■幻想風華伝 ― 夢の章 ―■
草摩一護 |
【1431】【如月・縁樹】【旅人】 |
いくつかの激闘の果てに白亜の秘密が明らかとなった。
白亜とは死人の少女。人の夢見る世界を現実化する能力の結晶体。
人の夢を叶える事を望みながら死んだ少女は、死んで尚、その願いに縛られ続ける。
白はそんな彼女を哀れみ、【硝子の華】を作り上げた。
それが花開いた時、それを咲かせた者は白亜の真実を知るように。彼女の想いを知るように。そうしてその人が白亜を鎮魂してくれる事を願って。
しかし何時だって想いも寄らぬ事は起きるもの。
現実世界と物語とを繋ぐ役目を果たしていた冥府は白亜に恋するあまりに彼女の物語が永遠に続くように願い、彼女を連れ去ってしまった。
冥府が逃げ込むのは人の夢物語であったり、花物語であったり、御伽草子の世界であったり。
冥府が逃げ込めば、そこに白亜も居る。白亜は叶える、その物語で叶えられなかった物語を。人魚姫は泡と消えずに王子様と恋をして結婚して、シンデレラの義姉は王子と結婚をし、シンデレラを苛め続ける。眠り姫の呪いは永遠に解けぬまま。そして物語の魔王は現実世界へと飛び出し、人の世を不幸にする。
故に、物語から物語へと旅する風、兎渡はしょうがなく今日も皆さんを物語の世界へと案内します。ぐちぐちと愚痴を零しながら。
そして花が関わる物語には白とスノードロップがお供して、時には綾瀬まあやがお供します。
紫陽花の君、十六夜は時には信頼するのもいいでしょう。でも時には邪魔をします。あなたの敵。しかしそれはしょうがないのです。紫陽花の花言葉はうつろぎ。気まぐれな紫陽花の君にはご用心してください。
それでは準備はよろしいでしょうか?
あなたさまが、兎渡と共に物語の世界へと行くご用意とお心構えは?
― ライターより ―
要するにお任せノベルです。
PLさまがシチュエーションノベルのようにプレイングで起承転結、もしくは起・承・転ぐらいまでを指定してくださって、あとはお任せでも良いのです。それに草摩が考えた物語を組み合わせますので。御伽草子、という感じになるようにまとめます。
基本的に完全お任せで結構ですよ。^^
これには、白(花が指定された時に限り)、スノードロップ、兎渡、紫陽花の君、綾瀬まあや、が同行します。
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『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 黒い王女と姫君』
【女の子なんだから!】
「ねえ、ノイ」
「ん、何、縁樹?」
「眠り姫様って運が良いよね」
「………何をいきなり、縁樹?」
「だって悪い魔法使いの呪いで百年の眠りに陥っちゃうのは、ちょっと怖いけど、でも眠り姫様にとってみればそれはほんの一眠りの感覚だったんでしょう? ぐっすりと眠って、しかも百年も眠っていられて、それで起きてみたら王子様が自分をキスで起こしてくれていたなんて、女の子にとってみればものすごく幸せで嬉しいんじゃないかな〜って」
そこは静かな浜にある廃屋。
その廃屋の雨戸を開けて、海から吹いてくる潮風が廃屋の中に入ってくるようにしたそこで縁樹とノイ、それからおまけ、というかこうなった原因の綾瀬まあやとスノードロップ、それから保護者の白さんは床の上にレジャーシートを広げて皆で寝ていた。
夜空には満天の星、BGMはさざなみの音色。ちょっと蚊が嫌だけど、それさえ目を瞑れば最高の一夜を明かす場所。
ああ、でもやっぱりノイ的にはおまけたちが邪魔?
「なんか、ものすごく失敬な言葉が聞こえたような気がする………」
のそりと起きて、まあやは寝癖のついた髪をくしゃくしゃと掻いた。
「空耳だ。悪魔女」
縁樹との大切な一時の邪魔をするまあやにぼそりとノイの毒舌攻撃。
「………お散歩したい」
と、言って、起き上がった彼女が多分、「ぐぅえ」、とノイを踏んだのはわざと。
「重い。重い。足が重いっていうか、綿がはみ出るから」
「あら、これは失礼。おほほほほほ」
そう言いながらまあやは砂浜に下りた。
それから裸足で海辺の方に歩いていく。
縁樹は腕時計のライトをつけた。昼間のビーチバレーボール大会でまあやとコンビを組んで出場してゲットしたBaby Gショックだ。しかも限定ヴァージョン。まあやとおそろい。
時計の文字盤はお洒落なかわいらしいデザインだけど、暗闇でライトを点けると、文字盤にはかわいいイルカの絵が現れる。
ノイは縁樹とおそろいが欲しくってまあやに強請ったけど、くれなかった。だからノイはちょっとむっそり。
「わぁ、こんな時間。まあやさん、ひとりでお散歩だなんて危ないよ」
「大丈夫だよ、悪魔女なんだから」
「もう、ノイ。僕はまあやさんよりもお姉さんなんだから、年下の子が危ない事をしていたら、怒ってあげたり、守ってあげたりする権利と義務があるんだから!」
両拳を握って縁樹が言う。
ノイはぽかーんとして、それから手を叩く。
「そっか。縁樹はあの悪魔女よりも年上なんだから、ばんばんと怒っていいんだよ! っていうか、怒ろうよ! あの横暴女に。うん。はい、縁樹。これからはこれであの横暴女に!!!」
縁樹は便宜上永遠の19歳。だから高校生のまあやよりも年上! なんでそんな素適な事実に気がつかなったのだろう?
ノイは後ろのチャックに軽やかな動きで手をまわして、チャックを開けて、そして真っ白で巨大なハリセンを取り出した。
思わず縁樹は苦笑を浮かべる。
「………ノイ。とにかくまあやさんだって女の子なんだから、夜の海をひとりでお散歩だなんてダメ!」
ひょいっと縁樹は肩を竦めて立ち上がって、浜辺に下りた。縁樹はちゃんと靴を履く。
――――――――――――――――――
【憎くて愛おしい】
「冷たい」
波打ち際を歩いている。素足を波は触り、そしてそのまま去っていく。
まあやに追いつくと、彼女は波打ち際を歩いていた。
「僕も、しようかな?」
縁樹は靴を脱いで、それを両手に持って、まあやの前にまわって、素足を波に触らせる。
「ほんとだ。冷たくって気持ちいいね、まあや…さん」
ちょっとの、間。
まあやは小首を傾げる。
縁樹はどきどきとする心臓の音を聞きながらにこりと笑う。
絶え間なく奏でられるさざなみの音色は都合が良かった。それが無かったらこんな月の綺麗な静かな夜には心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
二人して波打ち際で向かい合って、月に照らされている。
まあやと真のお友達化計画。というか、まあやの本当の笑顔が見てみたい?
