■蝶の慟哭〜水深の蓋〜■
霜月玲守 |
【5698】【梧・北斗】【退魔師兼高校生】 |
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
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蝶の慟哭〜水深の蓋〜
●序
体の内を流れるものは、生の証か、幻か。
秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
高校で使われる水は、一部山の湧き水を使っている。清らかなその水は、水道水に比べて断然美味しいと、生徒たちの中でも評判となっている。
その水を巡り、校内で妙な闘争が起こってしまった。
湧き水を好んで飲んでいる生徒たちの一部が、突如水道水しか飲まない生徒を襲ったと言うのだ。
教師は生徒たちを呼び、話を聞いてみることにした。
「あいつら、薬を飲んでるようなもんじゃん。俺は、それを心配して止めてやってるんだよ」
湧き水を好む生徒たちは口々にそう言い、自らの正当性を説いた。一方、水道水しか飲んでいない生徒は生徒で、それは心配という事からは程遠かったと断言する。
「水道の水を飲んでたら、いきなり掴みかかってきやがったんだ。大きなお世話だっつーんだよ」
教師達は、とりあえずその場は二度とそのような事でもめないように注意し、終わる事にした。
だが、闘争が終わった訳ではなかった。否、それ以上に酷くなっていたのだ。
湧き水を好む生徒たちの一部に、何か問題が起こっているのではないか、と教師達は考えた。変わったのは、明らかに湧き水を好む生徒たちだったのだから。
かと言って、尋ねても何も核心に触れる返答は得られなかった。湧き水を調べても、特に変わったものは何も無かった。
そうしている間にも、原因不明の静かなる闘争が、じわじわと広がりつつあった事にも、教師達は気付かないのであった。
●始
蠢くものは、何者か。知らず知らずに得し者か。
梧・北斗(あおぎり ほくと)は、突如鳴り出した携帯電話に気付き、発信相手を確認した。
「え?なんだろう」
発信相手は草間だった。最近、よくかけてくるなと心の中で呟きながら、北斗は通話ボタンを押して「もしもし」と答えた。
「今、大丈夫か?」
「大丈夫だったら、こうして出て無いと思うんだけど」
「いや、そうじゃない場合だってあるんだぞ?」
「俺の場合はないよ」
さらりと北斗が言うと、草間は小さくうなりながら「そうかもしれないが」と言った。電話の向こうで軽く頭を抱えている様子が容易に想像でき、思わず北斗はにやりと笑う。
「あー俺、悲しいな。武彦は俺の電話の出方を把握してくれていると、期待して思っていたんだけどなぁ」
「……ちょっと待て。なんだ、それは?」
(焦ってる焦ってる)
笑い出したくなるのをぐっと堪えつつ、北斗は続ける。
「俺の期待は綺麗に消えさった訳だ!他でもない、武彦によって」
「ええい、言いすぎだ!」
電話の向こうで、草間が叫んだ。そしてすぐ後に「あ、ごめん」と言っていた。興信所内にいるであろう零に、不思議がられたか怒られたかしたのだろう。北斗はその様子を思い浮かべ、堪らなくなって笑い出した。
「お、お前……やっぱりわざとだったんだな」
草間が悔しそうに言った。北斗は「まあまあ」と草間を嗜める。
「それよりも、俺に用事があったんじゃないのか?」
北斗の問いに、草間は「あ」と気付く。北斗の会話に熱を入れすぎて、本来話そうとした内容が飛んでしまっていたらしい。
「秋滋野高校、覚えているか?」
草間の言葉に、北斗は浮かんでいた笑みを収めた。
「……また、何かあったのか?」
「ああ。今から、来れるか?」
草間の問いに、北斗は即座に「ああ」と答えた。胸の中に広がる嫌な予感が、草間興信所に向かう北斗の足を速める。
(また、あの高校)
前回あった、イチョウの葉による「おまじない」の事件。不思議な自殺を図った女子高生の謎を調べる為に訪れた秋滋野高校には、薄紅色に染まったイチョウの葉に願い事を書くというおまじないがあった。負の感情を孕んだものの方がよく叶う、というおまじないが。
(だけど、俺は祓ったんだ。イチョウの木に渦巻いていた、負の感情を)
