■蝶の慟哭〜一片の葉〜■
霜月玲守 |
【5432】【早津田・恒】【高校生】 |
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
その校内に、大きなイチョウの木が立っていた。樹齢はゆうに百を越すであろうか。どっしりとした木の幹が、歴史を感じさせるかのようだ。
驚くべき事は、その長いであろう樹齢や、大きなその風格だけではない。通常黄色い葉を散らす筈なのに、そのイチョウの木は薄紅色の葉を散らすのだ。様々な科学者や生物学者が何人もイチョウの木を訪れ、調べ、研究を続けているが、未だに答えは出ていない。遺伝子の事故が起こったのかも知れない、という科学者がいたものの、それが本当であるかどうかはまだ証明されていない。
そんな不思議なイチョウの木は、いつしか秋滋野高校の生徒達にとって、おまじないの対象となっていった。
やり方は至極簡単で、薄紅色のイチョウの葉に、願いを書いて持ち歩くと言う事だけだ。勿論、既存のおまじないのように誰にも見られてはならない、という規約は存在している。
そしていつしか、そのおまじないに関して特異の現象が起こり始めた。
願い事の中でも、負の感情を孕んだものが特に叶えられていると言うのだ。
そうした中、秋滋野高校の女生徒が一人、イチョウの葉を握り締め震えていた。
「私が……私が……」
迫下・祥子(さこした しょうこ)は何度も呟き、薄紅色のイチョウの葉をぎゅっと握り締めたまま、震え続けていた。
握り締めている葉には『クラスの皆、いなくなればいい』と書いてある。そして見つめる先にあるパソコンのディスプレイ画面には、一つの記事が表示されている。
『高校生、屋上から飛び降りる』
「私のせい……私のせいなの?」
ガタガタと震えながら、祥子は呟く。これは単なる偶然なのだろうか?ただの憂さ晴らしでやっただけなのに、現実味を帯びてしまうなんて。
祥子はふらりと立ち上がり、机の中に入っている小刀をそっと取り出す。ガタガタと震えながら、握り締めていたイチョウの葉を切り刻み始めた。が、一つの傷も入らない。何度も何度も打ち付けるが、傷は全くつかないのだ。
「どうして……どうしてぇ?」
次第に祥子は叫び始めていた。小刀を握り締め、何度も打ち付ける。何度も、何度も。そうしていつしか、小刀は祥子の左手を何度も打ち付け始めていた。
不思議と痛みは感じなかった。ただ、赤い血がだらだらと流れ続けた。赤く熱い、生命の証。それがだらだらと祥子の左手から流れる。でも、痛くない。
「……あはは……ははは……!」
祥子は笑い、打ち付け続けた。何度も、何度も。
次の日の新聞には『高校生、謎の自殺』の記事が載ったのであった。
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蝶の慟哭〜一片の葉〜
●序
願いを叶える為に、何かを犠牲にしなければならない。
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
その校内に、大きなイチョウの木が立っていた。樹齢はゆうに百を越すであろうか。どっしりとした木の幹が、歴史を感じさせるかのようだ。
驚くべき事は、その長いであろう樹齢や、大きなその風格だけではない。通常黄色い葉を散らす筈なのに、そのイチョウの木は薄紅色の葉を散らすのだ。様々な科学者や生物学者が何人もイチョウの木を訪れ、調べ、研究を続けているが、未だに答えは出ていない。遺伝子の事故が起こったのかも知れない、という科学者がいたものの、それが本当であるかどうかはまだ証明されていない。
