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■シェイプチェンジ■

珠洲
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 珍しく本人が来たな、と思った。
 草間的には危険人物に目一杯分類されるピンクな女子高生が。
「じゃじゃーん!マシュマロ!」
「おいしそうですね」
「でしょ!自信作なの!」
「朝霧ちゃんの手作りですか?」
「うん。やっぱりこういうアイテムは自作しかないしね」
「凄いですね」
「ありがとーもっと誉めてもいいぞ」
 例えば、手作りという時点で危険性に気付けと零にいくら言ったところで無駄なのだ。
 何故だか妹はあの魔女志望娘と仲が良く、しばしば草間にトラブルを持ってくる側に回る程であり。
(俺は関わらんぞ。関わるものか。何も聞くもんか)
 ……まあ、草間武彦のこういう願いはまず叶わないあたり、あるいはアトラス編集部の某三下氏と共通する不運があるのではなかろうか。当人の自覚の有無はともかく。
「所長さんは食べる?食べるよね?はい」
「いらん」
「はい。おいしいぞー」
「だからいらん」
「自信作なのさ!」
「だから」
「えい」
 小娘が群れるとあるいは草間のペースは乱れまくりなのだろうか。
 零が一緒になってしまった時点で彼は逃げるべきだった。
 開いた口にマシュマロを放り込んだのは朝霧ではなく零だったのだから。
 目を剥く草間の前で、チェシャ猫のように笑って朝霧が自分もマシュマロを食べる。そこで今回はまともだったのか、と安堵して口中のその菓子を同じように飲み下して、そうして。

「可愛い?可愛いでしょ?」
「凄く可愛いです朝霧ちゃん」
「自信作だもん!あたしは猫ね!」
「ピンクな猫がどこにいるかぁ!」
「所長さんの前にいるよーん」
 ぱたぱた尻尾を振ってこれみよがしにのびもして。
 おもむろに縮んだ視界と見下ろした身体の毛深さが、結局まともじゃなかったマシュマロの被害なのだが、草間の嘆きもなんのその、いまやピンクの毛並みの猫となった朝霧が目を輝かせる零と会話している。
 言葉、話せるんだ。まだマシなのかしらん。
「お前いい加減俺を巻き込むのやめろ!他のヤツなら俺も何も言わんから!」
「だって所長さん面白いし!」
「おも……っ!」
「いい年なんだから彼女の一人二人捕まえさせてあげたいしぃ」
「……余計なお世話だ。それ以前に、どうして女捕まえるのがこういう事になる」
「まあ今回はアレよアレ」
「わかるか」
「んもう。だって動物になってお姫様が助けるのって基本でしょ?」
「ま、またか!」
「普通に抱っこしても和むじゃない?ほら戻った時に『あの動物がこの人なのね』とかって感動に」
「震えん」
「そう?」
「さあ……可愛いとは思うんですけど」
「だよね」
 だめだ。
 この小娘が絡むと零までもがむしろ危険だ。
 ぱたりと力なく尻尾を下げて、草間はもそもそ応接ソファへと向かう。なんだか力が抜けるともうどうでも良くなったのである。ぐったりソファにもたれて耳を動かしてみた。
 あー動く動く。本気で動物だ俺も。
「で、これはいつ解けるんだ」
「さあ。適当に時間経ったら解けるよ」
「……そうか。また解毒薬無いんだな」
「だってあたし今暇だし」
「俺は暇じゃないんだが」
「お仕事今無いから大丈夫ですよ、お兄さん」
「…………ありがとう、零」
「あはは、トドメだね」
 けたけた笑うピンクの猫なんて見たくないやい。
 脱力しきって草間はそのまま瞼を下ろした。
 いいや。とりあえず寝ちまえ。
■シェイプチェンジ−お部屋拝見−■



 翻訳の仕事も片付けた。
 事務所の仕事も一区切りつけたし、休みも三日間貰った。
(――よし)
 気合を入れるかのように、普段より二割増し景気良く閉じられたファイル。
 その音に草間武彦が顔を上げた。
「じゃあ武彦さん、きちんとご飯食べて、煙草は吸いすぎないで、ね?」
「わかってるさ」
「だといいんだけど。零ちゃん、武彦さんをお願いね」
「はい」
「……俺はそんなに信用無いのか」
「こと煙草に関してはね」
 笑って返すとシュライン・エマは荷物を手早くまとめて立ち上がる。
 草間兄妹に見送られて事務所を出る彼女は明日から――猫になるのだ。