でも考えてみればそれは彼女の心に触れる事であって、ではまあやが本当に自分に心を見せてくれるかといえばそれは自信は無い。
なんとなく、まあやは今自分の足を撫でていっている波に似ている。自分はこちらに触れる癖して、こちらが触れようとすると、引いていく。
触れたいのに、僕はまあやさんに。
ぺたりと縁樹はまあやの腕に触った。
まあやは小首を傾げる。
それからくすっと笑う。
「ノイさんに殺される」
「え?」
「だって縁樹さんにこんな放課後の校舎裏のような空気で、体に触れられるなんて、これって愛の告白でしょう?」
にんまりと妖艶に微笑んで、縁樹の頬にかかるアッシュグレイの髪を掻きあげて、耳の後ろに流し、その手で縁樹の頬に触る。
夜の海、月に照らされながらこんな事をされたら、次はキスに決まっている。
縁樹は涙目で、もう戸惑いまくって、思わず瞼を閉じてしまって。そしたら何かが顔に近づいてくる気配。
転瞬唇と言うか、顔にふわりと柔らかな布が抱きついた感触。ノイ?
おそるおそる瞼を開けると、目と鼻の先にはあひるのぬいぐるみ。
「奪っちゃった、ファーストキス?」
あひるの腹話術人形を動かしながら言うまあや。縁樹は呆然となる。
「何をやっているんですか、まあやさん?」
「ナナコ・なでしこごっこ♪」
苦笑する縁樹。
ほら、すぐにこうやってまあやは逃げる。誰かが自分に触れそうになると。
そんな彼女が心に痛い。
どうして、そうやって優しい人を遠ざけようとするの? って、訊いたら、彼女は答えてくれるだろうか?
縁樹は真剣に考える。
まあやはキャミソールのスカートを手であげて、海へと入っていく。
縁樹も片手に持っていた靴を砂浜の方に投げると、まあやを追いかけた。
二人して服を着たまま膝まで海につかる。ちなみに縁樹はジーパンを膝の上辺りで切った物を履いている。上はタンクトップ。
夜の海の水は本当にひんやりと冷たく、心地良く。
対岸の街の灯りはまるで宝石箱を引っくり返したかのような散りばめられた光りで、美しかった。
潮風に肌を撫でられながら並んで立って、触れた指先、小指を絡み合わせる。
「だからノイさんに殺される」
ひょいっと肩を竦める。わずかに隣の縁樹に顔を向けて。
その横顔はとびっきりに悪戯っぽく。
「大丈夫。僕が守ってあげますよ。だって僕はまあやさんのお姉さんなんだから」
「お姉さん?」
瞬く紫暗の瞳
「はい。僕は19だもの。だから僕の方がお姉さんでしょう?」
にこりと微笑む。
夜の潮風に吹かれて、まあやの髪は揺れている。
縁樹の美しいアッシュグレイの髪もそう。風に揺れて、首筋をくすぐって。
「髪がくすぐったい」
くすくすとわずかに身をよじりながら縁樹はまあやの首筋をくすぐる髪を掻きあげる。
形の良い長い指が流れるような黒髪に触れている。
指が梳く髪は風に流されて、指から流れるように落ちていく。
縁樹の赤い瞳が輝く。
綾瀬まあや、闇を宿命づけられた、少女。
―――――闇
何故だろう? 彼女のその黒髪を見て、まるで周りに降りている夜の帳よりも濃密なその黒を見た瞬間に、ふいに心がざわめいた。
月の明かりに照らし出される彼女の蝋の様に白いその白磁の美貌も、身に纏うキャミソールの黒も、すべてが憎らしい。
そう、憎らしい………
―――どうして?
それは無意識の記憶。
いかに縁樹を創りしあれも、縁樹の無意識に残る記憶は消し去る事は叶わない。
転生の度に触れ合うそれ。
転生の過程で、前の自分からとても大切な何かを奪っていくそれ。
それがただただ哀しく、憎らしい。
そう、それは呪い。
契約。
絆。
呪いという絆。
絆という呪い。
それが深いからこそ、縁樹は、
憎い。僕はまあやさんが憎い。
―――でも憎くて、憎くてしょうがないけど、
同時にとても愛おしい。
そう、愛おしいんだ。
あれは奪うけど、与えてくれたもの。
その絆、刷り込みが、あいつと同じ闇の属性の綾瀬まあやに対してそういう感情を抱かせる。
――――それは、あいつの代わりの対象として?
「奪われちゃう?」
くすりと悪戯っぽい響きの声に縁樹は我に返って、自分がまあやの頬に手を当てていた事に驚いて、それからその事に狼狽して、戸惑いまくる。
「あわわわわ。えっと………」記憶が無いのだ。
縁樹は壊れた玩具のように手を振った後に、海の中にざぶん、と飛び込んだ。
それから頭を海から出して深呼吸して、驚いたように目を瞬かせているまあやと顔を合わせて、それで何かを言おうと口を開きかけて、でも何も上手い言葉が見つからなくって、そうしたらおもむろにまあやがくすくすと笑い出した。
「満月の夜だしね」
「ふぅえ?」
だけどもうそれですべて無かった事に。まあやも服のまま海の深い場所まで歩いていって、泳ぎ出す。
そのまましばらく縁樹とまあやは水遊びをして、やがてそれにもあきると、手を繋いだまま二人して身を波に任せた。
わずか数分で縁樹たちの身体は波打ち際に運ばれる。
そこで二人して手を繋いだまま寝転がって、夜空を見ていた。
気分はもう女子高の修学旅行か、女の旅気分。ノイたちの事は忘れていた。
「ねえ、縁樹さん」
「はい、なんですか?」
「さっき、眠り姫の王子様の話をしていたじゃない?」
「はい」
「あたしは、眠り姫よりも縁樹さんの方が羨ましいかな」
「はぁ。って、ええ?」
思わず縁樹は身を起こしてしまった。
まあやはくすくすと笑う。
「だって王子様、じゃないけど、騎士が居るもの。何よりも姫を一番に想ってくれて、尽くしてくれる騎士。あたしにも、あたしにもノイさんみたいな子が居たら、少しは変わっていたかな、なんていつも幸せそうに笑っている縁樹さんを見ていると想う。想って、そんな自分に自己嫌悪する。あたしは許されないし、許されちゃいけないし、そんな事を想ったらいけないのに」
「まあやさん…」
何かを言おうと想った。
でも何かを言いかける度に、それが言葉となって紡げないのは、まあやが言ったいつも幸せそうに笑っている自分、というモノがなんだかひどく罪深く感じたから。
―――何でだろうか、それは?