イチョウの葉が薄紅色に染まっていたのは、負の感情によるものだった。北斗はそれに気付き、祓った。それによって、イチョウの葉は黄色という本来の色に戻ったのである。
『余計な真似を』
ふと、あの時に聞いた声が蘇ってくる。イチョウの葉を祓った時に現れた、少女の声を。彼女はイチョウの葉を祓った北斗に対し、明らかに不愉快そうな顔をして言ったのだ。
『我々は別個であり、また一つでもある』
「……その別個とか言うのが、やらかしたのか?」
ぽつり、と呟く北斗の目線の先には、草間興信所があった。
相変わらずの風景の中に、やはり相変わらずの草間がいた。資料の束を目の前にし、むっつりとした表情のままでソファに腰掛けている。
「よ、武彦」
北斗が声をかけると、ようやく草間は資料から目を離して顔を上げた。
「来たか。意外と速かったな」
「まあね」
北斗はそう答えながら、草間と対面になるようにソファに腰掛けた。前回のイチョウについて考え込んでいたら、ついつい足早になってしまったのだ。
「それで、今度は何なんだ?また、秋滋野高校って言ってたけど」
「ああ」
草間はそう言い、資料を北斗の方へ向けた。その資料をぱらぱらと捲りながら軽く読み、北斗は眉間に皺を寄せる。
「湧き水?」
「そうだ。湧き水を飲んだ生徒が、変わってしまったというんだ」
「変わったって……全員が?」
「いや、一部だそうだ。湧き水を好んで飲む生徒たちの一部、と俺は聞いているが」
草間の言葉を聞き、北斗は思わず苦笑する。
「イチョウの木の次は、湧き水か。……全く、どうなってんだか」
「そう言うな。一番不本意なのは、そんな事が起こった秋滋野高校の理事長なんだろうからな」
北斗は「それもそうか」と呟き、資料に目を通す。湧き水の出てくる水道の位置や数、どこからの湧き水か等といった詳細が書かれている。
「……行くか?」
草間の問いに、北斗は「もちろん」と答える。強い意思を込めた目を、資料に向けながら。
●動
知らぬで済む事は無し。ただ手探りにて、進むだけ。
再び訪れた秋滋野高校は、閑散としていた。当然だ、日曜日なのだから。前に訪れた時と同じように、いくつかの部活動が行われているだろうという事しか分からぬ。
北斗は大きな包みを抱え、秋滋野高校を一望した。前と特に変わったような様子は、何処にも見受けられない。
校門のところで立ち止まり、ポケットから草間興信所で貰い受けた資料を取り出した。校内地図に、赤い丸印が五つ。それらは全て、校内にある湧き水の水道を示していた。
三階建て校舎の一回に一つ、計三つ。体育館近くに一つ、校庭脇に一つ。
「全部回らなくても、同じものだよな?」
北斗は呟き、五ヶ所の中の一箇所を指差す。校庭脇にあるものだ。
(ここに行ってみるか)
校内地図と実際の校内を見比べ、場所に目星をつけて北斗は水道へと向かった。
「あそこか」
視界の端に蛇口らしきものを確認し、北斗は呟いた。そして近付いていくと、3人ほどの生徒たちがいるのに気付いた。部活動で登校している、生徒だろう。
「……やっぱり、おかしいよな」
一人の男子生徒が、そう言いながら水道から水を飲んだ。湧き水の水道である。
「だよな。こんなに美味しいのに、飲まないなんて絶対おかしいって」
二人目の男子生徒が、そう言って笑った。
「でも、それを他の人に強要しなくても良いんじゃないかしら?」
三人目は女子生徒だった。彼女だけは二人を見、宥めるようにそう言った。
「お前だって、この湧き水の方がおいしいって言ってるじゃん?」
「それはそうだけど……。水を飲む飲まないは、個人の自由じゃない?」
女子生徒がそう言うと、他の二人はじろりと彼女を睨みつける。女子生徒はびくりと体を震わせ、一歩後ろに下がる。
「何でお前、そういう事を言うんだよ?」
「水道水なんて、薬水じゃないかよ。そんなの飲むよりも、湧き水の方が良いに決まってるじゃねぇか」
「だけど……」
「お前、あいつらが悪いもんを飲んでるの、放っておけるのかよ?」
ずず、と二人の男子生徒が女子生徒に詰め寄った所に、北斗は「ちょい待った!」と声をかける。
「ちょっと落ち着けよ」
北斗が間に入ると、男子生徒たちは「なんだよお前」と口々にいい、北斗を睨みつけた。
「いきなり何だよ?」
「困らせてたじゃん。そういうの、あまりよくないと思うけど?」
「困らせてたなんて……ちょっとした、口論だよ」
