■蝶の慟哭〜水深の蓋〜■
霜月玲守 |
【5432】【早津田・恒】【高校生】 |
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
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蝶の慟哭〜水深の蓋〜
●序
体の内を流れるものは、生の証か、幻か。
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
●始
合図は誰にもわからない。しかしいつの間にか、始まっている。
早津田・恒(はやつだ こう)はカチカチとマウスをクリックしていた手を止めた。
「……また、秋滋野高校かよ?」
ぽつりと呟き、難しい顔をしたままディスプレイ画面を見つめる。その先にあるのは、秋滋野高校内で起こっているという闘争の話であった。湧き水と水道水でもめるなど、なんと馬鹿らしく、くだらない事なのだろうか。しかし、現に起こっているという事は紛れも無い事実なのである。
『余計な、真似を』
恒の頭の中に、ふと思い返される少女の言葉。負の感情によって穢れた力を孕んでいたイチョウの木を浄化した時に出会った、虚ろな目の少女。
「また、イチョウの葉は薄紅色になってきたみたいだけどさ」
恒は呟き、溜息をつく。
負の感情を孕んで欲しくないと思いつつも、それでも孕まざるを得ない実情がそこに立ちはだかっているような錯覚を覚えた。まるで、いたちごっこのような……。
こうはそこまで考え、頭をぶんぶんと横に振った。
「いつまでも考え込んでいたって、答えは出るわけ無いって!……今は、起きている事について考えないと」
恒はうんうんと頷きながらそう呟き、再びディスプレイ画面に目線を移す。どうも、湧き水を好んで飲んでいる生徒が因縁をつけているようである。
「湧き水……」
恒は呟き、秋滋野高校のサイトを見る。そこには校内地図が載っており「目玉である湧き水」という場所が、丸印と共に記されていた。
校内に設置されている湧き水の出る蛇口は、全部で五箇所。三階建て校舎の一回に一つ、計三つ。体育館近くに一つ、校庭脇に一つ。
「そんなに違うのか?……というか、湧き水って……」
恒はそう言い、考え込む。
(湧き水ならば、土に染みてイチョウの木にまで届いているだろうな)
「水源を、突き止めてみるのが一番だ……よな」
恒はそう言い、小さく頷く。サイトにアップされている地図には、水源である山も載っている。秋滋野山、と書いてある。恐らく、そこが水源となっている場所だろう。
「じゃ、行くか」
恒は小さく「うし」と言うと、パソコンの電源を切って部屋を後にするのだった。
久々に訪れた秋滋野高校に、特に変わったところは無かった。あえて言うならば、今日はほぼ生徒がいないという事だろうか。
「今日、休みだしなぁ」
恒はそう言って苦笑する。休みの日にいるのは、部活動をしている生徒だけだろう。
(逆に、話が聞きやすいかもしれないな)
小さく頷き、恒は校門を抜ける。やはり特に変わったところは見られない。
「まずは、イチョウを」
恒はそう呟いてからイチョウの木に向かおうとした。と、その時だった。
「……ったく、しつけーんだよ!」
(ん?)