自分が笑っている事が、それがなぜだかひどく辻褄が合わないような………
だって、僕は―――――――――
ざぱーん、とこれまでで一番高い波が打ち寄せて、それが縁樹とまあやの全身を撫でていった。
二人して、その大きな波にびっくりとして、それから顔を見合わせてくすくすと笑いあう。
「戻りましょうか、縁樹さん」
「はい」
と、頷いて縁樹は渋い顔。だから僕の方が年上。目指せ、お姉さん。
二人して立ち上がって、手を繋いで帰る。
その帰り道、だけどまあやがふと足を止めた。
「あーぁ。変なのにあっちゃった。(遭っちゃった。)」
「変なの?」
縁樹は小首を傾げる。
それからまあやが縁樹の前に出る。まるで守るように。
縁樹は下唇を噛んだ。
今目の前に居る硝子人形のような女の子が誰なのか縁樹は知らない。だけど彼女が良くないモノである事はまるで白々しい静けさを装う夜の気配が雄弁に教えてくれていた。
「眠り姫、興味あるの?」
「さあ、どうかしら?」
「あら、だってさっき話していたじゃない。眠り姫の物語。死体愛好家の王子様になぶられた哀れなお姫様のお話。魔女の呪いは実は成功していたのよ」
詠うようにそれはどろりと黒い事を言う。
まあやは縁樹の両耳を押さえて、応戦する。
「そうね。実は眠り姫の王子様は死体愛好家だった。もしくは眠り姫は眠ったまま見ず知らずの男の子どもを孕むとか、まあ、色々とあるわよね、惨い話が。あなた好みの良い話じゃない、ほんとにさ。紫陽花の君」
「でもあたし好みじゃない物語もあるのよね。眠り姫から派生したもう一つの別ヴァージョンのお話。闇の調律師、あなたによく似た呪われた王女のお話」
びくりとまあやの体が震えた。
縁樹はまあやの前に出て、両手を広げる。
「ほら、やっぱりよく似ている」
紫陽花の君は縁樹に顎をしゃくり、それからにこりと笑って、指を鳴らした。
「黒い王女の物語。お客様、お二人ごぁんなぁーい♪」
その瞬間、今まで息を押し殺していた夜が悲鳴を上げて、縁樹とまあやは砂浜に現れ出た大きな口に飲み込まれた。
――――――――――――――――――
【僕はお姉さんなんだから】
海水で濡れていた髪も、砂だらけの体も綺麗になっていた。
縁樹とまあやはひとつの古城の前に居た。
だがその古城はなにやら騒然としている。というよりも随分ときな臭い。
縁樹はうなじの産毛がちりちりとするのを感じた。何かの事件に関わる時にいつも感じる気配だ。
「まあやさん、ここは?」
どうもあの紫陽花の君、という少女の能力によって異界へと連れてこられたようだけど。
「物語の世界。黒い王女の。白亜という幽霊の少女が居るの。彼女は人の望みを現実化できる能力を持つ。その彼女が好きで冥府という子は白亜を連れて物語から物語へと逃げている。そして逃げる先々で白亜の人の望みを叶える能力が事件を起こしているというわけ。今回もどうやらそのようね。ここで事件が起こっている」
まあやは古城を見た。
「あの、紫陽花の君、という少女は?」
「あれはあたしもよく知らない。冥府たちが物語から物語へと逃げ出してから現れたの」
「そうなんですか」
「とりあえず行ってみましょうか、古城?」
普通に古城に入っていこうとしたまあやの手を縁樹は両手で握る。
「え、でもちょっと、待って、まあやさん。だって僕たちこの恰好」
縁樹は短パンにタンクトップ。まあやはキャミソール。しかも裸足。ちょっと女の子二人で見ず知らずの場所へ入っていくには無用心な恰好じゃ………ないですか?
「んー、ん。いいのが来たわ」
「え?」
小首を傾げ、目を瞬かせる縁樹。
「あれ」
まあやが指差す方を見ると、何やら胸のポケットに兎のぬいぐるみを入れた銀髪のおかっぱさんが忙しそうな様子でこちらに走ってくる。
どうやらまあやはこの人の事を知っているみたいだけど。
「うわぁ。闇の調律師」
「ええ。こんにちは。ごきげんよう、兎渡」
兎渡、そう呼ばれた彼はなんだかすごく嫌そうな顔をした。
「紫陽花の君がここへ?」
「ええ、そう。本当にナイスなキャスティングよね。あたしをこの物語に連れてくるなんて」
兎渡は肩を竦めて、それから縁樹を見た。
「こちらの彼女は初めてだね」
「如月縁樹さん」
「こんにちは」
「こんにちは」
縁樹は笑顔で挨拶をするけど兎渡はなんだか素っ気無かった。
「ねえ、それよりも服を用意してくれない? ここにあった服」
兎渡は嫌そうに眉根を寄せたけど、溜息を吐きつつ指を鳴らした。転瞬、縁樹とまあやの服が変わる。
「ねえ、兎渡。それでこの黒い王女の話はどのように変わってしまったのかしら?」
まあやがそう訊くと、兎渡は前髪をくしゃくしゃと掻いた。
それから縁樹を見る。
「キミはこの物語を知っている?」
「あ、いえ」
首を横にふるふると振る縁樹に兎渡は肩を竦めた。
「黒い王女。呪われた黒い王女が生まれた。彼女は年頃になって死んでしまうが、しかし夜毎に棺から蘇って墓守を殺す。だけどひとりの年老いた男が超自然現象の助言で三晩の墓守をこなして、王女の呪いを解いた。黒い王女は白い王女へと転生し、墓守と結婚して幸せに暮らす。そういう話さ」
縁樹は小首を傾げる。
「この古城に黒い王女が居るんですか?」
眠り姫もお城で眠っていた。
「いえ。ここでは彼女は墓所にいます。小さな円形のレンガ造りの墓所。この古城に居るのは墓守の一族。殺されたのは黒い王女を救うはずの墓守。彼はあの古城で磔にされて殺されていたそうですよ。しかも絶対に人が道具無しでは届かない位置の壁に磔にさ」
「異能力を使えば別に難しい事じゃないんじゃない?」
「そうですよね」
縁樹もこれまでいくつも異能力による犯罪を見てきた。知り合いである怪奇探偵草間武彦が取り扱ってきた犯罪はどれも異能力者による犯罪で、同じ異能力者だからこそ解けた事件ばかりだ。
兎渡は前髪をくしゃくしゃと掻いて、
「まあ、そこら辺は私は知りません。ただもう黒い王女を救える墓守はいないという事です」
墓守は死んだ。
だから呪われた黒い王女は呪いを解かれない。
ずっと呪われたまま。
永遠に棺から蘇り、人を殺し続ける。
ずきりと縁樹の胸が痛んだ。
それから横目でまあやを見る。
彼女も闇の子。闇を宿命付けられた少女。その能力ゆえに家族を失った。たくさんの人を不幸にした。呪われた、運命。
彼女が未だに十字架を背負いながら闇の調律師として戦い続けるのは、それは、それすらも彼女の運命が闇に縛られているからではないのか?