そんな不思議なイチョウの木は、いつしか秋滋野高校の生徒達にとって、おまじないの対象となっていった。
やり方は至極簡単で、薄紅色のイチョウの葉に、願いを書いて持ち歩くと言う事だけだ。勿論、既存のおまじないのように誰にも見られてはならない、という規約は存在している。
そしていつしか、そのおまじないに関して特異の現象が起こり始めた。
願い事の中でも、負の感情を孕んだものが特に叶えられていると言うのだ。
そうした中、秋滋野高校の女生徒が一人、イチョウの葉を握り締め震えていた。
「私が……私が……」
迫下・祥子(さこした しょうこ)は何度も呟き、薄紅色のイチョウの葉をぎゅっと握り締めたまま、震え続けていた。
握り締めている葉には『クラスの皆、いなくなればいい』と書いてある。そして見つめる先にあるパソコンのディスプレイ画面には、一つの記事が表示されている。
『高校生、屋上から飛び降りる』
「私のせい……私のせいなの?」
ガタガタと震えながら、祥子は呟く。これは単なる偶然なのだろうか?ただの憂さ晴らしでやっただけなのに、現実味を帯びてしまうなんて。
祥子はふらりと立ち上がり、机の中に入っている小刀をそっと取り出す。ガタガタと震えながら、握り締めていたイチョウの葉を切り刻み始めた。が、一つの傷も入らない。何度も何度も打ち付けるが、傷は全くつかないのだ。
「どうして……どうしてぇ?」
次第に祥子は叫び始めていた。小刀を握り締め、何度も打ち付ける。何度も、何度も。そうしていつしか、小刀は祥子の左手を何度も打ち付け始めていた。
不思議と痛みは感じなかった。ただ、赤い血がだらだらと流れ続けた。赤く熱い、生命の証。それがだらだらと祥子の左手から流れる。でも、痛くない。
「……あはは……ははは……!」
祥子は笑い、打ち付け続けた。何度も、何度も。
次の日の新聞には『高校生、謎の自殺』の記事が載ったのであった。
●始
既に動いた事は取り返しがつかず、動かぬ事は見ることが出来ず。
早津田・恒(はやつだ こう)は、朝刊を握り締めたままぐしゃりと潰した。
「間に合わなかった……」
くそ、と小さく呟く。意気通りのこもった目線の先にある記事には、件の女子高生の記事が書かれていた。
『秋滋野高校二年生の、迫下・祥子さん(17)が昨日未明、自室で何度も左手を打ちつけて死亡しているのをご両親が発見された。麻酔も何も無しに左手の甲を小刀で打ちつけており、痛覚が麻痺していたのではという見解が成されている。同高校では、先日も航行の屋上から飛び降りて自殺をした生徒もいると言う事で、関連性を調べている』
恒は何度も記事を見、ぐっと拳を握り締めた。
自殺と断定しているものの、裏付けるような遺書の類は見つかっていないようだ。つまりは、状況から自殺で間違いが無いとしているのだろう。確かに自室に一人きりでいたのならば、それはそうなのだろう。
だが、何故彼女は痛覚が麻痺していたのだろうか。何度も小刀で打ち付けている間、痛みは無かったのだろうか。それに、失血死するまでに血を流してしまう間に、両親の助けを請う事は出来なかったのだろうか。
疑問は尽きず、また回答も成されてはいない。この不思議な自殺について、納得のいく部分などどこにもないのである。
「……間に合わなかった」
恒は再び呟く。恒は、祥子が書き込んだ記事を、ネットで見ていた。イチョウの葉に人の死を願ったら、叶ってしまったという怯えているような書き込みを。その時、証拠の書き込みを見た人々は、安易な答えや真剣な答えを返していたように思う。だが、恒は動かなかった。ただただ、動き行く返答を見つめていただけだった。
