■真白の書■
珠洲
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
 誰の手によっても記されぬ白。
 誰の手によっても記される白。

 それは硝子森の書棚。
 溢れる書物の中の一冊。

 けれど手に取る形などどうだっていいのです。
 その白い世界に言葉を与えて下されば。
 貴方の名前。それから言葉。
 書はその頁に貴方の世界をいっとき示します。
 ただそれだけのこと。

 綴られる言葉と物語。

 それが全て。

 それは貴方が望む物語でしょうか。
 それは貴方が望まぬ物語でしょうか。



 ――ひとかけらの言葉から世界が芽吹くそれは真白の書。

■真白の書■



「この書に文字を記せば、それが物語りになる……?」
 少し不思議そうにマスタのお話を聞いておられたお客様が、呟かれて真白の書を取られました。
 長く滑らかな髪を揺らす向こうで生真面目そうな瞳が書を見詰めています。
 お客様の名前はアレスディア・ヴォルフリート様。
 まだ年若いらしいのですけれど何処か重い色が見受けられるような、気が少し。
「なるほど……それでは、私も一筆書かせていただいて良いだろうか?」
「好きなだけ書いてくれて構わないぞ」
「……いや、それほどは」
 マスタは無視して下さいねアレスディア様。この人感じ悪いですから。
 遠慮がちにペンを取って先端を書の一頁に添えられます。
「そうだな……」
 私からは見えたり見えなかったり、眼差しの奥まで覗く事は出来ませんけれどなんだか一瞬何かを堪えるような表情をされました。

