■Episode Cu-1:Internal Troubles■
西東慶三 |
【4925】【上霧・心】【刀匠】 |
「少々ヤバイ仕事だが、やる気はあるかい」
鷺沼譲次(さぎぬま・じょうじ)と名乗った男は、武彦を試すような口調でそう切り出した。
よれよれのジーンズに派手なアロハシャツという身なりもさることながら、平日の昼間だというのに明らかに酒が入っているあたり、どう考えてもカタギの人間ではない。
とはいえ、この手の連中を相手にするのが、別に初めてというわけでもない。
「内容と報酬にもよるが、やらないこともない」
武彦が曖昧な返事をすると、鷺沼は一度小さく頷き、懐から一枚の写真を撮りだした。
「この男の身辺を探ってほしい」
写真には、一見しただけで高級品とわかるスーツに身を包んだ、いかにも頭が切れそうな男の姿が映っていた。
年齢は、恐らく三十代前半。最近よく聞く青年実業家というやつだろうか。
武彦はそのように推理したが、それは当たっていないどころか、正解に近くすらなかった。
「IO2の幹部で、首藤(しゅとう)という男だ」
その言葉に、武彦は半ば驚愕して鷺沼の顔を見返した。
こちらをからかっているのかも知れない、と疑ってもみたが、鷺沼の顔は先ほどまでとはうってかわって真剣そのもので、とても酔っぱらいの戯れ言とは思えない。
そうなると問題なのは、この仕事が「少々ヤバイ仕事」などではなく、「かなりヤバイ仕事」であることだった。
それこそ、話を聞いてしまった以上は、そう簡単には降りられないほどに。
この男が転がり込んできた時点で、すでに厄介事には巻き込まれている。
ならば、いっそその厄介事の中心にまで首を突っ込んで、その真相を知りたい。
それに、このままこの男を追い返せば、リスクだけが残って何のリターンも得られないことになる。
その後なし崩し的に事件に巻き込まれる可能性を考えれば、ここでちゃんと報酬をもらう約束をしておくのも悪くはないだろう。
そう考えて、武彦は開き直った。
「IO2の幹部ともなると、警備が厳しそうだな」
「もちろん一筋縄でいく相手じゃない。下手を打てばすぐ見つかるだろうし、見つかったらただじゃ済まない」
鷺沼が再びにやりと笑う。
この男は何者で、一体何の目的があってこんな仕事を依頼に来たのだろう。
「少なくとも、事情を知らずに引き受けられる仕事じゃなさそうだな」
武彦がそう言うと、鷺沼は一度小さくため息をついて、ジーンズのポケットから少し曲がった身分証を取り出した。
IO2日本支部・「A」対策班班長。
目の前の酔っぱらいとIO2とはなかなか結びつかないが、身分証には確かにそう書かれている。
「実は俺もIO2の人間でね。今回の件は、一言で言っちまえば内部抗争だ」
鷺沼はなんでもないことのようにそう言うと、身分証を無造作にポケットに突っ込む。
それから、再び先ほどのような真剣な顔にもどって、ぽつりとこう続けた。
「アメリカで起こってることの噂はアンタも聞いてるだろう。
あれと同じようなことがこの日本でも起こるか、起こらないか。その瀬戸際なんだ」
アメリカのIO2本部に起こった異変については、武彦も多少は知っている。
確か、これまでは超常現象や怪奇事件の隠匿を主な目的としていたものが、いつしか「超能力犯罪の予防」を大義名分に、超常能力者や異種族に対する弾圧を強めているらしい、という内容だったはずだ。
もし、それと同じことが、日本でも起こるとしたら。
被害を受けるであろう知り合いの顔が、次々と武彦の脳裏に浮かぶ。
「何を探ればいい」
身を乗り出す武彦に、鷺沼はもとの調子でこう言った。
「首藤の根回しのせいで、すでに反対派はガタガタなんだが、その『根回し』ってのがどうも怪しい。
確かに上の方にタヌキが多いのは認めるが、ヤツが『説得』したと思われる相手だけが、それも昨日の今日で次々態度を変えるってのはあまりにも不自然だと思わないかい」
どうやら、彼の言う通り、本当に事態は一刻を争うところまできているらしい。
