■蝶の慟哭〜水深の蓋〜■
霜月玲守 |
【4345】【蒼王・海浬】【マネージャー 来訪者】 |
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
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蝶の慟哭〜水深の蓋〜
●序
体の内を流れるものは、生の証か、幻か。
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
●始
気付かぬうちに流れ始め、そうしてゆるりと落ちていく。
平日の昼間にアトラス編集部を訪れると、慌しい人々の動きに誰しも自分までが忙しい気がしてくる。原稿は何処だ、取材はどうする、といった怒号まで飛び交っている。
「慌しいな」
そんな中、平然としてアトラス編集部内のソファに腰掛けているのは、蒼王・海浬(そうおう かいり)だった。悠々としたその態度は、そこだけ時間が緩やかに流れているかのようにも感じられた。
「ごめんなさいね。でも忙しいのは良い事なのよ」
ふふ、と碇はそう言って笑った。「暇な編集部なんて、潰れる寸前である証拠だもの」
「確かにそうかもしれないな」
碇の言葉に、海浬はそう言って頷く。碇はそれを見て再び微笑むと、三下を呼んで資料を持ってこさせた。
分厚い大型封筒から、碇は資料を取り出して机の上に並べた。その際、机の上にあった珈琲カップを避ける事も忘れない。
「これか?俺に頼みたいといっていたものは」
資料を見、海浬が尋ねた。碇は頷き、一枚の資料を指差す。指された先にあったのは、秋滋野高校という文字である。
「また、秋滋野高校で奇妙な事が起こってるわ。尤も、新聞や雑誌にはまだ出回っていないけどね」
「水道水と、湧き水……?」
海浬は資料を見ながら呟く。そこにあったのは、件の争いについてである。
「そうなのよ。面白いでしょう?そりゃ、本人達は面白くも何ともないでしょうけど」
碇はそう言って苦笑し、資料の中の一枚を取り出して見せる。それは、秋滋野高校の見取り図であり、赤い丸が五箇所してあった。三階建ての校舎には、一回につき一つ。体育館横と、校庭に一つある。
「これは?」
赤い丸を指差しながら尋ねると、碇は「蛇口の場所よ」と答えた。
「そこが湧き水の出る蛇口の場所なの。そこから湧き水が出てくるの」
「学校が設置したのか?」
「ええ。山にある水源地は、元々美味しい水として地元の人に有名だったらしいわ。それを学校側が、近くにあるのならば生徒や地元の人々に手軽に飲めるように、との配慮で設置したみたい」
「という事は、近所の人々もそこの湧き水を飲んでいると言う事か」
「ここの蛇口に、よく人が水を汲みに来るらしいわ」
碇はそう言って、校庭にある赤い丸を指差す。「もちろん、水源地に直接汲みに行く人もいるみたいだけど」
海浬は「なるほど」と言って、別の資料に目を移す。次の資料にあるのは、水源地についてだった。
秋滋野高校から山の方向に歩いて10分ほどの位置にあるその水源地は、誰でも気軽に水を汲みに行けるようにそれなりに整備されているらしい。
「湧き水を飲んでいるの人間は、どれくらいいるんだ?」
「そうねぇ……詳しくはよく分からないけど、半分くらいの人は飲んでいるみたいよ」
碇はそう言い、ぱらぱらと資料を捲った。そして一枚の紙を取り出して海浬の前に差し出した。そこにあったのは、主に湧き水と水道水のどちらを飲むかどうかのアンケートを生徒と教師を含んだ校内全体で集計を出したものだった。丸い円グラフに、おおよそ半分くらいに別れている。多少「両方飲む」という意見があるものの、湧き水と水道水のどちらか一方を飲むという意見が殆どだ。
「その理由も様々だったけど、なかなか面白いわよ」
碇はそう言って、資料の一部を指し示す。
「湧き水の方は、美味しいからという意見が多いな。水道水の方は、近いからとかどちらかというと手軽だからとか、そういう意見だな」
「名前やクラスを書くのは自由にしたんだけど、律儀に書いてくれた人が何人書いたから、リストアップしておいたわ」