なぁ、といいながら男子生徒は女子生徒を見る。が、女子生徒はぐっと唇を噛み締めて俯いているままだ。それを見、北斗は大きな溜息をつく。
「絶対、お前らのが悪い」
「なんだと?」
意気込む男子生徒たちに、北斗はひらひらと手を振った。あっちにいけ、と言わんばかりに。すると、男子生徒たちは突如北斗に襲い掛かってきた。北斗は殴りかかってこようとする二人の腕を、身を屈めて避けてから大きな包みで二人を薙ぎ払った。そしてすぐにその場に崩れ落ちた二人が再び立ち上がろうとするのを、その包みを向けて制する。
「……やる気か?」
じろりと軽く睨むと、男子生徒たちは小さく舌打ちをし、去って行った。北斗は「やれやれ」と小さく呟き、女子生徒の方を振りかえった。
「大丈夫か?」
「え、ええ。……強いのね、びっくりしたわ」
「そうでもないって。それより……さっき、ここの湧き水の事で揉めていたみたいだけど?」
北斗が尋ねると、女子生徒は「ええ」と言って頷く。
「私達……科学部なんだけどね。部員が三人しかいないから、活動を廃止しなさいって言われているの」
「部員とか、増やせないのか?」
「このままでは、増やせないから……それで、この湧き水を科学的に検証して科学部の知名度を上げようって言う事になったの」
彼女の話によると、湧き水の調査を科学部の部員獲得に繋がることを祈って始めたのだと言う。だが、検証してもただの水である事に変わりは無かった。あえて言うならば、とても綺麗だと言う事くらいで。
そこで、実験の一環として自分たちでも飲んでみる事にしたらしい。毎日、口にするものを極力この湧き水にするようにして。
「確かに、この水はおいしいの。だけど、あの二人はだんだん度を越し始めたのよ」
「飲んでない奴らにまで、飲ませようとしたんだな」
北斗の言葉に、女子生徒は頷く。
「部活動の廃止を止める為、という本来の目的はどこかに行ったみたいになってしまっているの。ただただ、この湧き水を皆に飲ませようとしている」
女子生徒はそう言って、溜息をつく。
「あんたは?」
「え?」
「だから、あんたはどうなんだ?あんただって、湧き水を飲んでいるんだろ?」
北斗が問うと、女子生徒は「私は」と言って苦笑を交えつつ口を開く。
「あそこまでは思わないわ。飲む飲まないは、あくまでも個人の自由だもの」
「そっか」
「最近は、他の人たちも変になったみたい。色んな所で、同じような争いが起きているし」
女子生徒の言葉に、北斗は頷く。それを調査する為に、ここに来たのだから。
「湧き水の検証についてのレポートも、部活動が廃止する前に終わる事は無さそうだし。……なんで、こんな風になったのかしら?」
女子生徒はそう言い、そっと苦笑した。
「変になったのは、湧き水を飲んだ生徒だけなんだよな?」
確認するかのように北斗が尋ねると、こっくりと女子生徒は頷く。
「だったら、答えは簡単じゃねーか。……そんな風になった原因として、怪しいのは湧き水だ!」
北斗の言葉に、女子生徒はきょとんとして北斗を見つめた。次に、湧き水の出る蛇口を見つめる。
「湧き水が……どうして?」
「……それは、これから調べるんだけどな」
北斗が言うと、女子生徒はくすくすと笑った。
「この湧き水は、秋滋野山って言う……あの山にある源泉からきているの」
女子生徒はそう言って、高校の裏にある山を指差した。
「ここから歩いて、10分ほどの所にあるわ」
「分かった。じゃあ、行ってみるぜ」
北斗はそう言い、大きな包みを持ち直す。そんな北斗に、女子生徒は「頑張ってね」と声をかけるのだった。
●蓋
進む先に待ち受けるもの。流れる水が如く、掴み所も無し。
山道を10分ほど突き進んでいくと、少しだけ開けた場所に到達した。そこは二つの大きな岩が上下に一つずつあった。上にある大きな岩は、間から止め処なく水が流れ落ちている。下にある大きな岩は中が空洞になっており、上の岩から流れる水が溜まっていっていた。更に良く見ると、下にある大きな岩の下の方に水道管がついている。これが、秋滋野高校に湧き水を届けているのだろう。
「綺麗な所に……綺麗な水」
ぽつり、と北斗は呟き、さらさらと流れている水を見つめる。透明度の高い、美しい水だ。
そっと水に触れると、心地の良い冷たさを感じた。
(何故、湧き水を飲んだせいとたちは、攻撃的になってたんだ?)