男子生徒三人が、一人の男子生徒に言い寄っていた。丁度、パソコンで見た校庭にある湧き水の出る蛇口がある場所であった。
「俺たちはお前のことを思ってい言ってるんだよ。絶対、水道水じゃなくて湧き水の方がいいんだって」
「そんなの、俺の勝手だろ?」
「そうじゃなくて、どうして分からないんだよ?」
ゆらり、と迫っている生徒の一人が動いた。なんだか、様子が変だ。恒はそう判断し、四人に駆け寄る。
「おい、なにしてるんだよ」
恒が声をかけると、怪訝そうに四人が一気にこちらを見てきた。迫っている三人の目が、ほんの少しだが虚ろになっている。一方、詰め寄られている方はまともな目をしている。
「何って……ただ、俺らはこいつの事を思って」
「余計なお世話なんだよ!」
詰め寄られた方がそう言うと、ぎろり、と三人が睨みつけてきた。一瞬、びくりとしつつも恒はまっすぐに三人を見据える。
「別に、そう言う風に三人がかりで迫る必要はないんじゃねーか?」
恒がそう言うと、三人は一層きつく睨みつけてきた。恒は苦笑を交えつつ、背で詰め寄られていた一人を庇う。
「何で、そう言う風に詰め寄っているんだ?」
「だって、そいつが湧き水を飲まないから」
「湧き水に何があるっていうんだ?」
恒の問いに、詰め寄っていた三人はぴたりと動きを止めた。そして、顔を見合わせる。それを見て、恒は「ははーん」と言ってにやりと笑った。
「さては、良く分からないんだな?」
「だ、だけどやっぱり湧き水は……」
「何で?」
再び恒が聞くと、ぐっと三人は言葉を詰まらせる。どうやらちゃんとした理由など何も無く、漠然と「湧き水を飲んだ方がいい」と思っているようだ。しかも、そんな漠然とした思いから、他人にまで強要している。
「俺がいう事じゃないかもしれないけどさ、あんたら変じゃねぇか?」
恒はきっぱりと三人に向かって言い放つ。すると、三人は顔を見合わせた後にどこかに走り去っていった。
「……ったく、何なんだよ。なぁ?」
恒はそう言って後ろを振り返る。すると、詰め寄られていた男子生徒は緊張の糸が切れたらしく、恒に向かって「なぁ」と言って苦笑を漏らす。
「そういや、あんたはこの学校の生徒じゃないよな?」
「ああ。ちょっと調査に来た、早津田・恒っていうんだ」
恒はそう言って自己紹介すると、男子生徒はにっと笑い返す。
「俺は、半場・弾(はんば・だん)って言うんだ。本当に、有難うな」
半場はそう言い、すっと手を出した。恒はその手をぎゅっと握り返す。
(良い奴だよな)
恒はそう思うとなんだか嬉しくなり、にかっと笑うのだった。
●動
動き出したものを止める事は出来ず、また動き続けさせる事も出来ず。
「調査、進みそうか?」
「どうかな?……なんとしてでも、進ませたいけど」
恒の言葉に、半田は「そっか」と言って頷いた。そして大きく伸びをしながら、口を開く。
「んじゃ、俺は行くぜ。まだ部活途中だからな」
「さっきのあいつらは?」
「水を飲んでいたらいちゃもんつけてきただけだから、大丈夫だよ。……最近、ああいう輩が多いから」
半田はそう言い、ひらひらと手を振りながら去って行った。
恒もそれに対して手をひらひらと返し、再びイチョウの木の元に向かった。半田の話から分かった実情に、ついつい表情が硬くなる。
「やっぱり、本当に起こっているんだな……」
それが、素直な感想であった。
ネット上で見た「水に関する言い合い」という情報は、分かっている筈であった。だが、実際に目の前で繰り広げられた時に初めて実感のようなものが湧いた。たかが水、と思っていたのもあるかもしれない。
「というか、何なんだよ?あれは」
詰め寄ってきた三人の様子を思い返しつつ、恒は呟く。特に理由も無いというのに、突っかかっていっていた三人。漠然と「湧き水の方が良い」と思っているだけで、どうしてあそこまで傲慢に言い寄れるのだろうか。
(何か、あるな)
それは、ネットで情報を得た時から思っていたことだが、ここに来て確信に変わっていた。
暫く歩くと、目の前にイチョウの木が出現した。前来た時と大きさはほぼ変わっていない、だが葉の色が違うイチョウの木。
「前、ちゃんと黄色に戻したんだけどなぁ」
恒はそう言いながら、落ちてきた葉を拾った。葉の色は、黄色と薄紅色の丁度中間辺りの橙色をしていた。少し、紅色に近いだろうか。肌色、という方がいいかもしれない。それを見て、恒は小さく溜息をつく。
「やれやれ、だな」
イチョウの木が薄紅色に染まっていたのは、赤黒い負の力を孕んでいたからだった。それを浄化し、黄色の葉に戻した。
だが、こうして再び紅色へと変化しようとしているという事は、再び負の力を孕んできているという事だろう。ぱっと見、木には前見た赤黒い負の力が絡み付いているという事は無い。表面上に出てきていないだけかもしれない。
「中には、穢れが溜まっていってるんだろうな」
恒はそっとイチョウの木の幹に触れる。手で触れたところが、何となく暖かい気がした。生命の証ともいえる、温もり。
(このイチョウの木には、負の力だけじゃなくて湧き水もあるとしたら?)