 ああ――言葉も、それは記憶から選ばれたんですね。

「……いまいち、辛気臭い言葉ばかりだが」

 微かに唇だけで笑む間にも綴られた言葉は滲み、そうしていっときの物語を示します。
 あるいは、胸の内を擽るように。


** *** *





 おそるおそる、押してみる。
 扉は静かに動いて向こう側を細く覗かせた。
 店主の手入れがいいのだろう。軋みも聞こえないそれはアレスディアが幼い頃から変わらず其処に。
 探る足取りで踏み込んだ店内は薄暗く、日暮れ時の印象深く薄い橙の光が大きく作られた窓から射し込むのだけが唯一の光源だった。足先が床の木板を叩く。その音は思った以上に大きく響いて、アレスディアは息を詰めた。
 ぐるりと見上げる天井は、昔はとても高く思えたものだったけれど。
「――誰かと思えば、アレスディアかい」
 不意に奥から響いたのは、懐かしい想いを引き出されて立ち尽くすアレスディアを親しげに呼ばわる声。
 肩を揺らす彼女は別に油断していた訳ではなく幸福な記憶と共に有る街の、駆け回って戻る途中にあった店に意識をどうしても奪われて、だから驚いただけなのだ。胸の深いところを掴んで引かれるような頃合の声だったから。
「父ちゃんなら街灯が一個点かないって出ていったぞ」
 未成熟な声。
 突撃槍を握る手が緩んで、アレスディアは現れた少年を見る。
 見覚えの無い子供だった。当時の記憶を漁ってもそれらしき名前は出て来ない。
 誰だろうか。
 善からぬ気配ではなく、幼い姿である事もあって警戒し辛い。
 アレスディアが戸惑う間に少年はとんとんと軽快に階段を降りると鎧姿の彼女の前に歩み寄った。
 落日の光の中で全身を晒しても、やはり少年に覚えは無く、それを告げて自分の名前を知っている理由を問うべきかどうかとアレスディアが迷う間にも彼は落ち着き無く彼女の周囲を回って観察する。
「そ、の」
「なんで来たんだ?」
「――え」
 やはり訊いておくべきだと口を開いたアレスディアの声を覆うように少年が問うた。
 ぱち、と幼げな瞬きを数度して見下ろす左右で今は色を変えた髪が流れていく。その向こう側から少年がじぃと見詰めてまた繰り返す。なんでだ、と。
「あんたエルザード歩いてたろ」
「……ああ」
 そう。自分は天使の広場を通って何処だったか、店に行こうとしていた筈。
 なのに気付けば、懐かしい建物の中で見知らぬ子供に見上げられている。
「どうやってココ来たんだよ」
「どう、と言われても……その、風、が吹いて」
「風ェ?」
 面倒臭そうに繰り返す少年に頷いて、記憶を辿る。
 それは確かに風、だった。
 足元から掬い上げるような風が吹いて、瞼を閉じ再び開いた時にはなんとか見慣れたエルザードの聖都の街並みが奇妙な、何処か異なったものへと変わっていたのだ。まるで悪戯な似絵を見比べるように周囲を見回して、その中でこの建物を見咎めたのだけれど。
「ふぅん」
 訥々とした説明を少年は一言で片付けた。
 やる気の無い様子で窓の向こうから入り込む夕日を見ている。
「信じられないかもしれないが」
「信じるけどさ。それっくらい普通に起こる世界だろ」
 ソーンって、と言われてもアレスディアとしてはどう答えるべきなのか。
 確かに異界からの来訪者は多い世界だけれど、だからといって不思議が起きて当然かと言われるとそれも少し、違うような。
 生来の生真面目な性質のお陰で曖昧に流すという事が出来ない。返答を考える間に少年は鼻を鳴らすと店番の座る椅子だろうか、その近くの棚に背伸びしつつ手を伸ばした。
「とにかく、っと、風が、アンタに、吹いてココに、っ、来た、ん、だろ!」
「あ、ああ」
 微妙に届かない腕の先をふと目で追えば、古い燭台が一つ。
 必要なのだろうかと思案する間も少年は繰り返し背伸びしては手を振って目的の物に当たらないかと頑張っている。気軽にあれこれと手を出す事の出来る方ではない、どちらかと言えば厳しかったり遠慮がちだったりするアレスディアも流石に近付いて手を出した。
「これで……いいのだろうか?」
「…………」
「違ったか。すまない」
「これでいいんだよ!」
 差し出された燭台をむくれつつ見詰めてから、アレスディアの腕からそれを奪い取る。
 何か気に障ったかと横顔を窺い見るアレスディアからは視線を逸らしたまま、少年はぶすりと礼を言った。
「ありがとさん」
「あ――いや、合っていて良かった」
 安堵の息をつくアレスディアを横目で一瞬ねめつけてから少年はその燭台に火を入れて硝子らしき囲いをつける。
 かちりと両端を合わせれば風を遮りそうそう消えはしない。
 その火がしっかり広がるのを確かめてから少年は踵を返して奥へと向かう。なんとはなし見送り、燭台を見ればその灯りは広々と光を伸ばしている。少年に意識が向いていた間に、陽は深く潜りつつあり、代わって宵闇が裾を広げ始めていたようだ。
 窓越しに灯り始める光を見ていれば少年がまた戻ってくる。
 薄手の外套というのか、貫頭衣のような作りの温かそうなそれを被りながら先程の燭台の前まで来てそれを取った。
 そのまま扉の方へと歩き出すので、後に従って店を出る。
 声をかけそびれながら少年が幼い手で器用に錠を下ろしていくのを傍らから眺め、石畳へと振り返る。振り返り、それはいいのだが風の後に何処か違う場所に出た身としてはどう動くべきか――きちんと二歩、道の側へと進み出てから考えた。
(挨拶を)
 そういえばしていない。
 邪魔をした、程度には言っておけばよかったと思いながら星明かりも散り始めた藍の空を見上げる。
「なにしてんだよアレスディア!」
 その耳に飛び込んだのは先程の少年の声。
 はたとそちらを見れば、苛々とした顔付きを誤魔化そうともせずに少年がアレスディアを手招いていた。
「……なにか?」
「なにかじゃねぇ!父ちゃんトコ行くぞ!」
 いつどこでそういう話になったのだろう。
 首を傾げそうになって、そこでまた少年が呼ぶので小走りにアレスディアはそちらへ向かった。
 道で考えるよりはまだ動きがありそうだったので。
「お前を戻す為に父ちゃんトコ行くってのに、なんだってついて来ないんだよ」
「――は?」
 当然、動きはありそうでも、簡単に元の道に戻れるとは思っていなかった。
 少年の言葉にまた、子供のような稚い瞬きを繰り返したアレスディアを相手も同様の瞬きで返し。

「オレ……戻らせてやるぞ、って、言った……よな?」

 確かめる少年の声がややあって洩れた時にアレスディアに出来たのは、申し訳無さそうにしながらも静かにかぶりを振る事だけだった。


* * *


 硬い音はアレスディアのもの。軽い音は少年のもの。
 靴音が二つ、石畳を叩いて進む。

「街灯が点かないってのは滅多にないんだよ」
「けれどだからと言って、私とどう関係が有るのか解らないんだが」
 負けず嫌いなのか、早足でアレスディアの前を維持して進む少年の旋毛を見下ろしながら問う。
 戻る方法は父親のところにあるかも、と考えて連れて行こうとしてくれているらしいけれど、どうにも解らない。
「戻れるんだからそれでいいだろ!」
「それは、そうなんだが」
「オレは口下手なんだよ!」
「……すまない」
 むしろ説明が下手なだけだろうと反射的に思ったが静かに謝罪するアレスディアだ。
 ぷりぷりと頬を膨らませて歩く少年は、話し忘れた事を非常に素っ気無いながら謝罪して今は父親の居る場所へと向かっている。ぴんと跳ねた癖の強い髪を見るともなく見ながら後を追えば軽い既視感があった。
 かつては同じような場面があったかもしれず。
 胸を軋ませる記憶はけれど優しくて、思い返す度にアレスディアは瞳を伏せる。
 けして、癒える事のない過去の傷。
「ええと――点かないのは、っと」
 暗い感情が湧き上がり溢れかけ、それを押し留める少年の声。
 ぽつぽつと静かに照らす街灯の明かりがアレスディアの褪せた、かつては黒だった銀の髪を染めた。
 四つ角で進路を確かめる少年の傍らで周囲を見る。
 覚えのある建物。ない建物。
 懐かしい建物。慣れつつある建物。見慣れぬ建物。
「ここは、なんだ」
「街だよ」
 知らず零した言葉に少年が返す。
 視線を下ろした先に、手の平。
「ほら」
 まじと見るアレスディアに催促するようにその手を振る。
「もう少しだからさ」
「――ああ」
 謝礼なりか、と考えてこれまた反射的に財布を探るアレスディアの手を背伸びして少年が掴む。ああもう、と随分な勢いでこぼしてそのままぐいと引っ張って。
「アンタ素直に金払おうとすんな!」
「え」
「この先の角二つだから、行くぞって言ったんだ!」
 いや言っていない。
 咄嗟に返しかけた言葉を呑んで「すまない」と言う。
 別に謝る必要もないのに相手の勢いに弱いのは、そういえば昔苦笑して誰かに指摘された。
 なんて言われたのだったか。