そんな武彦の焦りに気づいたのか、鷺沼は苦笑しながら手で落ち着くように促した。
「あいつが世間一般で言う『説得』や『根回し』じゃないことをしてる、って証拠が手に入れば一番だが、そこまでは望まねえ。
あいつがそこまでするには、何か理由が――というより、そうしたほうが都合がいいような、何らかの組織とのつながりがあるんだろう。それを見つけてほしい」
それも十二分に困難な気もするが、まあ、『根回し』の証拠を見つけるよりはいくらか簡単だろう。
「難しいが、やるしかないようだな」
武彦の答えに、鷺沼は満足そうに頷くと、最後に一言こう念を押した。
「言っておくが、今回の仕事の依頼主はあくまで俺で、ここに依頼に来たのは俺の独断だ。
だから、反対派として組織的にバックアップすることはない。IO2内で味方は俺だけだと思ってくれ」
−−−−−
ライターより
・シリアスシナリオです。
・推奨パワーレベル:2(プロの格闘家クラス)〜5(完全武装の兵士十人くらいなら)
戦闘能力が全くないPCは、戦闘があった場合、活躍の場面が少なくなる恐れがあります。
逆に、戦闘能力の高すぎるPCの参加があった場合、予定外の「介入」が行われる場合があります。
・首藤とは一体何者で、何の目的で活動しているのでしょう?
ヒントはすでにかなりの数が出ているはずです。
・必要以上に事を荒立てることは、IO2の態度の硬化を招き、結果として「アメリカか」を推進することにつながってしまう危険があります。
・この依頼の受付予定人数は1〜6名です。
・この依頼の〆切は8月15日午前0時を予定しています。
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Internal Troubles
「少々ヤバイ仕事だが、やる気はあるかい」
鷺沼譲次(さぎぬま・じょうじ)と名乗った男は、武彦を試すような口調でそう切り出した。
よれよれのジーンズに派手なアロハシャツという身なりもさることながら、平日の昼間だというのに明らかに酒が入っているあたり、どう考えてもカタギの人間ではない。
とはいえ、この手の連中を相手にするのが、別に初めてというわけでもない。
「内容と報酬にもよるが、やらないこともない」
武彦が曖昧な返事をすると、鷺沼は一度小さく頷き、懐から一枚の写真を撮りだした。
「この男の身辺を探ってほしい」
写真には、一見しただけで高級品とわかるスーツに身を包んだ、いかにも頭が切れそうな男の姿が映っていた。
年齢は、恐らく三十代前半。最近よく聞く青年実業家というやつだろうか。
武彦はそのように推理したが、それは当たっていないどころか、正解に近くすらなかった。
「IO2の幹部で、首藤(しゅとう)という男だ」
その言葉に、武彦は半ば驚愕して鷺沼の顔を見返した。
こちらをからかっているのかも知れない、と疑ってもみたが、鷺沼の顔は先ほどまでとはうってかわって真剣そのもので、とても酔っぱらいの戯れ言とは思えない。
そうなると問題なのは、この仕事が「少々ヤバイ仕事」などではなく、「かなりヤバイ仕事」であることだった。
それこそ、話を聞いてしまった以上は、そう簡単には降りられないほどに。
この男が転がり込んできた時点で、すでに厄介事には巻き込まれている。
ならば、いっそその厄介事の中心にまで首を突っ込んで、その真相を知りたい。
それに、このままこの男を追い返せば、リスクだけが残って何のリターンも得られないことになる。
その後なし崩し的に事件に巻き込まれる可能性を考えれば、ここでちゃんと報酬をもらう約束をしておくのも悪くはないだろう。
そう考えて、武彦は開き直った。
「IO2の幹部ともなると、警備が厳しそうだな」
「もちろん一筋縄でいく相手じゃない。下手を打てばすぐ見つかるだろうし、見つかったらただじゃ済まない」
鷺沼が再びにやりと笑う。
この男は何者で、一体何の目的があってこんな仕事を依頼に来たのだろう。
