■浮き世物語■
月村ツバサ |
【3364】【久遠・桜】【幽霊】 |
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず――
少年はぼんやりと川辺に座り、その流れを眺めていた。昔は魚がたくさんすんでいたというその川も、今ではすっかり汚染され、白い泡がなかなか消えずに流れていく。
「一体、わたくしめの主殿はいずこに居られるのか……」
少年は、古風な着物を身につけていた。紺の長着に安灰色の袴、縞の帯を締め、その上には薄い青の羽織を着ている。男の和装がブームになっている昨今では珍しくもない服装かもしれないが、お祭りでもない日に年若い男が着ているのはやはりまだ不自然だ。行きかう人が必ず一度は彼のほうを振り返る。
しかし、彼にとってそとの事などどうでもよかった。深いため息をつき、
「己の主を忘れるとは、何たる不実。成仏できるとはよもや思うまいが、せめて今一度、ご尊顔を拝し奉りたく……っ」
少年は言葉を詰まらせ、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
そう、少年は一度命を落とした身のうえであったのだ。
しかし、何かこの世に未練があったのか成仏できず、こうして浮世をさまよっているのだが――
風が冷たい。空の曇り具合からいって、もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。うかうか川辺でたそがれているわけにもいくまい。
少年は、すそを払うと立ち上がった。知らず右手が自分の腰あたりを撫でる。普通ならばここに彼の愛刀「冥尽丸」がささっているのだが、今はない。武士ならば肌身離さず持つものなのだが、あれを持っていると妙に目立ってしまうし、おかっ引のような輩に追い回され、あわや取られそうになった。以来、信頼の置ける場所に隠しておくことにしたのだ。
「さて、どこへ参るべきか……」
少年がくるりと土手の上を見たときだった。そこにいた人物と目が合った。
「あ、主殿……っ!」
なぜそう叫んでいたのか。
少年は、その人物へ向かって駆け出していた。
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少年(広隆)に付き合ってやってくださいませ。
無下に扱うも、ほだされるも、同情するも可です。
ラストでは月下荘に帰って来る予定です。
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浮き世物語
<0>
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず――
少年はぼんやりと川辺に座り、その流れを眺めていた。昔は魚がたくさんすんでいたというその川も、今ではすっかり汚染され、白い泡がなかなか消えずに流れていく。
「一体、わたくしめの主殿はいずこに居られるのか……」
少年は、古風な着物を身につけていた。紺の長着に安灰色の袴、縞の帯を締め、その上には薄い青の羽織を着ている。男の和装がブームになっている昨今では珍しくもない服装かもしれないが、お祭りでもない日に年若い男が着ているのはやはりまだ不自然だ。行きかう人が必ず一度は彼のほうを振り返る。
しかし、彼にとってそとの事などどうでもよかった。深いため息をつき、
「己の主を忘れるとは、何たる不実。成仏できるとはよもや思うまいが、せめて今一度、ご尊顔を拝し奉りたく……っ」
少年は言葉を詰まらせ、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
そう、少年は一度命を落とした身のうえであったのだ。
しかし、何かこの世に未練があったのか成仏できず、こうして浮世をさまよっているのだが――
風が冷たい。空の曇り具合からいって、もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。うかうか川辺でたそがれているわけにもいくまい。
少年は、すそを払うと立ち上がった。知らず右手が自分の腰あたりを撫でる。普通ならばここに彼の愛刀「冥尽丸」がささっているのだが、今はない。武士ならば肌身離さず持つものなのだが、あれを持っていると妙に目立ってしまうし、おかっ引のような輩に追い回され、あわや取られそうになった。以来、信頼の置ける場所に隠しておくことにしたのだ。
「さて、どこへ参るべきか……」
少年がくるりと土手の上を見たときだった。そこにいた人物と目が合った。
「あ、主殿……っ!」
なぜそう叫んでいたのか。
少年は、その人物へ向かって駆け出していた。
