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■虚空より鼓の音■

むささび
【2551】【氷川・かなめ】【小学生・能楽師見習い中】
 陽が落ちて、そう時間は経っていなかった。車通りが僅かながらでも減ったせいだろうか。虫の声が一段と増して聞えていた。昼間のうだるような暑さはまだそう変わらず、陽射しの代わりにねっとりとした湿気が纏わりつく。木々の中にさ迷いこんだのは、排気ガスを含んだ嫌な湿気を避けようとしたからだろうか。気がついた時には、その祭りの只中に居たのだ。我に返った時にまず聞えたのは、虚空から聞えてくるような鼓の音だ。辺りを見回すと、いくつもの提灯が並んで揺れており、その下には屋台が並んでいた。だが、これが普通の社ではなく、普通の祭でも無い事に気付くのに、時間がかからなかった。並んでいる屋台は普通のそれとは随分と違っていたし、歩いている者達も普通の人間とは違うようだ。一体ここはどこなのか。近辺に神社があったという記憶はなく、誰かに聞かなければと思っていると、向かいから青年が一人、歩いてくるのが見えた。銀の髪に金の瞳。周囲に目を配りつつ、何かを探しているようだったが、こちらを見ると、おや、と表情を変えた。
「迷い込んでしまったんですね。無理もない。まほろの社に続く道は、一つでは無いですから」
 まほろの社。それがこの社の名。今日は夏祭りの日なのだと彼は言った。
「折角ここまでいらしたのですし、少しご案内しましょうか?帰り道は、慣れない方には分かりにくいでしょうから」
 彼の誘いを断る気には、ならなかった。

虚空より鼓の音

 陽が落ちて、そう時間は経っていなかった。車通りが僅かながらでも減ったせいだろうか。虫の声が一段と増して聞えていた。昼間のうだるような暑さはまだそう変わらず、陽射しの代わりにねっとりとした湿気が纏わりつく。木々の中にさ迷いこんだのは、排気ガスを含んだ嫌な湿気を避けようとしたからだろうか。気がついた時には、その祭りの只中に居たのだ。我に返った時にまず聞えたのは、虚空から聞えてくるような鼓の音だ。辺りを見回すと、いくつもの提灯が並んで揺れており、その下には屋台が並んでいた。だが、これが普通の社ではなく、普通の祭でも無い事に気付くのに、時間がかからなかった。並んでいる屋台は普通のそれとは随分と違っていたし、歩いている者達も普通の人間とは違うようだ。一体ここはどこなのか。近辺に神社があったという記憶はなく、誰かに聞かなければと思っていると、向かいから青年が一人、歩いてくるのが見えた。銀の髪に金の瞳。周囲に目を配りつつ、何かを探しているようだったが、こちらを見ると、おや、と表情を変えた。
「迷い込んでしまったんですね。無理もない。まほろの社に続く道は、一つでは無いですから」
 まほろの社。それがこの社の名。今日は夏祭りの日なのだと彼は言った。
「折角ここまでいらしたのですし、少しご案内しましょうか?帰り道は、慣れない方には分かりにくいでしょうから」
 彼の誘いを断る気には、ならなかった。氷川かなめ(ひかわ・かなめ)はちょっぴり頬を染めつつ、こくりと頷いた。奇妙な所に迷い込んで、少し困っていたのだけれど、この再会は、正直、かなり嬉しかった。彼、天玲一郎(あまね・れいいちろう)に、こんなにすぐにまた会えるとは思って居なかったからだ。
「それでは、行きましょうか」
 玲一郎が片手を差し伸べる。
「迷子になってしまうと、困りますから」
「…はい」
 小さな子みたいで恥ずかしいかな、と思いながらも彼の手を取った。大きいけれど、ほっそりとした手だ。静かだけど優しい、そんな所も下の兄に少し似ていると、かなめは改めて思った。並んで歩き出した二人の横を、同じ顔をした子供達がたったったっと駆け抜けていく。鏡のツクモガミたちだと、玲一郎が教えてくれた。