「少なくとも、事情を知らずに引き受けられる仕事じゃなさそうだな」
武彦がそう言うと、鷺沼は一度小さくため息をついて、ジーンズのポケットから少し曲がった身分証を取り出した。
IO2日本支部・「A」対策班班長。
目の前の酔っぱらいとIO2とはなかなか結びつかないが、身分証には確かにそう書かれている。
「実は俺もIO2の人間でね。今回の件は、一言で言っちまえば内部抗争だ」
鷺沼はなんでもないことのようにそう言うと、身分証を無造作にポケットに突っ込む。
それから、再び先ほどのような真剣な顔にもどって、ぽつりとこう続けた。
「アメリカで起こってることの噂はアンタも聞いてるだろう。
あれと同じようなことがこの日本でも起こるか、起こらないか。その瀬戸際なんだ」
アメリカのIO2本部に起こった異変については、武彦も多少は知っている。
確か、これまでは超常現象や怪奇事件の隠匿を主な目的としていたものが、いつしか「超能力犯罪の予防」を大義名分に、超常能力者や異種族に対する弾圧を強めているらしい、という内容だったはずだ。
もし、それと同じことが、日本でも起こるとしたら。
被害を受けるであろう知り合いの顔が、次々と武彦の脳裏に浮かぶ。
「何を探ればいい」
身を乗り出す武彦に、鷺沼はもとの調子でこう言った。
「首藤の根回しのせいで、すでに反対派はガタガタなんだが、その『根回し』ってのがどうも怪しい。
確かに上の方にタヌキが多いのは認めるが、ヤツが『説得』したと思われる相手だけが、それも昨日の今日で次々態度を変えるってのはあまりにも不自然だと思わないかい」
どうやら、彼の言う通り、本当に事態は一刻を争うところまできているらしい。
そんな武彦の焦りに気づいたのか、鷺沼は苦笑しながら手で落ち着くように促した。
「あいつが世間一般で言う『説得』や『根回し』じゃないことをしてる、って証拠が手に入れば一番だが、そこまでは望まねえ。
あいつがそこまでするには、何か理由が――というより、そうしたほうが都合がいいような、何らかの組織とのつながりがあるんだろう。それを見つけてほしい」
それも十二分に困難な気もするが、まあ、『根回し』の証拠を見つけるよりはいくらか簡単だろう。
「難しいが、やるしかないようだな」
武彦の答えに、鷺沼は満足そうに頷くと、最後に一言こう念を押した。
「言っておくが、今回の仕事の依頼主はあくまで俺で、ここに依頼に来たのは俺の独断だ。
だから、反対派として組織的にバックアップすることはない。IO2内で味方は俺だけだと思ってくれ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
鷺沼が作戦会議の場所に指定してきたのは、あやかし荘に近い商店街にあるタコ焼き屋「四たこ」だった。
そこの店主の室崎修(むろさき・しゅう)が元IO2で、鷺沼の良き理解者でもあるのだという。
上霧・心(かみぎり・しん)が「四たこ」に着いた時、店には店主の室崎とおぼしき大男と鷺沼、そして高校生くらいと思われる双子の姿があった。
すでに店は閉めているため、店内には他の客の姿も、アルバイトの店員の姿もない。
「さて、全員揃ったようだし、まずは自己紹介といくか」
心の姿を認めて、鷺沼がそう切り出す。
かくして、今後のこの街に、そして日本に大きな影響を与えるかも知れない作戦の打ち合わせは、「夜のタコ焼き屋で、タコ焼きをつまみながら」という、お世辞にも緊張感が溢れているとは言えない状況で始められたのであった。
「で、その首藤というのは一体どんなヤツなんだ?」
自己紹介が終わるやいなや、先ほどの双子の一人である守崎啓斗(もりさき・けいと)が鷺沼にそう尋ねた。
「二年くらい前にIO2に来たばかりの新顔だよ。
なんでも、その前は保険会社の海外支店にいたらしい」
その答えに、今度は弟の守崎北斗(もりさき・ほくと)が疑問を呈する。
「その新顔が、なんでたった二年で幹部になってんだ?」
