■とまるべき宿をば月にあくがれて■
エム・リー |
【4790】【威伏・神羅】【流しの演奏家】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。
彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。
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とまるべき宿をば月にあくがれて ―弐―
田辺に手を引かれて連れて来られたのは、四つ辻の傍にある崩れかけた家屋だった。
それは一見すれば人が住めるような棟では無く、半壊して朽ちかけた――ともすればいとも簡単に崩れ壊れてしまいそうなものだった。
神羅は田辺に手を引かれたままで家屋の前に立ち、しばし呆然と見渡した。
「そなた、私を斯様な場所へ連れ込むつもりか?」
半ば呆れたようにそう問うが、然し田辺は既に戸板に手を掛けてそれを引き開いていた。
「心配すんなって。ここは、俺の馴染みの店でな」
「……店?」
問い返す。立てつけの悪そうなその戸板は、少しばかりがたがたと軋んだ後、すらりと呆気なく開かれた。同時に、それまでの薄闇をぼうやりと照らす灯りが漏れて二人を包む。
戸板の中は、見れば確かに二人の他にも客の姿等が確かめられた。無論、客とは云えヒトではない。どれも此れもが妖怪なのだが。
「おんやあ、田辺殿がおなごを連れてくるなぞ、珍しい事もあるもんだのう」
冷やかしともとれる声が二人を迎え、それを囃し立てるような声がそれに続く。
「うぅるせえっつうの。ほら、おまえら邪魔だ、どけどけ」
漸く神羅の手を離すと、田辺はその店の中を慣れた動きですり抜けていく。
神羅は暫し戸板の前に佇んでいたが、思い出したように田辺を呼び止め、態と眉根を寄せて言葉を掛けた。
「ちょ、ちょっと待て、田辺! そなた、解っておろうな?!」
「……ん?」
首を傾げて小さく笑う田辺に、神羅は続けかけた言葉を一瞬躊躇して飲みこんだ。が、意を固めて告げる。
「今宵の酌は特別だからの。ようく頭に叩き込んで、有り難く思うのじゃぞ」
妖怪達が囃し立てる。神羅はそれを睨みつけるように一瞥すると、もう一度田辺の顔を確かめた。
田辺はと云えば、いつも通りに余裕を浮かべた表情で笑い、
「あー、はいはい。解ってるから、とっとと入って来いよ」
顎髭をわしわしと撫でつけている。
「本当に解っておるのか? 私はそもそも」
「人に酌なんかしねえ、だろう? 解ってる解ってる。墓まで大事に持っていくから」
ひらひらと手を動かして自分を手招いている田辺に、神羅はぐうと唸って口を閉ざした。
店の中は確かに手狭な作りではあるが、半壊した外見とは裏腹に、中は存外確りとした作りが成されているようだ。
視線を上げれば、茅葺の藁が行灯に照らされ影を落としているのが見える。
並べられているのは木製の椅子。端の方には二畳分程の畳の間が広げられ、その上には鳥女が赤子を寝かしつけていた。
椅子の他には机のようなものが二つ。木箱か何かをそのまま置いて使っているようなそれの上に、徳利やら湯呑やらが入り混じって並んでいる。
「神羅」
名を呼ばれ、田辺を探す。妖怪共の中にあっては少しばかり場違いとも思える黒衣の男は、既に椅子に腰をおろして徳利を片手に揺り動かしていた。
囃し立てる妖怪達の間をすり抜けて田辺の横で足を止める。
「そなた、」
神羅を置いて先に店の奥で落ち着いている田辺を見遣り、不平を口にしようとしたが。
「ここの店の陶器は全部店主が焼いたものでな。無骨なもんもあるけど、案外味があって、俺は好きなんだよ」
田辺の顔は珍しくくしゃりとした笑みを浮かべていて、神羅は開きかけた口をふうと閉ざして溜め息を吐いた。
「……本当に、今宵限りじゃぞ」
溜め息混じりにそう呟いて、田辺の手から徳利を奪い取る。