はい、と言いながら碇はリストを海浬に手渡す。海浬はリストを一通り見、適当に三人程に丸をつける。いずれも、湧き水を飲んでいる生徒である。それに加え、湧き水を飲んでいる教師に丸をつけた。
「すまないが、この三人の生徒の両親と、この教師にアポを取ってくれないか?」
「いいわよ。……秋滋野高校に来て貰うようにしてすればいいかしら?」
「ああ。教師に頼んで、一つの教室も貸してもらえるようにしてくれ」
海浬が言うと、碇は頷いて微笑んだ。
「それにしても、今回も依頼を受けてくれるとは思わなかったわ」
碇がそう言うと、海浬は「そうか」と言って少しだけ考え込む。
『この力は、必ずや糧となろう』
前回、謎の自殺に関わっていると思われる薄紅色の葉をつけるイチョウを調べにいった時に見てしまった。少女の言葉を思い出す。
『必ずや、必ずや糧に』
虚ろな目をしながらイチョウの種を植える少女を、海浬は眉間に皺を寄せつつ思い返した。ポケットには、まだあの赤いイチョウの葉が入っていた。捨てようとしても何故だか捨てられなかった、イチョウの葉が。
「気にかかったという、ただそれだけだ」
海浬はそれだけ言うと、資料を掴んで立ち上がった。
「分からない事があったら、いつでも連絡していいから」
碇はそう言うと、にっこりと笑って手をひらひらと振るのであった。
●動
落ちるのは他愛無く、流されるのも容易である。
海浬は再び訪れた秋滋野高校の校門前に立ち、一つ溜息をつく。
「再び来る事になるとは」
そう言いつつも、何故だか「こうなるだろう」と思っていた自分もいた。恐らくは、あのイチョウの過去にいた少女を見たその時から。
この件に関わるのは、この一回限りではないという、不確かな予感が。
(おかしな感覚だ。大抵の事は、把握できていると言うのに)
海浬はそう思い、苦笑する。どうも秋滋野高校に関わる出来事は、今までに体験してきた膨大な出来事とは一風変わっている。
「……まるで、ありふれた宗教のようだが」
海浬はぽつりと呟く。
今起こっている水を巡る争いは、宗教的な考え方が入り込んでいるように見えた。正しいと信じる事の為に争ったり、間違っていると信じている事を犯した人々を正そうとしたり。また、正す事が至極当然の事と感じており、寧ろ礼を言うべきだと考えているのである。
(異教徒を迫害するかのような、そういうけらいがあるな)
海浬は小さく「愚かな」と呟く。
(そして、増やそうとするかのように)
水道水を飲んでいる生徒に向かって、湧き水を進めるかのような言動をした生徒。それはまるで、神の教えを伝えて信者を増やそうとする伝道師ではないか。
(くだらない目的ならば、まだいい。しかし、正しい事だとか皆の為だとかいう、厄介な目的だとしたら)
そう考え、海浬は失笑する。この小さな学校という世界で、何故そのようなことをしようとするのだろうか。
「ともかく、話を聞いてみるのがいいだろうな」
海浬はそう呟くと、校門から一歩中に踏み入った。
(赤い……)
前に見た風景の端に、前見た時よりも更に赤く染まっているイチョウの木が飛び込んできた。海浬は小さく溜息をつくと、それを振り切るように歩き始めるのだった。
今はまだ授業中らしく、校舎の中は静まり返っている。
「アトラス編集部から来た、蒼王・海浬と言う者だが」
海浬が受付に言うと、受付が「あ、はい」と受け答えしながら微笑んだ。
「少々お待ちくださいませ」
受付嬢はそう言うと、職員室の奥に入っていった。そして、一人の男子教師を連れてきた。
「どうも、初めまして。数学担当の、玉城・健二(たまき けんじ)と言います」
「蒼王・海浬です」
玉城は高校の教師にしては若く見えた。27か8くらいだろうか。
「話は伺ってます。三階の空き教室に、親御さんがいらしてますから」
「もう、全員揃っているのか?」
「はい。つい先ほど」
玉城はそう言い、海浬に先立って歩き始めた。階段の方に向かいつつ、海浬は「そういえば」と口を開く。
「湧き水を飲んでいるというが、実際はどうだ?」
「どう、というと?」
「水道水を飲んでいる他人に対し、どう思っているんだ?」