北斗は、ぱしゃ、と音をさせながら水を弄ぶ。
(水によって、負の感情を増幅された……とか)
飲めば良いのに、という単なる思いが捻れ曲がり、飲まなければならないという妙な感情へと変化してしまったのだろうか。
正の感情から、負の感情へと。
そして、多少というほどしかなかった負の感情は、水を飲みつづけるという行為によって増幅されていった。
負の感情に変化してしまった、一部の生徒たちだけ。
「この水に、そういう要素が含まれているんなら……」
北斗は呟き、大きな包みを抱えたまま片手で水をすくう。片手の為、少しの量しかすくう事は出来ないが。
(ほんの少量なら)
北斗は思い、口に含む。自分の想像通りのものならば、少量飲むくらいならば問題は無い筈だ。
自分には、増幅されるべき負の感情が渦巻いているとは考えにくい。負の感情があったとしても、少量で多大な増幅を促されるとは思えなかった。
「……おいしい」
ぽつり、と北斗は呟く。口に含み、飲み干した水はおいしかった。甘露、という言葉があるように、ただの水なのにどこかしら甘いような感覚さえあった。
喉を潤す、冷たくほんのりと甘い水。
負の感情を増幅させるものだとは思えぬほど、おいしいと素直に思える水なのである。一口飲めば、もっと飲みたくさせるようなそんな味がした。
(……だから、か?)
北斗は濡れてしまった手をひらひらと振り、水気を飛ばす。透明な水滴が、辺りへと飛ばされていく。
(こういう風に、どんどん水を飲んでいって……それで、負の感情を増幅させられてしまったからか?)
水自体に、穢れらしきものは全く見つからなかった。むしろ、穢れが無さ過ぎるのではと危惧してしまうほどだ。
「という事は、この水自体には本当に『増長させる』力しかないと言う事……か?」
北斗は呟き、止め処なく流れる水を見つめた。さらさらと流れる水は、相変わらず透明度が高く、澄み切っている。
「……でも、何の為に?」
水が感情を増幅させるまでは、良しとした。ならば、その次に来るのは至極当然の疑問。
何故。
「また、力でも蓄えようとか思ってるとか?」
苦笑交じりに呟くと、ふと後ろから気配を感じた。北斗は包みに手をかけながら、勢い良く後ろを振り返った。
「……力を蓄えし事が、そんなにおかしいか?」
そこにいたのは、一人の少年だった。前にイチョウを調べに来た時に出会った少女と、良く似ている少年。違うのはこの少年の髪が青く、目が赤いという所だろうか。
雰囲気だとか、面影だとか、酷似している。双子か兄弟では、と疑ってかかるほどに。
「おかしいっていうか……それで何をする気なんだよ?」
「力を蓄え、蓋を開けるのだ」
「蓋?」
北斗の問いに、少年は頷く。口元に小さく笑みを浮かべながら。
「そう、蓋だ。……力を蓄えずには、蓋を開けることは適わぬ」
「その蓋を開けて、何になるって言うんだよ?」
北斗が尋ねるものの、少年は何も答えなかった。どれだけ待っても、答えてくれそうには無かった。北斗は溜息をつき、包みを解く。
中から出てきたのは、特殊な退魔用弓『氷月(ひづき)』である。
「力を溜めているって言ったよな?何処に溜めているんだ?」
「それを知ってどうする?」
少年の問いに、北斗は真っ直ぐに少年を見据え、口を開く。
「祓う」
きっぱりと答えた北斗の言葉に、少年は険しい顔をした。が、構わず北斗は言葉を続ける。
「また蓄えられているのは、負の感情なんだろ?だったら、俺が祓ってやる」
「何故、邪魔をする?お前には何も関係の無い事だろうに」
「負の感情が溜められていっているのに、関係ないからといって見逃してやるほど俺は器用じゃないんでね」
氷月をゆっくりと構えながら、北斗は少年に向かって言い放つ。凛と佇むその姿は、今から矢を放つに相応しき雰囲気をかもし出している。
少年は一瞬呆気に取られ、それからくつくつと笑った。
「なるほど……退く気はないと」
「別個でありながら、一つのものであると、前の奴は言っていた。だから、お前も根本が同じものなんだろう?」
「その答えは、既にお前の中にあるようだが」
少年の言葉に、北斗は頷く。前に対峙した少女と、同じような気を纏っている少年。それが別個であると同時に一つのものだという証拠ならば、なるほど、納得もいく。
別個体である事は間違いない。だが、根本にあるものは通じている。
「今度こそ、主体を突き止めてやるぜ」
小さく呟くと、北斗はゆっくりと弦を引いた。手に意識を集中させ、矢を思い描く。そうすれば、引きし弦に弓が輪郭を帯びつつ出現する。
