■茶々さん裏道に入る■
珠洲 |
【5226】【ロゴス・―】【『不毛の楽園』の少女・闇の言葉】 |
さて。
茶々さんは基本的にマンションの外に出ない。
家事手伝いしてくれる善良な妖精さんだという事もあるし、茶々さんの世界がそれで完結している事もあるし、なによりも茶々さんが外に出ると草間興信所以外への道のりは必ず途中で外れるからである。
まあ、要するにだ。
「茶々さん何処いったー!?」
「いやあ興信所行ったと思ってたよねえ」
「坂上のおじさん呑気です」
「茶々さーん!」
男女が三名ばかりマンションの周囲を捜索中な現状はつまり茶々さん失踪中。
徹夜読書で目に沁みる朝日の下でアルバートが声を上げている。坂上と朱春については、余裕があるというか、慣れっこ過ぎてアルバート程には慌てない。
「アルバート小さい子もラブですね」
「朱春ちゃん、その言い方微妙だなあ」
「アルバートは小さい子の面倒見るの好きですね」
「うんうん」
慣れっこだ。
アルバートはこの二人の遣り取りに慣れっこだ。
いつまで経っても慣れない遣り取りはアルバートが破局した時だけである。
だから今も半眼になりつつ茶々さんを探している。いや二人にしても茶々さんを探しながらであるからして文句を言う事もないのだが、アルバートは子供好きであるので特に真面目に捜索していた。
「茶々さーん!」
その茶々さん。
気になる人を見かけて追跡中である。
知り合いとかではない。
ただ「ん?」と首を傾げる雰囲気の人であったので追跡しているのである。
だがまあ、外を知らない茶々さんは気になっても、世間一般の方々が見れば大慌てで茶々さんを引っ張り戻すこと確実な物騒な人であるのだけれど。茶々さんはまだ気付かない。
ぱたぱたとその後を追って行く。
相手が裏道に入る。追いかけて入る。
ぱたぱたとついていく。
ぬぅと影が頭上に差した。
……そりゃあ気付かない方が問題だろう。
「なんだこのガキ」
「知らねぇ」
ぱちくりと瞬きした茶々さんをいつの間にやら二人組のよろしくない御面相の男達が見下ろしていた。
「茶々さぁーん!おやつ食べるよ!茶々さーん!」
「子供好きだよねえ、うーんいない」
「茶々さん出て行くの珍しいです」
「興信所以外だと大変だねえ」
「だからもう興信所には確認したでしょうが!坂上さんも朱春ちゃんも!」
子供好きアルバート。
見た目子供な茶々さんの行方はいまだ掴めず。
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■茶々さん裏道に入る■
ビルの中に駆け込む足音は軽い。
幾らか違いはあっても二人分の足音は床を叩いても弱々しい限りのそれ。
一拍遅れて響くもう一つの足音だけが重く、人の体躯としては規格外だった。いや、それ以前に駆ける姿は幼い二人だけ。十代半ばのロゴスと十にもならない茶々さんだけだ。
気になるのかただでさえ遅くもつれがちな足を緩めて茶々さんが振り返る。
何度目かのそれにロゴスがぽつりと小さく告げた。
「……お兄ちゃん……一緒にいるから」
きゅっと即座に首を捻ってロゴスを見上げる茶々さんが「はいです」と答えた後は、再びコンクリートの床を蹴る軽い足音二つが薄く反響しては奥へと潜って行く。続く足音だけの『お兄ちゃん』も同じ。
** *** *
そもそもロゴスはただ彷徨っていただけなのだ。
この街では彼女は宿無しで、付き従う騎士であるアビスが宿を手配出来るわけでもない。いや手段を選ばず、彼が本気でそれを考えれば不可能ではないだろうけれど、ロゴスはそれほど休息場所に執着しなかった。居場所と身体を休める場所は別だ。だからその日も彼女と不可視の騎士はただ街を彷徨っていた。
それがどうしてビルの中に駆け込む状況になったのかと言えば、ふらりと入った裏道で小さな子供――実は子供どころでない年齢の妖精さんこと茶々さんに遭遇したからである。正確には、茶々さんがうっかり後をつけた男二人に、と言うべきか。どういう遣り取りがあったのかは判らないが、ロゴスが見たのは茶々さんが男達の腕から子供特有の敏捷さでもって逃げ出したところだった。