ずっと彼女はそうやって闇に縛られて生きていくの? 本当の、心からの笑みを浮かべられないで!!!
だから縁樹は覚悟した。
「黒い王女の呪いを解く墓守さんが亡くなったというのなら、それなら僕が彼女の呪いを解きます」
「縁樹さん?」
おどろいたように言うまあや。優しく笑う縁樹。
「だって、誰にだって幸せに生きる権利はあるはずだから。笑って生きていいはずだから。笑えないで、それに罪を抱いて生きるなんて、哀しすぎます。だから僕が彼女を救います。いいですね、まあやさん」
赤い瞳はまっすぐと紫暗の瞳を見つめていた。凛とした意志を持って。そしてまあやの方はその意志に戸惑うのか、珍しく赤い瞳から逃げた。まるで親に昼間やった悪戯がばれた幼い子どものように。
そう。まあやは幼い子どもなのだ。それと一緒。どれだけしっかりとしたフリをしていても、背伸びをしていても、彼女は実は一番誰よりも幼い子ども。自分が犯した罪に震え続ける。
―――誰も彼女を責めたりしないのに。手を伸ばし続けているのに。
だから僕は黒い王女さんを救うんだ。
もちろん彼女にも幸せになってもらいたいけど、それでまあやさんを救えたら、嬉しいから。
「うん、僕はお姉さんなんだし」
縁樹はこっそりと拳を握って、頷いた。
それから重要な事に気がつく。
「あの、兎渡さん。黒い王女の墓所ってどこにあるんですか?」
「それはこの古城の住人に訊くといい。新しい墓守を決めるので揉めているからね」
「はい」縁樹はぺこりと頭を下げて、それからまあやの手を握った。「行きましょう、まあやさん」
歩き出す縁樹。
兎渡は苦笑を浮かべた顔を左右に振って、まあやの背中をそっと押して、まあやはただ幼い子どものように縁樹に手を引かれて歩いていった。
「さてと、だからといってここでの事件をほかっておく事もできないですし、それにそれが彼女たちに害を及ぼす事もある。これはここを解決してくれる人たちを連れてこないとダメですかね。やれやれ。本当にどうして私が。これは貸しですからね、闇の調律師。あなたのかわいい導き手を助けるための」
くすくすとあの不満屋が楽しげに笑って、それからその場から跳ねるように去っていった。
――――――――――――――――――
【ここに居てもいいのだよ】
古城の主であるグレバーが殺され、古城には彼の兄であるミハエル、そしてグレバーの親友であるマンチェスター伯に、この地を治める貴族の良き相談役ミリーシャ。そして彼らの召使に侍女、それが古城に居る者たちで、彼らは自ら墓守をかってでた縁樹たちに良くしてくれた。
黒い王女の墓所までの案内役と、それから馬を二頭、当面の食料を渡してくれる。
その道すがら案内役の者が本来なら黒い王女の呪いを解くはずであったグレバーの殺害現場の事について聞かせてくれた。
発見者は天使を見たという。そしてありえない場所でのグレバーの磔。その話を聞いた縁樹は犯人やトリック、天使の事などを考えたりしたが、しかしまあやの方は何を話し掛けようが上の空のだった。
そうして縁樹たちは夕暮れ少し前に到着した。
ここまで案内してくれた者は逃げるようにして帰っていった。
縁樹はその後ろ姿を見て、肩を竦める。
そんなにも逃げ出してしまいたくなる場所に女の子を二人にするなんて。ノイが居たらきっと毒舌の嵐。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて怒る相棒の姿を想像して縁樹はくすりと笑った。
そういえばノイは何をしているだろう? 今頃なかなか帰ってこない自分たちの事を心配しているだろうか?
「ノイ…」
ぽつりと口に出す。それから苦笑。我ながらなんだかホームシックの子どもみたいと想ったからだ。
そして何気なく目をやったまあやもこちらを見ていて、お互いにくすりと笑いあう。しかしやはりまあやは少しおかしかった。
黒い魔女。
彼女は本来は救われるはずだった。だけど彼女はその救いの手を失ったのだ。
あるいは人によってはそれは因果応報と言われてしまうのかもしれない。現実は物語の世界ほど優しくはない。ハッピーエンドは物語の中だけ。黒い王女はこれまで何人もの人を殺したのだ。その罪を償わなければならない。だけど………
「だって黒い王女様のせいだけとは言いきれないでしょう。それが彼女の運命だった。望んだんじゃない。それを背負えというのはあまりにも酷な気がする。それに苦しんでいますよね、黒い王女様だって」
口の中だけで呟く。
墓所を見て、それからずっと俯いているまあやを見た。
二人は何も喋る事無くそのまま夜を迎えた。
その間ずっと誰かが自分たちを見ている気配があったが、しかしそちらに視線をやっても、そこには誰も居なかった。
濃い霧が墓所の周りに立ち込めた。
まるで水の中に潜っているようだ、そんな印象を縁樹は受ける。髪も服も霧が持つ湿気のせいでぐしょりと濡れていた。体内に入った霧が水となって、肺を満たしている、そんな霧に溺れているようにも感じる。
きっとノイが居たら大変だ。
そう想っただけで、今度は笑えなかった。
肩の軽さ、それが頼りない。
縁樹はこの濃密な霧の中でいつも肩に感じているペットボトル一本分の重みがいかに自分にとって心強かったのかをあらためて思い知った。
そうして沈黙が澱をなして沈殿したかのような静寂の夜に、それを壊す甲高い死霊の叫び声のような蝶番の音が鳴り響いた。
どろりとした血液の持つ粘性の空気が鳴動して、剥き出しの素肌にそれが直接絡みつくように触れる。
霧が急激に晴れていく。まるで現世と繋がった冥界の口からあちらへと流れ込んでいったように。
そして何かを引き摺るような音。
現れる、黒い王女。手に一振りの剣を持って。
「ノイ」
縁樹は身体を硬くする。
愛銃はノイの中だ。
いつもならノイが何だ、アイスホッケーの面をつけて、チェーンソーでも持っているのかと想った。っていうか、あれ? ジェイソンって新種の熊だったんじゃなかったけ、とかなんとか毒舌を吐いて、緊張をほぐしてくれたりするのに。
やっぱり、肩の軽さが心細い。
黒い王女は鞘から剣を鞘走らせた。
「黒い王女は棺から蘇っては墓守を殺す」
縁樹は音声化する。物語を。
「だけど年老いた墓守は三晩生き延びて、黒い王女の呪いを解いた。でもどうやって?」
まあやが進み出る。手には竪琴を持っていた。彼女の新たな武器。弟子の三柴朱鷺の死によってもたらされた新たな力。
本当は今回の旅行もまあやを励ますためだった。不肖の弟子で、でかい弟で、そして父親だった彼を亡くした。
「彼女は呪われている。生まれながらに。確かにそれは彼女のせいじゃないし、望んでそうなった訳でもない。だけど罪は罪。死んでもなお闇に囚われる魂ならあたしが消し去る」
縁樹は口を大きく開けた。だけどそれで出そうとしたのはどっちだ? 悲鳴か、それとも言葉か。しかしどちらも出せなかった、まあやには。