ちょうど階段に差し掛かったところで海浬が訪ねると、玉城は突如くすくすと笑い始めた。
「単刀直入ですね」
「遠い言い回しをしたところで、どうしようもない」
さらりと言ってのけると、玉城は「そうですね」と言ってくすくすと笑いつづける。
「僕は、特に何も思ってませんよ。人それぞれに好みというものありますから」
「つまり、お前は水道水を飲んでいる者に対して、湧き水を飲ませようとはしないんだな?」
「勿論です。何で、あんないざこざが起こっているかも分かりませんし」
階段を上りながら、玉城は答える。海浬は「なるほど」と言って頷く。
(湧き水を飲んでいるとは言え、この教師のように何とも思わない人間もいると言う事か)
海浬がそう考えていると、玉城が「つきました」といいながら教室のドアを指し示す。教室内から、甲高い笑い声が響いてきた。
「どうも、お待たせしました」
玉城がそう言いながら教室のドアを開けると、それまで煩かった教室が静まり返った。中にいたのは、中年女性が三人。海浬がランダムに選んだ、湧き水を好んで飲む三人の生徒の母親である。
「こちらが編集部からいらした、蒼王・海浬さんです。蒼王さん、こちら左から後藤(ごとう)さん、野田(のだ)さん、深沢(ふかざわ)さんです」
玉城が紹介しながら、三人が順に頭を下げる。
「月刊アトラスって知ってるわよぉ。中々面白いのよねぇ」
深沢がそう言って他の二人に向かって手を振る。
「まぁ、そうなのぉ?なら、私達のことも雑誌に載っちゃうのかしらぁ?」
野田がそう言って海浬をちらりと見る。
「そうなのぉ?まっ。もっとオシャレしてくるんだったわぁ」
後藤がそう言い、三人爆笑。海浬はそのパワーに何故だか圧倒されてしまった。
「……話をしてもいいだろうか」
あっはっはと笑いつづける三人に、海浬は静かに問い掛ける。すると、玉城を含んだ四人が一斉に静まった。
「ここの学校にある、湧き水について聞きたいことがある」
海浬がそう言うと、野田が「そう言えば」と口を開く。
「うちの子が、湧き水以外は飲みたくないとか言い出したわねぇ」
「あら、ジュースとかも飲まないの?」
海浬が訪ねる前に、後藤が尋ねる。すると、そこに深沢が加わった。
「うちの子は、料理するのも湧き水がいいとか言い出したのよ。勿論、無理だからやってないけど」
「そうそう。ジュースとか牛乳とか、水を使った飲み物じゃなかったら飲むのよね」
「お茶は駄目って事?」
「そうねぇ。お宅の子は大丈夫なの?」
「うちは大丈夫よ。湧き水が美味しいって言ってるけど、特に変わったことは言ってきてないから」
「……様子が変わったとか、そういう事はないだろうか?」
会話に無理矢理、海浬は入り込む。無駄話が長々と続いてしまわぬように。
「湧き水に執着する事を除けば、あまり変わらないわ」
と、野田。
「私達にも飲めとか言い出したわ。別にいいって言うのに、ペットボトルに詰めて帰ってくるのよ」
と、深沢。
「うちは変わらないわねぇ」
と、後藤。
「……あの、僕の受け持ちの生徒に、遅刻をする生徒が目立ち始めました」
三人の母親の話に、玉城が割って入ってくる。海浬は「遅刻?」と呟きながら聞き返す。
「遅刻した理由を聞くと、水を飲みにいってきたって言うんです。それも、わざわざ湧き水のあるところまで」
「大層な事だ」
海浬が言うと、玉城は苦笑しながら「そうですね」と答える。
「すると、他の生徒が言うんです。ペットボトルや水筒に詰めて、いつでも飲めるようにしておかないからだぞ……と」
「そこまでして、常飲しなければならないものなのか?」
「どうでしょう。確かにあの湧き水は美味しいと思いますけど」
玉城はそう言って苦笑する。
(湧き水の影響が強く出たり出なかったりという差があるものの、強く出た人間は他人にも飲ませようとしたり他の水を飲まないようにする。他はほぼ変わらずに)
四人の話を、おおよそ取りまとめる。海浬は一つ頷き、口を開く。
「今日はわざわざすまなかった。話は、以上だ」
「あら、早かったわねぇ」
