だ。
「ほんなら、決まりやな」
真琴が胸をはって言った。
「何がでございましょうか?」
「今夜はうちに泊まっていきや」
なんでもないことのように真琴は妓音を家へと誘う。
「ええのん? うりのこと、なんにも知らんくせに」
「うちのアホがお世話になったし、こないにきれいな人を一人で帰せますか。――ええやろ?」
「そちらさんがいい言うなら、うちは断る理由もあらしまへんけど」
「よっしゃ。あ、九頭鬼、お客さん。今日うち泊まってくって」
真琴が家にいる誰かに怒鳴ると、素っ頓狂な返事と共に、どさっと何かが崩れる音がした。
やがて、なんだか健康状態のあまりよくなさそうな男がのっそりと現れた。妓音をちらりと見遣ると、
「誰だ?」
「広隆が迷惑かけた人」
「またか、この……」
ガキ、と言いかけた口が止まった。生きてきた年数で言えば、この幽霊にかなうものはまずいない。
「――まあ、一人くらい泊める場所はあるさ。ついでに」
男の目が再び妓音に向いた。
「冷蔵庫にビールがあるんだが、一緒にどうだ?」
オヤジな発言に、遠慮ない真琴のツッコミが響くのであった。
END.
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5151 / 繰唐・妓音 / 女 / 27歳 / 人畜有害な遊び人】
【NPC / 広隆 / 男 / 16歳 / 幽霊】
【NPC / 九頭鬼・簾 / 男 / 27歳 / 小説家】
【NPC / 遠見原・真琴 / 女 / 21歳 / 俳優志望】
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ライター通信
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こちらのスケジュール管理が至らず、
納品が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
月村ツバサ
2005/07/26
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