(あの時、すぐに動いていたら……)
恒はぐっと奥歯を噛み締める。
父親から、半端者は超常的な事件に関わるなと、きつく戒められていた。その所為もあって、書き込みを見ただけでは動き難いのだと自らが判断を下したのである。
だが、実際に事件はこうして起こってしまった。書き込みをした張本人である祥子が、謎の自殺を遂げてしまったのだ。
(半端者だからだなんて、言っていられるか)
恒は新聞を少々乱暴に閉じ、自室へと向かった。すぐにパソコンを立ち上げ、ネットを繋ぐ。
(こういう関係の事件なら、何かしらの情報が流れている筈だ)
カチカチとマウスを操作し、秋滋野高校についての記事を発見する。
「……これは」
そこにあった書き込みは、祥子が書き込みの時に言っていたイチョウの葉についてが殆どであった。彼女がイチョウの葉の呪いを受けたのでは、と。
イチョウの葉について確認すると、言っている事は皆ほぼ同じだった。
秋滋野高校校内にあるイチョウの木は、何故だか薄紅色の葉をつける。その葉に願いを書いて持ち歩くと、願いが叶う。負の願いを孕んだものが、特に。
それは立派な呪いであり、自殺した生徒から呪い返しをされたのだという意見が多かった。または、自殺した生徒にとり憑かれたのだと。
中には馬鹿らしすぎて読む気の失せるものもあったが、大半がイチョウの葉による呪いが絡んでいるものであった。
「どっちにしても、自殺が連続しているのは間違いないんだよな」
恒は呟き、考え込む。
自殺が連続しているというのならば、それに関連した調査を進めていけば何かがわかるかもしれない。
「……秋滋野高校、迫下・祥子さんか……」
恒は呟き、電話を手にする。秋滋野高校の番号を押し、呼び出し音を聞きながら待った。すると、5コールほどしてから相手が出た。
「はい、秋滋野高校ですが」
「早津田と言います。ちょっと、お尋ねしたい事があるのですが……迫下・祥子さんの家を教えていただけませんか?」
「迫下さんの……ですか?」
電話の向こうの事務員は、怪訝そうに尋ね返した。無理も無い。祥子の自殺は、メディアにも散々騒がれているのだから。
「俺、迫下さんの友人なんです。だけど住所を知らないので、焼香にいけなくて」
恒がそう言うと、事務員は「ああ」と言って納得した。そして、祥子の自宅住所を教えてくれた。恒は礼を言い、電話を切る。
「……さて、行くか」
恒は立ち上がり、学ランに袖を通す。小さく「よし」と呟き、パソコンの電源を切って部屋を出た。
高校に問い合わせた祥子の自宅に、向かう為に。
●動
願いは空に上がっていく。上がった願いは徐々に落ちていく。
祥子の自宅は、電車で20分ほど行った所にあった。駅を降りて暫く歩いて行くと、迫下家へと誘う矢印のついた看板がちらほら見え始めた。それと同時に、黒に身を固めた人々達も。
(……殆どが、秋滋野高校の生徒みたいだな)
恒は歩いていく人々を観察しながら歩いていく。中には恒のように、秋滋野高校ではない制服に身を包んだ者もいたが、やはり圧倒的に秋滋野高校の生徒が多い。ハンカチを片手に涙ぐんでいたり、数人で固まって泣いていたり、ぐっと拳を握り締めて俯く生徒たち。
(人の死は、こんなにも重い……)
恒はぐっと奥歯を噛み締める。たった一人の人間がいなくなったというだけかもしれない。だが、それだけで済ませるにはいかない重みが確かに此処に存在しているのである。
「……にしても、何でいきなり」
(ん?)