母親三人は「帰りにお茶でもしないかしら?」と言いながら、教室を出ていった。海浬はそれを見送ると、玉城の方を振り返った。玉城は「早かったですね」という母親達と同じ意見を言ってからにっこりと笑う。
「湧き水について、他に何かあるならば教えて欲しいが」
海浬がそう言うと、玉城は苦笑しながら「ないですよ」と答えた。
「そうそう、水源に行くならば校内を通った方が早いですよ。裏門の所から山道に入りますから」
「そうか」
海浬はそう言って、教室を後にした。階段の下の方から、三人の母親達の楽しそうな笑い声を耳にしながら。
●蓋
逆らう事など考えない。ただ落ち、ただ流される。それだけで満たされる。
玉城の言った通り、山道に入るには学校の裏門から出るのが最短のようだった。正門から出れば、遠回りになっていただろう。
『糧』
赤い葉をつけるイチョウの木の前を通った時、ふと声が聞こえた気がした。だが、それは一瞬の事であり、気付けば声があったことすらも事実であるのかどうかもわからなくなっていた。
「……気のせい、だといいんだが」
ぽつりと海浬は呟き、裏門を出る。ひらひらと風に乗った赤いイチョウの葉が、裏門近くまで飛んできているのが妙に薄気味悪い。
海浬は小さな溜息をつき、山道を歩き始める。道自体に舗装はされていないものの、歩きやすい山道である。
「……ここか」
十分ほど歩くと、少しだけ開けた場所に到着した。そこが水源地なのだろう。確かに、近い。
水源地には二つの大きな岩が上下に一つずつあった。上にある大きな岩は、間から止め処なく水が流れ落ちている。これが山からの湧き水なのだろう。それを、下にある大きな岩が受け止めていた。中が空洞になっており、流れ落ちてくる水をためていっている。更に下を見ると、水道管がついていた。これで、秋滋野高校に湧き水を供給しているのだろう。
「なるほど」
海浬は小さく呟き、そっと目を閉じた。
さらさらと止め処なく流れている湧き水は、下の岩に落ちる。水道管に入る。そして秋滋野高校へと繋がっていく。五つの蛇口を目指して。
そう想像する事により、海浬の意識は水と同化していた。水の流れが瞼に浮かぶ。頭の中に当然のように入り込んでくる。
湧き水という存在の、ありのままの姿が。
海浬は水の中にいた。
冷たく透明度の高い水は、淡い光を受けてきらきらと光っている。その中心に海浬はいたが、冷たさも濡れる感触も全くなかった。
水は海浬であり、海浬は水であったから。
まだ水道管の姿はない。最初は秋滋野高校というものは、なかったのだから。
様々な人が水を汲みに来る。ある者はタライを持って、またある者は桶を持って。力自慢は甕まで持って来ていた。
そこまでする価値が、湧き水にはあった。水は、飲めば人々の身体に染み込むようであったから。奥の方に、すうっと。
(……入り込む、か)
海浬はふと、一人の女性を発見した。彼女は毎日のように桶を持って水を汲みに来た。それも何度も何度も往復し、水を汲んでいく。
彼女の生活で使う水は、湧き水しか使ってないようであった。
(何という執着だ)
女性は水を飲み、周りの人々に勧める。人々は喜び、女性と同じように水を汲みに行く。だが、中にはだんだん面倒になって汲みに行かない者もいた。彼女はそういった人たちを叱咤する。
『どうしていかないなんてできるの?』と。
映像がぶれ、次に見たのは年老いた男だった。彼は湧き水だけを飲み、湧き水以外のものを口にしなかった。足腰を弱らせ、湧き水を汲みにいけなくなったために、亡くなってしまった。
他にも、何人かが異様なまでに水に執着を示していた。そして悉く執着し続けたまま、生命を全うしているのである。
(執着しなくなったという者は、誰もいないのか……)
あえて言うならば、最初は熱心に水を汲みに来ていたものの、だんだん面倒になって井戸水に変えていった者くらいだろうか。
ヴヴヴ、とまた映像がぶれた。古い古い水の記憶が、引き出されたのだ。
『……これは蓋』
虚ろな目をした少年だった。少年は止め処なく流れ落ちている水にそっと触れ、微笑んだ。
『蓋の中に力を溜める。……喜んで差し出された力を』
(……なんだと?)