「参謀の長坂ってヤツが首藤を気に入っててね。
おかげで重要な任務を任され続けてとんとん拍子で大出世さ。羨ましい限りだよ」
苦笑する鷺沼に、北斗はにやりと笑ってこう言った。
「鷺沼さんは、出世には興味なさそうな感じだけどな」
「わかるか?」
「わかるさ。堅苦しいのとか苦手そうだし」
「かなわねぇな」
お手上げだ、とばかりに肩をすくめる鷺沼。
するとその時、今まで黙って話を聞いていた室崎がぽつりと呟いた。
「長坂、か」
「室崎さん、何か知ってるのか?」
心の問いかけに、室崎は苦々しげな表情でこう答えた。
「あいつはIO2という組織の非人間的な面そのものだ。
大の虫を生かして小の虫を殺す……それをためらいなくできる男だよ」
どうやら、室崎とその長坂という人物とは、何らかの因縁があるらしい。
心はそのことについてもう少し聞いてみようかとも思ったが、それより先に鷺沼が後を続けた。
「長坂は日本支部でも最古参の幹部の一人でね。
俺や修さんが入る前からいるんで、いつからいたのかはよくわからねぇ。
優秀な参謀なのは確かなんだが、冷酷すぎるのが玉に瑕でね」
「なら、今回の件もその長坂が一枚噛んでいる可能性があるな」
啓斗の当然すぎる意見。
ところが、鷺沼はそれをきっぱりと否定した。
「いや、それはねぇ。
何ヶ月か前におっ死んじまったからな。不慮の事故とやらで」
「死んだ? まさかとは思うが、その後釜には?」
「正式には別の人間が選ばれたが、権力はほとんど首藤に移った。
もちろん誰からも文句は出てねぇ。なんせ、すっかりプチ長坂みたいになってやがるからな」
話を聞く限りでは、首藤が長坂を謀殺した可能性は十二分にあるようだ。
有力者に取り入って後ろ盾を得、頃合いを見ては用済みになった後ろ盾を自ら始末してそれに取って代わる。
その目的のためには手段を選ばぬ非情さこそが、首藤の、そして長坂の有能さであり、「IO2の非人間的な面」そのものであるのだろうか。
だとすれば、その暴走は何としても止めなければならない。
しばしの沈黙の後、啓斗が再び口を開いた。
「ともあれ、これだけでは何とも言えないな。
やはり実際に潜入してみる必要がありそうだが……そうだな、偽造の身分証明書みたいなものは手に入らないか?」
「作れないこともない、が、うちの隊のなら、という条件つきだ。
うちはわりとその辺がいい加減なんで、こういう時便利っちゃあ便利なんだが、もともと鼻つまみ者の集まりだし、気休め程度の役にしか立たねぇぜ。
妙なところにいたら、それだけで怪しまれる」
鷺沼のその返事に、北斗が呆れたようにこう返す。
「それじゃ、あんまり役に立たねぇじゃん。
それより、わかる範囲でいいから建物の構造とか教えてくんねぇか?
首藤の詰めている部屋とか、勤務中に奴がよく行く場所とかさ」
すると、鷺沼はしばらく考えてから、ぽつりとこう漏らした。
「ん〜、こんなこと依頼しといて言うのもなんだけどよ。
その辺は、あんまり教えたくねぇんだよな」
「なんだよそれ」
「外部の人間が知ってちゃいけないことを知ってるってのは、それだけで狙われる理由になる。
当然、知れば知るほど、危険度は増す」
確かに、「非人間的な面」を持つIO2であれば、「機密情報の漏洩を防ぐ」という目的のためだけに、「情報を知ってしまったものを消す」という手段をとる可能性も否定はできない。
「知りすぎると、俺たちの身が危なくなる、ってことか」
心がそう口にすると、鷺沼は困ったような顔で頷いた。
「そういうことだ。
今回は緊急事態だから、俺が安全を保証する、って言えればいいんだけどな。
俺がンなこと言ったところで、俺ごと切り捨てられないって保証はねぇし」
仮にも部隊長とはいえ、あくまで彼が率いるのは厄介者ばかりの「フキダマリ部隊」。
その上彼自身が現場寄りの反体制派とあっては、万一の時に粛正される可能性もないとは言えない。
「まあ、ブラックジャックみたいなモンだ。