突如聞こえた声に、恒は足を止めた。声がした方を見ると、秋滋野高校の制服を着た3人くらいの生徒が固まってひそひそと話していた。女性が一人に、男性二人。
「迫下、様子はおかしかったけどな」
「田中・香苗(たなか かなえ)が自殺してから、さらに変になってたし」
「……何よ、それって私が悪いって言う訳?」
「だって、お前よく迫下に言ってたじゃん。田中が死んだのは、あんたのせいってよ」
「別にあたしはそんなつもりじゃ」
「……ちょっと、いいか?」
三人の会話を、恒は断ち切る。途端、三人が一斉に恒の方を見た。恒はじっと三人を見、口を開く。
「さっきのあんたらの話、詳しく教えてくれないか?」
恒の言葉に、三人は目線を交わす。恒は小さく溜息をつく。
「別にそれで、あんたらをどうこうしようっていう気は全くねぇよ。ただ、俺は真実を知りたいだけなんだ」
恒はそう言い、じっと三人を見つめた。すると、三人は再び目線を交わし合い、口を開いた。
「屋上から、自殺をした奴がいたって言うのは知ってるか?」
「ああ」
「田中っていうんだけど……俺らは田中と迫下とつるんでたんだよ。五人でさ」
「香苗と祥子はもともと幼馴染で、仲が良かったわ。だけど、香苗が他校の男と付き合いだしてから、祥子は変わったのよ」
女生徒はそう言い、溜息をついた。
彼女の話によると、ここにいる三人より先に香苗は彼氏が出来たのだと祥子に紹介したらしい。だが、祥子は香苗に「裏切り者」と言って罵ったらしい。
「祥子は、怖れてたみたいだったわ。あたしたち5人がつるむのが、それで台無しになっちゃうんじゃないかって。だから、香苗をずっと責めていたの」
「俺らは別に構わなかったし、そういう事も何度も言ったんだけどな。でもあいつ、聞かなくて。それどころか、俺らのことも怒り出したっけ。結局、止めに入ったクラスの奴ら全員に怒り出すしさ」
「そうそう。あんたたちも、ぐるになってるのね!……てさ」
「……そうしたら、香苗が自殺したんだ」
恒は思わず眉間に皺を寄せる。そんな事で、と思ってしまう。だが、そんな事だからこそ、追い詰められたとでも言うのだろうか。
「あたし、思わず言っちゃったの。あんたが責めるから、香苗は死んだのよって」
「その時から、明らかに迫下は変になってた。何かを握り締めてぶつぶつ言ってさ。俺らの話も聞いてくれねぇし」
「何かって……?」
恒が尋ねると、三人は再び顔を見合わせた。そして女生徒が口を開く。
「あたし達に見せてくれなかったから分からなかったけど……多分、イチョウの葉だと思う」
「イチョウの葉……!」
「知ってるの?」
恒は頷く。ネットで確認した書き込みには、イチョウの葉についてのものが殆どであった。知らない筈も無い。
「イチョウの葉に、彼女は何を願ったんだ?」
三人は顔を見合わせ、首を横に振った。誰も、祥子のイチョウの葉を見ていないのである。想像はついていたが、残念ではあった。
「それにしても、何で負の願いなんて叶うんだ?」
ぽつりと恒が呟くように言うと、女生徒がポケットから何かを取りだした。薄紅色の、イチョウの葉である。
「何故かは分からないけど……。あたし、これいらないからあげる」
「これが、イチョウの葉?」
「うん。あたし、それに皆仲良くって書きたかったけど……駄目みたいだから」
女生徒はそう言い、力なく笑った。それを、他の男子生徒が支えた。
(このイチョウの葉が……)
恒はイチョウの葉をそっとポケットに収め、三人に向かって頭を下げた。
「有難う。……俺、出来る限りやってみるから」
恒の言葉に、三人は「何を」とは問わなかった。ただ、三人は顔を見合わせ、そっと力なく笑った。
何かを諦めたような、それでいて哀しい笑みであった。
恒は再び迫下家へと向かった。三人の様子が気にならないといえば嘘になるが、それ以上に今は何とかしてやりたいという気持ちで一杯だった。
(何がどこで狂ったかなんて、分からないんだ)
一口に願いといっても、一歩間違えれば呪いとなる。言葉に出せば、本当になる。そんな事は分かっている筈なのに、人はそれをやめようとはしない。
(それが、人間の性なのかもしれねぇけどさ)
だからといって、容認する訳にも行かない。認めるわけには行かないのである。
(絶対に、突き止めてやる)
恒はぐっと拳を握り締める。
(負の願いが叶うって言う、根本の原因を絶対に突き止めてやる)
目の前に、迫下家の葬式会場が見えた。黒い服を見に纏った人たちが、悲しみの色を隠そうともせずに集っている。
(せめて、彼女が安らかに眠れるように……)
恒はそう思いつつ受付へと向かう。すると、その傍でマイクを持った女性が一人の喪服を着た男性に話を聞こうと必死になっていた。
「どうしてこのようなことになったのか、心当たりは」
女性は必死になっていたが、男性の方は放心状態のままで何も答える事は無かった。祥子の父親のようである。
「……父親として、何かできたのではという思いは……」
(無神経すぎねぇか?)