正面から走ってくる茶々さん。基本的に幼い足は簡単にもつれてバランスを崩す。
あ、と零れた小さな声はどちらのものだったのか。
突っ込む形になった茶々さんの勢いがロゴスを後ろに倒しかけ、騎士がそれを止めて支える。きっと彼にはロゴスの小さな「ありがとう」という声が何よりの褒美。意志を持った支えから慎重に体重を戻すロゴスの前で、茶々さんも同じように体重を戻して顔をあげた。
「すいませんです」
「……うしろ……お兄ちゃん」
返事よりも先に迫る男達を示し、そのまま騎士を呼ぶ。懇願の色を彼は読み取ると静かに剣をかざしたがそれは誰にも見えないままだ。剣が騎士以外には届かない高所の壁を削り取る。その鎧姿の長い腕が剣先で削ぐとなれば随分と騎士自身からは遠い。
「うわっ!」
「なんだ!壁か?」
きゅうと咄嗟に目を閉じた茶々さんの背後、男達へ器用に削ぎ落とした壁を被せるアビスの剣。
ロゴスの目の前には微かな気配。それは彼女に壁がぶつかる事の無いようにと翳された彼の腕だった。
男達が直接害されなかったのは、ひとえにロゴス自身に対して害意を持っていたわけでは無いからだ。けれどそんなこと男達には解らない。解るのは、突如降り注いだ外壁の欠片に足を止めている間に自分達の後を付回していた鬱陶しい子供と、その子供がぶつかっていた少女が居なくなった事だけ。
「チクショウどこ行ったぁ!」
「ふざけやがる」
冷静になれば別に子供一人の事だ。むきになる必要も無かったのだが、基本的にこの手の人種は血が昇りやすいのかもしれない。微妙な巻き舌で怒鳴りつつ周囲を見回して男達も駆け出した。
そうしてビルの中までついつい一緒に走って逃げてしまったロゴスと茶々さんなのである。
けして体力に恵まれている訳ではないロゴスが何度か浅い呼吸を繰り返してから深呼吸。
茶々さんは平然とした様子でロゴスと、ロゴスの背後を見比べては怪訝そうに首を傾げていたが目が合うと恥ずかしそうに顔を伏せた。遠慮がちな上目遣いでロゴスを見る。ロゴスも騎士以外には酷く臆病だ。茶々さんと同じように、落ち着かない様子で視線を彷徨わせて、それがどれだけ続いたのだろうか。
「茶々です……」
「……ロゴス……お兄ちゃん、アビス」
たったそれだけの遣り取りに辿り着くまでぎこちなく唇を動かしては、閉ざし、相手を窺い。
ようやく名乗り終えた二人が僅かに頬を緩める。名前を挙げられた時だけちらりと姿を滲ませた騎士はまたすぐに見えなくなっていた。気配だけが有るのに不思議そうにする茶々さんと、それを見るロゴス。
二人の肩が揺れたのは微かに響いたガラが悪いとはっきり解る声のせい。
『――って、どこ――』
『クソガキが――っちの――』
それなりに奥に位置する部屋まで走って来たのだが、勘が良いのか男達の声がじりじりと迫る。
うーとか洩れた声は茶々さんだ。当人は見慣れない――チンピラ的な輩には基本的に縁が無い所為だ――雰囲気の人間についつい付いて行ってしまっただけなのに今こうして追われて困惑している。ロゴスに至ってはそもそも追われる理由が存在しない。
「困ったです」
「……大丈夫……」
一緒に逃げた仲、と言って構わないのだろうか。
しゃがんで困ったなぁとアピールする茶々さんに遠慮がちにロゴスが声をかけた。
「お兄ちゃんが……やっつけてくれるから」
「お兄ちゃんですか?」
うん、と聞こえるか聞こえないか、ただでさえ小さな声を更に小さく出して返す。
「……お兄ちゃんが、皆」
「殺しちゃだめです」
ロゴスの言葉を制するかのようなタイミングで妖精が言うのに思わず真っ直ぐに視線を向ける。すぐにそれをずらしながら「どうして……?」と微かに問うた。お兄ちゃんはいつだってロゴスを守ってくれる。それなのにどうしてお兄ちゃんがやっつけちゃ駄目なの、と。
言いたい事は一つとして声にならず、そのロゴスに茶々さんがきゅっと首を傾げて見せた。
「ここは、へたに殺すとすぐに捕まったり追われるぜ、って」
誰の言葉かは知らないが、茶々さん自身が以前聞いた言葉からそう言ったらしい。
そう、と同じように首を傾げてみせたロゴスがしばし思案する。