手札が増えれば増えるほど、勝ち目も増えるが、危険も増える」
冗談っぽくそうまとめる鷺沼。
それに対して、北斗はすかさずこう答えた。
「なら、俺らの選択は『もう一枚』だな」
どうやら、守崎兄弟はすでに潜入捜査を行うことに決めているらしい。
それが一番の方法には違いないだろうが、室崎は少し違った意見を持っているようだった。
「潜入捜査の必要性は否定しないが、まだ外で調べられることもあるだろう。
一人か二人、こっちに残ってくれないか?」
彼の言う通り、外で集められる情報も、すでに集め終わったとは必ずしも言えない。
そう考えてみると、全員が潜入調査にあたるのは、あまり上策ではないだろう。
「なら、こっちは俺が引き受けよう」
心がそう宣言すると、鷺沼はもう一度大きく頷いた。
「決まりだな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その翌日。
心は、とある山奥の村にいた。
室崎から受け取った資料によると、首藤はこの村の生まれで、中学生の時に事故で両親を亡くすまでここで暮らしていたらしい。
情報を集めると言っても、居ながらにして集まるような情報はすでにほとんど揃っている。
そうなれば、後は実際に現場を回って、人づてやコンピュータ経由ではなかなか手に入らない情報を「足で稼ぐ」しかない。
そう考えてはみたものの、現時点までの成果を見る限りでは、その試みが功を奏しているとは言いがたかった。
手に入ったどの資料を見ても、室崎から受け取ったものと大差ない記述しかなく、特に目新しい発見はない。
――一旦戻って、別の方法を模索してみるか。
心は小さくため息をつくと、最後の聞き込み先へと向かった。
心が最後に訪ねたのは、中学時代に首藤のいたクラスの担任を務めていたという老人の家だった。
彼は数年ほど前に無事定年を迎え、生まれ育ったこの村で静かに余生を過ごしているという。
「私の教え子のことで、聞きたいことがあるそうですな」
現れたのは、いかにも人のよさそうな老紳士だった。
「ええ。十九年前から十八年前まであなたが受け持っていたクラスにいた、首藤さんについてお聞きしたいのですが」
その問いに、老紳士は腕を組んで考え込む。
「首藤? ふむ……首藤、首藤か……」
保険会社の海外支店からIO2入りし、参謀として腕を振るっているという首藤。
その経歴を考えるに、少年であった頃から頭が良く、ケチな悪事には興味を示さないタイプの人間であったことは想像に難くない。
そして、そういった「手のかからない生徒」ほど、教師の記憶には残らない、ということは十二分にありうる。
そう考えて、心はこう質問を変えてみた。
「あまり目立たないタイプの生徒さんだったのですか?」
ところが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「……いや、その年受け持ったクラスの中に、首藤という生徒はいなかったはずです」
「本当ですか?」
もし本当なら、それは何を意味するのだろう?
「お疑いなら、卒業生の名簿を調べてみましょうか」
齢七十にもなろうかという老紳士の単なる忘却。それが一番可能性が高い。
けれども、もしそうでなかったとしたら?
「是非お願いします」
内心の混乱を隠しつつ、心はあらためて頭を下げた。
老紳士が問題の名簿を探し出してきたのは、数分後のことだった。
「大滝……神田……沢崎……敷島……新庄。
やはり、その年には首藤という生徒はいませんでしたな」
五十音順に並べられたその名簿のどこにも、首藤などという名字は見あたらない。
「途中で引っ越した、ということは?」
念のためにそう聞いてもみたが、老紳士は笑いながら首を横に振った。
「ありません。それなら、むしろ逆によく覚えているはずです」
言われてみれば、それもそうだ。
だが、これは一体何を意味するのだろう?
これまで確認した全ての資料に明記されていた経歴の一部を、明らかに否定する資料の存在は?