見れば、成る程。確かに、手にした徳利もお猪口も、少々歪な形をしてはいる。が、田辺の云う通り、何処かしっくりと手に馴染むような懐かしさも感じられるのだ。
田辺が手にしているお猪口に酒を注ぐ。蜂蜜色とも映るそれを並々と注ぎ入れると、神羅は自分のお猪口にもそれを注ぎ入れた。
「そういえば、おまえと一緒に酒を飲むのは初めてだったな」
「そうじゃの。ふむ、しかしそなた、酒は飲めるのか?」
にやりと片眉を吊り上げて笑んでみせるが、田辺は特に気を悪くした風でもなし、酒を一息に空けた。
「まあ、大抵のもんはいけるかな。そういうおまえはどうなんだ? 案外下戸だったりしてな」
くつくつを喉を鳴らす田辺を一瞥し、神羅も亦お猪口を一息に空ける。
「……そなた、誰を下戸じゃと云うておるのじゃ?」
小さく笑い、空になったそれをひらひらと揺らす。
二人の遣り取りを周りで見ていた妖怪達が、囃し立てて盛り上げる。
「おうおう、いっそ二人の内どっちが下戸がはっきりさせちゃあどうだい」
「いんや、いんや。この店ン中で、誰が一番酒好きか、この際だ、はっきりさせておこうや」
「そりゃあいい! 大将、酒をあるだけ出してくれい!」
二人の思惑など意に介さずに、妖怪達は我先にと酒を飲み出した。
神羅は、思いがけずに盛り上がり出したその場を見遣り、しかし驚く様子も見せず、にやりとした笑みを浮かべてみせる。
「――――ほう、面白い。どれ、特別に相手をしてやろう」
すうと眼を細めれば、横に座っている田辺もまたにいと笑みを滲ませた。
「酔っ払って帰れなくなっても知らねえぞ」
「ふん、そなたこそ、明日の朝、二日酔いなぞという無様を見せぬ事じゃな」
軽口を返すと、神羅は空になった田辺のお猪口に酒を注ぎいれた。今度は先程よりも並々と。
一時間程はそうしていただろうか。二人のペースに負けじと杯を空けていた周りの妖怪達が、一人、また一人と酔い潰れ伏していくのを横目に見遣り、神羅はちらと田辺を確かめる。
田辺は顔こそ赤くなってはいるが、潰れそうな程には酔ってはいないようだ。
神羅は薄い笑みを浮かべつつ、態とらしいしななど作って田辺の杯に酒を注ぎ足した。
それから再び時間が流れ、酔いのまわった妖怪達は、気分善く都都逸などを唄い始めていた。
――赤い顔してお酒を飲んでェ 今朝の勘定で青くなるゥ
ひやひやと笑いながら一頻り唄うと、その魑魅共もぱたりと伏して寝息をたてた。
店の中を灯す行灯の火影がゆらゆらと風に揺れている。
「ハハハ。お客さん、お酒強いんですねぇ」
酔い潰れ寝入ってしまった妖怪達の間を歩き、店主であるらしい和装の男が神羅に向けて笑みを浮かべた。
「お酒はなんでもいけるんですか?」
問われ、神羅は徳利を揺らし持ちつつ頷いた。
「まあ、それなりにの。ああ、しかし洋酒はあんまり好かんかのう。私はやはりこの酒が一番美味う思うが」
「ここで出しているお酒は、まあ大抵のモンはありますけど、お客さんに振る舞ったそれが一番のお勧めですかねぇ。古酒なんですよ」
穏やかに笑いながら、男は杯の片付けついでに寝入っている客達に薄い肌掛けをかけていく。それは神羅の隣で眠りこけている田辺の上にもかけられた。
「――ふん、田辺め、云うほども無いのう」
勝ち誇ったように鼻先で笑い、田辺の手が握り締めたままのお猪口をひょいと取り上げる。
「ハ、ハハ。田辺クンもかたなしですね」
店主はそう笑いながら、さげてきた陶器を盆に載せ、店の奥へと姿を消した。
店主が姿を消すと、そこには寝入っている何人かの妖怪達と、そして田辺とがこぼす寝息ばかりが静かに充ちた。
火影がゆらゆらと揺れて静寂を包み、板張りの壁を通って入りこんでくる風がかたかたと小さな音を響かせる。
神羅はしばしその静寂の中で一人杯を空け、田辺にかけられた肌掛けの位置を軽く直した。
酒の残りがなくなったのを知ると、空になった徳利をひらひらと揺り動かしながら、ふうと小さな息を一つ。
「……確かに、こういうのも、偶には悪くはないのう」
一人ごちて呟き、眠る田辺の髪を一房撫でつける。