** *** *


 少し前、興信所に程近いマンションの住人作のマシュマロによって草間武彦と他若干名が犬猫になるという騒ぎがあった。
 幸い、というか、シュラインはその直後に帰宅した為に犬と化した草間に遭遇こそすれ直接の被害は免れたのだけれど。
(でも、実の所猫になってもみたかったのよね)
 そんな気持ちがもやもやと消えないまま残り、更に以前に同住人による別被害の折に訪れて迷惑をかけた動植物についても気に掛かっていたし、更に更に「ご自由にお使い下さい」とマンションの鍵を貰ってしまったので他の部屋も見たく……つまりは結局猫になって見て回ろうかと、そう考えた次第である。
「翻訳の仕事はしばらく大丈夫。事務所も必須書類は片付けたから三日程度は問題無し……冷蔵庫の中は零ちゃんが見てくれるでしょうし、コーヒーは買い足したばかり、ええと煙草はむしろ足りない方がいいかしら」
 指折り確認しつつ、渋い顔で煙草を探して抽斗を開け閉めする草間の姿を想像して少し微笑む。
 歩く速度は変わらないまま、季節に合わせて手土産のモンブランを掲げたシュラインがマンションの一室に顔を出すのはすぐだった。


「わあ!おいしそう!」
 目を輝かせるピンク色の髪の女子高生が過日の騒ぎの原因たる魔女志望娘・塚本朝霧である。
 変身甘味であるところのマシュマロと交換に渡した手作りのモンブラン。非常に喜ばれてシュラインとしても気分が良い。
 そんな状態で、おもむろに受け取ったマシュマロを一つ。
「普通に作ればこれ、随分と好評でしょうに」
「ノンノン魔女志望たる者、普通にアイテム製作じゃ駄目ですから!」
「……そう」
 彼女なりのポリシーでもあるのだろう。
 深く追及せずにいると、じきに視界が一瞬暗く閉ざされて戻った時には寝転がっているのかと思う程の視点の低さ。
 たし、と床につかれた足は先程までの靴底とは異なる感触を伝えて来る。
「……」
 たし、たしたしたし。たし。
 独特の、クッションがどうのと宣伝する靴とも違うだろう足裏の感触にしばし前足を見るシュライン猫。
(服のまま変身というのも凄いわ)
 たしたし、たしたし。
 なんとなく歩いてみたりもする姿をにこにことモンブランを皿に移しながら朝霧が見下ろしている。
「やっぱ髪の毛つやつやだと毛並みもつやつやなんですね〜」
「あらそう?ちょっとよく判らないんだけど」
「上から見るといい感じにツヤ出てますよ?」
 イコール髪も誉められたと気付いて、少し誇らしいというか気恥ずかしいというか。
 ともあれしばらく猫状態の動きを確かめてみてからシュラインは朝霧の部屋近く、以前にとある解毒剤材料確保の為に訪れた部屋へと向かったのであるが。
「迂闊だったわね」
 見上げるドアノブは遠い。そして鍵穴も。
 マンション大家なる人物(かどうかは定かではない)から送られた鍵は、きちんと首から提げているのだがどう考えても鍵穴には――届かない。朱春にまた手間をかけさせるのも悪いからと猫になって部屋に入る事も計算の中にあったのだが、これでは意味が無いではないか!
 非常識マンションなのにノブや鍵穴が動かないなんて。
 ぱたんぱたんと尻尾を揺らしつつ、そんな風にまで考えたシュラインのその気配に反応したのかは不明だが、するすると遥か上方にあった鍵穴が目の前で水滴のように下へと滑り降りると猫にちょうど良い高さで止まった。
「……凄いわ。優秀と言うのかしらこれも」
 生粋の猫ではまずしない、両手で鍵穴と一緒に下りてきたノブを回してみる。
 抵抗無く回り、ふとこの部屋開け放しておいていいのかしらと思いながら隙間から入り込んだ。わりとどの部屋も開いたままでも意外と危険物出現等の危険は無さそうに思えるのだが、さてどうだろう。
 地面を踏む感触も新鮮に、猫の見る世界を堪能しながら一度朱春と一緒に入った室内を歩く。高さが違えばまるで見慣れぬ風景で、その中をほてほてと肉球が音を消して後には微かな足跡ばかり。その頭上にのそりと差した影には思い当たるものがある。ひらひらと揺れる細い影も認めたシュラインが見上げた先には無論、以前に朱春が力技で皮を剥ぎ引き千切った木と蔦のコンビ。
 無言で蔦を揺らして傾く樹木をこれまた無言で確認するシュライン。
「うん。別に剥がれた所から妙な事にもなっていないわね。虫でもついちゃったり病気になってたらどうしようかと」
 動物って素晴らしい。
 猫って素晴らしい。
 反射神経って素晴らしい。
 鞭のようにしなった蔦がシュラインの居た場所を削る。意識するよりも先に動いた身体に感心しながらそのままシュライン猫はひょいひょい木の根を飛び越えて奥へと向かった。「どうしようかと思ってたけど無事で良かったわ」と言う前に攻撃されてしまったあたり、あるいは何処かで記憶していたのだろうか。なかなかに興味深いが危険を冒す程でもないか、と次の目的地へと駆ける。筋肉が撓み、張り、熱を身体に満たすのを感じながら尻尾までぴんと伸ばして駆ける黒猫。
(気分転換にはいいかもしれないわこれ)
 犬になった草間の世話をして和むのも、自分が猫になって駆けたり寛いだりするのも、どちらも良さそうだ。
 以前と同じく光を反射して眩しい水面が見えて来る。足を緩めて水辺に寄った先では相変わらず素晴らしい速度で泳ぐ魚達。
 ぱた、と尻尾を一振りして端座、というか猫のあの前足を揃える座り方。
 眺めても狩猟本能を刺激されたりしないあたり、朝霧のアイテムは性能自体は優れ物なのかもしれない。ただ彼女の気質なのか才能の歪みなのかこのマシュマロにしても変身時間がまだ半端なままだと言うし、以前巻き込まれた若干名が確か「猫の言葉は無理」だとも言っていた。
「ちょっと頑張れば魔女になれそうだけど……志望、というのが実は彼女にはポイントなのかしら」
 傷ついた魚も見当たらない。速度が他に劣る魚も居ない。どれもが気持ち良さそうに水中を泳ぎ回っている。
 それを見ながらふと考えたり。尻尾が時にぱたぱた踊る他はただ水面を覗く黒猫。飛び散る光とあいまって、写真なり絵画なりにすると美しかろう。生憎と見る者は居ないので実現はしないが。
 シュラインが二度三度、試しに前足の先を水面に突っ込んで魚が急ブレーキみたいにして移動するのを見た以外は特に何事も無く、この部屋では最後の目的地であるところの畑へと向かう事にしたのは水面を揺らす光に目が疲れてきた頃。
 再びたしたしてちてちと肉球をひやりとした地面につけて進む。
 屋内だというのに明らかに屋内になっているこのマンションの一室については深くは問うまい。
 明るい空の色に秋めいてきたわね、と西洋風味の屋外もどきを歩きつつヒゲを揺らした。畑の近くにはマンドラゴラもどきな植物捕獲ように作った土壁があった筈だけれど誰が片付けたのやら影も形も無く、ただ広々とした大地に見覚えのある葉、葉、葉。近付けば動き出す事確実なマンドラゴラもどきの葉だ。
 猫なら大丈夫かしら、もう少し近付いてみようかしら、とそろりと伸ばした前足が地に下りた途端に直近の葉が不自然に揺れたのを見て慌てて退がる。土が盛り上がってあと少し遅ければきっと以前見たままの人型した根っこが現れていた事だろう。
「――とりあえず、酷い事になっているのも無くて良かったわ」
 誰の仕業か土壁も無くなっているし、と付け足して猫のしなやかな身体を反転させると再び元来た道を歩き出す。
 ぴんと立った尻尾がかすかに先端だけを躍らせて遠くなるのを、よく晴れた空だけが見送っていた。