北斗が放つべき、矢が。
「お前は……お前らは、一体何なんだ?」
矢を少年に向けたまま、北斗は尋ねる。少年から感じる気が、だんだんと穢れを帯びていく。祓いの矢を向けられているからであろうか。
「我らの正体を知って、何になる?」
「さあな。少なくとも、俺が満足する」
「なるほど」
少年は北斗の答えに再びくつくつと笑った。北斗は眉間に皺を寄せ、少年に向けて矢を放った。正しくは、少年の周りに纏わりついている穢れに向かって。
矢は少年に真っ直ぐ向かっていき、途中で飛散した。完全に少年を捕らえていたにも関わらず、だ。少年の蓄えている穢れが、大きすぎるのだろうか。
だが、ある程度の穢れを払う事は出来たらしかった。その証拠に、少年から感じていた穢れが和らいでいたのだから。
「……愚かな」
少年は一言呟き、北斗をじっと見据えた。見下すような、それでいて何故か悔しそうな目をして。
「だが、愚かではあるが……人間というものは」
少年はそこまでいい、口を噤む。北斗は再び弓を構えながら「え?」と尋ねる。だが、少年は北斗に答える事なく、身を翻した。
「お、おいちょっと待てよ!」
(また同じパターンかよ!)
心の中で呟きながら追いかけようとすると、少年の足が一瞬ぴたりと止まり、振り返らずに口を開いた。
「水の深き所にある蓋……お前の所為で開かぬ。だが、いつしか開けるという事を、肝に銘じておくがいい」
「何だと?」
北斗の問いに答える事なく、少年は再び歩き出した。そして、あっという間に姿を消してしまった。北斗は大きな溜息をつき、再び湧き水の源泉を見つめた。
「負の感情を力として蓄えて……それで蓋を開けて、どうするっていうんだよ?」
水は、答える事も無く延々と湧きつづけた。さらさらと、透明な液体を延々と。
●結
掴む所が無い為に、ただただゆらりと流れ行く。静やかなる動きを以って。
草間興信所にレポートを提出した北斗は、大きな溜息をついた。
「豪快な溜息だな」
「溜息も出るって。結局、あいつの正体はつかめなかったしさ」
北斗はそう言い、再び溜息をついた。草間は「まあまあ」と言い、煙草に火をつける。じゅ、と音をさせて火がついた後、ふわりと白煙が立ち昇る。
「だが、変な争いはなくなったそうだぞ」
「それなんだよな。俺、何もしてないのに」
「多少は何かしたんじゃないのか?」
「したっつっても……あいつの穢れを祓って」
そこまで言い、はっと北斗は息を呑んだ。もしかすると、あの少年こそが力を溜めていた器なのではないだろうか。増幅された負の感情の力を、少年自身が溜めていたのではと。
その様子を見、草間は「いいじゃないか」と呟きながら白煙を吐き出す。
「その少年とやらが言っていた蓋、結局は開いてないんだろう?」
「……って、言ってたけどな」
「なら、とりあえずはいいんじゃないか?」
草間の言葉に、北斗は口を噤んだ。
『いつしか開けるという事を、肝に銘じておくがいい』
そう言った少年の言葉が、心の奥底で蠢いていた。蓋が開いたからといって、何が起こるかは結局教えてくれなかった。だが、それはよいことではないという事は本能的に察していた。
蓋が開く事に対し、嫌な予感しかないのだ。
「開かなければ良いな」
北斗はぽつりと呟いた。草間の吐き出した煙草の煙が、ふわりと空気中に溶けていくのをぼんやりと眺めながら。
<未だ開いてはいない蓋を思い・終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 5698 / 梧・北斗 / 男 / 17 / 退魔師兼高校生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜水深の蓋〜」にご参加いただき、有難う御座いました。如何だったでしょうか。
このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第二話となっております。
一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
今回ちょっと難しいですが、根本に関わるヒントを織り交ぜております。お暇な時にでも探してくださると嬉しいです。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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