「普段は古い三面鏡に住んで居て、時折悪さをして人を驚かして喜んでいるんですよ」
「妖怪?」
「みたいなものです。この祭りには、アヤカシから仙人、天人、神の類に至るまで、ありとあらゆる人でない者達が集まって来ます。まほろの社と言うのは、そういう場所なのですよ。開くのは、年に二度だけですが…」
「二度だけ・・・」
 かなめは繰り返して、ふうむ、と考えた。それなら今日は、ラッキーだったのかも知れない。滅多に開かない社に来られて、それでもって、玲一郎にも会えたのだから。ふふっと微笑むと、玲一郎がどうしたんですか?と首を傾げた。
「何でもないです。あれ…ねえ、あれって、輪投げですか?」
 かなめが指差したのは、少し色あせた暖簾を下げた屋台だ。輪投げの輪を持った客が、今正に何かを捕らえた所に見えた。
「行って見ますか?」
 微笑む玲一郎に、かなめは勢い良く頷いて、輪投げの屋台に足を向けた。
「ふうーむ。それではちょいと割りにあわぬのう。眷属といたそうか」
 首を捻りながらしかめ面で言ったのは、客だ。かなめたちが覗いた時には、丁度輪を投げ終わった所だったらしい。良く見ると、どこかで見たような蓑を着た、老人とも赤子ともつかぬ顔の妖怪だ。妖怪の前で地団駄を踏んでいるのは、20センチくらいの小さな小鬼だった。輪っかでぎゅっと縛り上げられて苦しそうだ。下の囲いの中には、まだ沢山同じような小鬼が居て、事の成り行きを息を潜めて見守っている。どうやら小鬼はその妖怪に捕まえられたものらしい。妖怪は更に言った。
「わしをそうそう馬鹿にするものではないぞ、小鬼。おぬしを持ち帰り、沼の主に捧げればきっと喜ばれるでのう。頭からぺろりじゃ」
「待て!ソレはいかん!…エエイ、デハコレじゃ!」
 小鬼がどこからともなくじゃらんと出したのは、美しい真珠を連ねた首飾りだった。
「海蛇の娘が嫁入りの為に日に一つずつ連ねて作った嫁入り道具ジャ!娘は結局嫁には行けず、最後の一ツはその涙!沼の主とて、この方が喜ぶゾ!」
「ほう。ちと縁起は悪いが、それを持って帰るとしよう。これ、店主」
 真珠の首飾りを手にした妖怪が言うと、店主は頷き、ぱん、と一つ手を叩くと、輪はすうっと消えて小鬼は自由の身となった。小鬼たちは歓声をあげ、走り回り始める。
「やってみますか?」
 玲一郎が聞く。
「出来るかしら…」
 動き回る相手を捕らえるのは、簡単ではなさそうだ。だが、大丈夫、と言う玲一郎に促されて、かなめは輪っかを手に取った。一つ、二つは外れ、三つ目と四つ目は、入りそうだったのが弾かれた。
「小鬼たちの動きは、意外と単純です。投げるふりをして、走った先に投げてみて」
 玲一郎が囁いた通りにやってみた五つ目の輪っかは見事に小鬼を一匹捕らえ、かなめは思わず歓声を上げた。巧い巧い、と玲一郎が褒める。だが、捕まった小鬼は当然の事ながら面白くはなさそうだ。かなめを見上げてフン、と鼻を鳴らした。
「何ダわらべカ」
 それなら、とばかりにどさっと放り出したのは、古いままごとの道具だ。
「これはこれで、民俗学的価値くらいはありそうですけどね」
 玲一郎が呟いたが、かなめは何だか馬鹿にされた気がして面白くない。
「おままごとはもうしてないわ」
 と言うと、小鬼はまた鼻を鳴らして、今度は一目で贋と分かる真珠の首飾りを出した。さっきの取り引きをかなめが見ていた事を知っているのだ。人間の子供だと思って甘く見ているに違いない。
「これで充分ジャろう」
「…ねえ、私、あなたが思っている程、小さくないわ」
 むっとした顔で言い返すかなめに、玲一郎が頷く。
「彼女はね、とても素敵な舞を舞う人なんですよ。君も見たらびっくりする。ふさわしい物を出しておやり。でなければ、眷属にするしかありませんね」
