■とまるべき宿をば月にあくがれて■
エム・リー |
【2320】【鈴森・鎮】【鎌鼬参番手】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。
彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。
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とまるべき宿をば月にあくがれて
何処をどうやって歩き進めて来たのか、それは今一つ判然としない。気が付けばそこは見知らぬ大路の上だった。
夜の闇が辺りに充ちていて、仰ぎ眺めた夜空には、月はおろか星の輝きの一つでさえも浮かんではいなかった。
鎮は、初めの内こそ人間の姿のままで大路を進み、旧い都の大路を彷彿とさせるような風景を楽しんでいたのだが。
「お、あっちにも! ほら、見てみなよ、くーちゃん! あ、そっちにも!」
夜の薄闇の中、鎮の声が響き渡る。
大路は、目算する限りでは道幅20メートル程といったところだろうか。舗装は成されていない。剥き出しとなった路面に、ぽつりぽつりと石が顔を覗かせている。軌跡の残されていないのを見る限り、車の往来は無いようだ。
鎮が歓声をあげるのは、道すがらすれ違う妖怪の姿を目にしたためだ。鎮が生きる現代の風景の中では、もはや滅多には目にする事もなくなった夜行の姿が、大路の上を歩いて行く。
「きゅ、きゅー!」
鎮の肩の上にのっているイヅナのくーちゃんも、鎮同様に嬉しそうな声をあげた。
「なあ、くーちゃん。ここがどこかは知らないけどさ、ここでだったら、俺の願いが叶うかもしれない」
「きゅ?」
首を傾げているようにも見えるくーちゃんに、鎮は満面の笑みで頷いた。次の瞬間には、鎮の姿は人間のもんではなく、鼬へと変容していた。
「きゅー」
嬉しそうに跳ね回るくーちゃんの姿を目に、鎮もまたぴょんぴょんと跳ね回る。
「行こう、くーちゃん!」
一頻り跳ね回って喜びを分かち合った後、鼬の姿となった鎮は、くーちゃんに向けて手を差し伸べた。
大路を行く夜行達が手にしている提灯の明かりが、あちらこちらでちらちらと揺れる。
鼬とイヅナである二人には、道幅20メートルの大路は途方もなく広いものに思えた。しかし、二人はそんな状況などお構いなしにちょろちょろと走り、大路のあちらこちらに目を向ける。
大路の路脇には茅葺やら瓦やらの家屋が点在していた。無論、木造。窓にはガラスではなく板が立てかけてある。
「誰か住んでんのかな」
背伸びをして家屋の中を確かめる鎮の横で、くーちゃんが同じように背伸びをした。
家屋の中には、どうやら人の――或いは妖怪の、と云うべきか――気配は感じられない。
「留守みたいだな」
「きゅ」
夜風が、路の其処彼処で伸びている柳やら梅やらといった樹木の葉を揺らす。
さわさわと流れるその風に入り混じり、つと、愉しげに唄う声があるのを、鎮は聴いた。
「なあ、くーちゃん。なんか聴こえねえ?」
訊ねると、くーちゃんもまた頷いた。
「聴こえるよな、やっぱり。……歌? え、でもあんまり聴いた事のない……」
「きゅうー」
「どどいつ?」
くーちゃんが教えてくれた名称を鸚鵡返しにそう告げて、鎮は唄が流れてくる方向へと顔を向けた。
視線の先に、一軒の家屋がある。どうやら妖怪達はその家屋を出入りしているらしい。
「きゅう」
「うん、行ってみよう、くーちゃん」
鎮はくーちゃんの手を引きながら、たしっと走り出した。
家屋を前に、改めて大路の全様を確かめる。
大路は鎮が歩いて来たもの以外にも三つ程あった。家屋はこの四つの大路が重なる場所、四つ辻の傍らに建っていた。
「でも、これって」
とてもじゃないけれど、人が住めるような建物とは思えない。そう呟いて、目の前の家屋を仰ぎ眺める。
道すがら確かめて来たどの家屋よりも一層鄙びた印象を放っているそれは、半ば半壊しているように思えなくもない。木材は所々朽ち、崩れ落ちている。しかし、その穴部分からは、確かに漏れ零れる柔らかな光があって、薄闇をぼうやりと照らしてもいるのだ。
鎮は傍らにいるくーちゃんの顔を眺め、頷く。
「入ってみよっか」
「きゅうー」
くーちゃんもまた頷いた。
それから、二人でその穴を目指し、壁をよじ登る。戸板を開けて入るのが無難なのかもしれないが、まずは中の様子を伺い見てみなくては。
「もしかしたら、ヤバい妖怪なんかもいるかもしんないしね」
穴の脇に立ち、くーちゃんを庇うような体勢でこっそりと穴の中――家屋の中を覗き見る。
家屋の中はさほどには広くなく――それは、外観から得た印象そのままだった――、テーブルと思わしき机が四つばかり並んでいた。対する椅子は乱雑に置かれ、その半分程は妖怪達によって占められていた。
妖怪達はどれも唄を唄ったり小噺を楽しんだり、実に和やかな空気を醸し出している。
鎮はその様子をしばし確かめた後、そろりとくーちゃんの顔を確かめた。くーちゃんもまた中の風景を確かめていたが、鎮が自分の方に顔を向けたので、「きゅう」と小さな返事を述べた。
穴から家屋の中へと踏み入った二人は、手近にあった空席を見つけ、その上に身を落ちつかせた。
――と、間を置かず、傍らに立った人間が二人に向けて声をかけた。