頑なに、頑なに彼女はそう思い込んでいるのだ。やはり闇を宿命付けられた自分は人を不幸にすると。
縁樹はわなわなと細い身体を震わせた。
拳を握り締めて。
それから竪琴を構えて、攻撃の音階を奏でようとしたまあやの前に立った。
「黒い王女さん、僕たちはあなたを救うために来たんです。あなたを救うために、闇から。どうすれば、どうすれば僕はあなたを救えますか? その闇の呪いはどうすれば………」
必死に縁樹は訴えた。
黒い王女はその彼女に、笑う。そしていともあっさりと剣を振るった。横薙ぎに振られた剣撃をかわせたのは彼女の運動神経の賜物だ。
目の前に居る彼女の光りも意志も無い目がこちらを見る。
自分を見下ろすそれと視線を合わせた瞬間に、縁樹の全身の肌が粟立った。
満ち満ちる陰の気。それはまさしく墓所の空気であり、気配、死、そのものであった。
深い闇。濃密な純粋の暗闇。
自分が甘かった事を知る。
これはもう言葉だなんて通じない。
―――いや、そんな事よりも、その闇の深さ、黒い王女が想像していたような哀れな呪われた王女さまではなく、純粋な闇だと認識した瞬間、縁樹は怖くなった。
僕は、闇が怖い………
黒い王女は死者の顔、死者の目をして剣を振り下ろした。
「この悪霊が」
奏でられた攻撃の音階は強力な衝撃波となって黒い王女をふっとばした。
「まあやさん…」
彼女は自分とよく似た黒い王女を本気で消滅させようというのだ。それしか道は無い。それが正しいと言わんばかりに。
罪深き闇が幸せになる事は罪だと。
それが嫌で、そう彼女が想う事が嫌で、ここに来たのに、こうなってしまっている。
縁樹は下唇を噛みしめた。
口の中に血の味が広がる。
視界は涙で歪んだ。
悔しい。
僕はお姉さんなのに、泣いている娘をひとりも救えないなんて。
手は自然といつも相棒が座っている肩へと伸びた。そこにあるはずの重さが無いだけで、心が折れそうになる。
『だって王子様、じゃないけど、騎士が居るもの。何よりも姫を一番に想ってくれて、尽くしてくれる騎士。あたしにも、あたしにもノイさんみたいな子が居たら、少しは変わっていたかな、なんていつも幸せそうに笑っている縁樹さんを見ていると想う。想って、そんな自分に自己嫌悪する。あたしは許されないし、許されちゃいけないし、そんな事を想ったらいけないのに』
―――それは本当に? 本当にあなたは許されてはいけないの? そんなにもあなたの存在は罪深いの?
そう言い切れる世界なら僕は―――
僕がありたいのは………
光り溢れる、優しい世界。
縁樹はおもむろに黒い王女の前に立ちはだかった。
後ろでまあやが声をあげるが、でも縁樹は聞いてはあげない。
そして今にも剣を振り下ろそうとする黒い王女を縁樹は抱きしめた。
そうだ。この物語は既に元の話と変わっている。その解決方法はだから元の話とも違うはずなのだ。
これが縁樹が導き出した黒い王女を救う方法。
何よりも親友の彼女にしてあげたい事。
言ってあげたい事。
答えは既に自分の中にあったのだ。
縁樹は冷たい骸を抱きしめながら言った。
「もういいのだよ。世界中の誰があなたを疎んじても僕はあなたの味方です。だからあなたはここに居てもいいのだよ」
いつも感じていた。
ノイがちゃんと自分の存在を意味づけてくれている事。
誰かに自分がちゃんと居て欲しい、そう願えてもらえる事の嬉しさ、喜び。安心感。
ノイが居てくれるから、僕は僕でいられる。居ていいんだと想える。そうありたいと想う。
誰よりもノイがそう望んでくれるから。
それが、何よりもの幸せ。
「あなたはちゃんとここに居ていいんだよ」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ありがとう。ありがとう。ありがとう」
冷たい骸はいつの間にか小さな女の子に変わっていた。そしてそれは赤子へと変わって、やがて光となる。
呪われた魂はその存在を認められた事で、光りへと転生できた。
だがその瞬間、闇が悲鳴をあげて、縁樹を激しい敵意が襲った。
――――――――――――――――――
【嘘、何で?】
「嘘、何で?」
物語はこれで解決されて、正常に戻るのではないのか?
「あなたは重要な事を忘れている。縁樹ちゃん」
後ろから囁かれる悪意。
弾かれたように振り返った先に居た紫陽花の君。
彼女はにんまりと笑って、まあやを指差した。
「この物語は黒い王女。呪われた闇はもうひとり居るわねー。しかも心の奥底から自分の事を罪だとか想っている根暗女ちゃんが♪」
「そんな、まあやさん」
悲鳴を上げるように縁樹は言う。
まあやは泣きそうな顔で縁樹を見て、言った。
「ごめんね」それからくしゃくしゃにまるめた花束のような笑み。「奪われておけば、よかった。縁樹さんに」
その次の瞬間に、闇の奔流がまあやを飲み込んだ。
そしてその流れは墓所へと流れ込んでいく。
縁樹はそれを涙を流しながら見ている。
大きく開けた口で握り締めた拳を噛みながら、声を押し殺して。
そうだ。涙を流してはいるけど、でも彼女はただ泣いているわけではないのだ。
まだ、何か、そう助ける方法が………
そして縁樹は涙に濡れた赤い瞳を見開く。
闇の奔流の中に白い少女を見たのだ。まるで蜻蛉のような儚げな少女。
見た瞬間に理解した。
彼女が白亜だと。
「じゃあ、まさか、この物語を白亜の力で書き換えたのって………」
「ピンポーン♪ ピンポーン♪」
紫陽花の君が嬉しそうに言う。
「闇よ。黒い王女を呪っていた闇が、黒い王女を失わないために白亜を使って永遠に自分たちが呪われた魂を囚える物語を創造した。だけど闇は何も黒い王女に固執していたわけでは無い。それよりももっと美味しいご馳走が来たら、そしたらそちらに簡単に乗り換えるつもりがあって、そして美味しいご馳走が来た。綾瀬まあや。自分の存在を忌み嫌う根暗女ちゃん♪」
ぱちーん、と音があがったのは縁樹が紫陽花の君の頬を平手打ちしたからだ。
紫陽花の君は叩かれた頬を押さえて一瞬呆けたような表情をして、そしてその後に思いっきり縁樹を睨めつけた。
それから地団駄を踏んだ後にこう言って、消えた。
「あんたもこの世界で死んじゃえ」
縁樹はだけど聞いていない。
走っている。
紫陽花の君は口を滑らしたから。まあやを闇から救う方法を。
――――――――――――――――――
【約束するよ】
閉まる寸前の扉の向こうに縁樹は身体を滑り込ませた。
そこは墓所の内ではなかった。
静謐な空気が満ちた迷宮だ。
石造りのそこは永久の奥行きをもって、異邦者の縁樹を迎えている。
一歩の足音が嫌になるぐらい大きく響いた。
闇がざわぁ、っと縁樹が前に行く度にさらに闇の側へと引いていく。
ざわざわと闇が余所余所しくざわめく。
誰かがひそひそと囁く。
女だ。女。
生者だ。生者。
あの身体を奪えたら蘇れるのかなー?