<1>
春も大好きな季節だが、初夏のさわやかな空気も捨てたものではない。久遠・桜は、目的の買い物を終えて、帰る道すがらのんびりと散歩していた。土手の桜並木はすでに緑の葉を茂らせている。水面は、不安定な空の色を映しながら流れていく。自分と同じく、川の好きな人間がいたようだ。和服を着ているところも、自分と同じで嬉しい。
その彼が、ふとこちらを向いた。水面にさざなみが立った。おや、と思ったその直後、
「……主殿!」
彼が、こちらへと駆けてきた。時折転びそうに前のめりになるのが、危なっかしくて見ていられない。久遠のもとへと着く頃には、すっかり足元を泥だらけにしている。
「あなた様が、わたくしの主どのではないでしょうか? 同じ、同じ気を感じるゆえ……」
「あらあらまあまあ……」
同じ「気」なら、久遠のほうも感じていた。けれど、彼女の家族に彼はいない。血縁をさかのぼっても、いないような気がする。
けれど、少年は止まらない。
「ようやく、巡り会うことが出来たのですね、主殿……! ずっと、ずっとお待ち申し上げておりました……」
「私を?」
「あなた様に間違いないと、今、確信致しております。その優美さ、たとえ性別は違えども、わたくしめの覚えている主殿と同じ、凛とした空気を纏っておりまする」
長台詞をすらすらと言う子どもだ、とつい感心してしまう。
「何か、武道をたしなんでおられましょう?」
「えぇ、薙刀を少々習っていたことはありますけれど。良く分かったわねぇ、坊ちゃん」
「分からないはずがございませぬ。これでも、生まれてから死ぬまでのほとんどを、戦の場ですごしましたゆえ、武人の身のこなしは見ぬけまする。しかしながら、その……」
「どうしたのかしら、坊ちゃん?」
「坊ちゃん……と言われましても、その」
相手は、はじめて久遠の全身を凝視した。今の桜は、外見年齢が7歳程度だ。自分のほうが年上なのではないかと言いたいらしい。
「あらあら、私はきっと坊ちゃんと同じよ」
「同じ……でございますか?」
「そう。この世に未練があって留まっているの。違うかしら?」
「っ……」
当てられてびっくりしたらしい。よろけてつまずき、しりもちをついた。自分の一言にそんな反応を撮られるとは思わなかった。久遠は、相手を立ちあがらせようと手を差し伸べた。ちょうど、ビニール袋を持ったほうの手を。手を伸ばした相手は、不思議そうにそれを指差して尋ねた。
「これは……?」
「あら、これはただのごみ袋よ。今からちょっとお掃除しようと思って」
久遠は袋を揺らしてみせた。
<2>
「ここが、桜殿のお住まいでございますか」
「住まわせてもらっている所よ。ふふっ、とてもいい木でしょう」
「はい」
小高い丘の上に、一本だけ立つ桜の木は、土手の桜たちと同じように緑の葉を茂らせ、晴れた日は心地いい木陰を作っている。遊びにくる人間も、幸いなことに絶えることがない。嬉しい反面、どうしてもごみで散らかってしまうという困った点もある。
「桜の木が立派であるゆえ、余計にごみの汚さが目立ってしまっておりまする……」
「あまり汚くしていては、誰もこなくなってしまうわ。だからお掃除するのよ」
久遠は、スーパーの袋からごみ袋を取り出してバサッと広げた。
広隆に「手伝ってくれる?」などとは一言も言わず、いつのまにか作業に取り掛かっている。7歳の外見の体をてきぱきと動かし、缶やペットボトル、何かの包み紙などを、きちんと仕分けしながらそれぞれのごみ袋へといれていく。
道行く人は、雨が降りそうな天気を気にしてか、久遠のことを見てもすぐに目をそらし、足早に去っていってしまう。
「あの……もしよろしければ、わたくしも手伝って良いでしょうか」
恐る恐る首を伸ばしてきた広隆に、久遠はまるで自分の子どもが初めて自主的にお手伝いをしてくれた時のごとく喜んだ。
「大歓迎よ。一人だけでは、いつ終わるか分かったものじゃなかったから……本当に助かるわ、広隆さん」
久遠が「広隆さん」と言った辺りで、言われた本人の耳が赤くなった。
「お、男として、女性がこのようなことをしている時に手伝わぬような無礼は……矜持が許しませぬ」
そのまま、久遠にくるりと背を向けてごみ拾いを始める。雑念を振り払う修行でもしているように、黙々とただひたすらに目の前のごみを拾っている姿は、さながら掃除ロボットのようであった。
<3>
今にも降りそうな天気が、知らずに二人を急かしているようだった。単調な作業になってしまいそうだったのを打破したのは、久遠の何気ない質問だった。
「広隆さんは、なぜこの世に留まっていらっしゃるのかしら。私のことを『主殿』と呼んでいたようだけれど」