なんにせよ、今はまずこの資料の正しさを裏づける別の資料、もしくは証言がほしい。
「では、この時のクラスにいたの方の中で、この近くに住んでいる方はいらっしゃいませんか?」
心が尋ねると、老紳士は名簿の一点を指してこう言った。
「それなら、この敷島君が駅前でラーメン屋をやっています。
先日行った時には近頃客が少ないとぼやいていましたから、昼食がてら行ってみてはいかがですかな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全ての調査を終えて、心が室崎に連絡を取ったのは、その日の夜のことだった。
「大変なことが判った。
首藤なる人物は、実在しない可能性が高い」
そう報告すると、通信機から驚いたような声が返ってくる。
『何だって? 証拠はあるのか?』
心だけでなく、室崎にとっても、これは予想外のことだったのだろう。
「首藤とは同級生であったはずの人間が、揃ってそんなヤツは知らないと言っている。
さらに、中学や高校の卒業名簿やアルバムも見せてもらったが、首藤などという名前はなかった」
心が老紳士に紹介された敷島のラーメン屋。
出されたラーメンは今ひとつだったが、敷島がくれた情報の数々は非常に有益だった。
もともと社交的な性格で、同窓会の幹事もやったことがあるという彼のおかげで、他の同級生の証言を得ることもでき、あの卒業名簿の信憑性は大きく高まった。
さらに、その後の調査により、首藤の高校時代の担任や同級生からも「そんな生徒はいなかった」という情報や証拠を得られたことで、心はこちらの資料こそが本物であると確信するに至ったのである。
ならば、なぜそれまで調べた全ての資料に、実際はいなかったはずの首藤のことが記載されていたか。
考えられることは、一つしかなかった。
「公的な記録や、ネットワーク上の記録は全て改竄されていたんだよ」
『なるほど……公的な場にも、ネットワーク上にもない記録については、改竄の手が及ばなかったと言うことか』
全国に散っている「首藤の同級生」や「首藤の恩師」を全員捜しだし、彼らに気づかれぬようにアルバムや名簿を全て改竄するというのは、どう考えても簡単なことではない。
それなのに、そういった資料が参照される可能性は、ほとんどゼロに等しい。
敵がその作業をしなかった、もしくはできなかったとしても、何ら驚くには値しなかった。
とはいえ、話を公的な記録やネットワーク上の資料に限定しても、その全てを矛盾なく改竄するにはかなりの知識や技術が必要になる。
「一つ気になるのは、今までそのことに気づいたものが誰一人いないということだ。
恐らく情報の改竄がかなりうまく行われているんだろうが、そうなると、これは相当厄介な相手が背後にいるということになるぞ」
そう。
相当厄介な相手がいる。
この事件の背後に。
そして、今、この瞬間、心の背後にも。
『そうなるな。
鷺沼たちには俺から知らせておくから、一刻も早く戻ってこい』
室崎のその言葉に、心は後ろを振り返りながらこう答えた。
「ああ、そうする……と言いたいところだが、どうやらお客さんらしい。
少々帰りは遅くなりそうだ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「私、IO2特殊部隊・牧瀬と申します」
不敵な笑みを浮かべながら、牧瀬と名乗った男はわざとらしく一礼した。
「あなたは知ってはならないことを知ってしまった。
おとなしく私に同行していただければ、その記憶を消去するだけですみます」
その殺気のなさが、逆に彼がただものではないことを示している。
「嫌だ、と言ったら?」
「その場合は、記憶もろとも、あなた自身を消去させていただくことになります」
楽に勝てる相手ではなさそうだが、戦いを避けられる相手でもなさそうだ。
「やはりそう来るか」
心が戦闘態勢をとると、牧瀬は静かに首を横に振った。
「我々は秩序を守らねばならないのです。そこからはみ出したものを切り捨ててでも」
なるほど、話に聞いた長坂、そして首藤の考え方とはこういうものか。
「その理屈の是非は俺にはわからんが、黙って切り捨てられてやるつもりは毛頭ない」
そう応えて、心は小太刀を握る手に力を込めた。
矢継ぎ早に放たれる棒手裏剣をかわしながら、素早く牧瀬との間合いを詰める。
ところが、ようやく刀の届く間合いまで近づいたかと思うと、牧瀬はその度に尋常ならざる速さで後ろや横へ跳び、再び間合いを開いてしまう。
彼自身が人間離れした運動能力の持ち主であるのか、それともパワードプロテクターかそれに類したものを身につけているのかはわからないが、いずれにせよ、このままでは勝ち目はない。
かくなる上は、こちらも奥義を出すしかないか。
一か八か、心が覚悟を決めた、まさにその時。