ついて零れたのは、知らず浮かんだ小さな笑み。神羅はその笑みを隠す事もせずに、頬づえをついて眼を細める。
秋草の 東の野辺の忍草
しのぶ昔や古へぶりに
住みつく里は夏をひく 麻生の山の谷の戸に
不意に口をついて出たのは、唄いなれた長唄だった。ちらと横を確かめてみるが、田辺の起きてくる気配は一向に感じられない。神羅は腹の底で安堵の息を吐くと、再びゆったりと唄を続けた。
夜風がかたかたと壁を鳴らし、行灯の灯が小さく震える。
ふうと唄い終えて睫毛を持ち上げると、神羅は満足そうに頬を緩めた。
――――と、小さく手を叩く音があがり、神羅は心持ち驚いてそちらに目を向けた。拍手をしていたのは、隣で眠りこけていたはずの田辺だった。
「いつから起きていた?」
訊ねるが、田辺は答える代わりに肩を竦めてみせるばかり。
神羅は、思いがけず自分の唄を聴かれた事に、少しばかり顔を赤く染めて眉根を寄せた。
「善い声だな」
田辺はそう返して小さく微笑み、ポケットから取り出した煙草にぽつりと小さな火を点けた。
「……そなた、煙草を嗜むのか」
「ヘビーではない程度にな」
口の片側をにいと吊り上げて、田辺は神羅に笑みを向ける。
煙が一筋宙に舞う。
神羅はその煙が宙の中に失せていくのを見遣った後に、ふいと顔を背けて店主を呼んだ。
「主、主! もっと酒を頼む!」
「ちょ、おまえまだ飲むのか?」
驚きに少しばかりむせている田辺を横目に、神羅はむうと口を結ぶ。
――――狸寝入りなんぞしよってからに。
そう呟きながら、店主が運んできた酒を再び一息に飲み干した。
それから、どれ程の刻が流れたか。
酔い潰れ寝入っていた妖怪達がぽつりぽつりと起き出して、頭を抱えつつ家路へと着くのを見送って、神羅はようやく杯を置いた。
隣には、最早呆れたように神羅の飲みっぷりを眺めている田辺の姿がある。
「なんじゃ、田辺。そなた口程にもないのう」
ニイと笑ってそう述べながら、神羅は店主に笑みを向けた。
店の外に出る。大路は変わらず薄闇に包まれていた。
「現世はもう朝ですよ」
店の外まで見送って出て来た店主に礼を残すと、神羅は揚々とした足取りで歩みを進めた。
その後ろを、田辺が頭を抱えながらついて来る。
「ふん、不様じゃのう、田辺。二日酔いとは」
鼻先で笑う。田辺は神羅を睨みつけるように一瞥したが、やがて唸り声をあげて大路の上にしゃがみこんだ。
神羅はしばし足を止めて、漆黒ばかりが広がっている空を確かめた。
さわさわと流れる風が大路を横切り、神羅の髪をふうと梳く。
「さあ、帰るとするか、田辺。酒ばかり飲んだからか、ちいとばかり腹が減ったのう」
軽い伸びをしつつそう告げる。田辺はしゃがみこんだ姿勢で神羅を仰ぎ、
「おまえ、まさかこれから菓子を作らせる気じゃ……」
驚きに目を見張っている田辺に華やかな笑みを浮かべてみせると、神羅は再び歩みを進めた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】
NPC:田辺・聖人
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■ ライター通信 ■
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続けてのご発注、まことにありがとうございました!
今回は前回とは少し空気を変えまして、どっちが下戸か対決をしてみました(笑)
が、圧勝でしたね、神羅さま(笑)。
今回は田辺の、実は煙草吸うんですな面を書いてみました。菓子職人だからどうしようかと思ったんですが、まあなんていうかその辺はお約束な設定というか。
いつも田辺と遊んでくださって、ありがとうございます。
よろしければまた今後ともよろしくお願いいたします。(深礼)
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