いいなー、肉体だ。肉体。
あの身体を手に入れたらあなたに良い事をしてあげましょうか?
あの身体さえあれば娘に会いにいける。
あの身体を手に入れて、あたしを殺したあの男に復讐を。
死者たちのひそひそ話は聞くというよりも、頭の中に響いた。
ここは死者の、世界。
澱んだ現世への想いが心に絡み付いてくる。
縁樹は両耳を手で押さえながら走った。
顔が、
顔が、
顔が、
迷宮のいたる所の陰から縁樹を覗き込んでいる。物欲しそうな表情で。目で。
やがて迷宮の影が蠢いて、形を変えて手となって、縁樹を追いかけてくる。
冷たい、形を成さない何かの影が自分を追いかけてくる。
まるで悪夢を見ているようだ。
だけど夢なら醒めれば終わり。
でもこれは現実。醒める事は無い。この世界から逃げ出さない限りそれは続く。
もしもそれに捕まったら? 僕は………
「ノイ」
縁樹の唇がその名前を紡ぐ。
転瞬、前につんのめった。何かに右の足首を掴まれた。冷やりとした、それでいて長くお風呂に浸かりすぎた時かのようなあのふにゃりとした感触。
動きが止まる。縁樹の身体は完全に固まった。
無意識に瞼を閉じた。
絶対に開けたくない。
見たくない。
だけど足首をつかまれたままそこで固まる縁樹の足首から太もも、腰、腹、背中、胸へとそれが這いまわってくる。
冷たくふにゃりとした…死人の感触を持つそれが縁樹の身体を撫でる。欲しいから。
「いやだぁ。やだぁ。やだぁ。やだぁ。ノイ」
助けを求める。君に。
そして………
「汚い手でボクの縁樹に触るなぁー」
「きゅぅいー」
姫君の騎士たちがそこに駆けつける。
愛しき姫が助けを求めるのなら、たとえ火の中、水の中、そして冥界をも怖れる事は無い。
闇の手が、口々に汚らわしい呪詛を吐きながら去っていく。
闇の迷宮を照らす灯りは妖精の燈火の灯り。それは冥界にあろうはずもない強き光を放ち、死者を遠ざけた。
縁樹は目を開ける。
君が、そこに居た。
―――それが何よりも嬉しくって、そして力になるんだ、僕の。
「ノィ―――」
千早を駆るノイは縁樹の愛銃コルトトルーパーMkV6インチを縁樹に投げた。それと銀色の弾丸。魔を退けるそのシルバーブリッドはコタンコロカムイの羽根が変化したモノだ。
故にその弾丸を装填したコルトは神器と化す。
光りに負けぬために死者たちは寄り集まり、数珠つながりの化生となって縁樹に襲いかかり、
だけど縁樹の赤い瞳にもう涙は無い。
後ろには君が、君たちが居るから。
「僕とノイ、二人なら終わらせられるよね」
口許だけに微笑みを浮かべ、縁樹はコルトの銃身に口づけをし、そして銃口を襲い来るそれに照準し、トリガー。
冷たい輝きを放つ鋼鉄の女神は、魔性の儚き者に死のキスを与える。
シルバーブリッドは見事に化生を撃ちぬいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
耳を覆いたくなるような断末魔の悲鳴を上げながらそれは撃ちぬかれたそこから灰となって消えていく。
それでもその化生は妖精の燈火を打ち砕いた。
光は消えて、闇が再び迷宮を飲み込んだ。
囁き交わされる死者たちのひそひそ話。
物欲しそうな、
顔、
顔、
顔。
「縁樹ぅー」
「ノイ」
胸に飛び込んできたノイをキャッチして、縁樹は彼を抱きしめた。
千早もちゃんと縁樹の頬に鼻をなすりつけてくる。
「縁樹の声、ちゃんと聞こえていたよ」
「うん。うん。うん。ノイ」
縁樹は何度も頷いた。
「だけど縁樹、よりにもよってどうしてこんな死者の世界なんかに。千早のイヅナとしての能力、どこにでも通り道を作れる能力が無かったら、さすがにボクでもここには来れなかったんだよ? 本当に縁樹ったら無理して」
ノイは定位置の縁樹の肩に立って、腰に両手を置く。
縁樹はしゅんとする。
「ごめんなさい。でもまあやさんが………」
「悪魔女が?」
「連れて行かれちゃったの、闇に」
「え?」
「だから僕はまあやさんを取り戻しに。だってそうしないとまあやさんが新たな黒い王女になっちゃうんだもの」
「うん、わかったよ。でもね、縁樹。これだけは覚えておいて。ボクの優先順位はいつだって縁樹なんだ。だから縁樹には危険な事はしてもらいたくない。本当なら一刻も早くここから逃げ出してもらいたい。悪魔女なんかボクはどうでもいい」
「ノイッ!」
責めるように涙目になって言う縁樹にだけどノイは微笑んだ。
「でも縁樹がしたいと想う事は、望む事は、ボクも手助けをするよ」
にこりと笑うノイ。
縁樹の赤い瞳から涙がとめどもなく溢れ続けた。
ノイも千早も慌ててしまう。
「わわわ、縁樹!」
「きゅいきゅぃ!」
ノイと千早で慌てて縁樹の涙を拭ってくれる。
縁樹は涙を流しながら笑った。
「もう、ノイも千早も大好き」