『ショージキ過ぎたらバカがつくんだぞ!』

(……今、何か)
 引っ張った手をそのままに、繋いで歩く少年の耳が赤い。
 見ながら、けれど見ないで記憶を探る。何か重なるものがあった。何か。
 ごくと唾を飲む。緊張するとどうして口の中は乾くのだろう。
「その、聞いても」
「ダメだって」
「しかし」
「もうついたからさ、ほら!」
 繋いでいない方の指を伸ばして示す先。
 ひょろりと細長い人影が街灯の下にいた。
「ここ、あんまり何か起こらねぇの」
 アレスディアを見ようとしないで少年が言ったのは、点かない街灯とアレスディアがエルザードに戻る術との関連について。
 突然言われて咄嗟に頷くだけのアレスディアを一度として見上げないで少年は続ける。
「そういう時はさ、たいていちょっと混ざってんだ」
「何と?」
「……アンタたちの場所」
 歯切れの良い言葉ばかりだった少年が初めて言い淀むと繋いだ手をきゅうと握り締めた。
 無意識なのかもしれないその仕草に戸惑いを覚えながらそのままにしていると、細長い人影がこちらに気付いて身体を起こす。手を振るのに返しながら少年は。
「多分、あれアンタが点けるんだよ。それで、戻ると、思う――父ちゃん!」
 途切れ途切れになる声を訝しんで訊ねる前に、いやそれを遮るように少年が父を呼ぶ。
 直前の握り締めた力が嘘のようにあっけなく離れていく少年の手、少年自身。小さなその背中を見詰めながら、やはり覚えたのは既視感。


* * *


 ざわめきは慣れてきた聖都のもの。
 街灯は確かにアレスディアの手によって火を入れて、あたたかな色味の明かりを周囲に伸ばす。
 ほうと息を吐いて少年と、その親を振り返る。
「――っ」
 けれどそれよりも早く風が走り抜け、その勢いに堪えきれずたたらを踏んで目を閉ざし。
 かつて黒だった銀。その色が頭の周囲を暴れ回り掻き乱すのを手で押さえ、痛みさえ覚える風を受けながら閉じた目を開く。

 そこに。
 そこにあった街は似絵ではなく。
 エルザードでもなく。

「――ァ、っ!」
 無意識に閉ざしそうになる視界を堪えて開く、その中に風を挟んで少年が。
 少年が、何か。
「――」
 聞こえない。
 隣の細長い大人が何故か頭を下げる。
 二人の向こうで立ち並ぶ家屋の窓々に灯る、懐かしい色の。
「――ァ――ろよ!」
 聞こえない。
 叫ぶ少年の声が聞こえない。伸ばした自分の髪に彼の姿さえ阻まれがちな状態で、その手を振る腕が見え、窓々の中に人影が幾つも現れて、手を振っているのが見えて。

『アレスディア』

 幾つもの灯り、が。
 呼ぶ少年の声が。
 手を振る人々が。


 吹き荒れた風の中で見た今はない街。


 ――大気に遊ばれていた髪が静かに落ちたとき、アレスディアは元の場所に何ら変化なく佇んでいた。
 色を流し落としたような、くすむ灰銀の髪もけして変わらず。





** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。

 ――小さな世界が書の中にひとつ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女性/18歳(実年齢18歳)/ルーンアームナイト】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして。ほんのり風味になっているかなと思いつつご挨拶のライター珠洲です。
 もしかしたら過去一緒に遊ぶ位はしたかなというイメージで読んで頂けると有り難く。
 設定ががっちりあったのでこれ幸いと単語に合わせて使わせて頂きました。書に書き込む時にも考えておられただろうと見て『私』もそういう感じで話しています。切ないレベルが合っていることを祈りつつ失礼をば。
 書に御参加、感謝致します。ありがとうございました。

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