** *** *


 床近くからのノックというには柔らかな音に首を傾げつつ草間零が扉を開けるとそこには見覚えのある色彩の瞳。
 つややかな黒猫が青い瞳を煌かせて彼女を見ている。
「ただいま零ちゃん」
「おかえりなさいシュラインさん」
 にっこり、驚く様子も無く零が今はしなやかなシルエットの猫となったシュラインを招き入れると、書類相手に唸っていた草間が口を開けて固まっていた。帰ったのか、と言いかけて止まったのだろう。
「ちょっと猫になってマンション見てきたわ」
「まさかとは思ったが」
「じゃあこれがその鍵ですか?」
「ええ。猫だと少し首に辛いわね」
 身動きする度に鈍く光るいささか古い形の鍵。
 折角だからとそれを使う部屋を見定めに回ったのだが――一度使えばそこの部屋専用になるとの事で、無用心に開いている何室かを参考に見てきたのだ。決定するには至らず、まだ鍵は何処の部屋の物でも無いのだけれど。
「広さは申し分無いわよ。処分に困る物を片付けるにはいいんじゃないかしら」
「消えるだろうが」
「だから処分なんですよお兄さん」
「今度見に行きましょう。安全な部屋を探してみればいいんだし」
 ね?と猫の姿のまま机椅子の下から見上げてシュラインが言うのに草間はしばらく不貞腐れたように『怪奇ノ類 禁止!!』と書いた貼り紙を眺めていたが「そのうちにな」と言ってパートナーの咽喉元を遠慮がちに撫でた。机の上に抱え上げる事も忘れない。
「安全危険があるのが問題じゃないのか?」
 それでも小さく溢しながらの彼に、零と一緒にシュラインがそれに笑いながら。
 ぱたりと尻尾がひとつ、ゆるやかに揺れた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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 周囲に迷惑をかけないように仕事を片付けてからという大人な対応、ありがとうございます。ライター珠洲です。
 相変わらず草間興信所に始まり草間興信所に終わるシュライン様のノベルですが、お部屋拝見はこういう感じとなりました。肝心の拝見場面はありませんけど……改めて草間氏引っ張ってお部屋拝見などされていると楽しそうだなとなんとなく思います。きっと朝霧が「ラブだわ!」と大喜びするかと。
 あと個人的には猫になった状態で前足使ってノブ掴んでる場面なんか和みにいいんじゃないかと思ったり思わなかったり思ったり!
 ともあれマシュマロに挑んで下さりありがとうございました。猫ライフをしばしお楽しみ下さいませ。