捕まる事は、お兄ちゃん――騎士アビスが守ってくれるから有り得ないけれど、この街で居場所を探し始めてまだ日も浅い。もしかしたら何か今までの彷徨と違う事があるような気もする。だとしたらあんまり「やっつけちゃう」のも不味いかも、とそこまで考えた所で遠かった靴音は一つ二つ離れた扉を開いて確認していると気付く。
「気絶じゃだめですか」
「……気絶、でも……いいと」
「じゃあ気絶にするです」
こっくりとロゴスが頷く。つられて提案した茶々さん自身もこっくり頷く。
二人の傍をアビスの気配が移動して扉の脇でまた僅かに滲んだ。
「ここはどうだ?」
「ったくなんだってんだあのガキ共」
「メンドクセェことさせ」
やがって、と言いかけて踏み込んだ男達は頭上に差す影に気付いて、そして眼前に迫る鎧姿の腕を見てそれから。
おそらく男達は自分達の顔面を掴んで持ち上げた腕を鎧のそれだとは解らなかっただろう。
ロゴスは見た。いつだって自分を守ってくれる『お兄ちゃん』が裏道から追いかけてきたらしい男二人を簡単に頭を掴んで絞めたのを。本来なら剣を一振り、それだけで終わる筈がロゴスが茶々さんと会話していたのを聞いていた彼は律儀に穏健策を選択してくれた。
掴み上げた二人の頭を壁にぶつける。ここでも彼は勿論手加減。
ごつん、と盛大に響くのが何度か続いて男達は綺麗に意識を失ったのである。
** *** *
「ロゴス、どうして居たですか?」
自己紹介こそやたらと手間取ったけれど、ビルの中まで一緒に逃げた仲だ。
一度話せばもう平気、とまではいかなくとも多少は怯えも取れるというもの。
そういうわけで、アビスがのした二人組を部屋の隅に転がした茶々さんの声。大きな金色の瞳が見上げるのを怖れるように、微かに視線を逸らしながら顔を向けてロゴスが答えて曰く。
「迷子……」
逸らした視線の先で顔に見事な手形をつけた男達が昏倒していたり。
「迷子ですか?」
控えめな頷き。それをじっと見ている茶々さんがぴょっと肩を弾ませたのは声が聞こえたからだ。
ロゴスにも微かに聞こえた声は、近く遠く、多少前後しながらもビルへと近付いて来ている様子。
「アルです」
「……アル……」
「はい。ロゴスも来るです。迷子帰るです」
「……帰る、場所……は」
思わず振り仰いだ先に、今は現れたままの騎士の姿。思わずその手に触れると、ゆっくりとけれど確かに握り返す感覚がある。それに安堵してロゴスは茶々さんを見た。
「ロゴスは……お兄ちゃんと、一緒」
「アビス一緒に来るです」
恐れ気無く茶々さんが指で騎士も示すのに何度か唇を開閉して、またロゴスはアビスへと顔を向ける。
……どうしよう。
大して知らない相手の誘いは、そもそも人に慣れないロゴスには判断以前の問題で決断するのにも大層勇気が必要だ。アビスを見、茶々さんを見、時々は転がる男達も見。どうしようと困惑するロゴスの耳にまた誰かの声が。
「茶々さぁーん!」
「アル来るです」
重ねて茶々さんが「はよ決めれ」とばかりに言う。
胸の前で細い手を握り合わせてロゴスはただ、どうしよう、と戸惑っていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5226/ロゴス/女性/14/『深淵の書』の少女・闇の言葉】
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■ ライター通信 ■
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・はじめまして。ライターの珠洲です。一緒に帰ってマンションにお泊りなりしたかはお任せ致します。
・口調が口調でしたので、礼儀正しい語尾が常に消える感じになりました。迷子な二人の場面というよりは、茶々さんに巻き込まれた迷子なロゴス様というお話です。騎士は……気絶させる辺りがちょっと想像するとそぐわないかなぁと思いつつ殺人は無しで通してます。直接危害はまだ加わってないから!という事で。お話に参加して下さいまして、有難う御座いました。また茶々さんと会った時にはミルクなりご馳走して貰って下さいね。
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