「当然♪」
「きゅい♪」
知らなかった。
こんなにも両肩に感じるノイと千早の重さが頼もしく感じられるなんて。
だから僕はひとりじゃないとわかるから、誰よりも、強くなれる。
空の回転弾倉を捨てて、全弾装填されている新しい回転弾倉をコルトに装填すると、縁樹はノイと千早を見た。
「じゃあ、お姫様を迎えに行くよ」
「悪魔女じゃ、張り合いないけどね。ってか、これが眠り姫なら、そのまま何百年も寝かし続けておきたいぐらい。そしたらどんなに平和でいいだろう」
「もう、ノイったら。言いつけちゃおうかしら♪」
「わわわわ、縁樹。やめてよ。ただでさえ右腿から綿がちょびっとはみ出しちぇってるのに!」
「うわぁ、大変。帰ったら、ちゃんと縫ってあげるからね」
「うん、帰ったらね」
「うん。皆で帰ろう」
ノイはコタンコロカムイの羽根を投げる。
それは転瞬、縁樹の身長よりも少し長いぐらいのサーフボードへと変化し、縁樹はそれの上に乗った。
「行けぇ」
コタンコロカムイの羽根は滑り出す。宙を。
そのスピードは風。
迷宮を駆け抜ける風の前にもはや悪霊どもは手出しができない。
「きゅぃ」
右肩の千早が道案内をしてくれている。
イヅナの嗅覚はこの冥界でもまあやの存在を感じられるらしい。
「うん、わかった」
そして縁樹はコタンコロカムイの羽根を操って、迷宮を進む。
まるで海面から顔を出すような空気の幕を破った、そう想った時、そこは迷宮の奥深くだった。
静謐な神殿、それが今まで以上にその場を語るによく似合った。
そして縁樹は突然に自分の身体を襲ったこれまでとは違う浮遊感に気付き、次の瞬間に自分が落下し始めた事を知った。
そこへと辿り着いた瞬間にコタンコロカムイの羽根はただの羽根となってしまったのだ。
「きゃぁ」
硬い石畳の上へと落ちた。お尻から。打ち付けた臀部をさすりながら縁樹は涙目で立ち上がって、そして辺り間を見回す。
「縁樹、あそこ。階段」
「うん」
千早は縁樹の肩に抱きつき、身体を丸めて震えている。
縁樹も怖い。唾を飲み込もうにも口の中は緊張で渇ききっていた。それでもぺろりと下唇を舐めて、心を落ち着かせようとする。
「大丈夫、縁樹。ボクも居るよ」
「うん」
「きゅ、ぃ」
千早も負けじと。
そんな千早に縁樹とノイは苦笑しあった。
階段を上りきる。大きな柱時計。その長針はあと少しで頂点を指そうとしていた。
縁樹は理解する。ここに来て、実は凄まじく時が経っていた事を。
三晩、それが直に過ぎようとしているのだ。
「まあやさん」
縁樹は走った。
そして柱時計の前の棺に駆け寄って、それの蓋を開けようとした。だけどそれは開かない。重い。
「何か、何かない、ノイ?」
縁樹はノイのチャックを開けて、蓋を開けるための道具を探すが、出てくる物は役に立ちそうの無い物ばかりだ。
長針が直に………
「まあやさん」
縁樹は拳銃の銃口を柱時計に照準して、トリガー。
しかし弾丸は跳ね返されるばかり。
「そんな…」
無常にも針は12時を指した。
そして鐘が鳴り出す。それが12回鳴ったら、そしたらまあやは………
「おい、こら。悪魔女。おまえは何をこんな所でいじけているんだ!」
棺の上でノイは飛び跳ねた。その声には焦燥も怒りもあった。
「ボクはあんたなんかどうなってもいいけど、あんたがいなくなったら縁樹が泣いちゃうだろう。あんたは縁樹を泣かしたいのか! もしもそうならあんたなんか絶交だ! ほら、言い返してみろよ! いつもみたいに何か憎まれ口を叩いてみろよ、この卑怯者。うじうじ女。そうやってあんたは死ぬかのよ。それがあんたを置いて死んでいった人間たちへの復讐なのかよ。死ぬのは、逃げるのは簡単さ。ボクだって、ボクだってぇー」
「ノイ?」
ノイは飛び跳ねるのをやめる。
「だけどボクは、ボクはそれでも縁樹と生きる道を選んだんだ。そしたら、生きてさえいれば、そうしたらひょっとして、何かが、変わるかもしれないだろう? あんたが変わる事が、死んでいった人たちのためにもあんたがしてあげられる事なんじゃないのか?」
鐘が鳴り続ける。
縁樹はその場に跪く。
『あたしは、眠り姫よりも縁樹さんの方が羨ましいかな』
『はぁ。って、ええ?』
『だって王子様、じゃないけど、騎士が居るもの。何よりも姫を一番に想ってくれて、尽くしてくれる騎士。あたしにも、あたしにもノイさんみたいな子が居たら、少しは変わっていたかな、なんていつも幸せそうに笑っている縁樹さんを見ていると想う。想って、そんな自分に自己嫌悪する。あたしは許されないし、許されちゃいけないし、そんな事を想ったらいけないのに』
―――まあやさんは何を許してもらいたかったのだろう?
ふと縁樹はそう想った。
まあやさんは僕を羨ましいと言った。
僕の何が?
ノイが居る事?