「初めて見るお顔ですね。ええと、鎌鼬クンと、こちらは、――――ええと、イヅナクンですね」
落ちついた風のある穏やかな声音に、鎮はしばし驚き、声の主の顔を見る。
声の主は、和装に眼鏡をかけた壮年の男だった。
穏やかな声音と同様に、見目が放つ雰囲気もまた、穏やかな印象のあるその男を見上げ、鎮はちょろりと首を傾げて言葉を返す。
「俺、鎮ってんだ。こっちはくーちゃん」
「きゅう!」
「ハハ、可愛らしいお連れさんですね。ええと、二人とも、飲み食いするのにマズいものとかってありますかね」
「あ、俺、甘いものが食べたい」
「きゅうぅ!」
「甘いものですね。じゃあ、饅頭か何かお持ちしましょう。洋菓子みたいな、洒落たものがあったら良かったんですが」
首を傾げて小さな笑みを浮かべる男に、鎮は大きくかぶりを振った。
「俺、饅頭大好き!」
「それは良かった。じゃあ、すぐに持ってきますね」
男は鎮の返事に、穏やかな表情で目を細ませ、奥の方へと下がっていった。
それから後、盆を持った男が再び戻って戻って来るまで、……否、戻ってきた後も、鎮とくーちゃんの周りには妖怪達が椅子を寄せて集まって来た。
「お前ェ、鎌鼬だよな。ここいらじゃ見ねえ顔だが、お前ェは何番手だ」
「参番手だよ」
饅頭を片手に持ち、片手に湯呑茶碗を持ちながら、鎮はもふもふと口を動かした。
「おう、そいじゃあオメエ、薬の調合なんてのも得手なんだな」
「うん。でも俺、塗り専門だし」
絶え間なく問いかけてくる妖怪達に、鎮は饅頭を咀嚼しながらもその一つ一つにきちんと応じた。
妖怪達は歯切れ良く返してくる鎮の声に、愉しげな空気を一層色濃いものへと染めていく。
先程の男は、名を詫助と名乗った。
この鄙びた家屋は、この四つ辻にある唯一つきりの茶屋なのだと、詫助はやんわりと頬を緩ませる。
「まあ、茶屋っていっても、酒でも飯でも大抵のものは出してるんですがね」
そう云って微笑む詫助に、あらかた腹を満たした鎮は茶を啜りながら頷いた。
「四つ辻っていうんだ、ここ。東京とは違う場所だよね。俺、妖怪がこんなに揃ってるのって、すげえ久し振りに見たよ」
「鎮クン、お茶のお替わりはどうですか? ああ、そうですねえ。現代の東京じゃあ、妖怪らしい妖怪なんてえのは跋扈しにくいですからねえ」
空になった湯呑に、新しく注がれた茶が波を打つ。
「昔はオレらも人間共の世界に出入りしてたもんだったよなあ」
「おお、俺なんざ日にいっぺんは人間を騙くらかしてやんねえと、どうにも落ちつかなかったもんさ」
妖怪達が口々に懐かしい時代の記憶を語り出した。
鎮は、イヅナの方に目を向けた。さすがに、イヅナの体には、饅頭は大きかったらしい。もごもごと苦戦しているのを見て微笑むと、饅頭のかけらをさらに小さく千切って渡した。
「俺、今でもたまに悪戯してるぜ。兄ちゃん達が斬ったのに、俺が特製の薬を塗ってやるんだ」
「ほう、特製とな。そりゃさぞかし効くんだろうな」
妖怪の一人が相槌を打ったのを確かめて、鎮はにまりと笑みを浮かべる。
「芥子と山葵と辛子、それに塩水。好きなのがあったら分けてやるよ」
茶屋の中に笑い声が充ち、広がった。
「なんじゃ、そりゃあ!」
「お前ェ、そんなもんを塗りたくってやがんのか!」
明るい笑いが広がったのを、鎮もまた楽しげに見渡す。
「皆もさあ、こそこそしてないで、出て来たらいいんだよ。また昔みたいに悪戯して遊ぼうぜ」
「ハハ、いや、全くですね!」
鎮の言葉に詫助は軽く手を打ちながら笑みを浮かべた。
くーちゃんは、湯呑の代わりにと用意されたお猪口に注がれた茶を口に運びつつ、鎮の顔を見上げている。
「そりゃそうだ。ああ、そうとなったら、おい、手前ェ、鼬の! 帝都が今どうなってんのか、詳しい話を教えやがれ!」
妖怪の一人が酔いの回った赤ら顔で鎮の顔を覗きこむ。
鎮は再び湯呑を口に運んでから、口許ににやりとした笑みを浮かべて頷いた。
「いいよ。ええと、じゃあ、何から話そうかな」
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】
NPC:詫助
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ライター通信
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お待たせしてしまいました。初めまして。ご発注、まことにありがとうございました(礼)。
妖怪達の隠れ家的(?)な四つ辻において、鎮さまはうってつけの方であるように思えます。
現代の東京から離れてしまった妖怪達と、今もなお留まって悪戯している鎮さまと。
妖怪達は、鎮さまがお話くださる現代の東京――ひいては現代世界に、興味津々といった面持ちであるようです。
もしも今回のノベルがお気に召していただけましたら、また今後ともご贔屓に、よろしくお願いいたします。
なお、このゲームノベルのシナリオは、1話完結という形をとりつつも、二度目以降ご発注をいただけました際には、その続きを指定していただく事も可能です。
それでは、今回は本当にありがとうございました。
またお会いできますことを祈りつつ。
よいお年を。
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