恒は思わずかっとする。娘を亡くしたばかりの父親に、そのような質問はプライバシーを侵害する他にならない。案の定返答に困る父親を見て、恒は地を蹴った。
「え?」
突然の恒の存在に戸惑うマス・メディア達を無視し、恒は父親の腕を引っ張った。そして素早く迫下家の庭にそっと隠れた。
「……君は」
「突然すいません。……俺、我慢ならなくて」
恒が謝ると、父親はくつくつと笑い始めた。
「我慢ならない、か。でも、もっと私は責められても良いのだよ」
「そんな事」
恒が言うと、父親はそっと首を振った。
「田中さんの所の香苗さんが亡くなった時から、祥子は様子が変だった。だが、私はそれを友人の死に直面したからだと簡単に考えていたのだよ」
父親はそう言い、大きく溜息をつく。今にも泣きそうな表情だ。
「私は祥子に何かが出来たのかもしれない。だが、何も……」
恒は何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。否、言う事ができなかった。何を言って良いのかも分からず、何を言う事が最善なのかも分からない。
「……祥子さんに、線香をあげさせてください」
恒がそれだけ言うと、父親はそっと微笑んで頷いた。目に深い悲しみを携えながら。
●見
落ちた願いは積み重なり、ゆっくりと侵食していく。
菊の花に埋もれた祥子のモノクロ写真が、意味もなく微笑んでいた。ああ、こんな顔だったのかと恒は胸を痛めた。
無邪気に、にっこりと笑う祥子の顔。
今は動かぬその顔に、その笑みは浮かばない。動いていたものは停止し、全てが終わりを告げたのだと思わされる。
(……いや、終わってはいない)
恒は手を合わせながら、誓う。
(まだ、終わってなどいない)
「わざわざ、有難う御座います」
手を合わせ終わった恒の所に、女性が声をかけた。やつれた顔には、未だに涙が溢れている。祥子の母親だろう。
「このたびは、ご愁傷様でした」
「いえ」
母親はそう言い、頭を下げた。その姿が、何とも痛々しい。
「一つ、お伺いしていいですか?」
「なんでしょうか」
「祥子さんの傍に、イチョウの葉はありませんでしたか?」
「イチョウの葉……ですか」
母親はそう言い、考え込む。
「よくは、覚えていないんです。あの時はただ、必死で……」
母親はそう言い、再び目から涙を流した。恒は非礼を詫び、頭を下げた。
「すいません」
「いえ、いいんです。……そうだわ、宜しければ祥子の部屋を見てみますか?」
「いいんですか?」
「ええ。……イチョウの葉が、あるといいですね」
半分夢の中というような言い方で、母親はそう言った。まだ、祥子が死んだ事が悪夢での出来事だと思っているのかもしれない。
(もしそうならば、どんなにいいか)
恒は再び頭を下げ、立ち上がった。そして教えられた祥子の部屋のドアをそっと開いた。中は全く手を加えていないのか、むっとする空気が充満していた。恒は部屋の電気のスイッチを押し、部屋の中を見回した。祥子が流したのであろう赤黒い血の跡があり、胸がぐっとつかまれるようだった。
ふと、パソコンのディスプレイ画面が見えた。まだ電源が入っているようだ。そっと覗きこむと、そこには「高校生、屋上から飛び降りる」という記事が開かれていた。
「これを見て、考え込んじゃったんだな」
恒が呟くと、ふと後ろに何かしらの気配を感じた。振り返ると、そこには先ほどモノクロ写真で見た祥子の姿があった。
「祥子さん、だな」
祥子はこくりと頷き、一つの場所を指でさす。恒がそこを見ると、そこは赤黒い血の跡が広がっていた。そして、一箇所だけイチョウの葉の形に血の跡が模られていた。
つまりは、そこにイチョウの葉が存在していたと言う事だ。