恒はじっとイチョウの木を見つめる。見ているだけでは、触れているだけでは、あまりよく分からない。
「あの女の子に、また会えないかな?」
余計な真似を、と再びあの少女の言葉が頭に響いてきた。勿論、恒は未だにイチョウの木を浄化した事が「余計な真似」だとは思っていない。あれはやって当然のことで、やってよかったと心から思っている。
だから、知りたいのだ。
あの少女の言葉に込められていた真実を、このイチョウの木の事を。
「……なぁ、あの子にもう一度会わせてくれないか?」
恒はイチョウの向かって尋ねるが、イチョウからの返事は無い。
(どうすれば会える?)
恒はそう考え、ふと思いつく。
前と同じ事をすれば、同じ様に現れるかもしれない。つまり、イチョウの木の浄化を。
「よし」
恒は小さく呟き、目を閉じて意識を集中させる。頭の中に、二つの白い円を思い描く。最初は大きく曖昧な形だったその光は、引き合うように近付いていくにつれて小さくはっきりとした形へと変化する。
そして訪れた、衝突。
恒は目をカッと開き、イチョウの木の幹に向けてそれを放つ。すると、イチョウの木が真っ白な光に包まれる。前にやったのと同じ、浄化の光に包まれる。
暫くすると、その光は収まった。ひらりと落ちてきたイチョウの葉は黄色に戻っている。全てが、前と同じである。
(……来るか?)
恒はごくりと喉を鳴らし、辺りを窺う。すると、イチョウの木の向こうからじゃり、という音が響く。
「……また、お前か」
「来たな」
向こうから現れた少女を見て、恒はにやりと笑う。そんな恒を見て、少女は半ば呆れたように恒を見つめる。
「懲りもせず、またも力を放つか」
恒はそれにあえて答えず、にっこりと笑った。それを見て、少女が怪訝そうに恒を見つめる。
「……謀ったか」
「そういう悪い言い方はして欲しくないんだけど……まあ、そうかな?」
少女はくるりと踵を返す。恒は慌てて「ちょい待って!」と言ってぎゅっと少女の腕を掴んだ。少女は恒を厳しく睨みつける。恒はそれを緩和させるかのように、にこっと笑った後、真面目な顔をする。
「情報が欲しいんだ」
「情報、だと?」
「湧き水と水源について、教えてくれないか?」
「そのようなことを聞いてどうする?」
少女はそう言い、じっと恒を見つめる。少女の目は闇の如く黒く、吸い込まれんばかりに虚ろだ。恒はそんな少女の目を見つめたまま、そっと表情を和らげる。
「俺、頑張るつもりなんだ」
「頑張る?」
「うん、頑張るんだ。負の感情に支配されるのは寂しく、哀しいだけだと思うから」
少女は恒の言葉を聞き、小さく溜息をついた。
「湧き水の水源は、山の中にある。ここから一本道で辿り着くだろう」
「水源に、何者かの意思が働いているという事は?」
少女は再び眉間に皺を寄せる。「何故そのような事を」と呟きながら。
「俺は、イチョウも湧き水も触媒じゃないかって思っているんだ。俺らの感情や願いを強めているだけなのかもって」
「ほう?」
恒の言葉に、少女は興味を示したようだった。少女は「ならば」といい、すっと指で山の中腹を指し示す。
「ならば、行くが良い。行って、その仮説を証明するがいい」
「有難う」
少女の手をそっと離しながら、恒はそう言った。少女は小さく「ふん」と鼻で笑い、くるりと踵を返す。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。俺は、早津田・恒」
恒がそう言うと、少女は振り向く事なく足を止める。
「……我に名は無い。我はただ存在するだけで、名というものは持っておらぬ」
「でも、そういうのって不便じゃない?」
恒が尋ねると、少女はくつくつと笑い、ようやく振り向く。
「不便などない。……我は唯一であり、我は我でしかない」
少女はそれだけ言い、再び恒に背を向けて歩いていく。そして、すう、と空気に溶けていってしまった。恒はそれを見送ると、小さく「よし」と言いながらぐっと拳を握り締めた。
「道は繋がった。ならば、あとは突き進むだけだ」
恒は小さく呟くと、先ほど少女に指し示された道を進んでいくのだった。
●蓋
ただ在るがままに流されていくか、それとも逆らいて道と為すか。