だけどまあやさんにだって居るじゃない。僕だって、ノイだって、千早だって。
じゃあ、僕は、僕の何が……………
いつも幸せそうに笑っている縁樹さんを見ている………
縁樹は涙の跡が残る頬を触った。
そして気付く。
自分にあって、彼女に無い物。
縁樹は棺に抱きついた。そして言う。
「ねえ、まあやさん。僕はまあやさんが好きですよ。まあやさんは大切な親友、そして大切な妹だもの。心の。だからね、まあや。まあやは僕の事、好きになっていいんだよ。僕はそれを嬉しいと想うから。そして僕は絶対にまあやよりも先に死んだりしないから。約束」
そう言いながら縁樹は小指を立てた。
僕がいつも幸せそうに笑っていられるのは、大好きだと想える人が居るから。
ノイも千早も僕が二人を好きでいる事をちゃんと許してくれているから、僕は安心していられる。笑う事ができるんだ。
好きだよ、と言える幸せ。
好きだよ、と言ってもらえる幸せ。
僕にはその幸せがあるから、だから僕はいつも笑っていられる。
転瞬、棺の蓋が消えて、そして黒いドレスを着た小さな女の子が泣きながら小指を出した。
絡み合う小指。
「ほんとうに? ほんとうにあたしがすきになってもしなない?」
「うん、本当に。約束するよ、まあや」
「うれしい」
そして闇が悲鳴を上げた。
――――――――――――――――――
【そのために私は】
闇は膨大な波となって、確かな縁樹への敵意と憎悪を持って襲ってきた。
「冗談じゃない。縁樹、逃げて」
「で、でもノイ」
「いいから、逃げて。早く」
ノイは両手にナイフを構えてそれを闇に投げる。闇が止まる。
縁樹は下唇を噛みしめ、それから、
「ごめん。ノイ」
そう呟くと、まあやを胸に抱いて、走り去った。
その縁樹を追いかけようとするが、ノイはナイフを構えて、立ちはだかる。
しかし闇は止まらない。
ノイがナイフを投げようが、どうしようが。
闇に飲み込まれ、そしてその身体がずたずたにされる、そうノイが想った時、そいつは現れた。
「おやおや、困りましたね。たかがこんな下位のパラレルワールドに巣食う闇が私の大切な娘たちを殺そうというのですか?」
それは本当に、あ〜ぁ。買った雑誌のページが曲がっていたよ、という程度かのような気軽な感じであったが、しかし闇たちは竦みあがった。
そしてそれはノイも一緒だ。
その闇よりも濃密な真の闇、人とは何かについて思考する闇の魔王にノイも震えあがっている。
暗鬱な闇はノイを振り返り、穏やかに微笑んだ。
「どうしました、ノイ?」
「ど、どうした、だって。おまえこそどうしてここに居るんだ?」
「ふん。それは当然です。あなたたちは私の大切な目や耳。そして大切な娘に息子。親ならば子どもを愛するのは当然でしょう? 少なくともあなたたちが見てきた人間はそうでした」
「人間は、ね」
足を震わせながらもノイは毒づく。
それは軽く肩を竦めて、それからスーツケースの中から一匹の小さな熱帯魚を取り出した。エアーフィッシュ。
それは闇の中を泳ぎ、同時に闇を喰らっていく。
この世界の闇など、それに比べればごくごくその程度の闇なのだ。
ノイは理解している。壊れたら別に治せばいいし、作り直せばいい。なのにそれをせずにわざわざ出てきたのは、それがいつもノイを闇から見ているからだ。未だ自分たちはそれの掌の上、それをわかせるために。
「くっそたれ」
それはにこりと笑った。
「ノイ。右足が破れているね。治してあげようか?」
「小さな親切、大きなお世話。後から縁樹が治してくれるんだよ」
「そう。仲良しさんなんですね。結構。そうやってノイはこれからも縁樹を守ってくださいね。そのために私は君を作ったのですから」
そしてそれは消え去った。
闇が喰われたそこには虚無と、ノイがあるだけだった。
+++
「生意気。まさかここまでするなんてね。でもあたしの頬を叩いたあんたなんか許さない。闇の調律師だって大嫌い。だからあんたなんかあたしが殺してやる。食べてやるんだから」
暗闇の中を走る縁樹。
腕の中のまあやは泣いている。
後ろから笑いながら追いかけてくるのは紫陽花の君だった。
しかも巨大な硝子人形かのような顔だけで。
それが笑いながら大きく口を開けて、本当に逃げる自分を後ろから食べてしまおうとするように狙っている。
縁樹はまあやを片腕に抱いたまま振り返って、トリガー。
しかし銃弾は通じない。
それがにんまりと笑って、大きく口を開けて………
だけどそこで止まった。
そして残念そうに舌打ちをする。
「闇が消失して、この物語は終わったわ。あたしはあんたたちを追いかける権利を失った。だけどまたあんたたちが物語の世界に迷い込んだら、そしたらその時には殺してやるから、覚えておいてね」
そう吐き捨てるように言って、紫陽花の君は消えた。
縁樹は呆けたようにその場に立ち尽くして、そしてやがて前を向いて歩き出した。
――――――――――――――――――
【ラスト】
千早の導きによって縁樹は闇から光り溢れる世界へと出た。
そしてその光り溢れる世界は夜明け前のさざなみの音色が絶え間なく響く海だった。
「戻ってきた? 僕たち」
「きゅぃー」
千早も嬉しそうに鳴く。
縁樹はその場に座り込み、そしてまあやの身体もいつの間にか戻っていた。
まだ当分彼女は起きそうにない。
縁樹は眠っているまあやに膝枕をし、そっと彼女の黒髪を撫でてやった。
「お帰り、まあや」
夜が直に明ける。
― fin ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1431 / 如月・縁樹 / 女 / 19歳 / 旅人】
【5542 / ノイ / 男 / 15歳 / 旅人】
【NPC / 白】
【NPC / スノードロップ】
【NPC / 綾瀬まあや】
【NPC / 紫陽花の君】
【NPC / 兎渡】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、如月・縁樹さま。
こんにちは、ノイさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。^^
こちらはホラー風味で。^^
やっぱり私は縁樹さんを書かせていただくときは、縁樹さんとノイさんの繋がり、信頼関係、二人でひとり、というような雰囲気を出すのが好きです。
だから自分で書いてて、縁樹さんとノイさんが合流した所、ノイさんの言葉に縁樹さんが泣く所、縁樹さんが大好き、と言って、ノイさんが当然、と言い切るところがすごくすごく楽しかったですし、気持ち良かったです。^^
ああ、でもノイさんについて言えば、縁樹さんに言い寄る人に対してやきもちを妬くノイさんを書くのがすごく楽しいので、そういう描写も入ってしまうのですが。って、ノイさん。ナイフを構えながら、私を見るのはやめて。目が、笑ってないですよ、ノイさん。。。。
こほん。
すみません。ちょっと、ノイさんに放課後の校舎裏に呼び出しをくらっていました。
校舎裏と言えば、縁樹さんとまあやの関係。
今回のお話で、だいぶ変わりました。
信頼関係が強くなった、甘えられるようになった、見せられるようになった、という感じでしょうか?
たぶん態度とかそういう表面的な感じは変わらないと想うのですが、でもうちの絆は強くなったのです。そして縁樹さんの言葉には素直になったと。犬みたいに。
その証拠にこれからは縁樹さんはまあや、と呼び捨てにできるのです。^^ 心のお姉さんだから。
そしてまあやは心の妹だから縁樹さんにセクハラまがいの甘えをして(ほぺったすりすり、胸の谷間に顔を埋めるなど、男の子にはできない甘え方)、ノイさんにやきもち妬かせてあそ………
ノイ:「あそ、何かな? 草摩さん。ん、言ってごらん。怒らないから」めさめさ良い笑顔で右手にナイフ、左手にコタンコロカムイの羽根。
えっと、遊んで、楽しむ………ぼそり。
ノイ:「ごめんね。草摩さん。怒らない、なんて嘘を吐いて♪」ナイフを投げて、コタンコロカムイの羽根による竜巻攻撃。
草摩さん、ぼろぼろ。
まあやに抱きつかれている縁樹さん、苦笑。
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、ありがとうございました。
失礼します。
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