広隆は顔を上げると、少し照れたように頬を掻きながら、
「わたくしは、ずっと前に別れた主殿をさがして、また会える日を夢見て、この世に留まっておりまする」
「では、広隆さんはご主人をお探しのまま、ずっと現世に?」
「そうでございます。――といっても、主殿の姿や声さえ、思い出せない薄情者でございますが」
広隆が自嘲的にいうのを聞いて、久遠はごみを拾う手を止めた。
「それは違うわ、広隆さん」
遠雷が聞こえた。空を見上げる広隆の肩に、久遠はそっと手を置いた。
「たとえ覚えていなくても、ずっとご主人に会いたいというその一心で、この世に留まっているのだもの。あなたは、この上ない孝行者じゃないかしら?」
「そう……言っていただけるのですか……?」
広隆の肩が震えた。久遠から顔を背けて、顔を見られまいとしている。
「私も、一度は生を終えた身ですもの。でも、夫や家族が心配で、それでこちらに残らせてもらっているのよ」
桜の言葉に、広隆が振り向いた。
「桜殿……」
目が潤んでいる広隆だ。久遠はちょっと背伸びをすると頭をなでてやり、
「広隆さんのおかげで、こんなにきれいになったわ。ありがとう」
「わ、わたくしは別段何も……」
広隆の代わりに、空から涙のように雨がぽつりと降ってきた。
「いいえ、とても助かったわ。――それで、あちらの方は、広隆さんのお知り合いの方よね?」
久遠が目線で示した先には、
「あ、広隆くん、こんな所にいたんだね」
傘を手に、中学生ほどの外見の少年が立っていた。
<4>
「今日も主殿を探してたの? ……それにしても、立派な木だね」
少年は、広隆への言葉を途切れさせ、木を見上げた。
「そうでございましょう、この木は桜殿の……あれ」
広隆が久遠・桜を紹介しようと降りかえると、7歳の少女はすでにその場にはいなかった。代わりに、妙齢の婦人――の幽霊がいる。
「桜……殿?」
「もう、私の今日のお仕事は終わりましたから。実体化する必要はないの」
広隆に迎えが来たのなら、自分は静かにその場を去ろうと思っての行動だ。しかし少年は、まっすぐに久遠を見た。
「あなたも災難でしたよね。広隆くんの勘違いに付き合ってくれたんでしょう?」
フレンドリーに話しかけてくる少年に驚きつつも、久遠は笑顔で返す。
「いいえ、すごく助かりました。この木の周りのゴミを、いっしょに拾ってくれたんですもの」
「へぇ……。じゃあ、このゴミ袋は僕らが責任を持って捨てておきますね」
「まあ、ありがとうございます」
「あ、ありがとうございまする、涼介殿」
少年は「気にするな」と手振りで表現し、ゴミ袋の口をしばった。半透明の袋を背負う姿は、季節外れのサンタクロースのようである。
「それじゃあ、帰るよ。広隆くん」
涼介は、久遠へ会釈をすると丘を下って歩いていく。
「はい! ――それでは、桜殿。今日はありがとうございました」
ふかぶかとお辞儀をする広隆に、
「あらあら、お礼を言いたいのは私のほうよ? お掃除を手伝ってくれてありがとう」
「いいえ、わたくしのほうでございます。――わたくしに、勇気を下さいました。言葉では表せないほどに感謝しております」
長い長いお辞儀をして、広隆は顔を上げた。何か吹っ切れたような笑みに、久遠も微笑み返した。
離れたところから再度涼介の声がするにいたり、広隆は名残惜しそうにその場から離れていった。
一人残された久遠は、そっと木を眺め、
「私も、あの子のように、あの人の生まれ変わりと会える日までこの世に留まっているのかしら?」
木の葉から、雨の雫が落ちる。
「――それも素敵かもしれないわね」
自問自答し、くすっと笑ったのであった。
END.
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3364 / 久遠・桜 / 女 / 35歳 / 幽霊】
【NPC / 広隆 / 男 / 16歳 / 主を求めてさまよう幽霊武者】
【NPC / 遠見原・涼介 / 男 / 27歳 / 中学生?兼なんでも業】
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ライター通信
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初めまして、月村ツバサと申します。
このたびは「浮き世物語」にご参加くださりありがとうございました。
同じ幽霊同士ということで、なかなかない物語を書かせていただいた気がします。
少しでもお気に召していただければ幸いです。
月村ツバサ
2005/08/04
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