山道を10分ほど突き進んでいくと、少しだけ開けた場所に到達した。そこは二つの大きな岩が上下に一つずつあった。上にある大きな岩は、間から止め処なく水が流れ落ちている。下にある大きな岩は中が空洞になっており、上の岩から流れる水が溜まっていっていた。更に良く見ると、下にある大きな岩の下の方に水道管がついている。これが、秋滋野高校に湧き水を届けているのだろう。
「なるほどね」
恒は呟き、水を見つめる。その水は、透明度が高く綺麗だ。そっと触ってみると、冷たくて心地よい。
「……うん」
恒はじっと流れる水を見つめた後、そっと両手で水をすくう。掌に触れた部分から、心地よい冷たさが伝わってくる。それを恒は口元に持っていき、飲み干す。
水は確かに美味しく、身体にすうっと染み込んでいくようだった。恒は慎重に自分の心身を探る。何か変わったことは無いか、感情に変化は無いか。
だが、特に変わったことは無い。
「仮説は、違うというのか……?」
恒は呟き、再び水をすくって飲み干す。やはり美味しく、冷たく、身体に染み渡る。ただそれだけだ。恒は拍子抜けしたように笑い、ぱしゃぱしゃと水をかき回す。
「確かに、これだけ美味しかったら水道水は嫌かもしれないかもな」
恒はそう言い、苦笑した。
「あれだけ言うのも仕方ない……」
恒はそこで、はっとして口元を押さえる。今、言おうとしていた言葉に自分自身でぞっとしたのだ。
恒は、この湧き水の事で詰め寄っていた三人を容認しようとしていた。あんな事、絶対的におかしいと思っていたにも関わらず。勿論、気づいた今となってはそれが「おかしい」という事ははっきりと分かる。
「こういう感じで、どんどん突き進んだのか……?」
恒はじっと考え込んだ。
美味しいから、水道水よりも湧き水がいい。湧き水がいいのが分かっているのだから、他の人にも教えたい。他の人が執着しない事がおかしいと思う……。
こうした考えの螺旋が、すぐに頭に浮かんでくる。まるでそのように思わせるかのように。恒はごくりと喉を鳴らす。今飲んだ水による意識が、そうさせているのだろうか。
「何で、そんな風に……?」
「蓋を開くため」
突如声がし、恒は振り向く。見れば、先ほど道を教えて貰った少女と良く似た少年が立っていた。だが、あの少女とは違い、こちらは真っ赤な髪と目をしている。
「双子、かい?」
「お前があいつの事を言っているのは分かっているが、その答えには答えぬ」
少年はそう言い、にやりと笑う。少女と同じく、少年の目も虚ろである。何も移さぬかのようなその目を、恒はじっと見つめる。
「蓋、といったよな?一体、何の蓋なんだ?」
「蓋は蓋でしかない。水の深き所にあるその蓋の為に、我々には力が必要であり、またその力を集める手段を問わぬのだ」
「封印か何かなのか?それが崩されたりしたのか?」
恒はそう言うと「そうだ」と言ってにかっと笑う。
「もし何か役に立てる事があれば、手伝うぜ」
恒の言葉を聞き、一瞬少年はきょとんとした後、くつくつと笑った。
「封印、というのは近い。だが、正しくは無い。……崩れたのではなく、崩すのだ」
「何で……」
恒の問いに、少年は答えなかった。ただ、すうっと水源を指差す。
「感情によって、力は生まれる。その感情こそが、感情の力こそが、我らの求むるもの」
「それで、一体何を得ようとしているんだ?」
「まだ得てもおらぬものを、お前に教える事は出来ぬ」
まるでいたちごっこだ。恒は小さくため息をつき、口を開く。
「……そういう力の集め方って、あまりいい感じがしないんだよな」
「感情による力は、強大だ」
「それでも、それは何かがおかしい。脇腹をくすぐるような、そんな事はやめてほしい」
「我々にとっては、大事な事なのだ」
「人にとっても、大事なんだよ。人の感情は繊細で脆いけど、だからこそ皆懸命に自分と向き合うんだろ?」
恒の言葉に、少年はくつくつと笑う。
「だから、人間は面白いのだ」
少年はそう言い、イチョウの木を指差す。黄色になっている、イチョウの木を。
「あれの力を放ったのも、お前だろう?余計な真似が、とことん上手と来ている」
「余計な真似、と言ってるけど。俺は、それが間違いだなんて思ったことは無い」
恒はそう言い放つと、じっと少年を見つめ続けた。少年は虚ろな目で恒を見つめ返し、やがてくつくつと笑いながら「いいだろう」と呟く。
「ならば、それを貫くがいい。我々が放つ問いを、答え続けるがいい」
「お、おい!」
慌てて恒が声をかけるが、少年はくつくつと笑ったまま空気に溶けていってしまった。少女と同じ様な消え方である。