「……イチョウの葉に、願ったんだな」
恒の問いに祥子は頷き、ふっと姿を消した。恒は小さく溜息をついた。
「イチョウの葉は、願いをかけた祥子さんがいなくなったから消えたのかもしれないな」
恒は呟き、ぐっと拳を握り締める。
「他人の尻拭いなんざごめんだが……」
恒は祥子の部屋を出、挨拶もそこそこに迫下家を後にした。
(やってやろうじゃねぇか)
恒は心で呟き、走り出した。秋滋野高校へと向かって。
迫下家から秋滋野高校へは、徒歩10分程度でいける距離であった。
「ここが、秋滋野高校……」
想像していたよりも、割合にして綺麗な校舎であった。高校の裏には山があり、青々とした木々を揺らしていた。校庭も広く、スポーツが盛んに行われているのだろう、と想像がつく。
「ここに、イチョウの木があるはずだ」
恒は呟き、辺りを見回す。今日は学校が無い日である為、校門は閉まっている。侵入者だと通報されないように、こっそりと忍び込もうとしているのである。
(ここが一番の元凶だからな)
それは予測ではなく、確信だった。
祥子はイチョウの葉に何かを願った。香苗が自殺した。そして祥子が自殺した。もっと原因を辿れば、それは香苗が彼氏を作った事にあるのかもしれないが、それは特別珍しい事ではない。このケースに関して珍しい事項が当てはまるのだとすれば、それはイチョウの葉の存在に他ならない。
「祥子さんは香苗さんを怒り、それを止めた仲間やクラスメイト達に怒りを向けた。もしかして、彼女は願ってしまったのかもしれない」
(クラスメイト達の、死を)
恒は小さく「よっ」と言い、校門を飛び越えた。そして辺りに誰もいないことを確認しながら歩き始めた。
誰もいない学校は妙に薄気味悪く、恐怖を覚えさせる。だが、歩みをとめるわけには行かない。
「……クラスメイト、というと自分も入る事に彼女は気付かなかったんだろうか」
恒は呟く。そして即座に「いや」と呟く。
恐らく、彼女は本当にそのような事を願っていた訳ではなかっただろう。憂さ晴らしのように、勢いでやってしまったのではないだろうか。だからこそ、香苗が死んだ時に激しく動揺したのだ。
本当に、死んでしまうなんて、と。
動揺し、どうしていいか分からなくなったから、ネット上に助けを求めて来たのだ。
(もっと早く動けていたら)
恒は再び後悔する。もう後悔しても仕方の無い事だと分かっているのに、その思いは消えない。あの時ああしていたら、こうしていたら。そのような思いの輪廻がぐるぐると回って、留まる事は無い。
気付けば、目の前にイチョウの木が見えた。校庭の端にあるそのイチョウの木は、本来黄色であるはずの葉が薄紅色に染まっていた。恒はポケットからもらったイチョウの葉を取り出す。心なしか、もらったイチョウの葉よりも赤い気がした。
「……でも、だからこそ出来る事は全力でやるんだぜ」
恒は目の前に聳え立つイチョウの木を見上げ、呟いた。イチョウの木は、全体に負の思念を孕んでいた。まるで血のような、赤黒い思念を。
●結
侵食したその闇は、一筋の光でさえも飲み込もうとする。
恒はぐしゃりとイチョウの葉を潰す。乾ききっていた葉は、簡単に恒の手の中でばらばらと崩れ落ちていった。
「お前、負の願掛けばかり叶えてきたんだって?」
恒はイチョウの木に問い掛ける。
「だからそんなに穢れているんだな。……何のためだか、さっぱりわからねぇけど」
イチョウの木は何も言わない。意志を持っていないのかもしれない。だが、負の思念による穢れがあるのは確かであった。それが、強い力を持っていることも。
(浄化、やってみるか)
恒はイチョウの木をじっと見つめ、頭の中でイメージを膨らませる。