 玲一郎の加勢に、小鬼はさすがにぴくりとすると、仕方ない!と叫んでまた何かをぽんと放って寄越した。
「…これは…扇?」
 広げてみると、地は真白だがかなめの手に馴染む丁度良い大きさだった。
「浄めの扇ジャ!手にシテ舞えバ、邪気を散ズ」
 それはちょっと良さそうだ。玲一郎を見上げると、彼も、良いでしょう、といたずらっぽい笑みを浮かべて頷いた。
「じゃあ、そうするわ」
 かなめが扇を手にとって店主に頷いてみせると、彼はまた、ぽん!と一つ手を叩いた。再び駆け回り始めた小鬼たちを後に、かなめと玲一郎は店を離れた。
「良かったですね」
 玲一郎が言ったが、かなめには少し不安が残る。兄たちと違って霊力を持たない自分にも、この扇は使いこなせるのだろうか。だが、そう言うと、玲一郎は大丈夫、と言った。
「見た所、この扇自身が力を持っているようですから。かなめさんはただ、舞うだけで良いと思います。でも、少し細工が必要ですね、ちょっと良いですか?」
 玲一郎はかなめの手から扇をそっと取り上げると、何事か呟きながらすうっとそれをなぞるように触れた。一瞬、扇が光ったように見えたが、何が起きたかは分からない。首を傾げていたかなめに、玲一郎が説明する。
「扇の力に制限を加えただけです。必要の無い場所で霊力を使ってしまうと、余計な物を呼んでしまう事もありますからね」
とその時。二人の頭上を、何かがすうっと通り過ぎた。見上げてまた、歓声を上げる。
「…天女?!」
「ええ、そろそろ舞いが始まりますよ」
 玲一郎が言った。
「天女さんが、舞ってくれるの?それが、見られるの?」
 お仕舞の稽古で、何度も天人を演じては来たけれど、本物を見た事はない。興奮するかなめに、玲一郎は少し考えてから、
「一緒に、舞ってみますか?」
 と微笑んだ。勿論、断る筈がない。それでは、と彼が案内してくれたのは、すもも飴の屋台だった。ただのすもも飴ではない。『天人のすもも飴』だ。きらめく水飴の中に、人間界のそれよりも少し薄い色のすももが輝いている。一口食べると、甘酸っぱい香りが口の中に広がり、飲み込むとすうっと身体が軽くなった。ゆっくりと、身体が浮き始めている。
「わあ…」
 一口、二口食べ続け、全部食べた頃にはかなめの身体は、天女たちと同じくらいの高さまで浮き上がっていた。バランスが取りにくい所に、天女の一人が寄ってきて支えてくれる。笛の音が聞え、舞が始まった。ふわりふわりと舞う彼らの動きは優雅で軽い。天人の舞をする時には、特に優雅に、重すぎず、などと言われるけれど、その言葉の本当の意味がようやく分かったような気がした。どこからか流れてくる音曲も美しく、身体に染み渡るようだ。そのうち、天女の一人がかなめに手招きし、舞の輪に加えてくれた。動きはそう、複雑ではない。仕舞で鍛えたかなめは、容易に彼らの動きを真似た。最初はそれでもぎこちなく、だがすぐに天女たちの舞と完全に同化し、顔を見合わせ喜んだ天女たちは、かなめを中心にして舞い始めた。流れる笛の音に鼓が合わさり、花が舞う。重力から全く解放された自由を満喫しつつ、かなめは存分に舞った。どれだけの間、そうしただろう。かなめのすもも飴の効果が切れた時、天女たちの舞いも終わった。
「とても、綺麗でしたよ」
 降りてきたかなめを受け止めて、玲一郎が言った。
「楽しかったですか?」
「とっても!」
 本当の天人の舞を見ただけではない、共に舞う事が出来るなんて。思っても見なかった経験だった。玲一郎は良かった、と微笑むと、またきょろきょろと辺りを見回した。どうしたんですか、と聞こうとして、そういえば最初に彼を見た時も、何かを探している風だったのを思い出した。
「玲一郎さん、誰かを探してるんですか?」