一人残された恒は、ぐっと拳を握り締める。
「貫いて見せるさ」
強く強く、決心を固めながら。
●結
最終的にはどこかへと辿り着く。辿り着きて、帰着と為さん。
恒は再び秋滋野高校の校庭にある、イチョウの木の前に立っていた。いくら待っていても、あの少女は現れないだろう。それは妙に確信があった。
「にしても……何なんだ?あの二人」
血の繋がりを感じさせるほどに似通った少年と少女。虚ろな目。赤の髪と目の少年と、黒の髪と目の少女。
「蓋を開けたいと、言っていたな」
そう言っていたという事はつまり、まだ開いていないと言う事だ。封印に近いという、だが違うというその蓋を。
蓋についての情報が、少なすぎると恒は感じていた。肝心な部分は、少年は教えようともしなかった。恐らくは、少年が全ての答えを握っているというのに。
それに、あの少女だ。あの少女の存在意義もよく分からぬ。
分かっているのは、彼らが力を集めているという事だ。それも、感情を元にした力を。
「……そう考えると、負の感情って言う訳じゃなくて、ただ感情というものを強めているというのは当たっているかもしれない」」
(だとすると、こっちの責任だよな)
恒は小さく溜息を尽き、イチョウの木を見上げる。イチョウの木の葉は、まだ黄色だ。何となく、紅がさしてきたような気はするが、はっきりと分かるほどの色ではない。黄色だといった方が、よっぽど正しいだろう。
「……ただ、寂しくて哀しいだけだよ」
ぽつり、と恒は呟きながら、ひらひらと舞い降りるイチョウの葉を手に取った。
「負の感情に支配されるのは……寂しくて、哀しい」
恒はぎゅっと葉を握り締める。
「俺は、平穏を願うよ。緩やかなる、平穏を」
ポケットからペンを取り出し、イチョウの葉に「平穏を願う」と書き込んだ。それを再びぎゅっと握り締める。ぐしゃりと潰してしまわぬように。
(だから、負の感情なんて孕まないで欲しい)
イチョウや水が触媒だというならば、良い感情を孕んで欲しい。そうできる力を持っているのならば、そのようになって欲しい。
恒はそれを心から祈りつつ、イチョウの葉を握り締めつづけた。
イチョウの葉にも流れる水の一滴まで、恒の願いが浸透するようにと願いながら。
後日、秋滋野高校内で起こっていた静かなる闘争は無くなったという。しかし、相変わらず湧き水は供給されつづけているし、それを愛飲する者も決して少なくない。
「願いつづけるだけだよな」
恒はその情報をネットで見ながら呟き、そっとイチョウの葉を取り出す。水分が無くなり、ぱりぱりとなった葉は、ちょっと力を込めるだけで崩れ落ちてしまいそうだ。
「平穏を、俺は願うよ」
再び恒はイチョウの葉に向かって呟き、小さく微笑んだ。
「負の感情には、支配されないようにな」
ぽつりと呟き、イチョウの葉を元あったようにしまいこむ。
恒の持っているイチョウの葉は、限りなく黄色に近い。だが、秋滋野高校にあるというイチョウの木は、再び薄紅色に近付いてきたという情報ももっていた。
恒はそれに対してほんの少しだけ淋しそうな笑みを浮かべた後、目を閉じて願いつづけた。
蓋が開かぬという平穏を、ただただ静かに祈りつづけるのだった。
<水の深き所にある蓋を思い・終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 5432 / 早津田・恒 / 男 / 18 / 高校生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜水深の蓋〜」にご参加いただき、有難う御座いました。如何だったでしょうか。
このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第二話となっております。
一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
今回ちょっとあからさまですが、根本に関わるヒントを織り交ぜております。お暇な時にでも探してくださると嬉しいです。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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