まず思い浮かべたのは、白く明るい、大きな光が二つ。それらが互いに光を放ちながら互いのいる方へと向かって行く。そして、一瞬の内に二つの光は一つへと融合した。
融合した光は、恒の掌へと移動していった。すると、頭の中での想像が現実の者隣、恒の掌に白く明るい大きな力の塊が宿る。
「負の願い……取り消しをさせてもらう!」
恒は掌に宿る力の塊を、思い切りイチョウの木の幹に叩き付けた。叩き付けられたイチョウの木は、一瞬全身を明るく光らせた。
「……できた、のか?」
恒は大きく息を吐き出しながら、その場に座り込んだ。すると、ひらひらと一枚の葉が恒の傍に落ちてきた。それを見て、思わず恒は微笑んだ。
落ちてきた葉の色は、薄紅色ではなく黄色に近かったのである。
「……余計な、真似を」
恒ははっとして顔を上げた。すると、そこには一人の少女が立っていた。
「あんたは、誰だ?」
「蓄えし力を解き放つが良い事か、考えもせずに事を成すか」
少女の言葉に、恒は少しだけむっとしながら言葉を返す。
「あれだけ穢れておいて、良い訳がないぜ」
恒の言葉に、少女はそっと笑った。小ばかにするかのように、蔑むように。そしてくるりと踵を返す。
「今日は引き下がろう。ただ、今日だけは」
「お、おい!」
恒は慌てて立ち上がり、少女を追おうとした。だが、気付けば少女の姿はどこにもいなくなってしまっていた。
「蓄えし、力か」
恒はぽつりと呟く。一体、力を蓄えてどうしようというのだろうか。解き放つ事に対し、そのような言い方をどうしてするのだろうか。
「だけど、穢れを抱え込む事が良い事は……ない」
恒はきっぱりと呟く。そしてひらひらと舞い降りてくる黄色に近いイチョウの葉を、じっと見つめるのであった。
あれから、秋滋野高校で自殺が起こったという話は全く聞かなくなった。その事により、いつしか人々も秋滋野高校で起こった連続自殺について、忘れ始めていた。
だが、一旦恒によって黄色へと色を変えたイチョウの葉は、再び薄紅色へと変わってきていると言う事が噂されていた。
「人は、負の願いを孕む事をやめないんだな」
ネットでその事を確かめていた恒は、小さく呟いて苦笑する。
それも人間の性なのだといってしまえば、それはそれで簡単だろう。だが、それだけで終わらせてはならない。絶対に。
「再び、あんな事が起こらないようにして欲しいもんだぜ」
恒はそう言い、パソコンの電源を落として立ち上がった。その拍子に、いつの間にか制服のポケットに紛れ込んでいた黄色いイチョウの葉がひらりと床に落ちたが、気付かずに部屋を後にした。
もう二度と、安らかに眠れぬ声が聞こえる事がないようにと祈りながら。
<一片の葉に祈りを寄せて・終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 5432 / 早津田・恒 / 男 / 18 / 高校生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜一片の葉〜」にご参加いただき、有難う御座いました。
初めてのご依頼、有難う御座います。元気の良い、正義感の強い方だと思いながら描写させて頂きましたが、如何だったでしょうか。
このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第一話となっております。
一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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