不意に、牧瀬が一つ大きなため息をついた。
「……やめにしましょう」
「なんだと?」
いぶかしむ心に、牧瀬は真顔でこう続ける。
「私には優先すべき任務ができました。よって、これ以上この戦闘を続けるつもりはありません」
生きるか死ぬかの戦いすら、ただの任務の一つと割り切り、必要とあらば途中でも直ちに放棄する。
そのプロ意識の高さには感心するところもあるが、だからこそ、この男はこのまま見逃すには危険すぎる。
「待て! 逃げるな!!」
心は追いかけようとしたが、残念ながら純粋なスピードの差では牧瀬には及ばなかった。
「二度とお会いすることがないよう祈りましょう。お互いのために」
牧瀬はそう一言言い残すと、夜の闇に溶け込むように姿を消した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それから数日後。
事後報告のために再び「四たこ」に集まった一同に、鷺沼は真剣な顔でこう言った。
「結局、首藤のヤツは『不慮の事故』で死んだ、ってことになった。
全てを明るみに出すって選択もあったんだが、それをやると日本支部全体が揺らぎかねねぇ。
そのガタガタになったところをアメリカ本部につけこまれたら元も子もねぇからな」
確かに、今回の事件はその真相も、そしてそれを突き止めるために使った手段も、公表するにはあまりにもリスクが高すぎる。
「まあ、妥当な選択だろうな」
心が正直な感想を口にすると、続いて啓斗がこう質問した。
「で、結局あの登録制度とやらはどうなったんだ?」
「一応、今すぐどうこうって話は立ち消えになったが、相変わらずお偉いさんたちはあの案にご執心だ」
そう答えて、鷺沼は小さくため息をつき……それから、気になることを口走った。
「それに、首藤がいなくなったと思ったら、今度は牧瀬ってヤツが出てきやがってよ」
「牧瀬だと?」
もしかしたら、心が戦ったあのエージェントと同一人物かもしれない。
「ああ。
首藤の配下で、これまたプチ首藤みたいなヤツなんだが、幸い現時点ではそれほどの影響力はねぇな。
まあ、あくまで『現時点では』で、この先どうなるかはわかんねぇんだけどよ」
鷺沼の答えで、「かもしれない」は確信へと変わった。
敵はすでにこうなる可能性を考えていて、すでに次なる手を打っていたのだ。
いや、恐らくこれで終わりではなく、次の次、さらにその次も用意されている可能性が高い。
そんな心の考えを察知してか、やれやれと言った様子で北斗がこう呟く。
「とりあえずの危機は回避するも、根本的解決には至らず、ってとこか」
それを聞いて、鷺沼は少し寂しそうに笑った。
「それでいいんじゃねぇか?
根本的な解決方法なんてどこにもねぇような問題が、この世の中にゃごまんとあるんだ。
そのうちの一つがたまたま俺たちの目の前にある、ってだけのことだろ」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
4925 / 上霧・心 / 男性 / 24 / 刀匠
0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17 / 高校生(忍)
0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17 / 高校生(忍)
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■ ライター通信 ■
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撓場秀武です。
この度は私のゲームノベルにご参加下さいましてありがとうございました。
・このノベルの構成について
このノベルは全部で六つのパートで構成されております。
そのうち、三つめから五つめまでのパートにつきましては、心さん(調査組)と啓斗さん・北斗さん(潜入組)で異なったものとなっておりますので、もしよろしければもう一つのパターンにも目を通してみていただけると幸いです。
・個別通信(上霧心様)
はじめまして、撓場秀武と申します。
このたびはご参加ありがとうございました。
また、ノベルの方、大変遅くなってしまって申し訳ございませんでした。
さて、心さんの方ですが、啓斗さんと北斗さんが組んで行動していたことや、プレイングを見る限り潜入捜査にはやや消極的だったこともあって、情報収集の方を担当していただきましたが、いかがでしたでしょうか?
もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
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