少年はくつくつと笑い、水を覗き込む。相変わらずの、虚ろな目。
『いつしかこの蓋を開ける事があるだろう。蓋が開けば、力は流れるだけだ』
(つまり、今の湧き水騒動は、蓋を開ければ終わると言う事か……)
力を差し出させるために、水に執着させる。そして執着によって差し出された力は、少年の言う『蓋の中』に溜められていく。それが一杯になれば、力を差し出す必要はなく、また溜める必要もなくなる。
どうせ流れ出ていくのだから。
(ならば蓋を……)
開ければいいのか、と思ってからふと気付く。本当に開けていいのだろうか、と。開ける事によって力が流れ出て、何が起こるのだろうかと。
決められぬまま、海浬は考え込む。そうしていると、やんわりと水との意識の共有が途切れてしまった。
「蓋」
海浬は呟き、そっと上下の岩を満遍なく見つめた。確かに、水の奥深い所に封らしきものはあったものの、強力な結界のようなものが施してあった。開けようと思えば開けられるかもしれないが。
海浬はしばし迷い、蓋を開けなかった。深いところにある蓋をこじ開けたとしても、開けて何が起こるかが予測つかない上、湧き水への執着を本当に断ち切れるかどうかも怪しかったからだ。
(水と意識を共有し、水自体に意思があるとは到底思えないのだが……)
海浬は、少年の事を思い返す。イチョウの時に出会った少女と同じく、虚ろな目をした少年を。
「あれはきっと、同じ根本の者だ」
そう確信し、海浬はじっと止め処なく流れる湧き水を見つめた。
相変わらず冷たく、透明度の高い、永遠とも思われるほど流れ続けている湧き水を。
●結
満ちた後に訪れるのは、流出。息を潜めて待つそれは、後少しだと囁いている。
アトラス編集部に再び訪れ、レポートを提出した。
「蓋、開けなかったのね」
碇の言葉に、海浬は頷く。
「それによって起こる出来事が、予測つかなかったからな」
海浬がそう言うと、碇は至極真面目な顔をしてじっと海浬を見つめた。
「……止まったそうよ」
「何がだ?」
「湧き水と水道水の、小競り合い」
その言葉に、海浬は思わず息を飲む。「ならば」と呟くように言う。
「蓋が開いてしまったと言うのか?」
「分からないわ。もしかしたら、蓋の中身が一杯になっただけなのかもしれないし」
碇はそう言い、溜息をつく。海浬はじっと考え込んだ。
(深い所に施された、封)
『蓋が開けば、力が流れるだけだ』
少年の声が、聞こえた気がした。流れてどうなるかが見当もつかない、少年の言葉。
「流れ出した力は、何処に向かうんだろうな」
碇にも聞こえぬように、海浬はぽつりと呟いた。水面上では穏やかになった一方で活発になったかも知れぬ、奥深き所を思いながら。
<水深き場所にて開いたかもしれぬ蓋を思い・終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 4345 / 蒼王・海浬 / 男 / 25 / マネージャー 来訪者 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜水深の蓋〜」にご参加いただき、有難う御座いました。如何だったでしょうか。
このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第二話となっております。続けてのご参加、有難うございます。
一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
今回は、根本に関わるヒントを織り交ぜております。お暇な時にでも探してくださると嬉しいです。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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