 もしかしたら、連れがいたのかも知れないと、少しがっかりしながら聞くと、玲一郎は、まあ、探していると言えばそうですが、と前置いて、
「姉がね、ここに店を開いているらしくて。探しに来たんですが…」
 と苦笑いした。玲一郎が姉と暮らしているという話は、先日聞いていた。
「冷やし桃の屋台を出しているそうです。全く、そういう事は止めるように、いつも言っているんですが…」 
「冷やし桃かぁ…。いいわ、私も一緒に探してあげる。お姉さんにも会ってみたいし」
 かなめの申し出に少し驚いた様子の玲一郎だったが、それなら、と微笑んで、二人は再び、並んで参道を歩き出した。鈴の屋台を探しながら、また色々な店を覗いたり冷やかしたりするのはとても楽しくて、もう少しで本来の目的を忘れそうになったかなめだったが、参道の少しはずれに、ひやしもも、と書かれた屋台を見つけるまではそう、時間はかからなかったと思う。
「れ、玲一郎…。やはり来たか」
「来ましたよ。全く性懲りも無く…」
 天鈴(あまね・すず)は、悪戯を見つけられた子供のような顔で引きつった笑みを浮かべると、すぐにかなめに視線を移して、おや、と声を漏らした。
「そなた、確か先刻の舞で…」
 どうやら、かなめと天女たちの舞いを見ていたらしい。少し恥ずかしくなって顔を赤らめつつも、かなめはこくりと頷いた。それにしても。想像していたのとは随分違う。玲一郎の姉と言うから、大人の女性とすっかり思いこんで居たのだが。目を丸くしていたのに気づいたのだろう、玲一郎が、
「姉も仙ですから。これでも、僕よりずっと長生きしているんですよ」
 と教えてくれた。
「名は鈴と申す。玲一郎が世話になっておる」
「あ、私は、氷川かなめと言います。その…今日は迷い込んでしまって、玲一郎さんのお陰でとっても楽しかったです」
 素直に言うと、鈴はそれは良かった、と豪快に笑い、思い出したように氷水の中から桃を二つ三つ、取り出した。
「土産に持っていくと良い」
 ふと横を見ると、一つ三千円と書いてある。良いのだろうかと逡巡していると、
「あの舞の礼には、安いくらいじゃよ」
 と鈴が言い、玲一郎もその通りです、と頷いた。それなら、と桃の入った籠を受け取る。甘い香りがふわり、と鼻をくすぐった。どこかからまた笛の音が聞えてくる。また舞が始まるのだろうか。笛に合わせて聞えてきた鼓の響きに、夏の宵闇が浮き立った。

<虚空より鼓の音 終わり>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2551/氷川 かなめ(ひかわ・かなめ)/女性/6歳/小学生・能楽師見習い中】


<登場NPC>
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)
天 鈴(あまね・すず)

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■         ライター通信          ■
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氷川 かなめ様
『月は水にたゆとう』に続いてのご発注、ありがとうございました。玲一郎との再会、お祭りはお楽しみいただけましたでしょうか。小鬼からは、『浄めの扇』を貰いました。玲一郎が少々細工を致しましたので、邪気のある場以外でも、普通の扇としてお使いいただけます。扇の大きさは、常にかなめ嬢にあわせたものに変化しますので、ずっとお使いいただければ光栄です。お帰りの際には、鈴から桃を三つほど、お渡ししたようです。ご家族でご賞味いただければと思います。それでは、またお会い出来る日を願いつつ。
むささび。